ねえ、ずっと想ってたよ?
ねぇ、どうしたらこっちを見てくれるの?
・・・どうして私を・・・頼るの?
「・・・聖さま」
か弱い、聞き逃してしまいそうな程小さな小さな声・・・。
でも私は決して聞き逃したりしない。
何があっても・・・どんな時でも・・・。
セイは声の方にゆっくりと振り返った。
「祐巳ちゃん、どうしたの!?」
雨が降ってるのにどうして傘をささないの?とか、そんな事はどうでもよかった。
ただ、上から下までずぶ濡れでその大きな瞳から零れ落ちる涙を見ればただ事ではないと分かる。
セイが早足でユミの元へ駆け寄るよりも早く、ユミがセイの元へと走りよってきた。
「聖さまぁっ」
鞄も傘も、もうどうでもいい。今目の前にいるこの人さえ居れば他は何もいらなかった。
ユミは鞄と傘をその場に放り出すと真っ直ぐにセイの胸に飛び込んだ。
セイは勢いよく抱きついてくるユミをしっかりと受け止めると、その腕に力を込める…。
「いったいどうしたの」
…なんて、本当は聞かなくても分かる。多分サチコの事だろう。
どうしてこんなになるまで…でも相手は私じゃない…いつだって…。
ずぶ濡れになって胸元で泣きじゃくるユミの頭を優しく撫でながらセイは心で…泣いた。
切ない…虚しい…自分には何もないとゆう虚無感…何も出来ないとゆう敗北感…。
様々な感情が心の中を渦巻く…。
「ああよしよし」
セイはしゃくり上げるユミの背中を静かにさすりながらユミの泣き声だけを聞いていた…。
雨音にかき消されてしまうほどの小さなうめき声は、セイのある思いに火をつける。
「・・・・・祥子」
セイがポツリと呟くとユミの肩がピクンと震えた。怯えているのか、顔を上げようとしない…。
…祥子とドリル…この2人が…この2人さえ…。
たった一度でもそう思ってしまうと、もう後戻りは出来ない。
ユミがセイにしがみついた腕にギュっと力を入れる。
・・・祥子様には返さないで・・・
ユミの想いを感じ取ったのか、セイもまたユミを抱いた腕に力を込める。
・・・大丈夫、帰さないよ・・・
「祐巳」
サチコはセイに抱きついたままのユミに静かに問いかけるが、ユミは頭を振るばかりで一向にこちらを向こうとはしなかった。
その時だ。サチコはセイの冷め切った表情に思わずビクンと顔を引きつらせる。
一瞬、二年前の白薔薇様…そう思った…。
他人を一切拒絶して、大事なモノを守る為だけに生きていた頃の表情。
何かを恨むような、静かに怒るような、そんな顔…。
どうして・・・今・・・?
明らかに敵意を出しているセイから、サチコはユミを奪い返す事は出来なかった…。
「お世話おかけします」
そう言うのが精一杯だった…それ以上言葉を繋げられなかった…。
セイはサチコの言葉に表情を一切変えず、静かに頷く。
…そうだ、早く行ってしまえばいい…でも…。
セイはユミを抱きしめていた腕を少しだけ緩めると、囁いた。
「祐巳ちゃん」
「いいの?祥子、行っちゃうよ」
・・・私はナイトだ・・・王子様じゃない…っ。
本当はサチコの事なんてどうでもいい。でも、ユミの幸せはサチコが握っていて…それはどうしようもない事だった。
ナイトは姫を守るのが役目。どんな時でも自分の心にウソをつき続けなければならない…。
分かっていても、平然と行ってしまう王子様を見ればやっぱり憎らしくなってしまう。
ましてや、新しいお姫様と一緒にだなんて…許せなかった。
「いいんです」
セイの問いにユミはそう言って少しだけ顔を上げた。
セイの傘の柄にはユミの傘と鞄が掛かっている。
「これ」
「祥子が拾って私に渡した」
淡々と呟くセイの声に、ユミは思わず顔を上げ息を呑む。
サチコに置いていかれた事も悲しいが、今はセイの表情が…痛い。
セイがどうしてそんな顔をしているのか、ユミには分からなかった。
セイへの想いが、サチコに対する想いとは全く別のものだったのだ、と気づいたのはついさっきの事で、
何も考えずに辛さのあまりセイに抱きついたが、果たして本当にそれで良かったのだろうか…。
…違う…選んだのは…私だったんだ…。
「・・・祥子さま」
ユミはポツリとそう呟くとセイの腕をすり抜けて雨の中に駆け出した…。
サチコはすでにトウコと一緒に車に乗り込んでこちらを見ようともしない。
「お姉さまっ!!」
ユミは思い切り叫んでみたが・・・もうサチコに声は届かなかった。
どうしてもサチコに謝りたかった…この新しい思いを打ち明けたかった…。
「お姉さま・・・」
ユミは俯くとポツリと呟いてその場に座り込む。
ふいに、ユミはツタコが言っていた言葉を思い出した。
『早く蝶々になれるといいね』
確かツタコはそう言っていた・・・。
これがそうなのだろうか…蝶になるとゆうのはこうゆう事だったのだろうか…。
最初はサチコへの思いはただの憧れだった…。
それが、何をどう間違えたのかサチコの妹になる事が出来て毎日毎日がとても楽しくてしょうがなかった。
ユミのタイをサチコが直す度に、ドキドキして顔をまともに見ることさえ出来なかった…。
いつもユミの目はサチコだけを探して、耳はサチコの声だけを聞いていたはずだった。
それなのに、一体いつからこの目はサチコだけを追わなくなったのだろう…。
いつの間に目はセイを追うようになったのだろう…。
サチコの事はただ見ていたかった。遠くからでもいいから、見ていたかった。
約束が欲しいと願ったのは、ほんの少しだけ自分の事を気に留めておいてほしかったから。
他の何があっても、自分はここにいるのだと言いたかった。
でも、セイは違う。初めて会った時は、この人変だ…なんて感情しかなかった。
なのに、困ったときには必ず傍にいてくれたのは、いつもセイだった。
いつからか、そんなセイの瞳にユミは映りたい…と思うようになった。
とても、はっきりと。心の底からそんな事を願ったのはこれが初めてだった…。
だからとまどったのだし、きっとうろたえたのだろう。
そしてユミはきっと心に蓋をしたのだ…サチコへの罪悪感と、初めての恋に…。
そうしてサチコへの思いを恋愛感情だと、自分に言い聞かせていただけだった…。
でも・・・でも本当は・・・・・・・・・・・・・。
…私は聖様が…ずっと・・・好きだったんだ…。
犬が好き。
猫が好き。
歌が好き。
お母さんが好き。
お父さんが好き。
どれも、同じ言葉だけど微妙に違う。
沢山ある好きの中でアナタだけが私の特別。
沢山ある言葉の中でその言葉だけが、引き金になる…。