勘違い…すれ違い…。
そうであって欲しいといくら願っても、
返ってくる答えはNO。
それが現実で、それが真実。
それを知るのはいつも最後で、
当事者なのに取り残される・・・置いてかれる・・・。
悪い芽は、早目に摘み取った方がいいなんて。
ここまで育ってしまったら・・・後はもう、枯れるのを待つしか無いのに…。
「聖?どうかしたの?あなたさっきから何か変よ?」
ヨウコは、俯いたままじっとカップの中を見つめているセイに声をかけた。
しかし、いくら待ってもセイからの返事は返ってこない。
「ちょっと、聖!聞いてるの!?」
ヨウコが少しだけ声を荒げる事で、ようやくセイの肩がピクリと動いた。
そしてゆっくりと顔を上げ、口の端を上げて笑う。
「ごめんごめん。コーヒーの中にゴミがさ。淹れなおしてくるよ」
セイはそう言ってカップの中をヨウコに見せると、ほらここ!と指差す。
しかし、ゴミなどどこにも見えない…。
ヨウコはセイの顔をチラリと見たが、セイは無言でヨウコの瞳を真っ直ぐ見つめるだけで何も言わなかった…。
「祥子ね、今祐巳ちゃんを連れて避暑地の別荘へ一緒に行ってるのよ」
ガチャン・・・。
カップの割れる音…床に散らばった漆黒の闇…凍りつくセイ…。
「せ、聖!?あなた何してるのよ!?」
明らかに動揺しているセイに、ヨウコの心の奥の硬いしこりが疼く・・・。
セイがどちらに反応したのか解らない。ユミか、サチコか…。
高校時代、セイがユミの事を相当に気に入っていたのはよく覚えている。
でもそれは、ユミがからかいがいがあるからで、他意は無いと思う…いや、思いたい。
しかも、わざとサチコの前で抱きついたりして、よくサチコを怒らせて遊んでいたっけ。
ここだけ見れば、どちらとも言い切れないし・・・こうなったらもう、本人に直接聞くしかなさそうだった。
ヨウコは流しにかけてあった雑巾を手に取り、床に染み込んだコーヒーを丁寧に叩いて拭いてゆく。
一方セイは、散らばったコーヒーカップを一つ一つ拾い上げ、ゴミ袋の中へと投げ入れている。
ありがとう、と隣から聞こえる声は、とてもか弱く、儚い・・・。
「ねえ、聖・・・あなたもしかして・・・」
「うん?」
「・・・好きなの?」
「・・・・・・」
ヨウコは、誰がとは聞いてこなかった。誰がの部分をあえてふせたのは、
答えが解っているからなのか、それとも解らないからなのか…。
・・・これは・・・かけ引き・・・
ヨウコはきっと、セイが誰を好きなのかまで解っていない。
セイの顔にうっすらと笑みがこぼれる・・・とても意地悪な笑顔が・・・。
「好きだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・誰が・・・?ねえ・・・誰なの・・・?
