大事だって、どうして言えるの?


大切だって、どうして思えるの?


何がそんな風に思わせるの?


他の皆と、どう違うの?


どこにも答えなんて無い。ただ、そう在りたいだけで。



苦笑いして江利子の後姿を見つめる蓉子の横顔が何だか置いてきぼりにされた子供みたいだった。

いや、現に置いてきぼりにされたのだ。蓉子は。

「江利子はやっぱり・・・江利子よね」

「全くだわ」

ポツリと呟いた言葉に蓉子が頷いた。

正直、私にはまだこの二人が何故今日ここへやってきたのかがよく分からない。

いつもいつも突然なのは三人とも同じだけど、

それにしたってまさかこんな風にやってくるとは・・・思ってなかった。

突然の風が私達の髪を揺らす。ふと見上げたら桜の葉がダンスを踊るように落ちてきた。

蓉子はその葉を拾ってクルクル回しながらチラリと私を見上げると、

何かを思い出すみたいに目を細める。

「ねぇ、聖。覚えてる?」

「何を?」

「私が前に言った事。いつか決着がついたらでいいから、悩んでる事を教えてって・・・言ったわよね?」

「ああ・・・そうだったっけね」

ふと視線を泳がせて記憶を辿る。そう、あれはまだ私達が卒業する前の話。

マリア様の前で立ち尽くしてた私に蓉子は言った。いつか話して欲しい、と。

あの時はまだ蓉子の気持ちなんて何も知らなくて、ただ鬱陶しいと思った私。

でも・・・蓉子は一体どんな気分だったんだろう。

あんな風に突き放した私の事を、私への想いを・・・どんな風にかき消そうとしてたんだろう。

いつもいつも隣に立っていてくれてた蓉子と江利子。一歩離れた所から様子を窺うような江利子とは違って、

蓉子はいつでも私の傍に居てくれてた。栞と別れたその時でさえ、クッキーまで焼いて私を待っていてくれてたのだ。

あれが友情ではなくて愛情だったんだともっと早く知っていれば、私達の関係は変わっていただろうか?

