「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

もうすぐ春です。今年は新しい先生が二人もやってきます。どんな人がくるのか今から楽しみ!

でも・・・ちょっとだけ不安に思ったりもして。どうか神様、素敵で聖さま好みの人ではありませんように。

こんな事願う私って、本当に性格悪いなぁ・・・。ほんと、最近の私、どうかしてるとしかいいようがない。

これからまた何か始まるのかなぁ?それとも、このまま穏やかに時間は流れてくれるのかなぁ?

それは分からないけど、とりあえずもうすぐやってくる春にそなえて、今は楽しもう!



第七十九話『この歳になってパジャマパーティーって・・・』


なんて思うんだけど・・・どうだろう?確かに連休だし楽しそうでいいとは思うんだけどね・・・。

「で?誰が来る訳?」

私はいそいそと部屋の片付けをしてる祐巳ちゃんに聞いた。つか、私が毎日掃除してんだからそんなにするとこないでしょ?

どうせなら自分の部屋掃除すりゃいいのに・・・あの胡散臭いマジシャンみたいな部屋をさ。

「由乃さんと志摩子さん・・・後、乃梨子ちゃんはどうか分からないそうです」

「乃梨子ちゃん?彼女も誘ったの?」

「ええ。やっぱり志摩子さんを誘うなら乃梨子ちゃんも誘った方がいいかと・・・ダメでした?」

祐巳ちゃんはそう言って首を傾げて見せた。

つかさ、乃梨子ちゃん・・・来るかなぁ?いや・・・私の事相当疑ってるから来るかもな。

未だにあの子私が志摩子と何らかの関係があると思ってんだもん。全く、困るよね。誤解だってのに。

そりゃわざと乃梨子ちゃんの前で志摩子にちょっかいかけてた私も私だけどさ。何もそんなにも真に受けなくてもいいじゃん。

「でもさ、乃梨子ちゃんは分かったとして、じゃあどうして令は誘わないの?一応由乃ちゃんの保護者でしょ?」

「ええ、私もそう言ったんですけど、令さまに直接断られちゃいまして・・・どうしてだろう?」

いや、まぁ、何となく分かる気もするけどね。

私だってもし蓉子のお姉さまや江利子のお姉さまのとこに泊まりに来いって言われたって恐れ多くて行けないもんね。

まぁ、まず誘われないだろうけど・・・ふふ、切ないな・・・私・・・。

そんな訳で祐巳ちゃん主催の女だらけのパジャマパーティーは始まった。それにしても・・・いいね、女だけってのが。

だってさ、皆お風呂とか入るわけじゃん?なんつうの?こう、湯上りの火照った感じとか寝顔とかが見放題な訳でしょ?

ふ・・・ふふふふ・・・た、楽しみだ・・・。知らず知らずのうちにニヤけていた私を祐巳ちゃんが咎めるような目で見つめている。

「聖さま・・・今何かよからぬこと企んでるでしょ?」

「んーん。全っ然!」

でも私の事なんて全然信用してなさそうな祐巳ちゃんの顔は険しい。ほんっとうに信頼されてないんだな、私・・・。

まぁ、もう、いいけどね、別に。疑われるような事してきた私も悪いんだし。

それにしても・・・お泊り会か・・・初めてだな、そんな事するの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「おじゃましま〜す。わぁぁ・・・」

「本日はお招きいただきありがとうございます。失礼いたします」

「二人とも入って入って!」

由乃ちゃんが玄関先で何やら感嘆の声を上げている。続いて志摩子の声。相変わらず畏まってまぁ。

で、肝心の乃梨子ちゃんの声は聞こえてこない。ほらね・・・やっぱり来なかったか。

リビングに入ってきた二人に、私は軽い挨拶だけ済ませた。だって、毎日学校で会ってるし今更な気もするし。

「それじゃあ、二人ともごゆっくり」

「あれ?聖さまどこ行くんです?」

祐巳ちゃんの心配そうな声に私は振り返って言った。

「ん?邪魔かなと思って。部屋に居るから何かあったら呼んで」

私はそれだけ言って読んでた本を閉じてリビングを後にする。それにしても・・・女が三人寄れば何て賑やかなんだろう。

井戸端会議っつうの?三人ともまだ若いけど、よく言うじゃない。

女の子はちっちゃい頃から小さなおばさんを心の中で飼ってるって。まさにアレ。

部屋に居ても楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてくる。

そして、その仲間にちょっとだけ入りたいと思ってしまう私の中にもやっぱりおばちゃんはいるのかもしれない。

「・・・それはちょっと嫌だわ・・・」

しっかしなぁ。何だろ、この疎外感。仕方ないから私も誰か呼ぼうかな・・・そんな気にすらなってしまう。

それにしても、私・・・変わったなぁ。

今までの私なら間違いなくこんな事考えなかっただろうし、そもそも誰かが泊まりに来る事なんて絶対に許さなかった。

でも、今はそれが楽しそうと思ってしまうなんて・・・ほんと、ありえない。

と、その時だった。突然携帯が鳴った。メールだ。送信者は・・・江利子。

「珍しいこともあるもんだ」

メールの内容は実に簡潔で簡単なものだった。暇だからかまえ。たったそれだけのメール。

江利子らしいと言えば江利子らしい。でも・・・私が今出て行くと絶対祐巳ちゃん達に気遣わせたと思われるよね・・・。

だから私は今日うちで開かれてる盛大(?)なイベントの事を素直に話した。

でも、これが間違いだった。送ってから気がついた。だって、あの江利子の事だ。絶対自分も行くとか言い出しかねない。

案の定、返事はすぐに返ってきた。私も行く!それだけの短いメール・・・やっぱり・・・。

あぁ、絶対に収集がつかなくなる。賭けてもいい・・・一番やっかいな奴がやってくるんだもん。ただですむハズがない。

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インターホンの音に私は目を覚ました。どうやら本を読んでる間い眠ってたみたい。何てのん気なんだろう。自分でも驚く。

祐巳ちゃんたちは相変わらずおしゃべりしてるんだろう。きっと今のインターホンの音にすら気づいてないに違いない。

まぁ、来た人は分かってるから別に構わないんだけどさ。どうせ江利子だ。ちょっとぐらい待たせてもどうって事はない。

私は玄関を開けて固まった・・・な、なによ・・・これ・・・。

「え、江利子さん?こ、これは一体・・・何事かしら?」

「何事って・・・この方が楽しいと思って。いけなかった?」

いや、いけないとかそれ以前にどうして私に確認とらないのよ・・・普通聞くでしょ、一応家主に!!

でもそんな私の反応とは裏腹に江利子は嬉々として部屋に上がりこんでくる。それに続いてお姉さま、蓉子までもが。

だから私は江利子に小声で言った。

「どうしてよりによってこの二人誘うのよっ!!」

「だって、私の知り合いこの二人ぐらいなんですもの・・・何なら私のお姉さま呼ぶ?」

「ば、馬鹿言わないで!!・・・まぁ、呼んじゃったものはしょうがないか・・・」

諦めるしかないだろう。だって、蓉子の顔が怖いもの。ここで追い返したら後から何言われるか分かったもんじゃない。

「これはこれはお姉さまに蓉子さん・・・ごきげんよう」

無理やり笑顔を作って部屋に二人を招きいれた私を見て、蓉子が怖い顔する。

「可愛い三人娘の危機だって聞いて来たんだけど・・・あんたまだ何にもしてないでしょうね?」

可愛い三人娘?それは志摩子と由乃ちゃんと祐巳ちゃんの事か。私が無言で頷くと、蓉子はフンと鼻を鳴らした。

「ならいいの。今日は私がしっかり見張ってますからね!手癖の悪い変態教師が可愛い三人娘に手を出したりしないように!」

相変わらず酷いよね、蓉子は・・・そりゃ私は変態かもしれない!否、変態だったかもしれない!!

でも今は随分改心してるじゃないさ。祐巳ちゃん一本に絞ってんじゃん!それなのにまだ私を見張るか、蓉子!!

そんな私にお姉さまが静かに言った。

「聖、諦めなさい。蓉子ちゃんのあれはもう、一種の趣味なのよ、きっと」

「趣味って・・・こっちの身にもなってくださいよ・・・」

「何か言った?!」

「「いいえっ、なんにも!!」」

私とお姉さまはシャンと背筋を伸ばす。どうにも蓉子には昔から逆らえない。完全に尻に敷かれてると自分でも思う。

まぁ・・・それはどうやらお姉さまも同じみたいで苦い笑みを浮かべながらリビングへと進んで行った。

リビングのドアを開けると、そこには蓉子の言う可愛い三人娘が優雅にお茶を飲みながら談笑しているところだった。

そしてリビングに入ってきた私たちを見て皆目が点になっている。

「あ・・・あわわわわ・・・」

ぷ。祐巳ちゃん、その反応古いよ。でも、由乃ちゃんも志摩子も固まったまま動かない。

三人ともまるで一枚の絵みたいに表情だけが張り付いている。そりゃそうだよ・・・私も祐巳ちゃん達の立場なら絶対嫌だもん。

「ごきげんよう、来ちゃった!」

そんな事言って可愛子ぶるお姉さま・・・いや、皆知ってますから。あなたの実態は。

放心する由乃ちゃんに近寄ってわざわざ目の前で挨拶する江利子の性格もどうかと思うんだけど。

「ごめんなさいね、皆。でもね、これだけは分かってちょうだい。あなた達を聖の餌食にしたくなかったのよ」

そう言って蓉子はチラリと私を見る・・・ていうかさ、祐巳ちゃんはもう私毎日・・・そりゃもう毎日頂いちゃってるんだけどね!


第八十話『潜入調査』


私、島津由乃は今非常に緊張してます。どうしてかっていうと、今から祐巳さんのお宅に潜入調査に行くからです。

私はゴクリと唾を飲み込んだ。そんな私の隣で志摩子さんが心配そうに私を見ている。

「由乃さん?私が先に行きましょうか?」

「ううん!だ、大丈夫!ちょっと武者震いがするだけだからっ!!」

「む、武者・・震い・・・?」

困ったような不思議そうな志摩子さんの顔。私はもう一度大きな深呼吸をして、インターホンに手を伸ばした。

ピ―ンポーン・・・ああ、押しちゃった・・・ど、どうしよう?こ、このまま逃げちゃ・・・ダメ・・・だよね?やっぱ。

ただのお泊り会なんだから!そんなに焦らなくてもいいんだからっ!!でも・・・でも、この家の中には・・・あの人も居る。

それを考えただけでほら、また変な汗が・・・。インターホン越しに聞こえてきたのは、祐巳さんの明るい声。

あぁ、何だかホッとするよ、ほんと。でも、やっぱりどんだけ考えても未だに実感がない。

あの祐巳さんと聖さまが・・・その、一緒に住んでるなんて。しばらくして祐巳さんが出てきた。

そしていつもの調子で、入って入って!と私たち二人を招きいれてくれる。潜入調査、開始します!

ミッション1:家の匂い。

爽やかなシトラスっぽい香り。やっぱり人の家って独特の匂いがあるよね。

ちなみに志摩子さんちは当たり前だけどお線香の香りで懐かしいんだよね。

・・で、この家はさっきも言ったとおりシトラス系の香りがする。でもどこを見渡しても芳香剤は置いてない。

多分、見えないおしゃれって奴だ、きっと!!そして、聖さまの香りはこの家の匂いだったんだなぁ、なんて思う。

「ふぉぉぁぁぁ・・・中ってこんな風になってたんだぁ・・・」

私は廊下を見渡し一人興奮していた。凄いよ、令ちゃん!!すんごい綺麗だよっ!!!

ミッション2:間取り。

突き当たりがリビング。そこに行くまでの廊下に部屋が一つ。

そして反対側の廊下にはもう一つの部屋と多分お風呂とかお手洗いとかがある。

ちなみに、リビングには部屋・・・というよりは、リビングにステージみたいなちょっと高くなった場所があるらしい。

そこには大きなベッドが置いてあるらしいんだけど・・・つか・・・この部屋・・・かなり高いんじゃね?

すっげー高級マンションじゃん!!一つ一つの部屋はそんなに広くないけど、何ていうか作りが凄い!

「広い・・・ね・・・」

「うん、私もそう思う。正直私たちも使いこなせてないよ」

そう言って祐巳さんは笑った。いや・・・笑い事じゃないよ!!

どうしてこんないいマンションに一介の平教師が住めるってのよ!?まぁ、この話はいいとして。

ミッション3:聖さまの生態。

実はこれが一番気になってるんだよね。私たちは祐巳さんに案内されるがままにリビングへと入って行った。

リビングのドアを開けるとそこは、驚くほど整頓されていて文句のつけようもない。

チリ一つ落ちてない、し何だかお洒落なラックとか置いてあるし、床には何かよく分からない毛皮が敷いてある。

多分偽者だろうけど。祐巳さんの言ったベッドの置いてあるステージは仕切りがついていて一つの部屋みたいになってて・・・。

「いらっしゃい」

よく聞きなれた声に振り返ると、ソファに聖さまが居た。眼鏡かけて手には本・・・なんか・・・令ちゃんとは大違いって感じ。

「お姉さま・・・おじゃましてます」

「ご、ご、ご、ごきげんよう!!お、おじゃましますっ!!」

や・・・やばい・・・ほ、本当に聖さまが居るよ、この家・・・。私は固まったまままるでロボットみちに頭を下げた。

そんな私を見て聖さまが笑う。祐巳さんの・・・祐巳さんの嘘つきっ!!聖さまってばやっぱり家でも格好いいじゃないっ!!

「聖さま、お二人ともお土産持ってきてくれたんですよっ!ほら、お菓子がこんなにも沢山!」

そう言って祐巳さんは恐れ多くも聖さまの所に駆け寄って組まれた足の上にお菓子をぶちまける。

そんな祐巳さんを見て聖さまは笑っただけで、特に怒る様子もない。

でも私は知ってる。あれは相手が祐巳さんだからって事を。

私たちがしようもんなら、きっと一睨みされて鼻で笑われるに決まってる。聖さまはそういう人だ。

「良かったね。何か冷やすものとかはないの?」

「あぁ・・・そう言えば由乃さんが持ってきてくれたのは和菓子らしいですけど」

「そ。なら私冷蔵庫に入れてくる」

「ありがとうございます。じゃあ私はお茶いれますね」

祐巳さんがお茶をいれにいこうとするのを、聖さまが止めた。そして小さなウインクをして祐巳さんを私たちの方に押し戻す。

「いいよ、それも私がいれてくる。祐巳ちゃんは二人の相手してなよ」

「そうですかー?それじゃあ、お願いします」

そして祐巳さんは私たちの元に戻ってきた。だから私と志摩子さんはそんな二人を見て笑うしかなくて・・・。

何か・・・あの聖さまがなぁ・・・祐巳さんとなぁ・・・意外なんだけど、一番しっくりくる感じ?

確かに聖さまは栞さまとよく似合ってた。それは否定しない。

でも、聖さまがもし栞さまとこんな風に一緒に暮らしてたら、きっとこんな生活感のある聖さまは見られなかった。

いや・・・生活感といっても、やっぱり私たちに比べたら全然生活感ないけどね。

しばらくしてお茶をいれてくれた聖さまは私たちの前に一つづつカップを置くと、部屋に戻ってしまった。

「それじゃあ二人とも、ごゆっくり」

それだけ言って。

「あ、あの・・・もしかして聖さまに気とか遣わせちゃったかな?」

不安げな私の声に、祐巳さんは笑った。そして、小さく首を横に振る。

「違うと思うよ?」

「そ・・・そうかな・・・」

「うん。だから気にしないで!聖さまも楽しみにしてたんだから!」

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

そうかなぁ・・・それは無いと思うんだけど・・・私と志摩子さんは顔を見合わせ、今度は苦い笑みを漏らす。

まぁとりあえず、私のミッションは一時中断して・・・今は女三人のお泊り会を楽しもうっと!


第八十一話『お似合いのカップル』


ど・・・どうすればいいのかしら・・・そもそも、どうしてこんな集まりに??

私は周りを見渡して何とも言えない威圧感に耐えていた。でもどうやらそれは祐巳さんも由乃さんも同じだったみたい。

お姉さまったら・・・寂しかったのかしら??

「へー・・・案外綺麗にしてるのねぇ・・・あら!これなに?」

「だーーっ!!お姉さま!!それには触らないでくださいっ!!」

お姉さまはそう言ってSRGの手から綺麗な青いグラスを奪い取る。

そしてグラスをグルグル回して何かを確認すると、また元あった場所にそのグラスを置いた。

「どうして触っちゃいけないのよー」

「これはね、高かったんです!指紋がつくでしょ!?」

「グラスは使う為にあるのに・・・本当に神経質なんだから、聖は」

そう言ってSRGはまた部屋の中をウロウロし始めた。

「ねぇ、聖―ここ、どうなってんの?」

今度は江利子さまがステージの仕切りをさっきから一生懸命開けようとしてる。それを見たお姉さまが、また青ざめる。

「そこはただの寝室だってば!!開けなくてもいいからっ!!!」

「寝室?なら余計に見たいわ。・・・あ、開いた・・・やっだ!大きなベッド!!聖ってば・・・ここで毎晩祐巳ちゃんと・・・?」

仕切りの隙間から中を覗き込みながら嬉しそうに江利子さまがお姉さまをからかう。

お姉さまは慌てて江利子さまを仕切りから引き剥がし、乱暴にその隙間を閉じると言った。

「変な想像はしなくていいからっ!ていうか、別にそんなの江利子に関係ないでしょ!?」

「いいじゃない、ちょっとぐらい。聖ってばほんとにケチなんだから」

「ケチとかそういう問題じゃなくて・・・って、蓉子!?何してんのっ?!」

「何って・・・このラックいいわね。どこで買ったの?・・・強度は・・・」

そう言ってお洒落なラックを力の限り上から横から押してその強度を確かめてる蓉子さま・・・。

「そ、そんなに押さなくても頑丈なの分かるでしょ!?」

「あら、地震とかそういうのに強くなきゃダメよ。こういう揺れとかにも!強くないとっ!!」

さらに力を込めてラックを押す蓉子さまに、今度は祐巳さんまでもがあたふたしてる。

「ちょ、も、もうそれぐらいでいいから!!壊れたらどうすんの!?」

「大丈夫よ、私が多少押したぐらいで・・・あらやだ・・・」

ミシって何か嫌な音がした。ラックから。

お姉さまもその音は聞こえたみたいで、青ざめて蓉子さまを押しのけ今度はラックを調べている。

「ねぇ、聖―、これ開けてもい〜い〜?」

「ダメ!」

「ねぇ、聖〜これどうやって使うの〜?」

「触らないでっ!!」

「ねぇ、聖〜ここってさー、どうなってんのー?」

「ああもう!!!どうして皆じっとしててくれないのよっっ!!!部屋が散らかるでしょっっっ!!!!!」

とうとうお姉さまが切れた。でも、こんなお姉さま・・・初めて見た。

こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、お姉さまもやっぱり人間なんだなぁ、って妙に納得してしまう。

クスリと小さく笑う私を見て、お姉さまは軽く私を睨む。

「なによ、何がおかしいの?」

「だって・・・お姉さまがあまりにも必死で・・・ごめんなさい」

私の言葉に照れたように俯いたお姉さまはが何だか可愛い。

今ようやく祐巳さんの言ったお姉さまはクールなんかじゃないって意味が分かった気がする。

確かに・・・今日のお姉さまはクールじゃない。

でも、何ていうのかしら?そういうお姉さまが新鮮でもあるんだけど、ずっと知ってたような気もする。

私はいつか、こんなお姉さまに会ったのかしら?そんな気がしてきた。

伝説だと言われた三薔薇。でも、こうやって見ていると、全然普通。

お姉さまは本当は、こんな風に私たちに見て欲しかったのかしら?だから祐巳さんを選んだのかしら?

祐巳さんと一緒に居れば、きっと自分の世界が拓けると、もしかすると心の中ではそんな風に思って・・・?

もしそうだとしたら、それは大成功だったと思う。だって、こんな楽しそうなお姉さまは初めて見るんですもの。

お姉さまが油断してる隙に、私はさっきSRGが手にしていたグラスを手にとってみた。

私も・・・一度でいいからお姉さまに叱られてみたかったのかもしれない。

しげしげとそのグラスを見つめている私に気づいたお姉さまは、きゃぁ!と短く叫んだ。

そして、猛ダッシュでこちらにやって来て私の手からグラスを奪い取る。

「これはダメっ!これだけはダメっっ!!!いくら志摩子でも、これだけは絶対にダメったらダメっ!!!」

「まぁ・・・じゃあ祐巳さんなら?」

私はそう言って二つあったうちのグラスのうちの一つを隣に居た祐巳さんに手渡した。

すると、祐巳さんはあたふたとそのグラスをとりこぼしそうになる。

「いぃぃやぁぁぁ!!!祐巳ちゃんっっっ!!!!は、早くそれをこっちに寄越して!!!」

そう叫んでお姉さまは祐巳さんの手からもグラスを奪い取り、そのままリビングから姿を消した。

しばらくして、お姉さまは手ぶらで戻ってくると、部屋の中でウロウロしてる私たちを見て、大きなため息を落とす。

「はぁぁぁ・・・お願いだから・・・皆大人しくしててよ・・・」

呟いた言葉に、私はつい笑ってしまった。きっとお姉さまは今、心の底から後悔してるに違いない。

こんな事になるなら、私たちを家に呼ばなきゃ良かったって。でも、そんな私の考えとは裏腹に、祐巳さんが言った。

「聖さま、楽しいですね!」

と。

すると、お姉さまはその言葉にゆっくりと笑って頷いて言う。

「・・・まぁね。楽しくなくは無い・・・かな」

お姉さまはやっぱり変わった。変えたのは間違いなく祐巳さん。この二人は、やっぱり凄く・・・お似合いだわ。

私は、今心の底からそう思った気がした。


第八十二話『ペアリングの正しい渡し方』


何だか、初め思い描いてたお泊り会よりもずっと賑やかで楽しくなった。

それというのも、聖さまがついうっかり江利子さまに今日のことを話ちゃったからなんだけど、そのおかげで凄く面白い!

変わったメンバーだとは思うんだけど、このチグハグな感じがいいのかもしれない。

「聖さま・・・夕食、どうしましょう?」

「そう・・・だよね。どうしよっか?」

私たちはお互いの顔を見て苦笑いした。だって、まさかこんな大所帯になるなんて思ってもみなかったから、

食材は私と志摩子さんと由乃さん、そして聖さまの分しか買ってない。

冷蔵庫の中には何も即席で作れそうなものも入ってないし・・・。どうして早く気づかなかったのか、私!!そして、聖さまも!!

すると、聖さまがポンと手を打ち、そしてリビングに戻るとワイワイと談笑してる皆に言った。

「あのさー、夕飯は鍋でいい?」

なるほど!!鍋か!それならすぐに出来るし、買い物もすぐに終わる。それに、鍋はたくさんでした方が美味しいし!

さんせ〜い!って皆の声で、今日の夕飯は鍋に決まった。しかもキムチ鍋。この時期はやっぱり鍋だよね!

「それじゃあちょっと買い物行ってくるけど・・・祐巳ちゃんはお留守番お願い。

コイツら野放しにしたら何するか分かったもんじゃない。で、江利子にお姉さま買い物付き合ってください」

「えー・・・どうして私たちなの?」

「そうよ。一人で行きなさいよー」

SRGも江利子さまも不満げに顔を歪める。でも、聖さまは強かった。多分、さっきまでの事を相当根に持ってる。

「それはね、あんた達二人が一番危険だからよ。それじゃあ行ってくるわ。後のことはよろしくね、祐巳ちゃん」

「はっ、はい!」

つってもさ、どう考えても私じゃ止められないよね。

多分聖さまもそれが分かってるから江利子さまとSRGを連れて行くんだろうけど。

渋々買い物に付き合わされる二人は、聖さまの後姿をじっとりと睨んだまま部屋を出てゆく。

でも、あの三人が居なくなると・・・後に取り残された私たちはお互いの顔を見合わせボソリと呟いた。

「何か・・・静かですね・・・」

と。

皆私の言葉に頷く。ていうか!このメンバーで一体なにを話せと!?

聖さま・・・どうせなら蓉子さまも連れてってくれれば良かったのに!!でももう遅い。

何とも微妙な空気にそろそろ耐えられなくなってきた頃、由乃さんが口を開いた。流石!由乃さん流石っっ!!!

「そう言えば祐巳さん・・・実はね、ちょっと前から気になってたんだけど・・・」

「うん?」

今なら何でも答えちゃうよ!それぐらい今の私は心が広い。だって、この空気・・・ほんと、やりにくい!

「あのね、その指輪ってさー・・・その、聖さまと・・・おそろい・・・だよね?」

聞いてもいいもんかどうかって感じの由乃さんの態度がぎこちなくて可愛い。由乃さんの質問に、蓉子さまが頷いた。

「それ、私も聞きたかったんだけど。もしかして、それってクリスマスに貰った?」

「は?ど・・・どうしてそれを・・・」

ていうか聖さまってば何勝手にペラペラと・・・まぁ、別にいいけどさ。

えへへ、実は誰かに言いたくてしょうがなかったんだよね!でもさ・・・誰も聞いてくれないんだもん。

自分から話せばいいだけの話なんだけど、そうじゃなくてっ!誰かに聞いてほしかったのよっ!!

くふふ・・・やっと・・・やっと話せるのね・・・。私は多分、また顔で話してたんだろうと思う。

私を見る蓉子さまと由乃さんの顔が全てを物語っていたから。

こんな時志摩子さんだけはいつも困ったように笑ってくれるからちょっと安心する。いい人なんだから、志摩子さんってば。

「そう・・・そうなんです。朝起きたらこの指にはまってまして・・・もう何て言ったらいいのか・・・。

一応確認してみたら聖さまの指にも同じデザインの指輪がはまってるし・・・私もう嬉しくて嬉しくて!

実を言うとですね、私、密かに前から欲しかったんですよ、指輪が!でもそういうのって重いかな?

って思って言い出せなかったんですけど・・・蓉子さまっ!もしかして聖さまってエスパーなんでしょうかっ?!」

私は一気に喋って蓉子さまの肩を掴んで揺さぶった。肩のところで切りそろえた髪が慌しく揺れる。

「お、落ち着いて、祐巳ちゃん・・・」

「あ・・・す、すみません・・・つい・・・嬉しさのあまり興奮してしまって・・・」

「まぁ、あれよ。聖がエスパーなのかどうかは私も知らないけどね。

多分その指輪買う前だと思うんだけど、私に電話があったのよね。聖から。その内容がね・・・ふ、く・・・くくく」

そこまで言って蓉子さまは二つ折りになって笑い出した。身体・・・柔らかいなぁ・・・いや!そうじゃない、そうじゃない!!

ど、どうして笑うの?そんなおかしな電話だったわけ??

「ご、ごめんなさい。ただね、聖ったらさ・・・凄く慌てた声でね、言うのよ。

『どうしよう、蓉子・・・私、祐巳ちゃんとペアリングとかしたいんだけど、どう思う?』ですって!!ほんっと呆れるでしょ?

ていうか、好きにしなさいよって話でしょ!?それをわざわざ電話かけてきてね、ほんと・・・もう、バッカよねぇ!!」

「・・・はあ・・・」

聖さまってば、また蓉子さまに迷惑を・・・そんな事でいちいち電話してこられる蓉子さまの位置って・・・微妙だな。

それにしても!そっか・・・聖さまも私とペアリングしたかったんだぁ・・・だから手紙にも書かなかった指輪くれたりしたのか。

・・で、きっと恥ずかしくて直接渡せなかったからこっそり私にはめてくれたりしたんだろうな!うん!そうに違いない!!!

恥ずかしそうに寝ている私の指に指輪はめる聖さまか・・・想像してみると、うん。なかなかいい。

どの指にしようか、とか、サイズは合うかとかドキドキしたりしたのかな?私が起きてしまわないようにヒヤヒヤしたりとかさ!

「ふ・・・うふ・・・うふふふふふ」

「「「こ、怖いわ・・・祐巳ちゃん(さん)」」」

私以外の三人の声がピッタリと重なる。その声に私はハッと我にかえる。

ヤバイヤバイ。また妄想世界の住人になっちゃうとこだった。

最近ほんのちょっとした時間でもうっかりあちらの世界に行ってしまいそうになるから、気をつけなきゃな、うん。

顔の筋肉をキュって引き締めて、真面目な顔をすると私は言った。

「そうだったんですか。蓉子さまにはご迷惑をおかけしたみたいで・・・」

ペコリと頭を下げた私を見て、蓉子さまは苦笑いして両手を振った。

「いいのよ、祐巳ちゃんが謝らなくても!電話もね、別に構わないのよ。ええ、全然いいの。

でもね、アイツの場合はね・・・いつもいつもその後がね・・・ふ・・・ふっふ・・・」

蓉子さまが俯いた。地の底からゴゴゴゴゴって音が聞こえた(ような気がする)。しまった・・・私、多分余計な事言ったっぽい。

思わず私と志摩子さんと由乃さんは後ずさってしまった。

どうやら聖さま、蓉子さまに指輪の件で電話した時にまた余計なことを言ったらしい。あの人はほんとに・・・。

蓉子さまの組んだ指から低いポキポキって音が時々聞こえてくる・・・こ、怖いよー!!!!ど、どうしよう、私、泣きそうです!

その時だった。マンションのゲートのチャイムが鳴った。

どうやら聖さまたちがようやく買い物を終えてマンションについたらしい。

鍵を開けに行かなきゃ。それにもしかすると荷物持たなきゃかもだし!

「あっ!!ほ、ほら!戻ってきたみたいですよっ!」

そう言って立ち上がった私を見て、由乃さんが私の腕を掴んだ。小さく首を振って口をパクパクさせている。

「わ、私が見てきてあげる!」

「いっ、いいよ!私が行くから!由乃さんはここで蓉子さまのお相手を・・・」

「ううんっ!!だってやっぱりお手伝いはしないとね!働かざる者食うべからずって言うし!」

「お手伝いは他にも沢山あるから!晩御飯とか作る時に手伝ってくれればいいよ」

「ううん、それは嫌」

オイ!コラ。今嫌って言った?随分はっきりと否定した??

「よ、由乃さん?夕食作りは手伝ってくれないの?」

「うん。料理は苦手だから」

・・それでいいのか、家庭科教師よ・・・。

「あ、そう・・・でもほら!他にもお手伝いは沢山あるし!」

そう言って由乃さんの腕を振り解こうとしたけれど、意外に物凄い力なんだね・・・由乃さん・・・。

と、ここで今まで無言で座っていた志摩子さんがそんな私たちを横目にスッと立ち上がり言った。

「私が行きますね。なんだか二人とも忙しそうだし」

「「あっ!ちょっ!!!」」

私たちが止める間もなく、志摩子さんは部屋を出て行ってしまった。ぬ、抜け駆け・・・抜け駆けしたよ、志摩子さんが・・・。

私は由乃さんと顔を見合わせ、頷いた。

「に、荷物沢山あるといけないし、私たちもいこっか!」

「う、うん!そうだねっ!由乃さんっ!!」

さぁ、行こう!すぐ行こう!!歩き出そうとした私たちの腕を、誰かが掴んだ。

「「ひっ?!」」

つか、蓉子さましかいないけど。・・・振り返るの・・・ヤだなぁ・・・でも、振り返らない訳にはいかない。

由乃さんをチラリと見ると、由乃さんも明らかに動揺してる。恐る恐る振り返った私たち。

目に飛び込んできたのは半月が逆さまになったみたいな蓉子さまの大きな目。

半開きになった口からまるで呪文のようなボソボソと話す声が聞こえてくる。こ・・・怖すぎるっ!!!

「・・・あなたたちはここにいるわよね・・・?」

あまりにもどす黒い声に、私たちはシャンと背筋を伸ばした。

「「はいっっ!!!もちろんですっ!!!」」

あーーーーーもうっ!!!聖さまのバカバカバカ!!!早く帰ってきてよーーーーっっ!!!


第八十三話『探してた誰か』


「ねぇ、聖―・・・まだぁ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「聖ってばー・・・まだなのー?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「「ねぇってばー」」

「だーーーーーーっ!!!!うるさいっっ!!!家出てまだ五分も経ってないでしょ!!」

車のルームミラーごしに後ろの席を見ると、お姉さまと江利子がつまらなさそうな顔をしてる。

思うんだけどさ、この二人って絶対買い物とかに連れていきたくないタイプナンバー1よね。

全く。そろいもそろってさっきからずっとこの調子。ほんと、先が思いやられる。

これはさっさと買い物済ませて帰った方が良さそう。いいや、そうに決まってる。完全に無視しよう、うん、それがいい。

それから地獄みたいな二人の『まだー?』攻撃を全て無視してると、ようやく目の前にスーパーが見えてきた。

「ついたわよ」

私の一言に、二人の顔が輝いた。と、思う。駐車場に車を止めると、二人は弾けるように外に飛び出した。

ほんと・・・子供かっつうの!!白い目で二人を見つめていた私は、店の中に消えてゆく二人を慌てて追う。

中に入るとすでにカートとカゴを手にしていた二人を見て、何だか笑えてしまった。

「いいですか?余計なものは買いませんからね」

「えー・・・お菓子はー?お酒はー?」

そう言えば・・・そういうのもいるのか。何せお泊り会なんて初めてだからそういうのって全然分からない。

仕方ないからそういう類はこの二人に全て一任する事にした。・・・かなり心配だけど。そして私は思い知る。

この二人を野放しにした私が間違いだった・・・と。

「はい、聖。これと、これとこれね!」

お姉さまが持ってきたのはビールのケースとチューハイのケース。それに日本酒の瓶を5〜6本。

「だ、誰がそんなに飲むんですかっ!!いくらか返してきてくださいっ!!」

「えー・・・のめるわよ」

「飲めませんっ」

ちぇー・・・そう言って引き返してゆくお姉さまと入れ替わりに今度は江利子が戻ってきた。何故か新しいカゴを手にしている。

そのカゴの中にはありえないぐらいのお菓子・・・もしかして、この二人・・・バカなんだろうか?

「江利子・・・それの半分でいいでしょ・・・」

「半分っ!?足りないわよ!」

「足りるっ!!つか、そんなに食うな!!」

江利子もすごすごとお菓子を返しにゆく。全く・・・ちょっとはこっちの身にもなってよね!

ああ、ほんと、どうして私がこんな目に。もし実際にピーターパンが居たら、間違いなくこの二人は連れていかれるに違いない。

いや、むしろ連れて行って欲しい。そう、今すぐにでも。そしてティンカーベルに意地悪されればいいんだっ!!

そんな事を考えながら私は鍋の具財を買い漁っていた。白菜、水菜、葱に椎茸・・・まぁ、他にも魚とかお肉とかを。

買い物に夢中になっている私の隣に、いつの間にかお姉さまと江利子が戻ってきていた。

「江利子ちゃん、江利子ちゃんは闇鍋ってしたことある?」

聞く気もないのについつい聞いてしまう自分が悲しいとか思いながら、私は二年前の恐怖の闇鍋パーティーを思い出した。

そう、確かあれはお姉さまの家に招かれて散々飲まされた挙句、酔った勢いで闇鍋をしたんだっけ。

よりによって栞に振られて凹んでる私を慰める為とか何とか言って。

私はあの日の事をきっと一生忘れない。メンバーはお姉さまと私と蓉子の三人。

部屋を真っ暗にして最早何色なのかも分からない鍋をつついたっけ。

「聖は覚えてるでしょ?楽しかったわよね?」

「・・・出来れば忘れたいです・・・」

恐怖と困惑・・・三人しか居ないのだから確実に入れたのはお姉さまか蓉子。しかもわざわざ私に近いところに入れてくれた。

でも性格的に蓉子はそんな事しないだろうから、多分入れたのはお姉さまだ。

江利子は私とお姉さまの話に興味津々って顔してる。まぁ、多分江利子は好きだろうな、と思う。

そしてコイツもまた突拍子もないもの入れるに違いない。

「楽しそう!!どうして私を呼んでくれなかったんですか!!」

「初めはね、聖の慰め会だったのよ。多分皆酔っ払ってておかしくなってたんでしょうね」

「・・・おかしくなってたのはお姉さまだけですよ。私と蓉子は至って普通でしたから」

「またそんな事言って!自分だって楽しんでたくせに!」

楽しんでた?私が?苦しんでたの間違いじゃない?大体ね、誰が鍋にお菓子なんて入れる?

「あれは楽しんでたんじゃなくて、お姉さまの入れたチョコあんぱんに苦しんでたんですよっ!!」

「なに?鍋にチョコが入ってたの!?それ!!すっごく楽しそう!!!」

いや、実際に入ってたら絶対引くって。マジで。そもそも持った感触がおかしかったんだよね。

餅とかにしちゃドロっとしてるし、何か甘い匂いするし。でも、口にしてもそれが何かは分からなかった。

噛んで初めて分かったんだ・・・チョコだと!!

でも、お姉さまは私の言葉にキョトンとしている。そして衝撃の事実が明らかになった。

「私じゃないわよ?ていうか、私もドーナツ食べたもの。覚えてないの?お酒で流し込んだのよ、必死になって」

「お、お姉さまじゃなかったんですか!?」

「ええ、違うわ。私が入れたのはピーマンと、じゃがいもとイクラだもの」

「い・・・いくら・・・」

江利子は笑いを堪えながらようやくその単語だけを呟く。そうか・・・いくらはお姉さまが入れたのか。

鍋にいくら入れるとどうなるか知っててやったんだろうか?私、あれのせいで酷い目にあったんだけど・・・。

「そうでしたか・・・お姉さまがいくらを入れたんですか・・・」

「ええ。聖は災難だったわよね」

「・・・ほんとですよ・・・何せいくらは爆発するし、お菓子は入ってるし・・・でも、お姉さまじゃないとしたらチョコ入れたのは・・・」

私たちは顔を見合わせた。どうやら一番入れなさそうな奴が犯人だったらしい。それにしても・・・意外だわ。

「蓉子ちゃんもなかなかユニークな事するわよね・・・たまに」

「全くですよ・・・」

どんな顔してあれを選んだのか、蓉子・・・ていうか、鍋にお菓子は無いだろっ!!

どうせ入れるなら煎餅とかならまだ良かったのに!!そうやって考えると蓉子も実は相当酔ってたんだろうか。

今となってはもうどうでもいい話かもしれないけど、確かにあの夜、私はほんの少し慰められたような気がした。

本当にバカな二人を見て、一瞬だけど栞を忘れる事が出来たのだから。笑って叫んで・・・ほんの少しだけだけど。

「でもさー。聖は実際今楽しそうよね」

江利子が言った。バナナを持って。・・・何故バナナ?まさか闇鍋しようだなんて思ってないわよね?

私の視線に気づいたのか、江利子が笑った。違うわよ!と。・・・良かった。また恐怖が蘇るとこだった。

「なによ、突然」

「だってさ、祐巳ちゃんと付き合いだしてから私たちとも随分交流を図るようになったじゃない」

「そうそう。江利子ちゃんの言うとおりだわ。学校が終わったらまるで帰宅部の子みたいに真っ直ぐ家に帰ってた子が、

今はお泊り会ですもの。今日江利子ちゃんから連絡があった時は本当に驚いたんだから」

正しく言えば、お姉さまも蓉子も誘ってないよ。厳密には江利子も。ただ勝手に押しかけて来ただけでさ。

でもね、どうしてかな。そういうのを楽しいと思える自分もいるんだ、確かに。

「祐巳ちゃんを見てると、どうでも良くなるんですよね。頑なに何かを拒んでた自分が馬鹿らしくなるっていうか」

私の言葉に二人は納得したように頷いた。実際祐巳ちゃんの傍ではきっと皆そう思ってると思う。

だって、変わったのは私だけじゃない。皆も変わった。というよりも、皆の色んな面がようやく姿を現した感じ。

ある意味ではあれが転機だったのかもしれない。私たち皆の。新しい、しかもリリアンのOBではない人間が入ってきたことで。

しかもそれが祐巳ちゃんだったから・・・ドン臭くて何にでも一生懸命な祐巳ちゃんだったから・・・。

「祐巳ちゃんは不思議よね。何故かあの子には秘密を話してしまえるのよね」

お姉さまは言った。それは私も同じだった。苦しく思ってる事とか、辛い事とか、そういうのを打ち明けられた。

「それは多分・・・あの子がリリアンを知らないから・・・私たちを全然知らなかったから・・・」

私の言葉に、お姉さまは頷く。そうよね、と。私を知らない人間が、私を救った。

彼女が居なければきっと私はまだあの部屋に独りぼっちだったに違いない。暗くて寒い部屋にたった独りで・・・。

誰かと交わる事を拒み続けて決して心を見せなかった私は、祐巳ちゃんと交わる事でようやく自分の愚かさに気づいた。

いつも元気で笑っていた祐巳ちゃんを見て反感を覚えたのに、

それが本当は羨ましかったんだって事に気づいたのかもしれない。情け無いけど、この歳になってようやく知ったんだ。

楽しいという事を。誰かと幸せを分かち合うという事を。まぁ・・・たまには寂しさを分かち合う事もあるけどね。

「聖はずっと祐巳ちゃんを探してたのね、きっと」

「江利子・・・言ってて恥ずかしくない?」

珍しく江利子がそんな風にまとめてくれた。そうなのかな?・・・そうかもしれないな。

私の欠けた部分をピッタリと補える人を探していたんだとしたら、江利子の言葉にも頷ける。

それなのに私はやっぱり素直じゃないからそんな江利子の言葉に憎まれ口を返すことしか出来なかった。

でも、心の中では素直に頷いてる。ちゃんと言葉にしてくれてありがとね、江利子。


第八十四話『正しい結婚のススメ』


「ただいま〜」

「お、おかえりなさ〜い!!」

待ってましたとばかりに私は聖さまの元へと走り寄った。だって、本当に怖かったのよ、蓉子さまが。

ダイニングテーブルの上に買ってきた荷物を置いた聖さまは、何故か意地悪な笑みを浮かべ蓉子さまの元へと近寄る。

手には何故か・・・チョコあんぱん。正しくはチョコあ〜んぱん。ちなみに甘くて美味しい。いや、こんな豆知識はいいとして。

聖さまは場の空気も読まずに、いや、あるいは読んだ上で蓉子さまの膝の上にそれをポンと放り投げた。

「なによ、これ。いらないわよ」

蓉子さまは膝の上に落ちたお菓子の箱を振りながら怪訝そうな顔して聖さまを見上げたんだけど・・・。

「それ見て何か思い出さない?二年前の・・・ちょうど今頃だったかな」

「はあ?二年前・・・?今頃??一体なにが・・・」

そこまで言って蓉子さまが口を手の平で覆った。どうやら心当たりがあるみたい。

こんな時、何だか私はいつも寂しくなっちゃう。だって、二年前の今頃って言ったら私はまだ居なかったもん。

大好きな聖さまの事を、何でも知ってたいって思うのは、やっぱり無理・・・なんだろうな・・・。

「思い出した?」

「あー・・・まあね。でもよく覚えてるわねそんな事・・・ていうか、どうして私だって分かったの?」

ていうか、何の話??意外にも志摩子さんと由乃さんも不思議そうな顔してたから、

どうやら知らなかったのは私だけではなかったみたい。こんな事でホッとするのは間違ってるとは思うんだけど、ね。

「どうしてって・・・たまたま買い物中にその話が出たのよ。で、私もお姉さまも入れてないんなら蓉子しか居ないでしょう?」

私はもう我慢できなかった。だから思い切って聖さまに聞いたんだ。素直に。

「聖さま・・・話が全く見えないんですけど・・・」

「ん?ああ、祐巳ちゃんたちは知らないよね。あのね、二年前に私とお姉さまと蓉子の三人で闇鍋ってやつをしたのよ」

「闇・・・鍋?」

噂には聞いた事ある。でも、実際にやった人は・・・聞いた事ない。ていうか、居るんだー本当にする人。

何だかそっちの方がビックリだわ。困惑する私を横目に聖さまは続けた。

「でね、どこかのバカがね、よりによって味噌味の鍋の中にコレを入れたの。後、ドーナツも。ねぇ、蓉子?」

・・鍋にチョコ・・・おまけにドーナツまで・・・絶対気持ち悪い。しかも聖さま・・・もしかしてそれ食べたのかな?

うわー・・・悲惨だよ、それは。想像しただけで気持ち悪くなっちゃう。しかもその犯人は蓉子さまなんだ・・・。

「でもね、そんな事言うけど私だって散々だったんだから。誰よ、イクラなんて入れたの」

イクラ・・・生ものはダメでしょ・・・しかもイクラなんて明らかに鍋に入れる具じゃないよ。

「それはお姉さま。ちなみに私が入れたのはミカンとパンよ」

それを聞いたSRGと蓉子さまの顔が強張った。そして、二人して同時に言う。

「「聖だったの!?ミカンなんて入れたのっ!!」」

「うん。ヤバイかなーとは思ったんだけど、何よ、私が一番マシじゃない」

いや・・・それはどうかな・・・ミカンも・・・無いよ。皆いくら闇鍋だからってちゃんと限度ってもの考えなくちゃ。

「あんたねぇ!ミカンがどれほど・・・どれほど不味かったか知ってる!?」

「そうよ!!すっぱい上に味噌味で最低だったんだから!」

「そんなっ!!ドロドロに溶けた甘いチョコとか、噛んだ瞬間に爆発するイクラよりマシでしょ!?」

私と江利子さま、そして由乃さんと志摩子さんはそんなやりとりをただ聞いていた。

でもね、何だか凄く楽しかった。

実際私たちはそこに居た訳じゃないし、食べてもないんだけど、まるで自分も参加したみたいに楽しかった。

多分他の三人もきっとそんな風に思ったと思うんだ。だって、ほら、皆笑ってる。言い合いしてる当人達でさえ笑ってる。

鍋一つに大騒ぎ。こんな関係っていいな。あーあ。惜しい事したなぁ。もしかしてずっとこんなだったのかな?

だったら私ももうちょっと早くにリリアンで働きたかったなぁ。まあ、それは無理だけどさ。どんなに願っても。

時間が戻ればいいとか、そんな風に考えた事はないけど、もし私もリリアンに通ってたとしたら・・・そんな風に考えた事はある。

リリアンって独特なんだ、本当に。どこか閉鎖的っていうか、仲間意識っていうか、そういうのが他の学校よりもずっと強い。

学校を卒業してもまだリリアンの教師になった聖さまたちはきっと、

私には分からない大きな絆みたいなもので繋がってるような気がしてたまに羨ましくなる。

「そんな事ないと思うけど」

私の不安を聖さまは笑った。私が白菜を切ってる横で、さっきから一生懸命椎茸の処理をしてくれてる聖さま。

そう言えば・・・私たちってばこうやって並んでご飯の用意するの・・・初めてかも。

「そうでしょうか・・・」

「そうだよ。ていうか、私たちがやっぱり同じリリアンだったらこんな風に上手くいってなかったと思うけど」

「え!?そ、そうなんですか??」

そう言えば蓉子さまもそんな事言ってた。私がリリアンの生徒じゃなかったから、高校や大学の聖さまを知らなかったから、

今聖さまが私の隣で笑っていられるんだ、と。

「・・・そんなもんですか・・・」

「そんなもんです。私を知らなかったから祐巳ちゃんだって私を好きになったんだよ、きっと」

そう言って自嘲気味に笑った聖さまの横顔が、少し寂しかった。

まるで過去の聖さまを探そうとしてる私の心を見透かされたみたいで。

覗かないでねって、そんな風に言われてる気が・・・した。何だか・・・聖さまって人魚姫みたいだ。

正体がバレたらあっという間に泡になって消えてしまいそうに見える。たまにだけど。

「聖さまは・・・見かけと違って案外神経図太いですけど、でも実は凄く繊細で深いですよね・・・。

いつも上手い具合にはぐらかしてますけど・・・」

「そう見える?」

「はい。そんな風に見えます・・・けど」

「ふーん。そんな事誰かに言われたの初めてだわ」

そう言って聖さまはネギを切り始めた。その横顔はどこか嬉しそう。

もしかして・・・誰かにこんな風に言ってもらいたかったんだろうか?ちゃんとあなたの事見てますよ!って・・・そんな風に。

でも、その気持ち分からないでもない。やっぱり誰かに必要とされたいし、誰かにちゃんと知ってて欲しいもん。

本当の私の事とか、私の今思ってる事を。でもそれは誰でもいいって訳じゃないんだ。

出来れば一番大切な人に理解してほしい。私の想いも、気持ちも思考も・・・全て。それと同時に分かりたいとも思う。

「聖さまから見た私ってどんなです?」

「私から見た祐巳ちゃん?そうねー・・・ドン臭くて、頑固で、意地っ張りで、案外キツくてー・・・」

・・・ナニソレ・・・酷くない?あんまりじゃない??ていうか、聞くんじゃなかった!!

「・・・も、もういいですよっ!!!」

やっぱりそういうのって中々伝わらないものなのね・・・私だってたまには真剣に考え事してるのよ?

ただ口には出さないだけで・・・グス。ガックリとうな垂れてキムチのダシを取ってる私の頭に、聖さまの手がポンって乗った。

「で・も、絶対に諦めないし、実は賢い。頭がいいとかそういうんじゃなくてね、賢いんだと思う。

本当は凄く賢い人だと、私は思ってる」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

ど・・・どうしよう・・・凄く嬉しい。まさか聖さまがそんな風に私の事考えてるなんて思いも寄らなかった・・・。

頭がいいんじゃなくて、賢いって言われた事がこんなにも嬉しいだなんて。私は聖さまを見上げた。

「なに?」

「それ・・・本心ですか?冗談じゃなくて?」

ワナワナと震える私の唇を見て聖さまが笑う。

「冗談でこんな事わざわざ言わないって」

そうだよね・・・聖さまがいくら意地悪だって言ったって、こんな意味の無い嘘なんてつくような人じゃないもん。

「じゃ、じゃあ・・・ほんのちょっとぐらいは私の事尊敬してくれてたりとかします??」

「はあ?なによ、どうしてそんな話になる訳?」

だってさ、よく言うじゃない。相手の事を尊敬出来なきゃ結婚は出来ないって!てことは、私の気持ちはバッチリOKな訳よ。

問題は聖さまよ、聖さま。いくら私が聖さまを尊敬してても聖さまも私を尊敬してくれなきゃ・・・意味ないもん。

「だって・・・お互いの尊敬の上に結婚は成り立つものだと母が・・・」

私はだから、正直に言った。俯いてモジモジしながら。だって、やっぱ恥ずかしいじゃん!!こんな事面と向って言うの!

「なるほど。お母さんいい事言うね。じゃあ祐巳ちゃんはどうなの?私の事尊敬してるの?」

「もっ、もちろんですともっ!!私はもう、いつだって準備万端ですからっ!!!」

勢い込んで言った私の台詞に聖さまは噴出した。・・・どうして?どうして笑うのよっ!?一世一代の大告白だったのに!!

身体を折り曲げてお腹を抱えて大笑いする聖さまが憎らしい。

ようやく笑い終えた聖さまは目尻の端に溜まった涙を人差し指で拭うと言った。

「そっか、うん、ありがとね。もちろん私も祐巳ちゃんの事色んな意味で尊敬してる。

だから大丈夫よ、心の中では私ももう準備万端だから。

ただ、ね?金銭面とか他にもまだまだしなきゃならない事が一杯あるから、結婚はもうちょっと待っててね、悪いけど」

「・・・はあ・・・そりゃ構いませんけど・・・」

どうしてこんなにも笑われたんだろう・・・私、そんなにも変な事・・・言ったかな・・・?いや、言ったのかもな。

またいつもの調子でさ。私、興奮するとダメなんだよね、見境ないっていうか、感情に任せちゃうっていうか。

だから私はまるで何事も無かったかのように鍋の材料を鍋に詰め始めた。横から聖さまがごちゃごちゃうるさい。

やれ、肉はココ!だの、魚は匂いが移るからこっちーだの。ほんと、細かいんだから。

でもさ、よくよく考えてみれば大雑把な私にはこれぐらい神経質な人の方がいいのかもな。

「できた〜!」

私が両手を挙げて喜ぶと、聖さまは隣で何やら渋い顔してる。ん?どうしたんだろ??

「さっきの奴、も一個付け足すわ・・・」

「は?」

さっきの?もしかして私の事どう思う?って奴のこと?私の不思議そうな顔を見て聖さまは意地悪く微笑んだ。

ああ、間違いない。何となくだけど何を付け加えられるのか分かった気がする・・・。

「祐巳ちゃんはさ、本当に雑だよね、何やらせても・・・ここ、誰が片付けんのよ?」

聖さまがチラリと視線を移した先にはゴチャゴチャになった調理器具達。

・・・ああ、やっぱりね・・・分かってたんだけどね、自分でも・・・。

「・・・私がちゃんと片付けます・・・」

「よろしい。さて、じゃあ持っていこうか」

「はいっ!」

キムチ鍋は真赤。私の顔も、多分今同じぐらい真赤。


第八十五話『二重人格』


そこら中に屍がごろごろと転がっていた。キムチ鍋の残骸・・・倒れる友人達・・・転がる酒瓶・・・この光景はなかなか凄い。

「・・・誰が掃除すると思ってるのよ・・・」

ポツリと呟いた私の声に、まだかろうじて生き残っていた祐巳ちゃんが小さく笑った。

「まぁ、まぁ、これもお泊り会の醍醐味ですよ」

「・・・そうなの?だとしたら二度とごめんだわ」

苦笑いを浮かべる私に咎めるような視線を送ってくる祐巳ちゃんの頬はほのかに紅い。

今日はちゃんと止めたんだ、脱ぐ前に。ほろ酔いぐらいが本人にとっても周りにとってもちょうどいい。

散らばった瓶を一本一本回収している私の隣で、祐巳ちゃんは同じく散らばったお茶碗やお箸を集めていた。

と、突然祐巳ちゃんがその手を止め私の前にちょこんと座って言う。

「そういえば、私聖さまの酔ってるとこって見た事ないんですけど・・・」

「は?なによ、突然」

ていうか、当然じゃない。いっつも祐巳ちゃんのが先に潰れちゃうんだもん。その介抱しなきゃならない私は流石に酔えない。

でもさ、よくよく考えてみればそれって結構切ないよね・・・私・・・。

「いや・・・聖さまって酔うとどうなるのかな?って・・・ちょっとだけ思いまして」

「私が酔うと?そうねぇ・・・どうなるんだろうね?」

そういえば私・・・はっきり言って酔ったことって記憶にないかも。

別にそんなに強い訳でもないと思うんだけど、いっつも完全に潰れる前に飲むの止めるもんなぁ・・・どうなるんだろう?

