空よりも広いあなたの想い・・・海よりも深いあなたの心・・・。
その瞳には、世界はどう映ってるんだろう・・・。
海を越え市内地へ入ると、ノスタルジックな世界が目の前に広がった。
お祭りの時にしか見ないような赤い提灯も、「ようこそ」と描かれた古ぼけた看板も、どこか懐かしさを感じさせる…。
山と海に囲まれたどこか閉鎖的な世界…そんな雰囲気さえうかがえた。
古い町並みを横目に、セイはまるで誘われるように車を走らせる。
「もうすぐだからね、祐巳ちゃん」
セイは眩しそうに顔をしかめながら、車のハンドルを切る。
「はい!」
セイのハンドルさばきに少しヒヤヒヤしながらも、ユミはそのスラリと細い指先をジッと見つめた…。
・・・キレイな手・・・
白くてユミよりも少し大きなその手は、器用にハンドルを右へ左へと操っている。
もし、もしこの指先が触れてくれたなら…もしこの指先が肌をなぞったら…どうなるのだろう…。
ユミは不謹慎にもそんな事を考えている自分に気付き、鼓動が早くなるのを感じた…。
「・・・祐巳ちゃん、どうかした?顔・・・真っ赤だよ?」
「へあっ!?」
ユミのあまりにも間の抜けた声に、セイは思わずくっ、くっと笑いを噛み殺す。
一体何を考えていたのか…。
今回は全く検討もつかないけれど、それでも何か赤くなるような事を想像していたのだろう…。
案の定ユミは、いやー暑いですねー、などと笑いながらハンカチで額の汗を拭く振りをしてごまかしている…。
・・・そんなに変な事想像してたのか…。
そう考えると、またふつふつと笑いがこみ上げてくる・・・。
「・・・っく・・・ふふ・・・ふ・・・はは・・・あはははは!!!ごめん、もう無理!!」
セイはそう言いながらハンドルを右手でバシバシと叩くと、左手でお腹を押さえた。
「なっ、なんなんです!?急に!!」
「だって、絶対変な事考えてたでしょ!?祐巳ちゃんのえっち!!」
「えっ、えっちじゃないですもん!!えっちなのは聖さまでしょ!?」
ユミは真っ赤になって脇の辺りでグーを作って必死で抗議するが、セイはニヤニヤと笑ったままだ。
「私のどこらへんが?まだな〜んにもしてないじゃない。・・・っと・・・祐巳ちゃん、着いたよ」
セイの顔から笑顔が消え、急に真顔になる・・・。目の前にはそんなに大きくない古風な旅館・・・。
その前には車一台通れるか、通れないかぐらいの幅しかない細い道があった・・・。
ユミは窓を開け、顔をだして溝に落ちないよう指示を出す。
その度にセイから、オッケ、とか、はいよ、とか短い返事が返ってくる・・・。
こんな時何故か無性にセイの存在を近くに感じて、とても嬉しくなるのはユミだけだろうか・・・?
トロトロと、どうにか旅館の駐車場に車を入れたセイは車を降りて、う〜ん、と大きく伸びをした。
「疲れましたか?」
「んー・・・まあね。でも楽しかったよ、何よりずっと一緒だったし・・・」
たまに。すごくたまにだけど、心の声を素直に伝えたくなる・・・。
そんなに大した事じゃなくても、人ごみの中でも…時とか場所とか選ばずに、そういう時がある。
何故かはわからないけれど、そんな風に言った時、必ずユミは笑顔で、私も、と言ってくれる・・・。
そうすると不思議な事に心も身体も随分と楽になるのだ・・・。
「私もですよ、楽しかったです・・・とても・・・」
へへ、と笑うユミは最高に可愛い。思わずつられてこっちまで笑顔になってしまう・・・。
セイはフイとそっぽを向くと、無言でトランクを開け中の荷物を降ろし始めた。
・・・あ、照れてる・・・
最近気付いた。セイは照れると急に視線を外して無言になるのだ。
そうして、その後必ずユミをからかう…。
そんなセイをユミは、素直じゃないなぁ、などと思いながら見つめるのが好き。
ほんの少しだけセイの事を理解出来ているように思うから・・・。
セイは案の定ユミの荷物をフンフンと降ろしながら、何入ってんの〜?などと言って持ち上がらない振りをしている。
「そんなに重くないですよっ!」
ユミが困ったように笑うと・・・セイはユミが何を考えているのかが解ったのか苦笑いしながら呟いた。