これぐらいのかけ引きに、セイが乗るわけが無い。そんな事解っていたはずなのに・・・どうして・・・。
どうせなら、いっその事胸ぐらに掴みかかって想いを寄せる相手が誰なのかを聞きだしてやりたい所だけれど・・・。
それはヨウコには出来なかった・・・。
セイも、きっとそれを知っている・・・だからあんな風に答えたのだ・・・。
ヨウコが無言で床を拭いていると、突然セイが口を開く。
「蓉子にはもう気付かれてるかもしれない・・・って思ってたけど・・・やっぱりバレてたんだ」
「え、ええ。あなたの態度を見ればね・・・丸分かりよ」
「そうだね。今回は気をつけたつもりだったんだけどな」
セイは飄々とした顔でそんな事を言うと割れたカップの入った袋の口をギュっと縛る。
ヨウコはそんなセイの仕草をヤキモキしながら見ていた。胸がザワつく。肝心な所を言おうとしないセイに・・・。
このままでは埒があかない・・・本当は自分から聞くのはイヤだった…気持ちを悟られるのが怖かった…。
でも・・・これ以上は我慢できそうにない・・・なけなしのプライドなんて、こんな時には何の役にもたたないのだから。
ヨウコは意を決して出来るだけ平静を装いセイに尋ねる。
「で、相手は・・・」
そこまでヨウコが言った時、セイがそれにかぶせる様に話しかけてきた・・・。
「蓉子はもう気付いてるだろうから今更誰を好き、とかは言わないけど、私今回は絶対にあきらめないつもりでいるから。
だから、蓉子も今回は黙って見ていてね?この恋の決着は自分で決めたいから…だから…お願いよ、蓉子」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
釘を刺された…邪魔をするな、と。シオリの時の事を今でも後悔しているヨウコにとっては、この言葉はかなり痛い。
おまけに、結局セイが誰を好きなのかも解らないまま…。
ここはもう、引き下がるしかないのだろう…これ以上踏み込めば、この関係も壊れてしまいそうだから・・・。
こちらを伺うように覗き込むセイの頬をギュっと摘み上げると、セイが変な声をだした。
「…バカね。今回はあなたも大分周りが見えてるみたいだから放っておくわよ。
でも…でももし、あなたがまた同じ道を辿ろうとするのなら…私はまた止めるからね。いい?」
「ふぁい」
「それと・・・気の済むまで頑張んなさい」
ヨウコはそれだけ言うとセイの頬を勢いよく離した。ギャっと短い叫び声が薔薇の館の中にこだまする。
「・・・ありがと、蓉子・・・ところで相談って・・・」
セイは今更思いだしたかのようにポンと手のひらを打つ。
「もういいの。あなたは今自分の事で手一杯って感じだし…それに…」
ヨウコはそこで言葉を区切ると苦く笑う。
「それに?」
「ううん、なんでもない。それじゃあ私はそろそろ帰るわ。あなたどうするの?これから」
「んー・・・もうちょっとここに居る。コーヒー飲み損ねたし」
「そう、じゃあまたね、聖。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
笑顔で片手を上げるセイ・・・窓から差し込む光・・・柔らかい空気・・・あの頃と何も変わらない。
薔薇の館も、自分も、セイも…でも、変わらないのは表面だけ…蓋を開ければセイは変わってしまっていた…。
しっかりと前を見据え、地に足をつけて…自分の道を進んでいた…。
ヨウコはギシギシと鳴る、懐かしい音を踏みしめながらさっきの言葉の続きを思い返す。
『もういいの。あなたは今自分の事で手一杯って感じだし…それに…』
…それに…私も自分の事で手一杯だもの…
セイが誰を好きであろうと自分には関係ない。ヨウコはセイが好きなのだから。
セイがどこを見ているか気にならない訳ではないけれど、セイはセイで自分の恋愛を頑張っているのだ。
それをヨウコが止めるわけにはいかないし、邪魔をするなんて許されない。
「何故私はこんな事も忘れてたのかしら・・・?」
ふふふ、とヨウコの中に笑いが込み上げてくる。悲しい笑いではなく幸せな笑い…。
誰かを想う心地よさ…恋愛の中で生まれる苦痛も痛みも…とても幸せな事だということを…。
「ねえ聖?私はあなたが好き…この気持ちに誇りを持っているわ・・・。
・・・あなたは?あなたも誰かを想うその気持ちに誇りを持ってる?」
一点の曇りもない空を見上げながらヨウコは目を細める。
薔薇の館を見上げると2階の窓からセイがこちらに向かって笑顔で手を振っていた・・・。
恋愛における痛みと苦痛。
それすら愛しいと思える程、
私はあなたを想っていたのね。
恋愛は・・・こうして楽しむものだったなんて、
どうして今まで気づかなかったのかしら・・・。