「おお〜豪華だねぇ…」
セイは目の前に並べられた豪勢な料理に思わず感心した。
ハンバーグに海老フライ…かぼちゃの煮物やふろふき大根まである…。
「そうでしょう?ちょっと頑張りましたからね!!」
ユミは嬉しそうに両手を腰に当てて自慢げに胸など張っている。
セイはそんなユミが愛らしくて頭をよしよし、と撫でながら目の前の料理の山を眺めながら言った。
「うん、頑張った頑張った…でもさ…」
「…言わないでください…それ以上は…」
「いや、うん…だってさ…今日…私の誕生日だよね…?」
「そうですよ?だから聖さまの好きな物ばかりでしょう?」
ユミは聖が何を言いたいのか分かっているのだろう。
料理を運んで来る前から何かソワソワしていると思ったら…なるほど、こういう事か…。
セイは苦笑いしながら料理の入った器を人さし指でコツンと弾く。
「これはないよね…さすがにさ」
「うう…だって…入りきらなかったんですよ…これしか…」
「ふ…ふふふ…祐巳ちゃんらしいよね…私祐巳ちゃんのこういう所好きだなぁ」
セイは料理の入った器を持ち上げるとそれを一つ一つ重ねはじめる。
するとあら不思議…これはどこからどう見ても…。
「おせち料理だね」
「………そうですね………」
さっきまでの誇らし気な態度は一体どこへ行ってしまったのか。
今はガックリと肩を落としてしょんぼりしている。
そんなユミを尻目に、セイは声を殺してその光景に涙している…。
「た、誕生日の料理が重箱で出て来るなんて…生まれて初めてだよ…」
「…そうでしょうね…私も初めてですよ…」
お腹を抱えて笑うセイとは逆に、ユミのテンションはどんどん落ちてゆく。
もう、いっそのこと穴でも掘ってその中に入ってしまいたいほどだ。
「いやぁ…楽しい誕生日だな、今年は」
「そうですか…それは良かったです…」
「あれ?祐巳ちゃん…もしかして怒ってる?」
セイはそっぽを向いてしまったユミの頬をつつくと嬉しそうにユミに抱きついた。
「ありがとう、祐巳ちゃん」
「いいえ、どういたしまして」
ユミはセイの方に向き直ると、セイの頬に軽くキスして二つ並べたグラスにシャンパンをついでゆく。
セイのグラスにはアルコールが少し入ったものを。
自分のグラスにはシャンメリーを。
本当は二人ともまだ未成年なのだから、アルコールを飲んではいけないのだけれど、
今日だけはマリア様もきっと目を瞑ってくれるだろう…。
「それじゃあ…聖さま、お誕生日おめでとうございます」
「はい、ありがとう」
チン…と静かにグラスを当てるだけで、ムードというものはいともたやすく作れるものなんだな、
などと感心しながら二人は料理を食べ始めた。
もしこれが料理のフルコースなんかだったら、
メインを終えるとすぐにデザートが出て来るけれど、あいにくここは自宅な訳で…。
「聖さまーすぐにケーキいけます?」
ユミはケーキの箱を聖の目の前にぶら下げると、少し左右に振ってみせた。
「うっ…いや…ちょっと待って…今無理…」
セイは床に転がったまま顔の前で手を振ると大きな深呼吸をする。
そんなセイを、ユミはしばらく見つめていたけれど、やがて自分もセイの隣に転がった。
「よく食べましたね?」
「うん。頑張った。残しちゃいけないと思ってさ」
いや、実際には結構残っていたけれど、ユミが途中で見兼ねて止めてくれたのだ。
でなければセイは今頃喋る事さえままならなかったに違いない。
「当分御飯は今日の残りですね」
「うん、好きなものばっかりだからいいよ、別に」
何よりもユミが作ったものならなんだって良かった。
たとえそれがどんなに物凄い味だったとしても…。
しばらく休憩すればセイもすっかり元気になって、自らケーキを食べる準備をしはじめた。
ユミに紅茶かコーヒーがいいか?と聞こうとも思ったけれど、
よくよく考えればユミの好みは自分が一番知っていた事に気付き、いそいそとミルクティーを入れはじめる。
