セイはまだまだ冷たい空気空気を大きく吸い込むと大きなため息をひとつ落とした。
テストから2週間。あれからちょっとだけユミの態度がおかしい。
どこが?といわれれば困るのだが、何かがいつもと違うのだ。
空はこんなにも高くて澄み切っているのに、どうしてこんなにもモヤモヤするのか…。
セイはもう一度ため息をつくと呟いた。
「どうしてだろう…。」
モヤモヤの原因はすでにわかりきっていた。あのコだ。
ツインテールがトレードマークの子狸のような愛くるしいあの子…。
銀杏並木の辺りを特にすることもなくブラブラしていると、突然背後から声をかけられた。
「あ、あの…ごきげんよう。白薔薇様…。」
白薔薇様ね…。私ははたしてそんな大層なモノだろうか、と自嘲気味に笑うと振り返った。
そこに立っていたのは見た事もない女の子達。
「…なに?」
セイは少し冷たく尋ねた。今日は朝からあまり機嫌がよくなかったのだ。
すると女の子の1人が何やら友達に背中を押されて前に踏み出た。
どうやらあとの子達はただの付き添いらしい。
モジモジしながら顔を真っ赤にしてなんだか誰かを思い出してしまい、自然と頬がゆるんだ。
もう一度ゆっくりと聞く。
「何か用?」
すると女の子は意を決したように、顔をきっとあげ後ろに持っていた袋をズイっとつきだした。
中身はお菓子だろうか・・・。
「あ、あの!ずっと好きでした。私…あの…。」
女の子は今にも泣き出してしまいそうな顔でセイの顔を見つめている。
袋が小刻みに揺れていることから震えていることがうかがえる。
セイは髪をそっとかき上げると小さく微笑んだ。
「ありがとう。君の気持ちはうれしい…。でもごめん、私には他に好きな人がいるんだ。
…だから君の気持ちには答えられないよ。」
そう言ってその場を後にしようとしたセイを、女の子は呼び止めた。
「あの、せめてこれもらってくれませんか?昨日がんばって作ったんです…。」
そう言って袋をセイの方に差し出した。セイは少しだけどうしようか考えた。しかし、お菓子に罪はないだろう・・・。
「…わかった。ありがとう…。それじゃあ、ごきげんよう。」
セイはそう言って袋をうけとると薔薇の館の方へと足を運んだ。後ろから女の子のすすり泣く声が聞こえる…。
その声がなんだかセイの気持ちをうしろめたいものにさせる。
『…どうしろってゆうのさ…。しょうがないじゃない。・・・なんだか私が泣きたくなってきた…。』
セイは出来るだけゆっくり薔薇の館に向かう事にした。手にもった袋がセイの良心をチクチクと刺激する。
その時だ。
「見たわよ、セイ。相変わらずモテるわね。」
聞き慣れた声だ。なんでも出来てしまう、めんどくさがり屋。
「…江梨子…。何してるの?こんなとこで。」
エリコは相変わらずめんどくさそうに肩にかかった髪を払うと笑った。
「いえね、今日は薔薇の館に行けませんって誰かに言いにいこうとしたら、どこかで聞いた声がするじゃない?
で、思わず木の影に隠れて様子をみてたってわけ。」
あまりにも悪びれないエリコの態度が妙におかしくてセイはイジワルに笑った。
「それで盗み見してたってわけ?全く江梨子らしいよね。」
「そう?それにしても、さっき言ったけどほんとよくモテるわね、あなた。」
「そうかな?ただ話やすそうだからじゃない?それに本命以外にモテてもしょうがない。」
セイがきっぱりそう言うとエリコは目を丸くした。
「本命?そんな人いるの?私はまた断る為の嘘かと思った。」
そう言うエリコの目はどことなく輝いている。ヤバイ、エリコの別名はスッポンのエリコだった。
きっとこの話にもくらいついて離れないだろう。
「いや、これから出来るかもしれないじゃない。ただそれを見越してああ言っただけよ。」
セイが思わず言い訳をすると、エリコはフフンと鼻で笑いくるりと踵をかえした。
「まぁ、いいわ。とりあえずそうゆう事にしといてあげるわ。今度こそ貴方の想いが通じるといいわね。
応援してるわ。頑張ってね、聖。」
そう言ってエリコは歩き去ってしまった。セイはエリコの後ろ姿を見送りながら、『ありがとう』と心の中で呟いた。
「さて、じゃあ江梨子の御期待に添えるよう頑張りますか。」
エリコと話した事でセイの気持ちは少し、和らいだようなきがした。
セイは自分の頬をピシャリと叩くと気合いを入れ、薔薇の館目指して走り出した。
エリコにあんな話をしたからだろうか、今、無償にユミに会いたかった。
薔薇の館のドアを開けると上から話声が聞こえた。ユミの声もする。もう1人はきっと祥子だろう。
あの姉妹は本当に仲がいい。
あまりにも仲がよすぎて、祥子に嫉妬してしまう事もしばしばだ。
セイはそんな事を考える自分がおかしくて苦笑いしながら階段を駆け上がった。
「ごきげんよ〜。あれ?二人だけ?他の皆はどうしたの?」
なんて、本当は声で二人しか居ない事は知っていた。
それでもわざとらしく皆の事を聞いてみたりするあたり、自分はどうしてこんなにも臆病なのだろうと思ってしまう。
「えぇ、それがどうやら他の方達は委員会や掃除で遅れるらしくてまだなんです。
もう直こられるとおもいますけど…。」
そう言う祥子の言葉はほとんど耳に入らなかった。今ユミが逸らした視線に気づいたからだろうか…?
