昔は私、こんなに弱くなかった。
昔は私、こんなに泣かなかった。
昔は私、何でも知ってた。
昔は私、何でも分かってた。
昔は私、何でも知ってるつもりで・・・いた。
ほんとは何も知らないのに。ほんとは全然強くないのに。
こうして蓉子と並んで歩くのは、多分そんなに前じゃない。でも、あの日とは違う。
だって、蓉子は泣いてない。かといって笑ってもいないけど。
大人になるってどういうことだろうってずっとずっと考えてたけど、いざ高校を卒業して大学生になっても、
未だにその答えは出ない。小さい頃に思い描いてた自分の未来なんて、何一つ叶えられていないような気もする。
じゃあ高校の時に三人で語った夢の話はどうだろう。それもやっぱり叶えられていないような気がする。
結局、私達は何を目標にしていたのか、それすらも分からなくなってしまう事があって、
そんな時に思い出すのが蓉子と聖で・・・。私は隣を歩く蓉子をチラリと見た。
「蓉子は夢、叶えられそう?」
私の質問に蓉子は小さく笑った。
「さあ、どうかしら。勉強は面白いしやりたい事のために頑張ってるんだ、って思えば楽しいんだけど、
時間が無さすぎるって思う事はあるわね。ふと我に返って未来を見つめたら不安になることもあるし・・・」
「そうよね。やっぱり蓉子でもそうなんだもの・・・そう思わない訳ないわよね」
「あら、珍しい。江利子が弱音を言うなんて」
私はその言葉に笑った。だって、私だってそりゃ不安になることだってある。
未来なんて見えない。5年先自分が何してるかなんて想像もつかないし、
それどころか明日でさえ怖くなる事もある。
「あの頃は怖いものなんて何も無かったような気がするのに・・・不思議ね。
今はどんどん思い出になろうとしてる。色んな事が・・・そしていつか忘れるんだわ」
「それが・・・大人になるって事なんじゃない?」
「そうかしら。でもそうだとしたら・・・あまりにも寂しいわ」
何かに怯えて二の足を踏むのが、新しい生活の為に過去を思い出にする事が大人になるという事なら、
私はまだ当分子供のままでいい。ああ、そうだ。私達はよくこんな話をしていたんだ。5年後とか、10年後とか、
そんな話をいつまでも話していた。そこに恋愛の話が絡んでくることなんて無かった。
どうしてだろう?リリアンという環境が特殊だったから?いいや、違う。
私達はあえてその話題を挙げなかったのだ。誰も恋や愛の話なんてしたがらなかった。
私達三人は皆全く違うように見えるけど、本当は・・・根っこの所はよく似てる。
私も、蓉子も、聖も、自分で決めた事は決して諦めたりしない。
それがどんなに長くて険しい道でも、いつも一人で立っていたのだ。
親友だけど、頼らない。それが私達の最善の距離で、それを破ろうとは誰もしなかった。
恋愛は私達にとって全てじゃない。自分の道があってその脇についてくるのが恋愛。
少なくとも私はそう、思ってる。だから誰かに合わせようとは思わないし、
お互いが理解しあえるのが一番だと、そう思ってる。
そんな私に蓉子がポツリと言った。目の前にはもうリリアンの校舎が見え始めている。
「私も・・・もう少し子供で居たいかも。聖の事・・・無かった事には・・・したくないもの」
「そうね。忘れる事なんて出来ないと思うけどね」
私の言葉に蓉子が苦く笑った。
「やっぱりそう思う?」
「ええ」
私達は立ち止まった。あの頃この門をくぐるのが毎朝の日課で、一日の始まりだった。
まだ思い出にしてしまうには新しすぎる記憶。隣で蓉子が深呼吸をする。
「懐かしいわ」
「そうね」
蓉子の言葉には多分色んな意味が込められていたんだと思う。
それでも私は上辺の部分だけを聞くようにしていた。
だって、その奥はきっと蓉子の大事な場所だと思ったから。
懐かしい銀杏並木を抜けて蓉子はまっすぐ大学の校舎に向ってゆく。
さっきとは反対に今度は私が蓉子の後をついて行った。大学の校舎の前まで来た時、
私は携帯電話を取り出し、さっそく聖にメールを送ってみた。
驚いた事に聖の返信はあまりにも早く、思わず私と蓉子は顔を見合わせて笑ってしまう。
「聖、なんですって?」
「後五分で講義が終わるから、喫茶室で待っててくれって」
「聖が講義か・・・何だか変な感じ」
「蓉子ってば・・・」
それは聖に失礼だろう。そう思ったけど私は黙っておいた。
そして大人しく蓉子について喫茶室に向う。そういえば、リリアン大学の喫茶室に入るのは初めてだ。
それを蓉子に言うと、蓉子も笑って頷く。
「憧れだったわよね、喫茶室。でも制服じゃどうも入りにくくて」
「そうそう。大学のお姉さん達が妙に大人に見えたりとかしてね」
喫茶室についた私達は一番奥の出来るだけ目立たない席を選んで腰を下ろした。
辺りをキョロキョロする私を見て、蓉子は苦く笑ってそれを止める。
その時、私の携帯が鳴った。私が携帯に出ると、久しぶりの聖の声。
『どこよ?』
「どこよって・・・ちゃんと喫茶室にいるわ」
『えー?ああ、居た居た』
電話はそこでプツンと切れた。振り返ると向こうから聖がゆっくりとやってくる。
こんな時でも絶対に嬉しそうな顔したり、ちょっとでも走ったりしないのが聖。
何だかそれに気付いて妙に安心してしまった。ほんのちょっとした事なのに。
