高校に入ってすぐ・・・なぜ惹かれたのだろう。

なんでもこなせてきた。今までは。なのに上手くいかない・・・。


ヨウコは前方に親友の姿を発見したので歩みを速めた。

親友はマリア様の前で立ち止まるとお祈りもせずにただマリア像を見上げていた。

それが睨みつけているのだと気づくのにそう時間はかからなかった。

『・・・。』

ヨウコはただ親友の後ろでじっとその姿を眺めながら、初めて交わした言葉を思い出していた。

 初めてその姿を見たとき、セイはとても冷たく見えた。そして繊細なガラス細工のような人だと思った。

その例えは今思えばなかなか当たっていたと思う。

そんなガラス細工だったセイはある事がきっかけでプラスチックになった。

透けていて透明だけれど、なかなか割れないにせもののガラス・・・。

『私のせいなんでしょうね。』

あの事件の引き金を引いたのは多分紛れもなく自分だろう・・・。

でも、とられそうになったからじゃない。真実を述べたのだ。遅かれ早かれ気づく事だったのだから・・・。

『いいえ、違うわ。そう思いたいだけだった・・・。』

ヨウコは今でも後悔していたのだ。自分が引き金をひいてしまったことを。

第三者の私がかかわってしまった事を・・・。


セイがようやく動き出したのに気づいて、ヨウコは声をかけた。

「誰かと思えばセイじゃない。」

セイは一瞬驚いたように立ち止まるとゆっくりこちらを振り向いた。

『あっ・・・ガラスのセイだ・・・。』

「・・・蓉子。」

「ごきげんよう。」

ヨウコは出来るだけの笑顔を作ってセイに近づく。

『蓉子・・・。そう呼んでくれるようになったのはいつからだったかしら・・・もう思い出せないわ。』

「一体いつから居たの?今来たわけじゃないんでしょう?」

ヨウコは自分の胸にガラスの破片が刺さるのを感じた。

『そう、この感じ・・・。』

昔のセイはこうやってヨウコに無数の破片を投げつけてきた。そしてその傷口はずっと癒えないでいた。

「いつから?そうね、あなたがマリア様の前に立って睨み付けているのを始めからずっと見てたわ。

いつまでいるのかと思っちゃった。」

ヨウコはわざとあきれたような顔をして腰に手をやると、少しでも気丈でいられるようにつとめた。

「別に待ってくれてなくてよかったのに。」

セイはそういって迷惑そうに顔をしかめた。いつだってそうだ。セイは残酷で無神経。

少しもヨウコの気持ちに気づかない・・・。

そう、今だってどんな気持ちで背中を見ていたかなんて知らないのだろう。


「あら、私にはあなたの背中がとても寂しそうに見えたんだけど気のせいだったのかしら?