でもさ、何となく理性が止めるんだよね。止めておけって心のどこかで。

きっと潜在意識とかそういう奴が酔うのは危険だって教えてくれてるに違いない。

私の言葉に祐巳ちゃんが何を思ったのか、さっきまで私が飲んでいたグラスに大量に日本酒を注ぎ始めた。

「なに・・・してんの?」

「見てみたいなぁ〜って・・・ダメですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

いや、ダメですか?ってそんな可愛い顔して言われても・・・困るんだけど。

「ほら!聖さま、グイーっと。グイーっといっちゃってください!」

「い、いや・・・ほ、本気?」

「ええ!本気です!酔った聖さまが見てみたい人―!は〜い!!」

「・・・いや・・・祐巳ちゃんしか居ないし・・・」

つか、なにそのテンション・・・ちょっとウザイんだけど・・・。祐巳ちゃんは脱ぎはしないものの完全に酔ってはいる。

ニコニコしながら日本酒がなみなみ入ったグラス持ってジリジリ近寄ってくる様は可愛いを通り越してちょっと怖い。

「はいっ!聖さまっ!」

にっこりと極上の笑顔で私にグラスを差し出す祐巳ちゃん・・・ど、どうしよう・・・断れないじゃないっ!!

私は大きく深呼吸をするとゆっくりと溜息を落とす。

「もう・・・どうなっても知らないからね・・・言っておくけど、何があっても責任はとらないから」

「え・・・?」

ポカンとする祐巳ちゃんを横目に、私はそう言って差し出されたグラスを奪い取りそれを一気に飲み干した。

するとどうだろう・・・あっという間に喉が熱くなって・・・やがて身体が熱くなってきた。

ああ・・・世界が回る・・・ほらね、さっきまでの量が私のギリギリのラインだったんだ・・・きっと。

何だろう・・・こんな気分初めて・・・なんていうのかな、気持ちいい?ううん、そうじゃない。気持ちいいわけじゃない。

だって、熱いし。こりゃ祐巳ちゃんが服脱ぐのも分かる気がしゅる・・・ヤバイ・・・ろ、ろれつが・・・回らない・・・かも。

私の目の前には祐巳ちゃんが首を傾げながらニコニコして座ってる。それは分かるんだけど、なんでかな・・・凄く愛しく見える。

ていうか、無意味に甘えたい・・・でも皆居るのに?普段の私なら絶対そんな事しない。

そう、普段の、あくまでも酔ってない時の私なら!でもね、お酒ってほんと凄い。

普段の自分を捨てるには十分すぎるほどの威力を持ってる。ああ・・・だから酒は呑んでも飲まれるなって言うんだ、昔から。

理性が崩壊する音が耳の奥で聞こえる・・・。

私は夢を見た。いや、正しくは見ていたような気がする。昔叶えられなかったささやかな夢。

誰かに無条件に愛されて、誰かを愛して、そして無条件に甘える夢を。でも・・・夢の中の出来事じゃなかった。

私は祐巳ちゃんに抱きついてまるで猫みたいに頬擦りしてたんだから・・・理性の歯止めがないって、ほんと怖い。

「せ、聖さま!?ど、どうされましたっ!?」

「ん〜・・・ふ・・・ふふふ・・・祐巳ちゃんかわいい・・・かわいい、かわいい・・・ふふ」

私さ、昔兄弟がほんと欲しかった。真剣に欲しかったの。妹でも弟でもお兄ちゃんでもお姉ちゃんでも良かった。

でも、そのどれも手に入らなくて、いつもいつも一人ぼっち。それが寂しかった。

別に祐巳ちゃんを妹みたいに感じた事はないけど、この時私は初めて分かった。

私は、好きな人に全てを求めてしまうのだ、と。両親、兄弟、親友、そして・・・恋人の愛情を。

きっとこんな風に酔わなかったら気づかなかった。ある意味では祐巳ちゃんに感謝しなきゃかもしれない。

そして、私は今祐巳ちゃんをまるで本当の妹のように可愛いと思ってるみたい。

嫌がる祐巳ちゃんを膝の上に乗せて猫っ可愛がりをしてる所を見ると。こういう時って、意識はどこにあるんだろ?

確かに私は酔ってるのに、意識はちゃんとあってかなり冷静に私を見てるのに、身体や言動はまるで、

誰かに乗っ取られたみたいにバラバラに動く。ああ・・・お願い・・・私・・・そろそろ止めてっっ!!!

「やぁ!!聖さま、そんなとこ触らないでくださいよっっ!!!」

「んー?ほら、暴れたらちゃんと拭けないでしょー?」

「ど、どこも汚れてませっ・・・むぐ!?」

「ちゃんとお口も拭こうね?」

・・ああ・・・もう嫌・・・これ誰よ・・・絶対私じゃないよ・・・。

ハンカチ・・・いや、これは台拭きだな。台拭きで口を拭かれた祐巳ちゃんは不機嫌そうな顔して私を睨んでるんだけど、

酔った私にはそんな事どうでもいいみたい。ていうか、どーしても祐巳ちゃんのお世話したいんだな・・・私・・・。

「さて、そろそろ眠らなきゃならない時間だよ。でも、その前にお着替えしようか」

「せ、聖さま??だ、大丈夫ですか??ていうか、着替えぐらい自分で・・・」

「なに言ってんの?ボタンとかちゃんと留めれるの?袖一人で通せる?大丈夫、私がちゃんとしてあげるから」

「は?・・・はあ・・・」

いや、お願いだから祐巳ちゃん、大人しくならないで!!どうにかして逃げて!!!

今の私は間違いなく蓉子がいつも言うように飢えた野獣よっ!!!つか、むしろ珍獣よっっっ!!!!

「あ・・・ダメだわ・・・その前にお風呂に入らなきゃ・・・ね?」

「へっ!?」

「ほら、洗ってあげるからおいで」

そう言って私は祐巳ちゃんを抱っこした。つか・・・おもっ・・・。

でも酔ってると、ていうか、酔ってる私にはそんなの全然苦にならないんだ。いつもなら絶対嫌味の一つも飛び出すのに。

と、その時だった。足元がよく見えなかったせいでドア付近に転がっていた蓉子の髪を思い切りふんづけてしまった。

「いだーーーーーーーっっっ!!!!」

案の定、蓉子は物凄い勢いで跳ね起きてその声で数人が目を覚ましてしまった。

あーあ・・・せっかく皆寝てたのに・・・私のドジ・・・。どうするのよ、こんな私見られて・・・ああ、もう、泣きそう。

「ちょっと!!!なにするのよっっ!!!痛いじゃない!抜けるじゃない!!!」

怒る蓉子。いつもの私なら絶対からかって適当に謝ってそれでお仕舞。なのに、今日の私は違う。

祐巳ちゃんを床にそっと降ろすと、蓉子の前にしゃがみこんだ。そして真っ直ぐに蓉子の目を見つめる。

「な、なによ」

「ごめんね、蓉子・・・痛かったでしょ?大丈夫だった?」

私の言葉に蓉子は・・・いや、皆ポカンと口を開けていた。まるでなにか得体の知れない何かを見るような目つきで。

「ど・・・どうしたの?あんた・・・変よ?」

「どうして?私はどこも変じゃないよ。ねぇ?祐巳ちゃん」

私の問いに祐巳ちゃんは物凄い早さで首を振った。横に。・・・ちょっと、なにもそんなに力一杯首振らなくても・・・。

「あ・・・あの・・・聖さま、多分酔ってらっしゃるんです。私が・・・私が余計な事したばっかりに!!!」

祐巳ちゃんがその場にしゃがみこんで頭を抱えた。ていうかさ、どうしてそんなに気味悪がるのよ。

そりゃ自分でも気持ち悪いけども!!だからってそこまで引かなくても!つか、ドン引き?

「皆酷い・・・確かに・・・確かにいつもの私じゃないかもしれないけど、あんまりよっ!」

「あっ!聖さま!!」

私・・・こんなにも乙女チックなキャラだった?お酒って・・・ほんと、怖い。つか、自分が怖い。

部屋を飛び出した私を祐巳ちゃんが追いかけてきてくれた。

私の腰に抱きついて家を飛び出そうとする私を必死になって止めてくれる。

「聖さまっ!落ち着いてください!!誰も聖さまの事変だなんて思ってませんからっ!!」

「嘘よ!!皆絶対変だと思ってるわ!!ほら、あの蓉子の目を見てよ!!」

そう言って指差した先には必死になって笑いを堪えている蓉子の姿。

お姉さまは完全にお腹抱えて笑ってる。もちろん江利子も。ちなみに由乃ちゃんと志摩子は爆睡中。

まぁ、それがせめてもの救いよね、ほんと。はぁ・・・もう二度とこんなになるまで私はお酒を飲まない。

私の築き上げたイメージが、音を立てて崩れてゆく。

ある意味では、前からずっと私がしたかった事なんだけど・・・でも、これは・・・どうかなぁ・・・。


第八十六話『出来心』


・・・・・・・・・・・・・・聖さまが壊れた・・・・・・・・・・・・・・・。

初めはー、ほんの軽い気持ちだったんですよー。テレビとかで聞くあの音声を変えた声が妙に頭の中を回る。

確かに。初めはほんの軽い気持ちだった。かるーい気持ちで聖さまを酔わせてみようって思ったんだ。

どんなになるのかな?単なる好奇心だった。だって、聖さまっていっつも飄々としてて捉え所がなくて、格好いいじゃない。

そういうのをほんのちょっとだけ、ほんのちょっとだけ崩してみたかったんだよね・・・それがまさか・・・。

「・・・こんな事になるなんて・・・」

聖さまは今、私の髪を洗ってくれてる。頼みもしないのに。

「ど〜う?気持ちいい?」

「は、はあ・・・」

いつもは、自分の事は自分でやりなさい!とか言って怒るのに、酔った聖さまは怖いぐらい優しい。

いや、優しいというよりは、まるで私の世話をしてる・・・そう、そんな感じ。

さっきの一件といい、今といい、実は聖さまって相当乙女チックな人なんじゃ・・・そんな疑いすら湧いてくる。

でなきゃあの聖さまが蓉子さまの一言で瞳を潤ませたりしない。怖い!はっきり言って怖いよっっ!!!

早く、一刻も早く聖さまの酔いよ醒めてっっ!!!!

「さて、次は身体ね。はい、祐巳ちゃん万歳して」

「え、ええ?か、身体もですか?」

「もちろん。ほら、万歳!」

ばんざ〜い。まるで小さい子の身体を洗うときみたいな掛け声に私は仕方なく従った。だって、また泣かれても困る。

ニコニコしながら私の身体を洗う聖さまは本当に楽しそう・・・ていうか、嬉しそう。

これでもし覚えてなかったとしたら・・・いや、覚えてない方が幸せかもしれない。

しかし・・・人に身体を洗ってもらうってのはかなり恥ずかしいんだな・・・それにくすぐったい。

いつもの聖さまなら、絶対途中で変な気起こすんだろうけど、どうも今は違うらしい。完全にお姉ちゃんモードだ。

そして私は完全に赤ちゃんモード。そんな私に聖さまは言った。とても突拍子も無い事を。

それは私が聖さまをいつも通り聖さまって呼んだ所から始まった。

「あ・・・あの、聖さま・・・?もうこのへんでいいかと・・・」

私の言葉に突然聖さまの表情が曇った。な、なに?私、何か変な事言った??

「どうして・・・どうしてお姉ちゃんって・・・呼んでくれないの?」

「はい?!」

「聖・・・お姉ちゃんでしょ?」

な、なにを言い出すのか、この人は。目を白黒させる私に聖さまは構わず続けた。

「もっと・・・甘えてよ。でなきゃ私・・・寂しい」

いや、いやいや、聖さま?自分が今何言ってるのかちゃんと分かってます??視線を伏せた聖さまの顔は本当に寂しそう。

どうやら聖さまは冗談じゃなく、本当にお姉ちゃんって呼んで欲しいみたい。だってほら、また涙目だもん。

「え・・・えっと・・・」

「ちゃんと呼んで」

「せ・・・聖・・・お姉・・・ちゃん・・・」

「うんっ」

うんって・・・そんな笑顔で・・・もうどうしよう・・・私、自分が恥ずかしい!!

そんな訳で上機嫌の聖さまは湯船に私を浸からせて、一人で100まで数を数えた私を褒めた。

偉いね、祐巳ちゃんは本当に偉いね、って・・・お母さんか!!

「そろそろ上がろうか。上せちゃったら大変!」

「そ・・・そうですね」

お風呂を上がると丁寧に私の身体の隅々までちゃんとバスタオルで拭いてくれる聖さま。

何だろう・・・何もされないのが返ってドキドキするんですけど・・・。

リビングに戻ると、待ってましたとばかりにSRGがお風呂に向かった。

バツの悪い私は蓉子さまと江利子さまの好奇の視線に赤くなりながらも、冷蔵庫に向おうとすると、それを聖さまが止める。

「なにが飲みたいの?」

「え?えっと・・・オ、オレンジジュース・・・」

「取ってきてあげる」

「あ、ありがとう・・・ございます・・・」

聖さまは嬉々として私の世話を焼く。でもね、そうかと思えば突然甘えてきたりもするからもう訳が分からない。

「はいっ!オレンジジュース!ね、ね、ちゃんと取ってきたから褒めてっ」

世話を焼いたかと思ったら今度は褒めろ・・・まぁ、可愛いからいいけど。

確かに、最初は戸惑ったけど、たまにはこういうのもいいかも。

私までもしかすると聖さまのお姉ちゃん病がうつったのかもしれない。

私の前にちょこんって座る聖さまの頭を優しく撫でると、聖さまはそれだけで喜んだ。

「いいこ、いいこ」

「えへへ」

はぅ・・・か、可愛い・・・こんな娘、ちょっと欲しいかも・・・。いつもの聖さまからは絶対に想像できない。

でも、こういう聖さまも居たんだって今日初めて知った。今までは絶対に見ることが出来なかった聖さま。

甘えたり世話を焼いたり、かなり気味悪いけどたまにはいい。

ていうか、なんかそういう聖さまの一面を見れた事が素直に嬉しい。

「さて、それじゃあ祐巳ちゃんそろそろお休みの時間だよ?」

「えっ!も、もうですか?」

「そう。だって、もう11時だもん。祐巳ちゃんは寝る時間だよ」

「え、えええー??」

「聖、祐巳ちゃん嫌がってるじゃない」

「江利子は黙ってて!ほら、祐巳ちゃん風邪ひかないうちに布団に入って!私が子守唄歌ってあげるから」

「子守唄って!!聖、本気?」

それまで私たちの同行を見守っていた蓉子さまと江利子さまが噴出した。でも、次の瞬間その笑顔が凍りつく。

「・・・なによ、二人とも何か文句でもあるの?」

ひっくーい声に、冷たい顔・・・そうそう、聖さまは怒るとこういう顔をする。そして、こうやって怒るときは本気で怒ってる時。

「い、いいえ?いいわね!子守唄!!ね?祐巳ちゃんっ」

「・・・・・はあ・・・・・」

江利子さまの言葉に蓉子さまも頷いている。二人ともズルイよ・・・助けてよ。私まだ全然眠くないのに。

「さ、祐巳ちゃん。皆にお休みして」

「お、お休みなさい・・・」

「「お休みっ!!」」

うぅ・・・酷い・・・夜はまだまだこれからなのに・・・蓉子さまと江利子さまの私を見る目は明らかに哀れんでる。

聖さまに手を引かれて仕切りのロックを開けて中に入るなり、

私を布団に押し込んで胸の辺りをポンポンと叩きながら約束どおり子守唄を歌ってくれた。

ちなみに曲名は『とおりゃんせ』・・・こわっ!なんか、こわっっ!!!どうしてよりによってそのチョイス!?

静かに歌う聖さまの声は甘くて眠気を誘う。でも、でも!!私はもっとお泊り会を楽しみたい!!!

だからさっき聖さまが言ってた通り思い切って甘えてみることにした。

「聖お姉ちゃん・・・私、まだ眠くないよ。まだ皆と遊びたい」

私の言葉に聖さまは一瞬キョトンとした。子守唄を止めてマジマジと私の顔を見る。

「ダメよ。もう寝る時間でしょ?」

「でも・・・聖お姉ちゃんは私が寝たらあっち行っちゃうんでしょ?そんなの・・・いや・・・」

我ながらナイス演技力!!そしてお姉ちゃんって呼ぶのにもちょっと慣れてきた。

私の問いに聖おね・・・いや、聖さまがにっこりと笑った。

「もう、しょうがないなぁ。じゃあもうちょっとだけだからね」

「うん!」

流石の聖さまももうそろそろ酔い醒めるだろ、きっと。それまでどうにかごまかしゃいい。我ながらなんて名案!


第八十七話『電化製品』


今、聖が熱い。ていうか、聖が面白い。聖は今祐巳ちゃんを膝の上に抱えてかなりご満悦の様子。

一方祐巳ちゃんはかなりバツが悪そう。そりゃそうか、だって、さっきからずっと聖は祐巳ちゃんを放さないんですものね。

可哀想に・・・祐巳ちゃん、ご愁傷様・・・。

「せ、聖お姉ちゃん・・・私・・・その、ちょっとお手洗い行きたいんですけど・・・」

「一人で大丈夫?一緒に行かなくても平気?オバケ怖くない?」

「だ、大丈夫です!!お手洗いは一人で行かせてください!!」

ちょっと考え込んでた聖は、ようやく祐巳ちゃんを放した。祐巳ちゃんはホッとしたみたいに部屋から出てゆく。

その瞬間、聖の顔つきが変わった。コイツ・・・とんでもない多重人格者だ・・・。

「・・・なによ?」

「べ、別に?ただ、祐巳ちゃんが居なくなった途端その顔・・・まるで高校の時みたいよ」

いや、実際は高校の時よりも性質が悪そうに見えない事もない。江利子が私の隣でうんうん頷いた。

そんな私たちを見て、聖は鼻で笑う。フフン、そんな感じ。

「あんた達相手にどんな顔しろってのよ?」

うーわー・・・すっごい感じ悪い。そうか、聖って元々こうい奴だったっけ。祐巳ちゃんが居なくなった途端これだもん。

「でも聖、あれはやりすぎでしょ。また鬱陶しいって言われるわよ?」

江利子は多分、茶化そうとしたんだと思うの。でも、それは聖には禁句だった。聖の顔からおよそ表情というものが消えた。

「どういう意味?私が祐巳ちゃんに嫌われるとでも?」

「や、その!そ、そういう意味ではなくて!!」

・・珍しい事もあるもんだ。あの江利子が慌ててる。

いつもは完全に傍観者を決め込むのに、どうやら今回はそうはいかないらしい。そりゃそうよ、自分で蒔いたんですもの。

「じゃあどういう意味?それ以外に意味なんてあるの?」

「よ、蓉子、助けて!!」

ちょ、ちょっと待ってよ、どうして私に振るのよ!!ダメよ、だって完全に怒ってるもの。

その時だった。運良く(?)SRGと祐巳ちゃんが同時にリビングに帰ってきた。

でも、どうやら聖には祐巳ちゃんは目に入ってないみたい。だって、まるで闘牛みたいな顔してるもん。

多分江利子が赤い布にでも見えてるに違いない。むしろ江利子しか目に入ってない。

「どうしたの?一体」

「そ、それが・・・江利子が聖を怒らせてしまいまして」

SRGに簡単に今までの経緯を話すと、SRGは苦く笑った。そして、隣で唖然としてる祐巳ちゃんの肩をポンと叩く。

「祐巳ちゃん、どうやら出番よ」

「はいー?」

無理ですよっっ!!そう言って祐巳ちゃんは両手をブンブン振った。

どうやらいくら祐巳ちゃんでもこうなってしまった聖は押さえることが出来ないみたい。

それでも、一応祐巳ちゃんは聖の前に立った。

「聖さま、聖お姉ちゃん、ダメですよ、そんなに怒っちゃ」

優しく、あくまでも可愛く、祐巳ちゃんは聖を諭そうとするけど、聖は祐巳ちゃんに視線を落とす事もなかった。

それどころか、祐巳ちゃんをそっと押しのけ冷たい声で言った。

「祐巳ちゃんは黙ってて」

と。多分、これに祐巳ちゃんが切れた。突然クルリと踵を返してキッチンに消えた。

で、戻ってきた祐巳ちゃんの手には何故か水の入ったコップ。

なるほど、聖に水を飲ませてちょっと冷静にさせようっていうのね?そうなのね?

「さすがね、祐巳ちゃん。伊達に聖と一緒に住んでないわね」

私が大したもんだと褒めた。SRGも褒めた。でも、私たちは忘れてた。そう、祐巳ちゃんも実は酔ってたって事を。

まだ固まったままの二人の間に祐巳ちゃんはコップを持ったまま果敢にも割り込んだ。

そして、聖を見上げ次の瞬間・・・バシャ!!

「「祐巳ちゃんっっ?!」」

私とSRGの声が重なる。だって、あまりにも祐巳ちゃんの行動が突然すぎた。

江利子も、私も、SRGも唖然としてピクリとも動かない二人をただ見守るしかなかった。

もしかすると、殺し合いが始まるかもしれない。そんな不安に駆られる。でも・・・。

「・・・つめた・・・いやー、ありがと、祐巳ちゃん。やっと正気に戻ったわ」

「全くもう!聖さまは怒ると見境なくなるんだから」

「ごめんごめん。あ、江利子ごめんね。悪気があった訳じゃないのよ」

そう言って聖は髪から滴る雫を指先で払った・・・いや、ちょっと待って・・・なに、この展開。もしかしてドッキリ?

そう思いたくなるほど聖の酔いはすっかり醒めたらしく、もういつもの聖で・・・。

ていうか、祐巳ちゃんっ!!!いきなり水ぶっかけるなんて!!!

「えー、だって、壊れたものは大概水かけるか叩くかすると直るじゃないですか」

「そうそう。現に私、酔い醒めたし。ねー?」

「はいっ」

「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」

もうダメ・・・私、ついてけない。ていうか、聖と祐巳ちゃんって・・・多分相当気が合ってる。

ただ一つ分かったのは、聖は酔うとかなり性質悪い。それと、祐巳ちゃんは怒らせると怖い。

あと、聖はどうも電化製品と同じ性質を持つらしい、ということぐらい。

「ま、まあ、とりあえず聖が無事元に戻って良かったわ、ね?皆!」

SRGがそう言ってさっくりとまとめた。さすが聖のお姉さま・・・切り替えの早さは天下一品。

私と江利子が無言で頷く。ていうか、頷くしかないじゃない!!

「さて、私の意外な一面も見れた事だし飲みなおしますか」

聖はそう言って転がっていたチューハイに手をつけようとする。だから、私は慌ててそれを止めた。

「あんたはもう飲まなくてよろしい!!」

「えー」

「えーじゃないっ!!」

全く。もう二度と聖に一定の量以上のお酒を飲ませるべきじゃない。特に祐巳ちゃんの居ないときは!

それにしても・・・どうやら聖は酔っていた間の事をどうやら全部覚えているらしく、相当恥ずかしそう。

でも、聖の場合一切顔に出なかった。赤くもならないし、口調もしっかりしてる。だから一見酔ってるのかどうかも分からなくて。

「それがさー、全部はっきり覚えてるのよ。もう恥ずかしくて恥ずかしくて」

「・・・そうでしょうねぇ」

こうなったらもう呆れるしかない。あと、ちょっとだけ哀れにも思う。でも・・・幸せそうだった。

祐巳ちゃんの世話焼いてる時の聖は本当に楽しそうだった。だから本人はそんなにショックでもないみたい。

「全く・・・もう二度とごめんだわ、あんたと飲むの」

「まぁまぁ、そう言わずに」

ほんっと、調子いいんだから。まぁ、これが聖だ。私は聖の注いでくれたピンク色のお酒を、ゆっくりと飲み干した。


第八十八話『由乃流』


耳に感じる生暖かい風・・・なんだろう?んー・・・まだ眠いのに・・・。うっすらと目を開けると、誰かの笑顔が見える。

令ちゃん?・・・ううん、違う・・・誰だっけ、これ・・・。

「おはよ」

「ぎゃあっ!!」

目が覚めたら目の前に聖さまが居た。しかもドアップで。

驚いてパッチリと目を開けた私は、首だけ動かして慌てて周りを見渡す。

反対側には志摩子さんがまだ微かに寝息を立てている。・・・ていうか、祐巳さんっ!祐巳さんはっ?!

「誰探してるの?」

「はっ、ゆっ、祐巳さんでありますっ!!」

な、なに言ってんの?私!!案の定聖さまは笑ってる。ていうか、どうして聖さまが私の顔覗き込んでる訳??

「祐巳ちゃんは今後片付け中。ちなみに、お風呂空いてるよ?」

「はっ、そ、そうですかっ!わざわざありがとうございますっ!!」

「いいえ、どういたしまして」

聖さまはそう言って私を抱え起こしてくれた。まるで金縛りにでもあったみたいに動けない私を聖さまはからかう。

・・祐巳さん・・・ごめんね・・・令ちゃん、ごめんね・・・今ちょっとだけ聖さまにトキメイちゃったよ・・・。

「さて、次は志摩子か。志摩子はどうやって起こそうか?」

聖さまの言葉にSRGが、そうねー、なんて腕組して考えている。なるほど、さっきの吐息も多分SRGが考えたんだろう。

そしてそれを実行した聖さまは絶対に楽しんでたに違いない。私は立ち上がると悪巧みしてる二人を置いてキッチンに入った。

料理は苦手だけど、洗い物は得意なんだー。

「ゆ〜みさん。手伝うよ・・・あっ!蓉子さまここにいらしたんですか。私変わります」

「あら、ありがと、由乃ちゃん」

私は入れ替わりに出て行った蓉子さまの背中を見送ると祐巳さんの隣に立った。

「どうやって起こされたの?」

楽しそうにそんな事聞いてくる祐巳さんの顔は、どこか意地悪。ほんと、近くにずっと居ると似てくるってほんとなんだ。

今の祐巳さんの顔ビックリするぐらい聖さまソックリ。私は苦笑いして正直に言った。

「それがね、耳に息吹きかけられた・・・心臓止まるかと思っちゃった」

「あはは!災難だったね」

「ほんとだよー、もう!」

まぁでも、聖さまのアップが見れたから良しとしようと思う。

それにしても、美人はあんなにもアップで見ても全っ然崩れないのね。

それが凄い。聖さまはなー・・・あれで性格が良ければ完璧なんだけどなー・・・。

「なに言ってるの?聖さまはあの性格だからいいんじゃない!由乃さんは分かってないなー」

「そ〜う〜?もっと優しかったり女たらしじゃなかったらって祐巳さんは思わないの?」

だってさ、聖さまってほんと女たらしじゃん。人の恋人の事こんな風に言うのもどうかと思うけどさ。

私にも平気であんな事するような人だよ?令ちゃんほど・・・とは言わなくてももうちょっと素直でもいいと思うんだけど。

まぁ、確かに。聖さまが祐巳さんにだけは特別優しいのは知ってる。だってたまに羨ましくなるもん。

でも・・・もうちょっと・・・ねぇ?私の言葉に祐巳さんは笑った。

「聖さまは性格以外極上だからいいの。

私からしたら聖さまがもしももっと素直で誠実だったら、きっとつまらなかったんじゃないかなって思う。

私の知ってる聖さまはワガママで自己中で、ほんとどうしようもないけど、でも・・・それがいいんだよね。

癖になるっていうか・・・でも誰でもそうなんじゃない?案外恋愛なんて麻薬みたいなものなのかもよ?」

「ふーん・・・そんなものかな?」

「そんなものだよ。由乃さんだって令さまじゃなきゃ嫌でしょ?もし令さまがもっと違う性格だったら、きっと嫌でしょ?」

う〜ん・・・どうだろう?令ちゃんの場合もうちょっと根性があってもいいと思うんだよね。

元剣道部で今は顧問なんだからさ、もっと威厳とかがあってもいいと思うの。

でも・・・祐巳さんの言う通り私は思いっきり令ちゃんに甘えてる。

いつもいつも、私のわがままを令ちゃんが聞いてくれる事を知ってるから。恋愛は麻薬・・・か。

じゃあ私は令ちゃん中毒か。でも、たまに沸き起こるこのマンネリ感はなんだろう?

洗い物が終わってリビングに戻った私は、そんな質問を聖さまにしてみた。

「そりゃそうでしょ。例えば中毒率の高い煙草に例えると、美味しく感じると止められない。

でも、ずっと同じもの吸ってると飽きる。だけど煙草は止められないから、違うメーカーに変える。

けど、やっぱり物足りなくて結局元のに戻す。その繰り返し。でも止められないのよ。

まぁ・・・たまにね、違う煙草が気に入っちゃってそのままそれが定着する事もあるかもしれないけど」

そう言って聖さまは笑った。なるほど、実際私は煙草を吸った事ないからよくは分からないけど、そういうもんなのかな?

その話を聞いていた祐巳さんが、キッて聖さまを睨んだ。

「まるで吸ってたみたいに話しますね?」

「私?今は吸わないよ。でも昔・・・本当に昔ちょっとだけ吸ってた時期があったってだけで」

「・・・そんなの初耳ですよ、私」

「そりゃそうでしょ。私だって忘れてたもの。今の今まで」

へー・・・そうなんだー・・・まぁ、今は全く吸ってないみたいだけど。どっちにしても、今の例えはよく分かった。

祐巳さんと聖さまはまだ煙草の話で盛り上がってるけど、私は恋愛について考えていた。

今の聖さまの話・・・それって結局恋愛にマンネリはつきものって事?じゃあ別に私だけじゃない?

令ちゃんの事好きなのに、こんなにも好きなのにたまに退屈だと思ってしまうのは、私だけじゃ・・・。

そう思うと何だか心が軽くなった。ほんとはね、ずっと苦しかったんだ。

だって、こんな気持ちを感じ始めたのは最近で、しかも初めてだったから。でも、じゃあどうすればいいんだろう?

この先、私はどうすればいいんだろう?聖さまの言うように浮気するとか?でも、それって違う気がする。

浮気して誰かと比べて令ちゃんの良さに気づくなんてやっぱっり間違ってるし、そんなの都合が良すぎる。

「そうね。私もそう思う。今はね」

心の内を話すと聖さまは優しく微笑んだ。聖さまがこんな風に私に笑いかけてくれたのは、これが初めてだった。

「じゃあ・・・じゃあどうすれば?」

「さぁねぇ・・・どうしたらいいんだろうね。飽きるって事は、それだけ長く居たって事でしょ?それって相当幸せじゃん?

でもその幸せがね、当然みたいになっちゃってある日ふと退屈になるんだよね」

「そう!そうなんですっ!!」

つうか、まさにソレ!!だってね、毎日同じ毎日なの。それってつまらない。もっと刺激が欲しいって思ってしまう。

それどころか、令ちゃんの一言一言にムカついちゃったりとかして、もうどうしようもなくなる。

「そういう時は、しばらく会わない。って言いたいとこだけど、必ずしもそれが成功する訳じゃないし、

こういうのに答えはないよ。やり方は人それぞれだと思うし、私は今までは浮気して誤魔化してたってだけだし。

まぁ、一番悪い方法よね、よく考えれば。いやー、だから今は祐巳ちゃんと付き合ってて良かったよ、ほんと」

「・・・どういう意味です?」

祐巳さんが怖い顔して呟く。そんな祐巳さんを見て聖さまは意地悪に笑った。

「だって、祐巳ちゃん飽きないもん!」

聖さまは今思いっきり恋愛を楽しんでる。全身にそれが表れてる。だから聖さまはまた綺麗になった。そして、祐巳さんも。

いいな・・・羨ましいな・・・こんな気持ち、二人は知らないんだろうな・・・。長く付き合う事で生じるこんな気持ちの事なんて・・・。

私と令ちゃんは幼馴染で、家もお隣。

もう令ちゃんの知らない事なんて殆ど無いし、私だって令ちゃんの事殆ど知ってる(つもりだけど)。

でもだからこそ、もう他の誰かとなんて考えられない。また一から全てをやりなおすなんて。

でもね・・・私、思う。いつかはきっとこの気持ちをこの二人も理解してくれる日が来ると思うんだ。このままいけば。

その時にさ、私にしか出せない答えってのがあってもいいかもしれない。

もしも祐巳さんに、もしくは聖さまに質問された時、胸張って答えられるように。

だから私は私の力で私の恋愛を頑張らなきゃいけないんだ。きっと。


第八十九話『絶え間ない木漏れ日』


お泊り会ってのは、実はこんないも過酷だったんだって事、初めて知った。

皆小さい頃からこんな事してたの?ほんと・・・凄い体力だよね。私は皆を送り出して大きなため息を落とした。

「お疲れ様でした!はい、聖さまの分」

「ありがとー・・・あー・・・腰痛い・・・」

トントンと腰を叩きながらソファに座る私は相当年より臭い。でも、しょうがないと思うのよ。だって、真剣に疲れたんだもん。

あの後皆起きてから飲みなおして、それから朝までずっと騒いでた。その後ようやく皆寝て・・・で、今はすでにもう夕方・・・。

時間が経つのってほんと早い。私と祐巳ちゃんは何故かベッドを追い出されてそこにお姉さまと蓉子が寝て、

祐巳ちゃんの部屋のベッドは由乃ちゃんと志摩子。そして私の部屋のベッドは江利子・・・。

どうして江利子だけ一人なのよ!?なんて最後までキーキー言ってた蓉子だったけど、昼見たらお姉さま床で寝てたし。

多分あれは明け方ベッドから叩き出されたに違いない。結局蓉子っもあのデカイベッドで一人で寝てた。

・・で、私たちはと言えば・・・。

「祐巳ちゃんは、ほんっとうに寝相が悪い」

「そんな!聖さまだって!!」

「ていうか、そもそもこのソファで二人寝るのは無理があるよね」

「・・・言えてます・・・」

そう、私たちは仕方なくこのソファで寝た。まぁ、ちょっと大きめだし一応はソファベッドだからまだマシだったようなものの、

もしこれが普通のソファだったら・・・絶対に私は床で寝かされたに違いない。祐巳ちゃんに蹴落とされて。

二人して縮こまって寝たもんだから、もう肩は痛いし首は痛いし・・・ほんと、災難だわ。

私は祐巳ちゃんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、もう一度大きなため息を落とした。

「楽しくなかったですか?」

小首を傾げて祐巳ちゃんはそんな事聞いてきた。

「楽しくなかった訳じゃないけど、ちょっと疲れたかな。だって、あのメンバーよ?疲れない訳ないじゃない」

私の言葉に祐巳ちゃんは小さく笑った。どうやらさっきまでの出来事を思い出してるみたい。

「そりゃそうですね。よくよく考えれば凄いメンバーでしたもんね」

「でしょー?ほんと・・・江利子に言ったのが間違いだったわ」

「でも、私は思ってたよりもずっと楽しかったですけど」

そうね、それはそう。楽しかった、実際。何せ初めて酔ったしね。もう二度と御免だけど。あんなの祥子と変わんない。

自分でもビックリするほど意外な一面だった。まさか私酔うとあんな風になるなんて・・・。

でも全部ひっくるめて、やっぱり楽しかったんだ、私。仲間とあんな風に笑ったのは初めてだった。

それもこれも全部・・・。

「ありがとね、祐巳ちゃん」

「?なんです、突然」

「なんとなく」

そう言って私はゆっくり祐巳ちゃんの瞼に口付けた。はっ!そう言えば、お休みのキスしてなかった!!

それを思い出して、私はそのまま祐巳ちゃんの唇に口付ける。

すると、祐巳ちゃんも同じこと考えてたのか、にっこりと笑って照れたように笑った。

ようやく、日常が戻ってきた。あんなにも騒がしかった部屋も、今は祐巳ちゃんと二人。

夕日が部屋に差し込んで私たちの座ってるソファを紅く照らし出す。

凄く静かで、まるでさっきまでのあの慌しさが嘘みたいだけど、でもさっきよりもずっと暖かい気は・・・する。

「なんか・・・静かだねー」

「そりゃ、賑やかでしたから」

「寂しい?」

真面目な顔した私に、祐巳ちゃんはゆっくり首を振った。ううん、って小さく呟く声が聞こえる。

良かった。やっぱり私は二人がいい。楽しかったけど、やっぱりここには二人っきりがいい。

こうやって寄り添って沈んでく太陽とか見ながらお茶して、溜息に似た息を吐き出す瞬間が重なったりとかして。

「でも・・・たまにはいいですね、ああいうのも」

「そうね。でも今度は誰かの家でやろうね?もうウチは嫌よ?私だってベッドで寝たいもん」

「ふふ、そうですね。そうしましょう!後片付けも大変ですしね」

「言えてる」

大方片付けたけど、明日はまた朝から掃除しなきゃだわ。良かった、まだ明日が休みで。

それにしても、もうすぐ春休みか・・・三学期は短いな、ほんと。まるでつい昨日まで研修行ってたような気がするのに、

もうあと一ヶ月で春休み。春は部活とか無いし、祐巳ちゃんもまるまる二週間休みになる。

「あのさー、春休み、どっか行こうか」

「・・・へっ?」

祐巳ちゃんの目が点になる。ほんと、表情豊かな子だよ、この子。

「私たち付き合いだして結構経つけどまだ旅行とかした事ないじゃない?だから、春休みにでも近場にブラっと旅行に行こうよ」

ていうか、そろそろ祐巳ちゃんとの約束叶え始めないと流石にマズイ。

かといって泳ぐにはまだ時期が早いからとりあえず遊園地辺りが妥当だろう。しかし・・・この歳になって遊園地か・・・。

私の質問に祐巳ちゃんの顔が輝いた。また・・・嬉しそうに笑うんだ、コレが。だからついつい私まで笑っちゃう。

「ほんとですかっ!?本当の本当に??」

「う、うん。お落ち着いて、祐巳ちゃん・・・痛い、痛いから」

勢い余った祐巳ちゃんが私の手をギュっと握る。物凄い力で。だから私は思わず仰け反ってしまった。

ていうか、正座したまま近寄ってこないでよ、怖いから!!

「どこ行きます?どこがいいですかね!?今ならどこが旬でしょう?!」

・・すでに場所決め・・・?早くね?まだ行くかどうかも未定なのに・・・ていうか、そうか、そんなに旅行行きたかったのか。

なんだか悪いことしたなぁ・・・とか思ってしまう。まだ春休みまであと一ヶ月もあるのに、今からこんな調子で大丈夫なのかな?

なんてちょっと心配になってしまう。今の祐巳ちゃんのはしゃぎようを見てると。

「そうねー・・・なにをメインにするかにもよるよね」

「メインですか?例えば?」

「例えばー温泉とか、食べ物とか、景色とか、そういうのを先に決めないと」

なるほど。祐巳ちゃんはそう言ってポンと手を打った。そして相変わらずお得意の百面相をしながら色々思いを巡らせている。

こんな風に素直に喜べる祐巳ちゃんは本当に素敵。だからもっともっと与えたくなる。幸せや喜びを。

これが誰かを愛するって事なんだろうか?もしそうなら、これってなかなかいい。気分が。

難しい事は分からないけど、ずっとこれが続けばいいのに、なんて単純にも思ってしまう。

でもそんな事考えてる私も・・・なかなかいいんじゃない?自画自賛だけどさ。

私は喜ぶ祐巳ちゃんにくっついてその肩に頭を置いた。

「どうしたんです?」

「お腹減った。何か食べにいこ?」

「もう!人が真剣に考えてるのにムードが無いんだからっ!!いいですよ、なに食べに行きます?」

怒りながらも笑う祐巳ちゃんは何だか可愛かった。もう夕日は沈んでるのに、何故か輝いて見えて・・・。

「んん?!」

「なに食べるかは車で決めよ!」

堪らなくなってキスした私を驚いた目で見上げた祐巳ちゃんの手を引いて、私たちは家を出た。私たちの家を。

絶え間なく木漏れ日が降り注ぐこの部屋を・・・。


第九十話『おもちゃは私だけにして』


聖さまってば本当にワガママなんだから!でも、あんな顔されたら断れないよ。

私が聖さまのワガママに弱い事知っててわざとしてるんだ、きっと!!

車の助手席で私はそんな事考えながら聖さまの横顔を眺めていた。

「どこ行こっかー?」

「そうですねー・・・昨日キムチ鍋でしたからね。今日は何かサッパリしたものがいいです」

そう、例えばお寿司とかね!約束の回転しないお寿司とかねっ!!!聖さまにお寿司ビームを送ったんだけど、

生憎上手い具合にかわされてしまった。・・・はぁ・・・まぁ、私の熱烈目光線の威力なんてこんなもんよ。

「私、ラーメン食べたい。もしくは和食」

「・・・ラーメンか和食・・・?また何ともちぐはぐなチョイスですね」

「まぁねー。要はとりあえず早く何か食べたいって事」

「なるほど。分かりやすいです。そう言ってもらえると」

兎に角何か食わせろってそういう事ね。

聖さま・・・そんなにお腹減ってたんだ・・・確かに聖さま後片付けに夢中になって殆ど朝ごはん食べてなかったもんね。

しかもそのまま寝ちゃったし。起きたらすでに何も残ってなかったし・・・そりゃお腹も減るよ。仕方ないなー、もう。

「じゃあ無難にレストランとかにしときます?何でもあるし早いし」

「さんせ〜い!」

元気に返事して聖さまはハンドルをきった。車はまるで滑るみたいにドンドン走ってゆく。

やがて、目の前にレストランが見えてきた。聖さまはタイヤをキュルキュル言わせながら駐車場に車を滑り込ませると、

そのまま器用に車と車の間に駐車した。ていうか、どうしてこんな風に一発で駐車できるの??私、絶対無理!!

何回も何回も切り返さなきゃ入れられないもん。

で、聖さまにからかわれる・・・と。まぁ、聖さまが居る時は私殆ど運転しないけどね。

「ついたついたー」

「あん!ちょ、待ってくださいよー」

小走りで走ってゆく聖さまの後姿を見つめながら、思わず笑ってしまった。ほんと、聖さまって可愛いんだ。

格好いいんだけど、どっか可愛い。昨日由乃さんが言った。聖さまの性格がもうちょっと良かったら完璧なのにーって。

でも、私はそうは思わない。

こんな風に子供っぽい聖さまも、ワガママばっかり言う聖さまも、意地悪な聖さまだって私は大好き!

一緒に居て本当に楽しいと思えるし、本気で喧嘩も出来る。そんな関係って、なかなか人と築けない。

でも・・・聖さまとなら、そのどれも出来るんだよね。だから私は今のままの聖さまが好き。

もしこの先聖さまが変わっていっても、それはそれでいい。

その隣に私が居られるのなら、変わってゆく聖さまを感じている事が出来るのなら、それでもいい。

なーんて、格好いい事言ったけど、本当は今のままの聖さまがいいからその都度私は止めようとするだろうけど。

でもいい方に変わるのなら・・・きっと止めないと思う。それがだって、愛でしょ?

「ゆ〜み〜ちゃ〜ん!!ちんたら歩かな〜い!!」

「は〜い!!」

・・ちょっとだけさっきの取り消す。もうちょっとだけワガママ直してくれても・・・いいかもね。

店内に入ると、流石連休!どこを見渡しても親子連ればっかり。そこら中から子供の笑い声がして何だか微笑ましい。

係りの人に案内されて私たちが座ったのは一番端っこのほんと、目立たない席だった。

隣には小さな女の子がチョコンって座ってて、お母さんと二人きりで黙々とご飯を食べている。

聖さまは横目でチラリとその光景を見て、苦く笑った。私はその笑いが一体何の笑いなのか分からなかった。

まぁ、聞く勇気はないんだけどさ。一瞬見せた聖さまの苦い笑顔は私の脳裏に焼きついた。

でも、聖さまが暗い表情を見せたのはその一瞬だけで、次の瞬間にはもうすでにメニュー選びに入っている。

「私これにするわ。祐巳ちゃんどうする?」

「えっとー・・・コレと、コレにします」

「うんうん、よく食べるのはいい事よね」

そう言って聖さまは手を伸ばして私の頭を撫でた。ていうか、まだお酒残ってるのかな?なんてちょっと不安になる。

あんな聖さまを見てしまえば。でも・・・よくよく考えれば確かに聖さまって実はお姉ちゃん気質なのかも。

だって、私よくこうやって褒められたりするもん・・・そっか!お酒飲むとそれがエスカレートするんだ!聖さまは。

色んな聖さまがエスカレートする、と言った方が正しいのかもしれないけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「こういうとこのいいとこはさ、何と言っても早いとこだよね」

「そうですかー?私のまだ来ないんですけど」

私は美味しそうな和風ハンバーグを切り分ける聖さまの手元をじっと見詰めていた。私の・・・まだ来ない・・・。

聖さまのハンバーグ美味しそうだなぁ・・・じっとりと見ていた私に気づいた聖さまが、パッって顔を挙げた。

「なによ、欲しいの?」

「ちっ、違いますよっ!」

ほんとは欲しいけど・・・ていうか、私もお腹減ってるのよ!!しかも聖さま先に食べちゃうし・・・。

そんな私の口元まで、ハンバーグがやってきた。なんだ!一口くれるんだ!!聖さまってばたまには優しいんだから!

「はぁぅ・・・にゃっ?!」

「素直じゃない祐巳ちゃんになんてあげないよーだ」

思わず口を開けた私の目の前を、ハンバーグは素通りしてゆく。くぅぅ・・・聖さまめ!!

くっくって笑う聖さまの顔はほんと、意地悪。ていうかさ、ベッタベタじゃない?今の私たち。そりゃもう恥ずかしいぐらいに。

「いいですよ、別に。全っ然欲しくないですもん!その代わり私のだって聖さまにあげませんからね!」

「えー。いいよ、じゃあ一口あげる」

そう言って聖さまは今度は私の口にハンバーグを入れてくれた。これは・・・いわゆるアーンってやつよね・・・。

うふふ、夢が一個叶っちゃった!一人ニヤニヤする私を突き刺す聖さまの視線。

「・・・気持ちわるいって・・・」

「す、すみません・・・つい」

「なに想像してたのよ?つか、なに照れてんの?」

いや、アーンに・・・とは、言えなかった。それこそ恥ずかしくて。

眉を潜めて窺うような聖さまの視線から助けてくれるように、私のご飯がやってきた。ドリア!ドリア!サラダにドリア!

熱々で今にも溢れそうなほどチーズが乗ってて、これでこの値段ならかなり嬉しい。

溶けてドロドロになったチーズは表面がうっすら焦げてて・・・あぁ、もう・・・美味しそう・・・。

「ふ・・・ふふふ・・・嬉しそうな顔してまぁ・・・」

じっと目の前のドリアを見つめていた私を、聖さまは笑った。ヤダ・・・私そんなに嬉しそうな顔してた??

思わず両手で頬の筋肉をキュっと押さえるとわざと険しい顔を作る。

けれど、どうやらそれがさらに聖さまの笑いを誘ったみたいで・・・。

「あっは・・・ちょ、もう、やめてよっ!あは、あははは・・・うっ、ごふっ・・・」

「ちょ、大丈夫ですか?!」

聖さまは口元を押さえながら涙目で目の前の水を一気に飲み干す。

それにしても・・・笑った挙句むせるなんてかなり失礼よね、ほんと。

「いやー、危ない危ない。思わずハンバーグ噴きそうになっちゃったよ。もう、祐巳ちゃんの百面相だけはどうにもおかしくて」

「・・・失礼な・・・」

フンだ、もう知らない。何さ、聖さまなんて口からでも鼻からでもハンバーグ出しちゃえば良かったのに!!

聖さまは目の端に溜まった涙を拭いながらまだ笑いを堪えている・・・だって、口の端がムズムズしてるもん。

絶対まだ笑い足りないんだ。私はだから、かなり熱そうなチーズをつつきながら頬を膨らませて拗ねていた。

そんな私に聖さまは言う。

「ごめんごめん、可愛かったのよ、祐巳ちゃんが。

本当に嬉しそうな顔してドリア見つめてさ、ああ、今頭ん中でドリアがスパークしてるんだろうなぁ・・・、

とか思ったらもうおかしくて。ほんとごめん。だからほら、機嫌直してよ」

聖さまはそう言って仲直りのつもりか、私にハンバーグにつけ添えてあったポテトを数本とハンバーグを少し分けてくれた。

やった!ハンバーグドリアだ!!心の中で喜んだ私を見て、今度はにっこりと笑う聖さま。

「ほんと、単純だね、祐巳ちゃんは」

「そ、そんな事ないですよっ!実は物凄く扱いにくいんですから!聖さまに合わせてあげてるんですよっ」

なんて・・・全くの大嘘だけど。私ほど扱いやすい人も居ないんじゃない?ってぐらい扱いやすいのは自分でも知ってる。

「また・・・よく言うよ。自分で言ってて恥ずかしくない?」

「うっ・・・ちょ、ちょっとだけ・・・」

「だろうね。止めなよ、変な意地張るの」

「・・・・・・はい・・・・・・」

何が悔しいって、聖さまが完全に面白がってるってのが悔しいの!

わざと真面目な顔してさ、知ってるんだからね、本当は今大笑いしたいんだって事ぐらい。

その証拠に聖さまはさっきから一口もハンバーグを食べてない。きっとまた噴きそうになるのを自分でも分かってるんだ。

最近になって分かったんだけど、聖さまってこうやって冷たく言い放つ時は大概笑いを堪えてるか照れ隠しなんだよね。

後は・・・本当に鬱陶しい時だけど、でもその時とはまた顔つきが違う。

なんかさ、付き合っていくうちにこういうのがだんだん分かってきて、

そんで昔をふと思い出すと聖さまの冷たい言葉の裏側を今更になって思い返してみたりとかしてね。

そういうのがね、最近ちょっと楽しい。

嫌味とかバンバン言われてさ、当時はただそれを素直に受け取って凹んだりしてたけど、

今思えばその殆どが照れ隠しだったり笑い堪えてただけだったんだって事が分かって・・・。

まぁ・・・聖さまの場合本当に毒舌な時もあるんだけどね。だから変に誤解を招くのよ。

ある意味では、とても素直な人なのかもしれないなんて思うけど・・・多分わざと言ってんじゃないのかな、この人は。

特に蓉子さまに嫌味言うときとかは率先して一言余計に言ってそうな気もするし。

そのくせ肝心な事はお茶濁したりとか、話してくれないんだよね。

大きなため息を落とした私は、目の前でちょっとづつ消えてゆくサラダに目をやった。

さっきから私の許可も無くサラダをドンドン食べる聖さま。

「・・・聖さま・・・それ、私のです」

「あ・・・気づいてた?」

「あたりまえですっ!!」

気づかない訳がないじゃない!いくらなんでもそこまでドン臭くないわよっ!!

ほらね、こうやって聖さまは私をおもちゃにするんだ。やりたい放題して怒ってもケロっとしてる。

でもね・・・それは、私にだけなんだ。私はそれが分かってるから・・・今もほら、こんなにも好きだと思える。

とりあえず、サラダを半分食べてしまった事はしょうがないから許してあげます。

その代わりこの先ずっと、私以外の人をおもちゃにしたり・・・しないでね?


第九十一話『行き先はまだ見えず』


さっきレストランで見た親子。まるで昔の私のようだった。

マナーにうるさい母さんは食事中の一切のおしゃべりを禁止して、毎日まるでお通夜みたいに食事をした。

お箸の持ち方や魚の取り分け方、お茶の入れ方まで徹底的に叩き込まれたっけ。

その点祐巳ちゃんは・・・まるで犬みたい。別に変な意味じゃなくて、可愛いって意味で。

お箸の持ち方はちょっと変わってるし、食事中だって喋り倒すし、テレビだって見る。

魚の取り分け方も下手くそだしね(だからいっつも私がやる羽目になる!)。

でもね、そういうの私、本当はすっごく苦手だった。祐巳ちゃんが来るまで私はそういうのが嫌でよくご飯は一人で食べてた。

それは教師になってからもそうで、誰かと食事をするのは・・・だから嫌だったんだ。

話しながら食べるなんて、ありえないと思ってたし。

万が一誰かと食べる羽目になっても、私が黙ってれば誰も話しかけてはこない。

ところが、祐巳ちゃんは違った。私がいくら黙ってても平気で話しかけてきて・・・全然黙っててなんてくれなくて。

祐巳ちゃんが一人で延々話してて流石に無視するのにも疲れてきた頃、思わず私は言ってしまった。

『それで?それでどうなったの?』と。

その言葉に祐巳ちゃんが嬉しそうな顔したのは、今もよく覚えてる。祐巳ちゃんは言ったんだ、その後。

『やっと話してくれましたね!』って。『食事って、こうやって食べた方が美味しいんですよ!』って・・・。

そんな馬鹿な。最初はそう思ったんだけどその後パンをかじって、なるほど、そう思った。確かに美味しかったんだ。

もちろん食事中に大きな声でベラベラ話すのはいかがなものかと思うよ?それは今でもそう。

でもね・・・料理を美味しくするのは雰囲気なんだよね、きっと。さっきのあの親子はだから、きっと知らない。

本当の料理の美味しさを。祐巳ちゃんみたいに美味しそうに、楽しそうに食事をするなんて事、きっと無い。

『祐巳ちゃんを見てるとどうでもよくなるんですよね』

私はお姉さまにそう言った。本当に、この子と一緒に居ると大概の悩みや痛みなんてどうでもいい事だと思える。

がんじがらめの規則に縛られていた子供時代。

いつの頃からかそれが当たり前になって、無理してる事にも気づかないでそれが普通になってた。

そういうのって、いつかはやっぱり歪みが出て来るんだよね。別に母さんを恨んじゃいない。むしろ今は感謝すらしてる。

だって、ああいう子供時代を送ったからこそ、こんな些細な幸せに気づく事が出来たんだから。

マンションに帰ってきた私たちはそのままシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。

「はぁぁぁぁ・・・何だか随分久しぶりにベッドに転がったような気がしますぅ〜・・・」

「んな、大げさな。まぁ・・・分からないでもないけど」

クスリと笑う私につられて祐巳ちゃんも笑った。いつかさ、この話を祐巳ちゃんにしてみようと思う。

その時祐巳ちゃんがどんな顔するのかは分からないけど、それでも私は話したい。

私の本当にしようもない、どうでもいい昔話だけど。

「ところで聖さま、春休みどこに行きます?」

「ああ、ほんとだね、どこ行こっか?」

私の態度に祐巳ちゃんは顔をちょっとだけしかめた。

「また忘れてたんでしょ?」

う・・・なかなか痛い所をついてくるじゃない。まぁ、実際その通りなんだけど。だからとりあえず私は笑ってごまかしておいた。

「で、祐巳ちゃんはどこ行きたいの?」

「私ですか?そうですねー・・・激流下りとかしてみたいかも!水しぶきがね!バシャーンって!!

