私の想いが強すぎて、キミはいつも宙ぶらりん。
勇気を出して地面をけっても、キミはすぐに戻ってしまう。
キミの地面はどこにあるの?
これじゃあ全然遊べないよ。
これじゃあ全然成り立たないよ・・・。
セイは握っていた拳を開くと、大きく深呼吸をした。
汗ばんだ手から、自分が今どれほどに緊張しているのかが伺える。
ユミに電話をした所で一体何を言えばいいのか解らない。
けれど、もう後には引けない・・・呼び出し音だけが、やけに大きく感じられた・・・。
「はい、福沢です」
この声から察するに・・・ユミの弟のユウキであろうか。
どこか面倒くさそうな態度から皆に押し付けられて渋々電話を取ったのだろう、と予想できた。
「夜分遅くに失礼します。私リリアン大学一年の佐藤聖と申しますが・・・」
よそ行きの声に態度・・・なんだか久々にこんなに丁寧に誰かの家に電話をかけた気がする。
最近はどこにかけるにも携帯電話にだったから・・・。
ユウキはサトウセイと聞いてピンときたのだろう。
最後まで聞かずに、少々お待ちください、と言って電話を離れてしまった・・・。
しばらくして、電話ごしにガチャガチャと賑やかな音がしたかと思うと電話の向こうから、
はぁはぁ、と荒めの息遣いが聞こえてくる。
「・・・祐巳ちゃん?」
「もっ、もしもし!?す、すみません…ちょっ、今…うわぁっ…」
何やら忙しないユミの声…何かをしている最中だったのか、後ろでゴソゴソと物音がしている。
「あの…ごめん、大した用事じゃないから忙しいんなら切るけど…」
セイがそう言うと、ユミは慌てた声のままそれを遮った。
「いえっ!大丈夫ですから…ただちょっと今…そのー…お風呂でして」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・お風呂!?
セイは途端に赤くなる顔を押さえながらよく耳を澄ます…。
言われてみれば何となく声にエコーがかかっているような気がしないでもない。
「ごっ、ごめん!!本当に、大した用事じゃないからっ!もう切るね?それじゃ・・・」
セイは、ドキドキする心臓を押さえながらそう言うと、ユミが最後のセリフにかぶせるように呟いた・・・。
「待ってください・・・お願いです・・・切らないで・・・」
ユミの声は最後の方はフェードアウトしていってしまってよく聞こえない…。
でも、その言葉はセイの心を簡単にかき乱す…。
「う?・・・うん・・・でも・・・のぼせるよ?」
「大丈夫ですよ。もう少しで服着終わりますから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・ん?という事は・・・今まではっ…はだ・・・はだ・・・か・・・
ピーーーーーーーー。
耳の奥のほうで甲高い音が聞こえる…これは俗にいう耳鳴り…。
脳が想像の限界を超えてしまったとでもいうのか…セイは真っ白になる頭のどこかでユミの声を聞いた気がした…。
…一体私はどうなってしまったんだろう…セイはそんな事を考えながらユミの声を聞いている。
確かにユミの心は欲しい…でも、裸を想像するなんて…本当にどこかおかしいんじゃないだろうか…?
女同士なんだから大して自分のモノと変わらないだろうに、何故ユミの裸となるとこんなにも動揺してしまうのか…。
何故こんなにも体が熱くなるのか…心がざわめくのか解らない…。
「聖さま?・・・どうかされましたか?」
突然のユミの呼び声で、セイはようやく現実へと戻ってくる事が出来た。
最近ユミの事を考える度に何だか想像と妄想と葛藤の世界にトリップしてしまっているような気がするのは、
きっと気のせいではないだろう…。
「ん、ごめん。もう大丈夫?」
「あ、はい。お待たせしました」
「いや、いいよ。それより…電話に出るの服着てからで良かったのに」
と、いうより出来ればそうして欲しかった…危うくもう少しで心臓が破裂する所だったのだから…。
「いえ…あまりお待たせすると…その…」
ユミは言葉を少し濁すと、その先を言いづらそうにモジモジしている。
セイがその先を聞くために黙っていると、やがてユミが観念したように口を開いた。
「えっと…早く出ないと…電話…切られちゃうような気がして…その…」
「…私が怒ると思ったって事?」
「・・・はい」
「・・・・・・・・・・・・・」
・・・か、かわいい・・・
きっと今、目の前にユミが居たら間違いなく抱きついているんだろうな、なんて思うほど可愛い事をユミは言ってくれる。
どうしてそんなにも嬉しくなるような事を言ってくれるのか…どうしてこんなにもユミは自分を幸せにしてくれるのか…。
ユミと話していると心がとても軽くなる…こんな自分でも空を飛んでいいような気がする…。
…でも、それを伝えるのは…きっともう少し経ってから…
セイは心の中の箱にしっかりとフタをして、代わりにもう一つの箱のフタを開けた。
『祐巳ちゃん専用オヤジモード』
これを着る事でセイはいつも上手い具合に心をはぐらかしてきたし、何よりもこのキャラでいるのはとても楽だった…。
「可愛いなぁ、祐巳ちゃんは。それぐらいじゃ怒らないって。
…ところで聞きたいんだけど…もしかして素っ裸だったのかな〜?」
「・・・・・・・・」
・・・この人は相変わらず・・・
電話越しに聞こえる、ニシシ、という笑い声を聞くだけで、今セイがどんな笑顔を浮かべているのかが想像出来る。
ついこの間までこのオヤジモードにどれほど翻弄されたことか!