「ふ〜んそうなんだ。ちぇっ、せっかく皆でこれ食べようと思ってたのに、いいや先に食べちゃおうっと。」
セイは出来るだけ考えないように鼻歌を歌いながら袋の中から箱を取り出した。
箱はキレイにラッピングされていて御丁寧に白いリボンで縛ってあった。
きっと白薔薇様にちなんだものだろう。
あの子の気持ちはうれしいが、こんなリボンや薔薇の袋なんかを見ると、いつもとても冷たい気持ちになる。
『私を好きなのはきっと私が薔薇様と呼ばれる存在だからで、
きっと誰も佐藤聖としての私など見てくれてはいないのだ、』と。
「さて、中身はなんでしょねっと。」
セイは冷たい気持ちを隠すようにリボンを解くと、自分の目に入らないようにそっと下に置いてあった袋に入れた。
ようやく開かれた箱の中身はきちんと一列に並んだマドレーヌだった。
箱を開いた途端甘い香りが薔薇の館に広がる。
その甘い匂いに反応してユミがフンフンと鼻を鳴らしている。これじゃあ狸じゃなくてまるで犬だ。
言い方は悪いがさしずめ甘いものに反応するパブロフの犬といったところか…。
その仕種があまりにも可愛くてつい笑ってしまう。
『これじゃあ私もパブロフじゃない…。』
セイは笑いをこらえながらユミにコーヒーの注文をした。
「安心して良いよ。ちゃんとユミちゃんの分もあるから。
それよりユミちゃん。私コーヒーが飲みたいな。あっつーいやつ。」
ユミは笑われた事がきにくわなかったのかしかめっつらをして注文をくり返した。
ユミを見ているととても心が落ち着く。まるで精神安定剤のようだ。
それと同時に守りたいとも思う。ずっとこの笑顔を守っていきたい…。
「…はい。あっつーいやつですね。お姉様はどうしますか?」
「そうね、じゃあ私も熱い紅茶を頂こうかしら。ところで白薔薇様、このマドレーヌはどうなさったんですか?」
祥子はお皿とフォークを出してきちんとその上にマドレーヌを置いた。
一方セイはマドレーヌを一つつかむとそのままかじりついている。礼儀もなにもあったもんじゃない。
でもそうしなければいけないような気がしたのだ。早く食べてしまいたかった。
あの時よりも数段大人になったつもりでいたが、結局たいして変わっていないのかもしれないと最近よく思う。
フクザワユミとゆう1人の少女に出会って、またあの時のような気持ちになって…。
「これ?もらったのよ。下級生に。是非食べて下さいって。」
どうして正直に言ってしまったのか…。きっと試したかったんだろうと思う。
それを聞いた彼女の反応を。ところがユミは意外な反応を見せた。
てっきり気にせずに、そうなんですか、などと言ってマドレーヌを食べ出すと思っていたのに…。
「どうした?ユミちゃん。どっか痛いの?」
いつまでたってもマドレーヌを食べようとしないユミにセイは思わず尋ねた。
もしかすると本当にどこか体調が悪いのかもしれない。
それともこれをくれた子に遠慮をしているのか。
確かに好きな人に送ったものを皆で食べられちゃあまりいい気はしないものだ。
セイは心の中で反省するとユミの顔をもう一度見つめた。
そういえば心無しか顔色があまり良く無いし、なんだか今日の百面相は悲しそうな顔ばかりだ。
「…ええ。少しお腹の調子が悪くて…。私の分はどうぞ白薔薇様が召し上がって下さい。」
そう言ってユミは精一杯笑顔を作った。その笑顔がなんだかいたいたしい。
「ユミ?お腹が痛いのなら保健室に行ってくる?一緒についていきましょうか?」
祥子がユミの背中をさすりながら呟いた。セイはその光景がひどく眩しく見えた。
「そうだよ、ユミちゃん。そんなに痛いのなら保健室に行っといで。今日はもう大丈夫だから、ね?」
セイはそう言ってユミに帰る事をすすめた。お腹が痛いのなら無理に残らせるのは酷とゆうものだ。
ところがそれを聞いたユミの反応はまたしても予想していないものだった。
「うえっ…ひっく。」
「ユ、ユミ!?い、一体どうしたの?泣く程痛いの?きゅっ、救急車呼びましょうか?」
「ユ、ユミちゃん!?どうしたの!?泣いてちゃわからないよ。」