セイはこの時間が大好きだった。
自分のコーヒーと、ユミのミルクティーを入れる時間が…。
そして目を細めながらフーフー、と少し冷ますユミの仕種や、
本当に美味しそうに紅茶を飲むユミの顔が…何よりも好きだった。
その顔を想像するだけで顔がニヤケてしまうのだから、もう重症だと自分でも思う。
ケーキは甘いものが苦手なセイに、とユミが特別に注文してくれたシックなガトーショコラ。
リキュールがよく効いていて、ラズベリーの酸味がちょうどいい。
「おいしい…コーヒーとよくあうよ」
「ええ、ミルクティーにも合いますよ」
ユミはホクホクした顔をしながらケーキを口一杯に頬張っている。
これじゃあ子狸じゃなくてハムスターだ、
などと思いながらセイが幸せそうなユミを見つめていると、ユミが不意にこちらを向いた。
「祐巳ちゃん…ケーキついてるよ?」
「へ?ど、どこです?」
ユミは慌ててティッシュで口の周りを拭いているが、ユミの顔にケーキなどついていない。
「ここ」
そう言ってセイはユミの顎に手を添え少し上を向かせると、ユミの唇をぺロリと舌でなぞる。
ミルクティーとラズベリーのせいで、ユミの唇は甘酸っぱい…。
ガトーショコラよりも、御馳走よりも、お気に入りのコーヒーだってこれには適わない…。
セイはそんな事を思いつつ、未だセイの嘘に気付かず真っ赤になっているユミに、クックッと笑いをかみ殺した。
「あ!そうだ…私ってば忘れるところでした」
ベッドに入ってしばらくして、ユミが突然そう言ってベッドから這い出すとそのまま部屋を出てゆく。
ユミを待つ間、セイは仰向けになって静かに目を瞑って今日の出来事を朝から思い出そうとしたけれど、
どうしても喧嘩した理由が思い出せない。
「案外簡単に忘れるものなんだなー…」
ポツリとつぶやいた声は、静かな部屋にこだまする。
二人だと狭く感じるベッドも、1人だとこんなにも広い…。
そんな事さえ忘れていた事に、セイは今さらながら気付いた。
やがてユミが部屋へ戻って来て、ベッドの上に正座すると小さな箱を後ろから取り出し、セイの胸の上に置くと言った。
「聖さま…これ、お誕生日プレゼントです…喜んでくれるかどうかは…わかりませんが…」
「プレゼントは無いのかと思ってたよ…もしくは祐巳ちゃんがプレゼントなのかと」
「な、何言ってるんですかっ?!今更私をプレゼントしなくても、随分前から私は聖さまのっ…!!」
ユミはそこまで言ってハッと口を噤んだ。
ルームランプしかついていないけれど、一瞬にしてユミの顔が赤く染まったのが分かる。
でも、きっと人の事は言えない。多分セイの顔も相当に赤いだろうから…。
そんな気まずい空気を打ち消すように、セイが口を開いた。
「…ごめんごめん。プレゼントありがと…開けていい?」
「え、ええ。もちろん」
セイはカチンコチンに固まっているユミの向かいにあぐらをかいて座ると、小さな箱を手にとり軽く振った。
音は何もしないし、とても軽い…。本当に中身が入っているのか?と思える程…。
セイはルームランプの光量を最大にすると、小さな箱のリボンを解いた。
中から出て来たのは…また箱。しかも今度はちゃんとしたケースのようだ。
「なんだかドキドキするよ…そんなに見つめられたら」
セイは、さっきからずっとセイの手元を凝視しつづけているユミに、苦い笑いをこぼすと言った。
「あ、ああ…ごめんなさい…でも、私もなんだか緊張しちゃって…」
「?どうして祐巳ちゃんが緊張するの?」
「だ、だって…誰かにこんな物プレゼントするの初めてですから…」
「ふーん…初めて…ね。どれ?」
セイはそう言ってケースを丁寧に取り出すと、細い白い指でケースのフタをそっと開いた…。
「……………」
「……………」
ケースの中に入っていたもの…それは…。
「…指輪…」