…思い出すだけで…思い出すだけで…
今までなら腹が立っていたというのに…あれほど迷惑だと思っていたのに…。
今は何故かとても寂しい…会いたくて会いたくて…しょうがない…。
電話も本当に切られてしまうと思った…。
ちょうど、サチコから電話があった事もあって余計に声が聞きたかったから…だから…。
…でも…この想いをユミが伝える事で、きっと2人を傷つけてしまう事になる…。
もし…もし自分のお姉さまがサチコでは無かったら…、
なんてバカな考えをしてしまう程、心はすでに限界ギリギリで…。
もしの話なんて無いのは解っている…でも、苦しい…この想いに押しつぶされてしまいそうで怖い…。
それに、セイにはシオリという忘れられない恋人が居る事も…。
「…もう、何言ってるんですか。ところで…用事といのは…」
ユミは大きく深呼吸をして、どうにか平静を保つと出来るだけ興味なさそうな振りをした。
こうして少しづつ距離を保てばいい…セイが高校に居た時のように居られればそれでいい…。
「そうそう、用事っていうのはさ…ほら、忘れてるかもしれないけど…この間言ってたじゃない。
今度は2人でデートしようね?って」
「…そう言えば…言ってましたね。…えっ!?本気だったんですか?」
…忘れる訳がないじゃない…
どうして忘れる事なんて出来るというのか…2人だけでデートしよう、と言われてどれ程にユミが嬉しかったか。
でも、その後の約束も何も無いままユミはサチコの別荘へ行ってしまって、連絡もつけられなかったし、
どうやってこちら側から誘えというのだろう…そんな事出来る訳ないのに…。
だからすっかりその約束は無くなったものだとばかり思っていた。
それに、自分の気持ちにフタをすると決めた以上、この誘いには乗るべきではないだろうし…。
「本気だった…って失礼な!私はいつでも本気だよ〜ん」
「…嘘っぽいですよ…」
「え〜、そう?本気なんだけどなぁ。じゃあどうしたら信じてくれる?」
「…どうもしてくれなくていいです。ちゃんと信じてますよ。…それに…」
「それに?」
「…いえっ、何でもないです!それよりどこ行くんです?」
「んー…決めてない。祐巳ちゃんどっか行きたい所ある?」
「・・・・・・・・・・」
断るにはどうすればいいだろう…ありえないような所を言ってみるとか…。
ユミはどうにか断ろうと必死だった。何故なら、さっきからサチコの顔が頭の中にチラついて頭から離れないでいたから…。
「・・・祐巳ちゃん・・・イヤならイヤって・・・言ってくれていいからね?」
「・・・そんなっ・・・」
イヤな訳じゃない・・・そうじゃなくて・・・
ユミは泣き出してしまいそうだった…。
どうしてこう上手くいかないんだろう…どうしてこんなにもやっかいな恋をしてしまったのだろう…。
ユミが黙れば黙るほど、セイにいらぬ心配をかけてしまう・・・。
「じゃあ・・・どうしてって・・・聞いていい?」
聞いておきたかった…どうしても…。何をそんなに身構えるのか…もしかするとサチコから既に何か言われたのか…。
…それとも…ただ単に私が嫌われているのか…
気がつけば、セイはまた握りこぶしを作っていた。手の平に爪の痕がくっきりと残るほど…強く、強く…。
セイは沈黙を守ったままのユミの答えを待った・・・。嫌いだからではないと、言って欲しかった・・・。
しかし、ユミの答えは何とも単純なもので・・・。
「それは…2人だけで、とか…緊張するじゃないですか…」
嘘をついた。とっさにしょうもない嘘を…。
これも間違いではないけれど、ユミだって出来れば2人だけでどこかへ出かけたかった…。
セイに、自分だけを見ていてほしかった…それなのに…。
嘘をついてしまった事…バレてしまっただろうか…?ユミはドキドキしながらその時を待つ…。
「なんだそんな事…解った。じゃあ私は江利子と蓉子も誘うから、祐巳ちゃんも誰か誘いなよ。それでいい?」
「へっ!?は、はい…でも…いいんですか?」
ユミは、セイの提案に思わず拍子抜けしそうになった。
こんなにあっさりと2人じゃなくてもいい、なんて言われるとは思ってもみなかったから…。
ホッとした反面、無性に悲しくなる…自分から言い出しておいて勝手な…本当に勝手な話だけれど…。
「いいよ。とりあえずは祐巳ちゃんと出かけられる訳だし?
