人との繋がりなんてあやふやで、形も何もない。


それでも確かに繋がってると思えるのは、ふとした瞬間心が重なるから。


理解出来なくても、それでいい。歩み寄れば、それでいい。


何も出来ないなんて思わない。心はいつだって、傍に在るのだから。




ユミが起きる気配はまだ無い。私は窓枠に肘をついてすっかり暗くなった外をただ見つめていた。

何から話そう?ユミが好きなのだと、今打ち明けるべきなのだろうか?それとも、まだ言うべきではない?

何かを伝える前のこの不可解な感情の意味など分からない。私はいつも何かにつけて理由を欲しがる癖がある。

でもその答えなど出ないものの方が多い。そんな時、私は決まってチャンスを逃してしまうのだろう。

このまま、何も変わらず日々が過ぎてゆくのを私はいつも見守るだけで。

そのままでいい筈なんてある訳もないのに、どこかそんな日常に甘えてしまう弱い私は本当に役立たず。

「私はなんて・・・」

あまりの自分の不甲斐無さに涙が出そうになった。

せっかく退院したというのに、また病院に戻ることになりそうな気がする。

そもそも、私はどうしてユミが好きなのだろう。どうしてユミが好きだなんて気付いてしまったのだろう。

ただ笑っていてほしかっただけなのに。それさえままならないのに。

私となら幸せになれるよ、なんて声を掛ける自信もないのに。

見上げた月に寄り添うように灰色の雲。仲がとても、良さそうに見えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あの日、蓉子に会いに行った日、その帰りに街中で偶然エリコに会った。

何も示し合わせてなどなかったのに、これが縁というものなのか、と溜息をついた私にエリコは言った。

「あら、久しぶり。ところで、蓉子を振ったんですって?」

「?!」

まさか突然、挨拶代わりみたいにそんな言葉をかけられるとは思ってもみなかった私が、

動揺したのは言うまでもない。エリコには本当にいつも驚かされる。

それは高校時代から少しも変わってなどいなくて、ほんの少し安心してしまった。

「こんな所じゃなんだから、ちょっとあそこ入りましょ」

そう言ってエリコが指差したのは、以前ユミと雨宿りをした喫茶店だった。

あれはもうどれぐらい前の事なのか、それすら忘れそうなほど色々な事があったような気がする。

あの日、ユミの下着が雨のせいで透けて見えて酷く動揺したのを、私は今もはっきりと覚えている。

甘いような痺れるような疼きが、今は痛みになって胸を刺すけれど、忘れようとは思わない。

ほんの少しだけ、私は強くなっただろうか?それとも、これは諦め?

最早ユミを好きという事実からは逃れられないのは明白だから。

私はエリコの言葉に頷くと喫茶店に足を運んだ。

以前私達が座った席には同い年ぐらいのカップルが座っている。

「幸せそうよねー」

私の視線の先を追ったエリコがポツリと言った。

「江利子さって、幸せでしょう?ほら、えっと・・・クマさんが居るんだから」

「クマさんって・・・山之辺さんよ。

まぁね、でも・・・私はやっぱりまだまだ子供なんだと実感させられるわ」

「そうなの?」

「ええ、そう・・・私は所詮、世間知らずのお嬢さんでしかないんだわ、きっと。哀しいけどね」

「・・・ふーん・・・」

エリコにはエリコの悩み事がきっとあるのだろう。それは私の想像もつかないような事かもしれないけれど。

エリコの大事な人には既に子供が居て、以前はどう扱えばいいのか分からないだなんて嘆いていたけれど、

エリコの別名はすっぽんのエリコ。きっと、自力でどうにかするだろう。

私の親友は、誰かに助けを請うようなそんな格好悪くなどない。

普段何考えてるか分からないけど、それだけは言い切れる。

私達は向かい合って座った。でも、しばらくはどちらも口を開かなかった。

久しぶりに会ったというのに、何も話さない私達をおかしいと思うだろうか?