「………」
セイはケースの中から指輪を取り出すとそれを目の前にかざし、しげしげとそれを見つめている。
「…くれるの?私に…?」
「…う…は、はい…」
真っ赤になって俯くユミを横目に、セイは何も言えなかった…。
そう、その指輪は夏にセイがユミにあげたのとまるで同じ物だったからだ。
ほんの少し色が入っているけれど、その色がまたなんとも言えず綺麗で…。
「ありがとう…ねぇ、祐巳ちゃんがはめてよ」
セイはそう言ってユミに指輪を手渡した。
「えっ!?じゃ、じゃあ…どの指がいいですか?」
ユミはあの日セイに聞かれたようにセイに尋ねる。
すると、セイはプイとそっぽを向いてぼそりと、分かってるくせに。と呟いた。
「祐巳ちゃんにはめた所と同じ所がいい」
「はい…ふふ…なんだか恥ずかしいですね?」
「うん。相当ね…」
セイはそう言って左手をユミの前に差し出すと、ユミが指輪をはめてくれるのをじっと待った。
ユミはそっとセイの手を持ち上げると、薬指にそっと指輪を通す…。
それは二人だけのとても神聖な行為…。
セイの白い長い指に、淡いブルーのガラスの指輪がとてもよく映える。
「はい。聖さま…ああやっぱり…」
「何?」
「いえ…きっとよく似合うだろうな、と思ってたんで」
「そう?それにしても…祐巳ちゃんもこんな気持ちだったの?」
なんとも言えない安心感…とでもいうのだろうか……。
言葉には出来ないような喜び…大袈裟かもしれないけれど、今何の言葉も出て来ない。
あの日、ユミに指輪を渡した後、どうしてユミが泣き出してしまったのか分からなかった。
でも、今ならあの時のユミの気持ちが痛いほどよくわかる…。
嬉しくて泣いたわけではない…悲しかった訳でもない…ただ、自然に涙が溢れてくる…そんな感じ。
気付けばセイの瞳からも一筋の涙が頬を伝って流れていた…。
「ええ…そんな気持ちでした…私も」
言葉をかわさなくても伝わる想い…言葉などなくても通じる心…。
「…そう…ありがとう、祐巳ちゃん…今日の事は…きっと一生忘れない…」
…いや、きっと忘れられない…こんな不思議な感情があったという事など…忘れられる訳がなかった…。
「そう言えば祐巳ちゃん…指輪してないよね?」
セイは頬に伝う涙を袖口でグイっと拭うと、ふとユミの左手の薬指に目を移した。
本当は少し前に気付いたのだけれど、どうしても恐くて今まで聞けなかったのだ。
しかし、そんなセイの言葉にユミは少しも動じる事なくそっとパジャマの下から何かアクセサリーを取り出した。
セイが近寄ってそのアクセサリーを手に取ると…。
「あ!」
「えへへ。可愛いでしょう?」
嬉しそうにそのアクセサリーをなぞるユミの顔は本当に楽しそうで…。
銀のチェーンの先についていたのは紛れも無くセイのあげた指輪だった。
「ど、どうして…指にするのが嫌になったの?」
セイの不安げな声に、ユミはまさか!と首を振ると、セイの肩にスリと近寄って来て言った。
「だって…ここの方が心臓に近いから…」
「は?心臓??」
「ええ…ここにこの指輪があると、聖さまがいつも一緒に居てくれてるみたいで安心するんです…」
ユミはそう言って胸元で揺れる指輪をギュっと握りしめると、恥ずかしそうにセイの顔を覗き込んで笑う。
「………」
セイはそんなユミから思わず顔を背けて左手で顔を覆った。
「聖さま〜?」
「や、うん…ありがと…ね」
セイはそれだけ言うのがやっとだった…。
嬉しいとか、幸せだとか、可愛いとか、そんな言葉では言い表せない…。
抱き締めたい…今すぐ口付けて、いっそ抱いてしまえればどれほど…。
「聖さま?どうかしました?」
「……祐巳ちゃん……キス…していい?」
セイは掠れた声で、俯いたままユミにそう尋ねた。
ユミは不思議そうにコクリと頷くと、ゆっくりと目を閉じる…。
ユミのキスを待つ顔が、今までもこんなに可愛かっただろうか?