それはきっと蓉子も同じだったのだろう。隣で苦い顔して笑っていたから。
「久しぶり、蓉子、江利子」
「久しぶり。元気だった?」
聖は私の言葉に蓉子をチラリと見てバツが悪そうに笑った。
私と蓉子の向かいに座って、手元のメニューを丸めている。
それに気付いた蓉子が聖の手を軽く叩くと、わざと怖い顔を作って言った。
「行儀が悪い!」
「・・・ごめんなさい」
二人のやり取りはとても自然だった。何の違和感も無いように思えた。
でも内心二人がどんな風に思ってるかなんて事、私には分からない。
いや、ほんと言うと分かりたくない。私達はあの頃と何も変わってない。そう信じていたかった。
「で、どうしたの、突然」
「特に用事は無いの。ただ聖に会いに来ただけ。ね、蓉子?」
私の言葉にコクリと頷く蓉子。それを聞いた聖は首を傾げる。
「なにそれ、へんなの」
「そう?いいじゃない。親友に会いに来るのにわざわざ理由なんているかしら?」
「親友・・・ね」
聖は私達を交互に見て、もう一度蓉子を見て小さく笑った。
蓉子は聖の意味深な笑顔に気付いてパッと顔を逸らす。そんな二人を見て私は何だか悲しくなった。
ああ、やっぱり時間は流れるものなのだ。
私の知らない聖、私の知らない蓉子。そして二人の知らない私。
あの頃三人で見てた景色はもう二度と見られないのかもしれない。
卒業するという事は、ただ学校を卒業するってだけの話じゃないのかもしれない。
とてもとても大切な何かを私達はあの校舎に置いてきてしまったんだ。
今、無性にそんな風に思えた。聖は一旦荷物を取りに戻ると言って、席を抜けた。
待っていた私達に気付いたリリアンに進んだ同級生が時々声をかけてくれる。
「私達、いつまで薔薇様なのかしらね」
「さあねぇ・・・もしかしたら一生そうなのかも」
「それは少し嫌ね」
「嫌だけど、しょうがない」
突然の声に振り返ると、荷物を抱えて苦笑いを浮かべた聖がそこに立っていた。
「聖も未だに白薔薇様?」
「そうよ。最近は少しづつ減ってはきたけど、たまにバス停とかで高等部の子達に声かけられる時は大概そう」
「それはなかなか大変ね」
「ま、しょうがないね。そう思って私はもう諦める事にした」
肩をすくめて笑う聖は、いつかの聖みたいに何か隠してるように見える。
私は聖の鼻先までやってきて聖の顔を覗き込んで首を傾げた。
「聖・・・何を待ってるの?」
「・・・は?」
「ちょ、江利子、突然何言って・・・」
私を止めようとする蓉子の腕をそっと振り払った私は、ほんの少し視線を泳がせた聖を見逃さなかった。
言っちゃなんだけど、私はこういうのを絶対に見逃さない。昔から。少しでも面白そうなら、尚の事。
私の言葉に聖は諦めたように両手を軽く挙げて、顎で喫茶室の出口を示す。
どうやら外で話そうって事らしい。私と蓉子はお互いの顔を見合わせて聖の後についてゆく。
行き着いた先は、あの銀杏の中に一本だけ咲く桜の木の下。
聖はその桜の幹を愛しそうに撫でながら、桜を見上げて微笑む。
「ある人とね、賭けをしたの。その賭けに勝てば、私にはもったいないぐらいのモノが手に入る」
「・・・負けたら?」
続きを急ぐ私とは対照的に蓉子はさっきからずっと黙り込んだまま。
多分聖もそれに気付いたのだろう。桜の木から一歩離れて、哀しそうに微笑んだ。
「そうね・・・負けたら・・・どうなるのかな、私は。分かんないよ」
「なにそれ・・・一体何賭けたのよ?」
「それは内緒。いつかは話すかもしれないけど、今はまだ話したくないの」
「聖は秘密主義ね」
「江利子もね」
笑う私達。でも、笑わない蓉子。私はそんな蓉子の背中を軽く押した。
すると蓉子はその反動で聖の胸元にヨロリとよろけて、結果聖に抱きつく形になってしまう。
それに焦ったのは蓉子よりも聖だった。目をまん丸にして蓉子を抱きしめたまま固まってる。
「蓉子はその賭け、聞く権利あるんじゃないの?」
「「え・・・?」」
「私はしばらく向こうに行ってるから」
「ちょ、江利子!?」
「そ、そんないいわよ!!」
聖と蓉子は歩き出した私の後を追ってくる。でも私は振り返らなかった。
ピタリと立ち止まって大きな声で言う。
「私は!またあの頃の三人に戻りたいの!あなた達の関係がどうなったのかなんて知らない。
蓉子が辛いのも、聖が言いたくないのも分かる。でも、じゃあ私の気持ちはどうなるの?
二人がこのまま疎遠になるならそれでもいい。私はどちらとも親友で居られる。
でもあなた達がギクシャクしてる中でいつまでも居るのは嫌よ、私」
それだけ言って私は歩きだした。私達は親友。それはこの先もずっと変わらない。
でも、三人で居られるかどうかは・・・分からない。だから余計にちゃんと話し合って欲しかった。
だって私・・・。
「あなた達の事、本当に大切なのよ・・・」
学校でいくら勉強したって手に入らないモノ。作ろうと思ってもなかなか出来ないモノ。
私の自慢は、その二つともを持ってるって事。
蓉子と聖という・・・何よりも大事な親友が居るという事だから。
大事だって、どうして言えるの?
大切だって、どうして思えるの?
何がそんな風に思わせるの?
他の皆と、どう違うの?
どこにも答えなんて無い。ただ、そう在りたいだけで。