旅立つならここからがいい。


生まれた故郷とも言えるこの場所から、


キミの所まで飛び立とう。


そこから先へは2人一緒に。


長い道を共に歩もう・・・。





「ところで祐巳ちゃん」

セイは指についたカラシを舐めとると、笑顔で言った。

「なんです?あっ、やっぱり卵の方が良かったかも…ねえ聖さま、大根と交換しません?」

ユミは自分のお皿に入ったおでんとセイのおでんを見比べて、甘えるようにねだった。

ユミのチョコンと首をかしげる仕草に、

セイは軽い眩暈すら覚えつつ改めてユミには逆らえない事を認識してしまう。

「・・・いいけど・・・最後に置いといたのに・・・」

・・・初めから卵にすりゃいいのに・・・

セイは唇を尖らせながらボソっと呟くとユミの皿から大根を取り、代わりに卵をユミに渡した。

「やった!ありがとうございます!!聖さま大好きっ!」

「…随分と簡単な大好きだこと…」

セイは卵を嬉しそうに頬張るユミをチラリと横目で見ると、言った。

「はひいっへんへふは」

「あー…何言ってるのかわかんないから、そんなハムスターみたいなほっぺたされて言われても」

セイは苦笑いしながら、ユミにお茶を手渡し言葉を遮る。ユミはお茶で卵を流し込むと、セイの方に向き直って笑った。

「何言ってるんですか。好きなんて案外簡単なモノだと思いますよ?それに思った時に言わないと。

これは聖さまが言いましたよね?違うんですか?」

・・・よく覚えていらっしゃる・・・

確かに言った。それは覚えてるけど…今のは嫌味だったんだけどな…セイはそう思いながらポリポリと頭をかいた。

「まあね。・・・それより、話戻るんだけどさ。今晩この浜辺で花火大会があるんだってさ。

どうする?観に来るでしょ?」

「・・・観に来るでしょ?・・・って・・・もう決定なんじゃないですか・・・って、あぁぁぁ!!!!」

セイは嫌味の通じないユミに、仕方がないから作戦変更をする。

ユミのお皿に残っている卵の半分を、指でつまむとそのまま口の中へと放り込んだのだ。

そして、何事も無かったかの様に話を続けた。

「だって、じゃあ観に来ないの?あぁ〜やっぱりおでんは卵と大根だよね」

「来ますけど・・・卵・・・」

ユミはうらめしそうに、セイの顔を見るとセイのお皿に目をやった。

大根はもうない…と言うよりすでに空っぽ…。

「もう、卵ぐらいでそんな泣きそうな顔しない!ていうか、元々私の卵でしょ!?」

「・・・そうですけど・・・聖さま私の大根も全部食べた・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

・・・・うっ・・・そ、それは・・・・ダメだ…流されなくなってる・・・

セイは観念したようにガックリと頭を垂れ、しぶしぶ財布の中から小銭を取り出した。

「・・・解りました・・・大根と卵ね・・・買ってきます・・・他には欲しいモノない?」

セイは立ち上がると、砂を払う。

細かい砂が風に乗ってサラサラと飛んでゆくのを眺めながらユミに目をやると、ユミは可愛らしく首だけ振って返事をした。

「じゃ、行ってくる」

「はい、ありがとうございます。いってらっしゃい」

笑顔で手を振るユミ…セイは、何度も何度も振り返ってそれを確認する。

・・・単純だなあ・・・私・・・

ユミの姿が見えなくなるまで何度も振り返ってみたけれど、

ユミは見えなくなるまでセイに向かって手を振ってくれていた・・・。

ほんの些細な事。とても小さな事。でも、とても大切な事・・・。

セイはニヤける顔を押さえつつ、海の家へと急いだ・・・大事なお姫様への貢物を手に入れる為に・・・。



海の家はすでに昼時もあって満員だった。

セイがおでんの前で並んで待っていると、あっという間に後ろに列が出来てしまった。

「なぁなぁ、あの子一人かなぁ?」

「いや、違うだろ、男居るって絶対」

セイの後ろで、二人連れの若い男の子達がそんな会話をしていた。

一瞬あどけない笑顔を浮かべたユミの顔が頭を過る・・・。

・・・まさか・・・ね

そう思いつつ心配になるのが恋愛というものだろうか。

だから、セイはその2人の会話に耳を傾けた。

「でもさー、思いっきり寝てたじゃん」

「あーうん。無防備だったよなあ」

「つうか、子供みたいな寝顔でさあ!!すっげー可愛くなかった?」

「おっまえ・・・もしかしてロリコン?」

「なんだよっ、可愛かっただろ!?」

「可愛かったけど・・・俺は手出せねえな・・・あれは」

「あー・・・うん。なんか飾っときたい感じだよな」

「ん。なんか・・・罪悪感って言うかさ・・・なんか・・・な?」