「え〜?重いよー持ち上がらな〜い・・・なんちゃって・・・」
セイはそう言いながらバツの悪そうな顔をして、
ユミと自分の荷物をヒョイと持ち上げトランクを閉めるようユミに促した。
部屋の中は純和風・・・窓の外一面に海が見える・・・。
部屋に入るなり、ユミは窓に走りよって、わあ!と歓声を上げた。
セイも窓の外に目をやると、へえ、と思わず呟く。
「キレイでしょう?ここからの眺めは最高なんですよ」
仲居さんがお茶の準備をしながらお風呂や夕食の事を話してくれている間、セイはずっと窓の外を眺めていた。
ユミは仲居さんの話を、セイの代わりに真剣に聞きながら、ふんふんと頷いている。
「それでは・・・何かございましたら遠慮なくお申し付け下さい」
「あっ、はいっ!ありがとうございます!!」
ユミが立ち上がって頭を下げると、仲居さんも笑顔で軽く会釈をして部屋を後にした・・・。
「・・・それにしても・・・」
ユミはポツリと呟くと、まだ窓の外をぼんやりと眺めているセイにチラリと目をやった。
・・・外でもモテるんだ、この人は・・・
リリアンの中でセイが絶大な人気を誇っているのは知っている・・・でも・・・。
ユミは旅館に入ってきた時の事を思い返してみた。
旅館に一歩入るなり、そこに居た人たちの視線がセイに集まって、ヒソヒソと話し声が聞こえた。
大体の内容は聞こえなくても想像出来るんだけど…カウンターでチェックインする時もそう。
「お名前は・・・佐藤・・・しょう・・・さまですか?」
明らかに顔を赤らめた受付のお姉さんは、セイの顔も見ずそう言った。
「いや、セイです。サトウセイ」
「あっ・・・もっ、申し訳ありません!!」
若いキレイなお姉さんだったから、セイも悪い気はしなかったようだが…。
斜め後ろからユミがずっと睨みつけていた事をセイはきっと知らないんだろう…。
「…思い出しただけでも…」
腹が立つ反面、どうだ!って自慢したくなる、と言ったらセイは笑うだろうか…?
単なるわがままな焼きもちを、セイは笑って許してくれるだろうか・・・。
ユミは、椅子に座って頬杖をつきながら未だに窓の外を見つめているセイの太ももに顔を乗せると、ボソリと呟いた。
「・・・私のだもん・・・」
「えっ?何か言った?」
ようやく我に返ったセイは、太ももの上に置かれた頭を優しく撫でながら聞き返す。
「何にも」
「・・・そう?」
セイはそう呟くと、ユミに顔を上げさせそのままおでこに軽くキスすると突然立ち上がった。
「さて、祐巳ちゃん!!お風呂行こう、お風呂!!」
「っ!?」
あまりの脈略のなさに、ユミは思わずコケそうになる…。
「お・・・ふろ・・・?何です、突然!?」
「だって、せっかく来たんだし1回でも多く入らないと損じゃない?」
いや・・・それはどうだろう・・・てゆうか、まだお茶も飲んでないのに・・・?
・・・問題はそれだけじゃない・・・どうしよう!?お風呂!!??
「・・・えー・・・っと・・・一緒に・・・?」
「そりゃそうでしょ。他に誰と入るの?」
・・・ごもっとも・・・
ここにはユミしかいないわけだし、他に誘う人もいない・・・。
でも・・・お風呂なんて一緒に入るの・・・初めてだし・・・何よりまだ明るいっ!!
ユミが赤くなったり青くなったりしているのを、セイは怪訝そうな顔で見つめながらさっさとお風呂の準備をし始めた。
「あ・・・あのっ!!わっ、私はまだ・・・」
「・・・入らないの?じゃあ私も止めとこうかな」
「いえっ!!聖さまはどうぞ!!入ってきて下さって構いませんから」
ユミはしどろもどろになりながらも、セイの誘いを拒否した。
「どうした?気分でも悪いの?」
セイの心配そうな顔が、ユミを覗き込む。
「えっ、ええまあ・・・でも大丈夫ですから、聖さまは入ってきてください」
気分が悪いわけじゃない…でも、恥ずかしいから入りたくないと、どうしても言えなかった。
「・・・そんなのなおさら入れないよ・・・薬とか飲む?」
気分が悪い…という事は車にでも酔ったのだろうか…それとも疲れたとか?
