繋いだ手から伝わる体温。
脈打つ鼓動。
それらの全てが愛しくて、
それらの全てが憎らしい。
存在全てが羨ましくて、
存在全てで私を惑わす。
でも。
それがキミで、良かった・・・。
どうして浴衣ってヤツはこうも前がはだけるのか・・・。
「…いい眺め…」
まだぼんやりとした頭で、セイは自分の浴衣の前を直しつつ隣で眠るユミに目をやる。
ユミは微かな寝息をたててまだ眠っている。
暑かったのか、それともユウキが言ってたようにただ寝相が悪いのか、布団から上半身がはみ出していた。
はだけた浴衣の隙間から、ほんの少しだけ小さな白い胸が顔を覗かせる。
見えそうで見えない…これぐらいの刺激が余計に堪らない。
しばらくその眺めを堪能していたものの、やがて頭がハッキリ覚醒すると、ようやく事の重大さに気がついた。
「・・・これは・・・ダメだ!」
セイは顔を真っ赤にしてユミに布団をかぶせるが、ユミはすぐに布団をはねのけてしまう。
「祐巳ちゃんっ!お願いだから隠してよっ!!」
もう、こうなったら隠すのに必死だった…セイの我慢にも限界がある。
「んっ・・・う・・・」
セイがユミの浴衣の前を閉めようと胸元に手をかけた途端に零れた甘い声・・・。
頭の芯が疼くような感覚がセイを襲う。もう、無理・・・理性の限界かもしれない・・・。
「・・・祐巳ちゃん・・・っ!!」
セイは一度離した手を、もう一度ユミの胸元へと伸ばしかけた・・・その時。
「ん〜・・・あさぁ〜?」
ユミの甘えたような声がセイを現実へと引き戻す。
「・・・お、起きちゃった・・・?」
ユミはゆっくりと上半身だけを起こして眠い目を軽くこすった。
「ああ・・・せいしゃまら〜・・・」
「お、おはよう・・・祐巳ちゃん」
「せいしゃま・・・せい・・・さ・・ま?せっ!!」
ユミはそれまでトロトロとしていた目を、勢い良くパっと開くとセイに向かって深々と頭を下げる。
「おっ、おはようございます!!」
「う、うん。あ、あのさ…挨拶よりも先にしてほしい事があるんだけど…」
セイは行き場のなくなった手を、ようやくここで引っ込めると恥ずかしさのあまりユミに背を向けた。
「?なんです?」
「・・・胸・・・しまってくれない?」
セイのポツリと言った言葉に、ユミは恐る恐る自分の胸に目をやった。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
2人のこの沈黙が、セイの気恥ずかしさと後ろめたさを増幅させる。
しばらく固まっていたユミも、ようやく事態が飲み込めたのか慌てて浴衣の前を閉めると、帯を締めなおす。
衣擦れの音が妙に耳について、セイは余計に振り返りづらくなってしまう・・・。
「み・・・見ました・・・よね?」
「・・・あー・・・うん・・・ごめん」
「・・・いえ・・・私が悪いんですし・・・その・・・」
別にどちらが悪いわけでも無い事は2人とも解っていた…でも、お互い謝らずにはいられなかった・・・。
初めて一緒に迎えた朝は…期待していた程甘いものでは全然なくて、バツの悪さと、気恥ずかしさに満ち溢れていた…。
決まりの悪い気分のまま朝食を食べに行き、帰ってくる頃には2人の距離はすっかり元通りになっていた。
「聖さまは、朝はやっぱりコーヒーなんですね」
「うん。でないと眠くなるんだよね。祐巳ちゃんは・・・牛乳とかにした方がいいんじゃない?」
セイはそう言ってチラリとユミの胸元に目をやる。
「・・・どういう意味です・・・?」
口調は怒ってはいるけれど、ユミの表情は笑っている。多分、セイが冗談で言った事が解っていたからだろう…。
「そのまんまの意味。もう少しおっきくても・・・ねえ?」
セイは朝見た光景を思い出しながらニヤリと笑った。ユミはそんなセイを軽く睨む。
「…いいんですよ、大事なのは量より質ですから!」
ユミはそう言ってフイとそっぽを向き、スタスタと先に歩いて行ってしまう。
・・・量より・・・質・・・自分で何言ったかわかってるんだろうか・・・?
