今日は一日穏やかな天気となるでしょう…何が穏やか?
セイは昇降口に立ち尽くしたままそこから一歩も歩けないでいた。
穏やかな一日のはずが、全く穏やかではない。
「しょうがない、濡れて帰るしかないか・・・」
ただでさえ梅雨入りしていて、鬱陶しい事この上ないのに、さらに濡れて帰らなければならないなんて!!
セイはそう言って一歩踏み出そうとしたその時だった。
突然後ろから2人入るには少し小さそうな傘が差し伸べられた。
振り返るとそこには口も利いた事もない少女がこちらに向かって微笑みかけている。
「どうぞ、使ってください」
「…でも、キミはどうするの?」
「私はもう一本持ってますから」
少女はそう言って恥ずかしそうに鞄の中からもう一本傘をとりだした。
どうやら一本余計に持ってきてしまっていたらしい。
頬を赤らめて俯く仕草がなんとも可愛らしい。
「それじゃあ、ごきげんよう白薔薇様」
少女はそれだけ言うと傘をポンっと開いて行ってしまった。
「・・・ありがとう・・・」
きっと少女には聞こえなかっただろうが、セイはポツリとそう呟いた。
「あっ、名前・・・」
結局その傘を返す事が出来なくて、今年の梅雨でもう2年ぐらいになるだろうか・・・。
毎日学校に持っていってたのに誰も名乗り出てこないものだから、今だに返せないでいたのだ。
今でもたまにその傘にはお世話になるのだが、その度にあの少女の事を思い出してしまう。
返せない傘・・・。
「顔は覚えてるんだけどなぁ」
どうして突然また思い出したのか・・・。
それはさかのぼる事15分ほど前・・・。
うたた寝をしている所に一本の電話が入った。
「・・・はい?」
「あっ、もしもし?聖様?」
「・・・んー。どうしたの?祐巳ちゃん」
「・・・まだ寝てたんですか?もうお昼ですよ?」
セイはまだぼ〜っとする頭で時計に目をやると針は昼の1時をさしている。
ユミは電話ごしにしょうがないなぁ、と笑っている。
「祐巳ちゃんは元気だね?昨日あんなにしたのに・・・」
「や、もう!止めてくださいよ!!そうゆうこと言うの!!」
電話の向こうでくるくると変わっているであろう表情を思い浮かべるとセイはおかしくてしょうがなかった。
「で?どうしたの?」
「大した用事ではないんですけど、良かったらお昼一緒に外で食べませんか?って・・・」
ユミはそこまで言いかけて口をつぐんだ。
「でも聖様今起きたんですよねぇ?」
「うん」
ユミは電話の向こうでじゃあムリか。とボソリと呟く。
「どうして?待っててよ。用意してすぐ行くからさ」
セイはそう言って電話を片手に準備を始めた。窓の外を見るとくもり・・・。
かろうじて雨は降っていなかったが、いつ降り出すかわからないといった感じだ。
「わかりました。じゃあ待ってますね」
「うん。ついたら電話するから」
は〜い。とユミの元気のいい返事を聞いてセイは電話を切った。
「さて、着替えたら終わりっと」
セイはそう呟くと急いで服を着替えた。
傘たてには2本の傘が仲良く並んでいる。一本はセイの黒い大きな傘。
もう一本は・・・。
「…この傘…」
こうしてあの少女の事を思い出したのだ。
セイは少し考えその傘を掴むと慌てて家を飛び出した。
なんとなくあの子とはこんな梅雨の時期に会えそうな気がしたから・・・。
今年の春。ユミはめでたくリリアンに進学を果たした。
それを祝って…ではないけれど、セイもこの春から一人暮らしを始めたのだ。
ここに決めるのにもいろいろ大変だったなぁ・・・。
セイはそんな事を考えながら大学までの道を急いだ。
きっとユミは大学のラウンジで待っていてくれている。
そう思うと少しでも早く大学に辿り着きたかった。早く会いたい。
最近毎日ユミの事を思って過ごしている気がする・・・。
付き合いだしてからより一層激しくなる想いは、一体どこまでいけば落ち着くのだろう・・・。
『…ほんと、どこまで続くんだろう…』
もう少しで着くからもう少し待って!って時に限ってどうして雨は降るものなのか・・・。
最初はポツリポツリ。途端にザーーーっとゆう音に変わる。
『ここまで振れば天然のシャワーだ・・・』
セイはため息をつくとラストスパートをかけるかのごとく走り出そうとした。
すると、後ろからスイと傘が差し出されたのだ。
セイは驚いて思わず立ち止まり振り返った。
そこには2年前に傘を貸してくれた少女があの時と同じ笑顔のまま立っていた。
私服で居るところを見ると少女もまた大学生なのだろうか?それともただのご近所さんか・・・。
