鳴らないベル。
動かないキミ。
このまま離れてしまうのかな・・・。
「・・・聖さま」
か弱い、聞き逃してしまいそうな程小さな小さな声・・・。
でも私は決して聞き逃したりしない。
何があっても・・・どんな時でも・・・。
「聖さまあっ」
「いったいどうしたの」
事の起こりはいつだったのか…私にはわからない。
結局彼女は何も話さなかったし、私も聞かなかった。
ただ一つ言えるのは、少しづつ…ほんの少しづつだけれど確実に時間が動き出したって事ぐらいで、
それが終わりになるのか、始まりになるのか・・・私にはわからなかった。
セイはとうとう降り出した雨に、はぁぁ、と大きなため息をついた。
「・・・傘はないし、志摩子はこないし・・・帰ろうかな・・・」
セイは大学校舎の通用口付近まで移動すると空を見上げて呟く。
しかし帰るといっても傘がない…かと言って走って帰るわけにもいかないし・・・。
セイは高等部の方に視線を戻すと、もうすっかりまばらになってしまった生徒を一人づつ確認した。
誰か知ってる子がいたら傘に入れてもらおうと思ったのだ。
しばらくじーっと通用口から外を眺めていたが、やがて一人の少女が銀杏並木を横切るのを発見した。
発見と同時に心臓はドクドクと動き出し、それまで冷たかった雨が妙に暖かく感じる・・・。
「・・・あれは・・・」
確信するよりも先にセイの足は勝手に走り出している・・・。
頭で確認するよりも、どうやら体の方が先に反応してしまうのだから全く自分でもすごいと思う。
「祐巳ちゃん」
セイの声に、ブルーの傘をさして少し俯きがちに歩いていた少女は、
一瞬ピクンと小さく跳ねたかと思うとゆっくりとこちらを振り返った。
やっぱり…私が間違う訳がない・・・。
こんなにも毎日想っているんだから、もしかすると目を瞑ってても似顔絵の一つや二つ描けるかもしれない・・・。
セイは心の中でそう思いながら足を速め立ち止まったままのユミのそばへと駆け寄った。
「傘入れてちょ」
「聖さま!?」
…どうしてここに…?ユミはあまりの出来事についていかない脳みそをフル回転させて考えた。
どうしてここにセイがいるのか・・・と。
サチコへの思いで破裂寸前だったユミの心に、ほんの少しだけスペースが出来る・・・。
「傘に入れてくれるようなお友達、たくさんいるでしょうに」
…そう、聖様はいつだって人気者だから…。
ユミはそう思う事で不思議と胸が痛くなる自分に気づく。
今ここにセイが現れた事で少しだけサチコの事から解放されたが、今度はセイに縛られてしまった…。
セイは濡れたブラウスをハンカチで軽く拭くとユミの持っていた傘を奪い取りカラリと笑う。
「でも降り出したのさっきだもん。お友達が帰るときは、まだ降ってなかったしね」
お友達を少し強調して言ったのは、セイのほんの少しの抵抗だったのだがユミは果たして気づいただろうか?
『傘に入れてくれるようなお友達、たくさんいるでしょうに』
・・・キミには言われたくなかったな・・・。
ほんの些細な一言がこんなにも心に突き刺さる。誰でもいいってわけじゃない。
確かにここで逢ったのは偶然だけれど、こんなにも私が今喜んでる事なんてキミはこれっぽっちも知らないんだろうね。
「聖様は、何か用事でもあって残っていたんですか」
・・・聖様・・・そう呼ぶのはまだなんだか恥ずかしい・・・。
恥ずかしいけれどその反面とても幸せだと思うのもまた事実で・・・。
「んー。まあ、大したことじゃないんだけど・・・」
セイはふと、気がかりだった妹の事を思い出し高等部の校舎に目をやり、逆にユミに質問をなげかけた。
「志摩子は変わりないんでしょ?」
「志摩子さん?」
どうして?突然志摩子さん?