セイは鞄の中から薬を探し出すと、水を汲んできてユミに手渡す。
「…お薬…飲むほどじゃないですから・・・」
ユミはそう言ってセイの出してくれた薬を断ると、俯いてしまう・・・。
一体どうしたと言うのか・・・さっぱりわからないセイに、ユミはポツリと呟いた。
「大丈夫…ですから…本当に…一人で…」
どうして恥ずかしいから、という一言が言えないんだろう・・・。
こんな言い方をしたら、セイが傷つくのは解っているのに・・・こんな言い方しか出来ない自分に腹が立つ。
「・・・そう、解った。じゃあ一人で入ってくる」
俯いているから表情は解らないけれど、声のトーンでセイの表情にも察しがついた。
きっと今、とても寂しそうな顔をしているに違いない・・・。
しばらく、セイは黙り込んだままその場を離れようとはしなかったけれど、
いつまで経っても顔を上げようとしないユミにセイは小さな溜息をつく・・・。
そして、カタンと立ち上がるとお風呂セットを持って、一人部屋を後にした・・・。
「…ちゃんと言ってくれなきゃ解らないよ・・・」
セイはポツリと部屋のドアに向かって話しかけると、悲しくなる気持ちを押し殺した・・・。
どうしてこんな事ですれ違わなきゃならないんだろう。
自分がもっとユミの気持ちを解ってやれればこんな事にはならないのだろうか・・・?
セイは今度は大きな溜息をつきながら大浴場の扉を開いた…。
服を脱いで浴室に入ると…すぐ脇に露天風呂への通路があった。外へ出て景色を見てみると・・・。
「…へえ…結構いいじゃない」
旅行パンフレットと同じという訳にはいかないけれど、露天風呂からは海が180度展望出来るようになっていた。
海に来ようと言ったのはセイだった。場所を決めたのもセイ。
この景色をユミに見せたかった…一緒に見たかった…。
夕日が海に沈む直前の、一番紅い時間を一緒に過ごしたかった…。
ただそれだけなのに…ユミは一緒には来てくれなかった…気分が悪いと言って。
本当に気分が悪いのならしょうがない。別に明日でも良かった。
それなのに、ユミはどうしてもセイ一人で行かせようとしていた…きっと他に何か理由があるんだろうけど…。
「私はそんなに信用がないのかな…」
セイはポツリと呟くと、目の前の紅く染まってゆく空と海を、一人見つめていた・・・。
『・・・そう、解った。じゃあ一人で入ってくる』
あんな顔をさせたかった訳じゃない…それなのに、私はどうしていつも…。
ユミは止まらない涙を拭いながら畳に突っ伏した。
「…聖さま…怒ってる…よね…きっと…」
ダメだ。泣いていたって始まらない。せっかくの初めての旅行なのに、こんな所でつまづいてはいられない。
ユミは真っ赤になった目をゴシゴシこすると、お風呂の準備をしてセイの後を追いかけようとした…のに。
「・・・ただいま、祐巳ちゃん。もう気分なおっ・・・た・・・・・・って、なんだ・・・そういう事だったんだ・・・」
セイは部屋に帰ってくるなりユミの持っている荷物を見て、表情を曇らせた。
「せ・・・さま・・・これはっ、そのっ」
ユミは持っていた荷物を後ろに隠すと、必死になって弁解しようとした。でも・・・。
「いいよ、別に。私と一緒に入るのが嫌だったんでしょ?」
「ちがっ!!」
「何が違うの?ハッキリ言ってくれないと解らないよ」
そう、ハッキリ言えばいい。わざわざ帰ってくるのを待つぐらいなら、イヤだ、とハッキリ言えば良かった。
そうしたら、変に勘ぐったり疑ったりしなくてすんだのに。
セイは手に持っていた2本のジュースをテーブルの上に置くと、一つを冷蔵庫にしまった。
どうやらセイは、ユミが本当に気分が悪いと思ったらしくわざわざジュースを買ってきてくれていたのだ。
ユミがその事に気付いた時には、セイはすでに部屋の奥へと消えてしまった後だった・・・。
・・・せっかく止まった涙がまた溢れ出す・・・
もう、言い訳のしようもない…いや、端から素直に言っていればこんな事にはならなかった・・・。
ユミはお風呂セットを強く握り締めると、そのまま部屋を後にした・・・。
どうしようもないほど脆い気持ち。
どうしようもないほど弱い心。
ウソをつくのと、真実を言うのはどちらも同じぐらい苦しい…。