「何気にすごい事言うね、祐巳ちゃん。・・・ふ〜ん…量はないけど質はあるんだ」
セイの何かを含んだような物言いに、ユミの耳は真っ赤だった。
「いや・・・質もどうでしょう・・・?」
ユミは、照れたように笑いながら振り返ると小走りでこちらに戻ってくる。
どうやら自分でも物凄い発言だったと気付いたらしい・・・。
恥ずかしそうにユミはセイの浴衣の袖をキュっとつまみながら、忘れて下さい、とポツリと呟く。
セイは、しょうがない、と笑うとユミの頭を優しく撫でて言った。
「さて、部屋帰ったら海行く準備しよう!ほら、急いで」
セイはそう言ってブラブラと遊ばせていたユミの手を握ると、急ぎ足で部屋へ戻った・・・。
「・・・女の子はいろいろ大変だね・・・」
なんて、セイはまるで人事のように呟いた。
「何言ってんですか、聖さまだって女の子でしょう?」
・・・ホント、この人関心ないんだな・・・
ユミは日焼け止めや薬などをバッグに詰め込むと、呆れたように腕組してそれを眺めているセイを睨んだ。
「だって、祐巳ちゃんが持って行ってくれるんなら私別にいらないじゃない」
「まぁ、そうですけどね・・・さてと。はい、聖さま準備できましたよ」
「よ〜しっ!じゃあ出発進行〜!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
まるで子供みたいに片手を振り上げるセイ・・・。
「ほら、祐巳ちゃん、オーは?」
「・・・・・・・・・・・・・お、オー?」
・・・もう、恥ずかしくてついていけない・・・
ユミはガックリとうな垂れながら、部屋を後にした・・・。
海までは車で10分ぐらいですよ、と言うフロントのお姉さんの言うとおり5分程走った辺りから微かに潮の香りがした。
BGMは「ゆず」。夏にはピッタリの選曲。
土日ではない分きっと空いてるだろうと思っていたけれど、
意外にも駐車場は満車で、結局走っていた時間よりも並んでる時間の方が長かった・・・。
「混んでますね?」
「んー。でも、楽しいけどね」
セイは鼻歌を歌いながらトロトロと車を前進させる。
「・・・楽しい・・・ですか」
「うん。ほら、祐巳ちゃんが一緒だからね。何してても楽しいよ」
不意の言葉に、ユミは顔を赤くして俯く。
「・・・・・・・私も」
ユミの言葉に満足したのか、それともお気に入りの曲が始まったからなのかは解らないけれど、
セイはとても満足げに微笑んでいる…。
セイはいつもサラっとこんな事を言うから、時々すごく戸惑ってしまう。
なんて返せばいいのか・・・と。少しでも同じならいい。少しでも伝わればいいのに…。
ユミはそう考えながら結局、私も、としか答えられないでいた。
ようやく駐車場に車を止めて、荷物を持って海へと移動。
あっつい砂浜を横切って、出来るだけ人の少なそうな所に場所を取ると、頼んでいたパラソルがやってきた。
たとえどこにいても目を引くセイ…その日本人離れした容貌に、誰も声すらかけようとはしない。
ただ、遠くから眺めるだけ…そんな感じ。
「祐巳ちゃん、い〜い?一人でうろちょろ行っちゃダメだからね?」
突然セイは、ユミに向かってそんな事を言った。
セイの言葉が理解出来ずに、ユミが首を傾げているとセイはにっこり笑って続けた。
「祐巳ちゃんは自分で思ってるよりも可愛いんだから、気をつけろって言ってるの」
・・・それはナイと思う・・・
「はあ」
とりあえずそんな返事を返すと、セイは少し不機嫌そうな顔をしてユミのおでこを指ではじいた。
「まあ・・・その時は私が戦うけど・・・」
・・・誰にも渡さない・・・私の・・・宝物・・・
セイはボソリと呟くとフイとそっぽを向いてしまった。
そんな様子があまりにも可愛くて、思わずユミは目を細める。
「戦う?」
「うん。戦うの。お姫様を奪われないようにしないとね」
「・・・王子様自ら戦場に赴くんですか?」
「最近は王子様でも戦わないと大事なモノを護れないからね」
セイはそう言って、まるで本当に何かを護れなかったように空を見上げる。
なんとなく・・・なんとなくだけど、ピンときた。
きっとセイはシオリの事を言っているのではないか?と。
「・・・聖さま・・・」
その横顔は何かに想いを馳せるような、そんな顔に見えた・・・。