「どうして傘ささないんですか?」
「ずっと探してたんだ。この傘を返そうと思って」
セイは少女の質問には答えず、持っていた傘を少女の方に差し出した。
「…この傘は…。覚えていてくださったんですか?」
少女は両手で口元を押さえた。
「忘れないよ。あの時いろんな意味で君とこの傘に助けられたんだから」
セイはにっこり笑って少女の傘の柄に借りた傘を引っ掛けた。
「いいえ、この傘はもう差し上げます!今日もまた傘を持ってらっしゃらないみたいですし…」
少女はそう言ってその傘をセイに渡そうとしたが、セイはそれを断った。
「ありがとう。気持ちだけもらっとくよ」
「ですが!…また何かの役に立つかもしれませんし…」
少女は潤んだ瞳でセイを見上げた。セイはそっと少女から視線を逸らす。
…と、前方の方に見慣れた紫陽花の傘が見える・・・。
『…祐巳ちゃん…』
セイはゆっくり頭を振った・・・。
「ううん。もういいんだ。私にはもう必要ないから。
今は雨が降ったら向かえに来てくれる人がちゃんといるから…」
セイはそう言ってその少女の傘を出た。紫陽花の傘はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
思わずセイの顔から笑顔がこぼれる。
シャワーの様な雨も、鬱陶しい梅雨も今は全然嫌いじゃない・・・。
そんなセイ表情を見て、少女はまだ泣き出しそうな顔をしていたが、
やがて小さくお辞儀をしてあのときの様に行ってしまった。
少女が行ってしまったのを確認してユミは走り出した。
セイの傍まで駆け寄ると慌てて傘に入れ、ハンカチを取り出す。
「何やってるんですか!!どうして傘持ってこないんですか?あなたって人はほんとに!!」
ユミは怒りながらもセイの髪や顔を優しく撫でるように拭く。
セイも日向ぼっこしている猫のように目を細め、じっとしていた…。
「だって、雨が降ったら絶対来てくれると思ったから」
「…もう!知りません!!」
全く悪びれもせず言うセイにユミはプイと向こうを向いてしまったが、
ちゃんと傘からセイがはみ出ないように気を使ってくれていた…。
そんなユミが愛しくなって思わず後ろから抱きしめると相変わらず恐竜の子供の様な声で叫ぶ。
「ありがとう、祐巳ちゃん。」
「…いいえ、もう慣れてしまいましたよ…。ところで…さっきの人は?」
にっこり。こ、怖い…。怖いほど笑顔だ。
『うっ、こ、この笑顔…お、怒ってる?』
「い、いやただの知り合いだって!古い知り合い!!偶然会ったんだよ」
セイは身振り手振りで一からユミに説明した。
するとユミは黙ってそれを聞いていたが、やがてポツリと呟いた・・・。
「…好きだったんですか?その人の事…」
「…わからないな。そうゆう感情じゃ無かったと思うけど…」
セイはそこまで言ってハッと口をつぐむ。案の定ユミは俯いてしまっていた。が。
「今は?今は私が一番ですか?」
ユミはキッと顔を上げ、睨むようにセイを見つめた。
『…当たり前じゃない…2位以下はいないよ…』
セイがコクリと頷くと、途端にユミの顔からへにゃ〜っと力が抜けた。
「ならいいです。私は今を生きてるんですから。聖様と一緒に・・・」
ユミは力強くそう言い切るとセイの手を引っ張り歩き出す。
私は今を生きてるんです。聖様と一緒に。なんだかとても暖かい気持ちになる・・・。
セイはユミの手から傘を取り、差してやった。するとユミはセイを見上げてにっこりと笑う。
その笑顔はありがとう…。と言ってるみたいでつい、セイもつられて笑う。
「どこに食べに行くの?」
「どこがいいですかね?それよりも!今日は聖様のおごりですからね!!」
ユミはイジワルな笑みを浮かべセイを見上げる。
「ど、どうして!?」
「だって、聖様のせいでレポートぎりぎりだったんですからね!」
セイはそんなユミに苦笑いしながら夕べの事を思い出す・・・。
『レポートが間に合いそうに無いって言ってるのに眠らせなかったもんな・・・』
「わかりました。今日は私がおごりましょ」
セイがあきらめたように言うと、ユミは嬉しそうにセイの腕にしがみついた。
やった、っと鼻歌まで歌っている・・・。
「祐巳ちゃん!ちゃんと歩かないと濡れちゃうよ!!」
『今だけじゃなくて、いつまでもこうして相合傘でいよう、祐巳ちゃん』
紫陽花柄の傘は次第に小さくなりやがて見えなくなった・・・。
ボクの心はいつも雨ふり。
でも、キミに逢ったときだけはなんてキレイな青空。
出来るならこの青がいつまでも続けばいいのに・・・。