ちっとも素敵じゃない。
ちっとも輝かない。
・・・輝けない・・・。
『あなたはのめり込みやすいタイプだから、大切なものができたら自分から一歩引きなさい』
「うっ…うわぁぁぁぁ・・・っぁ・・・ぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・っく・・・ゆ・・・め・・・?」
こんなにも自分が大きな声が出せるなんて知らなかった。
しかも、夢を見て叫んで起きる・・・なんて、まるでアニメみたいでちょっと恥ずかしい・・・。
私はベッドの上で上半身だけ起こすと、枕元に置いてあった時計を見て呟いた。
「・・・遅刻だ・・・」
今更大学に向かった所で、到底間に合いそうにない…すでにそんな時間。
まぁ、でも、ちょうどいいかもしれない。今日はもう休んでしまおう。
どうせ、こんな気持ちで大学に行っても、授業なんて頭にも入りそうにないし・・・。
「・・・それにしても・・・」
とても・・・嫌な夢だった・・・。
最初は昼下がりの午後、と言った感じで祐巳ちゃんと川原を歩いていた。
それなのに、気付いたら隣には祐巳ちゃんはいなくて・・・代わりにお姉さまが立っていて…。
ただ、何も言わずこっちをじっと見つめていた。
私もお姉さまの顔をじっと見つめていたけれど、いつの間にか私の髪は伸びていて、まるであの頃のよう…。
ただ違ったのは、お姉さまの表情…。
まるで能面みたいに貼り付いた笑顔…私はその顔がイヤで顔を背けようとしたけれど・・・出来なかった・・・。
目を・・・逸らせなかった・・・そして・・・お姉さまは貼り付いた笑顔で言うのだ・・・。
『あなたはのめり込みやすいタイプだから、大切なものができたら自分から一歩引きなさい』
・・・と。
気がついたら隣にはまた祐巳ちゃんが居て、お姉さまと同じように貼り付いた笑顔でこちらを見上げている。
そして、私が笑いかけると、今度は祐巳ちゃんが言うのだ。とても・・・とてもハッキリとした口調で。
『あなたはのめり込みやすいタイプだから、大切なものができたら自分から一歩引きなさい』
・・・どうして・・・キミが・・・?私が聞くと、祐巳ちゃんは言う。
「だって、今、私達近づきすぎてるでしょう?」
「・・・え?」
「・・・いいえ、違うわ・・・あなたが私に近づきすぎてるのよ・・・」
祐巳ちゃんは口の端だけで不敵な笑みを浮かべながら・・・そう呟いた・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・と、ここでようやく目が覚めた・・・。
どうして良い夢の時にはすぐに目覚めるのに、悪い夢はこんなにも長く続くんだろう・・・。
まぁ、良い夢も悪い夢も、キリの悪い所で目が覚めるのは共通しているけれど。
私は、その夢を早く忘れてしまいたかった・・・出来るなら、一分でも…一秒でも早く・・・。
K駅。別に何の用事があったわけでもない。
ただ、どこかに出かけたかった・・・あてもなく、意味もなく・・・ただフラフラと・・・。
私とゆう人間は、こうゆう所はあの頃から何も変わってはいない・・・。
自分の為には、何をすればいいのか解らない・・・一人になると、途端に脆くなる・・・。
いくら平静を装ってみせても、軽くかわしてごまかしても、結局自分の首をしめるんだ。いつも・・・。
・・・結局、人間の本質なんて、そんなに簡単には変わらないのかもしれない・・・。
「あれー?めずらしい人がいるー」
突然の声に、一瞬デジャブかと思った・・・今朝あんな夢を見たから・・・でも・・・。
「おっ、お姉さま!?」
「久しぶりね、聖。元気だった?」
久しぶりのお姉さまの声・・・今朝の夢の声よりも少しだけ高い。
「・・・はい・・・お姉さまは・・・」