こないだテレビでやってたんですよ!途中桜も見れるって言ってたし」

「はあ?春休みだよ?三月だよ?まだ寒いに決まってるでしょ!それなら普通に屋形船でまったり花見でいいじゃん」

「ええー?でも急流すべりみたいで楽しそうでしたよ?」

「いくら桜見れてもくそ寒い中ガタガタ震えながら花見なんて嫌よ、私。ていうか祐巳ちゃん絶対ずぶ濡れになるって!」

ドン臭いから。そんな言葉を私はかろうじて飲み込んだ。そんな私の台詞に祐巳ちゃんはフフンって鼻で笑う。

おっ!なによ、その挑戦的な態度は。

「大丈夫ですよ!濡れそうになったら聖さま盾にしますから!」

「・・・・・・絶対、嫌。却下」

どうして私が祐巳ちゃん守って濡れなきゃなんないのよ?そんなの嫌に決まってる。

寒いの分かっててわざわざ自ら濡れるバカがどこに居るっつうのよ?

ていうか、私全然そういうタイプじゃないって祐巳ちゃん知ってるでしょうに。

「ええーーー!守ってくれないんですか?」

「当たり前でしょ!そんなの自己責任!濡れたきゃ祐巳ちゃん一人で濡れなさい」

「ちぇー・・・楽しそうだったのになぁ・・・どうしてもダメですか?」

そんなに行きたいのか、激流下りに。つか、そんなに濡れたいか。

「ダメったらダメ!風邪引いて仲良く新学期の初っ端から欠席したい?」

「うう・・・そう・・・ですよね・・・」

そう、私たちは腐っても教師な訳で、ましてや祐巳ちゃんは保健医。

春休みに二人してはしゃいでずぶ濡れになって新学期から欠席とかシャレにもなんないよ。

私の言葉に祐巳ちゃんは唇を尖らせてる。ほんと、しょうがないんだから。

「何がおかしいんですかー」

「いいや、可愛いなと思って」

そんなにやりたかったのね、激流下り。てことは、もしかして祐巳ちゃんってジェットコースターとか好きなのかな?

なんだかあんまりイメージないけど、実はスピード狂?なんか気になったから私は思い切って聞いてみた。

「ええ、好きですよ、ジェットコースター。いいですよね!気持ちいいし」

「ふーん。なんか・・・意外だね」

「そうですか?聖さまはどうなんです?絶叫系は好きですか?」

「私?私も別に嫌いじゃないけど・・・」

特に好きでもないっていうか。つかさ、遊園地なんてほんと、大分昔・・・それこそ小学生の時に行ったのが最後だと思うのよ。

遠足かなんかで。だからもう正直あんまり覚えてないのよね、実は。

「じゃあ、聖さまと一緒に遊園地行ったら楽しそう!」

祐巳ちゃんはそう言って手を叩いて喜んだ。祐巳ちゃん曰く、あんまり周りに絶叫系が好きだって友達は居なかったんだって。

だからずっと行きたかったけど行けなかったらしい。なるほどね、だからあんなにも遊園地デートしたかったのか。

よし、決めた!やっぱり旅行はあそこにしよう!私は祐巳ちゃんに覆いかぶさると両手を押さえ込んだ。

「なっ?な、何です!?急に!!」

「ねぇ、旅行さ、ディズニーランドにしようか?」

「・・・へ?」

「一応あれも遊園地じゃん?近いし十分時間潰せると思うのよ」

春休みは絶対人多いんだろうけど、近場で遊園地っつったらあそこぐらいしか思い当たらない。

それに祐巳ちゃんってそういうの好きそうだし。きっと楽しくなるに違いないと思うの。

案の定私の言葉に祐巳ちゃんの顔がパッって輝いた。でも、次の瞬間表情が曇る。

「どうしたの?嫌なの?」

「いえ・・・そういう訳じゃないんですけど・・・私・・・その・・・」

「なに?」

怪訝な顔した私を見て祐巳ちゃんは、やっぱりなんでもありません、って言って小さく首を振った。

なによ、気になるじゃない。でも・・・あんまりしつこく聞くのもどうかと思うし・・・。

「まぁ、もし他にいいとこあったら早めに言って。でないと予約できなくなっちゃう」

「はい、わかりました!」

「楽しみだね?」

「・・・はいっ!」

何か祐巳ちゃんの態度が煮え切らないんだけど、まぁいっか。

それにしても・・・初めての旅行がディズニーランドってなかなかいいと思うの。

ぬいぐるみとか好きな祐巳ちゃんならきっと楽しめると思うし、それ以前に一応遊園地だし!

にっこりと笑う私を見て、祐巳ちゃんがようやく笑った。これ以上ないぐらいの笑顔で。

私はそれが本当に嬉しくて・・・気づいたらキスしてた。ごめんね、こんな風にしか想いを伝えられなくて。

でもね、祐巳ちゃんにするキスは、他の誰としたキスよりもずっとずっと想いがこもってるんだよ・・・。

それだけは・・・覚えておいてね?


第九十二話『初めての経験』


噂には聞いてたけど、聖さまってほんと・・・昔相当遊んでたに違いない。今、私はそれを痛感してる。

「やっ・・・んん・・・っふ・・・」

聖さまの手の平は凄く暖かい。それなのに、どうしてだろう?こんなにもゾクゾクするのは。

舌が絡まって息が出来なくって、苦しいのにそれでも全然苦痛じゃない。むしろ、幸せなんて感じちゃったリして。

私、ほんとどうしちゃったんだろう?こんなんで大丈夫なのかな?どこに行くにも一緒じゃなきゃ嫌!だとか、

何をしてても私の事考えていて欲しいだとか、そういうのってただのワガママだって分かってるんだけど、

もうどうしようもないよ・・・そいう考えをだって・・・否定出来ないもん・・・。

聖さまの舌が唇を離れ、そのまま首筋を伝ってどんどん下へ行こうとする。でも、何だかそれが哀しくて泣きそうになった。

離したくなかった・・・まだ、唇から離さないで・・・。

「せ・・さま・・・キス・・・もっと、して・・・離さないで・・・」

「どうしたの?珍しいじゃない、そんな事言うの」

自分でも分かんない。いっそキスしたまま眠ってしまいたいと思うほど、誰かを好きになった事なんて無い。

「わかっ・・・ない・・・」

「ちょ、どうして泣くの?」

「分かんないっ・・・ふぇ・・・」

どうして私はこんな風に子供みたいに泣いてるんだろ・・・みっともないなぁ・・・。

言葉にしたいんだけど、上手い具合に言葉が見つからなくてまた泣いてしまう。

そんな私に困ったように、聖さまは私の唇を塞いだ。

あぁ・・・安心する・・・この感じ・・・聖さまはすぐ傍に居るんだ、ってこの感じ。

「ん・・・っむ・・・っふ・・・」

「んぁ・・・ん・・・」

聖さまからも甘い声が漏れて、私はまた安心する。何かを確認するように聖さまに抱きついてもうどうでもいい。

何もかも、もうどうでもいい。世界に例え聖さましか居なくなっても・・・そんな考えまで浮かんできて・・・。

どれぐらい私たちはキスしてたんだろう。私が聖さまから腕を解くと、聖さまは唇を離し私のおでこを小さく小突いた。

「いたっ!」

「痛いのはこっちよ!そんな思い切りしがみ付かなくてもいいでしょう?」

「だって・・・離したら聖さままたキスやめちゃうもん・・・」

私の言葉に聖さまは困ったように笑った。私の身体を抱き起こしてギュッと抱きしめてくれる。

聖さまこそ・・・珍しい。いつもはこんなに優しくしてくれないのに。笑ってバカね、って言ってそれで終わりなのに。

「止めないわよ。止めないから、そんな顔しないで」

「・・・うん・・・」

頷くことしか出来なかった。っふと顔を挙げて聖さまの目を覗き込むと、目の奥がとても優しく輝いていて・・・。

だから私はもう一度抱きついた。そんな私を苦く笑って聖さまは言う。

「だから、痛いって」

「ごめんなさい」

でも、私は離れなかった。むしろもっともっと力を入れた。だって、聖さまの腕にもかなり力が入ってたんだもん。

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仰向けに転がると天井が見える。当たり前だけど聖さまは見えない。そっか、これが嫌なのかもしれないな。

私を抱いてくれているのは聖さまなんだけど、聖さまが見えないのは・・・切ない。

でもキスだとずっと聖さまが見える。まぁ、途中で目を開けると大概怒られるけど。

聖さまは目開けてるくせに自分だけズルイよ!

「っふ・・・んっ・・・ぁん・・・」

聖さまの指が胸の先端に触れるだけで私の中はどんどん熱くなる。

聖さまの舌が、指先がこれから私の中に入ってくるんだと思うだけで、私はイキそうになる。

もしかして私・・・病気じゃないよね?大丈夫だよね?そんな事考えていると、聖さまが胸の先端を軽く噛んだ。

「ひゃんっ!!」

「余計な事考えないの。ちゃんと私だけ見てよ、私の事だけ考えててよ」

いや、一応あなたの事考えてたんですよ?ていうか、聖さまに感じてるからこその考えだと思うんだけど・・・。

聖さまは私を見透かすように意地悪に笑った。

「いいよ、余計な事考えられないようにしてあげる」

「へ?・・・やっ!ちょ、あぁぁん!!」

突然、聖さまの手と舌の動きが早くなった。胸の先端を噛んだり、強く揉んだり。痛いんだけど、どこか甘い。

指先が腰の辺りを撫で、私は思わず身を捩った。くすぐったい筈なのに漏れるのは喘ぎ声。

やだ・・・どうして?私、こんなにも敏感だったっけ?いいや、違う。これは全部聖さまのせいだ。

聖さまが私をこんな風にしたんだ・・・聖さまめ!!軽く睨んだ私は、反対に睨み返されてしまった。

「どうしたの?考え事はもうお終い?もっと考えててもいいのよ?」

「やっ・・・はぁ・・・あッ・・・んっっ!!」

意地悪だよ・・・聖さま・・・。考えられる訳ないじゃない。聖さまは知らないんだ、どんなに私が聖さまに感じてるか。

どんなに私が聖さまを待ってるのか・・・ほらね、こんな事考えてるとまた・・・。

「あーあ、こんなにしちゃって」

からかうような響きを含んだ台詞は私を余計に辱める。言われなくてももう私の中が凄い事になってるのは知ってるよ!

私の中心を指先で撫でる聖さま。私はと言えば、早く入れて欲しくて堪らない。

でも、聖さまは全然入れてくれなくて・・・こんなにも熱いのに、こんなにも溶けそうなのに・・・。

わざと私の目の前で自分の指をしゃぶる聖さまの顔は、いつも以上に意地悪に見えた。

ニヤニヤ笑って私の反応を楽しんでる。

「う・・・せ・・・さまぁ・・・」

「なに?」

なに?って・・・分かってるくせに!!縋るみたいに聖さまの腕を掴むと、逆に腕を掴まれてしまった。

「どうしようか?このままもう止めちゃう?」

そんなっ!!このまま止められたら私・・・ブンブン頭を振る私を見て聖さまは声を出して笑った。本当に楽しそうに・・・。

「ヤダ・・・止めないで・・・止めちゃ・・・いや・・・」

「素直ね、随分と。そんなにしたい?」

思わず頷いた私の頭を優しく撫でると、聖さまは何故か私を抱き起こした。

「じゃあ、後ろ向いて四つん這いになって」

「はっ!?」

よ・・・四つん這い・・・?ど、どういう事?ていうか、そんなの恥ずかしくて出来る訳ないじゃないっ!!

「なによ、したくないの?したくないんなら別に私は構わないよ?」

したい・・・ていうか、して欲しい・・・でも、でも・・・。その時だった。突然、聖さまはベッドから降りようとした。

ちょ、本気で止めちゃう気?聖さまが?あの聖さまが?気づいたら私はベッドから降りようとした聖さまの腕を掴んでいた。

「・・・分かり・・・ました・・・」

かなり恥ずかしいけど・・・ここで止められるよりはいい。それに、嫌って訳じゃないのも・・・分かってる。本当は。

私の言葉に聖さまは満足げに微笑んだ。ほら、早く!聖さまは私を腕組みして見下ろして、うっすらと笑う。

いつもみたいに優しくない。でも・・・酷くドキドキする・・・どうしよう、ちょっとだけ私は気持ちいいとか思っちゃってるんだ・・・。

もしかして私ってば・・・M?いや、まぁ、否定はしないけど。そして聖さまは確実にSだ。

私はゆっくりと後ろを向いて四つん這いになった。ああ、これが噂のバックって奴か・・・どこか冷静な自分が居る。

「そうそう。いい子ね、祐巳ちゃん」

そっとおしりに触れる手にビクンと身体は震える。あぁ・・・何だろう、この感じ・・・。

そのまま腰とか撫でられて、上から覆いかぶさるみたいに胸を弄られて、それでも気持ちいと思ってしまうなんて。

聖さまの体重は心地よかった。背筋を舌先が這う。身体が・・・どうしよう・・・震えるよ・・・。

「あっ、んぅ・・・ふぁ・・・ぁぁん」

「どうしたの?やけに敏感じゃない」

弾んだような声がする。でも、何て言ってるのか分かんない。それぐらい私は・・・今、聖さまの思うがままだった。


第九十三話『幸せ以上の幸せ』


ちょっとだけね、カチンってした。もしかしたら私の事考えてるのかもしれないけど、でも、今他のこと考えるのは許さない。

素直に四つん這いになった祐巳ちゃんの上に覆いかぶさった私は、耳元で囁いた。

「たまにはいいでしょ?こういうのも」

「んッ・・・はっぁ・・・あぁ・・・」

どうやら、もう祐巳ちゃんの耳に私の言葉は届いていない。寂しいけど、それでいい。私の指に、私の唇に、壊れればいい。

「覚悟してなさいね、祐巳ちゃん」

クスリと笑った私を振り返ると怯えたような、懇願するような瞳で私を見上げる祐巳ちゃん。

指先はまだ祐巳ちゃんの胸の先端にあった。それを少しづつ腰に向って這わせると祐巳ちゃんは大きく痙攣する。

どうやら、祐巳ちゃんは腰が弱いみたい。今まではくすぐったがるばっかりだったのに、今はそうじゃないみたい。

それにしても・・・ほんと、いい度胸よね。

私はこんなにも祐巳ちゃんの事しか考えてないのに、どうやったらもっと祐巳ちゃんを気持ちよくさせられるかとか、

そんな事しか考えてないのに祐巳ちゃんってば・・・ああ、なんか腹立ってきた。

私は胸を揉んでいた手に力を込めた。痛いかな?とも思ったけど、祐巳ちゃんの口から漏れたのはいつも以上の甘い声。

なんだ、気持ちいいんじゃん。もう祐巳ちゃんの胸の先端は凄く硬い。多分・・・ここも。

「やあぁっ!!」

「触っただけだよ?」

祐巳ちゃんの身体が大きくしなった。彼女の一番敏感な突起は、思ってたよりもずっと熱くて硬くて・・・大きい。

指先で転がすとその度に苦しそうな声が漏れて、もっと私を壊そうとする。もっと私を残酷にしようとする。

軽く爪先で弄ったり、摘んでみたり。祐巳ちゃんの反応が楽しくてつい調子にのっちゃって・・・。

「やっ・・・も、ダメ・・・あっ、んん・・・っふ・・・ぅあ・・・あつ、あつ、ああああああ・・・」

ちょ、待って!もしかして・・・イッちゃった・・・?ガクンって祐巳ちゃんの腕から力が抜けて、その場に崩れ落ちる祐巳ちゃん。

肩で必死になって息して、枕に顔を埋めたままピクリとも動かない。

「祐巳ちゃん?ちょっと、大丈夫?」

「はぁ、はぁ・・・せ・・・さま・・・」

か細い声で私を呼ぶ。でも・・・言っておくけど私はこんなんじゃ満足出来ない。

私は祐巳ちゃんの中心が思いっきり濡れているのを確認すると、そのまま指を二本、一気に滑り込ませた。

「あっ・・・ッ!」

息を飲むのが聞こえた。多分、驚いて目はいつもの倍以上になってるに違いない。でも、私はそれを確認しなかった。

「やっ、ちょ、せっ・・・さま!!あっッ・・・っくぅ・・・」

「ん・・・キツ・・・」

祐巳ちゃんの中はイッたばかりだから相当締まってる。

私の指は根元まで入ってしまってるのに、なかなか思うように動かない。

最初は出したり入れたりしてたけど、ふと思い立った。そう言えば、祐巳ちゃんって中はどこが一番いいんだろう?って。

今なら感度もかなりいい筈だし、きっとすぐに見つかるような気がする。だから私は祐巳ちゃんの中の色んな所を突いた。

「はっ、あっ、んん、っう・・・あん・・・」

「・・・っ・・・ん・・・」

と、その時だった。突然祐巳ちゃんの声が大きくなった。身体を硬直させて、おびただしい量の愛液が流れてくる。

そこを擦る度に祐巳ちゃんの身体は大きく震えて、声も倍ほどになって・・・。

「やっ・・・ぁ・・・だ・・・め・・・そこ・・・な・・・に?・・・わた・・・し、おかし・・く・・・なりそ・・・う・・・んっ!」

ああ、あるほど、ここか。思わず私は笑ってしまった。どうやら祐巳ちゃんは中ならここが一番いいみたい。

ペロリと舌なめずりした私は、もう一度祐巳ちゃんに覆いかぶさって背筋や首筋を舐めた。もちろん指は入れたまま。

「ふぁっ・・・んん・・・っく・・・あっ、やぁっ・・・ッあァ・・・」

「どうしたの?いつもよりも随分大きな声出すじゃない」

「あん、あっ、はぁ、アッ、つッ!」

祐巳ちゃんの中はどんどん熱くなる。そして、それい比例して愛液が流れ出て、シーツには大きな水溜りが出来ていた。

苦しそうに枕に顔を押し付けたまま声を殺そうとする祐巳ちゃんが、どうしてかな・・・凄く可愛かった。

もっともっとおかしくなってよ、そんな風に思ってしまった。もう私も重症かもしれないな。

それにしても・・・この水溜りは間違いなく祐巳ちゃんのだけじゃない。だって、私も随分感じてるから。

流れた私の愛液は足を伝ってゆく・・・こんなにも祐巳ちゃんを抱くだけで私は感じる。触れられなくても、舐められなくても。

キスさえいらない、ただ触れていれば・・・それでいい。私は祐巳ちゃんの中にある指を激しく動かした。

腰を抱きかかえるみたいに反対の手で祐巳ちゃんの一番敏感な場所に触れると、祐巳ちゃんの身体が跳ね上がった。

「熱・・・い・・・せ・・・さま・・・くる・・・し・・・」

「大丈夫、すぐに楽にしてあげる」

そう言って腰に口付けると祐巳ちゃんの口許から小さな喜びとも苦しみともつかない声が漏れる。

外も中も熱い。ドロドロでどこ触ってるのかも分からないほど、祐巳ちゃんは濡れてる。もちろん、私も。

力を込めて、私は擦った。外も中も、愛しくて愛しくて泣きそうだった。もう何もいらない。この子だけでいい。

だから神様、私からこの子を奪わないで。私の手から、この子を連れて・・・いかないで。

「あっ、やぁぁ!!せ・・・さまっ、聖・・・さまぁ!!」

「なぁに?」

私の息も上がってた。こんな祐巳ちゃん見て興奮してるのか、それともただ疲れただけなのかは分からないけど。

腕・・・痺れたな・・・でも、まだ終われない。まだ・・・祐巳ちゃん辛そうだもん。私は自分にそう言い聞かせた。

枕に顔を押し当てて必死になってシーツにしがみ付いて、何かを待ってる祐巳ちゃんを放っておけない。

私じゃなきゃ、この子はだって、こんな風にはならないんだから。

「そろそろ終わらせてあげる」

呟いた私の言葉に祐巳ちゃんが微かに笑い声が漏れた。安堵の息なのか、それとも気持ちいいのか分からないけど、

悪い気はしない。それどころか、何故か無性に幸せな気分になってしまう。それと同時に押し寄せる何とも言えない不安。

そんな考えを振り払うみたいに私は私を動かした。身体を、腕を、唇を、心を・・・。

やがて、一瞬祐巳ちゃんの息が止まった。大きく息を吸い込んで、そこでピタリと呼吸が止まったんだ。そして次の瞬間。

「あッ、やっ、あぅ・・・せ、さま・・・愛して・・・るっ!!聖さ・・・ま!!!!す・・・き・・・なの・・・っ、

ふぁっ・・・あっ、あああああ!!!・・・うっ・・・っく・・・ふ・・・」

「あ・・・祐巳・・・ちゃん・・・」

そして、祐巳ちゃんは完全にその場に崩れた。最大級の愛の告白を叫んで。

そのせいで私は笑みを堪えることが出来なかった。こんな風に名前を叫ばれるなんて、こんな風に愛を伝えられるなんて!

私は祐巳ちゃんの全身にキスをした。強く吸って、至る所にキスマークを付けてやった。

これが消えるまでに結構な時間がかかると思う。下手すると悪い病気に見えない事もない。

もしかすると祐巳ちゃんがこれに気づいたら怒るかもしれない。

でも・・・それでもいい。だって、私だって何かを伝えたかったんだもん。

私は祐巳ちゃんの隣に寝転がると、まだ肩で息してる祐巳ちゃんの幸せそうな寝顔を見詰めていた・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぴぴ゚ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ・・・。

「ん・・・はっ!?」

しまった!!いつの間にかあのまま寝てたんだ!!ふと視線を隣に移すと、祐巳ちゃんはまだ気持ち良さそうに眠ってる。

ヤバイ・・・シャワーも何も浴びずに寝ちゃった・・・恐る恐るシーツを見ると、大きなシミがいくつも出来てる。

「はぁぁぁ・・・やっちゃった・・・」

基本的にはシミはいつも終わったらすぐに落としに行く私。それなのに、今回は・・・すっかりそんな事忘れてた。

あぁ・・・なんて事・・・私とした事が何たる不覚。その時だった、隣で祐巳ちゃんがモゾモゾと動き出した。

そして、まだ眠そうな瞳で私を見上げ・・・にっこりと笑う。多分、まだ寝ぼけてるんだろうけど。

「おはよ」

「んー・・・」

ほらね、言葉になってないもん。つか、人間に進化してない、まだ。

でも私を見上げてニコニコしてる祐巳ちゃんを見て、可愛いな・・・なんて素直に思ってしまう私がいる。

「聖さま・・・おはようございますぅ・・・」

「はい、おはよう。あれ・・・?」

ふと気づいた。祐巳ちゃん・・・胸、おっきくなった?私はそっと手を伸ばしそれを確認する為に祐巳ちゃんの胸を揉んだ。

「なんだ・・・気のせいか・・・」

多分私のそんな行動が不思議だったんだと思う。祐巳ちゃんは首を傾げて不思議そうな目を向ける。

「いや、ちょっと胸大きくなった?って思ったんだけど・・・やっぱり気のせいだったみたい。ほんと、祐巳ちゃんは成長しないね」

まぁ、感度はいいから別に構わないけど。そう付け加えようとした矢先、祐巳ちゃんの鋭い目線が私に向けられた。

ヤバ・・・また怒らせた?つか、最後まで聞けよっ!!

「何よっ!!聖さまはそりゃ大きいですよっ!だからちっさい人の悩みなんて分からないんでしょ!?」

「あのねぇ、大きいのだって結構苦労するのよ?」

そう、大きいのだって結構困るんだから。走ると無駄に揺れるし、重いし。ほんと、いいことない。

だから祐巳ちゃんぐらいが本当はちょうどいいのに、何もそんなに必死にならなくてもいいじゃん。

てっきりもっと怒るのかな、とも思ったけど祐巳ちゃんはそれ以上怒らなかった。

その代わり意地悪に笑って思いっきり嫌味を言ってくれる。

「いいですよ、別に。聖さまはそのままどんどん大きくなってホルスタインにでもなればいいんですっ!」

・・・クスリ・・・ちょっとだけ笑ってしまった。ホルスタインて・・・乳牛かよっ!!ほんと、失礼なんだから。

だから私もちゃんと言い返しておいた。たっぷりの嫌味を込めて。

「ふーん。じゃあ、あれだ。私がホルスタインなら、祐巳ちゃんはスペアリブね」

「スペア・・・リブ?・・・・・・・・・・なっ!!」

「あはは!気づくの遅いよっ!」

幸せなんて単純な単語じゃつまらない。そんなんじゃ収まらない幸せが、ここには・・・ある。


第九十四話『最終手段』


「聖さまにねー、ホルスタインになっちゃえ!って言ったら、祐巳ちゃんはスペアリブだねって言われちゃった・・・どう思う?」

失礼だと思わない?私の質問に、志摩子さんは珍しくお茶を噴出した。

「あ・・・あはっ・・・ふふふ・・・」

珍しい。志摩子さんが声出して笑うなんて。いや、笑うところじゃないと思うんだけど。

「・・・志摩子さん?」

「ご、ごめんなさい・・・お姉さまってば、もう・・・困った人よね」

口では謝ってるけど、志摩子さんってば絶対まだ心ん中では爆笑してるに違いない。

今日は珍しく由乃さんが居ない。何故なら今日は、調理実習があるから。

調理実習がある日は由乃さんは家庭科室で生徒と一緒にお昼食べてるんだよね。それがちょっとだけ羨ましい。

いいなー・・・生徒と一緒にお昼とか食べたいなぁ・・・でも、私は保健医。いつ何時誰が怪我をするか分からない。

だからちゃんと保健室に居なきゃならないわけで。ちなみに、今日は聖さまも居ない。

ついさっき、蓉子さまに呼ばれてたからまた何かしたんだろう。ついでにそのままお昼ご飯も食べてくるんじゃないのかな。

なんかさー、こうやって毎日毎日が平穏に流れてくと逆に不安になってくるよね。

次何が起こるんだろう?みたいな、そんな不安。まぁ、どうしようもないんだけどさ。起こっちゃうものは。

とりあえず今私が一番気がかりなのは春休みに行く小旅行な訳で・・・。

「あら、いいわね。それじゃあお姉さまと二人でディズニーランドに?」

「うん、そうなんだ!それはいいんだけど・・・ちょっと問題がね・・・」

顔をしかめた私を見て、不思議そうに志摩子さんが首を傾げる。そんな志摩子さんを見て大きな溜息が漏れてしまった。

「どうかして?素敵だと思うのだけど・・・」

「うん・・・ディズニーランド自体はね、いいの。凄く行きたいし買い物とかもしたいんだけど・・・アレがね、居るでしょ?」

「・・・アレ?」

「そう、アレ・・・ああ!思い出すだけで鳥肌が・・・」

あの無駄に大きくて園内をウロチョロしてるアレ・・・そう、着ぐるみ・・・アレだけは私、どうしてもダメなんだよね。

・・あと、オバケ。この二つだけはどんなに頑張っても我慢出来ない。

もしも吐くまでジェットコースターに乗るか、それともオバケ屋敷に入るかなんて選択肢があったら、

私は間違いなく吐く方を選ぶ。それぐらいダメなのよね・・・。

あぁ、どうしよう・・・私たちが行く日だけミッキーとかお休みしてくれないかな・・・なんてある訳ないし・・・今更断れない。

「志摩子さんっ!!私どうしよう!?」

「ど・・・どうしようと言われても・・・そうだわっ!祐巳さんにコレをあげるわ。とてもよく効くお守りなの」

「お守り?」

「そう、どんな願い事も叶えてくれるんですって!」

「へぇ・・・ありがとう、志摩子さん」

志摩子さんは嬉しそうにポケットの中から何だかよく分からない人形をくれた。

どうやら乃梨子ちゃんに貰ったらしいんだけど、たまたま自分も買ってしまっていて被っちゃったんだとか。

私はそのココナッツ色の人形をしげしげと見つめると、一番重要な事を志摩子さんに聞いた。

「ところでこれ・・・人払いは出来るのかな?」

だって、ディズニーランドに行ってお願い事するって言ったらそれしかない。私の場合。

そんな私の質問に志摩子さんは首を捻った。

「祐巳さん、そもそもミッキーは人ではないんじゃ・・・」

「えーっ?でも中身は人でしょ?」

「それはそうだけど・・・でも、一応ネズミって事なんじゃないのかしら?あれを人と認識していいものかどうか・・・」

いや、志摩子さん?論点がズレてない?つか、ネズミでも何でもいい。とりあえずミッキーとかに会わなければそれで。

はぁぁぁぁ・・・やっぱり聖さまを押し切って激流下りをもっと推せば良かった。そしたらこんな事で悩まなくてもすんだのに。

なんて・・・今更言ってももう遅い。あの話からもう二週間。聖さまは次の日にさっさとホテルの予約を取ってしまっていた。

ほんと、こんな時だけ物凄い行動力なんだから。あと二週間・・・あと二週間で春休みがやってくる。

そして・・・楽しい筈の旅行も。いや、楽しみなのよ?何よりも聖さまが誘ってくれたんだもん。嬉しくない訳がない。

でもね、でもねっ!!人間一つや二つぐらい苦手なものがある訳で・・・。

「志摩子さん・・・どうしたらミッキーに会わないですむ・・・かな・・・」

涙声の私の背中を志摩子さんは優しくさすってくれた。うぅ、志摩子さんが優しいよぉ。

「祐巳さん、ディズニーランドは広いもの。っきっとそうそう会わないと思うわ」

「・・・そうかな?」

「ええ、祐巳さんの運が相当悪ければ・・・いいえ、むしろ運が良すぎると・・・分からないけれど」

そんな事言って志摩子さんは笑った。あぁ、勘違いしてた。志摩子さん・・・あなた楽しんでるでしょう?実は楽しんでるでしょ?

すっかり忘れてた。志摩子さんは聖さまの妹なんだって事。意外に意地悪な志摩子さん。新たな一面を見た気がした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「春休みの予定?今のところは何も決まってないけど・・・どうして?祐巳さんどこか行くの?」

由乃さんは書類の整理をしてる私を覗き込みながらお煎餅を齧っている。

つか、さっき昼ご飯だったじゃん!!もしかしてもうお腹減ったのかな?燃費悪いんだから由乃さんってば。

きっとあっちこっちウロウロしすぎなのよ。一日中学校ん中ウロついてるもんね、由乃さんは。

で、思い出したように保健室にやってきてはこうやって一休みしてゆく。ここはマラソンの休憩所じゃないっての!

まぁ、寂しくないからむしろ有難いんだけど。

「私はね、聖さまとディズニーランドに行くの!初めての二人っきりの旅行なんだ〜」

私の答えに由乃さんは何とも言えない顔をする。どうして?ディズニーランドはデートの定番じゃない?

「ディズニーランドー?しかも春休みなんか・・・人で一杯じゃん」

「そ、そうだけどー・・・いいの、聖さまと一緒だもん!」

「ふーん。どうせなら太秦映画村にすればいいのに。楽しいわよ?目の前で立ち回りとか見られるんだから!!

私ね、一回でいいから浚われる役やりたいのよねっ!

でもさー・・・いっつも子供ばっかり浚うんだもん・・・あんなの贔屓だと思わない?大人も浚えっての!」

太秦映画村・・・確かに由乃さんは好きそうよね、そういうの。

おまけに浚われる役って・・・そりゃ子供のが軽いんだから子供浚うに決まってる。

それに由乃さんなんて浚ったら絶対逆にやっつけられそうだもんん。怖くて手、出せないって。

太秦映画村を思い出した由乃さんは興奮した様子で嬉々として語ってくれた。時代劇のなんたるかを。

いや・・・正直どうでもいいよ、金さんとか水戸黄門は。私が今心配してるのは、ミッキーなのよ!!あの大きなネズミなのよ!

ネズミだけじゃない、あそこにはアヒルのお化けと犬の化け物も居る(私にはそう見える)その他にも・・・沢山・・・。

そもそもどうしてプルートだけ完全に犬なのよ!?しかもなんでネズミのペットなの?!もう訳わかんない!!!

はっ!!つ、つい悪態ついちゃった・・・別にミッキーが嫌いな訳じゃないのよ。むしろ可愛いと思うもん。

ドナルドのマグカップだって持ってるし、グーフィーのぬいぐるみもある。むしろディズニーは大好きなのよっ!!

でも・・・でも・・・どうして大きいの!?どうして人間サイズなの?!ああっ!!!耐えられないっ!!

私は立ち上がって由乃さんの肩を掴んだ。その拍子に由乃さんの手からお煎餅が落ちたけど、そんな事かまってられない。

「由乃さんっ!!」

「は、はいっ!?」

「どうすればミッキーに会わなくて済むと思う?

聖さまにバレないようにさりげなくミッキーを避けるにはどうしたらいいと思うっ!?」

「はあ?祐巳さん・・・ミッキー嫌いなの?ていうか、じゃあどうしてディズニーランドなの?」

「いや・・・それには深い訳が・・・」

私の言葉に由乃さんは呆れたように落ちたお煎餅を拾うと、埃をはたいて・・・食べた・・・3秒ルールもくそもない。

絶対10秒は経ってる・・・。そりゃ毎日ちゃんと掃除してるから私は構わないけどね、

きっとここに令さまが居たらさぞかし怒った事だろう。いや、困ったように由乃さんを止めるんだろうな、きっと。

「だから言ってるじゃない!今からでも遅くないって!

キャンセルして太秦に行けばいいよ。そしたらミッキーもミニーも居ないから!」

いや・・・そうではなくて。どうしても・・・どうしても、太秦に私たちを行かせたいのね?そんなにも太秦が好きなのね?

由乃さんに真剣に相談した私が間違っていた。まぁ、ある意味とても参考になったけど。

いざとなったらさっき由乃さんが教えてくれた空手の技をミッキーにかけよう。

そしてミッキーが倒れてる間に・・・逃げる!コレだ!!・・・って、出来る訳ないじゃんっ!!

もういいっ!!どうにか乗り切ってやる!志摩子さんの言うようにあそこは馬鹿みたいに広いんだもんっ!

そうそう会うわけないよっ!そうそう、だって、私運超悪いもんっ!!会わない、会わない。絶対に会わないっ!!


第九十五話『カクシゴト』


春休みの始まりから雨だった。そして、奇しくも今日は私たちの初旅行な訳で・・・行き先はディズニーランド。

つか、既にディズニーランドの駐車場なんだけど。

「雨・・・ですねぇ・・・」

「そうだねぇ・・・」

唖然とした顔して窓の外を見つめる祐巳ちゃん。

そうだよね、きっと物凄く楽しみにしてたに違いないのに、こんな雨だったらやっぱり落ち込むよね。

私は出来るだけ園内に近い場所に車を止めて、フロントガラス越しに空を仰いだ。

雲はそんなに重くないし、もしかしたら途中どっかで雨は上がるかもしれない。

雨のおかげかどうかは分からないけど、ディズニーランドにしちゃ、今日は車も少ない。

そこはラッキーだと思うんだけどね。雨がね。降ってるからね、思いっきり。

「聖さま、どうします?とりあえず・・・降ります?」

「そうね、ここで雨上がるの待ってても仕方ないし、今更キャンセルも出来ないし」

ここまで来たんだ。こうなったら絶対ディズニーランドで遊んでやる。ミッキーとかと思いっきり写真撮ってやる!!

まぁ・・・運良く会えればの話だけど。私たちは一つの傘に二人で入って荷物を減らすことにした。

流石にカッパを持ってくるほど用意も良くなかったし、まぁ、これはこれでいい。

だってほら・・・何だか祐巳ちゃん嬉しそうな顔してるし。そんな訳で私たちはチケットを買って中に入ったんだけど・・・。

「うわっ・・・幸先いいなぁ・・・ミッキーとドナルドだ」

園内に入ってすぐの広場に、ミッキーとドナルドが居た。

雨の中やってきたいつもよりも少なめの客達に笑顔で(いっつも笑ってるけど)手を振っている。

ミッキーもドナルドもあっという間に人だかりが出来て次の瞬間には見えなくなってしまった。

「祐巳ちゃんも見えた?」

私は隣で立ち尽くして動こうとしない祐巳ちゃんに聞いた。すると、祐巳ちゃんはコクンと頷いてまだその場から動こうとしない。

そっかー、そんなに嬉しかったか。やっぱり来て良かった!でも・・・写真は生憎撮れそうにない。

「祐巳ちゃん、そろそろ行くよ?」

私が引っ張るまで祐巳ちゃんは動かなかった。まるでその場で石にでもなってしまったかのように動かない祐巳ちゃんを、

引きずるように奥へと進んだ。だって、こんな事してるうちにあっという間に乗り物に列が出来ちゃうじゃない。

広場を出てようやく、祐巳ちゃんが口を開いた。何故か物凄くホッとしたような顔してる。

「はぁぁ・・・さて!聖さま、どれに乗ります?」

嬉しそうな祐巳ちゃん・・・でも、何か変。

いや、大体この子はいつも変なんだけど、何て言うのかな、まるで今まで息でも止めてたみたいにゼーハーしてる。

「どうしたの?何か変だよ?さっきから」

「へっ!?ぜ、全然変じゃありませんよっ!むしろ絶好調です!」

「・・・そう?」

絶対嘘。何かまた私に隠し事してるに違いない。全くもう、ほんと変なとこで意地はるんだから。

私は祐巳ちゃんが広げたパンフレットを覗き込んだ。パンフレットによると、目玉のジェットコースターはそんなに遠くない。

「聖さまはどれがいいですか?」

「私―?どれでもいいけど・・・一番並びそうな奴はさっさと済ませちゃいたいかな」

一時間とか二時間とか待ちたくないし。私の答えに祐巳ちゃんは頷いた。雨はもうポツポツしか降ってない。

傘をたたむ私を観察するみたいに祐巳ちゃんがじっと見てる。

「なに?」

「いや・・・傘たたんでる聖さまも格好いいな・・・と」

「それはどうも。でも、おだてても何もでないよ?」

意地悪に笑った私の顔を見て、祐巳ちゃんが笑った。素直じゃないですね!って。うん、知ってる。自分でもそう思う。

でも面と向ってそんな事言われるとやっぱり恥ずかしいじゃない。

そんな風に言ってもらえるの、ほんとは凄く嬉しいんだけど・・・ね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジェットコースターは意外にも空いてた。まだ朝一番ってのもあるのかもしれないけど、

やっぱり雨の影響も大きかったんじゃないのかな。

「良かったですねー空いてて!」

「ほんと、何時間も待つの覚悟してたけど、これなら割とすんなり回れそうよね」

「ええ!ほんとに!」

嬉しそうに笑う祐巳ちゃん。なんだかさ、いいよね、こういう普通のデートって。大人になってからのデートは久しぶり。

ただのショッピングとか、目的もなく街をブラブラってのがデートに入るのなら、散々したけど、

こうやってどこかの場所で一日中遊ぶのは・・・本当に久しぶり。たまにはいいね、こういうのも。

私はそう言おうと思って隣に立っていた筈の祐巳ちゃんを見た。ケド・・・居ない。いつの間にか祐巳ちゃんが居ない!!

ふと足元を見ると、そこに祐巳ちゃんが蹲っていた。

頭を抱えて何かを必死に見ないようにしてる・・・ていうか、何やってんの?

「ちょ、どうしたのよ?大丈夫?」

私は蹲って動こうとしない祐巳ちゃんの隣にしゃがみこんで何やらブツブツ呟いてる祐巳ちゃんに耳を傾けた。

すると、祐巳ちゃんは必死になって般若心経を唱えてる。・・・つか、気味悪っ!!止めてよね!!

「ほら、立って!!どうしたのよ、一体?」

何考えてんのか全く分かんない。ていうかさ、何故般若心経?

祐巳ちゃんは私の腕にしっかりとしがみついて周りをキョロキョロしてる。

「なに?知り合いでもいたの?」

「いえ・・・そうじゃないんですけど・・・」

煮え切らない祐巳ちゃんの態度に、私は大きなため息を落とした。

もしもね、知り合いが居て隠れたんだとしたら、それって結構ショック。

なんつうのかな、まるで私と居ることが恥ずかしいのかな?なんて思ってしまうっていうか、

うまく説明出来ないんだけどさ。確かに彼氏、もしくは彼女を連れて歩いてるとこ、誰かに見られるの嫌だけどさ。

でもだからってそんなにあからさまに隠れることないじゃない。ましてや般若心経なんて・・・それってあんまりじゃない?

楽しいはずの遊園地。これから絶叫マシーンに乗るってのに、何だか気分が悪い。

そんな私をよそにもう祐巳ちゃんはケロッとしてるし・・・余計腹立つ。

「聖さま!もうすぐですよ!覚悟は出来てますか?」

嬉しそうに話す祐巳ちゃんを、私は無視した。きっと今口を開いたら絶対八つ当たりしてしまいそうだから。

「・・・聖・・・さま?」

「・・・・・・・・・・・・」

「もしかして・・・」

そうよ、私は怒ってるの。心が狭いとか思われても別に構わない。我慢出来ないものは我慢出来ないんだから、しょうがない。

「もしかして聖さま・・・今更怖いとか言いませんよね?」

「はあ?」

なに言ってんの?つか、私の顔見て大体分かれよっ!!怒ってんじゃん!私、思いっきり不機嫌じゃん!!

あまりにもトンチンカンな祐巳ちゃんの思考に、もうどうでもよくなってしまった。幸い、今から乗るのはジェットコースター。

こんなモヤモヤもきっと吹き飛ばしてくれる・・・そう、願いたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いやー、面白かったですねー!後でもう一回乗りましょうね!聖さま!」

祐巳ちゃんはそう言って気軽に私の腕に絡み付いてくる。こんな風に祐巳ちゃんが腕を絡ませる事なんてあまり無い。

それは、外でイチャつくのを私が嫌がるから。でも・・・今日はいいや。

嬉しそうな祐巳ちゃんを見て、もしくはジェットコースターのおかげで、私の中のモヤモヤはどこかに行ってしまったみたい。

「いいけど・・・あの写真はナシよね」

そう言ってさっき出口の所で見た写真の祐巳ちゃんの顔を思い出して笑った。ほんと、酷かったんだから!

いつもの可愛い顔はどこに行ったの?てぐらい面白い顔してた祐巳ちゃん・・・。

今隣で頬を膨らませてる顔からは到底想像できない。

じっと祐巳ちゃんを見詰める私に、祐巳ちゃんは手をグーにして反論する。

「そ、そんな事言いますけど、聖さまだって酷かったでしょ!!ジェットコースターに乗れば誰だってあんな顔するんです!!」

「いいや、祐巳ちゃんは特別酷かったね。だって・・・ふ・・・ふふふ・・・白目だったじゃんっ!!怖すぎだよ、アレは!!」

白目で大口開ける祐巳ちゃんすら、内心可愛いなぁ、なんて思ってしまった私も相当どうかしてるとは思うよ?

でもさ・・・あんな顔なかなか出来ないよね、普通・・・ぷぷぷ!!

「も、もう忘れてくださいっ!!ていうか、もう言わないでっ!!!」

顔を真赤にして涙目で睨む祐巳ちゃんはほんと、可愛いんだ。だからもっといじめたくなっちゃうんだけど。

まぁ、今日のところはこれぐらいにしといてやろう。でないとご機嫌損ねちゃうと後々やっかいだしね。

そんな訳で私たちは次のアトラクションに向うことにした。


第九十六話『ヒミツ』


絶対言えない。まさか着ぐるみが怖くてしゃがみこんだなんて事。だって、言ったら絶対聖さま呆れちゃうもん。

そんでまたバカにされるに決まってる。私は聖さまの腕にしがみついてしなだれるみたいに歩いた。

聖さまについて、一つ分かった事がある。こういう場所では、多少ベタベタしても怒られないって事。

いつもなら絶対それとなく腕をすり抜けちゃうのに、今日は全然普通。それどころか聖さまも私にくっついてくれてる気がする。

「えへへ!」

何だか嬉しくなって声を出して笑ってしまった私を見て聖さまは苦く笑う。

「・・・なによ?」

「別に!さて、次はなにに乗りますかっ?」

いっそスキップとかしちゃいたいぐらい今の私は幸せ一杯。

そう・・・あいつ等さえ居なきゃ・・・私はこの幸せを心の底から楽しむことが出来るのに!!

「お!ミニーが居る!写真撮る?」

突然聖さまが早歩きしだした。

私はそんな聖さまに引きずられる形で後をついてゆくと・・・そこに居たの・・・ネズミのオバケが・・・。

いや、正しくはミニーマウスが。

「せ・・・聖さま・・・しゃ、写真とかいいですよ、別に・・・」

「なに言ってんの?ここに来たらキャラクターと写真撮るのも醍醐味の一つでしょ?」

いや、マジでいらないって!つか、普段あんなにも世間からズレたみたいに生きてるくせに、

どうしてよりによってこんな時だけ流行りにのろうとするのよ!?だ・・・だめよ、それ以上近づかないでっ!!!

私は必死になって何かいい言い訳を考えた。でも、何も思い浮かばない。こうなったらいっそ聖さま置いて走って逃げるか?

その時だ。突然後ろからペタペタって明らかに人間の足音じゃない足音がして思わず私は振り返ってしまった。

「・・・せ、聖さま・・・う、後ろ・・・」

「え?なに?あっ!ドナルドだ!二匹とも撮ってもらう?」

二匹って・・・その言い方どうかと思う。いや、私が言うのもなんだけど。

つか、そんな事どうでもいい。ヤバイ!!挟まれたっっっ!!!

私は一人アタフタしてた。よりによって人通りの少ないこの場所で、

明らかにミニーもドナルドもこっちににじり寄ってくる(普通に歩いてるんだろうけど、少なくとも私にはそう見えた)。

標的は・・・間違いなく私たち・・・聖さまはと言えば、あわよくば二人ともいっぺんに写真に撮ろうとしてるみたいで・・・。

「せ・・・さま・・・わ、私・・・おて、おて、おて・・・」

「なによ?おてがどうしたって?」

いやそうじゃなくて、お手洗いに行きたいと、私はお手洗いに行きたいって言おうとですねぇ!!

聖さまは全く私の話に取り合ってくれない。それどころか、ズルズルと私を引きずってミニーに近寄ろうとする。

後・・・5メートル・・・あと・・・2メートル・・・あと・・・あと・・も、もうダメ・・・。

ミニーが私の手に触れようとしたその瞬間、私は・・・腰が抜けた。情け無いけど。

「ちょ、祐巳ちゃん!?だ、大丈夫??なによ、そんなに嬉しかったの?!」

「ち・・・ち・・・・」

違う・・・そうじゃなくて、こ・・・怖いのよっ!!私を心配してドナルドまで駆け寄ってくる。お願いだからもうこっち来ないで!!

大きな顔が二つ私を覗き込む。その合間に聖さまの心配そうな顔・・・ああ、聖さま、ごめんなさい・・・私・・・もうダメです・・・。

「祐巳ちゃんっ!!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ん・・・あ・・・れ?」

何が起こったのか、すぐには理解出来なかった。とりあえず分かったのは、私はどこかで寝かされてるって事。

そして、そんな私を心配そうに覗き込む・・・ミニーと、ドナルド・・・そして・・・ミッキー・・・ふ・・・増えてるーーーーっっっ!!!

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

ガバリと身体を起こした私は、ふら付く足でヨタヨタとそその場から逃れようとした。

でも、そんな私の腕を聖さまがしっかりと捕まえる。

「ちょ、なによ、今の叫び声・・・つか、起き上がって大丈夫なの!?」

「せ、せ、せ・・・」

私は聖さまにしがみ付いて(よじ登ったかもしれない)ブンブン首を振った。大丈夫じゃない、全然大丈夫じゃない。

どうして増えてるの?ていうか、どうしてまだここに居るのっ!?

チラリと着ぐるみの方を見ると、ジェスチャーで大丈夫?なんて言ってる。

心配してくれるのは有難い。でも、それは無用というものだ。私の場合は。

そんな私の反応にきっと聖さまは何か察したんだろう。しがみつく私を剥がそうともせず、ミッキー達に言った。

「ありがとう、もう大丈夫だから他の人たちの所に行ってあげて?」

聖さまの言葉に三人とも頷いて、何度も何度も振り返っては手を振ってくれていた・・・意外にいい奴らなんだよね、ほんと。

聖さまはそれにずっと応えてたけど、三人が見えなくなった途端、私を引き剥がし怖い顔して言った。

「で、どういう事?説明してくれるわよね?」

うぅ・・・ど、どうしよう・・・バレちゃったよ・・・聖さまに。私は大人しく素直になることにした。

きっとこれ以上黙ってても余計に聖さまを怒らせて心配かけるだけだと思うから。

私は大きなため息を落とし、俯いた。聖さまの怒った顔をこれ以上見ていられなかった。

「私・・・ダメなんです・・・その・・・」

「なにが?」

こ、怖いよ・・・聖さま・・・あぁ、こんな事ならさっさと言ってしまえば良かった。どうして隠し通そうとしたんだろう?

いつかは絶対バレてしまうような事なのに。

「その・・・き、着ぐるみが・・・苦手・・・なんです・・・」

私の言葉に聖さまは固まった。顔は呆れ・・・というよりは、驚いてる感じ。私の隣にストンって腰を下ろした聖さま。

じっと私の顔を見つめてくる・・・そして、次の瞬間。

「いっ!いひゃい、いひゃいっ!!!」

「どうしてそういう事黙ってんの!?バカなんじゃないの?それ知ってたらディズニーランドになんて来なかったのに!!」

聖さまは両手をグーにしてこめかみの辺りをグリグリする。しかも思いっきり。これは・・・怒ってるのかな?それとも・・・。

「だ、だって!聖さま凄く楽しそうだったから!!」

「そりゃそうよっ!初めての旅行だもん、楽しみに決まってるじゃない!でも、それとこれとは別でしょ?

ああやって、目の前で倒れられたら、心配するでしょうがっ!」

「・・・ごめんなさい・・・」

「全くよ!罰としてこれから着ぐるみに会ったら一人一人と写真撮ること!!それで許してあげる」

う・・・嘘でしょ?ていうか、普通こういう場合って、もう会わないようにしてあげるとか、そういう事言わない?

私、倒れるぐらい嫌いなのよ?それなのにそんな事言う?もしかして鬼?聖さまって・・・鬼なの?

「せ・・・聖さま・・・う、嘘でしょ・・・?」

「嘘なもんですか。私は本気よ。どれだけ私が心配したと思ってんの?たった数分の間だったけど、どれだけ私が・・・」

そこまで言って聖さまは視線を落とした。小さな溜息が聞こえる。そう・・・か。聖さまってばそんなにも私の事・・・。

でもだからって、はいそうですか、って訳にはいかない。本気で、本気で怖いのよ、私はっ!!

「む、無理です!!それだけは出来ません!!」

着ぐるみと一緒に写ってる写真だなんて、私全然欲しくないもん!出来れば聖さまとの写真が欲しいんだもんっ!!

「はぁ・・・そっか、そんなにも嫌いか。じゃあしょうがないけど・・・せめて一枚だけでも撮って帰ろうよ。

じゃないとここに来た意味・・・ないじゃない」

聖さまは本当にガッカリしてた。多分、すっごく楽しみにしてたんだと思う。だから余計に申し訳なくなった。

聖さま・・・ごめんね?私が着ぐるみ嫌いなばっかりに。でも・・・一枚ぐらいなら・・・。

「・・・分かりました。一枚・・・だけですよ?」

私の言葉に聖さまの顔がパッって輝いた。良かった、どうやら機嫌は直ったみたい。一枚くらいなら、きっとなんとかなる。

ほんの・・・一瞬で・・・終わる。


第九十七話『嘘つき』


祐巳ちゃんがソワソワしてた理由が分かった。どうしてあの時、祐巳ちゃんが隠れたのかも。

「じゃあ、グーフィー見つけてしゃがみこんだの?」

「はいぃ〜・・・あれですね、人間って怖いとつい口をついて出るのは般若心経なんですね・・・」

自分でもビックリですよ!なんて言う祐巳ちゃんの顔はどこかサッパリしてる。

つか、突然般若心経が口をつくのは多分祐巳ちゃんだけだろうけど。

それにしても・・・ほんと、人騒がせなんだから。祐巳ちゃんが倒れた時、私、本当に心配したんだからね?

全く、先に言えっての!いっつも何か事が起こってから言うんだから!

まぁ、無理やりだけど写真は一枚撮るって約束もしたし、この一枚は大事にしなきゃね。

私はチラリと時計を確認した。噂によれば後一時間ほどでキャラクター達はあそこに戻ってくる。その時を・・・狙う!

パンフレットを片手に私はニヤリと笑った。あれだけ心配させられたんだ。これぐらいしても、罰は当たるまい。

「さて、じゃあ一段落した所でここ行こうか、一番近いし」

そう言って私は祐巳ちゃんにパンフレットを見せた。すると、また祐巳ちゃんの表情が曇る。

「まさか、今度はオバケ屋敷が嫌いだなんて言わないわよね?」

「えっと・・・そのまさかです・・・とか言ったら・・・怒ります?」

・・どこまでベタなんだ!この子は!!私は無理やり祐巳ちゃんの手を引っ張ると、歩き出した。

「聞く耳持ちません!ここまで来たんだから何が何でも全部制覇します!」

「え、えええ〜?」

嫌そうな祐巳ちゃん。でも、私は自分が笑ってる事に気づいた。こういうのも・・・たまにはいい。

こういうデートも、悪くない。まぁ・・・また倒れられたら堪らないけど。

それに、ディズニーランドのオバケ屋敷はそんなに怖くない・・・はず!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「せ、聖さま?そ、そこに居ますよね?」

「居るよ」

「聖さま!!へ、変な声がっ!!」

「オバケ屋敷だからね」

「聖さまっ!!ちゃんと手、繋いでてくださいってば!!」

「繋いでるってば!!」

これ以上どうやって繋げっていうのよ?

