もしも、願いが叶うなら・・・
「祐巳さ〜ん!こっちこっち!!」
いつもはきっちりと結ばれたお下げが無かったので、声をかけられるまで誰だか解らなかった、
と言ったらヨシノは怒るだろうか?
ユミは苦笑いしながらヨシノとレイの元へと駆け寄りながらそんな事を考えていた。
「ごめんなさい、由乃さん、令さま、待ちましたか?」
「いいや、大丈夫だよ、祐巳ちゃん」
「ええ、そんなには待ってないわ」
「こら、由乃!大丈夫、本当に待ってないから」
「は、はあ・・・すみませんでした」
ユミは2人に頭を下げると、意地悪な笑みを浮かべるヨシノの顔をチラリと眺めた。
一方レイはそんなヨシノの笑みに、苦い笑いを浮かべている。
「さてと、役者は揃った!いざ、しゅっつじ〜ん!!」
「しゅ、出陣・・・?」
・・・ちょっと待て・・・今から戦場でも行くのか?
ユミははりきって歩き出すヨシノの背中を追いかけながら思う。
まぁ確かに、これから行く場所はいわば女にとっては戦場であるかもしれない…。
バーゲン中のデパート…ここは熾烈な女同士の争いの場…。
ヨシノ曰く、デパートで目的の物を探し出すにはコツがあるとかなんとか…。
「だからね、これだ!と思う物を見つけたら、蝶のように舞、蜂のように刺す!これよ!!」
「・・・そんな事するのは由乃ぐらいだよ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
レイの言うとおり、そんな事出来るのはヨシノぐらいのものだろう、とユミも思う。
呆れ果てたようにレイは頭を抱えながらヨシノを止めようとするが、そんな事をしたってヨシノが止まる訳が無い。
きっと、レイならばなおさらその事をよく知っている筈だ。
だがあえて!一応は止めておこうと思ったのだろう・・・きっと。たとえそれが、ムダな努力でしかないとしても…。
「令ちゃん!?やる気あるの?そんな事で可愛い水着はゲット出来ないわよ!?」
「はいはい。もう由乃の気の済むようにしてよ・・・」
「祐巳さんはっ!?」
とうとうレイはサジを投げてしまった…ともなれば、ユミに止められる筈もなく…。
「はっ、はい!ついていきます!!」
・・・あ〜もう駄目だこりゃ・・・
ここまでくればもうノンストップ…誰が何を言ったってきっと聞きゃあしない…。
レイとユミはお互い顔を見合わせてはぁ、と大きな溜息を落とす…。
ヨシノだけが、満面の笑みで大手を振って街を闊歩していた。
と、その時だった。ユミの目の端に、どこかで見たような車が通り過ぎて行くのが映った。
「・・・あれ・・・?」
・・・あの車は確か・・・
ユミはふと立ち止まって小首を傾げる…はて、どこで見たのか…と。
確かにどこかで見たはずなんだけれど、どこで見たのか全く思い出せない…。
「祐巳さんっ!!何してるの?置いてくわよっ」
ユミが思考の迷路にはまりこんでいるうちに、いつの間にかレイとヨシノは数百メートル先に行ってしまっている。
あろうことか横断歩道まで渡りきって…しかもすでに信号は点滅状態…。
「ちょ、ちょっと待って〜」
ユミが慌てて追いかけようとしたその時…。
ユミのすぐ隣にさっきの車がピッタリと止まったかと思うと、突然誰かに腕を掴まれた…。
「ぎゃうっ!!!」
ユミは思わず恐竜のような声を上げるとその手を振り解こうと必死にもがく。
しかし、力の差は歴然であっさりとそのまま車の中へと引っ張り込まれてしまった…。
遠くからヨシノとレイが自分の名前を呼んでいるのが聞こえる…。
でも、ユミはあまりの恐怖に目を固く閉ざしたまま開く事が出来なかった…。
・・・やっ、やだ・・・これって誘拐!?