それに…山百合会メンバーで行くなら…場所はもう決まったも同然だしね」
「・・・何処です?」
「ん?夏と言えば海でしょ。皆集まるんならどうせなら海ぐらい行こうよ」
本当はユミと2人で海に行きたかった…。
でも…きっとユミは何かを隠しているから…無理矢理誘う事は…したくない。
とりあえず、嫌われている訳ではなさそうだし、脈があるとも言い難いけれど、今はそれでも十分だったし、
エリコの言葉を今は信じてみようとも思うから…。
セイは多分電話の向こうで百面相しているに違いないユミの姿を想像して思わず笑う。
きっと、海と聞いて水着の事やらをいろいろと考えているんではないだろうか。
「う、海…ですか…海…水着…ですね…」
ほらね、やっぱり。セイはあまりにも単純すぎるユミの思考回路に思わず笑ってしまった。
「うん、そうだね。もしかして持ってないの?」
「・・・水着・・・スクール水着ぐらいしか・・・」
だって…海へ行ったのなんてもう随分と昔のような気がするし、その頃の水着が今入るとは到底思えない…。
「・・・スクール水着かぁ…まぁ、ある意味ありだけど…」
「・・・買います!私、それまでにはちゃんと用意しておきますから!!」
皆が可愛い水着で遊んでいるなか、一人だけスクール水着なんかでうろちょろできない…。
そんなの…恥ずかしすぎる!
ユミが力強くそういうと、セイは笑いを堪えながら言った。
セイもまた、皆がキレイな水着を着ている中、一人だけスクール水着でショボくれているユミを想像したのだ。
「わかった。じゃあ水着準備しといて。日取りは…また連絡するから、ね?じゃあ皆にもよろしく伝えておいて」
「はい、わかりました。あの・・・聖さま…?」
「うん?」
「今日は・・・ありがとうございました・・・その・・・ちょうど聖さまの事思い出してたんで・・・」
恥ずかしそうにそう言うユミ…セイは、一つぐらい自分の気持ちを伝えてもいいような気がした。
「・・・何がありがとう、なのかよくわかんないけど…私も祐巳ちゃんの事考えてたよ」
「・・・へ?」
「ふふ・・・それじゃあね、祐巳ちゃん。お休み」
「あっ、はい!お休みなさい!」
プツ・・・ツーツーツー。
セイは今しがた切ったばかりの電話をじっと見つめると、思わずニヤける頬をぺチンと打った。
ユミが自分の事を少しでも思い出してくれていた…それだけの事がこんなにも嬉しいなんて…。
家族でもきっと、こんなにも上機嫌のセイを見た事がないんじゃないだろうか…?
本当に、自分でもビックリなのだから。
セイは、鼻歌を歌いながら軽い足取りで階段を下りるとリビングのドアを勢いよく開いた。そして・・・。
「うわっ!!!」
目の前の光景に思わず絶句する・・・。
「・・・忘れてた」
リビングのテーブルの上・・・。
そこには電話をする前に作って、そのままほったらかしにしていたカップラーメンの無残な姿があった…。
ツユを吸いすぎて膨らんだ麺は、容器の中から溢れんばかりの量になっている。
「は・・・はは・・・あはははは」
セイの中から何故か笑いがフツフツと込み上げてくる。
キッチンからお箸を取ってくるとどうしようもなくなったラーメンを見つめて、いただきます、と小さく呟く。
「・・・おいしくない」
・・・って、当たり前か・・・でも・・・
このラーメンの代償は、思ったよりも大きくて・・・価値のあるモノだったから・・・これぐらいは何てことない。
伸びきったラーメンをすすりながら、セイはユミの事を考える・・・そしてサチコの事。
セイがユミを好きだという事がサチコにバレた時…その時はどうなってしまうのだろうか?
・・・かと言って、諦める気は全く無いのだけれど・・・。
ほんの少しの勇気で、世界はほら、こんなにも変わるのだから・・・。
叶わない想いは、まだ先の見えない未来の話。
叶うかもしれない想いも、そこにはあるのかもしれない。
どちらを選ぶのも、私とキミしだい。
出来るならどうか、誰にとっても優しくて幸せな未来が、
そこにありますように・・・。