具体的な未来なんて予想もつかないけど、とりあえず今は君とこうしてたい。



私は窓の外に浮かぶ羊みたいな雲を見つめながら、昨日の事を思い出していた。

長かった片想いが終わりを告げるのは何て一瞬だったんだろう。

瞬きするほど短い時間のうちに自分の心は祐巳に囚われ、そして恋に落ちた。

恋に落ちてからの道のりは酷く長くて、思っていたよりもずっとずっと辛くて。

栞とした時のような恋の仕方じゃない。一目ぼれそとかそういう類のものでもない。

ただ時間をかけてゆっくりとやってきたモノに気付いた時にはすでに遅くて、

私はただひたすら待つ事を選んだ。いつか、いつか必ず選んでもらえるように、と・・・。

窓の外、青い空に今はポツンと小さな雲が浮かんでいる。その後ろを物凄い速さで追いかけるヒコーキ雲。

あれは私。祐巳をずっとずっと追いかけていた私にとてもよく似ていた。

ヒコーキ雲はやがて小さな雲を追い抜いて、そのままさらに高い場所へと一本の線を引いて行く。

思わずその光景に目を細めた私は、自分が今微笑んでる事にすら気がつかなくて・・・。

「・・・っと、ちょっと?さっきからずっと気持ち悪いんだけど・・・」

「いっ!!」

腕を何か尖ったもので刺されて驚いて振り返った私に、景が怪訝な顔してシャーペンをクルクル回しながら言った。

「昨日までは死にそうな顔してたのに、今日はやけにご機嫌じゃない」

「そう?べつに普通だけど・・・」

「普通・・・ねぇ・・・」

そう言って窓の外に視線を移した景は窓の外と私の顔を交互に眺めながらフンと鼻で笑うと、

回してたシャーペンの先をキッとこちらに向ける。

「どうせまた祐巳ちゃんでしょ?」

「うっ・・・」

図星だった。私は昨日、ようやく長かった片想いを終わらせる事に成功したのだ。

そして、それをまだ誰にも打ち明けてはいない。そう、蓉子や江利子にさえも・・・。

というよりも、特に誰にも話すつもりは無かった。想いが通じたからと言ってバカ騒ぎするような歳でもないし、

変に話して噂が広まってしまって祐巳に迷惑がかからないとも言い切れない。

だから私は聞かれない限りは黙っていようと心に決めた。けれど、景にはどうやらそれをあっさりと見抜く事が出来たらしい。

「佐藤さんね、自分では気付いてないかもしれないけど、結構素直よね」

「そ、そう?」

「ええ。うまくいったのね?」

何も聞かず、突然答えだけを見抜く景の洞察力や勘の良さが私にはちょうど良かった。

だから私はただ黙って頷いて、それから何も言わないで居た。けれど人間ってのは不思議なもので、

誰かに秘密を打ち明けた途端、それを自慢したくなる生き物なのだと、この時私は初めて知った。

翌日、私はいつもよりも早く教室についた。まだ隣の席は空席で、誰も居ない。

「こんな時に限っておっそいんだから・・・もう」

私は一限目の講義の準備をして景が来るのをただひたすら待っていた。

どうしても聞いて欲しかったのだ、誰かに。今思い出しても思わず微笑んでしまうような可愛い祐巳の話を。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、夜遅くに携帯が鳴った。携帯を開くといつか撮った祐巳の写真。

付き合いだしてからまだ一週間も経ってない。だからそれが祐巳からの付き合いだしてから一番の電話だったのだ。

私は嬉しくて電話に急いで出た。すると電話の向こうに少しの沈黙が流れる。

「もしもし?」

『えっと!あの!!お、おやすみなさいっ!』

「・・・はあ?」

一瞬祐巳の言葉が理解出来なかった。まさかそんな些細な事で電話をしてくるとは思ってもみなかったのだ。

でも、その続きを早口で話し出した祐巳の声はほんの少し震えていて、それが何だか妙に可愛くて。

『で、ですから!おやすみなさいの・・・挨拶がしたくて・・・いけません・・・でした?』

「・・・・・・・・・・・・」

『・・・・・・あの・・・・・・・・』

「・・・あ、ご、ごめん。ちょっとビックリして・・・いや、嬉しい。凄く嬉しい。ありがとう、おやすみ」

『はいっ!おやすみなさいっ!』

たったそれだけの電話だった。ほんと、一分にも満たない短い電話。でも私にはそれで十分だった。

そっと目を閉じれば電話越しに顔を真赤にしている祐巳の顔が容易に想像する事が出来る。

それほど祐巳のドキドキが私にも伝わってきて、もう笑わずにはいられなかった。

ベッドに転がった私は天井を見上げて真っ直ぐに手を伸ばし、電球の丸い灯りを掴む。

「明日加東さんに聞いてもらおっと!」

祐巳はこんなにも可愛いのだ、と誰かに自慢したくてしたくて仕方なくて。

自分の中にこんな感情があったという事すら知らなくて。

胸の奥が熱いような痒いような不思議な気持ちがあるなんて事も知らずに・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ごほっ・・・おはよう・・・佐藤さん・・・」

