恋愛における痛みと苦痛。


これすら愛しいと思える程、


私はあなたを想っていたのね。


恋愛は・・・こうして楽しむものだったなんて、


どうして今まで気づかなかったのかしら・・・。




セイは淹れなおしたコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れる。

そしてクンと匂いをかいで一瞬顔をしかめたが、やがてそれを口へと運んだ。

「・・・あま・・・」

コーヒーの苦味とか、香ばしい匂いとか、そんなものは完全に無くなったユミ仕様のミルクコーヒー。

いつだったか、前にも一度こんな風にユミの好きな味を試してみたくて飲んだ事があった。

あの時は確かもう少し甘かったような気がしたのに、今日は前ほどではない。

「間違えた・・・かな・・・?」

いや、そんなはずは無かった。セイがユミの味を間違えるわけがない。

他の事に自信は無くても、これだけは自信がある。なんたって、何杯も何杯も家でこっそり研究したのだから・・・。

でも、以前とは明らかに甘さが違う。

「・・・どうしてだろ・・・」

セイは首を捻るともう一口すすってみたが、やっぱり今日のユミ仕様コーヒーはいうほど甘くはなかった・・・。

いくら考えてみても答えは出ない。もしかしたら答えなんて無いのかもしれない。

そんな事を考えていたその時だった…廊下から聞こえる階段のきしむ音・・・。

どうやら誰かがやってきたらしい・・・この足音からして多分・・・。

セイはニィっと笑うと何食わぬ顔をして足音の主の到着を待った。

ガチャリ。

「きゃっ!」

「久しぶり、元気だった?」

足音の主は両手で口元を押さえたままその場に立ち尽くし、まん丸な瞳でこちらをじっと見つめている。

「そんな所に立ってないで、座れば?紅茶でいい?」

セイの問いに、足音の主はただコクコクと頷くだけで一切声を出さない。

そりゃそうだろう。夏休み真っ只中に、誰も居ないだろうと思ってやってきたら、

そこには少し前に卒業したはずの人間が居たのだから誰だって驚く。

もしかしたら、幽霊ではないか?などと疑っているのかもしれない。

なぜなら、足音の主はさっきからしきりにセイの足元ばかりを気にしていたから・・・。

「そんなに確認しなくてもちゃんと生きてるよ。…一応言っておくけど…生霊でもないからね」

「・・・・・・・・・」

苦笑いするセイとは裏腹に、ほっと胸を撫で下ろす足音の主…。

「はいどうぞ。久しぶりね、志摩子」

「はい・・・お姉さま・・・」

シマコは少し目を伏せると、恥ずかしそうに呟いた。

そして、紅茶の入ったカップを見つめると、ありがとうございます、と呟きセイの隣に腰を下ろす。

「懐かしいね」

「はい、とても」

この座り位置…シマコの雰囲気…同じ価値観を持った者同士の居心地の良さ…全てが懐かしく感じる。

ユミとはまた違う安心感が、セイを包み込んだ。シマコもきっとそうなのだろう…。

「ところで…お姉さまは今日はどうして・・・?」

シマコは不思議そうな顔をして首を傾げてセイにそんな事を言う。

その、あまりにもっともな質問に何故だか笑いが込み上げてくる。

「んー・・・なんとなく懐かしいなぁと思って」

・・・蓉子の事は黙っておこう・・・

セイはそう言ってコーヒーをすするが、すでに冷め切っていて余計に甘さが増しているように思う。

「・・・・・・・・・」

シマコはセイの飲んでいるコーヒーを見て思わず息を飲んだ…ありえない…そう思ったから。

「お、お姉さま?そ、それは一体どういう心境の変化で…その…」

「ん?ああこれ?いやさ、甘いコーヒーってどうなのかなぁ?なんて思ってさ」

「・・・で・・・どうでしたか・・・?」

まるで目の前で起こっている事が信じられないとでもいうような顔つきで、

シマコは恐る恐るセイに尋ねると、その返事を待つ…。

「ぁあ〜・・・正直あんまり・・・おいしくないかも」

まるで苦虫をつぶしたように笑うセイが、可愛らしいやら面白いやらでシマコは思わず小さく笑ってしまった。

「ふふふ、祐巳さんにはちょうどいい味なのかもしれませんけど・・・」

「う〜ん…よく飲めるよね、こんなに甘いの…志摩子も飲んでみる?」

そう言ってそっとカップをシマコの方に押し出すと、シマコはそれを丁重に断って優雅にセイが淹れた紅茶をすする。

「とてもおいしいですわ、お姉さま…」

「そう?そりゃ良かった。で、志摩子はどうしてここに?」

今は夏休み…クラブとか合宿でもない限り学校に来る用事なんて何も無いはずなのに、一体どうしたというのだろう?

