あの日から私はちょっとおかしい。白薔薇様の顔がまともに見られないのだ。
テストの結果は散々で、文句の一言も言ってやろう!
と思っていたのにいざ薔薇の館に行って顔を見ると何も話せなくなってしまう…。
一体なんなんだろう。この感情は…。
「ユミ。どうしたの?何か悩みごとでもあるの?」
慌てて顔を上げるとお姉様が心配そうにユミの顔を覗きこんだ。
「いっ、いえ。なんでもないんです。」
「うそおっしゃい。あなたまた顔が忙し無く動いていてよ。
赤くなったり青くなっったり…そう、まるでカメレオンのようだわ。」
カ、カメレオンですか…。あれは確か身を守る為の手段じゃなかったっけ?
今のユミはあきらかに身を守る為の手段をしているようにはとても見えないのだが…。
「は、はぁ。すみません。」
お姉様はふぅ、と小さなため息をつくとテーブルの上に置いてあったすっかり冷めた紅茶を飲み干した。
ユミがお代りは?と聞くと、もう結構よ。とカップを差し出し、続けた。
「別に怒ったわけじゃないわ。ただ何を悩んでいるのかと聞いたのよ。
それとも私には相談できないような話なの?」
ユミはカップを洗いながら少し考えた。
「いえ、そうゆうわけじゃないのですが、まだお話するような段階ではないとゆうか、
もう少し自分で考えてみたいとゆうか…。」
「…なるほどね。わかったわ。あなたがまだ話す段階ではないと判断したのなら、きっとそうなのでしょう。
今はこれ以上は聞かないでおくわ。ただ、どうしても自分で処理出来ない時は相談してちょうだいね?
私はあなたの姉なのだから。」
お姉様はそうゆうとユミの頭をそっと撫でた。
「はい!おねえさま。」
ユミは満面の笑みで振り返るとお姉様に一礼した、その時だ。
「ごきげんよ〜。あれ?二人だけ?他の皆はどうしたの?」
そう言って白薔薇様が手に何やら袋を抱えて入って来たのだ。
ユミは慌ててお辞儀をするとそっと白薔薇様から視線を逸らせた。
「えぇ、それがどうやら他の方達は委員会や掃除で遅れるらしくてまだなんです。
もう直こられると思いますけど…。」
お姉様はそう言ってユミから離れるといつもの席に座った。
「ふ〜んそうなんだ。ちぇっ、せっかく皆でこれ食べようと思ってたのに、いいや先に食べちゃおうっと。」
ふふ〜んと鼻歌など歌いながら白薔薇様は持って来た袋を空けだした。
丁寧にラッピングされた箱のリボンをしゅるしゅると外してゆく。
「さて、中身はなんでしょねっと。」
ようやく開かれた箱の中にはきちんと一列に並んだおいしそうなマドレーヌだった。
箱を開いた途端甘い香りが薔薇の館に広がる・・・。
ユミがフンフンと鼻を鳴らすのをみて、白薔薇様はクックッと笑った。
「安心して良いよ。ちゃんとユミちゃんの分もあるから。
それよりユミちゃん。私コーヒーが飲みたいな。あっつーいやつ。」
白薔薇様は箱からマドレーヌをひとつつかみながら言った。
「…はい。あっつーいやつですね。お姉様はどうしますか?」
「そうね、じゃあ私も熱い紅茶を頂こうかしら。ところで白薔薇様、このマドレーヌはどうなさったんですか?」
祥子さまはお皿とフォークを出してきちんとその上にマドレーヌを置いた。
白薔薇様はと言えばそのまま丸かじりしている。
同じ薔薇の館の住人でもこうも違うものか。
などとユミが考えているうちに、お湯が湧いた。
コーヒーと紅茶を2つづつ用意すると席につき、綺麗でおいしそうなマドレーヌを眺める。
本当に一体どうしたのだろう。
「これ?もらったのよ。下級生に。是非食べて下さいって。」
ズキン。ユミの胸に刺が刺さる。
もらったとゆうことは少なくとも誰かが白薔薇様に多少の好意を持っているとゆうことだ。
そういえば蔦子さんが言ってたっけ。
白薔薇様は下級生に絶大な人気があるって。
なんだかユミの気持ちは甘いマドレーヌの匂いとはうらはらにどんどん苦くなってゆく。
『…食べられないよ。誰かの想いのつまったマドレーヌなんて食べられないよ…。』
ユミが一向にマドレーヌに手を出さないのを心配したのか白薔薇様はユミの顔を覗き込み言った。
「どうした?ユミちゃん。どっか痛いの?」