それとも、今日の自分が少しおかしいのか…でも、もはやそんな事はどうでも良かった。
セイはゆっくりとユミに顔を近付けると、そのままそっとユミをベッドへと押し倒す。
「せ、聖さま!?」
「し…黙って…目、閉じて…」
セイの耳元で呟く声が、妙に艶っぽくて…ユミの胸が静かに震えた…。
緊張を糸に例えるなら、ピンと張り詰めた状態。
セイは何をする訳でもなくただじっとユミの顔を眺め、指でユミの首にかかった指輪を弄んでいる。
と、不意にセイの指がユミのパジャマをたくしあげ始めた。
「せ…」
「祐巳ちゃん…夏の続き…いいかな?」
セイはユミの首の指輪の輪郭をそっとなぞりながら言う。
ユミが高校を卒業するまで、ここにはサチコのロザリオがかかっていた…。
ユミはいつもそれを大事そうに首から下げていた。
セイはいつもそれが羨ましい…というよりも、憎らしくて仕様が無かった。
それが今…ロザリオの代わりに自分がプレゼントした指輪がユミの首にはかかっている。
勝ち負けの話ではないのだけれど、何故かそれを知った時無性にユミが愛おしくなったのだ。
こんな感情は汚いと思うし、醜いとも思う…。
でも、セイはいつだって望んでいた…ユミの首が…ユミ自身が自分だけのものであるように…と。
上から下…もちろん中身まで…セイだけのものであってほしかったのだ…。
離さない…離せない…そう思い出したのはいつからだったかもう分からない。
でも、毎日を一緒に過ごしていくうちにどんどんユミの事が好きになっていく自分がいる…。
こんな感情…欲しくなんかないとあれほど思っていたのに…今はそんな気持ちでさえ愛おしく思えた…。
夏、最後までいけなかったのはその気持ちがまだ恐かったから…。
だから寸前のところで逃げ出したりしたのだ。
でも今は違う…ユミを抱く事で、きっと自分のこの感情をよりはっきりしたものに出来るに違い無いと思う。
「夏の…続き…?」
「そう…祐巳ちゃんの全てが…欲しいの。身体も…心さえも…」
セイの切実な眼差しに、ユミはただコクリと頷いた。
そして思う。この人でなければ、と。
自分にはこの人しか、後にも先にも、もう居ないのだ…と。
これ以上この人を愛するのは恐い…今でも離れた時の事を想像するだけでこんなにも恐いのだ…。
実際離れればどうなってしまうのか、想像も出来ない。
でも…それすら越えてしまえるほど、セイの事を想っている自信はある。
だから身体が欲しいと望まれれば、断る理由などどこにも無いのだ…。
心は…とうにセイのものだし、どうやってそれを伝えるかは、きっとユミ次第なのだろう…。
「…はい…私の全てを…聖さまに…」
ユミはそう言ってゆっくり瞳を閉じた。
「祐巳ちゃん…愛してる…」
セイの掠れた声と、切ない表情だけが、ユミの頭の中を支配する…。
いくら愛の言葉を囁いても、足りない心。
いくら抱きしめても、満たされない気持ち。
どうすればいいの?
どうすれば、繋がれる?
君だけが欲しいのに…。
他は何もいらないのに…。