まさかこんなにもオバケ屋敷が苦手とは。ジェットコースターではあんなにもキャアキャア言って喜んでたのに・・・。

ふと祐巳ちゃんを見ると、完全に目を瞑っている。そりゃ怖いよ・・・こういうとこは目を開けてた方が怖くないのに。

「あのさー、そんなに目瞑るほど怖くないと思うよ?」

「嘘ですよっ!だって、あっちこっちから叫び声聞こえますもんっ!!」

いや、だからね?それはオバケの声なんだってば。周り見てみなさいよ。だ〜れも怖がってないじゃない。

「いやぁぁぁ!!だ、誰か触った!!私のお尻触った!!」

「あ、それ私。ごめん、当たっちゃった」

ほんのちょっとどこかに手が当たっただけでこの騒ぎよう・・・ほんと、感心する。

ある意味祐巳ちゃんが一番楽しんでるようにも見えるよ。これだけ怖がってくれれば作った人も作り甲斐があるってものよね。

私は周りを見渡しながらどこかで見たことあるオバケ達に目を細めていた。

でも・・・祐巳ちゃんはきっと何も見てないんだろうなぁ。私の腕にしがみついて、まるで抱っこちゃん人形みたい。

胸がね、さっきからずーっと腕に当たってるんだけど・・・まぁ、この際それはいい。あるか無いか分からないような胸だもの。

なんて言ったらまた怒られるんだろうなぁ。聖さまはホルスタインですもんねっ!とか言って。

「あ、祐巳ちゃん、ほら、出口だよ」

私はそう言って祐巳ちゃんの背中を押した。すると、祐巳ちゃんはこちらを振り返って怒鳴る。

「お、押さないでくださいよっ!!!こ、こ、怖いんだからっ!!!」

「はいはい、ごめんごめん。・・・あ・・・」

祐巳ちゃんの後ろに最後のオバケが居た。そんな事知らずに祐巳ちゃんは振り返る。そして・・・。

「ぎゃあああああああ!!!!」

「あーあー」

可愛げのない叫び声を出して、祐巳ちゃんはヨタヨタと壁に手をついて飛び上がり、慌てて私の背中にしがみつく。

「な、なんかブヨってした!ブヨって!!!」

「はあ?」

何だかその必死さがおかしくて、私はついつい笑ってしまった。ブヨって何よ?ただのスポンジじゃない。

こうやって目を開けてれば見えるものも、祐巳ちゃんはさっきからずっと目を瞑ってるもんだから、きっと見えないんだ。

「祐巳ちゃんとオバケ屋敷入ると面白いなぁ」

「〇$★д#っ!!!!!」

素直な私の感想に祐巳ちゃんは怒る。でもさ、ほんとに。面白いよ、反応がいちいち。

私、何年も前に来たっきりだけど、その時はこんなにも楽しくなかった。

ありふれたオバケたちを白い目で見つめていただけだった。同級生がどんなに騒いでも少しも楽しくなくて、つまらなくて。

早く帰りたい。そんな事ばっかり考えてて・・・。ようやく出口に辿り着いた時、祐巳ちゃんの顔は真っ青だった。

「もう外出たから目、開けていいよ」

私の言葉に祐巳ちゃんは大きな目をゆっくりと開けて私を見上げた。うっすら涙を浮かべて、眩しそうに瞬きをする。

驚いたような、呆気に取られたような、ホッとしたようなそんな何とも言えない表情。

「もう一回入る?」

「絶っっっ対に、嫌ですっ!!」

「あはは、私は楽しかったけどな〜」

「私は全然楽しくなんてなかったですよっ!」

フイとそっぽを向いた祐巳ちゃん。それでもまだ、私の手を離そうとしない。何だかそれが、幸せだった・・・。

今まで感じた事のない感情なんて山ほどある。それを一つ一つ教えてくれるのが祐巳ちゃん。

大切な・・・大切な恋人。ねぇ、私たち上手くいってる?誰が見ても羨むような恋をしてる?

誰に聞いた訳でもないけど、その答えは知っていた。多分、ずっと私の中にあったんだと、そう思う。

祐巳ちゃんの手を握り返した私を見上げ、さっきまで泣きそうな顔してた祐巳ちゃんが微笑む。

「次はどこに行きましょうか?」

「そうね・・・何がいい?」

パンフレットを真剣に見詰めながら首を傾げる祐巳ちゃん。私はといえば、そんな祐巳ちゃんをずっと見ていた。

「ここ!これに乗りましょうよ!」

祐巳ちゃんが指差したのはまた絶叫マシーン。ほんとに好きんなんだ・・・こういうの。

「いいね。それにしよ」

手を繋いで歩き出した私たちを見て、周りの人たちはカップルだと思ってくれるだろうか?

それともただ仲のいい姉妹?いや、それはないか。私たちどこも似て無いし。

「なに考えてるんです?難しい顔して」

「んー?べっつにー。天気、良くなってきたなーって」

「ほんとですねっ!やっぱり私の日ごろの行いがいいからでしょうかっ!」

「それはどうかなー・・・どっちかって言うと私の行いじゃない?」

「・・・ありえませんよ、それは」

「そう?」

随分ハッキリ言うよね、ほんと。まぁ分かってたけどさ、なんとなく。

どうでもいい話ではぐらかした私に何の疑いも持たない祐巳ちゃんが好き。

こうやって私にハッキリ言う祐巳ちゃんが好き。可愛いとこも、可愛くないとこもあるけど、それでもいい。

繋いだ手に光が差す。私は嘘つきで、軽薄で、自己中でワガママ。だけど、これだけは言える。

本気で誰かを好きになったら、絶対一生をかけられる、と。

「私さー、意外に一途なんだよね。知ってた?」

唐突に聞いた私に、祐巳ちゃんは笑った。なんですか急に、って。繋いでた手がそっと離れる。

「そんなの・・・随分前から知ってましたよ!」

「そうなの?」

「もちろんっ!」

離れた手は私の腕に絡まってさっきよりもずっと強くなった。

私、嘘つきで軽薄で、自己中でワガママだけど、たまには、本当にたまにだけど・・・正直なんだよ?ねぇ、それも知ってた?

「もう、重いっ!シャンと歩いてよね」

腕にぶら下がった祐巳ちゃんを立たせようとしたけれど、祐巳ちゃんはさらに私にしな垂れかかってくる。

そして私を見上げて笑う。

「聖さまの嘘つき。本当は嬉しいくせに」

だって。ほんと、可愛くないんだから。


第九十八話『キス?!いや、肌触りは布』


ちょっと・・・ここ・・・どこよ・・・。つか、何するとこ?私、テレビで見たことあるよ?ここ・・・。

「せ・・・聖さま・・・わ、私、ここ苦手です・・・」

「うん、知ってる。でもほら、約束したからね」

ヤクソク。なんて重い四文字なんだろう。ありえない。ここって・・・ここって・・・ミッキー達の家じゃんっ!!!

今はまだ誰も居ない。でもね、人がゾロゾロ集まって来てるのね、これってさ、なんか凄く嫌な予感がする訳よ。

「も、戻りましょうよ・・・ほら、先にあっち行きましょ?ね?」

「嫌。今でなきゃダメなの」

なだめてみてもすかしてみても、聖さまは動かない。ほらね、絶対これから何かあるんだ。

そして、私の嫌な予感レーダーは大概あたる。こういう時に限って・・・。

ズルズル、ペタペタ・・・ズルズル、ペタペタ・・・こ、この足音はっ!!私は物凄い勢いで振り返った。あぁ・・・ほらね。

「ひっ!」

短く叫んで逃げようとした私の腕を、聖さまがしっかりと捕まえた。ふと見上げると聖さまはにっこり笑ってる。かなり意地悪に。

少しづつ少しづつにじり寄ってくるディズニーランドの仲間達。私はかなり逃げ腰で最早失神寸前。

と、そこへドナルドと目がバッチリ合ってしまった。

どうやら私に気づいたらしく、ちょっと前を歩いていたミニーの肩を叩いて私の方を指差す。

「や・・・やだ・・・な、何!?せ、聖さま・・・わ、私物凄く嫌な予感がするんですけど・・・」

「そう?むしろ私はいい予感がするけど」

そう言って聖さまは何を思ったのかミニーとドナルドに向って手を振った。

すると、それに応えるみたいに二人は駆け寄ってくる。こ・・・こないで・・・私の事なんてほっといてくれて構わないからっ!!

心の中でどれだけ叫んでも誰にも伝わらない。そりゃそうよね。声に出したって伝わらない事があるんだもん。

まぁ、多分聖さまは私の気持ちに気づいてると思うのよ。でも、あえて知らない振りしてるんだ、絶対!

ドナルドが、ミニーが、そしてミッキーまでもが近寄ってくる。や、やばい・・・あ、汗が・・・変な汗が・・・。

「ほら、祐巳ちゃんちゃんとお礼言わなきゃ!ね?」

いや、ね?とか言われてもね?私もね、今精一杯なのよね?だから、ちょっとそれは無理かな〜って。

じりじり近寄ってくるディズニーランドの有名人達。少しづつ少しづつ後ずさる私。

「祐巳ちゃん、や・く・そ・く。ね?」

お、重い・・・重過ぎる・・・私はかろうじて聖さまの後ろに隠れてこっそりとミニー達がやってくるのを待っていた。

やがて後二メートルって所で立ち止まった三匹(もう人間扱いなんてしてやらないんだから!)は、

聖さまの後ろに隠れる私を覗き込んで手を振ってくれる。そんな仕草がちょっとだけ可愛いとか思ってしまった私は、

ついうっかり手を振り返してしまった。あぁ、もう、私・・・バカだ。

そんな私を見て聖さまはにっこりと笑って次の行動に出た。鞄の中にしまってたカメラを取り出して言ったんだ。

「お願いがあるんだけど、一緒に写真撮ってもらえる?」

聖さまのその言葉を聞いたミッキー達はこともあろうか仲間たちを呼び寄せて大きく頷いている。

な、なんて事しやがるっ!このネズミっ!!!いや、あのね、そんなサービスしてくれなくていいと思うのね。

そりゃ確かに?今日はお客さんも少ないし、写真を撮るのもそんなに並んじゃいない。

でも、だからって・・・だからって・・・。

「せ、聖さま・・・な、仲間呼んでるんですけど・・・」

「うん、ラッキーだよね」

「い・・・いや・・・・」

全然ラッキーなんかじゃないよ。ありえないよ。どうして今日に限って客が少ないのか。

どうしてよりによって皆揃いも揃ってこんなにもサービス精神旺盛なのか。

つか、そもそもどうして私が倒れた事なんて覚えててくれるのよ?ありがたいのか、そうでないのか、何だか微妙な気分。

やがてミッキーに手招きされて呼び出された仲間達がゾロゾロと集まってきた。

その中には全く見たこともないキャラクターもいる。

私は出来るだけ聖さまの背中に張り付いて見ないようにしてた。キャラクターを。

そしたらちょっとは怖くないかなって思って。そして、その時がやってきた。

「ほら、祐巳ちゃんはここね」

「えっ!?せ、聖さまは?と、隣に立ってくれるんじゃ?」

「バカね。せっかくミッキーとミニーが一緒に撮ってくれるんだから、挟んでもらわなきゃもったいないでしょ!

ちなみに私はプルートが好きだからプルートの隣―!」

ズ、ズルっ!!つか、なにその理屈!!プルートの隣に駆け寄った聖さまにプルートは喜んで手招きとかしてる。

で・・・私はと言えば・・・固まったまま動けないでいた。

目を開けると大きな白いミニーのおてて・・・明らかに人間のものじゃない。だって、私の顔よりも大きい。

気を利かせてミッキーが繋いでくれた手も、明らかに人間の手触りじゃない。つか、布!これは布!!

「・・・はぅぁ・・・」

思わず漏れた溜息を笑う聖さまの声が聞こえた。でも、生憎姿は見えない。ミニーの真っ黒ででっかい耳が邪魔で。

「はい、じゃあ撮りますねー。笑ってくださ〜い!」

わ、笑えますかっての!!ど、どんだけ今私が必死で立っている事かっ!!!

意識を失わないのが自分でも不思議なぐらいなんだから!!でも、写真に残るんだからやっぱり多少は可愛い顔しないと。

でないと後で聖さまに何言われるか分かったもんじゃない。そして、シャッターが切られるその瞬間。

「ぎゃあっ!!!」

私は慌てて左頬を押さえた。その叫び声に聖さまは何事!?って顔してこっちに駆け寄ってくる。

「どしたの?」

「ちゅ、ちゅ、ちゅ」

「・・・なに?ねずみの鳴き声?それはミッキー達に対して失礼だよ、祐巳ちゃん」

ち、ちがう、ちがうっ!!そうじゃなくてっ!!

周りからは、いいなー、なんて声も聞こえる。

でも私は・・・左頬を押さえたまま、その場にへたり込んで動けなくなってしまった。

そんな私を見て、ミッキーがそっと手を差し延べてくれる。でもね、聖さまは言ったの。

「ミッキー、ありがと。でも、祐巳ちゃんには触っちゃダメ。これは私のだから。それと・・・ありがとね。いい記念になったわ」

その言葉に私がジーンとしたのは言うまでも無い。聖さま・・・聖さま・・・やっぱり大好きっ!!

そっと差し延べてくれる聖さまの手を掴んだ私は、ここで初めてキャラクター達を見ることが出来たんだ。

聖さまと手を繋いだせいで落ち着いたのかどうかは分からないけど、聖さまの力は・・・大きいと思う。

「ありがとう・・・それと、さっきは突然倒れたりして・・・ごめんね?」

それを聞いたミッキーとミニー、そしてドナルドは笑顔で(いっつも笑顔だけど)手を振ってくれる。

素直に、真正面から大きな顔のお友達にお礼を言えた事が、何よりも進歩だったように思う。

その場から少し離れてそんな事言った私の頭を、聖さまはにっこりと笑って撫でてくれた。

「ところで、さっきの叫び声なんだったの?」

「あー・・・いや、もういいですよ。確かに今も怖いですけど、叫ぶほどの事ではなかったのかもだし」

「なにそれ?まさかとは思うけど、頭撫でられたとかそんな事で叫んだ訳じゃないでしょうね?」

「いやー・・・チューをね、されたんですよ、ほっぺに」

マジでビビったけど。写真を撮る瞬間、何を思ったのかミッキーは私のほっぺにキスをした。

だから勢いあまって私は叫んじゃった訳だけども。

「嘘でしょっ!?ず、ずるいっ!!じゃない。な、なんて事をっ!!あんのネズ公っっ!!!今度会ったら覚えてなさいっ!!」

聖さまはそう言って私の頬を袖でゴシゴシと擦ると、何とも複雑そうな顔してる。つかさ・・・今初めにずるいって言ったよね?

しかもネズ公って・・・酷い言われようよね、ミッキーも・・・可哀想に。

多分ミッキーは私が俯いてギュって目を閉じてたのを見て顔を挙げさせようとしたんじゃないのかなぁ、

なんて今は思うんだけどね。確かに私は驚いて顔を挙げた。

でも、写真にはきっと・・・かなりぶっさいくな私が映ってるに違いない。何にしても、これで約束は果たした。

そう考えるだけで、どうだろう。肩の重みが一気に無くなったような気がしないでもない。

確かにどこかでまた会うかもしれないんだけど、さっきほど怖くはないような気が・・・する。

ある意味では、今から私の旅行が始まるんだと思ってもいいぐらい何だかスッキりしてて。

「せーいさま!」

「・・・なによ?」

私にキスしたミッキーが許せないのか、それとも私だけがミッキーにキスされたからなのかは分からないけど、

聖さまは不機嫌そうに振り返った。

「ほら、そんな顔しないで!そろそろお昼ごはんにしましょうよっ!」

「・・・ご飯?」

「ええ!お腹・・・減ってるでしょ?」

聖さまの腕に自分の腕を絡め、とびっきりの笑顔で聖さまを見上げると一瞬聖さまは何か考えるような仕草をして笑った。

「うん!」

ほんと、聖さまって・・・前から思ってたんだけど、ご飯食べるときだけは・・・子供みたいになるんだよね。

まぁ、それが可愛くなくはないんだけど!


第九十九話『鈍感って罪だよね』


お昼ごはんも食べた!アトラクションも全部制覇した!残るは・・・パレードなんだけど・・・。

「私、パレードは別に興味ありませんよ」

「あ、やっぱり?」

そりゃね、着ぐるみ嫌いならパレード見ても楽しくないんだろうね、祐巳ちゃんの場合。

でもさー、ディズニーランドつったらやっぱパレードなんじゃないの?

・・まぁ、実を言うと私もパレードにさほど興味ないんだけどさ・・・。一応ね、一応はさ、女の子ってあんなの好きそうじゃん?

でも、祐巳ちゃんはあっさりそれを否定した。笑えるほどはっきりと。

私さ、思うんだけど、祐巳ちゃんのこういうとこ、結構好きなんだよね。

普段はすっごく女の子らしくてさ、理想のデートとかそういうのに尋常じゃないほど夢見てるくせに、

たまにその王道からすっごいズレてるようなとこがさ、たまんなく可愛い。つか、面白い。

「じゃあ、この後どうする?そろそろホテル行く?」

「何言ってんですか!皆にお土産買わなきゃ!」

ああ、買い物か・・・それは間違いなく長くなりそうな気が・・・する。

「皆に、ねぇ。案外自分のに一番お金かけたりとかするんでしょ?」

私の言葉に祐巳ちゃんが、うっ、って詰まった。ほらね、やっぱりねー。絶対そうだと思ってたんだ。

だって、祐巳ちゃんは実はディズニーキャラクター大好きなの知ってるもん。絶対またぬいぐるみとか増えるに決まってる。

「まぁ、別にいいけどね」

「聖さまは何か欲しいものとか無いんですか?」

「私―?さあ、見てみなきゃ分かんないよ」

「そうですか・・・あ!そうだ!だったら、聖さまの分も私が選んであげますよっ!ねっ?」

「・・・そんな事言って、自分の欲しいもの私に買わせる気でしょ?」

「・・・ば、ばれました?」

バレバレだっつの。全くもう、祐巳ちゃんはほんと・・・飽きないよなぁ。

白い目を向ける私を見て祐巳ちゃんは、ポリポリと恥ずかしそうに頭をかいた。ほんっと、面白い子。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「聖さま!!み、見てくださいよっ、これ!!か、可愛いすぎる・・・」

目に涙溜めながらタオル地の大きなスティッチのぬいぐるみを抱き上げて振り返る祐巳ちゃん・・・つか、君が可愛いすぎ・・・。

「じゃあそれにすれば?」

「えっ!?で、でも・・・他のも見ないと・・・」

チラリと横目で私を見る祐巳ちゃんの顔は申し訳なさそうなんだけど、何かを訴えるよう。

「な、なによ?その顔」

「別に?ただ・・・これ、聖さまの部屋にあったら可愛いだろうなーって・・・思いません?」

ああ、あるほど。そういう意味ね。私はだから、祐巳ちゃんの言葉に首を振った。

「全っ然思いません。で、次はどこ行くの?」

「・・・そですか・・・」

ガックリと肩を落とす祐巳ちゃんが言っちゃ悪いんだけど、すっごいおかしい。

だってさ、普通に買って?って言えばいいじゃん。なのに、変なとこで意地張るんだよなぁ、ほんとに。

それんいしても、だ。かれこれ2時間は同じ店行ったり来たりしてる訳ですけども。いい加減決まりませんかね?

はじめの30分は完全にお土産を選んでたんだけど、それはすぐに決まった。

ところが・・・それからが長かったんだよね・・・。私はチラリと時計を見て、祐巳ちゃんには見えないように苦い笑みを浮かべる。

つうか、祐巳ちゃんのが決まらないと私、他の店行けないじゃん!

「ねぇ祐巳ちゃーん。私ちょっとあっちの店行ってきてもいーい?」

業を煮やした私がそう言うと、祐巳ちゃんはパッって振り返った。そして、笑顔であっさり言う。

「いいですよっ!ゆっくり見てきてくださいね!」

・・だって。初めから言えば良かったよ、ほんと。私は祐巳ちゃんを残して真向かいの店に足を運んだ。

っつうのも私さ、部屋に飾るポスターとか欲しいんだよね。なんか部屋交代してからすっかり雰囲気が変わっちゃってさ。

前まで張ってたのがなかなか合わない。だから、これを機に模様替えしようと思った。

なかなかイメージ通りのが無くて困ってるんだけどさ。店に入ると、そこはディズニーランドじゃないみたいだった。

他の店とはちょっとだけ異色な感じっていうか・・・。

どれぐらいそこで物色してたか分からないけど、ふと気づくと後ろに二人の男の子が立っていた。

まるで私を覗き込むみたいに何かヒソヒソ話してて、すんごい気分悪い。

「なによ?」

私が振り返ると、背の高い方の男の子が言った。

「あ!いや、すみません!!なんでもないですっ!!」

「・・・はあ」

何だったんだ、一体。全く、世の中変わった奴が多すぎる!まぁ、人の事はあんまり言えないかもしれないけど。

それにしても失礼だわ、ほんと。で、ふと不安になったんだよね。

祐巳ちゃんをさ、一人きりにしたけど、もしあの子が今みたいに変なのに絡まれてたら・・・。

「絶対一人で対処できないに決まってる!!」

私は結局何も買わず急いでさっきの店に戻ると、祐巳ちゃんを探した。

すると、祐巳ちゃんはまだあのぬいぐるみの前で佇んでいる。いや、一人では・・・無かったんだけど。

私が近寄ると、祐巳ちゃんと一緒に居るのはさっきの私の顔を覗き込んでいた男の子二人で・・・。

何やらその男の子達と楽しげに・・・いや、祐巳ちゃんだけが一方的に話してる。

「ええ?そうかな?こっちの方が良くないかな?」

「や、まぁ、今はそんな話してるんじゃなくて・・・俺ら君を誘ってるっていうか・・・」

「でね!これがあの部屋にあるとかなり雰囲気が変わると思うのよ!!ね、どう思う?」

「あの部屋とか言われても・・・その・・・」

タジタジな男の子達・・・話の意図が見えなくて、私は声をかけた。

「ゆ、祐巳ちゃん?」

「ん?あっ!聖さま!どうしたんです?もう買い物は終わったんですか?」

「いや、まだだけど・・・えっと、その子達は・・・」

「ああ、つい今しがた一緒に遊ぼって声掛けられたんですけどね、私それどころじゃないんで。

だから一緒にお土産選んでもらってたんですよ!」

いや、違うでしょ。つか・・・それってさ・・・。

「それって・・・ナンパじゃないの?」

私の言葉に祐巳ちゃんはキョトンとした顔してる。一方男の子は何やら気まずそう。そして、私の顔を見てハッとした。

「さ、さっきの!」

「そう、さっきの。あんた達ねぇ、ナンパするんならもっと人選びなさいよ」

よりによってどうして祐巳ちゃんに声かけるかな。この恐ろしいほどの天然娘に。

「え、選んだんですよ!で、でも・・・この子・・・全然話聞いてくれなくて・・・」

オイ、ちょっと待て!それはそれで失礼な回答なんですけど。

私はダメだと踏んで祐巳ちゃんにしたって事?まぁ、別にいいけどさ。

だから私は言ってやった。大きなため息を落として、ナンパの何たるかをこの哀れな少年達に教えてやろうと。

「そうでしょうとも。だから、人は見かけで判断するなって事。あのねぇ、大体今時そんな手に引っかかる女は居ないわよ?

確実に引っ掛けたいなら、服装を見るの。後、しばらく見張る事!そしたらその子が誰と来てるか分かるでしょ?

買い物途中の女見たってそんなの分かんないでしょうが。ほんっと、素人はこれだから・・・」

「す・・・すみません・・・」

私の言葉に男の子はションボリとうな垂れる。つか、私・・・なに言ってんだろ?なんかね、心配して慌ててきたものの、

祐巳ちゃんは全然なびく様子も無くてさ。それどころか捕まえてぬいぐるみ選びに付き合わせるなんて・・・。

安心した反面、ちょっと鈍感すぎない?って不安になったりもしてさ。

流石にこの子達が可哀想になったってのも、多分あるんだろうけど。

その時だった。突然隣でうーんうーん唸ってた祐巳ちゃんがポンって手を叩く。

「なんだ!ナンパだったのか!」

って・・・ちょっと、今更!?驚いたのは私だけじゃない。男の子達も隣で、えっ!?って小さく呟いた。

「祐巳ちゃん・・・ほんっとに君は・・・」

私はあまりにも鈍すぎる祐巳ちゃんの肩をポンと叩くと、男の子達に言った。

「分かったでしょ?世の中にはね、こういうのもいるの。もっと目を養ってから出直しなさい」

「「・・・はい・・・」」

スゴスゴと店を出てゆく少年二人。明らかに大学生かそこらへんなんだけど、なんだか凄く・・・可哀想。

それともいっこ・・・祐巳ちゃんって・・・やっぱ最強。つか、鈍すぎ。なるほどね、だから今まで恋人出来なかったのね。

何だかそれを目の当たりにしたような、そんな気がした。

一人訳分かんないって顔してる祐巳ちゃんを見て、私は大きなため息を落とす。

「で、どれが欲しいのよ?買ってあげるから一つ選んで。そろそろホテル行くよ」

「えっ!?い、いいんですか?どれでも??」

「どれでも。でも、あんまり高いのは嫌よ」

「あんまりってのは・・・どれぐらいでしょうか・・・?いや、あの、参考までにっ!」

ジロリと睨んだ私を見て、祐巳ちゃんは慌てて言葉を付け足した。多分、言った金額ギリギリの物にしようとしてるに違いない。

「そうね、これぐらいかな」

そう言ってさっき祐巳ちゃんが可愛いと言って抱きしめていたスティッチのぬいぐるみの頭を掴んで、

祐巳ちゃんの腕の中に押し込んだ。つか、もうこれで我慢しなさい!

腕の中に押し込まれたぬいぐるみと私を交互に見て涙ぐむ祐巳ちゃん・・・ったくもう、ほんと世話が焼けるんだから。

「い、いいんですか!?ほ、ほんとうに?!」

「ほら、早く買っといで」

そう言って財布を祐巳ちゃんに渡すと、祐巳ちゃんは大きく頷いてレジへと小走りしてゆく。

ほんと、祐巳ちゃんには負ける。この天然さとか、無防備さとかさ。だから改めて私は思ったんだ。

祐巳ちゃんとこうやって付き合えたのは、ほんと、奇跡に近いのかもしれない、なんて。

つか、想いが通じた事自体が最早奇跡と言える。

「私ってほんと、幸せよね」

大きな袋を抱きかかえて満面の笑みの祐巳ちゃんが戻ってくるのを見て、私はポツリと呟いた。

あんなぬいぐるみ一つで祐巳ちゃんが笑ってくれるのなら、いくらでも買ってあげるわよ。

その代わりさ、これからもさっきみたいに誰にもなびかないでよね。いくら私よりも格好いい人に言い寄られたとしても。


第百話『優しさの内訳』


聖さまがスティッチ買ってくれた!おねだりもしてないのにっ!!しかも、結構高いのにっ!!!ここ、重要。

自分で買っても全然良かったと思う。でもね、誰かに、聖さまに買ってもらったって言うのがさ、たまんないよねっ!

思わずにやけちゃうよねっ!!大きな袋を抱える私と、皆のお土産を持つ聖さま。

「重いー」

「もうちょっとですから!ね?」

「そりゃ祐巳ちゃんはいいわよ、それ自分のじゃん。でも私のは・・・これ、絶対買いすぎでしょ」

そう言って両手に持った袋を見て大きな溜息を落とす聖さま。確かに、買いすぎかもしれない。

でもさ、皆には普段ほんとお世話になってるんだもん。そう、ほんっとうにお世話になってる。特に聖さまが。

ようやく駐車場についた私たちはどうにか車に荷物を詰め込んで、ぐったりとシートにもたれた。

あまりフカフカなシートではないけれど、この疲れきった体を休めるにはちょうどよかった。

つか、もう何でもいい。とりあえずどっかに転がりたい。しばらく私たちは無言でシートに身体を横たえていた。

「さて、それじゃあホテル行こっか」

「はいっ!」

うーん、って大きく伸びをした聖さま。エンジンに手をかけてハンドルに顎を置いて目だけこっちに向けてにっこり笑う。

「楽しかった?」

「はいっ!!」

私は、聖さまの質問にそれしか言えなかった。だって、本当に楽しかった。途中ちょっと思い出したくもないとことかあるけど、

でもそれはそれでいい思い出だと思うし、何よりも二人きりだったし!

私はだから、聖さまの頬に軽くキスした。これはお礼。色々なモノへの、私なりのお礼。

外でこんな事するとまた怒られちゃうかもだけど。でも、聖さまは怒らなかった。かと言って喜びもしない。

「なに、突然」

「なんとなく!」

「・・・ふーん。変な祐巳ちゃん」

ほんの少しだけ赤くなった聖さまは、一瞬私と目が合った。でも、それはすぐに逸らされちゃった。

ふふ、本当は照れてるんだな、きっと。聖さまってばほんと素直じゃないんだから!不意打ちに弱い聖さま。

だから私はたまにこうやって聖さまで遊ぶ。だって、こんな時の聖さまってばどうしようもなく可愛いんだもん!

プイってそっぱ向いてわざと話を逸らしたりするとことかがね、凄く好き。そんな事しなくてもバレバレなのに。

私たちは身体って境界線が邪魔して身体は絶対一つになることは無いんだけど、でもたまに。

ほんとたまに心が一瞬、一つになるようなそんな気がすることがある。

だから、案外心は身体の中には無いのかもしれない、なんて思うんだ。

そんな事考えてた私を無視して、車は走り出した。とりとめもなく過ぎてゆく景色。

あんなにも賑やかだったさっきまでの時間がまるで夢だったみたい。それぐらい車の中は静かだった。

BGMはかなり小さめ。聖さまも喋らない。私も喋らない。

ぼんやりと外を見つめ、たまに引っかかる信号の赤い色をぼんやりと見つめていたんだけど・・・。

「ねぇ、聞いていい?」

「はい?」

突然聖さまが話しかけてきて、私はビックリして持っていたジュースを取りこぼしそうになってしまった。

慌ててあたふたとジュースを押さえる私を見て聖さまは苦い笑みを浮かべる。

「大丈夫?」

「え、ええまぁ・・・で、何です?」

「あのさ、さっきの子達居たじゃん?」

?・・・さっきの子??誰?多分私の顔を見てまた私の考えてる事分かったんだじゃないのかな。

聖さまは、ほらさっきナンパしてきた!と付け加えてくれた。

「ああ!ええ、あの子達がどうかしたんですか?」

「いやさー、あれ、ほんとにナンパだって気づかなかったの?それともワザとあんな風に振舞ったの?」

あのね、聖さま。私がね、ワザとあんな風に振舞えると本気で思ってるんですか?

いっそ、そう聞いてやりたかった。だって、聖さまに言われるまで私本当になんとも思ってなかったんだもん。

私は大きなため息を落として聖さまの横顔をチラリと見た。

「ワザとな訳ないじゃないですか。私、そんなに器用な事出来ませんよ」

「そうだよねー・・・じゃあ、やっぱり素だったんだよねぇ・・・」

ポツリと呟いた聖さまの声は何故か私を哀れんでるように聞こえる。つかさ・・・しっつれいだよ、ほんと。

「なんなんです?突然」

「いや、何となく気になって。まさかあそこまで鈍いとはね。ほんと、ビックリだよ」

「どういう意味ですかー」

「そのまんまの意味。だってさ、普通気付くでしょ?遊びに行かない?って言われたらさ」

そんな事言われたって全く気付かなかったんだからしょうがないじゃない。もっとハッキリ言ってくんなきゃわっかんないよ。

いや、もしかしたら十分ハッキリ言われてたのかもしれないけど。

そうか・・・私ってそんなに鈍いのか・・・何だかちょっとショックなような気もする。

「祐巳ちゃんがさ、今まで誰とも付き合った事が無かった理由、ほんのちょっと分かった気がしたよ。

やっぱり私なんかが祐巳ちゃんと付き合えたのは奇跡かもね」

聖さまはそんな事言って、今度は安心したように笑った。でもさ、その答えは凄く簡単だと思うのよ。

「私、多分自分から好きにならないとダメなタイプだと思うんですよね」

「・・・はあ?」

「だから、私は自分から好きにならない限り、誰に何を言われても特に何も感じないって事です」

多分ね、私は今まで恋愛した事が無かったし、誰かと付き合おうだなんて考えた事もなかった。

ていうのも、誰かを好きになるって感情がよく分からなかったと言った方が正しい。

それがさ、聖さまに会って、誰かを好きになるって事を知って初めて、恋愛欲っていうのかな?

そういうのが出たんだと思うんだよね。キスしたい、だとか、手を繋ぎたい、だとか、そういうのが。

「それって・・・結局誰に告白されても自分から好きにならなきゃ相手に見込みは無いって事?

お試しに付き合ってみようとか思わない訳?これっぽっちも?」

そう言って聖さまは驚いたような顔をして私の方を向く。いや、危ないから、前見てくださいよ、前!

「まぁ・・・そういう事になりますね。

ていうか、私にはどうして好きでもないのにお試しに付き合っちゃえるのかが分かりませんけど・・・」

だってさー、好きでもないのに一緒に居て楽しいと思えるのかなぁ?

そんな気持ちがいつか恋に変わるかもなんて自信もないのに、繋ぎとめるのもどうかと思うしさー。

「まぁ、人それぞれだとは思うけどね。私の場合はとりあえず食ってみるタイプだったから何とも言えないけどさ・・・。

そっか・・・じゃあ祐巳ちゃんに好かれてたからこそ、今の私たちが居る訳か。つかさ、それこそ奇跡じゃんっ!

今まで恋愛した事無かったんでしょ?ていうか、ほんっとうに今まで誰も好きにならなかった訳!?

由乃ちゃんじゃないけど、それってかなり貴重だと思うんだけど・・・」

「そうですかー?私の場合は、どっちかって言うと夢に向ってまっしぐらだったので、

余所見してる暇が無かったのかもしれません。点数いつもギリギリだったし・・・」

私の言葉に、聖さまは無言で頷いた。どうやら何かに納得したらしい。声に出せよ、声にっ!!感じ悪いんだから、もう!

「ま、何にしても、祐巳ちゃんが鈍くて良かった、ほんと。私のこれからの心配事が一個減ったわ」

「・・・私は相変わらず毎日ヒヤヒヤしてますけどね」

ほんと、聖さまは隙あらば違う女の子目で追ってるからなぁ・・・油断も隙もあったもんじゃない。

いっつもどれだけ私が斜め後ろから聖さまを睨んでるかなんて、聖さま知らないでしょう?

私の言葉に聖さまは苦い笑みを浮かべている。ほんっと・・・この人だけは、もう!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ホテルは、かなり綺麗だった・・・ごーじゃす!!もう、この言葉意外思いつかない。

「ここ・・・高かったでしょう?」

恐る恐る聞いた私に、聖さまは笑顔で答える。

「うん。高かった。でもさ、どうせならいいとこ泊まりたいじゃん」

ああ・・・小市民の私にはこんな贅沢・・・いや、するけどねっ!しちゃうけどねっ!!

フロントで鍵を受け取っていざ部屋に入ると、やっぱり中も凄かった。もうね、身に余る光栄ってこのことだと思うの。

ていうかさ・・・意外に聖さま・・・お金持ちだよね。

よくよく考えればさ、クリスマスに貰ったクリスタルだって、リングだって、

さっき買ってもらったあのぬいぐるみだって、絶対そんなに安く無いもん。

それをポンって買ってくれちゃうんだもんなぁ・・・同じとこで働いててどうしてこんなにも違うのか、と!!

「そりゃ・・・働いてる年数が違うからでしょ。それに、私意外と貯蓄家なのよね」

「で、でも・・・今まで彼女とか居たんでしょう?その度に遣ってたら・・・無くなりません?」

「えー?あんまり遣わないよ、そんなの。だって、せいぜい遣うって言っても記念日程度でしょ?

誕生日とクリスマスぐらいじゃん。一年に二回だよ?それにこんな風に誰かと旅行とかした事ないし。

一年に一回絶対どっかに海外旅行する蓉子とかに比べりゃこんなの安いもんじゃん。

おまけに私、普段の生活はかなり質素だしね」

「う・・・そ、それはそうかもしれませんけどー・・・」

それにしたってさー・・・じゃあ私・・・どうしてこんなにもお金貯まらないんだろう・・・?

「それは君が細々したものをしょっちゅう買うからなんじゃない?通算すれば絶対私より使ってると思うよ?」

聖さまはカラカラ笑ってそんな事言うんだけどさ・・・そっか、そうかもな。私、ほんとに細々したもん・・・買うもんなぁ・・・。

100均とか行くとついついいらない物まで買っちゃうし・・・そっか、それがいけないのかっ!

「わ、私!これから節約しますっ!聖さま見習って!!」

「それは構わないけど・・・ご飯のクオリティは下げないでね?」

ご飯・・・聖さまの心配事はご飯だけなのか・・・。つか、食事や家賃、生活費は全部完全に折半なんですけど・・・。

いつかさ、これが変わったりとか・・・するのかなぁ?普通の家庭みたいにさ、お財布が一つになったり・・・するのかなぁ?

一緒に貯金したりとかしてさ、蓉子さまじゃないけど、年に一回こうやって旅行とかしてさ。

それを聖さまに言ったら笑われちゃった。ど、どうして笑うの??

「さぁねぇ・・・どうかねぇ。なんならやってみる?」

「へっ?ほ、ほんとですか??」

嬉しいっ!!はい、今月の生活費!とか言って聖さまに渡されてみたいっ!!

でも・・・私の喜んだ顔見て聖さまはキッパリと言い切った。

「う・そ。別にそんなのしなくても今のままでいいじゃん。

不自由してないでしょ?それにそんな事したら自由に使える分減っちゃうよ?それでもいいの?」

大好きなプリンとかが買えなくなっちゃうかもよ〜?聖さまはそう言って笑った。・・・そ、それは困る。

多分、私はまた顔に出てたんじゃないのかな。聖さまはとうとう声を出して笑い出した。

だから、どうして笑うのよー?そんなささやかな夢語るぐらいいいじゃ〜ん!!

ほんのちょとだけ涙目の私を見て聖さまはさらに笑う。

「あはは!もうしょうがないなぁ。じゃあ貯金しようか、せめて。一緒にしたいんでしょ?」

「は・・・はいっ!!」

「その代わり・・・私に合わせんのよ?」

「は・・・はい・・・」

「ほんとに大丈夫?結構欲しいもの我慢しなきゃかもよ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ダメじゃん」

うぅ・・・私・・・よわっ!!つか、聖さまってほんと、意外だけど計画性ちゃんとあるんだよね・・・それにビックリ。

聖さまと私のお給料じゃ結構差額がある訳で・・・それを聖さまに合わせるとなると・・・そりゃけキツイに決まってる。

分かってたよ・・・そんな事。分かってたけどさー・・・こうやって旅行とかに連れてきてもらったりとかね、

何か貰ったりすると、やっぱり申し訳なく思ったりもするのよ。だって、私、そういうので返せないんだもん。

聖さまが欲しがってるものとか、知ってても買ってあげられないんだもん・・・それってやっぱ・・・切ないよ。

それを聖さまに言うと、聖さまは私の隣に座って頭を撫でてくれた。優しく・・・本当に優しく。

「バカね、私は別に見返りが欲しくてやってるんじゃないのに。

ただ、私が好きでやってんだから、祐巳ちゃんは思いっきり楽しんで、お礼言っとけばいいの。

それだけで私は、また嬉しくて次の旅行とかプレゼントの為に頑張れるんじゃない。

貯金はまたいつかでいいから。それまでは私に任せておいてよ。ね?」

聖さまは、優しい。いつもさりげなく優しくしてくれる。絶対私に無理は言わない。嫌味は言うけど。

全部自分の為なんだって、そう言って私に優しくしてくれる。いっつもそう。だから、私はそれに気付くたびに泣きそうになる。

ありがとう、聖さま・・・本当に・・・ありがとう・・・。心から、そう思った。

思わず涙ぐんだ私の肩を抱いて、聖さまは最後に付け加えた。

「とりあえず、このホテルで祐巳ちゃんが出来る事と言えば、お腹がはちきれんばかりに食べて、

散々温泉に入ることぐらいだろうねぇ。そんで少しでも元取って」

もう、聖さまったら。子供みたいに笑ってそんな事言われたら、私は・・・涙を袖でゴシゴシ拭いて、笑った。

「了解です!」

ほんと、高かったのよー。なんて、聖さまは言う。うん、そうだろうなって思う。だって・・・本当に豪華だもんね、ここ。

ちょっとでも・・・元、取ろうね!聖さま?



第百一話『皮膚接触』


少しでも元取って?なんて言ったばっかりに、祐巳ちゃんはその場から動けなくなってしまった。食べすぎで。

「限度ってものがあるでしょうが」

「だ、だってー・・・美味しくてついー・・・」

祐巳ちゃんはそんな事言って大きな深呼吸をする。どうやらそうやってれば少しはお腹楽みたい。ほんっと、バカなんだから!

「だからってさー・・・まぁいいや。とりあえず部屋帰って、ちょっと休憩したらお風呂行こうよ」

「そう・・・ですね・・・多分、結構休憩する羽目になると思いますけど・・・」

「うん、その時は祐巳ちゃん置いていくから部屋でグッタリしてていいよ」

「ひ・・・ひどいー・・・」

「あはは!嘘、嘘。ちゃんと待っててあげるから」

私は動けない祐巳ちゃんの腕を引っ張って大広間を後にした。それにしても、だ。

バイキングってのはダメだよね、ほんと。片っ端から食べちゃうもん。しかも大量に。

こりゃ祐巳ちゃんじゃなくても食べすぎ注意だわ。ほら、見てよこの祐巳ちゃんを。

足とかズルズル私に引きずられるがままでさ。だらしないったらないよ、ほんと。

まぁでも、これが祐巳ちゃんの可愛いとこでもあるんだけどね。こうやって私の前でだけだらしなくなる祐巳ちゃんがさ。

部屋につくとそれまで全く動こうとしなかった祐巳ちゃんが動いた。つか、ベッド目掛けて一目散って感じ。

「私、壁際のベッドー!」

「・・・・・・・・・・・・」

苦しいんじゃなかったの?つか、今思いっきりお腹ベッドに打ち付けてたけど・・・。

子供みたいにベッドの上でボヨンボヨン跳ねる祐巳ちゃんが可愛いやら、おかしいやらで思わず私は苦い笑いをこぼした。

「じゃあ私は窓際ね」

そう言って窓際のベッドに転がった私を不満そうに見つめる祐巳ちゃん。

「・・・なによ、その目」

「・・・一緒に寝るんじゃないんですか・・・?」

「は?」

なによ、自分から壁際―、とか言って転がったくせに。怪訝な顔してる私をまだ祐巳ちゃんは恨めしそうに睨んでる。

「もう!聖さまは乙女心が分かってないんだからっ!」

「乙女心って・・・じゃあ何よ、なんて言って欲しかったのよ?」

「え・・・そ、そりゃ・・・じゃあ私は祐巳ちゃんの隣―とか言ってこう、覆いかぶさるとかですねぇ・・・。

せめて隣に転がってくれるとか・・・その、まぁ、そんな感じです!!」

キャッ!とか言って顔を両手で覆う祐巳ちゃんは耳まで真赤。つかさ・・・夢見すぎだよ、祐巳ちゃん・・・。

甘いを通り越してもうね、恥ずかしい。聞いてるこっちが。

「あのさ・・・言いたか無いけど、もしかして祐巳ちゃん・・・私を誘ってるの?」

「さそっ?!ち、違いますよっ!!ただ純粋に、そう言って欲しかっただけでっ!!」

「だよね。でさ、私がそんな事言うように・・・見える?」

私の問いに祐巳ちゃんはちょっぴり考え込んだ。そして、大きなため息を落として首を横に振る。

「そうね、少なくとも私はそういうタイプじゃないわね、残念だけど」

私の話に黙って耳を傾けていた祐巳ちゃんの目にうっすらと涙が浮かんだ。ヤバイ。これ以上言ったらきっと泣く。

だから私は慌てて言葉を付け足した。

「ま、まぁ、でも、一緒に寝た方が色々と都合いいもんね!」

私の言葉に、祐巳ちゃんはコクリと頷く。よ、良かった・・・危なかったよ、ほんとに。

まぁ、どっちみち祐巳ちゃんのベッドに侵入するつもりで居たから別にいいんだけどね。

それでもこっそり侵入したかったんだけどな。ここで私はふと思った。もしかして、祐巳ちゃんさっき口では誘ってない!

みたいな言い方してたけど、本当にそうだったのかな?って。

私は祐巳ちゃんの転がってるベッドにゆっくり腰を下ろすと、まだ赤い顔してる祐巳ちゃんの耳元でそっと呟いた。

「ねぇ、本当に誘ったんじゃないの?」

って。すると、祐巳ちゃんはビクンって身体を強張らせてうるうるした瞳で私を見上げると、

何を思ったか突然私に腕を伸ばして抱きついてくる。

その反動で私はバランスを崩して結果としては祐巳ちゃんの首筋に顔を埋める格好になってしまった。

「祐巳ちゃん?」

「だ・・・だって、はっきり言えるほど私・・・まだ聖さまの事よく分かんないもん・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

なるほど。どうやって誘えばいいのか分からないと、そういう事か。確かに、そういうさじ加減って意外に難しい。

はっきり言われすぎると引くし、曖昧すぎると見逃してしまう。だから祐巳ちゃんはこうやって私を試してたのか。

なんだか嬉しくなった私は、思わず祐巳ちゃんの耳たぶを甘く噛んで抱きしめた。

今日一日こうやって祐巳ちゃんを抱きしめるのは、これが初めて。確かに、二人でどこかへ行くのは楽しい。

でもね、こうやって何もせずにただ抱きしめるだけっていうのも・・・なかなかいい。いや、むしろ私はこっちの方が好き。

「せ・・・さま?私まだ・・・」

「じっとしてて。ただ、こうしてるだけでいいから・・・」

静かに呟いた私の耳に祐巳ちゃんの小さな、うん、って声が聞こえた。

取りとめも無い事だけど、こうやってただ抱き合える幸せってのは、また別格なんだ。

心臓の音がさ、一つに重なってそれだけで安心出来るような不思議な感覚。

皮膚接触っていうのは、人間にはかかせないんだ、と偉い学者が言ってたけど、今はその言葉に素直に頷く事が出来る。

癒しとか、安心感とか、そういうのはエッチじゃ味わえない。キスでも無理。

こうやって祐巳ちゃんを私の腕ですっぽりと包んで、息が鎖骨に当たるのを感じて・・・これだけで・・・いい。

どれぐらいそうしてたのかな。しばらく私の腕の中でじっとしてた祐巳ちゃんが、モゾモゾと動き出した。

「ちょ、動かないでよくすぐったいでしょ?」

「だ、だって!く、苦しくて・・・それにお風呂行かなきゃ!元取らなきゃ!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

私がさ、珍しく幸せとかについて考えてたってのにさ、もしかして祐巳ちゃんはずっとお風呂の事考えてた訳?

つか・・・心ってさ、ほんとすれ違いだよね。ていうか、行き違い?もう、祐巳ちゃんてばほんと・・・。

私はそっと祐巳ちゃんから身体を離すと、何かを待つような唇にそっと唇を押し当てた。

「ほら、じゃあお風呂行くから、用意して」

「はいっ!」

全く・・・この子には敵わない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ひっろーーーーーい!!!」

「無駄にね」

お風呂はほんと、無駄に広かった。どっかのスパ温泉みたいな広さで、客はあまり居ない。

貸しきり状態って訳じゃないけど、混んでもいない。まぁ、ラッキーではある。

祐巳ちゃんはお風呂のドアを開けるなりあまりにも広いお風呂に手を叩いて喜んだ。

その拍子に身体を隠してたタオルが下に落ちる。

「きゃぁ!!」

「・・・誰も見てないって」

ポツリと言った私をキッと睨む祐巳ちゃんの顔が、どことなく赤くなってて何だか妙にドキドキしてしまったのは・・・秘密。

「ほら、いつまでも拗ねてないで、身体洗って早く入ろうよ」

「そう・・・ですね!」

何かに納得したように祐巳ちゃんは私を置いてさっさと身体を洗い始める。つか、切り替えはやっ!まぁ、いいけど・・・。

「聖さま、聖さま!サウナ勝負しましょうよ!!」

「・・・はあ?サウナ?いやよ、あっついの嫌いだもん」

フンってそっぽ向く私の背中に、祐巳ちゃんの失笑が聞こえてきた。な、なによ、その笑い方!!

「なによ、何がおかしいのよ?」

「さては聖さま・・・私に勝てる自信がないんでしょ?だから嫌なんですね?聖さまの弱虫〜!負けるのが怖いんだ〜」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ムッカー!!何かムカツク!!私はクルリと振り返って祐巳ちゃんの顔を覗き込んだ。

「な、なんですか・・・」

「その台詞、そっくりそのまま返してあげるわ」

「へ?」

「その代わり、負けた方はアイス奢ること。いーい?」

張り合いがなきゃね、やっぱり。私の挑戦状に祐巳ちゃんはキッって顔を挙げた。その顔は自信に満ち溢れている。

「いいですよっ!ハーゲンダッツですねっ!!」

「・・・また、高いの選んだわね・・・まぁ、いいけど」

アイスの王様ハーゲンダッツ。まぁ、ホテルと言えばこれが王道か。

それにしても、祐巳ちゃんが自信に溢れてる時は何だかちょっと怖い。普段自信なさそうだから、余計に。

「それじゃあ・・・用意はいい?」

「もちろんっ!」

こうして、『サウナにどれだけ入ってられるか頂上決戦』は始まった・・・。


第百二話『どこまでも一緒に』


絶対、絶対、絶対勝ってやるんだからっ!!一つぐらい聖さまに勝ちたいっ!!・・・あんまり自信ないけど・・・。

しかも負けたらハーゲンダッツ・・・よりにもよって自分から一番高いアイスのメーカーで勝負に出てしまうとは・・・。

暑さには強いけど、実を言うと私、サウナに入った事ってそんなに無いんだよね。

そして、一歩中に入って自分の愚かさを呪った。

「ぅあ・・・あつ・・・」

「サウナだもん。当然でしょ?」

余裕って感じの聖さま・・・なによ、熱いの嫌いじゃなかったの!?どうしてそんなにも余裕なのよ?!

もうね、吸う息が熱いんだもん。しかもここのサウナ・・・温度高くない!?

「そうかな?こんなもんなんじゃない?なによ、まさかもうギブアップ?」

根性無いね、なんて聖さまに言われてしまった日には、根性見せない訳にはいかない。私は大きく首を振って鼻で笑った。

「まさか!全然余裕ですよ!」

「そう?ま、無理だと思ったら早目に止めなよね。こんなとこで倒れられても困るから」

「せっ、聖さまこそっ!!」

くぅぅぅぅっ!!!悔しい!!悔しすぎるっ!!!私は握りこぶしを握って、熱にじっと耐えた。

もうね、これ以上ないぐらいに耐えたの。

やがて、聖さまが引っくり返した砂時計が終わりを告げる頃、聖さまをチラリと見て言葉を失った。

せ・・・さまって・・・汗・・・かかないんです・・・か?つか、化け物ですか?私はもう、汗だくな訳。

おでことかからボッタボッタ落ちてるのに、聖さまはまだ涼しい顔してる。

「なに?どうしたの?もう限界?」

「べ、別に?何でもありませんっ!!」

こ、これはもしかするととんでもない勝負に出てしまったのかもしれない、と私はようやく思い始めた。

よくよく考えれば、聖さまと勝負して勝てたためしがないんだっけ・・・私・・・。

ああ、どうしてこんなにも無謀な事を・・・ほらね、頭がもう真っ白だもん・・・何だかクラクラするし・・・。

「ちょっと・・・祐巳ちゃん?祐巳ちゃんっ!!!」

「ふぁぃぃ・・・」

私は聖さまにもたれかかって薄れゆく意識の中で必死の形相の聖さまの顔を見た・・・気がした。

「ちょっと、しっかりしてよ!私の負けって事でいいからっ!!ほら、出るよ!!」

聖さまはそう言って今にも倒れそうな私の身体をサウナから引っ張り出して、そのままぬるま湯に浸からせる。

あぁ・・・気持ちいい・・・でも、そう思ったのも束の間、今度はもうちょっと冷たいお湯に入れと言う。

「ほら、最後にここ入って!」

聖さまに言われるがまま何も考えずにそのお風呂に足をつけた途端、私は飛び上がった。

「ちべたっ!!!」

「そりゃそうよ、水風呂だもん。ほら、ちゃんとクールダウンさせとかないと」

出ようとする私の身体を無理やり水風呂に押し込んで(ほんとはゆっくりだったけど、私にはそんな風に感じた)、

50秒ほど数えさせられた。つ、冷たい!!さ、寒いっよっ!!!でもね、不思議よね。

さっきまであんなにもボンヤリしてた頭が次第にはっきりしてきて、水風呂にも慣れてきた頃には、

私はすっかり元気になっていた。はぁぁ・・・良かった。危うくサウナで熱射病になるとこだったよ、危ない危ない!

そんな私に、聖さまはホッと胸を撫で下ろしている。

「もう!だから初めに言ったのに。無理だと思ったらさっさと止めろって。どうしていっつもそうやって意地張るのよ?」

「べ・・・別に意地張った訳じゃ・・・」

「じゃあせめて、自分の限界を知ってちょうだい。その度にハラハラさせられる私の身にもなってよね?」

窘めるように私を睨んだ聖さまは大きなため息を落として、水風呂の隣のぬるま湯に浸かった。ず・・・ずるい・・・。

だから私は水風呂から上がって聖さまの隣に入ると、そっと聖さまに身体を寄せた。

「ごめん・・・なさい・・・私の事・・・嫌いになっちゃいました・・・?」

いっつもいっつも心配かける私は、聖さまにいつ嫌われたっておかしくない・・・と、思う。

出来るだけ嫌われないようにしたいけど、聖さまの前で、というよりは、好きな人の前で自分を偽るのって、

やっぱりちょっと違う気がするんだ。初めのうちはね、それも仕方ないかなって思う。

でも、付き合っていくうちに段々ボロって出て来るものだし、そうでなきゃ嘘だ。ましてや大事にしたい関係なら、なおさら。

でも・・・それが結果として聖さまに嫌われてしまうようなら・・・そんなにも哀しい事ってない。

俯く私の頭を、聖さまがゲンコツでコツンと軽く小突いた。

「嫌いになんてなんない。そんな簡単な気持ちじゃないんだから。それにこれから徐々に気をつければいいだけの話だし。

ただ・・・一つ約束して。私以外の誰かの前では、こんな事絶対にしないって。いいわね?」

「当たり前です・・・だって、聖さま以外となんて、もう旅行に行きたいとは思わないんですから・・・」

これからは、どこへ行くにも聖さまと一緒がいい。ううん、離れるなんて考えらんない。バッグに詰まってでも、私はついていく。

それを聞いた聖さまは、小さく笑って私の肩を抱いた。

「なら、よし」

ぬるま湯はほんのりあったかい。でもね、聖さまの身体の方がずっと暖かくて、気持ちよくて・・・。

私は聖さまの肩に頭を乗せてしばらくその幸せに浸ってたんだ・け・ど!そうだ!忘れるとこだった!!

「で、さっきの勝負、聖さまの負けって事でいいんですよね?」

「へ?あ、あー・・・まぁ、実際は明らかに、誰が見ても祐巳ちゃんの負けだけどね」

「でも!聖さまさっき自分で言いましたよね!?私の負けでいい、って!!」

私はズイって聖さまに顔を近づけると、苦笑いする聖さまの顔をマジマジと見つめた。

「分かったよ、奢ればいいんでしょ、奢れば!全くもう、余計な事はちゃっかり覚えてるんだから!!」

おかしそうに笑う聖さまの顔には、さっきの不安そうな顔はもう無い。いつもみたいに楽しそうに笑う聖さま。

良かった・・・心配かけさせた私が言うのもなんだけど、本当に良かった。

「私ね、聖さまの笑った顔、凄く好きですよ!」

「あ・・・ありがと・・・」

突然の私の台詞に、聖さまは笑いを噛み殺したようにはにかんだ。

照れたように顔を赤くしたのを私がからかうと、聖さまは立ち上がって、お風呂を出て行こうとする。

「ほら!もう出るよ!!アイス、食べるんでしょ?」

「ま、待ってくださいよーーー!!!」

追いかける私を置いて、さっさと身体を流して出て行く聖さまの心の中は分からない。

でもね、きっと今、また笑いを噛み殺してると、そう・・・思うんだ。


第百三話『爪』


アイスを奢ったのは結局私。まぁでも、美味しかったからいいけど。

ほんとに、祐巳ちゃんと居ると毎日毎日ドキドキハラハラさせられる。

さっきのサウナにしてもそうだけど、どうやったらあんなにも毎日毎日事件を起こせるんだろうなぁ。

私はベッドに転がると何やらさっきから一生懸命アイスを舐めている祐巳ちゃんを見つめる。

どこにでもいそうな普通の女なのに、いつの間にこんなに大事になってしまったんだろう?