「もちろん、この通りよ」
うん。なんとなく聞かなくても解ってたけど・・・一体何をこんなに買い物してきたのか・・・。
お姉さまは両手に持った大量の紙袋を、よいしょ、と持ち直す。
「…すごい量ですね…半分持ちましょうか?」
「あら、そう?有難いわ」
お姉さまはそう言うとにっこりと笑って左手に持っていた紙袋の束を、私によこした。
「ねえ、聖。まだ時間ある?」
「へ?・・・ええ、ありますけど・・・」
「そう!ならちょうどいいわ。少し休憩したいのよ、つき合ってくれるでしょう?」
・・・・・・・・・。
こんな風に言われたら断れる訳ないじゃない・・・でも・・・何か他に用事があるわけでもないし・・・。
「・・・はい」
実際、私も久しぶりいお姉さまと話がしたかった…。
思えば、高校に居た頃はあまりお姉さまと2人きりで話をした覚えがなかったから・・・。
お姉さまは近くにあった喫茶店を指差すと、あそこにしましょ、と言って歩き出す。
私はそれに従って、お姉さまの後についてゆく…なんだかこんな事がとても懐かしい…。
喫茶店に入って注文を済ませるとお姉さまは、はぁぁ、と大きな溜息を落とした。
「…そういえば…皆は元気?」
皆…とは、蓉子や江利子達の事だろう。きっと。
「ええ、多分」
「多分って…あなたあいかわらずなのね」
「そうですか?」
「ええ、変わってないわ・・・姿も・・・中身も・・・遠くからでもすぐに解ったわよ」
遠くからでも…って…一体どこから見ていたんだろう。
それにしても・・・中身・・・上手く変えてきたつもりだったのに・・・やっぱりこの人には敵わない。
「中身はともかく、姿は変わったでしょう?流石に・・・」
「そう言えば髪が無くなったわねぇ。あんなにキレイだったのに・・・もったいない」
お姉さまはそう言うと、私の前髪を一筋つまんでわざとらしく溜息をついてみせる。
「…これも結構気に入ってるんですけどね…似合いませんか?」
「いいえ、とても似合ってるわ。ふふ…なんだか格好良くなった感じね」
格好良く…?それは…褒められてるんだろうか…それとも遠まわしに貶されてるんだろうか…。
「・・・はあ・・・ところで、どうしたんです?今日は」
「見たら解るでしょう?買い物しにきたのよ」
そりゃ見れば解る。私が聞きたいのはそうではなくて!!
「こんな所までわざわざ出て来たんですか…お姉さまの家は確か…」
「ええ、遠かったわ…今、少し後悔している所よ」
そう言って笑う、お姉さまもあの頃と何も変わってはいなかった。
いつだって強くて優しかったお姉さま…多分私を一番理解してくれていたんだと思う…。
なんせ、私の扱いがとても上手かったのだから。
「…あなた、何か言いたい事あるんでしょう?聞いてあげるわ、聖」
「っ!」
驚いた…。本当に私の何もかもを見透かされているみたいで…少し、怖かった…。
「どうしたの?」
…きっと…隠していても無駄だと思った。嘘ついてごまかしても、きっと・・・。
心の奥まで覗かれているに違いないから。
「私…今…好きな人がいるんです」
・・・・・・・・・・・・・・。
…言って…しまった…栞の時でさえ、お姉さまに言えなかったのに…。
お姉さまは、少し驚いた様な顔でこちらを見ると小さく笑った。
「それで?」
「…その子は…後輩で…しかも…祥子の妹…なんです…」
「で、聖は悩んでいる、と。好きなものはどうしようもないし、でも祥子ちゃんも大事だから、って所?」
「まぁ、そんな感じです…大体は」
本当に…この人にはなんでも解ってしまうんだろうと改めて思う。
私は祐巳ちゃんみたいに思ってる事を、顔に出すタイプではない。
それなのに何故かこの人にだけは…いつも本心を探り当てられてしまう・・・。
