私は自由でいたいとは思いません・・・。
全くの自由はかえって辛いから・・・。
どこに帰ればいいのか分からなくなってしまう・・・。
でもね、私にとって帰る場所はたった一つ・・・。
それはあなたの所だけなんですよ・・・。
「私、言いたい事があるんです」
その答えにセイは笑っただけだった。でも大方の予想はついているのか、その笑みはとても優しいものだった。
「私も祥子に聞いてほしい事があるんだ…先に言ってもいいかな…?」
セイは笑みを浮かべたままでサチコに尋ねると、サチコは表情を一瞬強張らせたが、やがて静かにうなづいた。
サチコが頷くのを見て、セイは静かに話し出した…。
その表情は申し訳ないような…辛いような…なんとも言えない表情だった。
「私は…祥子から大事な妹を取っちゃったよね…でも祐巳ちゃんは物じゃない…。
一人の人間で大事な人が沢山居る事も私は知ってる。でもさ、これだけは聞いて欲しかったんだ、ずっと・・・。
私の祐巳ちゃんへの想いは皆に抱くみたいな親愛じゃなくて、恋愛感情なんだ。
だから心も欲しいと思うし、体だって欲しいと思ってしまう…。
祥子はきっとそれが分かっててあの時あんな事言ったんじゃない?」
どう、違う?とセイはサチコの目をじっと見つめた…サチコもそれに黙って頷く。
「…そうだよね…大切な妹が傷つくのなんて見たくないよね…私だってそれはそう思うよ…。
でもね、これだけは約束できる…私はこれからきっと祐巳ちゃんを傷つけてしまう事…沢山あると思う・・・。
それは人との付き合いの上でしょうがない事だと私は思う…でも決して裏切りはしない。
これだけは約束出来る…悲しませる事もきっとあるだろうけど…私は祐巳ちゃんを裏切ったりはしないから…。
だからこれだけは信じてほしいんだ…一生をかけてこの子と過ごしたいって本気で思うから…。
月並みだけど、大切にするよ…どんな時でも、絶対に守るから…私に祐巳ちゃんを…預けてくれない…?」
セイの顔からは笑みがすっかり消えて何か、固い、決意のようなものが見て取れた・・・。
皆はただセイの言葉に耳を傾け、サチコをじっと見つめている・・・。
「私は…アナタがずっと羨ましかった…。
どんな時でも祐巳の気持ちにいち早く気づくのは私じゃなくていつもアナタだったから…。
だからあの時、悲しいとか寂しいとかではなくて…本当は嫉妬心で一杯だったんです…。
それを隠そうとしてついあんな事を言ってしまいましたが、本当は…アナタがずっと羨ましかった…。
アナタが誰よりも祐巳の事を大事にしているのは知っていましたし、
いざとゆう時祐巳が頼るのはアナタだとゆう事も知ってました。
祐巳の中でアナタの存在が大きくなっている事に目を逸らして、
もう一度自分の方を振り向かせようとしましたが、私には出来なかった…。
そして祐巳に言われたんです…私はお姉さまの事大好きです、と。
でもそれは聖様に対する好きとはまた違うのだと。
私はそれを聞いた時、カッとなって思わず祐巳の頬をぶちました…。
でもあの子は泣かなかった…ただ私を見つめてこう言ったんです…。
私のお姉さまは一生祥子様だけなんです、と…わっ、私…それを…っく…聞いて…うぅ…ひっく…」
サチコは想いを全てぶつけるかのように嗚咽を堪えながら…言葉を紡いでゆく…。
…セイはそんなサチコの言葉を聞き漏らす事のないよう表情をピクリとも変えずに真剣に聞いている…。
あまりにも辛かったサチコとセイ、そしてユミの関係はようやく今ピリオドを打たれようとしているのだ…。
そんな二人に他の皆の目頭にも何か熱いものがこみ上げてくる。
とうとう泣き出してしまったサチコに、セイは少し戸惑っていたがやがて優しく、そして切なそうに話しかけた・・・。
「…祐巳ちゃんにとっては祥子は一生お姉さまなんだ…。
だから私もずっとそれが引っかかってた…いつか戻ってしまうんじゃないだろうか…って…。
でも…そうじゃないんだ…戻るとか戻らないとかじゃない…そもそも同じ土俵の上に私達はいなかった…」
セイはそう言ってユミのポケットを探ると一枚のハンカチを取り出し、それをサチコに手渡した。
「・・・これは・・・」
サチコはそのハンカチを開いて思わず目を見開いた…そして次の瞬間あふれ出す涙・・・。
「うん。祥子が祐巳ちゃんにおそろいのをあげたんでしょ?