ユミは思わず首を傾げるとセイの顔をじっと見つめる・・・。
卒業式の日、確かにセイは言ったはずだ。頼らないで、と。
それとも、やっぱり妹の事は気に掛かるのだろうか・・・。
「昨日の昼休み、この辺で志摩子らしき人物を見たっていう人がいてね。
私、昨日の授業サボったから、今朝聞いたわけよ、その情報。
休み時間、大学校舎の近くを意味もなくうろうろするような子じゃないし。
もしかして私に何か用事でもあったかな、なんて思ってさ」
セイはそう呟くとユミに向かって照れくさそうに笑いかけた。
ユミはセイのその言葉を聴いて慌てて視線を逸らした。
思わず、ユミの瞳に涙が浮かぶ…シマコがどうしようもなく羨ましかったのだ。
でもどうしてそんなにも友人を羨ましがる必要があるのか?
ただ単に卒業してもなお、心配してくれる優しいお姉さまがいるシマコがうらやましいのか、
それともセイに心配してもらえるシマコがうらやましいのか…。
一見すれば同じ事のように思うかもしれない…。
でも似ているようで全く違う二つの想いは一体どちらが正しいのだろう・・・。
「志摩子さんなら、たぶん乃梨子ちゃんとどこかで雨宿りしているはず…」
「・・・ならいいか。祐巳ちゃんと帰る。駅まで入れてって」
セイはカラリとした表情でそう言うとユミの返事を待った。
ユミが小さく頷いたのをセイは確認すると、わざとゆっくり歩き出した。
・・・何か変だ・・・
会った時一番にそう思った。頭ではなく心がそう言ったのだから多分当たってると思う。
別にいつものように百面相をしていたわけでもないけれど、何かがひっかかる…。
元気が無いのはもちろんだけれど、なんとゆうか覇気がない。
何か苦しいの?何か辛いの?そう直接聞けたらどんなに楽だろうか・・・。
・・・そう、例えそれがサチコの事であったとしても・・・。
「・・・何?」
校門のそばまで来た時、突然セイが口を開いた。
「は?」
何?って…何??ユミの目が思わず点になる。
私、何か喋ったっけ??頭の中の疑問符はどんどんと大きくなってゆく・・・。
しかし、そんなユミにセイは至ってマジメにこう切り出した。
「心の中のもの、ぶちまけていいよ。傘に入れてもらったお礼に聞いてあげる」
・・・どうして・・・
思わずそんな単語が口をついてでそうになる。泣きだしたくなる・・・。
「さしずめ、悩みの原因は縦ロール?」
「……何で知っているんですか」
ユミはその場でピタリと立ち止まるとセイの顔を見上げた・・・。
何も言ってない・・・百面相もしてない・・・なのにどうして・・・。
「さっき、祥子がこの道を通った。私には気づかなかったけどね」
言った途端ユミの表情がみるみるうちに険しくなる。
やっぱり、と思う反面、くやしくてくやしくてしょうがない・・・。
いつもそう・・・ユミの悩みの種はいつだってサチコなんだ。
セイは気づかれないようにそっとユミから視線を外すと下唇をキュっと噛んだ。
「相合傘じゃなかったよ」
「そんなこと・・・」
「うん。そんなこと、だったね」
そう言いながらもユミの顔には安堵の色が浮かぶ・・・。
ただの気休め程度に言ったセイの言葉は、どうやらユミの悩みをほんの少しだけれど溶かしたようだった。
そんな事がそんなにも嬉しいんだ・・・私じゃやっぱり駄目なの・・・?
こんな風に言えてしまえばどんなに楽だろう・・・。
シオリの時のように、強引に自分の方に振り向かせる事が出来たら・・・。
でも、もうあの時のようにはなれない…恋に臆病になってしまったセイにはそんな事、もう出来なかった…。
「祐巳ちゃん。祥子を見捨てないでやってよ」
心とは裏腹な言葉は、セイの心の中の氷をどんどん大きくさせてゆく・・・。
『見捨てられそうなのは私の方です』
ユミはセイの慈悲深い笑顔に思わずそんな言葉を口走りそうになったが、やめた。
セイの笑顔は今まで見た事もないほどキレイだったけれど、その反面とても冷たく思えたから…。
サチコとセイ…ユミの中の相関図は何だか次第にぼやけていって、やがて消えてなくなった・・・。
完全な位置づけがほしい。
キミの中の私は今どこにあるの?
一番は誰なの?
・・・やっぱり私じゃないんだろうね・・・。
to be continued・・・