…何かあったの?」

『・・・まただ。また私余計なことをしようとしてる・・・。』

「別に。これと言ってたいした事じゃないよ。」

セイはあっさりするほどきっぱりと言い切った。そしてその場を離れようとする。

きっと触れてほしくないのだろう。しかしヨウコは触れられずにはいられなかった。

また後悔する事になったとしても・・・。

思わずヨウコはセイの腕を掴んだ。一瞬セイの体が硬直するのがわかる。

「別にってことはないでしょう?ねぇ、大丈夫なの?」

『だめ・・・、これ以上言ったらだめよ・・・。』

ヨウコは自分に言い聞かせようと必死になったが、

一度上げられた幕はそう簡単には降りてくれない。

案の定セイの顔には不快の色が滲んでいた。

「あのねぇ、生きてれば悩みなんてそこら中に転がってるもんだよ。

それをいちいち蓉子に言わなきゃならないの?」

「・・・。」

『どうして?ねぇ、どうして私はいつも・・・。』

ヨウコはそっとうつむいた。

『いっそもう言ってしまいたい。泣いてしまいたいのに・・・。もうこれ以上はムリよ・・・。』

両目から大粒の涙が溢れそうになるのを必死にこらえていると、

突然セイの心配そうな顔が飛び込んできた。

ふいの出来事にヨウコはもう一つ大事な事を思い出した。

『・・・そう、この人はとても残酷で、とても優しい人だったっけ・・・。』

ヨウコは顔を上げ、飲み込んだ涙をセイに言葉でぶつけた。

「あなた最近薔薇の館に来ないわよね?どうしてなの?」

突然のヨウコの問いにセイは、はぁ?と首をかしげている。

なんだかその仕草が可愛らしく思える。

「それ、今関係あるの?」

「ええ。誰があなたの埋め合わせをしてるかあなた知ってる?」

「・・・蓉子?」

セイはきっと今、ヨウコが怒っていると思っているのだろう。

なんだかしどろもどろになっている。

『そうよ。私は今怒ってるのよ。

あなたはどんなに私が追いかけてもすぐに逃げてしまうのだから・・・。』

「そう。私よ。あなたが来ないおかげで迷惑がかかっているのはこの私なの。

どう?原因聞く権利あるでしょ?」

『違う・・・。本当はそんなことどうでもいいのよ。私はあなたが・・・。』

「・・・も、黙秘権を要求してもいい?」

気がつけばセイはプラスチックに戻ってしまっている。

ヨウコはこのプラスチックが嫌いだった。

つかみ所がないのは前からだが、なんだかセイではないような気がしてイヤだったのだ。

「・・・。」

「・・・。」

そしてこんな場面でも決して本音を言えない自分も大嫌いだった。

『・・・まだ駄目なのね?また私を縛るのね・・・?』

「ほら!しゃんと歩いて!遅刻するわよ!」

「えっ?い、いいの?」

「…いいわよ。別に。どうしても言いたくないんでしょ?ただし、一つ約束してちょうだい。

何年先でもいい・・・。いつかあなたが話してもいいと思えた時でいいから今回の悩みを話してほしいの。」

ヨウコはセイの顔を見つめると、きつい口調で言い切った。

セイも目を逸らさずに、ヨウコの目をじっと見ている。

まるで、ノラ猫がこの人は信用できるのか?と品定めしているような・・・そんな目だった。

ヨウコは今回の事を、どうしても話して欲しかった。

セイが話してくれるまでには、自分の中の気持ちも整理したかったし、

何より自分も当事者になりたかったのだ。

こんな風に一度でいいから想われたかった。

・・・まだ未来はあるかもしれない。でも、無いかもしれない・・・。

だから今度は後悔したくなかったのだ。

「わかった。約束する。」

「なら、いいわ。今回は大目に見るわ。ただお願いだから早めにケリつけてね。」

セイはまるで観念したかのように頭を垂れると降参。と言わんばかりに小さく両手を挙げた。

『そうよ、早くケリをつけて・・・私を逃がして・・・。』

ヨウコは蜘蛛の糸にかかった蝶のように身動きもとれずに、

食べられるか逃がしてもらうのをずっと待っていたのだ。

「どうして?今そんなに忙しくないじゃない。」

そんな事も知らずにセイは淡々と会話を進めようとする。

「・・・あなたね、何言ってるの?私たちもうすぐ卒業でしょ?それともあなた、卒業しないつもりでいるの?」

「あぁ・・・。あったね、そう言えば。あんまりにも実感がないもんだから忘れてた。」

「・・・実感か、確かにあまりないわね。・・・なんだか長いようで短かったわ。ほんとあっとゆう間。」

セイはヨウコの話にふんふんと相槌を打ちながら伸びた前髪を指先でクルクル巻いて遊んでいる。

セイはとても綺麗だ。髪も目も体躯も全て好きだが、目に見えるところでは指先が一番好きだった。

お箸を持つ仕草や、シャーペンをクルクル器用に回すとき。それにこうやって髪で遊ぶとき・・・。

『・・・その手で・・・その指で・・・。』

「そう?私は十分長かったよ。良い事も悪い事も沢山あったしね。」

突然のセイの言葉にヨウコはハッ我に返った。顔が赤くなるのがわかる。

「・・・そうね。」

どうにかそれだけつぶやくと、顔が赤くなっているのを悟られないように少しだけセイから離れて歩いた・・・。


そこから後は正直あんまり覚えてはいなかった。気がつくとすでに教室で、セイはもういなかった。

「そう?私は十分長かったよ。良い事も悪い事も沢山あったしね。」

最後にセイの言った台詞が頭の中に響く。今でもセイは彼女の事を気にしているのだろうか?

それともあの事はもう、良い思いでだと割り切っているのだろうか・・・?

最後のセイの台詞はヨウコの知るガラスのセイだったように思う。

 プラスチックは偽者。その想いがヨウコの頭の中を支配する・・・。

ガラスだったときのセイはいつもヨウコにその破片を投げつけた。

でもプラスチックのセイはヨウコを傷つけない。

ヨウコを傷つけない事がヨウコの新たな傷になっていることも知らずに・・・。

『・・・ねぇ、苦しいのよ。お願いだから私を見て・・・。』

ガラスはヨウコに無数の傷とセイの存在感を残した。

でも今のセイは違う。今はなんだかピエロを相手しているみたいだった。

化粧の下に隠された決して空けてはならない過去・・・。

それこそヨウコが本当に見たいものなのだ・・・。

だから、それを隠そうとするプラスチックはやはり大嫌いだった。



プラスチックが偽者なんて誰が決めたの?

それはね、前から決まっていた事なの。だから考えてもしょうがない事なのよ。

・・・そうかしら?本当に偽者といえるの?それが本物かもしれないじゃない。

いいえ、決まっているのよ。それが真実なの!

・・・ウソよ。・・・だって、そう決めたのは私じゃない・・・。

ガラスとプラスチック