それはいくら考えても分からないんだろうけど、ただ一つ言えるのは私はこの先、

もうずっと祐巳ちゃんと一緒に居るだろうって事。もしも祐巳ちゃんもそんな風に思ってくれていたとしたら、きっとそれは叶う。

誰かが言った。望んだ通りの人生になる、と。今まではそんなバカな!と思ってたけど、案外そうなのかもしれない。

思い続ける事が出来れば、その信念を貫く事が出来れば、着実にその未来に近づくことが出来れば、

きっと思い通りに人生を運ぶことが出来るんだろう。まぁ・・・多少運にも左右されるだろうけど。

でも、私運は割りと強い方だと思うしね!祐巳ちゃんは・・・どうか分からないけど。

私はしばらくベッドに転がってたんだけど、そろそろ祐巳ちゃんを見てるのにも飽きてきた。

仕方ないからバッグの中から小さなポーチを取り出すと、中から爪磨きと除光液を取り出す。

「聖さま?一体何始めるんですか?」

興味津々って感じの祐巳ちゃんがアイスを持ったまま椅子ごとこちらに近寄って私の手元を覗き込んだ。

「んー?爪の手入れしとこうと思って。そろそろ剥げてきたし」

「爪の手入れ?そう言えば聖さまって、いっつも爪・・・綺麗ですよねぇ・・・」

うっとりって感じで私の手を取って、指先を食い入るように見つめる祐巳ちゃんの頬に睫毛の影が落ちる。

なんだかいいよね、こういうの。ラブラブって訳じゃないんだけどさ、普通っぽくて。

たまには友達みたいに、たまには兄弟みたいに過ごすのが、最近はとても楽。でもだからって別に軽い付き合いな訳じゃない。

でも、真剣になりすぎない関係ってのが、なかなかいい。ほんの少し距離を取る所は取って。

でないと、この危ういような糸はすぐに切れてしまうから。

「ほら、そろそろ離して」

「ふぁ〜い」

見ててもいいですか?って目をキラキラさせて私の手元を覗きながらアイスを頬張る祐巳ちゃんは・・・そうね、まるで妹みたい。

それも、子供から大人になりはじめるぐらいの女の子って感じ。

ほんっと、とてもじゃないけど私と二つしか違わないなんて思えない。

私はそんな事考えながらマニキュアを落とし始めた。

シンナーの匂いが鼻につくけど、それは最初のほんの一瞬だけの事で慣れたら結構いい匂いだったりする。

「そっれ、危ないですよっ!!」

鼻をつまみながらそういう祐巳ちゃんは、何とも面白い顔してる。

私はそんな祐巳ちゃんを横目に全てのマニキュアを落とすと、今度はやすりで磨き始めた。

こうしないと爪が白くなっちゃうからね。

「はぁぁ・・・聖さまの爪を維持するにはそんな手間ひまがかかってたんですねぇ・・・」

「祐巳ちゃんもやってみる?」

「わ、私はいいです!指までやすっちゃいそうですから」

「ああ、確かに。いいよ、これ終わったらやったげる」

マニキュア塗ってもないのに指真赤とか洒落になんないもんね。

「え?ほ、ほんとですか!?やった!」

喜んで椅子の上で飛び跳ねた祐巳ちゃんはその拍子にアイスを落としそうになってあたふたしてる。

「ちょっと、ベッドの上にこぼさないでよ?」

「分かってますよ!そこまでドン臭くないですよーだ!」

「・・・どうだか」

取りとめも無い時間。何気ない言葉。危なっかしい糸の上に成り立つ私たちの関係は、このままいつまで続くんだろう?

バカな話をしながらこのままずっと続くのかな?そうだと・・・いいなぁ。そして私・・・人間が丸くなったなぁ。

十本の指全てを磨き終えた私の爪はピカピカだった。普段から磨いてると、ちょっと磨いただけで結構光る。

そんな私の爪を祐巳ちゃんは食い入るように見詰めていて、アイスを食べる事さえ忘れてて・・・。

「ほら!垂れてるってば!!」

「へっ!?ぎゃあっ!!」

「もー、だから言ったのにー」

幸いベッドの上には零れてなかったけど、ダラダラと零れたアイスは祐巳ちゃんの腕を伝って肘の当たりまできてた。

私はだから、祐巳ちゃんの腕を掴んで肘から手首にそっと舌を這わせて祐巳ちゃんを挑発したんだけど・・・。

「・・・祐巳ちゃん?」

祐巳ちゃんはぼんやりと腕を掴む私の爪を見つめていて・・・。つか、ちょっと?どした??フリーズ・・・か?

とりあえず祐巳ちゃんは固まったまま動こうとしなくて、そして次の瞬間何故か祐巳ちゃんの頬が赤く染まった。・・・おそっ!!

「反応、遅すぎ」

「やっ、ごめっなさい!爪が、その・・・あまりにも綺麗で・・・だから、私っ」

「爪―?なによ、私の行動より爪に見惚れてた訳?」

不機嫌に呟いた私の声に、祐巳ちゃんは慌てて首を振る。

「そ、そういう訳じゃなくて!私、聖さまのその指が凄く好きで・・・だからその、

・・その手に触られるといっつもドキドキするからどうしてかな?って思ってて、

で、その爪も原因の一つだったのかなって・・・ああもう!何言ってるんだろう、私っ!!」

混乱した祐巳やんは面白い。はっきり言って私にも祐巳ちゃんが何を言いたいのかさっぱり分からないんだけど。

でもまぁ、悪い気はしない。むしろちょっと嬉しい。私はフンって鼻で笑って、また爪の手入れに戻った。

「でも聖さまは、ほんと綺麗にしてますよね、いつも」

「そりゃね。一応私も女ですし?それに身なりは綺麗にしてたいのよ、いつでも」

「はぁ・・・なるほど。でも聖さまはそのままでも十分綺麗なのに」

「ありがとう。でもね、それに甘んじちゃダメだと思うの。私の場合中身がね・・・あんまり自慢出来るようなとこないから。

せめて見た目だけは綺麗にしてないとね」

そう言って私は笑った。ほんの冗談のつもりだったのに、祐巳ちゃんは笑わなかった。私の顔を睨んで拗ねたみたいに言う。

「そんな事ないですよ、聖さまは中身も素敵ですもん。それに、そんな事言わないで下さいよ。

そんな事言われたらまるで私が聖さまの見た目だけが目当てで付き合ってるみたいじゃないですか」

「そうは言わないけど・・・でも祐巳ちゃんだって少しでも綺麗な私と歩きたいでしょ?」

「まぁ・・・それはそうですけどー・・・うー・・・」

何か納得いかないって祐巳ちゃんの顔が、ちょっとだけ嬉しかった。

正直に言えば私が化粧したり爪みがいたりするのは、別に性格が悪いからって訳じゃない。ただの趣味だ。

可愛い服とか格好いい服を着こなすための、単なる趣味。でも、今まで誰も祐巳ちゃんみたいな事私に言わなかった。

私はお洒落してるのが当たり前で、誰もその事に関して大して興味も抱かなかった。

まぁ、当然よね。こんな水面下の努力なんて誰にも見せてないもん。でも祐巳ちゃんだけは、ちゃんと見てくれてたんだ。

自虐的な私を真顔で否定してくれた祐巳ちゃんだからこそ、私は・・・。

「祐巳ちゃん、ありがと。私、自分の事そんなに好きじゃないけど、

祐巳ちゃんと居る時だけは自分の事好きになれる気がするよ」

「そ・・・そんな事・・・」

顔を赤くして俯いた祐巳ちゃんが可愛くて、私は体を伸ばして祐巳ちゃんの唇を強引に奪った。

「さて、じゃあ次は祐巳ちゃんの爪磨こうか」

「あ・・・はいっ!」

ほらね、何だかんだ言っても、やっぱり女はお洒落が好きだ。まぁ、そうでない人も居るんだろうけど、少なくとも私達二人は。

そっと私が祐巳ちゃんの手に触れると、一瞬祐巳ちゃんは手を引いた。でも、それを私は許さなかった。

だって、手、引っ込められたら磨けないじゃない。祐巳ちゃんの指は細い。長くはないけど、可愛らしい。

保健医って事もあって爪はきちんと短く切りそろえられている。

でもね、思うんだ。祐巳ちゃんみたいな人には、こんな事本当は必要ないんじゃないかな?って。

何ていうのかな、世の中には自然体なままの方が輝く人もいる。祐巳ちゃんは多分、そのタイプだ。

でも、矛盾してるとは思うんだけど、こうやって祐巳ちゃんに構うのは凄く好きなんだ。

祐巳ちゃんの髪をいじったり、こうやって爪で遊んだり、化粧をしてみたり。どんどん変わる祐巳ちゃんを見るのは楽しい。

でも、それは私の前でだけで居て欲しい。こんなのただの独占欲なんだけどさ。

私は短い祐巳ちゃんの爪に苦労しながらどうにか十本全ての指を磨き終えた。

「ふわぁぁぁ・・・ピカピカですね〜」

「でしょう?磨くだけでも全然違うでしょ?」

「はい〜・・・はぁぁ・・・触るとツルツルで気持ちいい〜・・・」

つか、いや、そんなに触んなくても、って思うほど、祐巳ちゃんは自分の爪をずっと触ってる。ほんと、素直でいい子だわ。

そんな祐巳ちゃんに私は思わず笑ってしまった。ほんと、可愛いんだ、この子。

「明日はどこいこっか?」

「どこへでも!」

今度は私の爪を撫でながら、祐巳ちゃんは笑った。極上の、最高の笑顔。

たかが爪。

でも、その爪一つでこんなにも嬉しそうにする祐巳ちゃんだから、いつの間にか私の心の隙間に入り込んできたんだろう。

ありふれた、どこにでも居るような、でもとても愛情深い祐巳ちゃんだったからこそ。


第百四話『どちらが欠けても』


気がつけば、聖さまが居なかった。慌てて時計を確認すると、まだ真夜中。それなのに、どこにも居ない。

どうして?私はトイレからお風呂、タンスまで開けて聖さまを探したんだけど、やっぱりどこにも居ない。

その時、ふとベッドとベッドの間に置いてある小さなテーブルの上に置かれた紙切れが目に入った。

『眠れないから散歩してくるね。  聖』

「なによ・・・これ・・・」

どうしていつもあの人はこうなんだろう?だってさ、普通に考えてさ、真夜中にたった一人でどうして出て行ったりする訳?

ちょっとは考えてよ・・・私が目覚めて隣に聖さまが居ないと、どれだけ不安になるか。

それなのに・・・。私は急いで着替えると、携帯と部屋の鍵だけ持って外に飛び出した。

イライラは最早ピークで、今聖さまに会ったら・・・正直何するか分からない。

私は走った。旅館の中を上から下まで。電話をしても一向に出ないし、もしかしたら部屋に置いてってるのかもしれない。

「いい加減にしてよ・・・」

どれだけ私を不安にさせたら気がすむのよっ!旅館の外から救急車やパトカーのサイレンが聞こえるたび、

私はどうにかなりそうで・・・。これだけ私は聖さまを愛してるのに、どうしてあの人にはそれが伝わらないんだろう?

ほんの少しでいいから、もう少しだけ私の気持ちも考えて欲しい。

聖さまが私の前から居なくなるだけで、それがどんなに短い時間でも、私は・・・私は・・・。

ジワリと涙が浮かんでくる。多分今、私はきっと酷い顔してる。

聖さまはきっと、どんなに他の人に言い寄られてもなびいたりしないだろう。それが男の人なら、特に。

でもね、そういう事じゃないと思うの。私が心配してるのは浮気とかそういう心配じゃない。

ただね、傍を離れるときは、ちゃんと言って行って欲しいだけなのよ。でなきゃ、こうやって探しようもないじゃない。

あんな紙切れ一枚だけ置いて、どうやって私に聖さまを探せっていうの?

涙が一粒零れた。真赤な絨毯に落ちて、そこだけ黒いシミが出来る。私はそのシミを踏みにじると、また走り出した。

「せ・・・さま・・・聖・・・さまぁ・・・どこぉ?」

自分でも情けないほど私は聖さまが好き。こんな時は必ずそんな事を実感する。

どれぐらい探し回ったんだろう。突然、私の携帯が鳴った。

音を切ってなかったもんだから、かなりの大音量でディズニーの音楽が流れて、ビックリして思わず電話を切ってしまう。

着信履歴を見ると、それは聖さまからの電話で・・・私は慌てて掛けなおした。でも、聖さまの携帯は・・・圏外。

ていうか、電源が入ってない・・・もしかして・・・電源・・・切られた?私が電話を受けずに切ったから?

「ぅ・・・ふぇ・・・」

どうして?何も電源から切らなくてもいいじゃない。私はその場で蹲って体育座りをして泣いた。真夜中だから声を抑えて。

でもね、声を殺そうとすればするほど、涙は溢れてくる。聖さまはいい。きっと私が居なくなっても、大して困らないだろう。

いくらでも次の人は見つかる。でも・・・私はそうじゃない。聖さまじゃなきゃ、聖さまが居なきゃ・・・きっと一生一人。

聖さまを知らなければ、こんな想いはしなくて済んだかもしれない。でも、私は聖さまに逢ってしまった。

聖さまを愛してしまった・・・だからもう、一人には戻れない。きっと・・・この先、ずっと・・・。

その時だった。突然、目の前が暗くなった。聖さまかと思って顔を挙げた私の前に立っていたのは、全然知らないおじさん達。

「何してるんだい?こんなとこで」

「あーあー、可哀想に泣いてますよー部長!」

おじさんの一人が私の腕を掴んだ。でも、その力は思ったよりもずっと強い。私は怖くなった。

手を振り解いて逃げようと思ったんだ。だって、酔っ払った人に言葉も理屈も通じない事はよく分かってたから。

「やっ、放して!!」

「おー、かーわいい〜な〜・・・こんな部下が欲しいねぇ〜」

「っ!!」

聖さまっ!!助けてっっっ!!!!!

私は心の中で叫んだ。私は、本当にバカだ。いつも聖さまに言われてたのに。

人前では決して弱い所は見せるなって、そう・・・言われてたのに。

怖いのに声も出ないし、身体は震える。そんな私を多分余計に面白がってるんじゃないのかな、この人達は。

・・・と、その時だった。突然私の腕を掴んでたおじさんの一人が低い呻き声を上げてその場に蹲った。

「なに人の連れにちょっかいかけてんのよ」

低くて冷たい、でも聞き覚えのある声に、私は耳を疑った。ハッって顔を挙げると、そこには聖さまが怖い顔して立っている。

「おいこら、何すんだ、お前!」

「それはこっちの台詞。警察呼ばれたくなかったらさっさと部屋に戻りなさい」

「せ・・・さま・・・」

私は立ち上がると聖さまの腕にしがみついた。すると、聖さまはそっと私を自分の後ろに押しやってまだおじさんを睨んでいる。

おじさんも聖さまを睨むんだけど、聖さまの迫力の半分もない。多分、普段は気のいい人なんじゃないのかな。

もう一人の男の人は完全に伸びてしまってて、さっきからウンともスンとも言わない。

と、その時だった。突然、おじさんが聖さまの胸倉を思い切り掴んだ。

「きゃぁっ!」

私は小さな悲鳴を上げたんだけど、でもね、一瞬聖さまが笑ったような気がしたんだ。そして次の瞬間・・・。

「うっ!!!」

声にならない叫び声とともに、おじさんはその場に崩れ落ちた。そして・・・もう一人と同じようにその場で動かなくなって・・・。

「せ・・・さま・・・?」

私の怯えた声に、聖さまはクルリと振り返って私を睨み付けたまま手を振り上げ、

そして、そのまま私の頬めがけて振り下ろす。

でも、私はパンって音がして頬が痛くなるまで聖さまに何をされたのか分からなかった。

「・・・いた・・・い・・・」

「当たり前でしょ、叩いたんだから」

冷たい聖さまの声に、さっきまでの恐怖は掻き消された。さっきの事よりもずっとずっと・・・怖かったんだ・・・。

力は全然入ってなかったし、叩かれたって言っても頬は全然痛くない。でも・・・心が痛い。

ぶたれた事よりも、睨む顔よりも、嫌われてしまうのが・・・怖くて仕方なかった。

けれど、聖さまはそれ以上何も言わず私を強く抱き締めて言う。

「・・・ばか・・・」

「ごめ・・・なさい・・・」

私は聖さまにしがみつくと、鼻をすすった。聖さまの顔は見えないけど、心臓の音はいつもよりずっと早い。

そう言って聖さまは私の頬をそっと撫でながら私を上から下まで見下ろして、安堵の息をついた。

良かった・・・嫌われて・・・ない・・・でも笑えない。どうしてかな?まだ心は痛むんだ・・・。

ほんと言うと、さっきショックだったんだ。

何となくだけど、聖さまは絶対誰にも手を挙げられる事はないだろうって勝手に思ってたから。

だからあのおじさんが聖さまの胸倉を掴んだ時、もしもあと一秒でも聖さまがあの人をやっつけるのが遅かったら、

きっと私があの人に飛び掛ってたと・・・そう、思う。たまにうっかり忘れそうになるけど、聖さまだって、私と同じ女なんだ。

何だか、それを改めて思い知らされた気がした。まぁ・・・結果的には二人とも聖さまがやっつけたんだけど・・・。

私はチラリと床に転がってるおじさん二人に視線を移すと、聖さまの手をギュって握った。

それに気付いた聖さまが心配そうに私の顔を覗き込む。

「大丈夫?」

「・・・はい・・・聖さまは・・・?」

「私?私はへーき。こういうの慣れてるし」

あっけらかんと言った聖さまの言葉に、私は思わず自分の耳を疑った。慣れてる・・・って、今、そう言った?

キョトンとしてる私を横目に、聖さまは私の手を引いてスタスタと歩き出す。慣れてるって・・・一体どういう事・・・?

やっぱりあの時、おじさんをやっつける時、聖さまが一瞬見せた笑みは見間違いじゃ・・・なかったんだろうか?

やがて部屋の前までやってきた私の手から、聖さまは鍵を抜き取り強引に私を部屋の中に押し込んだ。

そしてそのままベッドの上に乱暴に押し倒される。真っ直ぐに私を見つめる聖さまの瞳は暗い。

「どうして・・・じっとしてなかったの?」

「・・・ごめんなさい・・・」

「謝って欲しい訳じゃないよ。理由が聞きたいの」

冷たい声は聖さまの怒りを表していた。きっと今相当怒ってる。

私が決して逃げられないように両手を押さえて、私の上に跨って・・・逆らえない。そう・・・思った。

だから私は言った。ポツリ、ポツリと。さっき思っていた事を全部。

「私・・・目が覚めて隣に聖さまが居ないの・・・もう・・・嫌なんです・・・。だから、だから・・・」

全て話し終えた頃には、聖さまの顔は少し和らいでいた。

涙を流しながら呟く私の言葉がどれだけ聖さまの胸に響いたかは分からないけど。

「私だって・・・祐巳ちゃんと一緒。確かに私が悪かった。それは謝るわ。でも、だからって・・・だからって・・・あんな・・・」

聖さまはそこまで言って大きなため息を落とした。そして・・・聖さまは続けた。強い声で、はっきりと。

「もう二度と、もう二度と、祐巳ちゃんが居なくなっても私が平気で居るだなんて思わないで。

祐巳ちゃんが居なくなっても私には次の恋があるだなんて思わないで。もしまたそんな事言ったら、今度は絶対に許さないから」

さっきみたいなビンタじゃ済まさないからね!聖さまはそう言って私のオデコをピンって人差し指で弾いた。

「・・・はい・・・」

結構痛くてオデコを抑えながら返事すると、聖さまはようやく笑ってくれた。そして、小さなキスも。

「お風呂にでも・・・行く?」

「はいっ!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「そう言えば・・・どうして祐巳ちゃんあの時電話出ないで切ったのよ?」

「・・・へ?」

「ほら、私、電話したでしょ?」

「ああ・・・あれは・・・私、音切るの忘れててそれでビックリして・・・。

でも・・・それを言うならどうして聖さまこそ電源切ったりしたんです?私、あれのせいであんな怖い目にあったんですから!」

そう、元はといえばあの電話が原因だったんだ、全ての。あの時電話さえかかれば何の問題も無かったんじゃない。

まぁ・・・初めに電話切った私が悪いんだけど・・・。私の問いに聖さまは、申し訳なさそうな顔して言った。

「いや〜・・・それが、充電切れちゃって・・・流石にこれはヤバイと思ってさ。

絶対どっかで勘違いして泣いてるだろうなって思ったんだけど・・・まさかあんな事になってるなんてね」

思い出して苦笑いする聖さまの顔は、もういつもの聖さまだった。いつも思うんだけど、この人、本当に切り替えが早い。

「ところで聖さま・・・さっきのあれ、どういう意味だったんですか?」

「?さっきのあれって?」

「ほら、慣れてるし、って奴ですよ」

そう!これがすんごいさっきから気になってたんだよね。だって、普通に日常を送ってたらあんな事そうそう起こらないよ。

なのに聖さまときたら・・・一体あのおじさん達に何したんだろう・・・。

「あー・・・まぁ、色々とね、修羅場がね・・・」

聖さまはそう言って視線を伏せた。そして、最後に一言ポツリと付け加える。

「でも私、負けた事まだ無いよ。男にも女にも」

「・・・聖さま・・・あなたって人は・・・」

何だか、ほんの少しだけ聖さまの荒れ狂った過去を垣間見たような気がした。そうだった・・・この人は実は結構短気。

おまけに喧嘩っ早いんだ。でも大概は口で相手を負かしてるけど。だから今日みたいなのは・・・初めてだった。

「聖さま、お願いですから、助けてくれたのは有難いんですけど、あまり無茶は・・・しないでくださいね?」

「祐巳ちゃんが無茶しなきゃ私は何もしないよ」

そう言って聖さまは私の頬を抓った。その言葉を聞いて思う。私達はどちらも欠けちゃダメなんだって。

私達はだって・・・同じ気持ちだから・・・いつだって。

「私、これからはもっと気をつけます・・・だから、聖さまも・・・」

チラリと聖さまを見上げると、聖さまは柔らかく笑ってキスしてくれた。

「りょーかい」

約束・・・ですからね?聖さま・・・。


第百五話『雨女』


「いや〜なかなか楽しかったよね!今回の旅行」

「そう・・・ですか?」

私は窓の外を眺め大きなため息を落とす。窓の外は雨。しかも雹まじり。さっきから車がバチバチいってる。

当たったら絶対痛そう。むしろ当たり所が悪かったら死ぬかもしんない。それぐらいデカイ。

「聖さまはもしかして雨女ですか?」

「私!?祐巳ちゃんじゃないの?」

なっ!!わ、私自慢じゃないですけど旅行とか来て雨降った事なんて無いですよっ!!

ていうか、何かのイベントの時は決まって晴れ。それこそ雨降って欲しいその時でさえ・・・晴れ。

言っちゃ悪いけど、究極の晴れ女なのだ。それなのに・・・私はチラリと聖さまを見てフンって鼻を鳴らした。

私のそんな態度に聖さまは多分気に入らなかったんだろう。一瞬怖い顔して私を睨む。

「なによ、私が雨降らせたとでも思ってる訳?」

「べっつに。そんな事ひとっことも言ってませんよ」

「嘘だね。心ん中じゃ思ってるくせに。言っちゃなんだけど、私だってこんなの初めてなんだから。

今までイベントで雨降った事なんてただの一度も無いんだからね」

どーだか。口には出さなかったけど、多分雰囲気で分かったんじゃないのかな。聖さまはムッとしたような顔して運転を続ける。

そう言えば・・・ディズニーランドも雨だったっけ。その時だった。聖さまの口から小さな、あっ、て声が聞こえた。

「一回だけあるわ。雨降った事・・・そう、あれは確か中学の修学旅行だったかな・・」

聖さまはそう言って語り出した。中学の修学旅行がどれほど散々なものだったかを。

「そう、あれはまだ私と江利子が仲悪くて・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その日奈良は大雨だった。山の中だったから余計にだったのかもしれない。

霧で前が見えない程の山道を慣れた様子でバスは進む。

それがね、どれほどの恐怖だったか。多分、祐巳ちゃんの運転よりも怖かったね、あれは。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょ、どういう意味ですか!?」

「口挟むんならもう話さないよ」

「す、すみません・・・」

つか、どうして私が謝らなきゃなんないのよっ!!まぁ・・・いいけどさ、別に。

大きなため息を落として何かを思い出すように苦い笑みを浮かべる聖さまの横顔は、何だか懐かしそう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旅館についてからもその雨は収まらなくてね、結局一日目のハイキングは流れた訳。

まぁ、今思えばそれは良かったよ。ハイキングなんて・・・中学生のやることじゃないよね、ほんと。

で、その日は雨が止まなくてね、結局旅館で無駄に一日を過ごしたっけ。

あ、ちなみに旅館ってのが二人部屋でね、何故か私は江利子とだったの。でもさ、その頃私、江利子が嫌いでね。

そもそもどうして江利子が嫌いだったかっていうと、あれは幼稚園の時・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょ、待ってくださいよ!まさか幼稚園まで遡るんですか!?」

それは流石に遡りすぎだよ、聖さま。つか、確かにその幼稚園の話も気になるけど!とりあえず今は修学旅行の話をしてよ。

そんな私の言葉に聖さまは、そうそう、そうだった!と話を戻した。全く、聖さまはほんと、話下手なんだから。

「まぁまぁ、そんな顔しなさんな。で、話は戻るんだけど、とにかく私は江利子が苦手でね。

まぁ、当時人間自体が苦手だったんだけど・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ねぇ、聖さん。私、そっちのベッドの方がいいんだけど」

「・・・どうぞ」

私は嫌々窓際のベッドを彼女に譲った。ていうか、どうして私が転がる前に言わないんだろう?って話なんだけどね。

まぁそれはいいじゃない。私、雨ってそんなに嫌いじゃなくて、どっちかっていうと好きだったのね。

で、雨の音とか聞きながら寝るのとか好きなのよ。それなのに江利子ってば、黙ってる私にどんどん話しかけてくる訳。

で、イライラしてきてとうとう・・・。

「うるさいな、でこチンは」

まぁ・・・ぶっちゃけ私が喧嘩吹っ掛けたようなものなんだけどさ。

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「で・・・でこチン・・・それは聖さま・・・あんまりですよ」

確かに!言いたくなるかもしれない。でも、それはダメだよ、うん。絶対ダメ。

「だってさー、本当にうるさかったのよ」

「でもだからって・・・」

でこチンはどうかと・・・江利子さま、きっと凄く怒ったんだろうなぁ・・・。

江利子さまが怒ったらどんな風になるのかは分からないけど、何となくその光景が想像出来て笑ってしまう。

「なに笑ってんのよ?」

「いや・・・別に・・・で、それでどうしたんです?」

「んー?それから・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「私、オデコは自慢なの。だから好きで出してるの。それをそんな風に言わないでもらえる?」

「それは悪かったね。だったら私も言わせてもらうけど、もうちょっと静かにしてられない?

私、うるさいの嫌いなんだけど」

まぁね、中学生なんてはしゃぎたい年頃じゃない。

でもさー、よりによってどうして苦手な相手と相部屋になったのかって話でさ。

まぁ、今思えば蓉子と相部屋になるよりは全然マシだったかもしれないけどね。

だって、明らかに江利子よりも蓉子の方がうるさそうじゃない?いや、そうに決まってる。

どうせ蓉子は言うんだ。聖さん!せっかくの修学旅行なんだから、もうちょっと協調性ってものを見せたらどうなの!?

とかなんとかさ。あ、その頃私達まだ『さん』付けだったんだけどさ。

で、とりあえず私達の部屋はもう、険悪ムード。何となく想像できるでしょ?

結局その日は一切口きかなかったの。まぁ、当時の私にはそれが凄くありがたかったんだけど。

で、問題は次の日よ、次の日。私達の修学旅行は奈良の吉野でさ、吉野つったら山じゃん?

で、山ですることと言えば?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「えっと・・・た、焚き火?」

思わずそう答えた私の顔を白い目で見つめる聖さま・・・え?ど、どうして?焚き火とかしない?

あれ?あれは海だっけ??

「山ん中で焚き火なんかして、山火事でも起こす気?ほんと祐巳ちゃんは想像力ってものがないね。

山と言えば、オリエンテーリングじゃない」

「・・・オリエンテーリング?」

「そう、オリエンテーリング。ほら、コンパスと地図もって山徘徊するアレよ」

山徘徊って・・・その言い方はどうかと・・・まぁ伝わるからいいんだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、オリエンテーリングは始まった。昨日の雨は嘘みたいに上がってて、その日は見事なまでの晴れで。

でもさー、私、どう見ても協調性ないじゃない?それは今も昔も変わらないんだけど、どう考えたって不向きだった訳よ。

1チーム4人で、私のグループってのがまたよく喋る連中でさぁ!私一人出来るだけ遅れて歩いてたのね。

そしたらさー・・・気付いたときには見事に迷子!もうね、ほんとビックリした!

だってさ、山ん中に一人取り残されてみ?これが結構怖いんだって。でもさ、そんな時でも私、やっぱり冷静でさ。

ウロウロするのは得策じゃないっていち早く気付いたのよ。だからとりあえず高台みたいな所で待ってたのね、助けを。

ところが・・・待てど暮らせど誰も来なくて・・・その時だったの!突然後ろの茂みからガサガサ!!って音がして!

驚くとさー、人間って声でなくなるよね。無言だったもん、私。で、冷静にクマだったら私死ぬな、とか考えてる訳よ。

でも・・・クマじゃなかったの。

「あら、誰かと思えばデリケートな聖さんじゃありませんこと?」

嫌味でしょ?ほんと。茂みから出てきたのは、他でもない江利子。しかも頭とか服に大量の葉っぱつけて。

ほんと、一目見たとき一体どこの部族の襲来かと思ったわよ。

「そういうあなたはオデコが自慢の江利子さん・・・で、ここで何してるの?

ていうか、どんな獣道を通っていらっしゃったのかしら?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「何だか・・・聖さまも聖さまですよね・・・話聞いてると・・・」

この二人、どっちもどっちな上に似たもの同士だ。

しかしどうして江利子さまはそんなどっかの部族に見えるほど葉っぱつけてたんだろう?

それにしても聖さまも江利子さまも・・・迷子の自覚あったんだろうか?いや、絶対無かったに決まってる。

気がつけば、雨は止んでいた。雲の切れ間から天使の階段が見える。

きっとこのまま今日は晴れるだろう。という事は、次の目的地にはちゃんと行けるって事だ!

「聖さま、晴れてきましたよ!」

「あれ、本当だ。それじゃあこのまま動物園行く?」

「はいっ!」


第百六話『頭の体操』


雨が上がったと言って喜ぶ祐巳ちゃんを横目に、私は中学時代の修学旅行の悲惨な思い出をまだ思い返していた。

「で、聖さま!続き、続き!!」

「えー?続きー?」

話すのがちょっとめんどくさくなってきた私は、苦笑いしたんだけど、どうやら祐巳ちゃんはどうしても最後まで聞きたいらしい。

まぁしょうがないか。話し出したのは私だもんな。私は目の前に架かる虹に目を細め、話し出した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「聖さんこそ、もしかして迷子にでもなったのかしら?」

「・・・・・・・・そういう自分はどうなのよ?」

はっきり言って、江利子の後を誰かがついてきたとは思えない。こんな獣道を通ってくるはずがない。

私の言葉に江利子はそっと視線を伏せ、苦笑いしている。ほらね、やっぱり。人の事いえないじゃない。

「地図持ってる?」

「いいえ。あなたは?」

「誰かが私に地図とかコンパスとかそういう重要なもの渡すと思う?」

私がそう言うと、江利子は速攻で首を振った。・・・ほんと、素直な奴。まぁ別に構わないけど。

という事は、私も江利子も二人とも地図も何も無いって事か・・・どうしよう、1×1は・・・1だ・・・。

ところが、江利子は持っていた鞄の中から突然何かを取り出し、自慢げにそれを私の前に掲げて見せた。

「・・・なによ、これ・・・」

「なにって・・・回答用紙よ。私はこれの係りだったの」

「・・・だから?」

「だから、って・・・何も持ってないあなたよりはマシじゃない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あのさぁ、地図もないのに解答用紙だけ持っててどうすんのよ?

もしかしてコイツ・・・私が思ってたよりもずっと頭悪いんだろうか?一瞬そんな考えが頭を過ぎったのは言うまでも無い。

「とりあえず書くものある?」

「書くもの?あるけど・・・そんなものどうするの?」

「覚えてるだけでも地図書くの」

私はそう言って江利子から紙とペンを借りて、思い出せるだけの地図を描いてみせた。

何もないよりは、きっとマシだろう。

所々にあったポイントの場所は大まかにだけど覚えてたから、このポイントの地点に辿り着ければ、

きっと誰かに会うに違いない。そう・・・思ったんだ、この時は。

「随分大雑把な地図ねぇ」

「何も覚えてないよりマシでしょ?」

江利子の話によると、江利子が皆とはぐれたのは大きな蝶々のせいだったらしい。

それを追いかけてるうちに山の中に迷い込み、気がつけば一人だったんだそう。・・・つか、子供かっつうの!!

だから当たり前だけど道なんて覚えてないし、地図さえも覚えていないらしい。

でも私もそこはあまり江利子を責められない。

だって、私だってどこをどう辿ってきたのかなんてすっかり忘れてしまっていたのだから。

こうして、私と江利子の長くて辛いオリエンテーリングは始まった。

「ねー・・・ここどこ?」

「さあ?知らない。とりあえずこっちに道があるから、こっち行ってみよ」

「えー?私はこっちの道だと思うんだけど」

初っ端から私と江利子の意見は食い違った。まぁ、当たり前といえば当たり前よね。

どう考えたって私達が上手くいきっこないもん。多分それは江利子にも分かってたんじゃないかな。

だって、でなきゃこんな顔してないだろう。

それに江利子ときたら、さっきからずっと珍しい虫とか葉っぱ見つける度にそっちへフラフラ。

あっちへフラフラしてるもんだから、危なっかしくて見てられない。

でもね、奇跡は起こったの。何やかんや言ってたら、第一ポイントに辿りついたのよ!

「聖!!あれ見て!!」

ちょ、いきなり呼び捨てかよ・・・ま、別にいいけど。私は江利子が指差した方を見て、思わず喜びの声を上げた。

「やった!!江利子、でかした!」

「ちょっと、いきなり呼び捨て!?」

「あんただってさっき私の事、聖って呼んだじゃない」

「えー・・・そうだったかしら?まぁいいわ。とりあえず行きましょ。やっとこれが活躍するのね!」

江利子はそう言ってポイントに向かって走り出した。ていうか、今気付いたんだけど、私よりも絶対江利子のが自己中だよね?

もう慣れてしまったからどうって事ないけどさ。私は江利子の後を追うように駆け出した。

すると、そこにもう一つの奇跡が待ってたんだ・・・あまり嬉しくはなかったけど・・・。

ポイントの前で誰かがしゃがみこんでるのが見えて、江利子が嬉しそうに近づいて行くのが見えた。

しゃがみこんだその人はずっと俯いてて、顔が見えない。でも、明らかに私達と同じ学校だって事だけは・・・分かった。

だって、背負ったリュックにリリアンって文字がチラリと見えたから。

「ねえ、あなた・・・気分でも悪いの?大丈夫?」

物怖じしない江利子は、そのしゃがみこんだ相手の肩をそっと揺すった。

もしも本当に気分が悪いのなら、一刻も早くこんな山下りた方がいい。だから私も慌てて近寄ったんだ・・・でも・・・。

江利子の呼びかけにパッって顔を挙げたその人を見て、私達は思わず固まってしまった。

そう、かなり頼りになるけど、何となく一番会いたくなかった人・・・蓉子だ。

「よ・・・蓉子さん・・・ど、どうしてここに?」

江利子が一歩後ずさってそっと私の隣に戻ってくる。多分、私と同じ事を考えていたんだろうと思う。

きっと、、私か江利子のグループの誰かが、私達がいつの間にか居なくなってしまったと蓉子に言ったんだろう・・・と。

もしそうなら、確実に私達は蓉子の制裁を喰らう。それだけは・・・勘弁してほしい。

私達は苦笑いしながら難しい顔してる蓉子の傍からジリジリと離れようとした。けれど。

「ねぇ、マイホームを持った虫って・・・何?」

「「は?」」

「そんな虫・・・この世の中に存在する?先生のミスかしら?」

「「えっとー・・・」」

一体何を言ってるんだろう、この人は。私達はさっぱり分からないままその場に立ち尽くしていた。

けれど、このまま蓉子はまだ難しい顔をして真剣にポイントの問題について考え込んでいる。

それと一緒になって江利子までもがその場にしゃがみこんで二人で問題を見つめなにやらブツブツ言い出して・・・。

私は耐えられなかった。ただでさえ早くこの山から下りたいのに、どうしてこんな所で無駄に時間を潰さなきゃならないのか、と。

ただでさえ私達は迷子な訳で、あんまりトロトロしてる暇もないというのに。

私は二人から問題用紙を奪い取った。『いつでもマイホームを背負って歩いてます。 ヒント・虫』

・・なによ、これ。こんなの小学生の問題じゃない・・・。

「カタツムリ。答えはカタツムリでしょ?」

「「ああ!」」

私の言葉に二人は納得したように立ち上がると、江利子が持っていた答案用紙に答えを書き出した。

「ところで蓉子さん。あなた地図・・・持ってる?」

私が気になるのは、とりあえず地図!それ以外はもうこの際どうでもいい。

でも・・・三度目の奇跡は起こらなかった。蓉子は首を横に振ってキョトンとしてる。コイツもか・・・。

「どうして?二人は持ってるんでしょ?ていうか、そもそもあなた達同じグループだったかしら?」

「いや・・・それが・・・」

事情をすっかり話した私達を、蓉子がこっぴどく怒ったのは最早言うまでも無い。

散々怒った挙句、自分も置いていかれたのだと知って愕然としてたけど。とりあえず蓉子が持ってたのは・・・コンパス。

でもさー、地図も無いのに方角だけ分かってもねぇ。そんな訳で私達は三人になった。

何だか桃太郎みたいだ。そんな事考えながら私の書いた地図を蓉子に見せると、

蓉子がそっこに自分が覚えてる限りの地図を書き足してくれる。私の大雑把な地図が、ほんの少しだけ詳細になった。

でも・・・この様子だとどうも全てのポイントを回らなければゴールには辿り着けそうにない。

私達は歩いた。散々歩いた。山の中を延々と。そして目の前の分かれ道。私達は立ち止まった。

「さて・・・どっち行く?」

「そうね・・・北は・・・こっちよね。私達がスタートした場所はちょうど北がこっちだったのね。

だから・・・こっちに行けばいいんじゃない?」

「なるほど。江利子はどう思う?」

「私はこっちだと思う」

「「どうして?」」

「勘」

江利子のその答えを聞いて、私は蓉子の肩をポンと叩いた。

「蓉子、多分君が正しいと私は思う」

「あら、ありがと。・・・ねぇ、今呼び捨てした?」

「・・・・・・・・・・・・」

・・今そんな事どうでもいいじゃない・・・。呼び捨てだろうが、そうでなかろうが。私はガックリと力が抜けていくのを感じた。

本当にこの二人は今私達が置かれてる状況を理解してるのかな?いや、きっとしてないに違いない。

とりあえず蓉子の言うとおりに歩き出した私達の後ろを江利子がブツクサ言いながらついてくる。

「江利子、あんたまたはぐれたいの?」

「なによ、私の勘はすっごく当たるのに」

「そうやってさっきあの獣道に出たんでしょ?」

「・・・それはそうだけど・・・あれは蝶々が!あっ!!」

第二ポイント発見だった。思ってたよりもあっさりついて何だか拍子抜けしてしまいそうになる。

二問目はさっきよりも随分難しかった。つか・・・これって数学じゃん!!どうして吉野の山奥で数学しなきゃならないのよ!?

ちなみに問題は『A・B・Cの兄弟がいました。3兄弟たちは37頭いるらくだを分けることにしました。

長男のAには3分の1 次男のBには6分の1 3男のCには、?分の1

ラクダをバラバラにすることなくわけたら?にはなんの数字がはいるでしょうか?』

「「「はあ!?」」」

私たちはそれぞれ計算するしか無かった。だって、江利子はどうしてもこの解答用紙を埋めたいらしいから。

私達は考えた。考えて考えて考えた結果、答えを出したのは・・・意外にも江利子だった。

「分かった。答えは72」

「どうやって計算したの?」

私が聞くと、江利子は一から丁寧に教えてくれる。

今思えば、江利子はこの時からすでに数学の教師としての素質があったのかもしれない。

江利子はいそいそと答えを書き、もう出発の準備をしている。

蓉子の地図のおかげで、ポイント3もすぐに見つかった。ポイント3の問題は英語。これは私の得意分野だ。

『Two grandmothers, with their two granddaughters;Two husbands, with their two wives;

Two fathers, with their two daughters;Two mothers, with their two sons;

Two maidens, with their two mothers;Two sisters, with their two brothers;

Yet only six in all lie buried here;All born legitimate, from incest clear."

Explain this - how is everyone related.  答えは日本語で。』

「「なにこれ・・・聖、英語得意でしょ?」」

「は!?」

つか、二人とも呼び捨て!?いや、まぁそれは置いといて。

こ・・・これは普通に英語を解読しても、答えが分からなければ意味がない。

そんな訳で私達はとりあえず私が訳した英語の謎々を三人でしゃがみこんでああでもない、こうでもないと言い合った結果・・・。

「ねぇ・・・もしかして・・・一人息子をそれぞれ持つ二人の未亡人が、

互いの息子と結婚して、どちらも娘を産んだって事なんじゃない?」

私の答えに、二人は頷いた。

「「なるほどね!聖あったまいい!」」

そう言って私にペンを解答用紙に走らせる江利子・・・っとにもう、こんな時だけ私を持ち上げようとするんだから。

でも、ある意味では私もこの辺りから実は英語教師になる予定だったのかな?なんて思う。

そんなこんなで途中道に迷いながらも私達は最後のポイントに辿り着いた。

そこにあったのは・・・やっぱりやっかいな問題用紙・・・。

『「前門の虎、後門の狼」という言葉がありますが、さて問題です。今、

「前門の虎?後門の牛?後門の鶏」?が?「牛」?を、

「前門の羊?前門の龍?後門の鼠」?が?「鶏」?を、

「後門の龍?前門の鼠?後門の馬」?が?「鼠」?を、それぞれ表すとすると、

「前門の猫?前門の鼠?後門の鼠」?が表す動物は何でしょう?』

「悪い、私、こういうの全然ダメ」

私はお手上げのポーズをとって見せると、そうそうに戦線離脱した。隣で江利子もうんうん頷いている。

でも・・・蓉子だけは違った。何やら地図の裏にさっきからしきりに何か書いている。そして・・・。

「答えは人間よ」

「「どうして!?」」

私と江利子は思わず同時に叫んでしまった。だって、どうしてこれが分かってさっきのカタツムリが分からなかったのよ!?

ありえないでしょ、普通。実を言うと、蓉子の説明を聞いてもよく分からなかった。これはつまり、暗号というやつなのだろう。

この推理小説マニアめ。まぁ、そんなこんなで私達の解答用紙は答えで埋まった。

でもね、多分皆忘れてると思うの。私達・・・一番肝心な答えが見つかってないって事に。

それは・・・そう、道だ。

ゴールへ続く道。ゴールの位置は何となく理解してるとはいえ、私達は明らかに山の中を彷徨ってる訳で。

おまけに道中誰にも会わなかった。まさかとは思うんだけど・・・すでに皆下山してるとかそんなオチじゃない・・・わよね?

「ねぇ・・・問題が解けたのはいいんだけど・・・こっからどうゴールまで行くの?」

私の言葉に、蓉子と江利子はハッと顔を見合わせた。そうそう、気付くのが遅いよ、二人とも。

結局、私達はまた山の中を彷徨うはめになった。ゴールを目指して。

つうか、この際もうどっかの麓に出ればそれでいいんじゃないかな。そんな考えすら頭を過ぎって・・・。

「ねぇ、あれ何だと思う?」

蓉子の指差した先を見て、私と江利子は短い叫び声を上げた。あ、あれは・・・のぼりっ!!しかもリリアンって書いてあるっ!

あののぼりの所に行くのかなり恥ずかしいけど、今はそんな事も言ってられない。

私達はお互いの顔を見合わせ頷いた。

でも、目の前には獣道。遠回りした方がいいのかもしれないけど、そうしたら今度はまた迷う恐れもある訳で。

「二人とも何してるの?あそこまで行くんでしょ?」

先陣切って獣道に足を踏み入れたのはやっぱり江利子だった。こんな時の江利子の何と頼もしい事か。

絶対真似したくはないけど。そんな江利子に私も腹を括った。そして、いつまでも躊躇してる蓉子に言う。

「どうするの?また山で迷子になりたいんなら、このままここに置いていくけど?」

つか、いっそ置いてきても良かったかもしれない。そうすりゃ今こんなにも毎日怒られずにすんだのかも。

まぁそれはいいとして。私の言葉に蓉子はゴクリと息を飲んだ。どうやら心は決まったようだ。

・・それにしても・・・山ってのはどうしてこんなにも・・・木が多いんだっ!!!いや当たり前なんだけどさ。

さっきからあっちこっち木の枝に引っ掛けて髪はボロボロ、服はドロドロ。

それなのに江利子は構わずスイスイ進むし、蓉子は私の袖を掴んだまま放さない。つか、重いのよっ!!

でも歩いてた甲斐はあった。段々のぼりが近づいてきて、やがて・・・。

「ついたわ!」

江利子がまず一番に土手から飛び降りた。結構な高さがあるけど、彼女はそんな高さなんのその。

多分、アイツは猿だ。うるさいし獣道好きだし、高いとこも平気みたいだし。私はそんな事考えながら慎重に土手を降りた。

最後に蓉子・・・これがまたなかなか降りてこない。いつまでもグズグズしてるもんだから、業を煮やした江利子が叫ぶ。

「平気だって!見た目ほど高くないから!」

いや、見た目通り高いよ。私ときっと同じ事考えてた蓉子はキッって江利子を睨む。

でも次の瞬間、何を思ったのか蓉子は飛び降りた。

そして、降りたのはいいんだけど着地に失敗してヨロリと私達の方に向って倒れこんできたではないか。

「「おっと」」

思わず避けた私と江利子。案の定蓉子はゆっくりとこけた。でもさ、流石に蓉子。すぐに立ち上がって私達を怒鳴りつける。

「ちょっと!!どうして避けるのよ!普通支えるでしょ!?」

「ゆっくりだったから別に大丈夫だと思ったのよ」

「そうそう。だって現にどこも怪我してないんでしょ?」

「怪我してなきゃいいって問題じゃないでしょーーーーっっ!!!!」

私と江利子の言葉に蓉子はさらに怒った。怒髪天をつくとは、正にこのことだ。

多分、この時から私達は蓉子に怒られる人生へと着実に進んでいたのだろう。

今思えば、あの時蓉子を助けてればもうちょっと怒られなかったかもしれないなぁ・・・。

怒った蓉子は手を付けられない。私と江利子は顔を見合わせ頷くと、とりあえず走った。でも後ろから蓉子も追いかけてくる。

そして・・・のぼりの下まで来た時・・・突然拍手が聞こえてきた。

私達が喧嘩してたのも忘れて周りを見渡すと、担任の教師が小走りでこちらにやってくるではないか。

「おめでとう!あなた達が一番よ!それにしても・・・随分早く下りてきたのね。それに・・・凄い格好・・・」

「「「へ!?」」」

・・ちょっと待て。私達が一番ってどういう事よ?だって、私達は途中迷子になってて随分タイムロスしたんじゃ・・・。

困惑する私達に担任は言った。一体どの道通ってきたの?と。

道など、知るはずも無い。ただ言えるのは、かなり危険な道を沢山通ったという事だけだ。

「ところで、あなた達同じグループだった?」

「いや・・・それが・・・」

バカ正直に蓉子が全て説明した。先生に。

案の定私達はその場に正座させられてこっぴどく怒られたんだけど、

結局私達は元から三人グループだったって事にされて・・・一件落着。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「・・・と、いう訳。ね?散々でしょ?」

私はそう言って笑った。祐巳ちゃんはお腹を抱えて大笑いしている。

これが多分、一番古い蓉子と江利子と三人で何かした時の思い出だった。

あの時の事は、今でもたまに三人で話したりする。懐かしいね、と言って。

思い出ってのは、当時笑えない話でもいつか笑えるものなのだろう。

あの当時私たちの仲は最悪で、もうどうしようもなかったけど、高等部に上がったら何故か三人とも薔薇様だもんなぁ。

これはもう、何か深い縁があったとしか思えない。まぁ・・・今はその縁って奴を大事にしたいとは思うんだけど。


第百七話『動物園』


ようやく話し終えた聖さまはちょっとだけウンザリした顔してる。でも・・・ほんと、面白かった!

そして、若さって素晴らしい。

まぁ・・・難を言えば結構穴あきだらけで謎な部分も多いんだけど・・・それはストーリーテラーが聖さまだから仕方ない。

きっと重要な部分は殆ど端折ったに違いないんだ、この人は。

だから私はとりあえず一番気になるところを聞いた。

だってさ、それだけの冒険をした三人の間に友情が芽生えない訳ないじゃない!それなのに・・・。

「で、それからずっと仲良しなんですか?」

聖さまは私の言葉にキョトンとした。

「いいや?私達がそんな事ぐらいで仲良くなる訳ないじゃない。それどころか更に険悪になったわよ」

「ど、どうしてです?」

「えー・・・だって、根本的に合わないと思ってたんだもん、当時は。だからそれからも喧嘩ばっかりだったよ。

そもそもその修学旅行の締めくくりが私と江利子の正座だったからね」

正座・・・なにか悪いことしたんだろうか?つか、ダメじゃん。

聖さまの話しでは最終日、夜中に江利子さまと大喧嘩になったらしい。

そして、近辺の部屋からうるさいと苦情が来たのだとか。で、それを先生に報告したのが・・・蓉子さまで・・・。

「全く。文句があるんなら直接言いに来いっての!どうしてよりによって蓉子に報せにいくかな」

「そりゃまぁ・・・蓉子さまが一番何とかしてくれそうだったんじゃないですか?」

「どういう意味よ、それ」

苦笑いしながら聖さまは言った。でもさ、いいよね、たまにはこういう話聞くのも。

過去がさ、気にならない訳じゃない。聖さまの全てが聞けるとも思わないけど、こうやって不意に話してくれると嬉しい。

今回は蓉子さまと江利子さまとのお話だったけど、聞いてただけでも私もその場に居たように楽しくなった。

昔の彼女の事とかはあんまり聞きたくないし、比べられたりとかしたら嫌だけど、こういう話なら・・・いいな。

それにしても・・・中学生の頃の聖さまか・・・見てみたかったなぁ・・・生で。まぁ、無理だけど。

「何言ってんの。祐巳ちゃんは嫌って言うほど今の私を見られるんだからそれでいいじゃない」

「うー・・・そうですけどー・・・」

でもでもでも!ちっちゃい頃の聖さまとかさ、見てみたいじゃない!絶対可愛かったに違いないもん。

私の言葉に聖さまは笑った。

「それは私も賛成だな。小さい頃の祐巳ちゃんは是非見てみたい!ていうか、餌付けして育てんの、私が。

逆光源氏計画ってやつ?」

そう言って聖さまはまるで昔のアニメの犬みたいにウシシシって笑った。・・・やだやだ、こんな大人にはなりたくない。

変態のうえにロリコンなんて、救いようがないじゃない。やがて、車は目的地に着いた。そう、動物園に!

「ところで、どうして動物園なの?こんなのここじゃなくてもあるじゃない」

「え?別に理由なんてありませんよ。ただ、デートと言えば動物園かな?って思っただけで」

「ふーん・・・まぁ、確かに定番ではあるけど」

聖さまはそう言って車を駐車場に止める。実を言うと私、動物園って大好きなんだ!

だってさ、一度は夢見た獣医さんになる夢を絶たれた今、こういうとこでしか見れないじゃない。

「さ、て、と。それじゃあ、いこっか」

「はいっ!」

私は聖さまの腕に自分の腕を絡ませて歩いた。そして思う。

やっぱりね・・・こういうとこでは多少イチャイチャしても怒られないんだ。

まぁ・・・照れてはいるけど。だってさ、せっかく付き合ってんのに、イチャイチャしなきゃもったいないじゃない!

動物園の門をくぐった所で、突然聖さまが立ち止まってポツリと言った。

「動物園ってさ、なんつうか、こう・・・独特の匂いだよね」

「そう!そうなんですよ、聖さま!これが野生の匂いですっ!!」

この何て言うのかな、獣臭さっていうの?これがさ、ペットとは違う匂いなんだよね!ああ、どうしよう!

何だか胸がドキドキしてきた!!でも、テンションの上がる私とは裏腹に聖さまのテンションはどんどん下がってゆく。

「何よ、野生の匂いって。嗅いだ事あんの?」

「な、無いですけど・・・でも、多分サバンナとかはこんな匂いですよ!」

「そうかな〜・・・サバンナは気候が二本とは違うからもっとカラっとした匂いしてんじゃない?」

「う・・・」

確かに日本はどこかジメっとしてるし?そんな風に言われたらそんな気がしないでもないけど、でも!