まさか自分がそんな目に合うなんて…ユミはあまりの怖さに声が出ない・・・。
ただ震えるだけで何も出来ない…瞳を閉じていても解る、何かが覆いかぶさってくる気配・・・。
「やっ・・・やだっ!!」
ユミはようやく声を搾り出して犯人を押しのけようとしたが、今度は怖くて体が動いてくれない…と、その時…。
「やだじゃないでしょ?シートベルト締めないと危ないじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・この声・・・
どこかで聞いた事がある…と言うよりついこの間聞いたような…こんがらがった頭の中…。
思考能力は完全にダメになってしまっている…。
恐る恐る瞳を開けて、にっくき誘拐犯の顔を確認したユミは・・・思わず絶句した・・・。
「せ、聖さま・・・」
「はい、正解。びっくりした?」
「・・・・・・・・・・」
びっくりしたなんてもんじゃない…殺されるかと思った…真剣に。
ユミは驚きのあまり見失いそうになっていた感情が、ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。
「あれ?祐巳ちゃん?どーした?」
「…犯罪ですよ…」
ボソリと呟くユミに、よく聞こえなかったのだろう…セイは耳に手を当てユミにズイっと近寄る。
「えっ?何?聞こえないよ」
「一歩間違えれば犯罪ですよっ!?」
突然大声を出されたセイは、思わず耳を塞ぐと目を丸くしてユミから体を離した。
「び、びっくりするじゃない。急に大きな声出さないでよ」
「びっくりしたのはこっちですよっ!!本気で…ほん…きで…ころ…される…とおもっ…っう…っく」
あまりの恐怖に張り詰めていた緊張の糸が一気に解けた。と、同時に涙が溢れ出す。
いきなり泣き出してしまったユミに、セイはうろたえながらもハンカチを差し出した・・・。
ユミはそのハンカチを受け取ると溢れる涙を拭く…それでも一度零れた涙はそう簡単には止まらなかった…。
「…ごめんね祐巳ちゃん…今回はちょっとやりすぎた…本当にごめん」
申し訳無さそうに頭を下げるセイに、ユミはまだドキドキする心臓を押さえながら言った。
「…もう二度としないで下さいよ…本当に怖かったんですから…」
「うん。もう二度としないから・・・」
セイはそこまで言って口をつぐんだ。
『・・・嫌いにならないで・・・』なんて、思わず本音が漏れそうになったから…。
ほんのちょっとおどかそうと思っただけだったのに、まさかユミが泣いてしまうとは思わなかった。
何よりもユミには笑っていてほしいというのに、いつも泣かせてしまう自分が許せない…。
「…約束ですよ?」
「マリア様に誓って、もうしません」
セイは片手を上げ、もう二度とこんな事はしないと誓う。
よく見るとまだ微かに震えているユミの肩が余計に罪悪感を募らせる。
「はい」
セイの一連の仕草を見たユミは、満足そうにそう言って微笑んでくれた…。
そんなユミに申し訳無くて、いじらしくて、いっそかき抱きたくなってしまう・・・。
しかし、そんな事をしたらきっと歯止めがきかなくなって…その想いを打ち消すように小さく頭を振った。
ユミはそんなセイを不思議そうに眺めてクスクスと小さく笑っている・・・。
その笑顔で、ユミの許しを得られた事を確認したセイは、
ホっと胸を撫で下ろすと、前方から走ってくる二人に目を向けた。
「はぁ、はぁ、せっ、聖さま!?こんな所で何やってるんです?」
先に車までたどり着いたレイは、助手席の窓から頭を突っ込んでセイの顔とユミの顔を不思議そうに眺めている。
「れ、令ちゃ〜ん…まって…はや…はぁはぁ・・・ゆ、祐巳さん・・・はっ?」
「由乃…うん…それが…」
レイが事情を説明しようとしたその時…突然ヨシノは運転手側のドアを勢いよく開けてセイの胸ぐらを掴んだ。
「よ、由乃!?」
「由乃さんっ!!」
「うわっ!!よ、由乃ちゃんっ!!」
ユミとレイの声…そしてセイの声がピッタリとシンクロする。
「ちょっとアンタ!!こんな事してただで帰れると思わないでよっ!?警察に突き出してやるわっ!!」
犯人がどうして自分の名前を知っているのか…とか、少し考えれば解りそうなものなのだが、
ヨシノはそんな事全く気にも留めずそのままずるずるとセイを車の中から引きずり出した…。
心配そうにセイの袖を掴んだユミに、セイは嬉しそうな、困ったような、何ともいえない表情をする。
そして、大丈夫だよ、と言わんばかりにっとユミの手を離しヨシノに引っ張られるがままに表へ出て行ってしまう。
一方ヨシノは犯人に逃げられないように服を掴んだまま、俯いている誘拐犯を指差し怒鳴りつける・・・。
「だいたいこんな白昼堂々とよくこんなこと・・・っ!!」
しかし…犯人がゆっくりと顔を上げたその時…ヨシノの頭の中は・・・真っ白になった・・・。