祐巳ちゃんは未だにそのハンカチの事を嬉しそうに私に話してくれるよ?」
手渡されたハンカチは大分前にサチコがユミにあげた物だった…白に赤いSとゆう刺繍の入った絹のハンカチ…。
長年愛用されていたであろうそのハンカチは端っこの方がほつれてきている…。
それでも真っ白のまま変わらないハンカチは、きっとユミが大事に大事に使ってきたのだろう…。
「…私…うっく…どうし…て…あんな事…っく…」
サチコはハンカチを握りしめるとそのまま泣き崩れた…ユミの頬をぶった事…セイに言ったあの言葉…。
どれだけ懺悔をしてもどれ程悔やんでも悔やみきれない…。
「ねえ祥子…私達は初めから敵なんかじゃなかったんだよ…。
でも2人ともそれが分かってなかった…だから余計に祐巳ちゃんを苦しめてたんだ…」
セイの台詞に、ようやく泣き止んだサチコは顔を上げると真っ赤な目をゴシとこすった。
「…ええ、今日言おうと思ってたのは…その事です…。
聖様…私は知らず知らずのうちに祐巳や聖様を傷つけていました…。
ですが、最近分かったんです…。
祐巳の言っていた私とアナタへの想いの違いが・・・似ているけれど確実に別物だったって事が…。
私は確かに祐巳が好きです…でもそれは聖様が祐巳に抱く想いとはどこか違うのです…。
私は…これからも祐巳の姉でありたいと願っています…。
本当にどうしようもないぐらい落ち着きの無い子ですが…私にとっては可愛いたった一人の妹なんです・・・。
だからどうか・・・聖様・・・祐巳を・・・祐巳を・・・末永く・・・よろしくお願いいたします・・・」
・・・サチコはそう言って、セイに向かって深々と頭を下げた・・・止まったはずの涙がまた一つこぼれる・・・。
と、その時だった・・・どこからともなく啜り声が聞こえてきたのだ・・・。
一体どこから・・・?皆が回りを見回しすすり泣きの犯人を捜していると・・・。
セイの横で寝ていたとばかり思っていたユミがゆっくり体を起こし、
そのままサチコに抱きつき声を上げて泣き出した・・・。
「・・・あなた・・・いつから起きてたの・・・?」
サチコの上ずった声に祐巳は返事もせずただ泣いている・・・。
そんな光景をセイは切ないような、嬉しいような気持ちでただ見守っていた・・・。
「わっ、わたし・・・っく・・・ほん・・・と・・・ひっく・・・しあわ・・・せで・・・っう・・・おね・・・さまぁぁ!!」
ユミはサチコを抱く腕に力を込めるとさらに声を上げる・・・。
「・・・祐巳・・・あなたが幸せなら・・・私も幸せだわ・・・。
あの時はごめんなさいね・・・あなたの気持ちを何も理解してなかったわ・・・。
でもね、これだけは覚えておいて・・・私はいつでもあなたの傍にいるから・・・、
私はこれからもずっと・・・あなたの姉だから・・・ね?」
サチコはそう言ってユミの背中を優しく撫でると、返事は?と聞く。
するとユミは小さな・・・本当に小さな声で、はい、お姉さま、と呟いた・・・。
「・・・ほら、次は聖様にもちゃんと伝えておあげなさいな」
「・・・祥子?・・・」
あまりに突然のサチコの計らいにセイは驚いたように目を見張った・・・。
するとユミはサチコの言葉通りセイの前まで来るとちょこんと膝の上に座り、
誰にも聞こえないように耳元でボソリと囁く。