いや・・・どうだろう。祐巳ちゃんに出逢って、やっぱり祐巳ちゃんを好きになってたんじゃないのかな、私は。

そしてきっと蓉子をもっともっと傷つけたに違いない。

私にずっと足りなかったものを持っていたのは、祐巳ちゃんだったから・・・。

誰かに守られるばかりじゃなくて、守りたいという気持ちを教えてくれたのは・・・祐巳ちゃんだったから。

私はほんの少し首を傾げて蓉子を真っ直ぐに見詰めた。蓉子はそれに気付いてバツが悪そうに俯く。

「聞きたいの?本当に?」

「べ、別に私は・・・」

煮え切らない態度の蓉子。もしも私が蓉子の立場なら、もう何も聞きたくない。

どうせ自分の手に入らないのなら、それ以上の事を聞きたいとはもう思わない。

「じゃ、止めとく?」

私の言葉に蓉子はパッと顔を挙げて小さく首を横に振った。

ほんの少し瞳が潤んで見えるのは、きっと光のせいじゃない。

蓉子は今、ここに居る事すら本当はまだ辛いんだ。私達はやっぱりまだ親友には・・・戻れてないんだ。

私は大きなため息を落とした。何から話せばいいのか、それを考えるために。

「嫌なら・・・いいのよ?」

「嫌って訳じゃないよ、ただ・・・どこから話せばいいかと思って」

祐巳ちゃんに抱いた気持ちを、一体どこから話せばいい?私にとってこれが最後の恋だと決めた日から、

もう随分と経つ。その間ずっと一人で誰にも相談なんて出来ないままここまで来たけど、

この一年半をどうやって蓉子に伝えればいい?それを伝えた事で蓉子がきっと傷つくって事ぐらい分かってるのに。

落ち葉が一枚、二枚、と私達の間を横切っては落ちてゆく。

それはまるで私の送った一年半のように切ない。

視線を落とした私を心配するみたいに蓉子が桜の木の根元に座り込んだ。

そしてそっと自分の隣を叩く。私はそれに習って蓉子の隣に腰を下ろして真っ青な空を見上げた。

「何が聞きたいの?」

「何が・・・難しいわね、その質問は」

そう言って苦笑いを浮かべる蓉子の顔にはまだ決めかねているような表情が浮かんでる。

聞こうか、どうしようか、そんな顔。そしてそんな蓉子の顔を見て思い出した。

私はよくこの顔を知ってるという事を。蓉子はいつもこんな風に私を見ていたんだっけ。

そしていつも、結局は何も聞かない。何かを我慢してるみたいに唇を結ぶんだ・・・そう、まるで今みたいに。

「何でも答えるよ、今なら」

私の言葉に蓉子の表情が歪んだ。泣き出す一歩手前の顔、と言った方が正しいかもしれない。

一瞬チラリとこちらを見た蓉子だったけど、すぐに私から視線を外して俯いてしまった。

「もう・・・答えは出てるんだ」

「何の?」

「だから、好きな人にもう・・・言ったのね?」

「蓉子?」

掠れて消え入りそうな言葉・・・隣を見ても髪がちょうど邪魔をしてその表情は読めない。

ただ風が時々髪を揺らしていくだけで。これ以上伝えてもいいんだろうか。

それともこのままそっとしておいた方がいいんだろうか。もうそんな事も分からない。

聞かれたら答えたい。出来るだけちゃんと。

でも、それを伝える事によって蓉子はどうなってしまうんだろう?

