長い休みの中で、一体どれぐらいの思い出をキミと作れるんだろう…。
「うん、それじゃあ今週の土曜日から泊りがけね」
セイは嬉しそうに受話器の向こうにいるユミに話しかけた。
この間水着も買った事だし、前々から約束していた海に今週末から行く事になっていたのだ。
それなのに・・・ユミときたら・・・。
「あの・・・どうしても泊まりなんですか・・・?」
この期に及んでまだこんな事を言っている・・・。
「だって・・・日帰りだと、疲れるじゃない」
そう、運転するのはセイなのだ。遊び疲れた体で運転して帰るのは、やっぱり避けたい・・・。
「うー…まぁ、そうですけど…」
いつまでも煮え切らないユミの態度に、セイは少しジリジリしながらそれでも優しく聞き帰した。
「なぁに?もしかして私と旅行するの嫌なの?」
「いえっ!そうではないんです…けど…」
「・・・じゃあ何?」
「…だって…部屋とか…一つでしょ?」
・・・・・・・。
もしかして、それで今までいやがってたの・・・?
セイは思わず苦笑いしながら言う。
「そりゃあねぇ。一緒に行って別々の部屋ってのも変でしょ」
「・・・そうですよね・・・」
ユミの不安そうな声。
…そんなに私は信頼がないのか…。
そう考えると少し切なくなる…。
「うん。だから、これで決まり!もう、文句言わない。解った?」
セイは、かなり一方的に話を終わらせた。
だって、前もって約束していたのに、ここまで来て今更やっぱり行かない、
と言われてしまったんじゃ悲しすぎるから…。
「・・・はい」
諦めたようなユミの声。こんな声が聞きたい訳じゃなかったのに…。
楽しい筈の旅行の話に、暗い影が一つ落ちる。
「・・・それじゃあ、ね。おやすみ」
「はい・・・おやすみなさい」
ユミは受話器を戻すと、一つ大きな溜息をついた。
別にセイと旅行するのが嫌だった訳ではない。むしろ、とても楽しみなぐらいなのだ。
ただ…何と言えばいいのかわからないが、不安だった。
初めての旅行…初めてのお泊り…今まではキスまでしかした事なかったけれど、
泊まりになればそうはいかないかもしれない、という不安。
『これ以上の事を、私はいつか望むかもしれない』
そう言われたのは、つい最近の事。そのセリフを思い出すだけで顔から火が出そうだった。
セイはいつも、ユミの事をとても大事に扱ってくれる。壊さないように、傷つけないように…。
それでも最近は、優しいキスから回数を増す事に激しくなる口付けが、ユミの何かを壊してゆく…。
その先が怖い…これ以上を求められた時、自分がどうなるのかを知るのが怖かったのだ。
「祐巳ちゃん?電話だぁれ?」
「聖さま。週末の旅行の件で…って」
ユミは階段を下りながら、下でニコニコしながら手招きしているお母さんに言った。
「まぁ。白薔薇様とのやつねっ!?いいわねぇ…若いって…」
うっとり。まさにそんな感じ。頬に手を当てて宙を仰ぐお母さんの横顔は、まるで少女のようだった…。
数日前、セイが直々に電話してきてくれて2人で旅行に行く事を母に伝え説得してくれたのだ。
その時の母の喜びようと言ったら…まるでアイドルかなんかから電話をもらったみたいにはしゃいでいた。
ユミは、そんな母に呆れつつ間違い点を正す。
「お母さん、元だよ。今は乃梨子ちゃんが白薔薇様なんだからね!」
「そうでした、そうでした。でも格好いいじゃない…元・白薔薇様」
格好良い・・・って・・・そりゃ格好良いですよ、聖さまは…でも…。
「・・・会った事もないのに、よく言うよ・・・」
「あら、会ってなくても解るわよ、まず声が素敵!!それに遠目でチラっと見た事もあるし!」
ぽ〜。・・・駄目だこりゃ…。これじゃあ週末聖さまが向かえに来てくれた時の反応が怖い…。
ユミはそう思いながら、さっさとお風呂に入り早々に布団の中へともぐりこんだ・・・。
夢の中で、真っ青な海で遊ぶセイとユミ。
でも、どこからともなく知らない人がセイに声を掛けてきた…。
すると、そのままその人にセイはついてどこかへ行ってしまう…。。
どうする事も出来ずに泣きじゃくるユミ・・・どんなに呼んでも叫んでも、セイは帰ってこない…そんな夢を見た。
ユミとの電話を切った後、セイはそのままベッドへと倒れこんだ。
あんな事言わなきゃ良かった…。
そんな考えが頭の中をループする。
『これ以上の事を、私はいつか望むかもしれない』
あの言葉を言った時から、ユミの様子は少しおかしい…。
妙に身構えてると言うか、よそよそしいと言うか…どうにかしてセイと距離を置こうとしているのだ…。
でも、セイはユミの気持ちが解らないでもなかった。
そりゃ、突然あんな事言われたら誰だって不安にもなるし怖くなるのが当たり前。
それは解っている。解っているけれど…どうしても言わずにはいられなかった…。
声を聞きたい…見つめていたい…身体に触れたい…。
中から溢れるような衝動は、止める術もなく零れ出して、そのうち自分自身がその想いに溺れてしまいそうだったのだ。
ユミの事はとても大切。絶対に壊したくないし、他の誰にも触れさせたくなかった・・・。
でも…自分の気持ちを止める事も、それと同じぐらい難しかった・・・。
と、その時。
「聖ちゃん、お風呂入っちゃいなさい」
ドアの外から母親の声。セイは、返事もせずに着替えの準備をすると部屋を出た。
すると、部屋の前では訝しげにセイの顔をじっと見上げる母親の姿がある・・・。
「・・・何?」
胡散臭そうな母親の顔に、セイは思わず眉をひそめ聞き返した。
「聖ちゃん、誰かと電話してたの?」
「別に…関係ないでしょ?」
セイは冷たくそう言い放つと、母親の脇を通り抜け階段を下りようとしたのだが…。
「待ちなさい!関係ない事ないでしょ!?」
母親は突然そう叫ぶと、セイの腕をガッチリと掴んだ。
「…うるさいな。私が誰と電話しようが、何処へ出かけようが関係ないでしょう?」
「せっ、聖ちゃん!?何なの、その口の利き方はっ!!まさか…またっ!?」
「ああ、そうやってまた私を縛るんだ。余計な所まで詮索して、自分の気に入らないモノは全て排除して。
ねえ、一体いくつまで私は監視し続けられなきゃならないの」
妙に冷めた感情…行き場のない怒り…栞との事を反対された時は、ただ泣く事しか出来なかった。
でも…今は違う。あの頃よりも、ずっと冷静にこの人の対処が出来る。
セイは、母親を見下ろすとそう言って腕を振り払い階段をおりてゆく…。
背中では、母親の金切り声が聞こえる・・・。
こんな時は無性に泣きたくなる…その時は冷静に対処出来るようになったけど、
心の中になにかポッカリと大きな穴が開いたような気がして・・・。
「祐巳ちゃん・・・会いたいよ・・・」
お風呂の中でポツリと漏らした言葉は、思ったよりも大きく反響した・・・。
会えない夜の辛さ。
別れる時の辛さ。
どちらも次に会うときの為の下準備。
次会った時、今よりももっと幸福を感じる為の・・・。