ユミを覗きこんだその顔は本当に心配そうだ。
「…ええ。少しお腹の調子が悪くて…。私の分はどうぞ白薔薇様が召し上がって下さい。」
そう言ってユミは精一杯笑顔を作った。そうだ、私が食べるべきではない。
白薔薇様に祥子様とは違う想いをよせているかもしれない私が食べるべきではないのだ…。
きっとマドレーヌを作った人物は一生懸命作ったのだろう。
それを私が食べればどう思うだろう。
もし私が逆の立場ならきっと嫌だ。
「ユミ?お腹が痛いのなら保健室に行ってくる?一緒についていきましょうか?」
祥子様がユミの背中をさすりながら呟いた。背中に触れられた手が温かい。
「そうだよ、ユミちゃん。そんなに痛いのなら保健室に行っといで。今日はもう大丈夫だから、ね?」
白薔薇様の声が心の中に木霊する。ふいにユミの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うえっ…ひっく。」
「ユ、ユミ!?い、一体どうしたの?泣く程痛いの?きゅっ、救急車呼びましょうか?」
「ユ、ユミちゃん!?どうしたの!?泣いてちゃわからないよ。」
祥子様も白薔薇様も突然泣き出したユミに相当驚いたのだろう。
祥子様に至っては本当に救急車を呼びそうな勢いだ。ユミは必死になって涙を拭うと頭をぶんぶん振った。
「…いえ、本当に大丈夫ですから…。」
「大丈夫ってあなた…。」
「そうだよ、突然泣き出して大丈夫な訳ないじゃない。」
「いえ、本当になんでもないんです。…あの、今日はもう失礼してもよろしいでしょうか?
用事があったのをすっかり忘れていたので…あの…。」
ユミは必死でこの場から離れようとした。用事なんて本当は何も無い。
ただここには居たく無かった。マドレーヌの匂いのするこの部屋には…。
「でもあなたどこか痛いんでしょう?1人で帰す訳にはいかないわ。」
祥子様が少し強い口調で咎めた。どうやら本気でお腹が痛くて泣いたと思っているらしい。
すると突然腕組をしてユミの顔をじっと見ていた白薔薇様が口を開いた。
「…分かった。今日はもう帰ってもいいよ。蓉子達には私から言っておくから。
本当に1人でも大丈夫なんだね?ちゃんと家まで帰れる?」
「…はい…。」
「そう。じゃあもう今日は帰りなさい。」
コクンと頷くユミの頭を白薔薇様は優しく撫でた。ドクンと心臓が跳ね上がる。
「ちょ、ちょっと白薔薇様!貴方は黙っていてくださいませんか?」
「いいじゃない、祥子。1人で帰れるって言ってるんだし。ユミちゃんだってもう子供じゃないんだから。そうでしょ?」
「それはそうですけど。でも私には姉としての責任があるんです!」
「だったら尚更だよ。あんまりかまいすぎるのもどうかと思うけど?」
白薔薇様の一言に祥子様は黙りこんだ。そしてユミの方に向き直ると静かに呟いた。
「ほんとうに1人で帰れるのね?ユミ。」
祥子様はユミをそっと抱き寄せ頭を撫でてくれる。
「はい。お姉様。御心配かけて申し訳ありません。でも私大丈夫ですから。」
「本当よ。心配するじゃないの。ただでさえ最近ぼーっとしてる事が多いんだから。気をつけなきゃ駄目よ?」
「…はい。気をつけます。ありがとうございます。お姉様…。それじゃあごきげんよう。お姉様、白薔薇様。」
ユミはそっと祥子様から体を離すとぺコリとお辞儀した。
「ええ、ごきげんよう。また明日ね。ユミ。」
「ごきげんよう、ユミちゃん。気をつけてね。」
ユミはもう一度頭をぺコリと下げると薔薇の館を後にした。
マリア様の前で立ち止まり、そのお顔を見つめた。涙が次から次へと溢れてくる。
『マリア様、お姉様に心配をかけてしまった私をどうかお許しください。
そしてこの苦しみは一体なんでしょうか?どうか私に教えて下さい。』
ユミはお祈りし終わるとそっと胸を押さえた。甘いような苦いようなこの想いはなんなんだろう…。
苦しくて切ないこの気持ちは…?無償にマドレーヌが憎らしかった。
そう考えてる自分が汚いように思えて溢れだした涙。
銀杏並木を抜けもう一度ふりかえると、さっきまで見えていたマリア様の顔が逆光で光って見えなかった…。
でもその存在はとてもキレイなモノに見えた…。