いつでも三人で。いつまでも三人で。
誓った訳じゃない。祈った訳じゃない。ただ漠然と、そう・・・感じていただけ。
私はいつも通りの道を歩いていたつもりだった。大学への道のりを。
朝早くに家を出て、いつもと変わらない気持ちでバスに乗った。
何となく足が向いた。そういう感じじゃない。かと言って別に用事があった訳でもない。
気がつけばここに居た、というのが正しいかもしれない。私は今、リリアンの前に・・・居る。
「変わらないわね」
ここで待っていればいつか彼女に会えるだろうか?一瞬そんな考えが脳裏を過ぎる。
けれど、私はその考えを改めて元来た道を歩き出した。待っていても、あの人は振り向いてはくれない。
痛いほど知ってるはずなのに、それでもまだ心のどこかで私を必要としてくれているような気がして。
好きだと告げて断られたのはもう大分前のような気がする。いや、実際あれから結構時間は経過してて、
いい加減自分でも諦めればいいのに、と時々思うほどなのに、
それでも未だに痛むこの胸はどうしてこんなにも情けないのだろう。
声が聞きたくて電話を握り締めても結局電話は出来ない。顔が見たくてアルバムを引っ張り出しても、
開くことが出来ない。いつまでこうやって私はたった一人の人間に心を奪われたままでいればいいのか。
私はあの公園に辿り着いた。聖に振られたあの公園だ。あの日、聖にここでココアを奢ったっけ。
でもそれを聖が飲み干す事はなかった。まるで受け入れられる事の無かった私の心のように。
「ほらね・・・こうやってまた思い出すんだわ・・・」
私はブランコを子供みたいにがむしゃらにこいだ。
スカートがまくれ上がったって、髪が乱れたってもうどうでもいい。
こうやって風を切って鳥みたいにどこまでも飛び上がれたらどんなに自由だろう。
何もかも忘れて、聖を知らなかった頃に戻れたらどんなに楽だろう。
まだ午前中だから公園には誰も居ない。子供も、大人も、誰も・・・居ない。
私だけが世界から切り離されてしまったみたいに独りブランコなんて思い切りこいでて、
それを誰にも咎められる事もない。大学生は自由だ。中学や高校に比べれば全然自由。
でも・・・私には何か足りないように感じてしまう。その答えは・・・何となく分かっていた。
私はその答えを見つけて、まだ高くまで舞い上がったままのブランコから勢い良く飛び降りて着地してみせた。
「江利子!」
私の呼びかけに振り向いた江利子はいつもよりも幾分にこやかだ。
江利子はほんの少し歩調を速めてこちらにやってくる。手には・・・お菓子。
「今目の端で誰かがブランコから飛び降りたのは見えたけど・・・まさか蓉子だったなんて」
江利子はマジマジと私を上から下まで怪訝そうに眺めて、ようやくにっこりと笑って言った。
「久しぶり、元気だった?」
「ええ。この通り、元気よ。江利子は?」
「私も元気。ところで・・・こんな所で何してるの?」
江利子は何かを探るみたいに私を覗き込む。多分、答えは知ってるのだろう。
でもあえて聞いた。実に江利子らしい。
私は質問には答えず苦く笑って公園の中をブラブラと歩き始めた。
その後を無言でついてくる江利子。たまに江利子が蹴った石ころが私の脇を通り抜けてゆく。
私は転がってゆく石ころを見つめながら何を話そうか考えていた。
久しぶりに会った親友。ほんの少し髪が伸びて印象がちょっとだけ変わった。
でもあのつまらなさそうな顔とかヘアーバンドは変わらない。
半年とちょっとのブランクは短かったようで長い。それはきっと江利子も感じているだろう。
学校が変われば友人が変わる。江利子を親友だと今でも思ってるけど、
周りの環境は確実に変わってしまった。かと言って思い出話や近況報告なんて話したい訳じゃない。
ただあの頃に、あの時のように話したかった。
しばらくして江利子が立ち止まったのは、自販機の前だった。
「何か買うの?」
「ええ。蓉子は何がいい?」
江利子にそう聞かれて私は何も考えずにブラックコーヒーを選んだ。
それを聞いて苦い顔する江利子。私は江利子のその顔を見てから、ようやくハッと息を飲んだ。
無言の私に呆れたような江利子。ブラックコーヒーがガランと音を立てて落ちてくる。
「どうぞ?」
「あ、ありが・・・とう」
「どういたしまして。ただ飲みたかったのよね?ブラックが」
「・・・・・・・」
ええ、とは言い切れなくて私はお茶を濁した。まだ聖の事を引きずってるだなんて言ったら、
何て言われるか分かったもんじゃない。私はコーヒーの缶を乱暴に開けて一気に飲み干した。
もう一度ブランコまで戻ってきた私達は、今度はゆっくりブランコをこいだ。
「で、どうしてこんな所でブランコなんてこいでたの?」
「そうね・・・どうしてかしらね・・・」
理由なんて自分でも分からない。朝確かに大学行きのバスに乗ったはずなのに、