「・・・し・・・てる」
「・・・ありがとう・・・私もだよ・・・」
ユミの口からまともにこの言葉を聴いたのは多分初めてだった・・・セイの瞳から涙が一粒だけ零れ落ちる・・・。
「・・・泣かないで・・・聖様・・・」
ユミはそう言ってセイの頬の涙をそっとすくうとぎゅうっとセイの体を抱きしめた。
セイもそれに答えるようにユミを強く抱きしめる・・・。
「・・・聖様・・・私の妹をこれからも大事にしてくださいね・・・」
サチコの声は決して大きなものではなかったが、それでもそこに居た全員にはしっかりと聞こえていた・・・。
パチ・・・パチ・・・と誰からともなく起こる拍手は、三人に対しての労いの拍手・・・。
そしてサチコへの敬意とセイ、ユミへの祝福とが混じったものだった・・・。
蟠っていた事態が一つ去ったとあってそれからは本当に無礼講の飲み会になった・・・。
さっきの拍手のせいで眠っていたシマコとヨシノは完全に起きてしまい、また部屋の中は騒がしくなった。
調子に乗ったレイは踊りだすし、それを見たヨシノが怒り、それをエリコがからかう…。
といった懐かしい黄薔薇ファミリーの復活に皆手を叩いて喜んだ。
一方シマコはノリコといい雰囲気でちびちびとお酒を飲んでいたが、
それを見たセイが慌てて飲むのを止めさせ、あわや説教大会になるのを無事に阻止。
ユミはあいかわらずあつ〜い!!と言ってはセイとサチコを困らせていたが2人は顔を見合わせ苦笑いすると、
そこに流れる空気に以前とは違うモノを感じていた・・・。
最後にヨウコは・・・。
「・・・頑張ったわね・・・祥子・・・これでようやく私達も解放されるわ・・・」
ヨウコがサチコの隣に座るとそう呟いた。
「・・・お姉さま・・・私達って・・・?」
「ふふ、なんでもないわ。とりあえず乾杯ね。お疲れ様、祥子・・・」
「・・・はい、お姉さま・・・」
サチコは涙ぐみながらヨウコの肩にもたれると静かに目を閉じた・・・。
安堵と爽やかな表情にヨウコも思わず嬉しくなる・・・。
・・・そして・・・今私もきっとこんな表情をしているに違いない・・・。
エリコの選んでくれたお酒は、今の気分にとても合っていた・・・。
そんなこんなで最後には結局どんちゃん騒ぎになってしまって収集のつかなくなった所で、
今回の山百合同窓会は幕を下ろした・・・。
次はまた5年後ぐらいかしら?なんて言うエリコにヨウコは困ったように笑う。
「じゃあそれまで合わないの?」
「まさか!また年末にでも集まりましょ。なかなか楽しかったもの」
「そうだね、今度は山百合忘年会しようか」
セイはそう言ってユミをよいしょ、と背負い直すと笑った。
「それじゃあ皆気をつけて!ごきげんよう」
「「ごきげんよう」」
ヨウコがそう言うと皆はお決まりの挨拶をしてそれぞれの道へと歩いて行く。
「・・・それじゃあ私達も帰ろうか・・・」
最後まで皆の後ろ姿を見守っていたセイは背中で寝息を立てて眠っているユミに呟き、ゆっくりと歩き出した・・・。
今まで起きた事全ては、きっと偶然じゃなくて必然。
失ったものも多いけれど手にしたものの方がきっと多い・・・。
背中に感じる暖かさも胸の中の熱も一生消えることのない一頁。
両手から溢れ出しそうな大切なモノ全てを、
私はこれからもずっと守り続けると・・・誓うよ・・・。