私はそれが怖かった。もう二度と蓉子は私を見てはくれなくなるかもしれない。

そう思うと・・・寂しくて仕方がなかった・・・。

何かを話すことで壊れてしまうような、か細い関係ではないとは言い切れないし、

現に今私達の関係は壊れかかってる。それは痛いほどよく分かってる。

蓉子はゆっくりと顔を挙げた。睨むみたいな涙目を私に向けて。

「じゃあ・・・いいわ。聖は誰が好きなの?はっきりと聞かせて欲しいの。

でないと私、いつまでもこのまんまだわ。そんなの・・・嫌・・・」

蓉子はきっぱりと言った。最後の言葉ももう震えてなんてなかった。

ただ私を睨みつけて私の言葉を聞きたがってる。私はそんな蓉子を見て息を吸い込んだ。

もしも私の答えで蓉子との縁が切れても、私は嘘はつきたくない。特に祐巳ちゃんのことでは。

「私の好きな人・・・いつか言ったかな。蓉子のよく知ってる人だよ、って。

それは覚えてる?」

「ええ、覚えてるわ。あの時、私は一瞬祥子かと思ったのよ・・・でも・・・」

「惜しいね。でも違う。私が好きなのは・・・」

私はもう一度息を深く吸った。もしも今、どこかで祐巳ちゃんが私を想ってくれてるとしたら、

私はもう泣かないですむ。私はきっと、強くなれる。例えそのせいで大事な親友を一人失ったとしても。

「好きなのは・・・?」

「祐巳ちゃんよ、蓉子。私が好きなのは・・・祐巳ちゃん。納得でしょ?」

「祐巳・・・ちゃん?」

冗談交じりに笑って頷いた私。笑わない蓉子。これ以上、もう何も伝える事なんて無い。

もう何も私は隠してなどいない。それでも蓉子の視線は私を刺すよう。

私はそんな蓉子から視線を逸らして空を見上げて続けた。

「そう、祐巳ちゃん。いつからだったかなんてもう覚えてないけど、気付いたら祐巳ちゃんばっか目で追ってた。

あの子頼りないじゃない。しっかりしてるんだけど、どっか抜けてて・・・それが私には可愛かった。

守りたいって・・・本気で思ったのよ」

「そんな・・・だって、祐巳ちゃんは栞さんとは随分・・・その・・・違うじゃない」

「そう。全然違う。だから私も初めは自分の気持ちに気づかなかった。でも・・・」

「でも・・・?」

蓉子が私の顔を覗き込んだ。揺れた瞳に私が映る。

「でも、祐巳ちゃんしか居ないって思うんだ、私にこんな気持ちを味あわせるのなんて」

そう・・・祐巳ちゃんしか居ない。こんなにも苦しくて切なくて、幸せだと思えるのは。

愛しくて愛しくて仕方ないって、そんな風に思えるのは・・・。

「笑ってるの?ねぇ・・・そんなにも祐巳ちゃんが・・・大事だったの?」

蓉子に言われるまで私は自分が笑ってる事に気付かなかった。どうして笑えるんだろう。

苦しいはずなのに、辛いはずなのに、どうしてこんなにも暖かいんだろう。でも・・・何故か涙が溢れる。

「大事だよ。だからいつでも駆けつけたかったのよ、あの子が困った時や寂しい時は。

私はただちょっかいかけてた訳じゃない。あれは・・・最大限の私の愛情だった・・・」

零れ落ちた涙が抱えた膝の上に落ちた。それを見た蓉子が慌ててハンカチを貸してくれたけど、

祥子と祐巳ちゃんとおそろいのハンカチを私は受け取る事が出来なくて・・・。

涙は次から次へと膝に落ちては消える。後には小さなシミが残るだけで。

ハンカチを受け取らない私に愛想をつかしたのか、それとも諦めたのか、

蓉子はハンカチを仕舞ってそっと私の髪を撫でてくれた。まるであの時のように。

栞に振られた日、あの時こうして私を抱いてくれたのはお姉さまだったけど、

今は蓉子が抱いてくれている。私の事を好きだと言った、あの蓉子が。

蓉子がどんな思いで私を慰めてくれてるのか、それは私には想像もつかなかった。

ただ言えるのは、私は最低だという事。

蓉子の気持ちを知っていながらこんな風に好きな人の話をして慰めてもらうだなんて・・・。

「ごめん・・・大丈夫。大丈夫だから・・・ありがとう」

そっと蓉子から体を離そうとした私を蓉子は放さなかった。

ただ黙ったまま私の肩を抱いて、ずっとずっと震えていた・・・。

ようやく泣き止んだ頃、蓉子の震えも収まって私達はお互いの顔を見合わせて思わず苦笑いを浮かべると、

立ち上がった。

「一つ聞いていい?さっきどうして泣いたの?今・・・幸せなんでしょ?だから笑ったんでしょう?」

「幸せかどうかは分かんないよ。それに後悔してないとは・・・言い切れない」

「どうして?もう伝えたんでしょ?」

「うん。それが間違いだったかもしれないな、ってそう思うんだ」

「間違い?」

「そう、間違い。だって、そのせいで私達一年間逢えないんだもん」

祐巳ちゃんとあの日したキスを忘れた事なんてただの一度も無い。きっとこの先もずっと。

想いが通じ合ってるのに、私はまた置き去りにされた気分だった事も。

二度目の別れ未来があるかもしれないのに、どうしてもその未来を信じる事が出来なくて。

それならいっそ、蓉子じゃないけど黙ってた方がマシだった。

ずっとずっと傍に居られるなら、その方が幸せだったかもしれないとも思う。

ただそうしたらきっと、私は願っただろう。祐巳ちゃんが誰のものにもなってしまわないように、と。

どうか祐巳ちゃんの特別な存在で居られますように、と。例えそれがただの友達だったとしても。

私の言葉に蓉子は苦く笑った。

「それがさっき言ってた賭け?」

「そう。告白したら一年考えさせてくれって言われたの。でも、それで良かったと思う。