ここでようやく犯人の顔を見たヨシノ…体中の血液がサーっと音を立てて引いていくのが解る…。
「えっと・・・とりあえず離してくれる?」
セイは苦笑いしながら未だ胸元を掴んだままのヨシノの手を指差した。
一体どれほどの力でにぎっていたのか、と思うほどシャツはグシャグシャになって、
そこからセイの鎖骨が顔を覗かせている…。
ヨシノは思わずそれを凝視していたけれど、自分のせいでそうなっているのだと気付くと、
体中の血液が今度は逆流し始めた。
「はっ!?すっ、すみません!!」
ヨシノは慌てて掴んでいたシャツを離すと、二三歩後ずさってセイに深々と頭を下げる。てっきり怒られると思ったのだ。
引退したとはいっても、伝説の三薔薇様の一人だった佐藤聖に向かって勘違いだったとはいえ、
指差した挙句胸ぐらまで掴んでしまうなんて…こんな事許されるはずがない…。でも・・・セイは怒らなかった。
それどころか、ゆっくりヨシノに近寄ると優しい声で言う。
「いや、悪いのは私だし…由乃ちゃんは祐巳ちゃんを心配したんでしょう?だから気にしなくていいよ」
セイはにっこりと笑ってヨシノの頭をポンポンと撫でる。
その光景をハラハラしながら見ていたユミだったが、セイがヨシノの頭を撫でた途端、
何かモヤモヤとしたものがユミの中で弾けるのが解った…。
・・・私・・・最低だ・・・
セイがヨシノの頭を撫でたのは、ヨシノに安心してもらう為なのに…こんな事考える自分が信じられない…。
ユミはすぐにそのモヤモヤを振り払おうとするが、なかなか消えてくれない…モヤモヤの正体それは…嫉妬だった。
今日セイに会ってからセイは一度もユミに触れてはくれなかった…それなのにヨシノの頭は撫でるんだ…。
そんな事を思うと、どうしようもなくイライラとした想いが募る…。
「祐巳ちゃん?どうかしたの?気分でも悪いの?」
突然表情を曇らせたユミに、レイが心配そうに声をかけてくれた。
「いえ、大丈夫です…ありがとうございます」
ユミは小さく微笑むと、膝の上で見えないようにセイのハンカチを握り締めた・・・。
「2人とも乗った?それじゃあ行くよ」
セイはひたすら謝るヨシノとレイをとりあえず車に乗せると、車を発進させる。
「2人とも…多分シートベルトしといた方がいいかも…」
ユミはそっと振り返ると小声で後部席に乗るヨシノとレイに言った。
「コラ!聞こえてるよ、祐巳ちゃん。っとに失礼だな、キミは」
セイはそう言って軽くユミを睨んだが、後ろのレイとヨシノはユミの言葉にただ頷くとシートベルトを締め出す。
「そんな・・・2人まで・・・ひどいなぁ…そんなに私が信用出来ないの?」
悲しそうな顔をするセイ…しかし、ヨシノはきっぱりと、レイは申し訳無さそうに、出来ません、と呟いた。
「あ…そ」
2人のその返事に、セイは完全にスネてしまったのかそれきり後ろを見ることは無かった…。
まぁ、その方が安全ではあるのだが。
「ところで…今どこへ向かってるんです?」
ユミはまだ膨れっ面をしているセイにたずねると、セイは一瞬顔を輝かせた・・・。
が、すぐにまた黙り込んでしまった。そして…。
「教えてあげな〜い。ついてからのお楽しみ〜」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるセイ…もしかすると本当にこの人は誘拐犯かもしれない…。
そんな考えが三人の頭を過ぎる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
異様なセイの機嫌の良さ…怖い…。多分そう思ったのはユミだけでは無いはずだった。
後ろの2人も青い顔をして固まってしまっていたのだから・・・。
「あれ?どうしたの?三人とも急に静かになっちゃって」
嬉しそうに鼻歌なんて歌いながらどんどん車のスピードは上がってゆく…右へ左への急旋回も…。
ガンっ!!ごっ!!
「令ちゃんっ!!大丈夫っ!?ちょっと、聖さま!!」
ヨシノは、ぶつけた頭を抱えるレイの腕にしっかりとつかまってどうにかバランスをとる。
しかしレイは、そのヨシノの体重に負けてさっきからあちこちに頭を打ち付けて・・・かなり痛そう…。
「せ、聖さま・・・もう少し安全運転を・・・」
「祐巳ちゃんは、もう私の運転慣れっこだよね〜」
ユミの言葉にかぶせるように放たれたセリフは、セイを除く三人の頭の中でまるでやまびこの様にこだましていた…。
「…乗るんじゃなかった…私まだ死にたくない…」
ポツリと呟いたヨシノの声は、車内の空気をさらに不安なものにさせた…たった一人を除いては…。
どこでもいいから一緒に。
このまま連れ去って、どこか遠くへ…。
誰も知らない街に、2人だけで行こう。
そこでなら誰にも邪魔されずに、手を繋げる・・・。