私達は何か変わっただろうか。何も変わらないだろうか。


二年前、リリアンに入学した時はまさか自分が薔薇さまという立場になるなんて思ってもみなかった。

それどころか、自分が誰かの妹になってそして自分にも妹が出来るだなんて事、

誰に予想できたというのだろう。少なくとも、私には出来なかった。

祥子さまという素敵な人に出会って、そして山百合会のメンバーになるだなんて事。

毎日がずっとずっと楽しかったか、と聞かれたら、それはそうじゃなかった。

毎日を大切に生きれば生きるほど、日々が辛くなる事も沢山あって・・・。

泣いて過ごした日や笑って過ごした日は、多分どちらも同じぐらいだったと、今は素直にそう思える。

親友二人と最近、やっとゆっくりと話をした。色んな所を見て回りながら。

私と由乃さんがお姉さまを見送るという悲しみや辛さから、ようやく抜け出すことが出来たからだ。

「もうそろそろ冬ね」

「ほんと。そろそろ冬服出さなきゃだね」

志摩子さんの言葉に、私はそう返した。それに頷いた由乃さんは、大きな目を空に向けて眩しそうに太陽を遮る。

「あー!今日も天気いいなぁ!」

う〜ん、と両腕を天高く伸ばして、由乃さんが満足げに微笑んだ。

あれほど泣いて過ごしたのがもう半年も前の事。お姉さまは泣きじゃくる私を抱きしめて言った。

『祐巳、先に・・・行くわね』

と。私はその言葉に頷く事しか出来ず、ずっと考えていた挨拶も出来ないままお姉さまを送り出してしまった。

卒業証書を胸に抱えて門をくぐって行ってしまうお姉さまの後を追うことも出来ず、

お姉さま、と声を掛けることも出来ず。胸の中でただ呟いていた。

お姉さまに会えたから私の人生に色がついたんです、と。別にそれまでの人生がモノクロだった訳じゃないけど、

日々平凡に暮らしていた私にとって山百合会という場所や、

そのメンバー達にどれほど笑顔を分けてもらっただろうか、なんて考えると、

今でも涙が出そうになる。あの日、私のタイが歪んでいなければ、祥子さまが寝ぼけていなければ、

私はきっとこんなにも悲しかったり、幸せだったりしなかっただろう。

そんな私を支えてくれたのが瞳子で、遠くから支えてくれたのが・・・聖さまだった。

瞳子は強がってみせる私に言った。

『いつものお姉さまで居てくださいよ。でないと、調子が狂うじゃないですか』

『いつもの私?』

『そうです。泣いたり笑ったり、忙しいお姉さまです』

それを聞いた時、私は瞳子と姉妹になれて本当に良かったと思った。

そして最近、瞳子と姉妹をやっていて思った事が一つある。

私はずっと、私が瞳子を妹に選んだのか、瞳子が私を姉に選んだのかを考えていた。

でも、そうじゃない。どちらかがどちらかを選んだ訳じゃない。

私達はお互いがお互いを呼んだのだ、きっと。

それは、私がお姉さまに会った事や、聖さまに出逢った事ととてもよく似てる。

「出会いは偶然ではなく、必然だと思うの」

志摩子さんが言った。気がつけば私達は銀杏の中の桜の木の前までやってきていた。

志摩子さんは桜の木の幹を愛しそうに撫でながら目を細めて散り出した葉を見上げている。

「必然?どうしてそう思うの?」

「どうしてかしら。何故かそう・・・思うの。こんな理由じゃおかしいかしら?」

「ううん。志摩子さんらしくていいと思う」

私は笑って通り過ぎる風に髪を浚われないよう押さえた。

隣では由乃さんの髪がまるでこいのぼりみたいに風に泳いでる。

由乃さんは三年生になってお下げを止めた。今は色んな髪型にするのが楽しいみたい。

私もそろそろツインテールは卒業した方がいいかもしれない、とも思うけど、

それは・・・卒業するまで延期する事にした。何かを止めたり始めたりするのは、春が一番いい。

それに、何となくだけど新しい私を聖さまに一番に見て欲しかったのかも・・・しれない。

由乃さんと志摩子さんのおしゃべりを聞きながら、私はそっと桜の木に触れてみた。

風は葉の一枚一枚を揺らし、まるで私達のようにおしゃべりしてるみたいに見える。

「祐巳さんは、将来どうするの?」

「私?私は・・・」

由乃さんが言った。私は・・・すぐに答えることが出来なかった。

どうしてかな、昔は夢とかなりたい職業とか沢山あったはずなのに。

最近、日を重ねる毎に聖さまが恋しくなる。ほんの少し前までは引継ぎや学校の行事の事で少なくとも、

今ほど聖さまの事を思い出したりしなかったのに。

将来どうしたいか、私は・・・どうなってるんだろう。半年後の事も分からないのに、

どうやったら将来など夢見る事が出来たのだろう。

私の答えを待つ由乃さんと志摩子さん。そんな二人の期待を裏切りたい訳ではない。

でも、私の将来はこれ以外見つかりそうになかった。

「私は・・・そうね、好きな人とずっと・・・ずっと一緒に居たい。死ぬまで・・・ずっと・・・」

「祐巳さんってば!そりゃ誰でもそうだよ!」

声を出して笑った由乃さんを咎めるように志摩子さんが柔らかく微笑んで、でも・・・と付け加えた。

「でも、それが一番理想ではなくて?それに、とても・・・難しいと思うの」

「うーん・・・そっか。そうだよね。仕事は変わっても、好きな人は変えたくないもんね」