シマコがここにいる理由をアレコレ考えていたが、シマコの答えはとても簡単なモノだった。

「今日は忘れ物を取りに来たんです。教室に無かったので、もしかしてこちらに…と思って寄ってみたんですが…」

そこまで言ってシマコはチラリとセイに視線を移す。

「私が居た、と。それで?忘れ物はあったの?」

「ええ、あそこに・・・」

シマコはそう言うとサッと立ち上がり流しの戸棚からはみ出している紙きれを丁寧に引っ張り出した。

その紙についた埃をパンパンと軽く手で叩いてセイの前に置く。

「なになに・・・?夏休みマリ仏ツアー日程表・・・何これ?」

マリ仏??一体なんの事?何かの暗号だろうか・・・意味がさっぱり解らない。

「乃梨子・・・あっ・・・えっと・・・妹と一緒に・・・その・・・」

・・・妹・・・

そう言えば少し前にシマコの周りに起こっていた出来事をセイは思い出す。

それがきっかけで、シマコには可愛い妹が出来たのだと聞いていたが・・・。

セイはその紙きれを目の前まで持ち上げると、丁寧に書かれた日程表に目をやった。

・・・へぇ・・・志摩子がねぇ・・・

セイは嬉しそうに微笑むと、言葉に詰まっているシマコの肩をポンポンと叩くとギュっと抱き寄せる。

「それで?どこに行くの?」

優しく優しく尋ねてくるセイ・・・。

怒られるとは思っていなかったけれど、きっとセイは妹の話など聞いてくれるとも思っていなかった・・・。

シマコにとってノリコは自慢の妹・・・でも、必ずしもセイも気に入るとは限らない訳で…。

何よりシマコに妹が出来たことを喜んでくれても、その妹にまで興味はないだろうなどと思っていた。

でも、シマコのそんな心配をよそにセイは幸せそうにシマコの頭をよしよしと撫でてくれる。

高校時代、よくセイがユミにしていたように・・・とても優しく・・・。

シマコはそっと瞳を閉じると、小さく息を吸い込みマリ仏ツアーの全貌を姉であるセイに全て話した。

すると、セイは・・・。

「あはは!!何それ?マ、マリア様と仏像を順番に巡るのっ!?2人で!!??あはははは」

「お、お姉さま・・・?」

お腹を抱えて前のめりになって笑うセイとは裏腹に、シマコの胸中は複雑だった・・・。

そんなに笑う事だろうか・・・?

「いや、悪い悪い!だってさあまりにも・・・はぁ・・・。志摩子変わったね・・・もちろん、いい方に」

セイはそう言ってスーハースーハーと深呼吸をすると、シマコの頭をポンポンと叩く…まだ肩を震わせてながら。

「お姉さまも・・・お姉さまも変わりました・・・良い方に・・・」

以前のセイはシマコには絶対にこんな事しなかった…十分に距離をとって、離れて…。

ユミやヨシノ達にはよく変わった姉妹だと何度言われた事だろう・・・。

でもその距離感がシマコには心地よかったし、セイにとってもそうだったのだろうと思う・・・。

しかし今はどうだ。まるで普通の姉妹のように…ユミやヨシノ達みたいな姉妹のようではないか。

そして、この距離をとても嬉しく感じるシマコ自身…やはりセイの言うとおり何かが変わったのだろう・・・。

「私は・・・多分今まで見えてなかったものが多すぎたんだよ。最近になってようやくそれが見えてきたんだと思う」

「見えてなかったモノ・・・ですか?」

「そう。型にはめて考えてしまっていたの。こうでなくちゃならない、って。

でも、そうで無くてもいいんだって思わせてくれたから・・・私は変われたのかもしれない・・・」

・・・そう、私は変われた・・・生きやすい自分を見つけた・・・多分志摩子も・・・

セイはそう言ってシマコの頭をもう一度優しく撫でる。

シマコはセイに子供のように撫でられるのを、始めは恥ずかしそうにしていたが、やがて嬉しそうに微笑んだ・・・。

「祐巳さんにお礼を言わなければなりませんね・・・私からも・・・」

「・・・どうして・・・」

一言もユミの話など出していない…それなのにシマコには全て解ってしまう…いつでも…。

血の繋がった身内よりもセイの事をよく理解するシマコ…そして、セイもまたシマコの事ならすぐに解る・・・。

その絆はきっとどんな姉妹よりも強く、ホンモノの血すら越えてしまえそうな程・・・深い・・・。

「お姉さまの事ですから・・・お姉さま、祐巳さんの事が・・・」

シマコはそこで言葉を切るとそっとセイの手に自分の手を重ねる。

こうしていれば、セイはどこにも飛んでいかないから・・・。

「うん。好きだよ・・・友情じゃなくて・・・恋愛感情での・・・好き・・・」

照れたように、困ったように笑うセイ・・・初めてセイの本心をセイの口から直接聞いた気がする・・・。

シマコの胸にジワリジワリと水が染み出てくる…幸福の水が…。

「・・・お姉さま・・・」

「直接誰かに言ったのはこれが初めて。聞いてくれてありがとう。少しスッキリした」

どこか清清しいセイの笑顔・・・何かが吹っ切れたようなそんな笑顔だった。

シマコも、そんなセイの笑顔が嬉しくてつい微笑んでしまう・・・言葉もいらないというのはこういう事なのかもしれない。

「お姉さま、おかわり淹れましょうか?」

「うん。ありがとう。志摩子の淹れてくれるコーヒーがちょうど恋しかったんだ」



シマコの淹れたコーヒーを一口すすると、ほろ苦くてとても香ばしい。

・・・セイはシマコのコーヒーを半分ぐらい飲んだところで、ミルクと砂糖をドボドボ淹れてユミ仕様のコーヒーを作った。

「・・・あっまい・・・」

「お姉さまったら」

さっき飲んだ時より随分甘い…間違えたのか?いや、そんな事は無い…ただ…気持ちが違うのだ…。

隣でシマコが口に手を当て笑っていてくれる…ユミの事を言っても微笑んでいてくれた…。

ああそうだ・・・味覚なんて、あてにはならないのだ・・・気持ち一つで苦くなったり甘くなったり・・・。

「・・・でも・・・それほどこれも悪くないかもね・・・」




ほら。今はこのコーヒーもこんなにおいしく感じられる・・・。







沢山の言葉が繰り返し繰り返し。


降り積もった言葉達は私を動けなくして…また立ち止まる。


先に進みたいけど、全てが邪魔をする。


私の全てが邪魔をする・・・。


一番の敵は自分自身…。


こいつを倒さなきゃ…きっと先へは進めない…。


沢山の言葉が・・・繰り返し繰り返し・・・。





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