「それにしても…あなたって…本当に…」
お姉さまが突然、表情を曇らせた。
何をいわれるのだろうか…もしかして…引かれてしまった…?私は反射的に、思わず身構える。
しかし。お姉さまの次のセリフは予想すらしていないものだった。
「…年下の子が好きなのねぇ。おまけにいつも一筋縄ではいかなそうな子ばかり選んで…」
「はっ?」
私は思わず椅子から落ちそうになるのを堪えながら、まるで祐巳ちゃんみたいな返答をしてしまう。
…イヤ、そう聞き返すのがやっとだった…なんとなくだけど今すごく、祐巳ちゃんの気持ちが解った気がした…。
「全く、本当に手のかかる子ね、あなたは。じゃあ、栞さんの事は吹っ切れたの?」
吹っ切れた…訳じゃない。でも…今でも好きか?と聞かれたら…どうだろう。
あの時のような感情は、もう栞にはないような気がする・・・。
「吹っ切れた訳じゃないですけど…でも、今はその子が…とても大事です…」
「そう。なら問題ないんじゃない?やれるところまでやってみなさい。でも…」
ピンときた。お姉さまが次に何を言おうとしてるのか…。
「あなたはのめり込みやすいタイプだから、大切なものができたら自分から一歩引きなさい…でしょう?」
私がそう言うと、お姉さまは一瞬目を丸くしたけれど、すぐにクスリと笑った。
「そうそう!よく覚えてたわね…でも本当に、あなたはすぐにのめり込んでしまうんだから…。
おまけに不器用だし、その上繊細なもんだから…ねえ?」
…全く持ってその通りだった…熱しすぎて相手を焦がしてしまうほどなのだから…何も否定は出来ない。
「…はい。気をつけます…今度は絶対に失いたくないので」
失うぐらいなら、手に入れない方がいい。
キッと顔を上げた私を、お姉さまは満面の笑みで見つめていた。
夢の中の笑顔じゃない…本当のお姉さまの笑顔…。
「でも一つ言っておくけど聖、あの言葉は決して・・・あれ、ちょっとごめん」
お姉さまはそう言って鞄の奥から携帯電話を取り出すと目の前で話し出した。
…あの言葉は決して…その続きは何なのだろうか…?
思えば私は、また以前のように祐巳ちゃんに接していたのかもしれない。
だからあんな夢まで見たのだろう…ずっと…ずっと…不安だった事。
一番気がかりだった事…追い詰めて…壊してしまうかもしれない、とゆう恐怖感…。
「ごめんごめん、私そろそろ行かなきゃ。それじゃあ、聖またね。もしまた何か辛くなったらいつでも言いなさい」
お姉さまはそう言って、鞄の中から名刺を取り出すとそのうちの一枚を私に手渡した。
そして私がその名刺を眺めているのをよそにお会計の札を持って席を立ち、私の頭を子供みたいに撫でる。
「ねえ、聖。さっきのアレ前言撤回するわ…あなた…変わったわ…とても素敵になった。
あっ、それと。そろそろ可哀想な蝶々を逃がしてあげてね。それじゃあ、ごきげんよう」
「えっ!?ちょう・・・ちょ?それ…どういう?…あっ!ちょっ、お姉さま!?さっきの・・・」
しかし。
お姉さまは振り向きもせずに、手だけをこちらに向かってヒラヒラさせ、そのままレジを済ませ喫茶店を出て行ってしまった…。
「・・・続き・・・は・・・?」
夢じゃなくても、キリの悪い所で終わる…それがとても聞きたい話であればあるほど…。
椅子に座りなおし、すっかり冷めたコーヒーを一口すする。苦い…冷めてしまったコーヒーはどうしてこんなに苦いのか…。
それは、恋ととてもよく似ていた・・・。
喫茶店を出ると、日はすでに傾きはじめている・・・。
私が変わったのか。
周りが変わったのか。
根本は何も変わらないのか。
状態は何か変わったのか。
いくら考えても答えなど出ない。
いくら想ってもキミまで届かない。
結局…私は何も・・・変わらない・・・。