この時期一番イヤなのが雨。

朝起きて雨が降ってたらなんだかそれだけで気分が滅入ってしまう。

そう言えばあの子も雨がイヤだって言ってたっけ…。

髪がまとまらないから…確かそんな理由だった気がする。

そんな風に目に見えるのならいい。でも目には見えない何かが…鬱陶しいんだ。



昨日夜のニュースでちらっと言ってた梅雨入り宣言…。

雨が降らないと困るのは分かる。分かるけれど・・・どうにも昔から雨だけは苦手だった。

セイは自室のカーテンを引いてもう一度ベッドに入ってみたが、雨の音が気に障って眠れそうにない。

仕方がないのでそのままいつもよりも早めに起床、早めと言ってもすでに正午を回っているのだが・・・。

洗面台で顔を洗って鏡を見たときにふと思った・・・。

「・・・髪・・・切ろっかな・・・」

別に失恋したわけでもないし、かと言って鬱陶しいわけでもない。

そう、単なる思い付きだった。髪を切るのに理由がいるほどもう子供でもない。

じゃあ大人なのか?と問われたらきっと返答に困るのだが・・・。

セイは誰もいない家の中、一人遅めの朝食をとると特に何の用意もせずに表へ飛び出した・・・。

手には黒くて大きな男物の傘を持って。



K駅に着く頃にはすでに雨は本降りになっていた。

セイは傘をさすと行き先も分からない切れた凧みたいにフラフラと歩き回っていたが、

やがて見つけた小さな美容院へと足を運んだ。

美容院なんてどれぐらいぶりだろう…。

セイはそう思いつつ洒落たドアを開けると、中には一人だけ女の人がヒマそうに座っている。

「・・・いらっしゃいませ」

無愛想な物言いがほんの少し癇に障る・・・。

それは私も同じか・・・。セイはそう思いながら店内を見回してみたが、やっぱりその人の他には誰もいない。

「・・・もしかして予約制でないと駄目だったりします?」

セイも無愛想な店員に習ってわざとぶっきらぼうに聞いてみたが、店員は、いいえ、と答えただけだった。

「こちらへどうぞ」

店員に案内されるがままにセイは一番奥の赤いイスに腰掛けると鏡越しに店員の顔を見てみた。

割と端正な顔をしているが、いかんせん表情がない…まるで昔の私みたい…。

セイはポツリと心の中でそう思いながらゆっくりと目を閉じた。

店内に流れるBGMは何故かクラシック…今時クラシック…でも流行の音楽をガンガンかけられるよりはまだマシか…。

「今日はどんな風にされるんですか?」

店員は鏡の中のセイをじっと見つめながら呟いた。

「あー…とりあえず揃えてもらえる?」

「・・・おかっぱですか?」

・・・おかっぱ・・・普通ボブとか言わない??いや、おかっぱでもいいけどさ、別に。

「・・・いや、おかっぱはちょっと・・・ほんの少しだけ短くしてもらえたら有難いんだけど・・・」

本当はざっくり切ってしまおうと思ってやってきたのだが、

なんだかとても不安になってきたのでとりあえず毛先だけを切ってもらうことにした。

別に腕を信用してない訳じゃないけど、初めての美容院でざっくり切ってしまう程勇気はなかったのだ・・・。

いつだってそう、勇気が足りないんだ・・・きっとあの時一生分の勇気を使ってしまったから・・・。

店員はセイの言葉に少しだけ残念そうに笑う。

「・・・わかりました。ほんの少しだけ短めですね」

セイは店員の声に頷くと置いてあった雑誌に手を伸ばした。ファッション雑誌に、カタログ…あとは漫画雑誌。

どれもこれも大して興味の無いものばかりで、

結局何も読まずに雑誌を元の位置に戻し、よく動く店員の手をじっと見つめていた。

こっちの方がおもしろい・・・。

セイが器用に動く手を惚れ惚れしながら見ていると、店員はピタリと手を止めセイを見る。そして。

「・・・何ですか?」

「えっ?あーいや、器用だな、と思って」

「・・・あぁ・・・なんだ怒られてるのかと思いましたよ」

どうやら店員は、あまりにもセイがじっと見るものだから少し緊張していたらしく、あまり見ないで下さい、と付け加えた。

『あまり見ないでください』

まるであの子の台詞みたい・・・そう思うと胸がぎゅっと苦しくなる。

卒業して一週間。早くもユミ禁断症状が出始めてるのかな…。

なんて自嘲気味に笑ってみても虚しいだけなのは痛いほどよく知っていた。

あの手触りや声、くせのある髪に大きな瞳…上げればキリが無いほど鮮明に思い出せるのに・・・。

・・・ホンモノだけが足りない・・・

不思議と外の雨の音が店内のクラシックといい具合にミックスされてなんだか切ない音楽のように耳に残った・・・。


「・・・終わりましたよ・・・お客さん?」

「んあっ!?」

いつの間に眠ったのか、突然の声にセイは思わずイスから転げ落ちそうになるのを、

どうにか右腕で支えるとイスに座りなおした。

鏡の奥で店員は苦笑いしている・・・そして鏡に映った自分は・・・。

「・・・へえ」

ほんの少し髪を切っただけなのになんだか印象が違って見えるのはただの先入観だろうか・・・?