でも、これが私達の距離。近すぎず遠すぎない。お互いが一番いいと思える距離感。

ヨウコとも・・・そうだった。そのはずだった。けれど、それは壊れてしまった。

大きなため息を落とした私に、ようやくエリコが口を開いた。

「で、どうして蓉子を振ったの?とてもお似合いだと思うんだけど」

「随分と直球だこと。江利子は私と蓉子がくっついた方が良かった?」

私の言葉に、エリコは小さく首を振った。

「なによ、お似合いだと思ったんでしょ?」

「まぁ・・・見た目はね。でも・・・中身はどうかしら。

きっと蓉子がそのうち聖に耐え切れなくなって出て行くに違いないわ」

「・・・私が振られるんだ?」

「ええ。多分ね。でも、内心ホッとしてるのよ、聖も」

まるで私の心の中を見透かしたようなエリコの言葉は、私を叩き潰す。

どうしてそんな風に思うんだろう?その答えが、私は知りたかった。

多分、私の顔に全てでていたのだろう。エリコはピクリとも笑わずに言葉を探る。

「何て言えばいいのかしらね。聖は肝心な事はすぐに他人に任せようとするじゃない。

唯一栞さんの時は違ったけど・・・あれはでも、聖が自分から逃がしたようなものだものね」

「・・・・・・・・・・・」

そう・・・エリコは正しい。私はシオリに振られてから怖くて自分を曝け出せない。

また拒否されたら・・・そんな考えが頭を過ぎって。結局シオリにもう二度と会えないだろう。

それこそユミやヨシノに言ったように『会わない方がいい』んだ。

ただ、逃げる為だけの台詞。別に格好つけてあんな風に言った訳じゃない。

ユミやヨシノに同情されたくて言った訳でもない。ただ・・・もう会えないと、分かっていたから。

臆病な私は、失くしたモノを追う勇気もないのだから。決して淡白な訳じゃない。

諦めもいい方じゃない。それなのに、追えない。忘れられない。

「私、きっと怖いんだろうな、また栞の時みたいに拒否されるのが」

私の素直な言葉にエリコは頷いただけだった。

「それが蓉子を振った理由なの?」

「いいや。違う。私は今・・・好きな人が居る。だから蓉子とは付き合えないと思っただけだよ」

「それは・・・」

「誰?とは聞かないでね。私、答えないから」

「・・・そうね」

ほらね、肝心な事は何も言わないんだから。そう言ってエリコは笑った。

「で、何をそんなに迷ってるの?」

「だから、さっき言った通り。私には勇気が無い」

エリコは私の言葉に溜息をついた。もうボロボロになどなれない。

あんな風に形振り構わず追いかける事など・・・出来ない。

そんな私の心の声はきっとエリコに届いたのだろう。お茶を飲むエリコの顔が、酷く冷たく見えたから。

「聖はワガママね。欲しがってるくせに絶対自分から言わないんですもの。

一体いつになったらそんな自分を変えようと思うの?

見た目をいくら変えたって、態度をどれだけ変えたって、

中身が変わらないのなら意味ないじゃない。聖は確かに格好いい。

でもそれは上辺だけのものなの?本当は大事な人にこそ見せなきゃならないものなんじゃないの?」

「・・・そう、だね」

エリコの言った通り、私はほんと、どうしようもない。自分から飛び込むことすら出来ない。

でも、今心からユミを・・・欲しがってる。それなのに、何を躊躇してるのだろう。

分かってるのに、あと一歩が踏み出せない自分はなんて情け無いんだろう。

ユミが好きだと、欲しいと、望んでいるのに。こんなにも・・・こんなにも傍に居て欲しいのに・・・。

心はもう・・・決まっているのに・・・。

「私ね、栞のどこが好きって言われたら、答えられたかもしれない。

でもね、今好きな人のどこが好き?って聞かれたら・・・もしかしたら答えられないかもしれない。

でも・・・それでいいんだ。どこが好きなのかも分からない。でも・・・どこかが・・・好き。

栞の時みたいな激情みたいなものとは違うんだけど、ただ傍に居たい。傍に・・・居て欲しくて。

気付かなければ楽だったのかもしれない。でも、私は気付いてしまった。

私に足りない何かを、その子なら埋めてくれるかもしれない。

私も、その子になら何かを与える事が出来るかもしれない」

愛なんて、どういうものを指すのか分からない。そもそも見えもしないモノをどうやって確かめればいい?