違う、違うっ!!これが野生の匂いなのっ!!頬を膨らませて怒る私を見て、聖さまは笑った。

「で、なに見るの?」

「とりあえず初めはライオンでしょ!」

「・・・また祐巳ちゃんは・・・前菜とかスープとか全部飛ばしてメインディッシュから食べようとするんだから・・・」

「えー・・・だって、動物園に来たらまずライオンじゃないですか?」

「・・・まぁ別にいいけど?私はついていくから好きなだけ堪能しなよ。野生の匂いをさ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

呆れたみたいに聖さまはそう言っていた。

それなのに・・・自分の好きな動物の前に来たら一気にテンション上がるんだって事を、すっかり忘れていた。

ていうか、よくよく考えると聖さまって実は凄く単純で分かりやすい人なんじゃないだろうか。

「ほら!見た?今の!!!ああ、もう!堪んないよねっ!!」

「・・・そ、そうですね・・・」

ミーアキャットに大騒ぎの聖さまを横目で見ながら、私はそんな事を考えていた。

隣で聖さまはそんな私の考えを他所にミーアキャットが顔を出すたびに噴出している・・・ミーアキャットに失礼だよ、それ。

確かに可愛いけどね、でもさ、そんな20分も見てて飽きないのかな、この人・・・。

聖さまって、夢中になると何時間でも時間を潰せるような人で、飽き性の私から見たらこの人の集中力ってほんと、凄い。

でも、興味のないものに関しては全く無視。切り替えも早いし、浮き沈みも激しい。

むしろ聖さまを見ていた方が面白いかもしれないと思えるほど、この人は実は感情豊かなんだ。

でも・・・それはあんまり知られてない。多分聖さま自身がそういうとこを普段あまり見せてないからなんだろうけど、

そういうところをもっと表に出せば、聖さまはきっともっと・・・。そこまで考えて私はブンブン頭を振った。

ダメだダメだ!そんな事したら私のライバルが増えちゃうだけじゃない!!

・・と、ふと刺す様な視線を感じてふと隣を見ると、聖さまが私の顔をじっと覗き込んでいる。

「な、なんですか?」

「いや、ミーアキャットも可愛いけどさ、一番面白いのはやっぱ祐巳ちゃんだよなぁ、と思って・・・」

しみじみとそんな事呟く聖さまに、その言葉をどれほどお返ししたかった事か!まぁ・・・言えないんだけど・・・。

それから私達は端っこから順番に見て回った。動物達を。所々で私達は写真を撮って、次にやってきたのは鳥さんの部屋。

ここは大きなドームになっていて、その中に自由に入る事が出来たんだ。

どこを見渡しても鳥・鳥・鳥。オウムとかフラミンゴとかが沢山居る。

中にはテレビとかでよく見るような手のりインコみたいなのまで。

・・で、私達は順路を追って進んでたんだけど、突然私の斜め後ろを歩いていた聖さまが、

すっとんきょうな声で叫んだのが聞こえて、私は振り返った。

「・・・せ、聖さま・・・あ、頭・・・頭に何か乗って・・・ますよ・・・」

私ね、もう笑い堪えるのに必死だった。

だってね、聖さまの頭に物凄い大きな嘴のオウムがまるで帽子みたいに乗っかってたんだもん!!

「ちょ、と、取って!!つか、どうして私にとまるのよっ!!」

確かに。他にも沢山人は居るのに、どうしてよりによって聖さまにとまったのか。このオウムは。

あんまりにも慌てる聖さまが可哀想で、手で追っ払おうとしたんだけど鳥は一瞬浮いてまた聖さまの頭の上に着地。

何回ぐらいそれを繰り返したのかな。いい加減聖さまも諦めたようで、大きなため息をついて言った。

「いいわよ、もう。好きなだけそこに居なさいよ・・・」

と。

私は持っていたカメラを近くを歩いていた老夫婦に渡して写真をお願いした。だって、これは撮らなきゃでしょ。

「い、嫌よ、私」

「何言ってんですか。私には無理矢理ミッキーと撮らせたくせに。はい、聖さま、笑って!」

「わ、笑える訳ないでしょ!?」

「はい、ちーず!」

「あっ!!」

きっとこの写真。蓉子さまに見せたら喜ぶんだろうなぁ・・・ニマニマしながら歩いていた私に、聖さまはすかさず言った。

「言っとくけど、誰にも見せないでよ?」

「・・・・・」

ちぇー・・・やっぱ読まれてたか。

でも、別に関係ないもんね!見せちゃうもんね!私は鞄にカメラを仕舞うと、にっこりと微笑んで聖さまを見上げた。

私の顔を見て苦笑いする聖さまはきっと、私が聖さまの忠告なんて全く聞かない事なんて既に分かってるんだろう。

「あー・・・首重い・・・」

「ご愁傷様です」

「全くよ、もう!」

もう二度と入らないから!そんな事言いながら聖さまは歩いていた。ところが・・・その鳥が呼んだのかどうかは分からない。

分からないんだけど、椅子に座って休憩していた私達・・・というよりは、聖さまにだけ何だか鳥が集まってきて・・・。

「な、なに?なんなのよ!どっから湧いてきたの!?」

気がついたら聖さまの肩とか足とかに小さな鳥から、それこそ大きな鳥までもが止まっていた・・・。

「せ、聖さま凄い!!しゃ、写真!!」

「撮らなくていいっつうの!!」

私はそんな聖さまを無視して鳥達と戯れる(怯えてる)聖さまを写真に収めた。でもさ・・・こうやって見ると、聖さまってほんと、

たとえ鳥に集られてても絵になるのよね・・・。道行く人が皆振り返って指先とかに小鳥とか止めてる聖さま見ていくのね?

これってさ、優越感っていうのかな・・・浅ましいけど、かなり嬉しい訳で・・・。

まぁ・・・その反面ヤキモチとかも妬いちゃうんだけどさ、鳥に。

やがて、聖さまが立ち上がると鳥達は聖さまから離れていってしまった。

「はぁぁぁぁ、やっと軽くなった。もう、二度と入らない!」

聖さまはそんな事言いながら大きく伸びをして今鳥達が飛んでった方を眺めていたんだけど、

口ではそんな事言いながら、その顔はどこか少しだけ寂しそうだった。多分、そんな聖さまだから鳥達は寄ってきたんだろう。

ちょっとだけ、聖さまの心の奥を見透かすことが出来た鳥達が羨ましくなった。


第百八話『タイムマシン』


今、馬を目の前に祐巳ちゃんはかなりビビっている。そりゃそうだ。

何たってこの馬。世界一大きい品種の馬だっていうんだから。正直、私もちょっと怖い。

「ほら、写真撮ったげるから馬の横に立って」

「や、い、いいですよ。ほ、ほら、馬もご機嫌斜めっていうか、こ、怖いんですけどっ!!」

祐巳ちゃんはもうね、必死。ていうか、すっかり逃げ腰。

可哀想なぐらい怯えてる祐巳ちゃんを哀れそうに見詰めてる馬の顔が何とも言えなくて笑える。

だから私はそんな所でシャッターを切った。この旅行で、一体どれぐらいの写真を撮っただろう。

とりあえずこの日の為にデジカメ買っといて良かった。いや、別にこの日の為だけって訳じゃないんだけどさ。

実を言うと、カメラってものを私は祐巳ちゃんと付き合い始めて初めて自分で買った。

今までは、使い捨てカメラで十分事足りてたんだ。あとは携帯のカメラだけで十分だった。

でもね・・・それじゃあ物足りなくなってきたんだ。多分。携帯のカメラじゃ画像が粗いし、使い捨てカメラじゃ色気がない。

ていうか、色気のある祐巳ちゃんを撮れない。現像しに行く事考えたら。

そしたらさ、必然的にカメラ買おう!って・・・そう思ったんだよね。でもね、どうしてなんだろう。

それこそ私は、今まで沢山の人と付き合ってきた。

でも、カメラが欲しいだなんて、写真に収めたいだなんて、思った事なんてなかったのに。

そんな事考えてた私の元に、祐巳ちゃんがヨタヨタと戻ってきて苦笑いする。

「いやー・・・馬面でした」

「・・・そりゃ、馬だから・・・」

祐巳ちゃんのおかしな感想にひとしきり笑った所で、昼食をとるためにレストランに入った。

そこで祐巳ちゃんが注文したものが来るまでの間、

私の鞄を勝手に漁ってデジカメを取り出しそれを一枚一枚眺めては微笑んでいる。

つかさ、勝手に鞄漁るか?普通。いや、まぁ、こんな事にはもう慣れた。

どうせ大して何も入ってなんかないし、一緒に住んでたらプライバシーなんかもう既に無いに等しいし。

「前の私なら絶対怒ってたんだろうな・・・」

ポツリと呟いた私の言葉に、祐巳ちゃんはキョトンとした顔した。ほらね、悪意なんて全然無さそうだもん。この子の場合。

だから変に警戒もしないで済む。守らなきゃならないプライバシーなんて、もう私には殆ど無いのだから。

好きな音楽も、好きな食べ物も、好きな映画だって、もう隠さない。私は・・・変われたのかな・・・少しくらいは。

私のそんな考えを他所に、祐巳ちゃんは時々ニマニマしてて、ちょっと気持ち悪い。

「怖いよ、祐巳ちゃん。何笑ってんの?」

「いやー・・・何か、やっぱり写真っていいなぁって思いまして。カメラ買って良かったですよね!」

「そう?私の美しさはカメラなんかに収められてないんじゃない?」

「聖さま・・・自分で言っちゃ世話無いですよ・・・」

「えーいいじゃん。別に。自分で言うぐらいタダでしょ?」

私の台詞に祐巳ちゃんは笑った。そしてまた写真を眺めては一人ニヤニヤしてる。

気持ち悪いけど・・・うん、何かいい。別にさ、思い出がそこに完全に閉じ込められる事は無いと思うの。

でもさ・・・やっぱ大事だよ、写真は。特にこうやって一人ニヤニヤ出来るような写真は。

何が面白い訳でもないんだ。ただ、顔がにやけるの。

その時を思い出して、写真には写らなかった台詞だとか、行動だとかをね、一から思い出してさ。

写真って多分、本来そういう為のものなんだろうと思う。だから刷りだせばただの一枚の紙切れだけど、

それはただの媒介であって、ある意味では写真ってのはタイムマシンのようなものなんだと、私は思った。

ちょっとした時間旅行を楽しむ為の、うっすい小さなタイムマシン。未来には絶対にいけないけど。

「面白いのあった?」

「いや、これとこれは・・・消したいです・・・」

「どれ?」

祐巳ちゃんの手元を覗きこむと、そこに写ってたのは着ぐるみと撮った写真。それと、今さっき撮った馬の奴。

どっちの祐巳ちゃんも異様に怯えてて、それが写真にもくっきりと写し出されていた。

「ダメだよ!他のどれ消してもこれはダメ!こんなにも面白い顔、なかなか見れないんだから」

「ひっど・・・聖さまそんな事考えながら写真撮ってたんですか!?」

「いや・・・まぁ、ねぇ。だって、ほんとに面白い顔してたからつい・・・」

「うー・・・聖さまなんて嫌いっ!」

プイってそっぽ向いた祐巳ちゃん。こうやって私は一日に何回も嫌いって言われる。

それは、私が余計な事ばっかり言うからなんだけど。

「はいはい。嫌いで結構」

「うっ・・・」

だって聖さまが悪いんだもん!!そしてまた祐巳ちゃんは怒る。毎日毎日この繰り返し。

いい加減飽きそうなものなのに、それでも私達はやっぱり毎日こうやって繰り返す。

で、こういう時決まって祐巳ちゃんは5分ぐらい黙ってたと思ったら、突然思い出したみたいに恥ずかしそうに俯くんだ。

そしてポツリと言う。

「・・・でも・・・ほんとは好き・・・」

「うん、それは知ってる」

「・・・もうっ!」

絶対に写真なんかには収められない。他愛も無い掛け合い。でもきっと、一生忘れない。

嫌いって沢山言われるけど、好きだとはあまり言われない。でもね、重さが全然違う。

祐巳ちゃんの嫌いは一種の愛情表現のようなものなのだと、私は思ってる。勝手にだけど。

でもそれはきっと間違いなんかじゃないと思う。

だってほら、何だかんだ言いながら、祐巳ちゃんはこんなにも嬉しそうに笑うから。

今回の旅行で私達が得たものといえば、本当に些細なものかもしれない。

お互いの関係を深めあっただとか、そんな事全然なかったけど小さくても些細でも、何かはきっと手に入れた。

注文したパスタがやってきて、祐巳ちゃんは満面の笑み。

だから思わず私はまたシャッターを切ってしまった。パスタを目の前に大口開けて笑う祐巳ちゃんを。

出て行ったものも大きかったけど、まぁそれは・・・こんなにも沢山祐巳ちゃんの笑顔撮れたから・・・良しとしよう。

帰りの車の中で、祐巳ちゃんは気が付いたら隣で眠ってしまっていた。つかさ・・・寝るなよ、二人しか居ないのに。

途中何回か起こそうかとも思ったんだけど、ふと漏れた祐巳ちゃんの寝言を聞いて起こすのを止めた。

だって、今起こしたらこんなにもニヤけてる私を見て祐巳ちゃんが絶対引くと思ったから。

「もう!ズルイよ、そんな寝言」

チラリと祐巳ちゃんを見ると、笑ってた。きっと何かいい夢見てるんだろうな。

『んー・・・しぇいしゃまなんかきらいぃー・・・ふふ・・・』

だって。ほんと、何の夢見てんだか。


第百九話『新学期万歳!?』


気がついたら家についてました。ていうか、私爆睡!?ヤバいんじゃない?聖さま怒ってない???

私はビクビクしながらソファに転がる聖さまの前に正座すると、頭を下げた。

「ご、ごめんなさい・・・私、すっかり寝ちゃってて・・・」

「あー・・・まぁね。しんどかった。あー、肩凝った」

「も、揉みます・・・いえ、揉ませてくださいっ!!」

「よろしい」

意地悪に笑う聖さま。良かった、怒ってはないみたい。聖さまの後ろに回りこんで肩を揉む。

確かに聖さまってば肩凄く凝ってた。ごめんね・・・心の中で何度も何度もそんな事呟きながら肩叩いてた私は、

だから聖さまの言葉には全然気付かなくて。

「みちゃん・・・祐巳ちゃんってば!ちゃんと聞いてる!?」

「ふぁいっ?!」

「だから!もうちょっとで新学期だけど、新しい先生ってどんな人?って聞いてるの!」

首だけをグルンってこっちに向けて、聖さまは私の顔を睨んだ。でも・・・それを私に聞かれても・・・。

「いや・・・実を言うと私も知らないんです・・・蓉子さまってば何も教えてくれないし・・・」

「・・・なるほど。蓉子らしいといえば蓉子らしいか・・・。あー・・・嫌だなぁ・・・」

「嫌なんですか?新任の先生が?」

どうしてだろう?私は楽しみなのに。まぁ、聖さま好みの人でなければ、ってのが大前提だけど。

「嫌だね。せっかく楽で良かったのにさー・・・あーもう、めんどくさいなぁ」

人間関係を築くのが苦手な聖さまにとっては、どうやら新しい先生がやってくるというのは苦痛でしかないみたい。

なかなか大変だよね、この人の性格もさ。ほんと、もっと単純な事だと思うんだけどね、人間関係なんて。

なんにしても、どれだけ嫌がったってその日はもうすぐやってくるんだから、仕方ない。逃げようと思っても、逃げられない。

だから私は聖さまを後ろからキュって抱きしめて言った。

「聖さま、大丈夫ですよ。何も変わりませんから、新しい先生が入ってきても」

「・・・そう思う?」

「はい!」

だって、私はずっと保健室に居るし、聖さまだって職員室が嫌なら保健室に来ればいい。それだけの話じゃない。

休みに入る前と何も・・・変わらないよ、きっと。私の言葉に、不安そうに聖さまは頷いた。

「・・・だといいけど」

「もう、聖さまってば心配性なんだから!」

「祐巳ちゃんはいいね、気楽で。私は何か嫌な予感がすんだよね・・・」

「またまたー!そんな事言ってると、本当に嫌な事起こっちゃいますよ!」

ほんの冗談で言ったつもりだったのに、聖さまは苦い顔した。

そして、私の身体を無理矢理抱き寄せて膝の上に座らせると真顔で言う。

「いーい?どんなに素敵な人が来ても、祐巳ちゃんには私以外ありえないんだから。

私以外が祐巳ちゃんみたいなお気楽娘と付き合える訳ないんだから。分かった?」

そ、それってどういう意味よ・・・。嬉しいんだか嬉しくないんだか何だか複雑な心境なんですけど・・・。

「そ・・・それは分かってますけど・・・聖さまだって・・・浮気とかしないで下さいよ?絶対に絶対に!約束ですからね?」

「うん、約束ね」

なんて簡単な約束。でも、私達にはそれが全ての意味を持つ。言葉だけが・・・絶対的な意味を・・・。

私達の左手の薬指にはまった指輪がキラリと光った。だから、安心してたんだ。

これから起こる全ての事なんて、ほんの些細なものでしかないって。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新学期。桜はもう散っちゃったけど、その名残はある。ところどころに咲いた遅咲きの桜が時々花びらを揺らしている。

「ごきげんよう、祐巳ちゃん、佐藤先生」

「「ごきげんよう」」

また学校が始まった。それだけの事なのに、なんだろう。この緊張感は。

いつもと変わらない新学期。でも、ほんの少しだけいつもと違う。それは多分、今日から新しい仲間が増えるからだ。

こないだあんな事言ったけど、本当は私だってかなりドキドキしてる。だって、どんな人が来るかなんて、全然分からないし。

一方昨日散々不安がってた聖さまは・・・。

「ふぁ〜あ。あー・・・春は眠いなぁ、もう」

隣で大欠伸。緊張感の欠片も無い。この図太い神経をね、ほんの少しでいいから分けて欲しい。

昨日まであんなにも嫌がってたのに、今日にはもうあっけらかんとしてるんだもんな。羨ましいよ、ほんと。

とりあえず職員室に入った私達を出迎えてくれるのはいつものメンバー。ここに今日から二人加わる。

それだけの事なんだけど、それがどうしようもなくドキドキするのよ・・・。

席についた私達。どれぐらい待ってたのかな。ようやく蓉子さまがやってきて、皆が揃った。

何だかほんの少ししか会ってなかったんだけど、随分久しぶりな感じがする。

「おはよう、皆」

蓉子さまはそう言ってチラリと聖さまを見て満面の笑みで言った。

「良かったわ。一番心配なのがちゃんと来てて」

「・・・どういう意味よ・・・」

ポツリと呟いた聖さまを無視して蓉子さまは話を続ける。蓉子さまに無視された聖さまは何となく不機嫌そう。

何だかんだ言っても聖さまは蓉子さまに構われるのが好きなんだ、きっと。

そしてこんな時はちょっぴり切なくなってしまう。そんな私の心を知ってか知らずか、聖さまは視線を伏せた私の頬を軽く抓った。

「何て顔してるのよ」

「別に・・・何でも・・・」

「そう?ほら、シャンとして。祐巳ちゃんは先輩になるんだから。そんな顔しなくてもこき使ってやればいいのよ、新人なんて」

いや・・・そうじゃないんだけど・・・まぁいっか。私は顔を挙げて隣の席に座る聖さまを見てにっこりと笑った。

ていうか、聖さま・・・そんな事考えてたんだ。だから私がここに来た時あんなにもこき使ったのね。

私の心の声が聞こえない聖さまは笑った私を見て、安心したみたいに笑った。

「さて、それじゃあ新しい仲間を先に紹介しちゃいましょうか。二人とも入ってちょうだいな」

そう言って蓉子さまはドアを勢いよく開けた。いよいよやってきたんだ・・・この瞬間が!!

私はドキドキする胸を押さえつつ、大きく息を吸い込む。そして・・・入ってきた新しい仲間を見て、ゴクリと息を飲んだ。

でも、その反応は私だけじゃなかった。隣でガタンって大きな音がしたんだ。それは聖さまが立ち上がった音で・・・。

聖さまは蓉子さまの隣を指差し言った。そして、その声はピッタリと私の声と重なった。

「か、可南子ちゃん?!」

「ド、ドリルちゃん!?」

私達はお互いの声に耳を疑った。恐る恐る聖さまの方を振り返ると、聖さまも私の顔をマジマジと見つめている。

「か、可南子ちゃんって・・・あの写真の・・・?」

「ド、ドリルちゃんって・・・あの花寺の・・・?」

多分、私達は全く同じ反応を示していたに違いない。そんな私達の間に蓉子さまがズイっと割り込んできた。

「驚いたでしょ?二人とも。そうね、ちょうどいいわ。二人には新人二人の教育を任せようかしら。ね?

教科が違うけど、それ以外の事を教えてあげてちょうだい。特に可南子ちゃんはリリアンの事全く知らない訳だし、ね?」

「「はあ?!」」

ちょ、ちょっと待ってよ!そんな事突然言われても・・・案の定聖さまを見ると聖さまも嫌そうな顔をしている。

それから体育館に向う途中、聖さまはただの一言も口を利いてくれなかった。いや、利きたくても利けないってのが正しい。

「お久しぶりです、祐巳さま」

「う、うん・・・久しぶりだね、可南子ちゃん。元気だった?」

「ええ、祐巳さまもお元気そうで何よりです」

そう言って微笑む可南子ちゃんの顔は大学時代と少しも変わらない。懐かしいんだけど、何だか・・・ちょっとだけ複雑で・・・。

チラリと聖さまの方を見ると、聖さまは聖さまでドリルちゃん、もとい瞳子ちゃんに捕まっている。

「お久しぶりですわ、聖さま」

「そーう?そんなに久しぶりでもないんじゃない?」

「まぁ!相変わらずですわね、ほんとに未だに不思議ですわ。どうして聖さまみたいな人が教師になれたのかが」

「誰でもなれるでしょ、教師なんて」

「聖さまは本当に・・・聖さまらしいといえば聖さまらしいですけど・・・」

瞳子ちゃんのその言葉に、聖さまはほんの少しだけ顔を歪めた。そして、チラリとこちらを見て、さらに顔をしかめる。

ど、どうして?どうして私見て怒るのよ?つか、やだなぁ・・・あんな風に意味不明に機嫌の悪い聖さまは苦手なんだよなぁ・・・。

そしてそんな事すっかり忘れて体育館に入ろうとした私の腕を、突然聖さまが掴んだ。

そのせいで思わず私は前につんのめりそうになる。

「あっ!あぶ、あぶなっ!!んん??」

振り返った私の唇を、聖さまは無理矢理塞いだ。幸い私達が最後だったから誰にも見られずにすんだ。

でも・・・聖・・・さま?学校でこんな事するような人じゃ・・・ないのに。

「聖・・・さま?」

「あの子・・・可南子ちゃん・・・あんまり近寄っちゃダメよ」

いきなりの聖さまの言葉に、私は目が点になった。

どうして・・・こんな事言うんだろう?だって、可南子ちゃんは私の方がよく知ってる。それなのに・・・どうして?

「そ、そんな事言われても・・・だって、私は可南子ちゃんの指導しないと・・・」

「あの子はダメ。私が変わるわ。祐巳ちゃんはドリルちゃんの指導しなさい。いいわね?」

「で、でも・・・」

「もう決めた。私、蓉子に言ってくるわ」

「ちょ、聖さま?!」

何が何だか分からない私は、駆け出した聖さまの後姿を目で追う事しか出来なかった。だって、あまりにも突然すぎたから。

だって・・・どうして理解出来るっていうの?そりゃ聖さまの事は信用してる。でも・・・可南子ちゃんは友達なのに・・・。

酷いよ、聖さま・・・。せめて・・・理由ぐらい・・・言ってよ・・・。


第百十話『勘』


新人が入ってくる。たったそれだけのことの筈だった。それなのに、どうにも胸騒ぎがする。

それはこないだからずっとそう。そして・・・私の予感は的中した。

前に祐巳ちゃんに言った言葉は、決して本気じゃなかったんだ。

祐巳ちゃんと一緒に写真に写ってたあの少女・・・一際背の高い・・・可南子という少女。

『祐巳ちゃんを追ってリリアンに来たらどうする?』

あの時はそんな事考えもしなかった。それなのに・・・まさか、それが現実になるなんて・・・。

私は体育館へ入る途中、蓉子を捕まえてその腕を思い切り引いた。

「どういうつもり?」

「な、何よ、やぶからぼうに」

突然の私の言葉と態度に、蓉子は驚いて目をまん丸にしている。

私は腕を掴んでいた手を離すと、何が何だか分からないといった顔の蓉子を思い切り睨み付けた。

「どうしてあの二人なの?よりによって・・・どうしてあの子なのよ?」

「あの子って・・・どっち?瞳子ちゃんの事?」

「違う。あの背の高い方よ。あの子は・・・あの子だけは・・・」

ダメだったおに。そんな言葉を飲み込んだ。だって、言ったって仕方ない。まだ確信がある訳じゃない。

でも・・・予感はある。絶対にあの子は・・・祐巳ちゃんの事をただの先輩としてなんて、見ていない。

「可南子ちゃんがどうしたっていうのよ?祐巳ちゃんの後輩ってだけでしょ?何をそんなに必死に・・・」

「ただの後輩なら!・・・ただの後輩なら・・・こんなにも慌てないわよ・・・」

「え・・・?ど、どういう・・・意味?」

私の言葉に蓉子は固まった。私はだから、そんな蓉子と壇上に上がりながら手短に話した。

「あの子は多分・・・祐巳ちゃんの事を好きなんだと思う。これは・・・私の勘だけど」

そう・・・ただの勘。でも、私の勘はよく当たる。ましてや人の色恋沙汰となると恐ろしいほどに・・・。

でも、蓉子は信じてはくれなかった。そんな私の心配を他所に、笑っただけで・・・信じてなど・・・くれなかった。

「何よ、ただの聖のいつもの心配性?アンタの勘なんてね、あてにしてたら誰も雇えないわよ!ほら、行くわよ」

「ちょ、ちょっと蓉子!じゃあ、じゃあせめて私にあの子の指導をさせてちょうだい。で、祐巳ちゃんにはドリルちゃんを・・・」

必死になってくらいつく私・・・なんて、みっともない。でも、仕方ない。だって、絶対祐巳ちゃんを誰にも渡したく・・・ない。

「はいはい。好きにすれば?」

「ほんとに!?ほんとにいいのね?!」

「ええ、構わないわよ。追い出しさえしなければね」

「分かった。ありがとう、蓉子」

よし!追い出しはしない。追い出しは。でも・・・あの子が勝手に止めたら・・・それは私のせいじゃ・・・ない。

「最低だわ・・・私、ほんと・・・」

ポツリと呟いた声は、誰にも届かなかった。でも、それでいい。誰にも聞こえちゃ・・・いけない声だったから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

体育館から職員室に帰る途中、私はようやく祐巳ちゃんを捕まえた。その隣には当然のように可南子ちゃんがくっついている。

私はそんな可南子ちゃんを軽く睨むと、祐巳ちゃんの腕を引いて無理矢理二人を離れさせた。

「ちょ、聖さま?一体どうしちゃったんですか?」

「いいから、ちょっと」

「祐巳さま、私はどこへ行けば?」

可南子ちゃんは私を無視して祐巳ちゃんの顔を覗き込んだ。どうやらこの子、意地でも私と祐巳ちゃんを邪魔したいらしい。

そんな事にも気づかない祐巳ちゃんはといえば、丁寧に可南子ちゃんに職員室までの帰り方を教えている。

そしてようやく可南子ちゃんが居なくなって二人きりになった私達は、何を話すでもなく保健室へと向う。

ていうか、半ば無理矢理私が強引に祐巳ちゃんを引っ張ってったんだけど。

「聖さま・・・いいんですか?職員室に戻らなくても」

「構わないよ、別に。どうせいつもの事だし」

「そう・・・ですか。でも、一応聖さまと私は新人二人のお世話係な訳ですし・・・」

「そんなにも新人が気になるの?」

どうしてこんなにも刺々しくなってしまうのか。そんなもの、答えは簡単。これはただの嫉妬だ。それ以外何者でもない。

私の言葉に祐巳ちゃんは困ったように笑った。そしてポツリと言う。

「そりゃ、一応は気になりますよ。だって、大役ですから」

「大役・・・ね。ところでさっきの話、私が可南子ちゃんの世話するから、祐巳ちゃんはドリルちゃんの方、お願いね」

「ほ、本気だったんですか?」

「もちろん。ちゃんと蓉子の了解もとったから。それじゃあ・・・職員室に戻ろっか」

差し出した手を、祐巳ちゃんが掴んだ。こうやって学校で手を繋ぐなんて、普段ならありえない。

でも・・・どうしても触れていたかった。ほんの少しでもいいからどこか繋がって・・・いたかった。

職員室に戻った私達を真っ先に出迎えたのは、蓉子でも他の皆でもなく、ドリルちゃんだった。

「聖さま!一体どちらにいらしてたんです!?聖さまは世話係だって事、ちゃんと理解されてるんですか?」

私の腕を引っ張って席に座らせようとするのを、祐巳ちゃんがただボンヤリと見つめていた。

ヤバイ・・・絶対怒ってる・・・咄嗟にそんな考えが脳裏を過ぎる。でも、祐巳ちゃんは何も言わなかった

ただ俯いてじっと自分の手を、さっきまで私と繋いでいた手を見つめてトボトボと自席へと戻ってゆく。

「そろそろ離してくれる?ああ、そうそう。ドリルちゃん、君のお世話は私じゃなくて、祐巳ちゃんがするから。

ちゃんと言う事聞くように」

私の言葉に、祐巳ちゃんとドリルちゃん。そして、可南子ちゃんも顔をしかめた。そんな可南子ちゃんに私は言う。

「それから、可南子ちゃんは私が面倒見るから。まぁ、そんなに教える事も無いと思うけど。よろしくね」

そう言って手を差し延べた私。けれど、可南子ちゃんがその手を取ることは無かった。

ただ無愛想にペコリとお辞儀をするだけ。ほんと・・・いつかの自分を見てるようだわ。

「・・・よろしくお願いします」

ポツリと呟いた声は、とても不機嫌そう。見えない火花が散ってる・・・そう、思う。

その時、突然私の後ろからバカにしたような笑い声が聞こえてきた。

「だって、お姉さま。この方、リリアンの事何も知らないんですもの」

「瞳子ちゃん!そんな事言わないの。祐巳はリリアンじゃないんだから仕方ないでしょ?

祐巳の分からない事は瞳子ちゃんが教えてあげればいいの。ね?」

「はーい」

ドリルちゃんを祐巳ちゃんに回したのも、もしかするとマズかったかもしれない。そんな風に思ったのは・・・言うまでもない。

案の定祐巳ちゃんは泣きそうな顔して俯いてしまった。あぁ・・・こんな顔させたかった訳じゃないのに・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「聖さま・・・どうして、私に瞳子ちゃんを任せたんですか?」

保健室に行くと、祐巳ちゃんが真っ先にしてきた質問がそれだった。まぁ・・・分からないでもない。

だって、あんな風に言われるなんて、私も思ってなかったし。

とりあえず可南子ちゃんと祐巳ちゃんを離すのが先決だと、そう思ったから。

でもさ・・・言えないよね。単なる私の焼もちからだよ、なんてさ。だから、私は嘘をついた。多分・・・初めて。

「祐巳ちゃんはほら、まだ学校の事あんまり分かってないじゃない?システムとかさ。

だからそんな祐巳ちゃんが可南子ちゃんを教えるのは酷かなって思ったの」

「・・・本当に・・・それだけ?」

「本当にそれだけ。どうして?他に何の理由があるっていうの?」

「いや・・・無い・・・ですけど・・・」

私達の間に流れる不穏な空気。どうしてこんな事になってしまったんだろう。私がもっと素直になれれば良かったのに。

祐巳ちゃんがもっと、敏感だったら・・・良かったのに・・・。私はそっと、さっきまで繋いでいた手に視線を落とした。

そしてその手でそっと、祐巳ちゃんの頬に触れる。

「聖さま?どうかしました?」

キョトンとした祐巳ちゃんの顔を見て、私は慌てて手を引っ込めた。

「ううん、何でもない」

これじゃあほんと、先が思いやられる・・・。


第百十一話『先輩、後輩』


予想外だった。まさか可南子ちゃんが本当に聖さまがいつか言ったみたいにリリアンにやってくるなんて。

だって、どうやって予想する事が出来たっていうの?

ありえないよ・・・それに、まさかドリルちゃん・・・もとい、瞳子ちゃんまで・・・。

保健室の窓から外を眺めていた私は、大きなため息を落とした。それにね・・・問題はこれだけじゃなかったんだ。

体育館で新学期の挨拶が終わった後、突然蓉子さまが言ったの、聖さまに。

『あ、聖。言うの忘れてたけど、今年、あんた桜組みの担任だから』

『・・・は?』

『だから、あんたも今年は担任やってもらうから、って言ってるの。ったく、忙しいんだから一回で聞きなさいよね』

蓉子さまはそれだけ言って、本当に忙しそうに職員室を出て行ってしまった。

思わず顔を見合わせた私達は、お互いかける言葉もなくて・・・。だって、どうして聖さまが担任なんて持てるっていうの?

それこそありえないでしょ。ある意味、可南子ちゃんがやってきた事よりもありえない。

おかげで三重のショックに打ちのめされた私は、フラフラした足取りでたった一人保健室に戻るしかなくて・・・。

窓の外はもう春。それなのに、私の心はこんなにも寒い。いつもならこの時間は聖さまとお茶してた。

二人でさ、外眺めながら年寄りみたいに。でも・・・今日からは違うんだよね・・・。

その時だった。突然背後に誰かの気配を感じて振り返った私は思わず息を飲んだ。

「か、可南子ちゃんっ!?」

「祐巳さま。久しぶりにゆっくり話しがしたくて・・・ご迷惑でしたか?」

「う、ううん!迷惑なんかじゃ全然ないよっ!」

つか、ちょっとビックリしただけだから。あーもう!心臓止まるかと思った。どうして足音も立てないで突然背後に居るのよ。

ただでさえ今凹んでるのに、更にビックリして心臓が壊れちゃうじゃない!

ここでね、ふと思ったの。もしも・・・もしもね、これが聖さまだったら・・・私、どんな反応してただろう?って。

で、考えてみたんだけど、きっとまずは怒ると思うの。ビックリするじゃないですかー!って。

でも・・・その後きっと、つい笑っちゃう。嬉しくて、愛しくて、きっと笑っちゃう。私、本当にダメなんだ。

聖さま以外の人に、もう少しも・・・トキメかない。いや、今までもあんまりトキメイた事なんてないけど。

一人頭の中でそんな事考えてた私は、きっとまたお得意の百面相をしてたんだと思う。

だってそんな私を見て可南子ちゃんが、相変わらずですね、って笑ったから。

「えっとー・・・じゃあ改めて、元気だった?」

私の質問に、可南子ちゃんは笑顔で頷いた。ほんと、後輩って可愛い!

こうやっていつまでもいつまでも慕ってくれるんだもんなぁ。

「祐巳さまは・・・ご結婚・・・されたんですか?」

可南子ちゃんはふと私の左手の薬指に視線を落として呟いた。だから私は慌ててそれを否定する。

結婚指輪だったら・・・本当はもっと自信、持てたんだろうけどなぁ・・・。

「ううん、違うの。これはただのペアリング」

聖さまとの!・・・なんて、自慢したい気持ちを私は飲み込んだ。だって、可南子ちゃんは私の後輩だ。

少しでも格好いいとこ見せなきゃだよ!でも、私の答えに可南子ちゃんは面白くなさそうに曖昧に返事する。

何か煮え切らない感じだけど・・・まぁ、今はいいや。深く考えないでおこっと。

私は立ち上がるといそいそとお茶の用意を始めた。それを一部始終見ていた可南子ちゃんが、ポツリと言う。

「やっぱり・・・祐巳さまだなぁ・・・」

と。訳が分からない私は首を傾げて次の言葉を待ったんだけど、可南子ちゃんはそれ以上会話を続ける気は無さそう。

それから私達は取りとめも無い話で盛り上がった。ていうか、無理矢理盛り上げた。

可南子ちゃんは私のこの指輪を誰に貰ったのかが相当気になるようで、凄く真剣にそれを聞いてくる。

だけど私は・・・迷ってた。聖さまの事を言うべきかどうかって。だって、あの聖さまでさえ沢山傷ついたって言ってたし・・・。

いや、まぁ、聖さまはとても繊細な人なんだけどさ。

私が勝手に言っちゃって、もしも聖さまが傷つくような事があってもいけないし。

まぁ・・・大半は多分、自分を守るためなんだろうけど。ほんと・・・私って、ズルイなぁ・・・。

その時だった。HRの終わりを告げる鐘が鳴った。それと同時にガラリと保健室の扉が開く。

「あーもう!アイツら言う事聞きゃあしないんだから!祐巳ちゃ〜ん、お茶ちょうだーい。あっつーいの」

ていうか、どうして鐘と同時にここへやってきたのか・・・多分、聖さまはまた適当な所でHRを打ち切ってきたに違いない。

この人は、そういう人だ。そんな事言いながら俯いたまま保健室に入ってきた聖さまは、だから多分、

可南子ちゃんが居ることに気付かなかったんだと思う。

次の瞬間顔を挙げて可南子ちゃんの顔を確認するなり、さっきまでのやる気のない聖さまの顔じゃなくなってた。

「あら、ごきげんよう。居たの」

聖さまが一瞬見せた表情を、私は見逃さなかった。でもね、聖さまってほんとよく分からない。

だって、次の瞬間にはもう、頼りがいのある先輩の顔になっていたから。

だから私には、さっきの聖さまの表情が何を意味するのか、分からなかった。

「聖さま、和菓子と洋菓子どっちにします?」

「選べるの?そうねぇ・・・それじゃあ、和菓子で」

「はいはい。じゃあほうじ茶よりも緑茶ですね」

「うん、ありがと」

ああ、そうそう。この感じ。これでこそ保健室。いや、違うんだけど。

でも私にとっては聖さまの居ない保健室なんて、保健室じゃない。それぐらい聖さまの存在は私の中で大きい。

そんな私達のやりとりを睨むような目つきをして聞いていた可南子ちゃんが、お茶を入れようとした私の手を遮った。

「な、なに?どうしたの?」

「祐巳さま、祐巳さまがそんな事する必要はありませんよ。この人が自分ですればいいんです」

「へ?」

いや・・・あのー・・・私が言いかけたその時、聖さまが笑った。いつもよりもずっと意地悪に。

聖さまがこういう顔するときは、結構怒ってる時なんだ・・・ど、どうしよう・・・。

「なによ、何か文句あるみたいじゃない?」

「文句なんてありませんよ。ただ、突然入ってきて祐巳さまにあれこれ命令するのは間違ってると言ったんです」

め・・・命令・・・ですか。私、命令された覚えなんて・・・全然無いんだけど・・・。

でも、聞きようによってはそう聞こえたのかもしれない。

私達の事を知ってる人達は、いちいちこんな事言わないけど・・・知らない人が見たら・・・どう、思うのかって事、

考えた事もなかった。いや、多分やっぱり何も思わないと思うけど。

だから私は一色触発状態の可南子ちゃんの腕を掴んで出来るだけ優しく言った。

「か、可南子ちゃん?私、別に命令された訳じゃないのよ?私が好きでやってるの。だから・・・」

ところが、可南子ちゃんはやっぱり可南子ちゃんだった。昔からこの子はほんのちょっと思い込みが激しい所がある。

私の手を振り解いて聖さまを今度はあからさまに睨み付けたんだ。

「私は、祐巳さんを守るためにリリアンに来たんです!あなたみたいな人から!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

か、可南子ちゃん・・・一体私をいくつだと・・・でも、その可南子ちゃんの言葉に聖さまはさらに笑う。

まるで子供をあしらうみたいな感じで。聖さまのこういうとこ・・・本当に尊敬する。私なら絶対怖がると思うもん。

つか、ビビるよ、普通。自分の恋人を突然第三者に守る!とか言われたら・・・でも、聖さまは動じないんだなぁ。流石だ・・・。

「祐巳ちゃん、お茶ちょうだい」

まるで可南子ちゃんなんてここに居ないかのような聖さまの態度に、可南子ちゃんが怒ったのは言うまでもない。

ていうか・・・可南子ちゃんってば・・・こんなにも私の事慕ってくれてたんだ・・・。

やっぱり高校時代の先輩後輩って仲は結構強いもんなんだなぁ。何だか申し訳ない事しちゃったかもな、私。

だって可南子ちゃんはこんなにも私の事先輩として慕ってくれてるのに、私なんて・・・正月に一度思い出しただけだもん。

こんなんじゃ、先輩失格だわ、私ってば・・・。その時だった。聖さまが私の袖を引っ張って甘えるような声で言う。

「祐巳ちゃん・・・お茶・・・」

って。ほんと、もう、こんな時の聖さまはほんと可愛い!普段は格好いいくせに、まるで本当に猫みたい。

都合のいい時だけこうやって甘えたように鳴くとことかがソックリ。

「はい、今入れますね」

そう言って私はいそいそと聖さまにお茶を入れた。いつもよりも特別美味しくなるように。

だって、随分待たせちゃったからね!でも・・そんな私を見て可南子ちゃんは怒鳴った。

「祐巳さまっ!どうしてこんな人の言いなりになるんです!?」

可南子ちゃんの言葉に、少しだけカチンってした。私は今まで、誰の言いなりにもなった事ない。それは、聖さまにも。

だから私は可南子ちゃんの方を見て言った。はっきりと。

「可南子ちゃん、私、好きで聖さまにお茶入れてるの。だからそんな風に言わないで」

「で・・・でも・・・」

その時だった。可南子ちゃんが短く叫んだ。その視線の先には聖さまの左手。

あー・・・もしかして気付いちゃったかなぁ・・・私はそっと聖さまに視線を走らせたんだけど、でも聖さまはそれを無視した。

多分、気にするなって事なんだろう。だから私も、もうそれ以上気にしなかった。だってさ、別に隠してた訳ではないんだし。

「祐巳・・・さま・・・そのリング・・・ま、まさか・・・こ、この人に・・・?」

可南子ちゃんの声は震えてた。ていうか、どうしてそんなにショックがるんだろう?何か・・・それがショックだわ。

はっ!こ、これが聖さまの言ってた受け入れてくれない人も居るって奴!?私はもう一度聖さまの顔を見た。

多分、泣きそうな顔してたと・・・思う。そんな私を見て、聖さまはようやく優しく笑ってくれた。

大丈夫だよ、って動いた唇と、小さなウインクに・・・また泣きそうになってしまった。


第百十二話『守るという事』


祐巳ちゃんを守るですって?それは私の役目だっつうの。いや、今はそんな事言ってる場合でもない。

絶対祐巳ちゃん何か勘違いしてると思うのよ。だって、どう考えても泣くようなとこじゃないし。

それにしてもこの可南子ちゃん・・・なかなかやっかいかもしれない。そして、やっぱり私の勘は・・・当たった。

この子は確実に祐巳ちゃんの事をただの先輩だなんて思ってない。それはもう、間違いない。

可南子ちゃんは私を睨んで強い口調で言った。

「あなたは、あなたは祐巳さまの何を・・・何を知ってるって言うんです?」

「そういうあなたは何を知ってるの?」

祐巳ちゃんの事をどれだけ知っているかなんて、そんなの関係ない。恋愛においては、そんなもの大して重要じゃない。

要は、どれだけ相手を必要としてるかって事だと、私は思う。そういう点では、私はきっと、誰にも負けない。

でも、可南子ちゃんは引かなかった。泣きそうな祐巳ちゃんすら無視してまだ私の顔を睨んでいる。

「私は少なくともあなたよりは祐巳さまを理解してるつもりです」

「ふーん。それはご立派だこと」

こういう類は適当にあしらっておくに限る。ムキになればなるほど突っかかってくるようなタイプは。

私は祐巳ちゃんの入れてくれたお茶を一口すすった。何故か祐巳ちゃんが淹れるとお茶ですら甘くなる。

緑茶だから苦いはずなのに、どうしてかな・・・ほんのり甘いんだ・・・まさか、砂糖とかコッソリ入れたりしてないわよね!?

私はチラリと祐巳ちゃんを見た。でも、祐巳ちゃんは私の顔を見てもう泣き出す寸前って顔してる。

「祐巳ちゃん・・・そんな顔しなくてもいいよ。別に可南子ちゃんは私達の関係を責めてる訳じゃないんだから」

そう、むしろこの子は私を責めてるのよ。大好きな祐巳先輩を奪ったから・・・でもそれは言えなかった。

流石の私も本人目の前にしてそんな事言えない。ていうか、この子のこういう気持ち、ちょっと分かるし。

まるで栞と居た時の私のようで・・・。

私の言葉に祐巳ちゃんはほんの少し安心したように頷くと、当たり前みたいに私の隣にストンと腰を下ろした。

それが私は凄く嬉しかったんだけど・・・可南子ちゃんにとっちゃ・・・面白くないよね、そりゃ。

私達を見て、可南子ちゃんが吐き捨てるように言った。

「祐巳さまは・・・あなたには相応しくありません!あなただけは・・・絶対に・・・」

それだけ言って、可南子ちゃんは保健室を出て行ってしまった。でもね・・・そこからが大変だったんだ。

可南子ちゃんが出て行った途端、祐巳ちゃんが私にしがみついて泣き出しちゃって・・・。

「聖さまぁ・・・だって、わ、私・・・好きで聖さまにお、お茶・・・お茶・・・いれてっ・・・うぅぅぅ・・・・」

「わかった、わかった。知ってるから、ちゃんと知ってるから。だからほら、もう泣かないの。ね?」

「うっ・・・うぅ・・・で、でも・・・せ、さま・・・担任とか・・・ありえないし・・・そしたら・・・も、ここ・・・来ないかもって・・・」

ああ、なるほど。色んな事が重なっちゃったんだ。だからきっと、まだ整理がつかないんだ、祐巳ちゃんは。

それにしても・・・私が担任持つのがそんなにありえないか、と。まぁ、ありえないけど。

私だってあれには驚いた。だって、普通そういう事って前もって言うじゃない。それなのに・・・蓉子の奴・・・。

いや、それよりも今は可南子ちゃんだよ。あの子・・・危険だ・・・。

祐巳ちゃんを守るとか言うけど、結果的に泣かせてたら意味ないじゃん。

私はまだ泣き止みそうにない祐巳ちゃんの肩を抱きしめたまま、ポツリと言った。

「大丈夫よ、祐巳ちゃん。ちゃんと私は毎日ここに来るから。今まで通り、ちゃんとここに来るから・・・ね?」

私の言葉に祐巳ちゃんがようやく顔を挙げた。まだ涙目だけど、かなりぶっさいくだけど、笑うよう努力はしてるみたい。

だからその努力を認めてあげよう。私はそっと祐巳ちゃんにキスすると、笑った。これ以上ないぐらいに優しく。

そんな私を見て、祐巳ちゃんがやっと笑った。ちゃんと。

「本当に?約束ですよ?」

「うん、約束ね」

そう言った私に抱きついてきてキスをせがむ祐巳ちゃんがね、もうどんだけ可愛かった事か!

思わずここで押し倒してしまいそうなほど、可愛かったんだから!!

それを祐巳ちゃんに言うと、そっと私から離れて上目遣いで言った。

「ここでは・・・ダメですよ」

って。ほんと、この子はいちいち可愛い。仕草とかさ、口調とかがね。だから思った。

可南子ちゃんは、絶対にこんな祐巳ちゃんは知らない。こんなにも可愛い祐巳ちゃんは・・・きっと、私しか・・・知らない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昼休みが終わって保健室から出て来た所を、今度はドリルちゃんに捕まった。

「聖さま!どちらにいらしてたんです?蓉子さまが探してましたわよ?」

「ああ、そう。いつもの事だから放っておいて構わないわよ、どうせロクでもない話しかしないんだから」

「?!聖さま!前から言おうと思ってたんですが、いくら親友とはいえ、仮にも理事長にそういう言い方は・・・」

その時だった。後ろから私を呼ぶ声が聞こえてきたから、ドリルちゃんの話を遮って私は振り返った。

ていうか、呼んだのは祐巳ちゃんなんだけど。だからわざわざ話を中断して振り向いたんだけど。

「聖さま!お箸、入れ忘れてますよ!!」

祐巳ちゃんは私の元に駆け寄ってきて青いお箸を私に手渡すと、私の後ろにドリルちゃんが居るのを見つけて、

ちょっと身構える。まるでライオンに怯える兎みたい。いや・・・狸・・・か?まぁどっちでもいいや。

とりあえず私は祐巳ちゃんからお箸を受け取ると、それをお弁当の袋に詰め込んだ。

「ありがと、でもどうせ一緒に帰るんだから持っててくれればいいのに」

私の言葉に祐巳ちゃんはハッって顔をした。コイツ・・・さては混乱しすぎて私達が一緒に住んでる事すら忘れてたな・・・。

思わずそんな祐巳ちゃんに笑ってしまった私を見て、今度はドリルちゃんが驚いたような顔をした。

「せ・・・聖さまが・・・笑ってる・・・」

「失礼ね、私だって笑うってば。それじゃあ、祐巳ちゃん、また後で。お箸、ありがとね」

それだけ言って歩きだした私の後をドリルちゃんがついてくる。職員室に戻る途中、一度だけ振り返った。

すると、そこには何故か俯いて手をギュって握ってる祐巳ちゃんが・・・居た。

どうして・・・そんな顔するの?駆け寄って聞きたかったけど、ドリルちゃんがそうはさせてくれない。

だから仕方なく、私はその場を離れた。でもね、いつまでもいつまでもあの祐巳ちゃんの顔が離れないの。

さっきようやく笑ってくれたのに・・・今度は私が泣かせてしまいそうだって、そう思った。

もう泣かせたくなんて・・・ないのにな・・・どうしてこんなにも上手くいかないんだろう。

どうしてもっと、スマートにやれないんだろう。守るって・・・一体どういう事なんだろう・・・。


第百十三話『ヤキモチ』


何があっても離れたりしないよ、って、言って欲しかっただけ。でも・・・それは聖さまからは聞けなかった。

だって、私がこんなにも瞳子ちゃんにヤキモチ妬いてるだなんて事、聖さまはきっと知らないだろうから。

別に瞳子ちゃんが嫌いな訳じゃない。まぁ、苦手ではあるけど。でも、だからって嫌いな訳じゃあ・・・ないんだ。

何が引っかかるんだろう?私はただの保健医で、どうしたって教師にはなれない。

こんな事なら、もっともっと勉強して聖さまと同じように教師の道を歩めば良かったのかも・・・しれない。

「そんなに心配しなくても、聖は別に瞳子ちゃんの事なんて何とも思ってやしないわよ」

落ち込む私の相談相手は例によって例の如く、SRGだった。

聖さまはいっつも、お姉さまは危険だから二人っきりになっちゃダメ!とか言うけど、私はそうは思わない。

だって、SRGは聖さまの事凄く可愛がってるもん。私達が付き合いだしたのを一番喜んでくれたのだって、SRG。

そんな人がわざわざ聖さまの嫌がる事なんて絶対にしないと思うの。だからあのキスは、本当にただのお礼だったんだ。

未だに何のお礼だったのかは・・・全くの謎だけど。SRGは目を細めて窓の外に視線を向けて言った。

「安心なさい。大丈夫。私が保証するから」

「・・・SRG・・・」

思わず涙ぐんだ私の頭を優しく撫でてくれる所なんて、本当に聖さまとよく似てる。でも・・・聖さまじゃ・・・ないんだよね・・・。

ああ、どうしてこんなにも逢いたいって思ってしまうんだろう。さっきのあんな聖さまを見ちゃったからなのかな。

毎日毎日家でも学校でも顔を合わせるのに、ほんの少し逢える時間が減ってしまっただけでこのザマ。

「幸せそうねぇ、あなた達、ほんとに」

私の愚痴にSRGは笑った。幸せ?これが?

本当にそうなのかな・・・こんなにもヤキモチばっか妬いてさ、聖さま絶対迷惑してる。

「あら、ヤキモチ妬いてもらえるうちが華じゃない。私なんて無関心よ、無関心!

私が誰と居ても、蓉子ちゃんにとっては息するのと同じぐらい何て事ないんだわ、きっと」

「そんな事は・・・」

無い、とは言い切れないのが切ないよな。確かに蓉子さまは由乃さんの言った通り、鉄壁の女だった。

誰に言い寄られても素無視。

それどころかSRGの恋心にも気付かないなんて・・・私が言うのもなんだけど絶対鈍いと思うのよ。

私の百面相をしばらく見ていたSRGが大きなため息を落としながら言った。

「ほらね、言い切れないでしょ?祐巳ちゃんでもそう思うって事は、間違いなく私は相手にされてないって事よね、やっぱり・・・」

「ど、どうして私が思うとそうなるんです?」

「だって・・・祐巳ちゃんも蓉子ちゃんと同じぐらい鈍いし・・・」

しっ!失礼な!でも・・・こないだの旅行の事考えると、それは否定出来ないんだけど。

「ところで祐巳ちゃん。あの可南子ちゃんって子とはずっと仲良かったの?」

突然のSRGの台詞に、私は固まった。あんまり今はその名前、聞きたくなかったんだ。でも・・・答えない訳にはいかない。

だから私はゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、大学卒業してからは全然会ってませんでしたけど・・・どうしてです?」

「そうなの?うーん・・・それじゃあ仕方ないのかしらね・・・」

SRGの何かを含んだような口調に、私は首を傾げた。だって、どういう意味なのかさっぱり分からなかったわから。

「あの・・・何が仕方ないんです?」

「ん?ああ、別に気にしないで。それよりも今は瞳子ちゃんよ、瞳子ちゃん!

実を言うと私も初めて会ったのよね・・・祥子ちゃんの妹には。でもあのキャラは・・・なかなか強烈よね」

そう言ってSRGは苦笑いを浮かべる。一方私はといえば、まださっきのSRGの言葉の意味を考えていた。

気にしないでって言われたって、気になるよ、そんな言い方されたら!!でもきっと、SRGは教えてくれないんだろうなぁ・・・。

だって、そういうとこ、凄く聖さまっぽい。ついでに志摩子さんもそういうとこがある。・

・・そうか!白薔薇ファミリーはきっと皆こういうタイプなのね!!

じゃあ残りの二つは・・・私はちょっとだけ考えてみて思わず噴出してしまった。

だって、何となくその法則がどこの薔薇様にも当たってたような気がしたから。気が強い紅薔薇と、マイペースな黄薔薇。

そして秘密主義な白薔薇。皆やっぱりどっか自分と似たような人を選ぶのね、きっと。

何だかちょっとだけ皆の繋がりみたいなものが羨ましくなってしまった。

もしも私がリリアンに入って、薔薇様になるとしたら・・・どこに入れたんだろう?