「あ、おはよう!・・・どうしたの?何だか酷く・・・やつれた?」

景の顔を見て驚いた。いつもピンと張った背筋は今日はどこと無く猫背気味だし、

顔色も悪い。よくよく見れば何だか足取りもおぼつかないみたいだし、何故か涙目。

「それが、ちょっと風邪引いちゃったみたいで・・・ごほっ」

「大丈夫?昨日の雨にでもやられた?」

もう三月とは言え風はまだ冷たい。うっかり気を抜いたらすぐに風邪を引くのがこの季節。

景は身体をブルブル震わせながら鞄から講義の為の資料を出し始めるが、

その手すら震えていて見ているこっちがむしろ辛い。

私はそんな景の手を止め、全てを鞄にしまわせた。そして続いて自分の授業道具も片付ける。

「なに?なにしてんの・・・ごふっ・・・よ・・・」

「なにって、帰るの。こんなヨタヨタしてる人放っておけないでしょ?」

「でも佐藤さんまで休まなくても・・・」

「一人で帰れないでしょ?どうせ。それに、聞いて欲しい話もあるし」

それだけ言って私達は教室を後にした。道中何度か景が不満げに私を見上げては、

グチグチ言ってたけど、私はそれを全て無視する事にした。どうせ病人のいう事だ、気にしない方がいい。

ようやく景の家についた時には、景はかなりグッタリしててやっぱり早目に送って来て正解だったと、

私は安堵の溜息を落とした。何故なら景のおでこはかなり熱かったから。

「もう大丈夫よ、ありがと・・・ごふっ!!」

「何がもう大丈夫よ、全然大丈夫じゃないじゃない」

私はキッチンで熱いココアとコーヒーを入れ、ココアを寝ている景に手渡した。

ここでこうしてコーヒーを飲んでいると、あの日のことを思い出す。

祐巳が泣きながら私の元に走りよってきたあの日のことを。

あの日の私は既に祐巳が好きで好きで仕方なくて、今では祐巳の妹でもある瞳子を酷く憎んだ。

それでも今はこうして叶うはずのなかった想いが叶い、あの時の事をこうして懐かしんでる自分も居て・・・。

「ところで・・・さっきの話ってなんだったの?」

無言でココアを飲んでいた景が、突然ポツリと呟いた。

私はその質問に待ってました!とばかりに笑顔で振り返る。

「あ、ちょっと待って・・・やっぱり聞きたく無いんだけど・・・」

「まぁまぁ、そう言わずに。あのね、昨日ね、祐巳ちゃんがね・・・・・・・・・・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どれぐらい話しただろう。私はテーブルの上に置いてあった、

すっかり冷めたコーヒーを全て喉の奥に流し込んで一息ついて、景の顔を見てにっこりと笑った。

景はそんな私を見てお世辞にも楽しそうとは思えない作り笑いを返してくる。

「・・・それで終わり?」

「うん、これで全部。はぁ〜疲れた」

「そう・・・お疲れ様・・・」

げんなりとうな垂れる景は、何故かさっきよりもずっとやつれて見えた。

「何だか顔色悪いけど大丈夫?」

「・・・誰のせいかしらね・・・」

ポツリと呟いた言葉は明らかに私に向けられている。でも、私はそれでも楽しかった。

本当はきっと、祥子が祐巳を自慢してたみたいに、私も誰かに祐巳を自慢したかったのだ。

それも皆に、堂々と。今その念願がようやく叶った私は、もう誰にも止められやしなかった。

私はそれからさらに話し続けた。途中から聞こえてきた景の寝息に気づく事もなく。

気がつけば外はいつの間にか暗く、肌寒くなっていて、私は結局景のコートを借りて帰る事になった。

帰り間際、景がポツリと呟いた。

「もしかしてこのノロケは一生続くのかしら・・・」

「かもね。私が祐巳ちゃんを好きな限り、多分ずっと続くと思うから、加東さんはいつでも風邪引いていいよ」

「・・・二度とごめんよ」

切実そうな景の言葉に、思わず私は声を出して笑ってしまった。

確かに、差誰かのノロケ話なんて聞いてても楽しくないかもしれない。

でも、話したいんだから仕方ない。

「まぁ、学校に来ても聞かされると思うけどね」

「・・・・・・・・・・・・」

景はもう、それ以上何も言わなかった。多分覚悟を決めたんだろう。

私を送り出して部屋へ戻っていく背中が、いつものようにピンと伸びていたから。

「ありがとう、カトーさん」

『っくしゅん!!!』

私の声なんてきっともう聞こえないはずなのに、景の小さなクシャミが家の中から聞こえてくる。

それがおかしくてまた笑い出した私は、そのままゆっくりと坂を下った。

夕陽はとうに沈んで、月がそっと顔を出し始める。震えそうな下弦の月。

私は携帯を取り出して電話をかけた。

『はい、福沢です』

「もしもし、祐巳ちゃん?」

『・・・聖さま!?どうされたんですか?!』

「今ね、外見てる?」

『いいえ?どうしてです?』

「月がね、凄く綺麗だよ」

『そうなんですか?ちょっと待ってくださいね!・・・うわぁぁ・・・ほんとうだ・・・下弦の月ですねぇ』

嬉しそうな祐巳ちゃんの声を聞いて微笑んだ私は、もう一度空を見上げた。

同じ時間に同じ夜空を見上げ、同じ月を見る。何て贅沢な事なんだろう。

そして・・・なんて有意義な時間なんだろう。結局、私達はバスが来るまでずっと電話していた。

やっぱり誰と話してる時よりも祐巳と話してる時が一番楽しい。

「ねぇ、祐巳ちゃん。大好きだよ」

『私も・・・大好きですよ、聖さま・・・』

微かな声が月灯りの下に煌く。

そしてきっと、私は明日、この事を景に話すのだろう。景がうんざりするまでずっと・・・。





ねぇ、聞いて。私の話を。


ねぇ、聞いて。あの子の話を。


私の大切な、あの子の話を・・・。







自慢話はほどほどに。