突然ユミが泣き始めたのだ。これにはさすがにセイも驚いた。私は何かを間違えたのだろうか。
泣かすつもりなんて全くなかったとゆうのに…。
このままではきっとまた傷つけてしまう。その時ふとお姉様の言葉が脳裏をよぎった。
『いい?聖。あなたは好きな物が出来るとのめりこみやすいタイプだからすきなものができたら自分から一歩ひきなさい。』
その言葉が頭の中でグルグルと回る。セイは泣いているユミを見つめながらどこか冷静に考えていた。
『私は近付きすぎたんだろうか…?また失敗してしまうのだろうか…。』
そう思うと突然恐くなった。思い出す一年前。来なかった待人の事を。
「…いえ、本当に大丈夫ですから…。」
ようやく泣き止んだユミは小さく深呼吸して真直ぐセイと祥子の顔を見つめた。
「大丈夫ってあなた…。」
「そうだよ、突然泣き出して大丈夫な訳ないじゃない。」
「いえ、本当になんでもないんです。…あの、今日はもう失礼してもよろしいでしょうか?
用事があったのをすっかり忘れていたので…あの…。」
どうやらユミは帰りたいのだろう。必死になって嘘をついているのが表情からみてとれた。
普段なら便利だと思える百面相もこんな時は気の毒だと思う。
「でもあなたどこか痛いんでしょう?1人で帰す訳にはいかないわ。」
祥子様が少し強い口調で咎めた。どうやら本気でお腹が痛くて泣いたと思っているらしい。
でも違う。ユミはここから去りたいのだ。
『さっきの私のように…。』
セイは腕組をしてユミの顔をじっと見ていたがやがて口を開いた。
「…分かった。今日はもう帰ってもいいよ。蓉子達には私から言っておくから。
本当に1人でも大丈夫なんだね?ちゃんと家まで帰れる?」
「…はい…。」
「そう。じゃあもう今日は帰りなさい。」
セイはそう言ってユミの頭を優しく撫でた。ユミの顔は泣いたせいもあって真っ赤だ。
それを聞いて祥子が納得出来ないといわんばかりに口を開いた。
「ちょ、ちょっと白薔薇様!貴方は黙っていてくださいませんか?」
「いいじゃない、祥子。1人で帰れるって言ってるんだし。ユミちゃんだってもう子供じゃないんだから。そうでしょ?」
「・・・それはそうですけど。でも私には姉としての責任があるんです!」
「だったら尚更だよ。あんまりかまいすぎるのもどうかと思うけど?」
セイの言葉に祥子は黙りこくってしまった。なぜならセイの顔はとても狼狽して見えたのだ。
祥子は正直驚いた。セイがこんな顔をするのは1年ぶりだった。
祥子はため息を一つつくとユミの方に向き直り言った。
「ほんとうに1人で帰れるのね?ユミ。」
祥子はユミをそっと抱き寄せ頭を撫でる。
「はい。お姉様。御心配かけて申し訳ありません。でも私大丈夫ですから。」
「本当よ。心配するじゃないの。ただでさえ最近ぼーっとしてる事が多いんだから。気をつけなきゃ駄目よ?」
「…はい。気をつけます。ありがとうございます。お姉様…。
それじゃあ…あの…ごきげんよう。お姉様、白薔薇様。」
ユミはそっと祥子様から体を離すとぺコリとお辞儀した。
「ええ、ごきげんよう。また明日ね。ユミ。」
「ごきげんよう、ユミちゃん。気をつけてね。」
ユミはもう一度頭をぺコリと下げると薔薇の館を後にした。
ユミの居なくなった薔薇の館はなんだか火が消えたみたいだった。祥子と二人、無言のまま時間が過ぎる。
「…白薔薇様、一つお尋ねしたいのですが。」
祥子の突然の言葉にセイは飲んでいたコーヒーを置いた。
「何?」
「ユミの事なんですが…。」
「うん。」
「私にはあの子の悩みが分からないんです…でも貴方なら…。」
祥子はうつむいたままポツリと言った。
「私になら何?分かるだろうってこと?」
セイは自嘲気味に笑うと窓の外に視線を向けた。外ではきっと冷たい風が吹いているだろう。
外には丸裸になってしまった銀杏並木が見える。
セイは部屋中に広がったマドレーヌの匂いに顔をしかめながら呟いた・・・。
「・・・悪いけど祥子。今回は私にも分からないよ…。」