なんて考えてみたけど生憎どこにも該当しそうになくて・・・。うん、知ってたよ。だって・・・私ってば根っからの小市民だしね。

華やかな世界は向いてないのよ、きっと。でも、それが私の味なんだ!・・・なんて、胸張れたらいいのになぁ・・・。

いつか聖さまが私に言った。もっと自信持って私の隣歩いてもいいよ、って。でも、やっぱりそれは未だに難しい。

色んな意味で私は聖さまから半歩ぐらい遅れるんだから、いつも。可南子ちゃんの事にしたってそう。

私ならきっと、あんな風に切り返せなかった。

瞳子ちゃんの事にしたって、きっともしも聖さまが私の立場なら、こんなにも落ち込まないと思うの。

浮気しちゃダメだよ!って私に釘さして、きっとそれでおしまい。でも私は・・・そんなにも簡単に割り切れない。

「祐巳ちゃん。ほら、また、怖い顔してる」

「あ・・・す、すみません・・・」

SRGの指摘に私は思わずペコリと頭を下げた。ほんと、ダメだ、ダメだ、こんなんじゃ。

「あのね、聖は確かにちゃらんぽらんしてる所があるけど、一旦気に入ると意地でも離そうとしないような子なの。

そんな聖がね、祐巳ちゃんを手放すと思う?祐巳ちゃんを裏切ると思う?」

それは・・・確かにそうなのかもしれない。

でも、私が聖さまに気に入られてるなんて事は、聖さま自身にしか・・・分からないと思う。

そりゃ確かに他の人に比べればね、ちょっとは気に入られてるかもしれない。

でも・・・私が一番かどうかは・・・誰にも分からない。

「・・・・・・」

黙り込んだ私を見て、SRGは困ったように笑った。だってね、SRG!自信なんて、持てないよ。

人の気持ちなんて、見えないんだもん。

いくら言葉にしてくれたって、いくら態度で示してくれたって・・・自信なんていつまで経っても・・・持てないよ・・・。

それをSRGに言うと、SRGは黙ったまま頷いただけだった。そしてまた窓の外に目をやって今度は小さな溜息を落とす。

「確かに・・・そうよね。自信なんて・・・持てないわね・・・」

その言葉がSRG自身に向けた言葉なのか、それとも私に向けた言葉だったのかは・・・分からない。

けれど、私達は何だか似たもの同士だった。恋愛をすれば、皆こうやって悩むのかな。

だとしたら、恋愛を最大限に楽しめる方法を知ってる聖さまは凄い。そしてそれがちょっとだけ…ほんのちょっとだけ、憎らしい。

結局いつかは私も他の人みたいになるんだろうか?そんな考えまで浮かんでくる。

「祐巳ちゃん!元気だして?保健医さんがそんなしみったれた顔してちゃ、皆困るんだから。

祐巳ちゃんは皆のオアシスなんだから・・・ね?」

「SRG・・・」

この人はなんていい人なんだろう。言葉は乱暴だけど、あったかい。こんな人に想われる蓉子さまは凄く幸せだと思う。

だからいつか、いつかSRGの想いが蓉子さまに伝わればいいのにな・・・そしたらきっと、皆幸せになれるのに。

何にしても、そうだよね!SRGの言うとおりだ。私がしみったれたってしょうがないんだもん!

それに、私それ以外に大して取り柄ないし・・・元気だけが、私の武器なんだから!

ごめんね、聖さま!私、もっともっと頑張るから!だから、私を昔の恋人の一人なんかにしないで・・・ね?


第百十四話『可南子の気持ち』


祐巳さま・・・どうしてあんな人と一緒に居るんですか?

昔のあなたは、誰か一人に決めてしまうなんて事無かったじゃないですか。

誰に言い寄られても、いつも笑って適当にあしらってたじゃないですか。

それなのに、どうしてよりによってあの人・・・なんですか?

祐巳さまがリリアンの保健医になったと知って、周りの人間に散々反対された教師という職業についた。

そして研修期間と地道な下積みを終えた私は、ようやく・・・ようやくこのリリアンで働くことになったのだ。

そう、祐巳さまの居る、このリリアンで。正直、自分でも呆れる。どうしてこんなにも祐巳さまに執着するのか。

誰だって同じ。皆私をすぐに裏切る。ずっとそう思ってきた。

そしてそれは変らないはずだったんだ。あの日、祐巳さまに会うまでは。

祐巳さまはあの屈託の無い笑顔で周りの人間を簡単に幸せにする事が出来た。あれが彼女の才能なのだろう。

そんな笑顔が私に初めて向けられたのは、大事なバスケットの試合で負けて落ち込んでた時だった。

私はチームの仲間とどうしても馴染めなくて、そのせいで負けたのだと皆に無言で責められているような気がして、

一人部室を出て校舎の裏で蹲って泣いていた。その時、突然目の前に影が落ちて、顔を挙げると・・・そこに祐巳さまが居た。

「どうして一人で泣くの?皆と一緒に泣かないの?」

その一言に私は苛立った。何も知らないくせにとやかく言う連中は大嫌いなのだ。

睨む私を見て、祐巳さまは何を思ったのか私の隣に腰を下ろしてにっこりと笑って言った。

「格好かったよ、皆。私は運動全然ダメだからさ、あなたが羨ましい。

だって、本当に高く飛ぶんだもん!もう私、興奮しちゃった!」

そう言って身振り手振りを交えながら話してくれた祐巳さまは、

最後にお世辞にも上手いとは言えないレイアップシュートを披露してくれた。

でも、それがあまりにも低いジャンプだったから思わず私は笑ってしまって。

「ど、どうして笑うのよ?私、これでも必死なのよ?」

「す、すみません・・・で、でも・・・」

眉をしかめてもう一度ジャンプする祐巳さま。それが何だか可愛くって、私はお手本を見せてあげる事にした。

それを見て手を叩いて喜んだ祐巳さまに、一体誰が恋に落ちずにすむというのだろう。

そう思うほど、祐巳さまはいとも容易く私の心を奪った。一つ年上の先輩。だから嫌でも先に卒業してしまう。

そんな事は分かっていたし、それを止めようとも思わなかったけど、でも諦められなかった。

だから私はあんなにも好きだったバスケと縁を切って、祐巳さまと同じ教師になる道を選んだのだ。

きっとこの想いは届かないだろうと知りながら、それでも私はずっと祐巳さまの傍に居たかった。

誰かの人になってしまうのは・・・耐えられなかった。祐巳さまは私を救ってくれた天使。恋する事は許されない存在。

・・だった筈なのに・・・いざリリアンに来てみたら、生徒達が皆祐巳さまを『祐巳ちゃん』と呼び、

祐巳さまもそれに慣れたように振舞って。

挙句の果てには・・・恋人まで・・・嬉しそうにペアリングなんかして喜ぶ祐巳さまを見るためにこの学校に来たわけじゃない。

ただ・・・私は、祐巳さまを守りたかった・・・だけなのに・・・。

リリアンで教師を始めて一週間。

中庭に出ると、生暖かい風が体を包み込んだ。目の前の大きな桜の木の下にあるベンチに誰かが寝転がってる。

出来るだけ音を立てないように近づいた私は、転がってる人を見て思わずUターンしようとした・・・けれど。

「あーあ、逃げちゃったじゃない。暖かかったのに」

私が近づいた事で、聖さまのお腹の上で一緒になってくつろいでいた猫が逃げた。聖さまは猫が逃げた方を見つめていて、

少しも私を見ようとはしない。でも、それは私も同じだった。誰が見るものか。

皆のものを自分だけのものにするような奴は大嫌いなんだ。

そう・・・例えば祐巳さまのような人を、独り占めするなんて絶対に許さない。あの人は誰のものにもなっては・・・いけない。

「どうしてここに居るの?祐巳ちゃんを守るんじゃ無かったっけ?離れていい訳?」

まるで口笛でも吹くような口調に、私はカチンとした。バカにされている・・・それは、誰がみても一目瞭然だった。

「私はストーカーではありませんから。四六時中追い回してたあなたとは違います」

理事長が言っていた。聖さまの評判を皆に聞いて回った時に。

何でも聖さまはストーカーまがいの事までして祐巳さまを困らせていたのだ、と。

優しい祐巳さまの事だからそんな聖さまに今はきっと付き合ってあげてるだけなんだ。そう・・・思いたい。

「誰に聞いたのよ、そんな話」

「理事長にです」

「蓉子のやつ・・・余計な事をベラベラと・・・で、君はそれ信じたんだ?」

信じた、というよりは、信じたいって気持ちの方が大きい。だってその話をした時の理事長の顔はとても優しかったから。

本当は多少脚色してるんだということも、分かってる。でも・・・負けたくない。祐巳さまは・・・渡さない。

私以外の誰も、祐巳さまを守ってやれるとは思わないから。

「当たり前です。他の方のあなたに対する意見はどれも似たようなものでしたから」

「ふーん。敵情視察って奴?大変だね、君も」

「っ!!」

この人・・・大嫌いだ。完全に人を馬鹿にしたような態度・・・祐巳さまはどうしてこんなのと!

その時だった。聖さまがゆっくりと立ち上がって私を見上げて言った。

「どうでもいいけど、祐巳ちゃんは誰かに守られるほどか弱くないよ。あの子はああ見えて案外図太いんだから」

性格キツイしね。それだけ言って聖さまは中庭を後にした。・・・私の方がずっと背が高い。間違えた事も言ってない。

それなのに・・・動けなかった。聖さまはただ笑っただけ。私の顔を見て。それだけ。なのに・・・どうして言い返せなかったのか。

どうしてこんなにも・・・負けた気がするのか・・・。悔しくて仕方なかった。あのバスケに負けた日のような強迫観念。

私は・・・どうしてここにやってきたの?どうしてここで働く事にしたの?その意味が、今大きく揺さぶられているような気さえする。

「祐巳さま・・・どうしてあの人なんですか・・・」

ポツリと呟いたけれど、あの日のようには助けてくれない祐巳さま・・・私は今、こんなにも・・・苦しいのに・・・。


第百十五話『瞳子の気持ち』


聖さまが言っていた保健医は、何てこと無い普通の人だった。それどころか、ドジだし抜けてるし、ちょっと天然も入ってる。

おまけに生徒達には『祐巳ちゃん』なんて呼ばれてて、ケジメも何もあったものではない。

私はそういうケジメの無さは大嫌い!だって、ここは学校で祐巳さまは教師な訳だから、ちゃんと先生と呼んでもらうべきだ。

それなのにそれをなぁなぁにするのは許せない。

他の先生までもが祐巳さまを甘やかして、保健室で一緒になってお茶飲んだりお菓子食べたりして・・・もう耐えられない!!

「祐巳さま!保健医なら保健医らしく、ちょっとは真面目に怪我の手当てとかしたらどうです!?」

「と、瞳子ちゃん?ど、どうしたの・・・突然・・・」

保健室のドアを勢いよく開けた私の目に飛び込んできたのは、祐巳さまの膝枕で眠る聖さまで・・・。

「こ・・・ここは学校ですよ?!そんな事してて恥ずかしくないんですかっ!!!」

私は怒鳴った。思い切り。すると私の怒鳴り声に目を覚ました聖さまが大きな欠伸をして一言。

「やっぱりドリルちゃんは喉の鍛え方が違うよね。聞き取り易いわ」

・・今は正直そんな事どうでもいい。でも・・・ちょっとだけ嬉しかった。別に聖さまに褒められたからって訳じゃない。

でも・・・ちょっとだけ、嬉しかったんだ。ワガママを言えば、いい加減名前を覚えて欲しいところだけど・・・まぁ、もうそれはいい。

「ご、ごめんね?ほら!聖さま、起きてください!!」

「えー・・・まぁ、いっか。それじゃあ、また帰りにね」

「はい!それじゃあ」

そして聖さまは退出。私達は二人きりになった。言いたいことや文句は沢山あったのに、何故か一つも出てこない。

そんな私を見て、祐巳さまはいそいそとお茶の準備をしている・・・この人、本当に保健医なのかな・・・。

そんな疑いまで湧いてくる。どっからどう見ても普通の人。それなのに聖さまはどうしてあんなにもこの人に固執したんだろう。

だって、絶対花寺の方がお得だと思う。お給料だって、待遇だって。でも、聖さまはそれを断った。

確かに、花寺では自由がきかないという点においては聖さまには向いてないかもしれない。

でもあの聖さまだ。絶対花寺でもどこの学校でも散々自由にやるに決まってる。それでも聖さまが花寺を断った理由。

それが・・・。

「はい!これが瞳子ちゃんの分ね!お砂糖はいる?」

この人・・・この人が居るからってだけで、聖さまはいい就職口を蹴ったんだと思うと、何だか意味もなく腹が立つ。

私は祐巳さまの言葉に首を振ると、今しがた淹れてくれたお茶を飲んだ。・・・あ・・・美味しい・・・。

祐巳さまに関して一つ追加。お茶を淹れるのは・・・上手い。

「祐巳さまはどうして生徒達に先生と呼ばせないんです?」

「へ?え・・・えっと・・・それは、その・・・」

モジモジと俯いて答えに躊躇ってた祐巳さまの代わりに聞こえてきた声・・・それは・・・。

「祐巳ちゃんで定着しちゃったからよね?祐巳ちゃん」

「・・・SRG・・・」

そう、体育の教師で、聖さまのお姉さまでもあるSRGだった。そう言えばこの人・・・昨日もここに居たっけ。

SRGはそれだけ言って当然かのように祐巳さまの隣に座ると、祐巳さまに自分の分のお茶を注文する。

ここはまるでどこかの喫茶店のようだ。私がそう思ったのは・・・言うまでもない。

それにしてもこの二人・・・異様に仲良くない?そんな風に考えると、どんどんそんな風に見えてくる。

「仲・・・いいんですね・・・」

私の言葉に、二人はお互いの顔を見合わせ笑った。

「そりゃあ何たって祐巳ちゃんのファーストキスの相手は私だし・・・ねぇ?」

そんな風に笑うSRGの顔が優しい。それに対して祐巳さまは苦笑いして照れている・・・まさか・・・この二人・・・?

「もう!SRG!そういう冗談止めてくださいよ!」

「冗談だなんて!私はいつだって本気よ!」

「はいはい。お菓子はこれでいいですか?」

「ええ、ありがと」

楽しそうに話す二人。でもちょっと待って?祐巳さまは確か・・・聖さまと暮らしてるんじゃ・・・なかった?

私の中の疑問符がどんどん大きくなってゆく。詮索すべきではない。それは分かっているのに、何かがモヤモヤする。

だって、聖さまは祐巳さまの為に花寺行きを断ったのに・・・当の祐巳さまがこんな・・・こんな・・・。

私はお茶のカップをそっとテーブルの上に置くと、席を立った。

「瞳子ちゃん?もういらないの?」

「私・・・あなたの事、軽蔑しそうです」

「「・・・は?」」

ピタリと重なる声が、余計に腹立たしい。聖さまと付き合っているのに学校でこんなにも堂々とSRGと仲良くする祐巳さまを、

尊敬など出来る訳がない。これじゃあ聖さまがあんまりにも可哀想だ。

それだけ言って保健室を出て行った私は、真っ直ぐに聖さまを探した。聖さまを探して何が言いたいのかは分からないけれど。

学校中を走り回った私は、ようやく聖さまの居場所を突き止めた。それは、視聴覚室の準備室だったんだけど・・・。

中から聞こえてくる楽しそうな笑い声に、甘い声に私は自分の耳を疑った。

「なによ、こっちのが気持ちいいの?」

「ん・・・そ、そこ・・・です・・・」

「じゃあこれは?」

「ひゃうっ!!」

祐巳さまの甘い声に、聞いた事もないような聖さまの優しい声。

さっきまでの保健室でのSRGと居たときの光景が脳裏を掠める。

「・・・・何よ・・・・これ・・・・きゃあ!!」

立ち尽くす私の肩を叩いたのは、乃梨子さんだった。驚いて目を丸くしてる私を見て不思議そうな顔をしている。

「こんなとこで何してんの?瞳子」

「べ、別に?なんでもありませんわっ」

「そう?あ、中に聖さま居る?」

中・・・?確かに聖さまは中に居る。でも、でも・・・今は・・・。私はだからクルリと踵を返した。

「ちょっと!瞳子―?」

乃梨子さんの声が廊下にこだまする。でも、私は振り返らなかった。いや、振り返れなかったのかもしれない。

それぐらい、私は祐巳さまに腹を立てていた。私はその足でお姉さまの元へと向うとしがみついて子供ように泣きじゃくった。

何故かは分からないけれど、涙が次から次へと溢れてくる。この感情は一体何なの?

私は・・・誰を思って・・・泣いてるの?その答えは簡単だった。

裏切られているとも知らないで祐巳さまに優しくする聖さまを思って泣いているのだ。

別に聖さまが好きって訳じゃない。でも・・・尊敬はしてる。伝説の薔薇様の一人と呼ばれた聖さま。

そんな人を、知らないとはいえ二股かけるような祐巳さまの態度に腹が立つ。だからこれは、悔し涙なのだ。

何だかリリアンが穢されたような、そんな気がして・・・。


第百十六話『寂しい病』


「ただいま〜・・・」

私はその声を聞いてベッドから飛び起きた。

こんな生活が始まって二週間とちょっと。最近私達は聖さまの仕事の都合でバラバラに帰ることが多かった。

聖さまがやっと帰ってきたんだ!!それだけの事なのに嬉しくて仕方ない。

だって、ほんの数時間しか離れてなかったとはいえ、やっぱり嫌だったんだ。同じ家にバラバラに帰るのは。

聖さまが花寺に行ってた間だって行きも帰りも一緒だった。

それなのに・・・どうして同じ所に通ってるのにこんなにも寂しい思いをしなくちゃならないかのか、と!

私はクリスマスにSRGに貰ったヒラヒラのネグリジェのまま、聖さまを出迎えに玄関へと走った。

よくよく考えれば・・・相当恥ずかしいけどね・・・まぁ、それはあれだ。愛には勝てなかったって事だ、きっと。

「聖さま!お帰りなさい!!」

聖さまは靴を脱いでた。その背中に勢いよく飛びつくと、聖さまから変な声が漏れる。

「た、ただいま・・・お、重いんだけど・・・」

「えー・・・痩せましたよ?」

「いや、そういう問題じゃなくて・・・ま、いいや。ところで・・・凄い格好ね」

聖さまは私のはしたない格好を見て苦笑いを浮かべる。何よー・・・もうちょっと喜んでくれてもいいじゃん。

せっかくコレ着たのに・・・って、もしかして私・・・欲求不満なのかな!?いや、違うもん!そうじゃないもん!!

「だ、だって・・・聖さま遅いから・・・」

ネグリジェの裾を引っ張ってモジモジする私を見て、ようやく聖さまは笑ってくれた。

「ん、ごめんね?ところで今日の晩御飯なぁに?」

「ハヤシライスですよ!ちゃんと生クリームも買ってきました!」

私は自信満々に胸を張ってそう言った。するとそれを聞いた聖さまはにっこりと笑う。

前にね、ハヤシライスの時生クリームを忘れて凄く怒られたんだよね・・・ほんと、そういうこだわりは凄いのよね、この人。

「よし、偉い偉い」

ヨシヨシってする聖さまの手が、私は好き。こうやって些細なことを褒めてくれる時の聖さまの顔が好き。

そんでちょっとだけ恥ずかしそうにキスする聖さまが・・・・好き。

私はまるで犬みたいに聖さまの後をついて回って、いい加減なところで聖さまに鬱陶しがられた。

私の頬を軽く抓ってテレビから視線を外さずに・・・。

「分かった分かった。これ終わるまでちょっと待っててね」

って・・・。何よ・・・私よりもテレビのがいいわけ?ウチは新聞とってない。新聞は聖さまがいっつも朝英字新聞を買う。

だから聖さまはその日起こった事とかをちゃんとニュースで確認する。

聖さまが真剣にテレビを見るのはこのニュースの時だけだって事は私もよく知ってる。

でもね・・・寂しいの・・・凄く。寂しかったの・・・。

だから私は黙ったまま聖さまの背中にピットリと背中をくっつけて一緒にニュースを見てた。

少しでも・・・どこかがくっついていないと、不安だったんだ・・・。やっと聖さまがご飯を食べ終わってニュースも終わった頃、

私は今度はお風呂の脱衣所で聖さまが出て来るのを待ってた。

「うわ、ビックリした!ずっとここに居たの?」

聖さまの質問にコクンと頷いた私は、まだ濡れたままの聖さまに抱きついた。

顔を胸に埋めて、その心臓の音を確認する。そんな私の身体をそっと離した聖さまは困ったように笑う。

「なぁに、どうしたの?寂しい病?」

「・・・かもしれません・・・」

「しょうがないなぁ、もう」

聖さまは濡れた体を拭いて私をそと抱きしめてくれた。自分でもね、鬱陶しいだろうなって思うのよ?

でも・・・どうしても寂しい時ってあるじゃない。何が原因かは分からないけど、無性に寂しくなる事って・・・あるじゃない。

「聖さまももう・・・寝る?」

見上げた私の顔を見下ろして、聖さまは苦く笑った。ああ、違うんだ。何だかそれがすぐに分かってしまって。

私は聖さまの答えを聞かずにそっと聖さまから身体を離して、一人でベッドに戻った。

そんな私の腕を聖さまが掴んだかと思うと、そのまま引っ張られてまた聖さまに抱きしめられる。

「ごめん。まだね、仕事があるの。それやってからじゃないと寝れないのよ。だから祐巳ちゃんは・・・先に寝てていいよ」

ごめんね。そういう聖さまの顔は凄く寂しそうだった。私はだから思ったんだ。これ以上、聖さま困らせちゃダメだって。

聖さまは・・・仕事だもん。寝たくても寝られないんだもん。だから・・・私を構いたくても構えないんだ。

そう・・・思い込むことに・・・した。あの広いベッドで一人で寝るって、どれだけ寂しいか。

でも、後から聖さまはやってくるんだから。そう思う事で私は我慢して一人で冷たい布団の中に潜り込んだ。

何が変わってしまったんだろう?何がこんなにも寂しいんだろう?

変わった事といえば、可南子ちゃんと瞳子ちゃんがやってえきた。それと、聖さまが担任を持った。

それぐらいのはずなのに、それしか変わらないはずなのに・・・。何かが不安で何かが・・・寂しい。

結局私はその日、一睡もする事が出来なかった。そして私の隣に聖さまが入ってくる事は・・・無かった。

朝起きたら聖さまはまだ部屋で寝てた。机の上に散らばった書類の所々の文字が解読不可能になってる。

相当疲れてたんだろうな。必死になってどうにかここまでやったんだろうな。

それは分かるんだけど、それを心から頑張ったんだ!って思えなかった。仕事と私、どっちが大事なの?

なんて聞けるほど私は逞しくないし、祐巳ちゃんだよ、って言われるほどの自信も無い。

結局私はこの宙ぶらりんな感情を押し殺してとりあえず朝ごはんの準備をするしかなくって。

朝ごはんの準備をして聖さまを起こしに行く。毎日の日課だけど、場所が違うとこうも悲しくなるものなのね。

今までさ・・・結構聖さまと喧嘩してきた。でもそのどれも必ず原因がちゃんと分かってたんだよね。

それなのに、今回はさっぱり分からない。何に私が怒ってるのか、どうしてこんなにも寂しく感じてしまうのか。

原因不明って一番性質が悪いよ。だってさ、何を取り上げればいいのか分かんないんだもん。

「おはよ〜・・・」

「・・・おはようございます・・・」

私達の朝の会話はそれで終わりだった。いや、他にも何か沢山話したような気はするんだけど、全く覚えてない。

とりあえず覚えてるのは疲れきった聖さまの顔と、多分不機嫌な私の態度。

私・・・最低だ・・・聖さまが仕事でどれだけ疲れてるとか知ってるのに。私みたいな保健医には分からない教師の悩み。

放課後遅くまで残って生徒の内申点つけたり、苦情に対応したりするのがどれほど大変かも知ってるのに。

学校についてすぐ、聖さまが保健室にやってきた。

「もう嫌っ!!」

「・・・どうしたんです?」

「今日ね・・・家庭訪問なの・・・一軒一軒生徒の家回らなきゃならないのよ・・・どれだけ時間かかるんだろ・・・」

「・・・てことは・・・今日も私一人で帰らなきゃダメって・・・事ですよね?」

私の質問に聖さまはハッって顔を挙げた。そして頭っを抱えて大きなため息を落とす。

「あー・・・そうなるね・・・。ごめん・・・でも、晩御飯までには帰るから・・・ね?」

「ええ、分かりました・・・晩御飯は何がいいですか?」

私は出来るだけ笑顔で言った。だって、聖さまだって辛いんだ。私ばっかりが辛い訳じゃ・・・ない。

結局、今日の晩御飯は聖さまのリクエストでオムライスになった。昨日がハヤシライスで今日がオムライス・・・。

何だか栄養とかが偏りそうな気もするんだけど・・・まぁいっか。

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「聖さまの・・・聖さまの・・・嘘つきっ!!!」

私は目の前のすっかり冷めたオムライスをフォークで突付きながら、ケチャップをぐちゃぐちゃにした。

YUMIって書いた字が跡形もなく分からなくなるまで。只今午後10時を少し回った所。私達の晩御飯は大概7時〜8時。

私は聖さまのオムライスをラップで包もうとしたけど・・・オムライスの上から書いたSEIって字が消えるのが嫌で、

そのまま冷蔵庫に放り込んだ。聖さまがいつ帰ってくるのか分からない。ほんの数分前に来た短いメール。

『ごめん!もうちょっとかかるから、先に食べといて』

たったそれだけ。今どこに居るのかも、何してるのかも分かんない。いや、生徒の家回ってんだろうけどさ。

それにしたって遅いよ・・・聖さま。仕事をしてればこういう事って結構あると思う。

実際私達はまだ幸せな方だとも思う。でも、それに慣れちゃいけなかったみたい。

だから今ちょっと離れただけでこんなにも・・・泣きそうになるんだ・・・。

オムライスは上手に焼けてた。近年稀に見る綺麗さだった。どこも焦げてないし、穴も開いてない。

それなのになんでだろ・・・なんでこんなにも・・・美味しくないんだろう・・・。


第百十七話『家庭訪問』


もうね、懲り懲りだと思った。車で一軒一軒回って、親にペコペコして。いや、私の場合それは殆どしなかったけども。

「先生〜、よくいらしてくれました!どうぞどうぞ、お上がりになって!」

そう言って生徒の親達は私を家の中に案内してくれてさ、絶対お茶とお菓子を出してくれる訳。

もうね・・・いいよ、ほんと。お腹一杯だから・・・。でも誰にもそれは通用しない。

それに最初のうちは確かに生徒の話してんだけど、途中からどうにも話は逸れてって・・・最後には。

「近所にね、先生、いい子が居るんだけど、どうです?」

なんて、見合い話まで持ちかけられて。これってある意味セクハラだよ、ほんと。

その度に私は真顔で断るんだけどね。とりあえず私は早く家に帰って祐巳ちゃんのオムライスが食べたいのよ。

いっつもどっか焦げたり、穴開いてたり、ケチャップで書いたミミズがのたくったみたいな字で、

私の名前が書いてあるあのオムライスが。でも・・・味だけはいつもとびきり美味しい。特に熱々のは・・・最高。

卵が半熟で割ったらトロって中身が出てきてさ。

人参と玉ねぎしか入ってないし、味付けも単調なんだけど、それでもあれが美味しいんだ、いっつも。

だからお願いよ・・・早く・・・帰らせて。

「それじゃあ、次がありますので、私はこれで失礼させていただきます」

「まぁ!もうちょっと構わないでしょう?」

「いえ、これ以上遅くなると他の方にも迷惑がかかりますので」

「そう言われてみれば・・・そうですわねぇ・・・」

嘘をついてようやくおばさん・・・もとい、最期の生徒の親が私を解放してくれたのは、既に10時半だった。夜の。

良かったよ、ほんと。さっき祐巳ちゃんにメール打っといて。でなきゃいつまでも祐巳ちゃんは私を待ってただろうし。

お詫びって訳じゃないけど、せめて祐巳ちゃんの好きなプリンを買って帰ってやろう。

私は途中のコンビニに車を止めて、祐巳ちゃん御用達のメーカーのプリンを三つほど買って急いで帰路についた。

最期のね、生徒の家は遠かった。ウチから車で一時間ぐらい。もうね・・・絶対祐巳ちゃん寝てると思うの。

案の定、私達の部屋に灯りは一つもついてはいなかった。

シンと静まり返ったマンションの駐車場にタイヤが滑る音が響き渡る。

ドアを閉める音も気を使わなくてはならないほど辺りは静まり返っていて、ほんと、もう、嫌になる。

「・・・ただいま〜・・・」

多分もう寝てしまった祐巳ちゃんを起こさないよう、静かにドアを開ける私。

鞄の中から携帯電話を取り出してカメラ用の電気を頼りにどうにかリビングに辿り着いた私は、そっとベッドを覗き込んだ。

「・・・ごめんね・・・」

小さな寝息を立てて眠る祐巳ちゃんの顔は寂しそう。

私がいつも使ってる枕を大事そうに抱きかかえてるもんだから、余計にそんな風に見えた。

どれぐらい祐巳ちゃんの寝顔を見てたのかは分からないけど、とりあえず私は冷蔵庫まで手探りで行くと、

その中に買ってきたプリを入れてその代わりに冷え切ったオムライスを取り出してそのままレンジに放り込んで・・・止めた。

レンジで温めると、卵の半熟はきっと消えてしまう。祐巳ちゃんの書いてくれた私の名前も・・・きっと消えちゃう。

それがね・・・嫌だったんだ。私はだから、冷たいオムライスを電気もつけずに一人で食べる事にした。

寂しいけど・・・仕方ない。何だかさ・・・こんな事してるとまるで本当に結婚してるみたい。

仕事から疲れて帰ってきたらさ、奥さんはもう寝てて、冷めたご飯をレンジでチン。みたいな・・・そんな感じ。

あまりにも切ないけど、それが・・・現実なんだよなぁ。だって仕方ない。ウチの奥さんも働いてる訳だし、朝早いもんね。

そんな事考えながら、私は冷えても美味しいオムライスを一人食べていた。

ただ一つだけ思うのは・・・まだ作ってくれてるだけマシだよね。冷凍ものじゃないだけ・・・マシだよね。

「うぅ・・・寂しい・・・」

せめて電気はつけたいけど、そんな事して祐巳ちゃんの起こすのも可哀想だしな。

それからお風呂に入って、祐巳ちゃんの隣に潜り込むまでの時間はそうかからなかった。

私が隣に潜り込んだ事が祐巳ちゃんに分かったかどうかは分からない。

ただ・・・祐巳ちゃんはこっちを向いて満面の笑みを浮かべたんだ。そしてそのまま私の腕を抱きしめる。

もうね・・・ほんと、可愛い。ていうか、これは反則。

祐巳ちゃんは自分の事を寂しい病だって言ってたけど、実は私もそうだったのかもしれない。

私はそっと祐巳ちゃんの上に跨ると、起きないようにキスした。

お姉さまが祐巳ちゃんにあげたこのネグリジェが私の性欲を満たす為に一役かってくれる。

ゆっくりと祐巳ちゃんの首筋から鎖骨に舌を這わせると、祐巳ちゃんはピクンと体を震わせて・・・。

寝ててもちゃんと感じるもんなんだな、なんて考えながら私はそのまま祐巳ちゃんの胸に顔を埋めて、

既に尖った先端を口に含んだ。舌を使って舐めたり噛んでみたりする。

「ん・・・ぅん・・・」

甘い声は漏れるのに、祐巳ちゃんはまだ起きない。どうして?普通こんな事されたら起きるでしょ?

胸をいくら触っても舐めても体を捩るばかりで祐巳ちゃんは一向に起きる気配がない。

でもね・・・これが失敗だったのかもしれない。だってね、こんな事したばっかりに・・・私・・・。

「うわ・・・どうしよう・・・我慢出来ないかも・・・」

そう言えばここんとこずっとエッチしてなかったっけ。ふとそんな事を思い出した私。

今までは必死になって祐巳ちゃんの体とかを出来るだけ視界に入れないようにして耐えてきたけど、

もう・・・無理・・・。だってさ、最近になって何故か祐巳ちゃんは毎日のようにコレ着るんだもん。

まるで私を誘ってるみたいに。酷くない?一生懸命我慢してるのにさ!

私は軽く祐巳ちゃんを睨んでサラサラの髪を一束つまみあげる。

「伸びたね、髪」

大分前に言った言葉を祐巳ちゃんが覚えてくれてたのかどうかは分からないけど、私いはそれが嬉しくて。

「ねぇ・・・起きないの?」

祐巳ちゃんが起きないならその方がいい。いっそ、一人でも・・・別にいい。

私はそっと祐巳ちゃんの胸に触れた。その瞬間ピクンって祐巳ちゃの身体が震える。

ごめんね・・・祐巳ちゃんを使ってこんな事する私を・・・許してね・・・。

心の中でそんな事をポツリと呟いた。私は自分で自分の胸を触った。先端はすでに硬い。

祐巳ちゃんを見てるだけでもうこんなになる自分を、恥ずかしいとは思わない。

でも・・・止められない自分が・・・情けない。私はそっと服を脱いだ。出来るだけ音を立てないように。

そしてもう一度祐巳ちゃんに跨ってさっきよりもずっと強く胸の先端を弄る。

「ん・・・っふ・・・」

漏れる声が、熱くなる身体が苦しくて堪らなくて。今祐巳ちゃんはどんな夢を見てるんだろう?

そこに私は出てきてるかな?そんな事を思うだけでもう私は濡れてくる。

祐巳ちゃんの耳を甘く噛んで、その反応を確かめながら私は自分の胸を慰める。

こんな事したって結局自己満足でしかないのは分かってる。でも・・・切ないよ・・・。

「ぁん・・・んん」

一人でするのは慣れてる。でも・・・こんなのは・・・初めてだった。好きな人が、抱きたい人が目の前で寝てるのに、

その寝顔を見ながら一人でするのは・・・初めてだったんだ。いつ起きてもおかしくない。

そんな状況が余計に私を興奮させるのかもしれない。段々息が上がる私と、幸せそうに眠る祐巳ちゃん。

何て・・・対照的なんだろう。私は祐巳ちゃんに自分の愛液がつかないよう腰を浮かせ、そっとそこに触れた。

「ッ・・・ん・・・」

自分でも分かるほど濡れた私の中心。ゆっくりと指を差し入れて中から溢れる愛液を、熱を収めようとするけど、

いくらそれをしたって無駄なのはとうに分かってる。いつも私が祐巳ちゃんにするみたいに指を動かして、

必死になって声を殺した。心の中で願うのは、どうか起きないで。こんな私を・・・見ないで。

いや、いっそ見られてしまってもいいかもしれない。そうすれば、いつもみたいに二人で出来る。

でもね・・・これは私の秘密の行為だったんだ。誰にも知られちゃいけない、秘密。

次第に私は声はを押し殺せなくなっていた。シンとした部屋に響き渡る水音は段々大きくなる。

自分の体は自分が一番よく知ってる。私は指を中に差し入れたまま、もう片方の手で一番敏感な場所に触れた。

そして強く擦る。

「ふぁ・・・んッ・・・はぁ・・・あ・・・ん」

ああ・・・もうダメ・・・。ふと下を見ると、私から流れた愛液が祐巳ちゃんの中心にポタポタと流れ落ちていて・・・。

それがね・・・どんなに官能的か分かる?これ以上ないほど満たされた気分になるんだ。

でも、それと同じぐらい罪悪感が募って・・・。

「でも・・・も・・・とまっ・・・ないよ・・・ぅん・・・ふぁ・・・」

浮いたような感覚に私の中は締まる。胸を触るよりも、一番敏感な所を弄るよりも、祐巳ちゃんの寝顔の方がずっと・・・。

私は祐巳ちゃんの首筋に顔を埋め、絶頂の時を待った。そしてまるで呪文みたいに耳元で祐巳ちゃんの名前を呼ぶ。

「ゆ・・・み・・・愛して・・・る・・・んッ・・・っく・・・だい・・・すき・・・ねぇ・・・返事・・・してっ・・・よ・・・っぅん・・・」

私から流れ出た愛液はまだ止まることなく祐巳ちゃんの中心に落ちてゆく。

たまにそれが光るのを見ながら、私はさらに指を激しく動かした。祐巳ちゃんなら絶対にこんな風にはしない。

もっと優しく私に触れる。でも・・・私は本当はそんなんじゃ・・・満足出来ないんだ・・・。

グチャグチャになるまで掻き回して、頭の奥が段々ボンヤリしてきて・・・そして・・・私は体を大きく仰け反らせた。

「ん・・・あッ・・・ァぁぁぁぁんっ!!!・・・ふぁ・・・はぁ・・・っふ・・・ん・・・祐巳・・・ちゃん・・・ごめん・・・ね・・・」

ごめんね。こんな事する私を・・・嫌わないで・・・。

私は肩で息をしながらゆっくりと中から指を出すと、いやらしく糸を引く自分の愛液をそっと祐巳ちゃんの唇に塗った。

そしてそっと口付けてそれを舐めとる。ほら・・・こうすればまるで祐巳ちゃんが今まで私を舐めてくれてたみたいじゃない。

虚しいのは・・・分かってる。でも・・・こうでもしなきゃ収まらない。そしてそのまま祐巳ちゃんの胸に顔を埋める。

どれぐらいそうしてたのかは分からない。

でもふと思い立って私は立ち上がると祐巳ちゃんの上から降りて、そしてそのまま祐巳ちゃんのネグリジェを脱がせた。

「これはやっぱ・・・洗っとかないとね・・・」

多分、明日の朝起きた祐巳ちゃんはビックリするだろう。どうして裸なの!?って。

でも、教えてなんてあげない。だって、起きなかった祐巳ちゃんが・・・悪いんだから。

「祐巳ちゃんの・・・バカ・・・」

「んー・・・しぇいしゃまぁ・・・しゅきー・・・」

可愛らしい声で笑って言うなよ!私はそんな祐巳ちゃんのおでこを軽く小突くと、言ってやった。

「遅いよ!」

でも・・・ほんのちょっと愛は伝わったかな?私の声・・・聞こえてた?ねぇ・・・祐巳ちゃん。

何度も何度も伝えた言葉・・・どれか一つくらいは・・・聞こえてたかなぁ?


第百十八話『無意識ってほんと・・・怖いよね』


今朝起きたら、私は何も着てなかった。ちょ、ちょっと待って!わ、私・・・どうして裸なの!?

ふと隣を見ると、そこにはいつものように聖さまがまるで猫みたいに目を細めて眠ってる。

でもね・・・聖さまも・・・服着てないのよ・・・な・・・何故・・・。

私は布団から這い出ると聖さまを起こさないようベッドの下とかシーツの間とかをゴソゴソと探したんだけど・・・。

やっぱりどこにもネグリジェが無い。ど・・・どうしてーーーっっ?!

わ、私・・・まさかあまりにも欲求不満で知らないうちに聖さまを襲っちゃった・・・とか?

だって、普通されたら・・・起きるよね、流石に。でも夜中に起きた記憶は無い。

てことは、私が聖さまに何かしたって考えた方が自然。そ、そういえばいやらしい夢見たような気もするし・・・う、嘘でしょ!?

そんな・・・私はチラリと自分の眠ってた場所を見て更に驚いた。

「ふぉぁぁぁ!!」

聖さまはいつもエッチが終わったら絶対にシーツを換える。

それは、事の後のシミがシーツに残るのが嫌だからって理由らしいんだけど・・・。

今!正に今!!昨日のシーツじゃないわけよ!!!

てことは・・・私は慌てて足に巻きつく毛布を蹴っ飛ばして裸のまんま洗濯物の籠の中を見て青ざめる。

「シ・・・シーツ・・・それに・・・私のネグリジェ・・・あ!せ、聖さまのパジャマまでっ!!!」

嘘でしょ・・・ちょ、誰か嘘って言って・・・お願いだから・・・。その場にへたり込む私の後ろから、う〜ん、って声が聞こえた。

チラリと振り返ると聖さまが大きな伸びと欠伸をしていて・・・。私はもう、聖さまに合わす顔が無くて。

だって・・・何かしたならしたで構わないけど、まさか覚えてないなんて!!ありえない・・・ていうか、絶対怒られるに決まってる。

だから私は腹を括った。どうせ怒られるんなら素直に謝ってしまった方がまだマシだと思った。

「せ、聖さま!」

「は、はい?」

ベッドに慌てて飛び乗った私は驚く聖さまの目の前でそのまま大げさに土下座して叫んだ。

「ごめんなさいっ!!わ、私としたことが、まさか寝ぼけて聖さまを襲うなんてっ!!!ほんっとうにすみませんでしたっ!!」

私はね、謝ったの。素直に。でも、聖さまは何も返してくれない・・・ヤバイ・・・これは相当怒ってる?

怖くて顔が挙げられない私に、聖さまがポツリと言う。

「そんな・・・酷い・・・祐巳ちゃん・・・覚えてないんだ?」

「だ、だからそれは、その・・・ご、ごめんなさいっ!!!」

うーーーーぁぁぁぁ・・・絶対絶対落ち込んでるよ、聖さまっ。ど、ど、ど、どうしよう?どうしたらいいの???

恐る恐る顔を挙げた私の目にどことなく涙ぐんだ聖さまが写る。

大きなため息を落として土下座する私を見下ろす聖さまの顔を直視することが出来ない。と、その時だった。

突然プッって噴出す声が聞こえて、それから・・・笑い声。

「せ・・・聖・・・さま?」

「や、ごめんごめん!違うって、私別に何もされてないよ!」

「・・・はっ?」

「だから、私は何もされてません。だから祐巳ちゃんの勘違い」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

・・・・・・なんだ・・・・そうか・・・私が覚えてなかった訳じゃないんだ・・・で、でも!だったらどうしてシーツが変わってるの?

それにどうして私は裸なの!?おまけに聖さままでっ!!!誰がどう見たって何かした後みたいに見えるじゃない!!

でも私のそんな質問に聖さまはケロリとして答えた。

「やー・・・それが寝しなにお茶零しちゃって。ごめんね?ビックリしたでしょ?」

「び、びっくりしたなんてもんじゃありませんよっ!ほ、本当に私、一種の記憶障害か何かかと・・・」

いや、多分完全に寝惚けてたんだろうけど。実際何かあったとしたら。

「ごめんごめん。ほら、早く服着て、でなきゃ風邪引いちゃう」

「へぁ?あ、ああ・・・そ、そうですね・・・」

私は枕元に置いてある時計を見て慌てて服を取りに部屋へ戻った。だって、も、もうこんな時間!!

それにしても・・・ほんと、心臓に悪いんだから。何よ、お茶なんて零さないでよねー。

・・・つか、いっつもは私がベッドの上で何か飲んだり食べたりしたら怒るくせに・・・ほんと、自分勝手なんだから、聖さまは!

服を着替え終えてリビングに出て来ると、聖さまは既に洗濯機の中にシーツとかを詰め込んで回している。

「帰ってきたら干さなきゃな・・・いい加減思いっきり洗濯と掃除がしたいのになぁ」

「そうですねぇ・・・週末も何だか忙しいですもんね・・・」

最近平日だけじゃなくて週末まで忙しい。聖さまが。

ていうのも、何故か週末になると毎回毎回可南子ちゃんから連絡があるのよね。で、その度に聖さまが借り出される訳で・・・。

で、結局朝から晩まで可南子ちゃんに付き合わされて聖さまは毎週毎週学校へと出かけてしまう。

帰ってきてから何だったんです?って聞いたら、それが案外大した用事じゃないんだよね・・・。

だから聖さまは最近かなり不機嫌。ちなみに・・・私も。でもそれを言ったって・・・どうしようもないしな・・・はぁぁ・・・。

私は大きなため息を落とした。隣から私のよりもずっと大きなため息が聞こえてきて、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。

「さて、それじゃあ学校行こっか」

「はい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の保健室は静かだ・・・そんな事に気づいたのはお昼になってからだった。

誰も怪我で来ないし、先生方も誰も来ない。こんなにも静かな保健室は、一体いつぶりぐらいだろう。

廊下や外から楽しそうな笑い声とか、先生の怒鳴り声が聞こえてくるたびに妙に寂しくなって、

私の寂しい病はまだ健在なんだって気付かされる。この病気ってほんと、やっかいだよなぁ。

だってさ、これっていう特効薬が無いんだもん。

いや、あるにはあるんだけどさ・・・でも・・・その特効薬も今はここには居ない訳で。

その時だった。突然保健室のドアが開いて誰かが入ってくる。

「祐巳さま」

「可南子ちゃん・・・授業は?」

「この時間は私の担当はありませんので」

確かに。でなきゃ来ないよね。私は相変わらずトンチンカンな質問を・・・。

これが聖さまなら絶対バカにされて笑われるんだろうな。まぁでも、可南子ちゃんはそんな事絶対に言わないけどね。

「で、どうしたの?」

「いえ・・・別に用事があって来た訳ではないんですが・・・」

そう言って保健室の中を見渡す可南子ちゃん。

何か面白いものでもあったのかな?でも可南子ちゃんの視線は私が思うよりもずっと鋭い。

「どうかした?」

「今日はあの人・・・居ないんですね」

「あの人って・・・聖さまの事?」

「ええ、そうです」

聖さまねぇ・・・そう言えば聖さま今頃どこで何してるんだろう。最近聖さまの時間割見てないからなぁ。

聖さまが担任持ってから私は時間割を見るのを止めた。だってね、担任の先生ってやることが本当に一杯なんだ。

だからそれ見ると悲しくなっちゃうんだよね・・・だからもう見てない。

よくよく考えれば、聖さまは私だけの聖さまじゃないんだもん。こういうすれ違いは仕方ないのかな?って思う。

いや、思うようにしてる。黙り込んだ私を見て、可南子ちゃんが心配そうに言う。

「あの人の事・・・考えてるんですか?」

「ん?あ・・・ごめん!今お茶出すね!」

いけないいけない。可愛い後輩にまで心配かけて何やってんだ、私は。

いそいそとお茶の用意をする私を見て、可南子ちゃんは自分でやると言って聞かない。

あまりにも自分でやると言ってきかないものだから仕方なく私が譲ると、嬉々として可南子ちゃんはお茶を淹れだした。

「祐巳さまは・・・どうしてあの人とお付き合いしてるんですか?」

突然の可南子ちゃんの質問に私はお茶を噴出しそうになった。ていうか、なに、突然!!

「ど、どうしてと言われても・・・そうね・・・初めて私から好きになったから・・・かな」

「・・・初めて?」

「うん。私の初恋なのよ、聖さまは」

だって、あの人ほど・・・私の心に入り込んできた人は居ない。今までも、多分・・・これからも。

「それじゃあ・・・祐巳さまから告白を?」

「うん。一応・・・そうなるかな」

あの日、大胆なプロポーズをされたけど、厳密には私の方が先に聖さまに好きって言ったんだもんね・・・。

ああ・・・今思い出しても胸がドキドキする。あんなにも映画みたいな告白されるなんて・・・思ってもみなかったもん。

あの時だけは、私は物語の主人公になれたような、そんなくすぐったいような気分だったんだ。

そしてそんな気分を味わせてくれるのはこれからも後にも先にも聖さまだけだと思うの。

だからこそ大事にしたいと思うし、こんなにもずっと一緒に居たいと思うんだ・・・きっと。

「じゃあ祐巳さまは一生このままあの人と過ごしていくつもりですか?」

「・・・どういう・・・意味?」

「あの人は・・・今まで何人もの人と付き合ってきて、おまけに二股とかも平気でかけるような人でも?」

「・・・確かに、聖さまはそういう人だったかもしれない。でもね、可南子ちゃん。

私は聖さまを信じたいし、それに浮気されたらその時はその時だよ。

今のところ聖さま以外の誰かと付き合いたいとは思わないし、もしも聖さまが浮気したって・・・私はきっと許しちゃう」

そう・・・それぐらい聖さまが好きなんだ。もしも聖さまが他の誰かと関係を持ったとしても、きっと私はそれを許すだろう。

そりゃめちゃくちゃ怒ると思うけど、でも離れるよりっは・・・ずっといい。もう聖さまの居ない生活なんて・・・考えられない。

私の言葉を聞いて可南子ちゃんは眉をしかめた。

「祐巳さまは・・・何も分かってない!信じてた人に裏切られるのがどれほど・・・どれほど傷つくか・・・。

私は・・・そんな祐巳さまを・・・見たくない。聖さまは今は確かに浮気しないかもしれません。

でも、あの人には祐巳さまを守れない。あの人は何よりも自分が大切な人ですから」

「・・・それでもいいよ。私は誰かに守って欲しいだなんて思わないもの。聖さまは聖さまを大事にしてくれればいい。

何があっても自己責任。聖さまはいっつもそう言うけど、それはそうかもなって思う。

私は聖さまのために自分を守る。聖さまは私のために自分を守る。だからそれで・・・いいんだよ」

だって、もしも私のせいで聖さまに何かあったら・・・そんな事を考えると怖くて仕方ない。

それならばお互いがお互いの為に自分を守るのが一番いいと思うもの。だから聖さまが言うのは、あながち間違いではない。

好きだからこそ、そう言うんだって私は知ってるもの。聖さまはああいう人だからすぐに誤解されちゃうけど、

あの自分勝手な言動の裏には聖さまなりの優しさが隠れてるんだ。

なかなか見えにくいけど、それが見えた時に私は好きだと思った。この人しか居ないって・・・思ったんだ。

「ねぇ可南子ちゃん。聖さまは・・・私の好きな人なの。愛した人なの。だからお願い・・・そんな風に言わないで?」

私の顔をチラリと見た可南子ちゃんの顔は、まるで私を責めるよう。・・・そんな顔・・・しないでよ。

そんなにも聖さまのこと・・・嫌わないでよ・・・。でも、私の言葉は可南子ちゃんには・・・届かなかった。


第百十九話『タバコ』


家に帰っても誰も迎えてはくれない。最近ずっとそう。遅くまで続く残業とこの現状が私のストレスを倍増させる。

「・・・久しぶりに吸ってみようかなぁ・・・」

ポツリと呟いた声が静かな職員室に響く。今日も保健室の明かりはついてる。あの日から毎晩あそこの電気はつく。

私はそれを見るのが嫌で毎晩毎晩カーテンを閉める。こんな毎日が一体いつまで続くんだろう?

一体いつになったら終わるんだろう・・・何だか果てがないような気がして更に気分は落ち込む。

パソコンの電源を切った私は、校舎の外に出て大きく伸びをした。

月明かりが銀杏並木を照らして木々の囁き声を私に届ける。でも・・・私がそれを理解することは出来なくて。

車をゆっくりと発進させた私は真っ直ぐにいつものコンビニへと向う。

最近毎晩このコンビニにお世話になるから、もうすっかり従業員の男の子と仲良しだ。

「お!ちわっす!今日もおにぎりっすか?」

「まぁねぇ・・・今日のオススメは?」

暇そうなレジのカウンターに肘をかけてそう言うと、男の子は笑った。

「そんな寿司屋じゃないんすから・・・昨日と一緒っすよ!」

「そりゃそうだ」

私は店内を物色していつものように梅のおにぎりと・・・おかかを手に取った。

「今日はおかかもなんすね?」

「うん。彼女が好きなのよ、これ。ベストオブおにぎりはおかからしくて・・・普通梅だよね?」

私の質問に男の子は沢山ついたピアスの一つを弄りながら小さく笑った。

煌々と光る蛍光灯の下で彼の綺麗な金髪が鮮やかに光る。

「・・・逢いたいんでしょ?」

「そうね。出来るなら今すぐにでも帰りたいわね」

「そっすよねー・・・あーあ、俺も彼女に逢いたいなぁ。今なにしてんだろ・・・」

溜息まじりに呟く声が私の心とピタリと重なる。だから私は思わず声を出して笑ってしまった。

恥ずかしそうに俯く少年が何だか可愛い。人は見かけによらないって言うけど、あれって本当かもね。

なんて、この少年を見ていたら思う。見てくれは派手だけど、中身は私と一緒。ただ・・・彼女に逢いたいんだ。

「さ・て・と。仕事に戻らなきゃ。あ、ついでにセッタちょうだい」

「へ?タバコっすか?吸うんすか?」

「うん、久しぶりにね。咽なきゃいいけど」

そう言って私はお会計を済ませて買い物袋を受け取ると、店を出ようとしたんだけど、少年に呼び止められて振り返った。

「ところで気になってたんすけど、仕事なにやってんすか?」

「私?私は高校のセンセーだよ」

「えっ?!」

少年の驚いたような顔がおかしかった。きっと思ってもみなかったんだろう。でも、次の瞬間彼は言った。

「嘘でしょ?そんな教師居んの?」

「こらこら、どういう意味よ?」

「だって・・・いや、マジありえないし!つか、不良教師じゃん!!俺、補導対象じゃん!!」

確かにちょっと当たってるような気もするけど・・・それにしても失礼だ。まぁ別に構わないけどさ。つうか、君ね、慌てすぎ。

だから私は言ってやった。ちょっとした仕返しのつもりで。

「ふ〜ん・・・学校に内緒でバイトしてんだ?学校どこ?」

私のその一言に彼は突然身構えて、オドオドしだした。ほんと、これぐらいの歳の子は素直で可愛い。

「う・・・ま、まぁ・・・そうなんすけど・・・いや・・・その・・・」

「なんてね。別に誰にも言やーしないよ。あんたが居なくなったら私、誰と話して気分転換すりゃいいのさ」

ここ最近毎日この子と話をして気分を紛らわせてた。その子まで居なくなったらきっと、私はもっと落ち込む。

そのつもりでそう言ったんだけど、彼はそれを聞いてホッと胸を撫で下ろし笑って言う。

「センセーみたいな人が担任だったら良かったのにな」

・・って。それを聞いて私は何故か泣きたくなった。どうしてかな。

だってさ、私、今の今まで担任なんて心底嫌で嫌でしょうがなかったんだ。

祐巳ちゃんには逢えないし、毎日毎日おにぎりだし。

でも・・・他校の生徒にこんな風に言われて、まるで私の心を見透かされたみたいでやりきれなかった。

ごめんね。私は・・・そんな人間じゃないよ。そんな風に言ってもらえるような人間じゃあ・・・ない。

「さて、じゃあ君も気をつけてね。補導員って奴は結構ウロチョロしてるから」

「うぁーい、ども、ありがとざーした」

ヒラヒラと手を振る私に、いつまでもいつまでも手を振ってくれていた少年。私は教師で、担任なんてやってて。

口は悪いし、絶対引き受けるべきじゃないような仕事なのに、それでも私はこの仕事についてる。

私はどうして教師になったんだろう?私はどうしてここに居るんだろう?いつかそれが分かる日が来るのかな?

彼が勘違いしたような教師に私はなれるのかな?教師って仕事に特に思い入れもなければ、

これと言って尊敬してた教師も居ないけど、祐巳ちゃんを見てるといつも思う。こんな教師になりたいなぁって。

いや、多分無理だけど。でも・・・私は私なりにやればいい。行き着く結果が同じなら、それでいい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は職員室に戻ると買ったばかりのタバコの封を切ってそこから一本取り出して火をつける。

「あぁ・・・懐かしいなぁ・・・何年ぶりだろ・・・」

車とか家じゃ匂いがつくから絶対吸わないけど、学校でこうやって残業してる間ぐらいは多少吸ってもいいだろう。

それぐらい、私のストレスはピークだった。幸いにも噎せなかったしね。あの時もそう・・・今みたいに色々悩んでたっけ。

家を出て突然始めた一人暮らしで生活は荒れてさ・・・あの両親だから、もしかしたらどっかから見張ってるかもしれない、

なんて疑心暗鬼になって。でも・・・気がつけばタバコ止めてたっけ。あれはどうしてだったんだろう?