「いかがですか?」

「・・・うん。ありがとう、気に入った」

「そうですか。安心しました・・・お疲れ様でした」

店員はそう言ってセイに掛かっていたタオルやらケープやらを外すと肩についた髪を払い落とした。

すると、ほんの数センチの髪が寂しげにハラハラと床に落ちた・・・。



外に出ると雨はいっそう勢いを増していた。

セイは傘をさすと駅に向かおうとしたが、なんとなく引き返して通りの喫茶店へと足を運んだ・・・。

家に帰ってもどうせ誰もいなし、する事もない・・・そう思ったのだ。

小さな喫茶店の軋むドアを開けて傘を傘たてにしまい、店内をグルリと見回した。

出来れば隅がいい。誰にもジャマされないから・・・。

そう思いつつセイが店内を見ていると、一番奥の席に座っていた少女とばっちり目が合ってしまった。

慌てて逸らそうとしたが、頭の中に疑問符が浮かぶ・・・。

あれ・・・?もしかして・・・。

「あ…」

「えっ!?」

やっぱり!!どうして!?

「どうしてここにいるの!?」

セイは思わずその少女の方へと歩み寄る。すると少女も目を白黒させながらこちらをじっと見つめ、そして言った。

「あ、雨宿りです…。傘を持ってこなかったんで。ところで白薔薇様はどうしてここに?」

案外冷静なその言葉は、まるでセイがここに来ると分かっていたみたいだった。

少女の正体・・・それはセイの唯一の想い人福沢祐巳その人だったのだ・・・。

ここにユミがいる事だけで十分ドッキリとしては成立するのに、更に全身ずぶ濡れときているからもう言葉もない。

セイは注文を取りにきたウエイトレスさんにコーヒーを注文するとユミの向かいに腰を下ろした。

「私は美容院で髪切った帰りに休憩しようと思って…。それよりすごい格好だね…」

セイはポケットからハンカチを取り出すと丁寧にユミの前髪をそっと拭いていく。

一瞬驚いたように目をパチクリさせる様がとても愛しい…。

あんなにもイヤだった雨のおかげでこんな所でユミに会えるとは・・・。

「ロっ白薔薇様!?い、いいですよ!!大丈夫ですから!!」

ところがユミはそんなセイの気持ちを知ってか知らずか両手を思い切りよく振って体全体で拒否する。

…これぐらいさせてよ…セイはポツリと心の中でそう思いながらユミから手を離した…。

知られてはいけない・・・でも知ってほしい・・・心の中の相反する想いはしだいに絡まってセイの体に太い根を這ってゆく…。

「祐巳ちゃん。今は志麻子が白薔薇様でしょ?私はもう卒業したんだからただの佐藤聖だよ」

本当はこんな事が言いたい訳じゃない!こんな事どうでもいい!!

本当の自分が体の中から出してくれ、としきりに叩くがセイはそれを一切無視する。

「…そうでしたね。じゃあなんて呼べばいいですか?」

そう…私達はただの先輩後輩でしかない…少なくともユミはそう思ってるに違いない…。

それならば私も一流のウソをつきつづけてやる・・・。

「なんでもいいよ。好きなように呼んで」

「…好きなように…ですか?」

好きなように…さてどうする?ユミは相当考えているのかあーでもないこーでもない、と首を捻っている。

…それにしてもこんなに濡れて…どうして傘持ってこないかな…。

セイはそう思いながらユミの濡れた肩や髪を丁寧にハンカチで拭いてゆく。

ほんの些細な事…けれどとても重要な事…ユミにほんの少し触れるだけで心はパンクしそうな程ドクドクと高鳴る。

頭はどこかに行ってしまいそうな程真っ白になる・・・。

「そんなに迷う事?普通に名前でいいから。聖って呼んでよ」

思わず漏れた本音は、ユミの心にどう届いただろう…。

ユミはそれを聞いて真っ赤になって俯いて首を振る…。そして。

「…じゃあ間をとって聖様でいいですか?」

しかしセイはそんなユミの台詞など聞こえてはいなかった。

見てはいけないのかもしれない…でも他の人には見せたくない。

セイは着ていたジャケットを脱ぐとユミの方に放り投げる。

「な、なんですか?」

突然不機嫌になったセイにユミは訳が分からないのだろう…そりゃそうだ。

エスパーじゃないんだから分かるはずもない。こんな醜い独占欲なんて…。

「…風邪ひくよ?」

やっとの思いで出た台詞は全然気の効いたものなんかじゃなかったけど、それでも今はこれが精一杯だった…。

だって、言える訳がない…雨に濡れたせいで下着が透けているから…なんて。

いや、普通の友人なら言えただろう。でもセイには言えなかった…。

言ってしまうと、もう一人の自分が出てきてしまいそうで・・・。



一流のウソとほんの少しの本音は、どこをとっても真実なんてない。

結局私自身が全て嘘っぱちなのかもしれないね・・・。



外は大雨。心も大雨。

声も出せず涙も流せない私の心は、

そのうち枯れ果ててぼろぼろになってしまうに違いない・・・。




梅雨前線  セイver.