「だって、例え夢が叶っても、一人じゃ・・・意味ないじゃない。

誰かと分かち合いたいと思うし、その人と夢を叶える方がずっと・・・楽しいと思うんだ」

私はそう言ってにっこりと笑った。

由乃さんと志摩子さんの言いたい事は、私には嫌と言うほど伝わった。

変わってしまったなら仕方ない。でも、出来るなら一生同じ人に恋してたい。それが理想。それが夢。

私はだから、これから先もずっと聖さまに恋していたい。聖さまでなきゃ、って思える。

例えそれが・・・叶わなくても、大事にしたい。この想いとか、切なさを。

皆と別れて、お姉さまとも別れて、そして・・・聖さまとお別れしなきゃならない日がきたとしても。

一人ぼっちに・・・なったとしても・・・。

「私ね、ここでお姉さまに出会ったのよ」

突然、志摩子さんが思いだしたように話し出した。由乃さんと私は顔を見合わせて頷くと、

その場に、一人ぼっちの桜の木の根元に腰掛けて志摩子さんの次の言葉を待った。

「私、あの頃はずっとこの学校で一人ぼっちの存在なんだって勝手に思ってた。

この桜の木みたいに、ずっとずっと一人ぼっちなんだって。でも桜はとても綺麗に咲くじゃない?

だから私、それが羨ましかったの。だって、私は少しも綺麗に咲けないから。一人は・・・寂しかったから。

ある日ね、いつものようにここに来たら、お姉さまが居たの。まるで私みたいな顔して、桜を見上げていたの。

それが私とお姉さまの出会い。その事を卒業前にお姉さまと話した事があったの。

その時にお姉さまが仰った言葉、私はいつかそれを乃梨子に伝えようって思ったわ。

お姉さまったら、志摩子、それは違うって言うの。この桜は確かにここでは一人ぼっちだけど、

でも・・・周りを見てごらんって。この学校の中には沢山の桜があるよ。桜は、それを知ってるのよ、って。

要するにお姉さまは、この狭い世界しか見ないなんてもったいないって事を言いたかったんだと思うの。

例えば一人で立ってるんだって思う時でも、私には見えないだけで周りにはちゃんと仲間が居るって事を。

私はそれを聞いて初めて周りを見てみたわ。

そうしたら、私の周りにはいつだって祐巳さんや由乃さんが肩を並べて立っていてくれてた・・・。

私、だからこの桜の木の下で会ったのは、お姉さまだけじゃないのよ」

志摩子さんがそう言って振り返り、私と由乃さんの間に座って同じように桜を見上げ言った。

「祐巳さんや由乃さんに会えたのも・・・この桜のおかげなのよ」

「そう・・・なんだ。じゃあこの桜は志摩子さんにとってはとても大切な木なんだね」

私は桜を見上げた。桜は笑ってるみたいに私達を見下ろしている。

桜は私達を見てなんて思ってるんだろう。滑稽だと笑ってるだろうか。

それとも、綺麗だと微笑んでくれてるだろうか。私達が今ここで話してる事なんて、ほんの一瞬にすぎない。

でも・・・きっとこの時間が大切な思い出だと言える日がくると思う。

私は聖さまと約束をした。私が卒業するまで待ってください、と。

それは聖さまへの気持ちを確かめる為だと思ってたけど、本当はそうじゃないんじゃないかって最近、時々考える。

私は聖さまに話したかったのだ。志摩子さんや由乃さん、瞳子の事や、友達の事を。

少しでも成長して輝いてる私を見てほしくて。だからあんな風に言ったんじゃないのかな・・・って。

聖さまにそれが伝わってるかどうかは・・・分からないけれど。

でも伝わってなくても別にいい。だって、それは私の心の問題なのだから。

聖さまに逢いたい。逢って今すぐに今日のことを話したい。でも・・・それじゃあダメなんだ。

思い出はお酒みたいにじっくり熟成させた方がいいって知ってるから。

価値観や見解が変わって初めて、今話してる事の意味が、その理由が分かるものだから。

私達は立ち上がった。三人で見上げた今日の桜とはもう二度と会えない。

それは分かってるけど、でも何となく寂しい気もする。そんな私に志摩子さんがポツリと言った。

「それに・・・乃梨子に出逢ったのも・・・この場所だったのよね・・・」

「じゃあ、この桜は出逢い桜だね」

私の何気なしに言った言葉に、志摩子さんが驚いたように目を丸くした。

「出逢い桜・・・とても素敵な名前ね」

「うん・・・凄く綺麗な名前。きっと、新しい伝説が出来るよ、リリアンに。

出逢い桜の下でロザリオを交わすと永遠に離れないとか何とか」

「そうかな?」

私たちは笑った。伝説ならまず誰かが試さなきゃ。誰かがそんな事を言い出して、

私達は出逢い桜の前で手を繋いで祈った。私達の友情が一生涯続くように、と。

私は堂々と立つ桜の幹にそっと触れた。鼓動は聞こえないけど、その暖かさは伝わってくる。

後半年。後半年したら、今度は私達が卒業する。卒業前に、もう一度ここで三人でこうやって話したい。

そして、聖さまにはこの桜の木の下で・・・出逢おう。

きっと・・・きっと・・・この出逢い桜の木の下で。





永遠に残る伝説のように、毎年咲く桜のように、


私たちはいつまでもこうして、笑っていられたら。


出逢いを運ぶ不思議な桜。


後からつけた伝説を、どうか永遠に残してください。


私はきっと、それが叶うと信じているから。








出逢い桜の木の下で