どうしてここまで来てしまったのか。漠然とした理由だけど何も話さないよりはマシ。
そう思った私がそれをそのまま江利子に伝えると、江利子は声を出して笑う。
「なるほど!だったらそれはきっと、私に会う為ね」
「江利子に?どうして?」
「だって、それ以外に考えられる理由が見当たらないから」
キッパリとそう言い切った江利子の言葉には妙に説得力があった。
まるで本当にそれ以外の答えなど存在しないんじゃないかって思えるほどの威力が。
地面から足が離れてゆく。私は体を後ろに倒して空を見上げた。
目を閉じるとまるで波に揺られてるようなそんな気分になる。
「そんな事して酔わない?」
「いいえ。気持ちいいわ」
「そう・・・私は酔うわ、多分」
私はその言葉に慌ててブランコを止めた。
驚いて江利子を見ると、江利子は江利子で不思議な顔して私を見てる。
「江利子って・・・こういうので酔う方だっけ?」
親友の知らない所を一つ発見。何だかそれが酷く寂しい。
でも江利子は首を振って恥ずかしそうに笑う。
「そう言う訳じゃないんだけど・・・最近苦手なのよね」
「そう・・・なんだ。歳かしら?」
「失礼ね。私はまだ10代よ」
ムキになって唇を尖らせる江利子を見て思わず笑ってしまった。
「でも色々と失くしてってるような気はするわ」
突然、江利子が真顔になって言った。こんな事を江利子が言い出すのは珍しい。
持っていた空の缶ジュースを投げてゴミ箱に投げ入れる江利子の横顔がとても寂しそうに見えた。
「江利子・・・なにかあったの?」
「別に、何かあった訳じゃないのよ。ただ・・・なんていうか、ふとね、思い出すのよね。
私と蓉子と聖で居た頃の事を。大学では大学の生活があって、
それで変わらなきゃいけないのも分かってるんだけど、たまに・・・思い出すのよ。
私、ここで何してるんだろうなーって。そんな事って蓉子はない?」
私は何も言えずにいた。正に今、私はそう思ってこの公園に居たのだから。
「そうよね・・・やっぱりそんな事考えちゃうわよね・・・」
今の生活が楽しくない訳じゃない。充実もしてる。したい事も出来るし、勉強だって楽しい。
友達だって出来て、十分に楽しいはず。それでも、それでも何か足りない。
充実して満タンなはずの心の中に何かポカンと開いた穴がある。
その穴は何を詰めても埋まらなくて、でも広がって行く訳でもなくて。
ただ決して・・・埋まらない。そんな穴。
「ねぇ江利子、私・・・まだ聖を引きずってると思う?」
江利子はほんの少し首を傾げると、私の顔をみてさらに首を傾げる。
「そんな事私に聞かれても分からないわ。どうして?」
「いえね、今江利子が言ったように私の中にもそういうのがあって、
もしかしたらそれは聖の事なのかなと思って・・・どう思う?」
そりゃ全く引きずってないと言えば嘘になる。実際江利子が来るまでは聖の事を考えていたのだから。
でもそれだけじゃ無いような気も・・・する。
「私達が今日たまたまここで会ったのはどうしてだと思う?」
江利子はいつも突然謎かけみたいに話をしだす。
私と聖は、だからいつもそんな江利子を放っておいた。放っておけば勝手に解決してしまうから。
でも今日はそういう訳にはいかなかった。だって、ここには聖が居ない。
明らかに江利子は私に話している。だから私は答えを出そうとした。
江利子が納得するような答えを。でもいくら考えても何も思い浮かばない。
「降参よ。分からないわ。ただの偶然なんじゃないの?」
「そう。実を言うと私にも分からない。だからそれを確かめに行きましょ、今から」
江利子が立ち上がって私の手を取った。反動で私もブランコから飛び降りて立ち上がってしまう。
「ちょ、確かめるって・・・一体なにを?」
「この不可解な気持ちを」
「どうやって?」
「どうにかして!」
江利子の目が猫みたいにキラリと光った。こんな目をする江利子はもう何を言っても聞かない。
私はそれを嫌と言うほどよく知ってる。だから大人しく従うことにした。
江利子の隣に立って、真っ直ぐ前を見て。公園を出た江利子は私がさっき通った道を辿り出す。
行き先が何となく読めた私が江利子の歩幅から少しづつズレる。
「ほら、しゃんとしなさい!元・紅薔薇さまでしょ?」
ロサ・キネンシス。その言葉に私は背筋をピンと伸ばした。
そうだ。私はいつも・・・こうやって歩いていた。こうやって・・・三人で・・・。
江利子の隣を見て、何だか泣きたくなった。一人足りない。それだけなのに。
昔と違う。それだけなのに。
昔は私、こんなに弱くなかった。
昔は私、こんなに泣かなかった。
昔は私、何でも知ってた。
昔は私、何でも分かってた。
昔は私、何でも知ってるつもりで・・・いた。
ほんとは何も知らないのに。ほんとは全然強くないのに。