そしてこんな時はいつも思う。自分には敵わないのだ、と。
あの人にはきっとこの先も敵わないのかもしれない、などと。
「さて、祐巳ちゃん、お着替えしに行こう。早く見たいなぁ…祐巳ちゃんの水着!」
セイはそう言って空からユミに視線を移すと、手を引いて立ち上がった。
更衣室には荷物預かり所なるものがあって、そこに貴重品やらその他の荷物を預けられるようになっていた。
2人は水着と日焼け止めだけを出して、他の荷物を全て預けると更衣室に入ってゆく。
「祐巳ちゃんまだー?」
先に着替え終わったのはセイだった。
なんと言っても、部屋着だと言っていただけあってとても着やすい。
一方ユミの水着は、フリルやらリボンやらが沢山ついていて、着にくいったらなかった。
「もう少しです・・・あれ?・・・ここが・・・こう・・・で」
個室の中で水着と格闘しているであろうユミの姿が、目に浮かぶようでセイは声を殺して笑う。
「だ、大丈夫?ふふ…て、手伝おうか?」
「・・・大丈夫ですっ!もう、何笑ってるんです?」
「いや、大変そうだな、と思って」
・・・可愛いなあ・・・もう・・・
しばらくして、ユミは観念したようにカーテンを少しだけ開くと涙目でセイに言った。
「…後ろだけ結んでもらえますか?」
「喜んでっ!」
待ってました、と言わんばかりにセイは中に入るとシュルシュルと器用にリボンを結んでゆく…。
そして・・・。
「・・・可愛い・・・」
鏡に映ったユミを見て、セイはポツリとそれだけ呟くと慌てて更衣室を後にした。
「聖さま?」
ユミの声が後ろから聞こえたけれど、セイは振り向かなかった。
いや、振り向けなかった…と言うより真っ直ぐにユミを見る事が出来なかった・・・。
…試着した時とは比べ物にならない…どうしよう…
セイはそう思いながら更衣室の入り口でたたずんでいると、後ろから小走りでやってきたユミに腕を掴まれた。
「聖さまってば!・・・どうしたんです?気分でも悪い・・・とか?」
「いや、大丈夫・・・なんでもないよ・・・それより・・・胸・・・当たってる・・・」
腕に感じる柔らかな感触…そんな事を意識してしまうなんて、
まるでそれしか頭にナイみたいだ、なんて自己嫌悪に陥ってしまう。
ユミにはきっと解らない。こんな単純な事で簡単に心を奪われてしまう事を・・・。
簡単に気持ちをかき乱される事を・・・どうしていいか解らないほど、頭の中がユミで一杯になってしまうなんて…。
「ご、ごめんなさい!!」
ユミは耳まで赤くしてそっとセイから身体を離すと、今度はセイがユミの手をギュっと強く握る。
「ううん、私こそごめん…それじゃあ行こう」
・・・離れてほしいと思う反面、やっぱり離れたくなくて・・・。
単なるわがままだ、とセイは心の中で呟くと小さな溜息を落とした…。
「聖さま!ちゃんと塗らないと後が大変ですよ!?」
「んー・・・じゃあ祐巳ちゃんが塗って」
甘えたみたいに、スリ、と寄ってくるセイはまるで猫のようだった。
ユミは苦笑いしながらセイの白い腕に日焼け止めクリームをたっぷりと塗りこむ。
「それにしても・・・聖さまって本当に色素薄いですよね?」
「そーお?普通じゃない?」
・・・普通・・ね・・・
特に鼻にかける事もなくそう言われてしまうと、なんだか余計に憎らしい。
「白いですよ。だから焼いちゃうのはもったいないですよ」
ユミは少し力を込めてセイの腕にギュウギュウとクリームを塗りこんだ。
「いっ、痛いってば、祐巳ちゃん・・・じゃあ次は交代」
セイはそう言ってユミからクリームを奪い取ると今度はユミの背中を、仕返し、と言わんばかりにペチペチ叩く。
「ちょ、せ、聖さま!!私そこまでしてないですよっ!!」
「いいや、した。痛かった!」
ぷーっと膨れながらユミの背中にクリームを塗り終えたセイは、
意地悪く笑うとそのまま逃げるように海に向かって走って行ってしまった・・・。
「あん、待って!聖さま!!」
ユミは慌ててクリームの蓋を閉めると、セイの後を追いかけた・・・。
波うち際でユミを手招きするセイの姿は、太陽よりも眩しくて、輝いていた・・・。
こうでもしなきゃ我慢できない。
こうでもしないと抑えられない。
はぐらかして、ウソをついて・・・。
そうでもしないと、キミに触れられない・・・。