いくら思い出そうとしても思い出せない。確か栞に怒られたような気がするんだけど・・・。

でもまたこうやって吸い始めてんだから、あんまり効力は無かったのかもしれない。

仕事が終わってカーテンを開けると、保健室にはもう明かりは消えていた。

「さて・・・と。私もそろそろ帰ろっかな」

戸締りをしてタバコを引き出しに仕舞って帰路についた私。マンションの近くまで来て部屋を見上げたら、まだ電気がついてる。

まさか・・・まだ祐巳ちゃん起きてんの?私は急いで車を駐車場に止めて階段を一気に駆け上がった。

エレベーターすら待っていられなかったんだ。それぐらい私は今、無性に祐巳ちゃんに逢いたかった。

勢いよくドアを開けて部屋の中に駆け込んだ私に驚いたように目を丸くする祐巳ちゃん。

「あ・・・ただいま。まだ・・・起きてたんだ・・・」

「え、ええ・・・明日は休みですから・・・って、聖さま?本当に・・・聖さま?」

テレビには私がよく見てる映画が映っている。しかも字幕なしで絶対理解出来てないと思うんだけど。

膝の上にクッションを置いてティッシュケースを抱えて・・・ねぇ、祐巳ちゃん・・・これ、泣くような映画じゃないよ。

「他に誰に見えるのよ?」

私の台詞に祐巳ちゃんは笑わなかった。一呼吸置いて真っ直ぐ私に飛びついてくる。

よろけた私は祐巳ちゃんを抱きかかえたままソファに倒れこんで、乱れた髪をかきあげるとそのまま祐巳ちゃんを抱きしめた。

ああもう・・・あったかいなぁ・・・。

「せ・・・さま・・・遅いですよ・・・もう!もう!!」

「うん、ごめん」

それしか言えなくて。他に言葉が見当たらなくて。その時だった。

突然私の胸に顔を埋めてた祐巳ちゃんがフンフンと鼻を鳴らして私の顔を見上げる。

「なに?」

「聖さま・・・タバコの匂いがする・・・」

「ああ、さっきまで吸ってからかな。ごめん、祐巳ちゃんタバコ嫌いだったっけ?」

確かあの酔っ払った時にそんな事言ってたのを思い出した私はそっと祐巳ちゃんを離そうとしたんだけど、

祐巳ちゃんはガッチリと私の身体に腕を回して離そうとはしてくれない。

「・・・祐巳ちゃん?」

「約束してください。もう二度と吸わないって」

怒ったような祐巳ちゃんの口調。つか、何もそんなに怒らなくても・・・あの暗い職員室で一人で居てみ?絶対吸いたくなるから。

無言の私を睨んでる祐巳ちゃん。絶対私がウンって言うまで離してくれなさそうな雰囲気がちょっと怖い。

「や、あの、今だけだから。学校でしか吸わないし」

「ダメです!そういう事言ってるんじゃなくて、別に家じゃなきゃいいとかそういう話ではなくて!」

じゃあ一体どうだって言うのよ?私の健康を損なうから、とかそんなCMみたいな事いう訳?

でも・・・祐巳ちゃんの答えは違った。ちょっとだけ体を伸ばして私にキスして静かに言う。

「口が寂しいんなら私のキスで我慢しててください。それに・・・私はタバコ吸うような人とはキスしませんからね!」

「・・・・・・・祐巳ちゃん・・・賢くなったね・・・・・・・」

なるほど。そうくるか。こんな事言われたら私はもう、タバコを止めざるをえない。

だって、どう考えたってたった300円のせいでキス出来なくなったら私嫌だもん。

降参のポーズを取った私の服をおもむろに脱がせる祐巳ちゃん・・・ちょ、何すんのよ!?

私の上着を剥ぎ取った祐巳ちゃんは満足そうにそれを持って洗濯物の籠に放り込んだ。

ふぅ!そう言ってもう一度私に抱きついた祐巳ちゃんはまた鼻をフンフン鳴らして今度はにっこりと笑う。

「聖さまの匂いだ!」

「・・・そう、そんなにもタバコは嫌いなの・・・」

私の服を脱がせるほどに。でも・・・私の言葉に祐巳ちゃんは首を振った。

「違いますよ。別に会った時から聖さまがタバコ吸ってたんなら文句言いませんよ。

私の前では止めて!って言うかもしれませんけど」

「じゃあどうして・・・」

「だって・・・聖さまの匂い・・・消えちゃうから・・・」

祐巳ちゃんはポツリとそう言って私の胸に顔を埋めた。ほんと・・・可愛い事言ってくれる。

それにしても・・・なんだ、別にタバコが嫌いだった訳じゃないんだ。ただ、私の匂いが消えるのが嫌だったんだ。

つうかさ・・・犬じゃないんだからさ!そんなので安心しないでよね!そりゃ匂いは大事だけど!

だから私は嫌がる祐巳ちゃんを押さえつけて無理矢理キスしてやった。

「じゃあ、これからはもっとキスしてよね?でなきゃ私、またタバコ吸っちゃうから」

「いいですよ?別に。それで聖さまがタバコ吸わないんなら安いもんです」

「ふーん・・・じゃあ今日は朝までキスしてていい?」

「・・・出来る訳ないでしょ」

「確かに。途中で祐巳ちゃん絶対私を蹴るもんね」

「なっ!!」

私達は久しぶりに笑った。二人っきりで・・・笑ったんだ。今だけは学校の事も仕事の事も全部忘れて。

いつの間にか、映画は終わってた。タバコはきっと、もう吸わない。今度の約束は一生続くようなそんな気がする。

まぁ・・・これは私の勘だけど。


第百二十話『ひとりぼっち』


可南子ちゃんと瞳子ちゃんがやってきて、一ヶ月とちょっと経った。

でもね、変なんだ。瞳子ちゃんがね、少しも私の目を見てくれない。

「で、この教室は音楽室掃除の子達が来たら・・・瞳子ちゃん?聞いてる?」

「ええ、聞いてますわ」

そういう瞳子ちゃん。でも・・・顔はそっぽ向いたまま。どうして?私・・・何か嫌われるような事・・・したっけ?

いくら考えても一つも思い当たらない。それに瞳子ちゃんは何故か最近やけに聖さまと一緒に居た。

聖さまと言えば、最近凄く帰りが遅いんだ・・・どうして?って聞いても何も教えてくれない。

ねぇ、聖さま・・・私、どうすればいい?こんなにもこんなにも聖さまの事好きなのに、ねぇ・・・どうすればいいの?

惚れた弱みってよく言うけど、実際それは当たりだと思う。

だって、聖さまの気配がしないだけでこんなにも・・・泣きそうになるんだから。

俯いた私に、今日初めて瞳子ちゃんから喋りかけてきてくれた。

「祐巳さまは聖さまのどこが好きなんです?あの方の事、何も知らないんでしょう?」

「な・・・なにを急に・・・」

ていうか、まるで聖さまの全てを知ってるような瞳子ちゃんの言い方が少しだけ・・・腹が立った。

そりゃ私は聖さまの事何も知らない。高校の時とか大学の時とかそういう話を持ち出されたら全くと言っていいほど分からない。

黙り込んだ私に追い討ちをかけるみたいに瞳子ちゃんは言った。冷たく、嘲るように。

「何も知らないのに、それでも好きだと思えるものなんですか?私にはそんな感情理解できませんわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

理解されなくても別にいい。何も知らなくたって好きには変わりない。だからこんな事で落ち込まない。

だって・・・私はそれが取り柄だから。・・・なんてね、そんなに私、心広くない。でも、黙っておいた。

これからずっとやっていかなきゃならないかもしれないのに、こんな所で波風立てたくない。

きっと・・・聖さまなら、そういう。だから私はにっこりと笑って言った。いつも聖さまがそうするみたいに。

「どこを好き?って聞かれても、そんな急には答えられないよ。

それに、私は聖さまが好きなの。だから過去は・・・気にならない」

上手に笑えたかな?ちょっとだけ引きつってたかもな。案の定瞳子ちゃんは納得しない様子で私を睨みつけ言った。

「なんです?それ。聖さまの過去を知るのが怖いだけでしょ?それとも聖さまが教えてくれないとか?

あなた達、本当に信頼しあってるんですか?」

クスリって笑う瞳子ちゃんを見て、心臓が止まるかと思った。こんな風に誰かに言われたのは初めてだったんだもん。

聖さまの隣を私が歩くのは、初めから様になってないって知ってる。だって、あんなにも綺麗な人だもの。

顔だけじゃない。中身だって、とても綺麗な人。そんな人がどう考えたって私と吊り合うわけがない。

案外皆・・・心ん中じゃそんな事思ってたのかな?って気になってくる。こうもハッキリと言われると。

私は聖さまを信頼してる。そりゃあんな人だから不安になるけど、でも実際の所は凄く信頼してる。

でも、こんな風に誰かに言われると・・・不安になってくる。私は信頼してるけど、聖さまは・・・どうなのかな?って。

だって、聖さまの気持ちなんて誰にも分からないよ。ましてや私達の未来には何の保証も無い。

そんな関係がいつまでも続くのかって言われたら・・・信じるしかない。でもこんな風に言われたら・・・私は・・・。

「わ、私は・・・信頼してる。でも・・・でも聖さまの事は・・・分からないわ」

「ほらね、やっぱりそうなんじゃない。そんな曖昧な感情でよく聖さまと付き合っていられますね。

私なら聖さまの幸せを考えたら、絶対に無理ですわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

聖さまの・・・幸せ?それは、私もよく考える。聖さまにとっての幸せって何なんだろう?って。

でもその答えは私がいくら考えても出るわけがない。それこそ・・・聖さまにじゃないと分からない。

私はもう、何も言えなかった。頭の中が真っ白だった。

どうして瞳子ちゃんはこんな事言うんだろう?私は、どうしてこんな風に言われてもまだ、黙ってるんだろう?

黙り込んだ私に、それ以上もう瞳子ちゃんは話しかけてはこなかった。そしてそのまま私を置いて音楽室を出てゆく。

結局その日一日、学校で聖さまと顔を合わせる事が無かった。いや・・・帰り際に一度だけ、聖さまに会ったな。

「祐巳ちゃん、ごめん!今日も先に帰ってくれる?今日も晩御飯いらないから!!」

「・・・分かりました・・・」

「ごめんね!本当にごめん!!」

私にひとしきり謝って、瞳子ちゃんに呼ばれた聖さまは私を置いて職員室へと戻って行ってしまった・・・。

担任を持つとは、こういうこと。それは分かってる。でもね・・・でも・・・寂しいよ・・・聖さま。

最後に目が合ったのは瞳子ちゃん。後ろ手で扉をピシャリと閉める瞳子ちゃんが、自分でも驚くぐらい嫌いになれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家に帰っても誰も居ない。前はそれが普通だった。いつからそれが普通じゃなくなっちゃったんだろう。

広いベッドも、最近はあんまり一緒に使ってない。

だって、聖さまは家に帰ってきたら疲れてすぐにお風呂に入って寝ちゃうから。

それが悲しくて、最近私は聖さまよりも先に寝ることにしてた。最後に一緒に聖さまと一緒に寝たのはいつだっけ?

確か・・・あのタバコの日が最後だったような気がする。あれがもう二週間も前の事。

そんな私を起こさないようにそっとキスだけして自室に戻ってしまう聖さまを見て、

そしてそのまま部屋で眠ってしまう聖さまを見て、私が毎日どんな気分になるかなんて聖さまはきっと知らないんだ。

この広いベッドで一人で眠る寂しさを・・・聖さまは知らないんだ・・・。

今日の夕飯はまた一人ぼっちだった。お笑いのテレビを見てるのに、笑ったついでに溢れてくるのは・・・涙。

「あは・・・もう、おかし・・・っふ・・・う・・・ひっく・・・」

笑ってるのか泣いてるのか、それすらももう分からなくて最近はあまりご飯も食べられない。

きっと・・・聖さまはそんな事も・・・知らないんだろうな・・・。ねぇ聖さま、私ね、この二週間で体重、ちょっとだけ減ったんだよ?

ねぇ聖さま、今、何してますか?私は・・・今日もあなたを想って・・・泣いてます。


第百二十一話『片想いの痛み』


どんなに苦しくてもさ、後のこと考えたら多少のリスクは必要だと思う。

「祐巳ちゃん・・・今日のご飯・・・なぁに?」

誰も居ない職員室で私は一人でコンビにのおにぎりを食べながらポツリと呟いた。

正直担任を持つのが、誰かを教育するのがこんなにも大変だとは思ってなかった。

テストの採点、明日の授業の準備、それだけなら家でも出来る。でも、担任になると話は違う。

生徒一人一人の癖や内申点、生活態度、おまけに可南子ちゃんに教えなきゃならない山積みのリスト。

最早どっから手をつければいいのかも分からない。とりあえず私は今、パソコンの画面と睨めっこしてた。

リストの作成から常に変わる評価をまとめるために。こうなったら意地でも次のお給料でパソコン買おう。

そうすればもうこんな所で一人でおにぎりなんてかじらなくてもすむ。

家に仕事持ち込むのは嫌だけど、ここでやるよりは・・・ずっといい。

「祐巳ちゃ〜ん、お茶入れて〜あっつーいやつ」

そう言って差し出したカップを誰も受け取ってはくれない。

ついつい癖でこんな風にカップを差し出す私は、どれだけ今まで祐巳ちゃんに甘えてたんだろう。

「はぁ・・・寂しい・・・」

今すぐ帰って祐巳ちゃんにキスしたい・・・そんで、抱きしめて・・・それから・・・。

目を瞑ったらすぐにでも祐巳ちゃんの笑った顔が浮かんでくるのに本人が居ないなんて、ありえない。

ここ最近ずっと私達はこんな感じですれ違いの日々が続いてた。

夜遅くまで仕事してその分時間外がつくからお給料は上がるけど、でもそんなのいらない。

その時間外の時間は・・・祐巳ちゃんのものなのに・・・。

それなのに今、祐巳ちゃんはたった一人であの部屋でご飯食べてるんだ。それを思うと泣きそうになった。

もしかしたら祐巳ちゃんは泣いてるかもしれない。あの子絶対・・・一人ぼっち好きじゃないから・・・。

学校に居る間もそう。いつも私には瞳子ちゃん、祐巳ちゃんには可南子ちゃんがくっついてて少しも二人きりになれない。

こないだなんてやっと二人っきりになったのに結局したのは・・・マッサージ・・・しかも肩たたき。ほんと・・・やりきれない。

ついでに言えばその後乃梨子ちゃんがやってきてそれもすぐにお開き。この気持ちをどうやって処理しろって言うのよ?

私は剥がし損ねた海苔の切れ端を口に押し込んだ。いつもなら綺麗にちゃんと剥けるのに。

「ついてないわ、ほんと」

ダメな時は何やってもダメ。ほんと、そう。パソコンの画面が青くチラチラと光る。大きなため息を落とした私が映る。

祐巳ちゃん、祐巳ちゃん、祐巳ちゃん。ほんと、どんだけ好きになれば気が済むのよ、私は。

そんな私の目にふと隣の席(祐巳ちゃんの席ね)の引き出しが目には入った。

一番上の引き出しにはご丁寧に鍵までかかってる。

で・も。実を言うと私、この机の鍵どこに隠してあるか知ってるんだよね。祐巳ちゃんは隠しものが本当に下手くそだから。

実を言うと前から気になってた祐巳ちゃんの机の引き出し。

だって、毎朝そっから何か大事そうに持ってくんだもん。そりゃ気になるよ。

いけないとは思いながら、私は好奇心を拭えなかった。

机の上に置いてあるネコの貯金箱を引っくり返すと、その中から引き出しの鍵を出してそっと鍵を差し込む。

カチャンって小さな音がして、それは開いた。ゆっくりと引き出しを開けると、一番に目に飛び込んできたのは手帳。

しかもそれ以外何も入ってない・・・こ、これは普通持ち歩くものなんじゃないのかな、祐巳ちゃん。

私はその手帳を取り出すと中を開けて思わず言葉を失った。

「なに・・・これ・・・」

その手帳に大事に挟まれてあったのは・・・私の写真だった。しかも随分昔の。

そう、それは私が高校の時の応援団をやった時の写真。ど、どうしてこれがこんな所に!!

写真をそっと取り出すと、裏に祐巳ちゃんの字でこんな風に書かれてあった。

『最後の一枚(ハート)』

「な・・・なんじゃこりゃ・・・しかも最後の一枚って・・・まさか!!」

私は写真を手帳に戻すと蓉子の机に目をやった。多分、犯人はアイツだ。間違いない。

だって、この写真卒業アルバムにのってたもの。ってことは、ネガも元の写真も蓉子意外が持ってるなんてありえない。

「ほんとにもう、余計な事するんだから・・・やめてよね、ったく」

もう一度写真を見ると、私は随分と若い。まぁ、そりゃそうなんだけど、でもさ・・・こんな写真大事に持ち歩いてんの?あの子。

毎朝毎朝こんな写真の入った手帳をあんなにも大事そうに・・・?

「んっとに・・・バカなんだから」

でもどうしてだろ。何か・・・嬉しい。だって私今、間違いなく笑ってる。

そっと手帳を机の引き出しに返した私は、鍵をかけてネコの貯金箱の中に入れた。今日はもう、帰ろう。

仕事は明日でも別にいいや。私はパソコンの電源を切ると鞄を持って立ち上がった。

ふと窓から外を覗くと、何故か保健室から灯りが漏れている。

「まさか・・・祐巳ちゃん?」

いや、それはない。だって、祐巳ちゃんはもう帰ったもの。

家についたらメールしなさいって言う私の言いつけもちゃんと守ってるし・・・じゃあ一体誰が?

何となく嫌な予感がして、私は保健室に立ち寄った。そしてそこからこっそり中を覗きこんで言葉を失う。

「・・・可南子ちゃん・・・」

可南子ちゃんは祐巳ちゃんがいつも座ってる椅子に腰掛けて祐巳ちゃんの白衣を抱きしめて泣いていた。

あぁ・・・どうして見に来てしまったんだろう。どうしてこんな光景を見てしまったんだろう。

可南子ちゃんはこんな風にこっそりと毎晩祐巳ちゃんを想って泣いてたんだ。それを思うと胸が痛かった・・・。

可南子ちゃんの唇がゆっくりと祐巳ちゃんを呼ぶ。返事など返ってこないと知りながら。

それでもまるで呪文みたいに呟く可南子ちゃんの声にならない声が、私には聞こえた気がした。

声を掛けることも出来ず、立ち去る事も出来ず、ただここでこうして立っていることしか出来ない私は、なんて・・・なんて・・・。

誰かを好きになれば誰かが傷つく。誰かを好きになれば、また違う人も同じ誰かを求めてる。

恋愛なんて、そんなものだったって事も忘れて私は・・・ただ無意味に可南子ちゃんを敵対視して。

あの子はあの子でずっと、それこそ私よりも長く祐巳ちゃんを想ってきてたんだなんて事、今更になって気づいた。

だからって譲ろうだなんて思わないけど、でも・・・胸が苦しい・・・。あの時の可南子ちゃんの言葉が脳裏をふと過ぎる。

『私は、祐巳さんを守るためにリリアンに来たんです!あなたみたいな人から!!』

私は・・・確かに最低で、軽薄でどうしようもない。でも祐巳ちゃんだけは本気だと、そう思える。

でもさ・・・こんな風に誰かの涙を見るのは・・・私のせいで誰かが涙を流すのは・・・耐えられない。

「けど・・・耐えるしかないよなぁ・・・」

だって、祐巳ちゃんをもう手放せない。私はだって、誰よりも祐巳ちゃんを必要としてるんだもの。

これだけは・・・言い切れるんだもの。信頼してる、愛してる、こんな言葉じゃもう言い尽くせない。

こうやって誰かの涙を見るたびに私は再認識するんだ。痛む胸とは別に、祐巳ちゃんへの愛を。底知れない深い深い愛を。

私はその場に蹲って膝の間に顔を埋めた。苦しくて仕方ないのにどうすることも出来ない。

保健室の中から聞こえる小さなささやき声。私はそれを背中に聞きながら、痛みに耐えるしか・・・なかった。

誰かの片想いを・・・こんなにも間近で、しかも自分と関わってくるなんて・・・思ってもみなかったんだ・・・。


第百二十二話『親友』


聖さまと祐巳さんの態度がおかしい。それに気付いたのは最近の事。

新人の先生が入ってきてからどことなく感じてたんだけど、最近ではそれがはっきり分かるようになってきた・・・と、思う。

「ねぇ志摩子さん、聖さまに何か聞いてないの?」

私の質問に志摩子さんは首を傾げた。そりゃそうか。いくら妹とはいえ何でも知ってる訳じゃないもんね。

「でも確かに・・・祐巳さんとお姉さま・・・最近あまり一緒に居ないから・・・やっぱり何かあったのかしら?」

「うん・・・一体どうしたんだろう・・・そうだ!志摩子さんは聖さまにそれとなく聞いてみてよ!私祐巳さんに聞いてくるから!」

「え・・・ええ!?で、でもこういうのは当事者に任せておいた方がいいんじゃ・・・」

志摩子さんは私の提案に賛成はしてくれなかった。ていうか、及び腰?でもさ・・・なんか嫌じゃん。

ずっと仲良しだった人たちがよ?急に余所余所しくなってさ。そういうのって・・・なんか嫌だよ。

寂しいっていうか、今まであって当然だったものが急に無くなった時みたいな喪失感っていうか、そういう感じがするじゃん。

私はさ、いつ行っても保健室で笑ってる祐巳さんと聖さまを見るのが好きだったの。聖さまはいっつもベッドで転がっててさ。

それを祐巳さんが嬉しそうに見つめてるのを見るのが、私は好きだったの!

そこまで言った私に、ようやく志摩子さんは賛成してくれた。

「そうよね!やっぱり恋人は一緒に居なきゃならないわ・・・由乃さんの言うとおりよ!」

志摩子さんはそう言ってすぐさま踵を返し聖さまを探しに行ってしまった。私はもちろん、祐巳さんを。

確かに立ち入っちゃいけないのかもしれない。でもさ・・・何か出来る事があるかもしれないじゃない。

何もせずに終わりを待つのは、やっぱり・・・寂しすぎるよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ゆ〜みさん!おっ茶しよ〜!」

ガラリと勢いよくドアを開けた私の目に飛び込んできたのは、新人の一人可南子ちゃんだった。

「・・・あなたもですか・・・」

可南子ちゃんは私を見てそんな一言をポツリと漏らす。

するとその声が聞こえたのか、奥から物凄い剣幕で祐巳さんが出てきた。

「可南子ちゃん!!そういう事言うのは止めてってば!由乃さん、ごめんね?何飲む?」

「う・・・うん。いや、あのね、実は祐巳さんに相談があるんだけど・・・今いいかな?」

多分・・・原因の一つが分かった気がした。私はチラリと可南子ちゃんを見てすぐさま祐巳さんに視線を移す。

すると祐巳さんは困ったように笑って可南子ちゃんに保健室から出るよう指示して私の分のお茶を淹れてくれる。

「で、どうしたの?由乃さんが相談なんて珍しいね」

「うん・・・実はね、私の相談というよりは祐巳さんの相談なんだけど」

「・・・へ?」

そりゃ不思議そうな顔するよね。私は立ち上がってチラリと閉まっているドアに目を向けた。

「よ・・・由乃さん?」

「うん、ちょっと待っててね」

そう言って私は勢いよく保健室のドアを開けると、そこには可南子ちゃんがまだ立っているではないか。

「あなたね、いつまでそこに居るつもり?」

私の言葉に可南子ちゃんはシレっと答えた。まるで当然だとでもいうように。

「いつまででもです。あなたがあの人みたいに祐巳さまに何かしないとは限りませんから」

「はあ?あのね、私は祐巳さんに相談があるの。いいから早くどっか行ってちょうだい」

私は背の高い生意気な新人を見上げ思いっきり睨み付けた。でも・・・全く効果なし。

そんな私のやりとりを聞いていたのだろう。祐巳さんがやってきて可南子ちゃんにピシャリと言う。

「可南子ちゃん。お願いだから席外してもらえる?それと・・・用事が無いのなら、もうここには・・・来ないで」

涙目の祐巳さんを見て、私は確信した。多分この子は祐巳さんが好きで聖さまが嫌いなんだ。

だからこうやって暇な時はずっと保健室にやってきては祐巳さんのナイトをやってるって訳。

だから最近いつ来ても聖さまが・・・居なかったんだ。

祐巳さんの言葉に黙り込んだ可南子ちゃんはそのまま俯いてゆっくりと階段を上っていってしまう。

あんな後姿見たらさ、何だか私が悪いことしたみたいじゃない。こうして私と祐巳さんはようやく二人きりになった。

「ごめんね、由乃さん。可南子ちゃんは多分、まだリリアンに慣れてないんだと思うの。

でもだからって私とばっかり居ちゃダメだよね。早く慣れなきゃ・・・」

「祐巳さん・・・それは違・・・」

それは違う、と言いかけて、私は口を噤んだ。可南子ちゃんの想いを私が勝手に打ち明けるわけには・・・いかないよね。

それにしても祐巳さん・・・どこまで鈍いのか、と。だって、普通分かるでしょ!?気付くでしょ!!??

それなのにそんな解釈・・・これじゃあ可南子ちゃんじゃなくても凹むよ、そりゃ。

まぁとりあえず。今私が聞きたいのはそんな事じゃないんだ。聖さまとね、祐巳さんの関係が知りたい訳よ。

私は保健室の長椅子に座りなおして祐巳さんの淹れてくれたお茶を一口すすると言った。

「時に祐巳さん。最近悩んでる事、あるでしょ?」

「は!?な、悩みがあるのは由乃さんでしょ?」

「ううん、違うの。あのね、最近祐巳さんってば聖さまと一緒に居ないじゃない?

帰りも一人だし・・・だからどうしたのかな?って思って気になってたんだ」

私の質問に祐巳さんは黙り込んだ。静かに目の前のお菓子を一個つまんで口に入れる。

その仕草がね、何だか少し寂しそうに見えたんだ。

だってさ、いっつもならここに聖さまが居てさ、きっと楽しそうに笑ってたんだ。

だからここからはいつも笑い声が絶えなかった。でも・・・今はまるで前の保健室みたいに静か。

栞さんがまだ保健医をやってた時のような静けさで・・・。その時だった。突然祐巳さんの両目から大粒の涙が零れ落ちた。

「あのね・・・聖さまが・・・最近一緒に帰ってくれないの・・・。

仕事だから仕方ないんだけど・・・でも、でも・・・多分それだけじゃ・・・ないんだよね。

帰ってきてもすぐに寝ちゃうし、晩御飯も一人ぼっちで・・・保健室にも・・・来てくれない・・・。

最近毎日瞳子ちゃんが聖さまの傍に居てね・・・私・・・もうどうしていいかわかんなっ・・・ひっく・・・」

もう何が悲しいのか分からない感じだった。今の祐巳さんはまるで何かに怯えるみたいに小さく震えている。

祐巳さんにとって聖さまがどれほど大きな存在なのかが、少しだけ分かった気がして・・・。

私は祐巳さんの肩をそっと抱いて、震える背中をさすってやる。するとまたポツリポツリと話し出した。

「聖さまはさ・・・何故か可南子ちゃんと仲悪いし・・・それなのに可南子ちゃんの教育は私がやるって聞かないし・・・、

可南子ちゃんは可南子ちゃんで聖さまの事・・・悪く言うの・・・ねぇ、どうして?私が・・・・聖さまと・・・吊りあわないから?

瞳子ちゃんに言われてね・・・私、そうかもなって・・・心のどっかで思ってて・・・。

何だか・・・そんなんで聖さまの事・・・本気で好きなのかどうか分かんなくなってきて・・・も・・・どうしたらいいの?

私・・・私・・・もう・・・嫌だよ!これ以上・・・聖さまと離れるの・・・も・・・耐えられないよ・・・ふぇ・・・せ・・・さまぁ・・・」

逢いたいよ・・・ポツリと漏れた声は、私に当てたものではなかった。これは相当病んでいる。

あのいつも元気な祐巳さんがこんな風になるのは聖さまにだけで、それを聖さまも知ってると思う。

それなのにどうして祐巳さんを一人きりにするんだろう?ちょっとは・・・心配してあげてよ・・・。

でもね、思うんだ。きっと聖さまの方には聖さまの事情があるんだろう。

それにしても・・・どうして新人二人は寄って集って聖さまと祐巳さんの間に割って入ろうとするのか!

祐巳さんと聖さまが釣り合わない?そんな訳ないじゃない!!!

私は祐巳さんの肩をガッシリと掴んで無理矢理顔を挙げさせた。

「祐巳さん、いい?よく聞いて。

祐巳さんが誰に何を言われても、私達の誰も聖さまと祐巳さんが釣り合わないなんてただの一度も思った事ないんだから!

むしろ見てるこっちが恥ずかしくなるくらいのベストカップルなんだから!

皆聖さまと祐巳さんが上手くいった時、喜んでたでしょ?違う?」

あの時・・・聖さまを昔から知ってた人たちは相当喜んだ。

だって、あの聖さまがあんな風に皆の前で誰かに告白するだなんて、思ってもみなかったんだから。

いつもいつも、いつの間にか聖さまは恋人を作っては別れてを繰り返してて、

でも祐巳さんと付き合い始めてそれがピタリと止まって。それにどれほど皆が驚いたことか!

新しい保健医がやってくると聞いた時、正直私はあまり期待してなかった。多分それは皆も同じだったと思う。

でもね、祐巳さん・・・皆、新しく来た人が祐巳さんでよかったって・・・本気で思ってるんだよ。

聖さまだけじゃなくて、他の皆も。だってさ・・・保健室がこんなにも賑やかになったのは、

学校に来るのがこんなにも楽しくなったのは、祐巳さんのおかげなんだよ・・・。

私の言葉に祐巳さんが小さく首を横に振った。そう、あの時皆、本当の本当に・・・喜んだんだ。

「そうでしょ?だったら、もっと自信を持って!祐巳さんはいつまでも聖さまの傍に居ればいいの。

瞳子ちゃんが居ても、可南子ちゃんが居ても、そんなの関係ない。だって、聖さまと付き合ってるのは祐巳さんじゃない。

あの二人はただの同僚だよ。仕事仲間。でも聖さまにとって祐巳さんは違う。恋人で、家族なんだよ。

だからそれを祐巳さんが遠慮する事なんて・・・無いんだから!」

私は決めた。これからはもうちょっと祐巳さんを構おうって。もしも聖さまに何らかの事情があってそれが出来ないのだとしたら、

私が頑張ればいい。だって私、この二人の事、本当に大好きなんだから!だからさ、もう泣かないでよ。ね?祐巳さん。


第百二十三話『お姉さま』


「ああ、お姉さま。こちらにいらっしゃったんですね」

私は職員室で瞳子ちゃんと何やら話しこんでいるお姉さまを見つけ、声を掛けた。

何だか久しぶりに見たようなお姉さまの顔は、どことなく私を見てホッとした顔をしている。

「志摩子!どうしたの?何か用事?」

嬉しそうにこちらに駆け寄ってくるお姉さまは、どこか清々しい。

私はお姉さまの隣の席に座ってこちらを窺っている瞳子ちゃんにチラリと目をやると、小声で言った。

「瞳子ちゃんはいいんですか?」

そんな私にお姉さまは一瞬顔をしかめてやはり小声で返してくる。

「いいの。朝からずっとあの調子で正直まいってたのよ」

「・・・なるほど・・・」

お姉さまはどうやら朝からずっと瞳子ちゃんに捕まってお説教をされていたらしく、うんざりした顔をしている。

蓉子さまにも祥子さまにも、瞳子ちゃんにまでお説教されるお姉さまは相当紅薔薇に縁があるんだろう。

何だかそう思うとお姉さまが不憫でならない。私達はそのまま職員室を出て中庭に辿り着いた。

中庭のベンチに座ったお姉さまは私に隣に腰掛けるよう促すと、苦い笑みを浮かべ言った。

「もしかして志摩子もお説教?」

「いえ・・・お説教なんてそんな・・・」

「じゃあもしかして・・・祐巳ちゃんの事?」

お姉さまの言葉に、私は思わず息を飲んだ。多分お姉さまもずっと祐巳さんの事が気にかかっていたんだと思う。

黙り込んだ私の頬を軽く抓ってお姉さまは笑った。でもその顔はどこか元気が無くて・・・。

「お姉さま、最近どうして保健室に行かれないんです?祐巳さんが・・・寂しそうですよ?」

「そうね・・・行かなきゃね・・・最近それでなくても一緒に帰れないのに、家でも学校でも一人ぼっちにしてちゃダメだよね」

それが分かってるのに・・・どうして!!私は思わずそんな風に突っかかってしまいそうになったのをすんでのところで止めた。

由乃さんじゃないけど、確かに最近ずっとお姉さまと祐巳さんの様子がおかしかった。

他所他所しい訳じゃないのに、何かきっかけが掴めない感じの二人。そのせいで何だかどんどん距離が開いていくような、

そんな気さえして・・・。

「お姉さま、一体どうしたんです?何があったんですか?」

「何があったって訳じゃないのよ。ただ・・・ちょっとね、啖呵切られちゃったの。それが結構ショックでさー。

ただでさえ最近瞳子ちゃんに付きまとわれて鬱陶しいし、祐巳ちゃんを一人にしちゃうしで凹んでんのにさ、

おまけに保健室にはいつ行っても可南子ちゃんがいるしね」

お姉さまは困ったように笑った。本当はかなり凹んでるんだと思う。姉妹だから、何となくそういうのは言葉にしなくても分かる。

多分お姉さまは可南子ちゃんに何か言われたんだ。

可南子ちゃんがお姉さまを見る目はどこか敵意に満ちているのは何となく知ってたけど、まさか直接言うなんて!

別にお姉さまは可南子ちゃんの事を嫌ってる訳じゃないと思う。

でも、だったらどうして可南子ちゃんにそんなにも遠慮してしまうのだろう?

いつものお姉さまなら絶対そんな事しないし、むしろ相手をやっつけるぐらいの事は平気でするのに。

・・いや、それもどうかと思うけど。でもなんていうか・・・今のお姉さまには覇気が無い。

「・・・お姉さま?大丈夫・・・ですか?」

私の質問にお姉さまはにっこりと首を傾げて笑った。

「何が?」

「全部です。可南子ちゃんの事や、瞳子ちゃんの事・・・それに、祐巳さんの・・・事も」

「んー・・・どうかな〜。私と祐巳ちゃんの気持ちは多分ね、今までと何も変わらないと思うのよ。

でもね・・・周りがね・・・どうかな。流される訳じゃないけど、でも・・・うーん・・・。

あ!でも誤解はしないでね?私、別に祐巳ちゃんと別れる気とかはサラサラ無いから」

煮え切らないお姉さま。やっぱり、何かが引っかかるんだ。お姉さまの中で。

でもそれをどう処理したらいいのかが分からないと言った感じ。祐巳さんもお姉さまも気持ちは今も一つなのよね。

こういうのを何て言うのかしら?すれ違い?ただ一つ言えるのは、お姉さまと祐巳さんには今、圧倒的に二人の時間が少ない。

少なすぎる。私と乃梨子のように離れて暮らしてる訳でもないのに二人の時間が少なすぎる。これじゃあやっぱり・・・ダメよね。

「お姉さま!私、お姉さまと祐巳さんの味方ですから!何があっても」

「あ・・・ありがと・・・どしたの?急に」

「いえ、別に・・・それだけです。あ・・・あと、もしも瞳子ちゃんから逃げたい時は、

いつでも私を口実に使ってくれて構いませんからね」

キョトンとしたお姉さまの顔は、私の言葉にやがて笑顔になった。良かった・・・ちょっとだけ元気になったみたい・・・。

「ありがとう、志摩子。気持ちだけ貰っとく」

さーて、保健室行くかなー。そう言って大きく伸びをしたお姉さまの顔は、どこかまだ迷ってるようだったけど、

でも・・・それでもいい。迷ってても、好きな人から離れちゃ・・・いけない。それを教えてくれたのは、お姉さまなのだから。

「じゃね、志摩子。また後で」

「はい、お姉さま」

そう言って私達は別れた。それにしても・・・どうして瞳子ちゃんはお姉さまとそんなにも一緒に居るんだろう?

別にお姉さまの事があの子は特別好きではないはず。それなのに・・・どうして?

私はとぼとぼと階段を下りていた。と、そこへ正面から勢いよく由乃さんが飛び出してきた。

「し、志摩子さん!!ど、ど、どうだった?」

「由乃さん・・・落ち着いて。とりあえず話は聞いてきたけれど・・・何だかお姉さまも大変そうだったわ」

私の言葉に由乃さんは大きなため息を落とす。そして私の腕を引いてそのまま家庭科室へと連れていかれた。

「祐巳さんね・・・泣いてた。どうもあの瞳子ちゃんと可南子ちゃんに原因があるみたい。

あと・・・聖さまが担任を持っちゃった事・・・かな」

「ええ、そのようね。お姉さまも同じこと仰ってたわ。一日中瞳子ちゃんが離れないって。

そしていつ保健室に行っても可南子ちゃんが居るみたいね」

「そう!そうなの!!現に私が行ったときも可南子ちゃんは居たのよ。でも・・・祐巳さんが追い出しちゃった。

あのね、祐巳さんは全然気づいてないみたいなんだけど、可南子ちゃんは祐巳さんの事が好きみたいなのよね。

で、もしかしたら聖さまはそれに気づいてるんじゃないのかなぁ・・・だから遠慮してるんじゃ・・・」

由乃さんの溜息はさっきよりもずっと大きくなった。私の目を通り越してどこか遠くを見るような由乃さんの目には、

いつものような鋭さがない。どうやら、私達は祐巳さんの事になると必死になってしまうみたい。

もちろん私はお姉さまも大事だけど・・・今は祐巳さんを助けたいだなんて、心から思ってる。

でもね・・・私たちにはこれ以上何も出来ない。

可南子ちゃんの想いを知ったからと言って、可南子ちゃんに忠告する事も出来なければ、瞳子ちゃんに注意する事も、何も。

きっと由乃さんはそれも分かってるんだと思う。ようやく視線を私の目に合わせ、大きなため息と一緒に呟いた。

「ねぇ、志摩子さん・・・私たち・・・何が出来るんだろう?」

「・・・分からないわ・・・私も今、同じことを考えていたもの。

ただ一つ言えるのは、お姉さまも祐巳さんも、きっと私達がどうにかしてくれるなんて、思ってないって事かしら。

きっと・・・二人で解決したいと・・・そう、思ってるわ・・・」

少なくともお姉さまはそう思ってるだろう。だから私にも祐巳さんにも、誰にも何も言わないんだ。

だから念を押すように私に言ったんだと思う。『私、別れる気なんてないからね』と。

お姉さまの中で祐巳さんの存在は、もう離れちゃいけないんだってきっと分かってる。

一度決めたらテコでも動かないお姉さま。祐巳さんもきっとそれをよく知ってる。だからこそあの二人はお似合いなんだ。

それに・・・お姉さまがあんな風に笑うのは、祐巳さんの話をする時だけだから・・・。

ただ今は・・・まだよく分からないだけなんだ。どうやって解決すればいいのかが。

「私、とりあえず祐巳さんの傍に出来るだけ居るようにする。祐巳さんが元気ないの嫌だもん!

まぁ・・・鬱陶しがられるかもしれないけど、でも・・・それぐらいしか・・・私には出来ないから・・・」

「そうね。私もお姉さまの近くに居るわ。それぐらいしか、出来ないものね」

出来ないんじゃない。しちゃいけないんだ。それは私達もよく分かってる。私達に出来るのは、見守るぐらい。

そして・・・お姉さまと祐巳さんの未来を・・・幸せな未来を願う事ぐらいだから。


第百二十四話『嫉妬』


祐巳さまと聖さまの関係がずっと上手く行くはずなんて無い。

だって、聖さまの評判は本当に最悪だし、どうして今まで教師をやってこれたのが不思議なぐらいなのだから。

前の恋人の代わりに祐巳さまを使ってるとしか思えない。そして他の教師達のように簡単に捨てて放り出すに違いない。

あのに・・・なのにどうして誰もあの二人がお似合いだなんて言うの?

そんなにも評判の悪い人を、どうしていつまでも雇ってるの?聖さまの事は誰に聞いても答えは同じ。

軽くて、嘘つきで、自分勝手でワガママ。そして・・・女好き。どこをとってもいい所なんて見つからない。

それなのに何故か皆それを冗談めかして笑って言う。誰も本気でそんな事思ってなんてないみたいに。

聖さまが沢山の人と付き合ってたのは確かなのに、どうして皆それを責めないんだろう。

どうしてそんな人に・・・祐巳さまが捕まってしまったんだろう・・・。

私は祐巳さまに保健室を追い出されてからずっとそんな事を考えていた。だから前を見てなかったのかもしれない。

ドスン!と、突然の正面からの衝撃に私は思わずよろめいた。

「きゃあ!」

ぶつかってきた癖に短く叫んで後ろに倒れこんだその人を私は助けようとは思わなかった。

「ちょっと!ちゃんと前見て歩いてくださらない?可南子さん」

「そっちがぶつかってきたんじゃありません?」

私の態度に怒った瞳子さんは立ち上がって私の顔を思い切り睨み付けると言った。

「失礼ね!これが祐巳さまの教育なのかしら?」

その一言に私はムッとした。だって、今ここに祐巳さまは関係ない。

「祐巳さまの教育を受けてるのはあなたでしょ?それとも、聖さまにくっつきすぎてあの人の素行の悪さがうつってしまったの?」

「何ですって!?聖さまはそんな人ではありませんわ!!」

「祐巳さまだって!!」

どうして私はこんなにも祐巳さまを庇うんだろう?そんなの簡単だ。答えは好きだから。それしかありえない。

祐巳さまはきっと私の想いなんて全然知らない。それにもしもここに居たら祐巳さまはきっと震え上がってしまうだろう。

天使のような無垢な祐巳さまは、こんな些細な言い合いでさえきっと怖がるだろうから。

瞳子さんはしばらく私の顔を睨み付けていたけれど、突然フフンと鼻で笑った。

「でも、あなたの大好きな祐巳さまだって随分素行が悪いんじゃありません?」

「どういう・・・意味?」

「だって、聖さまが居るのにSRGとキスしただなんて・・・とても褒められた行為ではないと思うんですけど」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

嘘・・・嘘よ、そんなの。祐巳さまはそんな人じゃない。あの人は天使だ。だからそんな事をするような人じゃない。

私は必死になって理由を探そうとした。どうして祐巳さまがそんな事をしたのか。その理由を・・・そして一つだけ思い当たった。

そうか・・・分かった。ただ・・・聖さまの傍に・・・居過ぎたからだ。聖さまが・・・きっと祐巳さまを穢したんだ・・・。

「聖さまは・・・祐巳さまを・・・穢した・・・許さない」

「・・・は?ちょっと、何言ってらっしゃっるの?ちょっと、可南子さん?聞いてる?」

私の耳にもう何も届かなかった。聖さまを許さない。その単語だけが頭の中を何度も何度もリフレインする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は保健室に向った。多分、聖さまはそこに・・・居る。そんな確信があったんだ。

保健室のドアの前まで来た私は、ほんの少しだけ開いたドアの隙間から中を覗きこんで息を飲んだ。

「・・・ど・・・して・・・」

聖さまは祐巳さまを膝の上に抱きかかえて何度も何度も、ごめんね、ごめんね、と呟いている。

そんな聖さまの顔を包み込む祐巳さまの手・・・愛しそうに・・・切なそうに。

そして・・・そっと祐巳さまが瞳を閉じた。それを待っていたかのように聖さまはそっと祐巳さまの唇に口付ける・・・。

やがて長いキスの後お互いの顔を見て笑いあう二人。さっきまでの聖さまへの憎しみなど、既にどこかへ消えてしまっていた。

違う・・・私は、祐巳さまを守りたくて聖さまが嫌いなんじゃない。ただ・・・そう、取られたくなかったんだ・・・。

だって、私には祐巳さまはあんな顔をしてくれない。それが悔しくて仕方なかったんだ。ここに来た日からずっと。

だから必死になって聖さまの粗を探して祐巳さまを奪い返そうとしたんだ。でも・・・端から祐巳さまは私を見てなど居ない。

それを全て・・・聖さまのせにしてただけで・・・私は・・・あぁ・・・どうしてこんな所を見てしまったんだろう・・・。

どうして祐巳さまは・・・聖さまにだけあんな顔するんだろう・・・。多分、瞳子さんが言ったのは嘘ではないのかもしれない。

でもそれはきっと何かの理由があるはずだ。でなきゃ、あんな顔は・・・出来やしない。

あんな風に笑う事なんて・・・出来る訳がない。聖さまもそう。今はきっと祐巳さま一筋なんだと思う。

いつまでも聖さまの膝の上に乗って聖さまの胸に顔を埋めて涙を流す祐巳さまを、あんなにも優しく見つめているのだから。

愛しそうに髪を撫でる聖さまの横顔は私達に見せるような顔とは全然違う。それは祐巳さまも・・・同じ。

今までとは違った憎悪・・・いや、これは嫉妬というのだろう。私は聖さまに嫉妬してる。

祐巳さまを諦める事なんて出来ない。でもどうやればいいかなんて分からない。

私はその場に蹲った。どうすれば・・・聖さまから祐巳さまを・・・奪えるんだろう・・・そんな事ばかりを考えていた。


第百二十五話『久しぶり』


「久しぶり。元気だった?」

私が発した第一声はそれだった。

保健室をノックしても返事が返ってこなかったから、私はとりあえずゆっくりと保健室のドアを開き、

中に祐巳ちゃんしか居ないのを確認して中に入った。だって、可南子ちゃんが居たらまた言い合いになりそうだったしね。

そのたびに祐巳ちゃんは悲しそうな顔をする。泣きそうな、そんな顔を。そんな顔見るのは・・・もう嫌だった。

だから私は出来るだけ可南子ちゃんの居ない間を狙って保健室に行こうとしてたんだけど・・・いっつも居るんだよねぇ、あの子。

しかも何がやっかいって、あの子は保健室に来た子まで追い出そうとする。

中にはさ、明らかに仮病使って保健室に来る子も居る訳。でもね、そういう子達を祐巳ちゃんは咎めないんだ。絶対に。

もしかすると何かあったのかもしれない、ってそう言って祐巳ちゃんはそういう子達も受け入れる。

でも、可南子ちゃんは違うんだ。怪我や病気じゃないなら保健室に来るなってスタンスなんだよねぇ・・・あの子。

まぁ、分からないでもないんだけどさ。私も栞と居た時はそんな事考えてたから。

ほらね、こんな所まで昔の私と被るんだよ、可南子ちゃんは。だから余計に馬が合わないのかもしれない。

私は保健室の中に入っていつもの椅子に座ったまま机に突っ伏して寝てる祐巳ちゃんを見つけて小さく笑った。

「風邪ひくよ」

声を掛けても祐巳ちゃんは一向に起きない。それどころか何だか険しい顔して寝てる。何か嫌な夢でも見てるのかな。

時々聞こえる呻き声がなんだか余計に私を申し訳ない気持ちにする。

私はそっと祐巳ちゃんを椅子から抱き上げてそのままベッドまで運ぶ途中、ふとある事に気付いた。

何だか・・・ちょっと抱かない間に随分と祐巳ちゃんが軽くなってたんだ。それに手首とかこんなにも細かったっけ?

顔はやつれたりはしてないものの、肩とか鎖骨とかの辺が随分・・・。

私はそのままベッドに腰を下ろして祐巳ちゃんを抱きかかえていた。何かね、今まで何やってたんだろうって・・・そう思った。

私はさ、元々一人の食事に慣れてたし一人でも全然平気な方。でもね、祐巳ちゃんは・・・違う。

ほんの少し私が視界から消えたら、すぐに泣きそうな顔するんだ。いっつも。

たったそこまで買い物に行くだけなのに、いつまでもいつまでも私の帰りを待ってるような、そんな子なんだ。

昨日帰ったら冷蔵庫を開けてビックリしたんだけど、中にね、な〜んにも入ってなかった。

食材も、お気に入りのプリンでさえも。祐巳ちゃんは一見強そうに見えるけど、その実本当はとても寂しがりやで、怖がり。

私はそれを知ってたのに・・・どうしてこんな事にすら気づかなかったんだろう・・・。

お弁当は毎日ちゃんとあったから買い物とかには行ってたんだろうけど、

晩御飯は案外レトルトとかそんなので済ませてたんじゃないのかな。だからちょっと見ない間にこんなにも・・・。

いや、毎日見てた。朝だってちゃんと。帰ってからだってちゃんと見てたはずだった。

それなのに・・・私は気付かなかったんだ。祐巳ちゃんが実は凄く参ってた事も、こんなにも痩せてた事にも。

知らなかったんじゃない。知ろうとしなかっただけ。私にとって一番大切なのは祐巳ちゃんで、それ以外は別に無くてもいい。

そんな風に思ってるのに、忙しさにかまけてほったらかしにして挙句自分の都合で祐巳ちゃんを後回しにして・・・。

私は・・・私は・・・最低だ。もっとちゃんと祐巳ちゃんに説明していれば、祐巳ちゃんがこんなにも悩む事も無かったし、

こんなにも寂しがる事も無かったのに。私は祐巳ちゃんを強く抱きしめた。

まるで人形のようにグッタリとして動かない祐巳ちゃんを。いや、寝てるだけなんだけど。

私と可南子ちゃんの間に挟まって板ばさみになった祐巳ちゃんが抱く不安とか、そういうのって計り知れない。

私がいつ可南子ちゃんに祐巳ちゃんを取られるかってヒヤヒヤしてるって事も、祐巳ちゃんは知らない。

私らしくない。こんなのは全然私らしくない。誰かに遠慮して大事なものを見失うなんて。

譲ろうだなんてサラサラ思ってないのに。それなのに何を遠慮してたんだろう。

瞳子ちゃんだって撒こうと思えばいくらでも撒けたのに。ただ全てが面倒で全部無視してただけだったんだ。

帰ったら誰も待っててくれないだなんて・・・祐巳ちゃんはいつも私を待ってた。

どんなに寂しくても私達のあの大きなベッドで待ってたんだ。たった一人で。

こんな事にすら気づかないなんて・・・この二週間、私はロクに祐巳ちゃんと話しもせずにただどこかで安心してた。

祐巳ちゃんなら待っててくれるだろうって。いや、実際ちゃんと待っててくれたんだけど。

でも・・・こんな待ち方・・・しないでよ・・・。私は祐巳ちゃんを強く抱きしめてまるで呪文みたいに呟いた。

「ごめんね・・・一人ぼっちにしてごめん・・・こんなんで・・・ごめんね・・・」

私の声に、ピクンって祐巳ちゃんが動いた。私はそっと祐巳ちゃんを見下ろして小さく笑う。

こうやって寝起きの祐巳ちゃんを見るのも・・・久しぶりだったんだ。凄く。

「せ・・・さま?」

「久しぶり。元気だった?」

私の声に祐巳ちゃんの両目から大粒の涙が零れ落ちた。そしてそのままギュって抱きついてきて・・・。

「い、痛い、痛い!」

「私はもっと痛かったです!!」

鼻声でさ、ぶさいくな顔でさ・・・ポツリと言った、心が、って言葉がさ・・・苦しかった。そして・・・重い。

「たった二週間だけじゃない」

「聖さまにとっては、たった、でも、私にとっては・・・凄く長かったんだから!!」

「うん・・・私も長かった。でも・・・まぁ、祐巳ちゃんほどではないけど」

流石にこんなにも痩せるほど祐巳ちゃんの事ばかり考えては無かった。だって、それぐらい仕事に追われてたから。

でもさ、それは私だけなんだよね。私の身辺は確かにガラリと変わって、それに順応するのに必死だったけど、

でも・・・祐巳ちゃんはそうじゃない。何も・・・変わらないまま生活の中から私だけが突然居なくなったんだよね。

そりゃ寂しいよね。そりゃ辛いよね。私は・・・なにも分かってなかったね・・・。

「ごめんね。寂しかったね・・・本当にごめん・・・」

私は何度も何度も謝った。多分、一生分ぐらい謝ったと思う。そんな私の頬を祐巳ちゃんがそっと両手で包む。

「もう・・・いいですよ。こうやって思い出してくれましたから・・・まぁ、今度忘れたら承知しませんけど」

「大丈夫。もう忘れません」

「・・・本当?」

「うん。今度こそ約束する」

私の顔を見上げて祐巳ちゃんは笑った。その顔をみて私はようやく安心することが出来たんだ。

「・・・へへ・・・泣いちゃった」

「ほんと、祐巳ちゃんは泣き虫よね。いっつも思うんだけど」

私の言葉に祐巳ちゃんはちょっと怒ったような顔をすると言った。

「誰のせいだと思ってるんです?」

「私?」

「そうですよ!ったく・・・聖さまはもう!」

そう言ってそっと目を閉じた祐巳ちゃん。だから私はそれにつられるみたいに祐巳ちゃんにそっとキスする。

「でもさ、私だけのせいじゃないよね?

ていうか、どっちかっていうと私達がこんな想いするのって大概蓉子のせいだと思うんだけど」

そもそも蓉子がさー、私を担任なんかにするからさぁ!絶対向いてないの分かってんじゃん!

いや、これはただの責任転嫁って奴だって事ぐらい分かってんだけどね。そんな私の言葉に祐巳ちゃんは笑った。

「聖さまはすぐそうやって人のせいにするー」

「これが私の性格ですから」

「・・・はいはい」

呆れたように祐巳ちゃんは適当に返事して私を睨む。

でもそれも束の間、また祐巳ちゃんが泣き出した。まるで二週間分の涙と鬱憤を晴らすかのように。

だから私はそんな祐巳ちゃんの髪を撫でながら、心の中ではこれからの事をずっと考えていた。

今までどおり学校と祐巳ちゃんを両立させる方法を。でなきゃ、いつまでたってもこのままだ。それじゃあ・・・ダメだと思う。

それに、可南子ちゃんの事もどうにかしなきゃ。どうにかして祐巳ちゃんの事を・・・諦めさせなきゃ。

そして・・・ちゃんと仲間にならなきゃダメだと・・・思うから。私は祐巳ちゃんを抱きしめたまま、そっと窓の外に視線を移した。

窓の外を飛ぶ二羽のツバメ。きっと今から巣作りが始まるんだろう。嵐にも雨にも負けない強い巣を。

「ツバメになんて負けてられますかっての」

「・・・は?何か・・・言いました・・・?」

「んーん。こっちの話。もう泣き止んだ?」

「はい・・・」

白衣の袖で涙を拭った祐巳ちゃんの顔は、どこか晴れ晴れしてた。私はそんな祐巳ちゃんにもう一度深いキスをする。

そうよね・・・私達はまだまだこれからなんだもんね。ここからが・・・・始まりなんだよね。

学園!マリみて教師物語〜中編3〜