それは・・・態度や言葉しかないんだ。私の持っているモノなど、たかが知れてる。

それを全て預けてしまえるような人なんて・・・ユミしか居ない。

そんな私を許してくれるのもきっと、ユミしか居ない。

私達はきっと出逢う運命だった。シオリと離れ離れになった日から、きっと。

「私が考える愛とか恋とかってもっと気軽なものだけど、

聖にとっては一生の伴侶を探してるんでしょうね、きっと。いいじゃない、聖らしくて」

淡々とした声だったけど、エリコの声はとても暖かかった。

「やっぱり私から言うべきかな?」

「そりゃそうなんじゃない?恋は先手必勝・・・とか、由乃ちゃんなら言いそうだけどね」

「ああ・・・確かに。先手必勝・・・か。そう・・・かもね」

いつまでも迷ってたって何も進まない。そんな事痛いほど知ってる。

それなのに少しも動けない私は、どれほど臆病だったのだろう。

自分でも思うよりもずっと、ずっと、勇気がなかったのかもしれない。

ただ思うのは、今日ヨウコに会って自分の想いを告げて、そして今こうしてエリコに後押しをされて。

私はやっぱり、何かの歯車の中の車輪の一部でしかないんだ。

でも車輪にだって感情はある。

どこへ進むのかも車輪しだいなのだとしたら、ここからは私自身が動かすしかない。

望んだ未来を手に入れる為に。

「心は決まったかしら?」

エリコはそう言って微笑んだ。でも、私はやっぱり首を横に振った。いや、振るしかなかった。

心などとうに決まってる。ただ、伝えるべき言葉が見当たらない。

どんな言葉がユミに届くのかが・・・分からない。

首を振った私を見て、エリコの笑みが苦味を帯びる。

「あら、困ったこと」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エリコに会ったのは、決して無駄ではなかった。だから私は今、ここに居る。

たった一日で何かが変わったとは思えないし、相変わらず答えも見つからないけれど、

とりあえずユミに貰った短い手紙の答えを伝えなければならない。直接、ユミに、私の言葉で。

『ねぇ、聖さま?人はどうして孤独になるんでしょう?どうしてこんなにも寂しくなるんでしょう?』

答えなど、とっくに分かってる。人が孤独になる理由など、とても簡単。

大事な人に想いが届かないから。人が寂しくなる理由など、とても簡単。届きそうで届かない距離があるから。

少なくとも、私の場合はそう。ユミに想いが届かない。心が伝えられない。言葉が・・・見つからない。

寂しくて孤独で、泣きそうになる。この距離をどうにかして埋めたくて。

必死にもがくけど、あとほんの少しの距離が縮まらなくて。

「ねぇ、祐巳ちゃんもそんな風に思ってくれてたりする?」

まだ夢の中に居るユミの前髪を一束撫でた。サラサラと落ちる前髪は私の心などまるで無視する。

私の中の沢山のガラスの虚像達。私がずっと探してたのは、高校二年の時の全てを失った時の私。

そして・・・ほんの一瞬の間の、幸せだった、私。どちらが欠けても私は成り立たない。

でも、どちらもまだ見つからない。ガラスは砕けて散ったのに、その二人だけが顔を出さない。

「それでもいいんだ。もう・・・いいんだ」

ユミに何か言いたい事がある筈もない。ただ、伝えたいんだ。好きだ、と。愛してるんだ、と。

私は目の前で眠りこけるユミの隣に座って、ただその寝顔を見つめていた。

もしかするともう二度と見ることの出来なくなるかもしれない、この横顔を・・・。




完全なモノが存在するのなら、私など要らない。


絶対的なモノが存在するなら、君など要らない。


何も無いから、欲しがる心。


何も無いから・・・欲しがる想い・・・。

それぞれの告白  第二十九話