でなきゃ、私はまた近づきすぎて祐巳ちゃんを壊すだろうから・・・だから・・・」

私は何も諦めてない。いつか沢山の祐巳ちゃんの思い出の中に、その隣にずっと居られたらって思う。

でも、それが現実になるかどうかは分からない。この半年の間、私の想いは随分揺れた。

一度ぐらいもう祐巳ちゃんを忘れようとも思った。

でも忘れられなかった。忘れられる訳がなかった・・・。

そんな私をしばらく見てた蓉子は、やがて小さく笑った。困ったように。

「馬鹿ね、聖は」

「私もそう思う」

「博打好きなの?」

「どうかな」

腕を伸ばして私の頭を撫でる蓉子は、まるでお姉さまのようだった。

いつもいつもこんな私を支えてくれていたのは、お姉さまだけではなかった。

そんな事とっくの昔に気づいてたけど、今更な気がしていつもいつも言えなくて・・・。

私は蓉子の目を真っ直ぐに見つめ、頭を下げた。

「蓉子、ありがとう。こんな私の傍にいつも居てくれて・・・本当に、ありがとう・・・」

こんな風に改まって頭を下げてお礼を言うなんて、全然私らしくない。

でも、どうしても伝えたかった。やっぱり、私には蓉子が必要なんだ。

蓉子がそれを望まなくても、江利子が言うみたいに私達は三人でいつまでも親友で居たい。

そんな私に蓉子が言った。か細い、囁くような声で。

「顔挙げて、聖。私、時間はかかると思う。あなたの事、きっとすぐには友人としては見られないと思う。

でもね、それよりももっと辛いのは、傍に居られなくなる事。

本当はね、逃げたかったの。聖から・・・ずっと。でも、実際逃げてみてもダメなのよね。

忘れるなんて出来ないし、ましてや離れるなんて・・・出来ないんだわ」

「・・・うん・・・」

蓉子の言葉は私の胸にしっかり焼き付いた。逃げるとか離れるなんて、きっと私にも出来ない。

どんな出会いも別れがあると言うけれど、その別れは別に今でなくてもいいはず。

俯いた蓉子に触れようとすると、蓉子は顔を挙げて結んでいた口を開いた。

「はっきり言うわ。私、まさか聖が祐巳ちゃんを好きだなんて考えた事も無かった。

ショックじゃないって言ったら嘘になる。でもはっきり聞けて良かった。

聖の気持ちが知れて私は素直に嬉しい。今はもう私の想いなんて届かないって知ってる。

でも・・・やっぱりまだどこかで未練はあるの。だから・・・あなたの事を手放しに応援する事は出来ない。

いくら表面で頑張ってって言えても、きっと心の中ではそれを望んでないって知ってるから。

だから応援は・・・しない。ただ、聖には幸せになって欲しい。

その隣に誰が居ても、あなたが笑っていられるのなら・・・それでいい」

蓉子の瞳から涙が一筋流れた。音も無く静かに流れる涙を、私は無視した。

落ちてゆく落ち葉のように静かに土に還ればいい。そう思ったから。

「蓉子、私・・・」

蓉子に一歩近づいて蓉子に触れようとした時、それを蓉子が遮った。

「待って。お願いだから私を慰めたり謝ったりしないで。別に聖が悪い訳じゃないんだから。

それに私は惨めでもない。だからどうか・・・お願いよ、これ以上私を泣かさないで」

「・・・分かった」

私は蓉子の言うとおり、一歩離れた。行き場の無い手の平に落ち葉が落ちてくる。

私はそれを握りつぶしてそっと目を閉じた。人を好きになって、誰かを傷つけて。

それが恋愛?もしそうだとしたら、私はこの先どうやって償えばいい?

蓉子の言うように私が幸せになればそれでいいの?いいや、違う。

出来るなら元に戻るのが一番いい。忘れる訳じゃないけど、皆で幸せになるのが一番いいに決まってる。

それを蓉子に伝えようとした所に、誰かが落ち葉を踏む音が聞こえて振り返ると・・・。

「やだ、蓉子泣いてるの!?聖も目の上ちょっと赤いし・・・。

ちょっとちょっと、そりゃ話し合いはしろって言ったけど、

まさかあんた達殴り合いなんてしてた訳じゃないでしょうね?」

江利子だった。あまりにも私達が遅いから待ちきれずにやってきたのだろう。

私達の酷い顔を見てそんな事言う江利子。

「そうね、一発ぐらい聖を殴っておけば良かったかしら」

「「えっ!?」」

「バカね、冗談に決まってるでしょ」

今の状況でこんな冗談を言う蓉子の言葉は、あまり洒落にならない。

私は江利子と顔を見合わせて苦笑いすると冗談には聞こえない冗談を聞き流す事にした。

「さて、仲直りもすんだ事だし・・・どっか行く?三人で」

江利子は歩き出してた足を止めてクルリと振り返った。

そんな江利子の言葉に私は蓉子と顔を見合わせて頷く。

「いいわよ」

「いいよ。どこ行く?」

「三人なら別にどこでも」

江利子はそう言ってまた歩き出した。残された私達はそんな江利子の後姿を追いながらポツリと呟く。

「「それもそうね」」

三人ならどこへでも行ける。どこまででも行ける。

例えばこの先、三人とも別々の道に進んだとしても、いつでも私達は繋がる事が出来る。

だって、私達の道はいつも一つに繋がってたんだから。そう、今もずっと・・・。




この先、何があっても独りきりにはならない。


どんなに寂しくても、どんなに苦しくても、


いつでも繋がる所に君たちが居てくれるから。


だから私は、いつでも一人になれたんだ。


安心して寂しさを味わう事が出来たんだ。

























親友  後編