「・・・うん」

そこで彼らの会話は途切れた。何故なら自分達の順番が回ってきたから。

「絶対、祐巳ちゃんだ・・・あんのバカっ」

セイはおでんも買わず、気付いた時には走り出していた・・・。

ユミのいる所まで後わずか・・・。

ようやく自分達の居た場所までたどり着いた時・・・聖の全身から力が抜けた・・・。

「・・・やっぱり・・・」

セイは大股でユミのそばまで歩み寄ると、その場にしゃがみこみ気持ち良さそうに眠っているユミの頬をつねり上げた。

「んひゃいっ!!」

ユミが痛さと驚きで目を覚ますと、目の前には明らかに怒っているセイの顔があった・・・。

「このバカっ!!どうして祐巳ちゃんはそう無防備なのっ!?さっきも言ったでしょ?気をつけろって!!」

ユミは、セイが何に対して怒っているのか解らずに、目を白黒させている。

そんなユミにセイは溜息を一つ落とすと、静かに…でもハッキリと言った。

「あのね、祐巳ちゃん。よく聞いて。

もしね、もしこんな所で寝こけて何かあったって、誰も助けてくれないんだよ?

私が居る時はいいよ、私が守る。でもさ、私が居ない時に何かあったら…私はどうすればいい?

キミはいつも無防備で、知らない間に人を惑わせる。

本人に自覚は無いのかもしれないけれど、それならなおさら自分で気をつけなきゃならないんだよ。解るよね?」

静かなセイの怒り。それはさっき男に向けた冷たい怒りでは無くて、心配だからこその怒りだった。

ユミの目に、みるみる涙が溜まってくるのが解る。

いつもなら…いつもならここでセイはきっと許していた・・・でも、今日は・・・。

「さっき祐巳ちゃんが言った祐巳ちゃんの幻影は、少なくとも、もう少し気をつけていたと思う。

本当の祐巳ちゃんは…少し自覚が足りないよ…」

セイはそう言ってユミの隣に腰を下ろすと、またポツリポツリと話し出した。

「こんな事言うのは変だな、ってのは解ってる。でも、聞いて。

祐巳ちゃんはいつも自分の為に何かをする事がないよね。

その上にあぐらをかくつもりはないけどさ…次からは…もう少し私を想ってよ…。

何をしたっていいよ。祐巳ちゃんを縛るつもりもない。

だけどね、心配だけは…お願いだからさせないで…せめて、私の居ない間だけでもいいからさ…」

セイは真っ直ぐにユミの目を見つめ、そう言った。

自分でもこれが、単なるわがままだって事は解ってた。でも、そう言わずにはいられなかった…。

でないと、きっとこの子は自分を守る事はしないだろうから…。

誰かの為にばかり生きてきた様な優しい子だから・・・。でも、セイは知っている・・・。

本当のユミの熱を…それが怖くて今まで入りこめなかったのだから…。

ユミ自身も、きっとそれを知っているだろう。

でも、それを出すとセイに嫌われてしまうかもしれない、などと考えているのかもしれない…。

しかしそれも、もうさっきまでの話。セイの中には一つの覚悟が出来ていた。

素のユミを愛する覚悟が…全てを受け入れるのは難しいのかもしれない…。

でも、それを解ろうと努力する事は必ず出来るはずだから。

…そこを乗り越えなければ、きっとこの関係もいつか壊れてしまうから・・・。

少しづつ、ユミを理解しようと思った。ユミが、セイの事をそうしようとしてくれている様に・・・。

セイが言い終わると、ユミは涙の溜まった目をゴシゴシと擦ると、セイの肩に頭を乗せた。

「聖さま・・・ごめんなさい・・・それと・・・ありがとうございます・・・」

「何がありがとうなの?」

セイは肩に感じる熱を、愛しく思う・・・離れたくない・・・ずっと傍にいたい。

「・・・なんとなく・・・です・・・」

「・・・ふ〜ん・・・」

小さく笑うユミの表情は、いつもの元気さは無くて、とても儚げだった。

セイはユミの言った、ありがとう、の意味を心の奥に深く刻み付けると、ユミの頭を軽く撫でる。

「まだ眠い?」

セイが聞くと、ユミは少し戸惑いながら小さく頷く。

「…もう・・・寝てもいいよ」

穏やかなセイの笑顔…さっきの表情とは全く違う、幸せそうな笑顔・・・。

「・・・うん」

はい、ではなく、うん、と答えたユミの中でも何かが変わり始めるような気がした・・・。



セイは海を眺めながら口笛を吹く。

ユミは砂浜に投げ出されたセイの足を枕にして、セイの奏でる口笛を聞きながら…。








どうして自分はこんなにも解らないのだろう。


自分が見えた時、私はどうするのだろう。


周りはどんな反応をするのだろう。


どうして自分はこんなにも見えないのだろう。


結局の所、自分が一番他人だからだろう・・・。





海へ・・・  第九話