それぞれの告白  第二十八話

口を開いた。そこから言葉が刃になった。


耳を澄ませた。そこから音が痛みになった。


目を開いた。そこから涙が川に流れた。


手を繋いだ。そこから想いが・・・伝わった。



『志摩子の場合』


「乃梨子、私・・・これで良かったのかしら?」

私は目の前でお茶をすすっているノリコに尋ねた。

ついさっきユミを焚きつけはしたものの、本当にあれで良かったのか決めかねていたのだ。

「志摩子さんは今後悔してるの?」

学校以外ではノリコは私に敬語など使わない。呼び方も名前。

彼女なりのケジメの付け方が、私はとても気に入っている。

私はノリコの言葉に大きく首を振った。後悔など・・・していない。きっと、あの時はああすべきだった。

でも・・・その結果次第では私は後悔するだろう。心を決めたユミを見て嬉しくなかった訳ではない。

だって、その結果お姉さまはきっと幸せになれるのだから。

でも・・・じゃあ、周りの人はどうなのだろう?ユミがお姉さまを好きだと打ち明けた時点で、

誰かがきっと傷つくことになる。そうなった時も・・・私は首を横に振れるだろうか?

後悔などしていない、と、そう・・・言い切れるだろうか?

私はつまり、自分の事しか考えていなかった。そっと視線を伏せた私を見て、ノリコが苦く笑った。

「また何か難しい事考えてるんでしょ?」

「そういう訳じゃ・・・」

無い。と、言い切れない自分に腹が立つ。

私はどうして関わってしまったのだろう・・・後先を考えずに、どうして・・・。

そして最近サチコにも酷い態度を取っていたことを思い返して自分を恥じた。

私は・・・自分で思ってるよりもずっと・・・子供なのだ。

妹が出来てすっかり大人になったつもりでいたけれど、そうじゃない。

結局誰の気持ちも・・・分かってなどいない。

「乃梨子・・・私・・・誰かを傷つけてしまうかもしれない・・・」

私のした事で誰かが傷つくのなんて見たくない。でも、そんな私に小さく頷いてノリコは言った。

「ねぇ志摩子さん。私ね、思うんだけど、物事にはさ、どんな事にも決断の時ってものがあると思うんだ。

それはね、どれだけ逃げようとしても絶対逃げる事なんて出来なくてさ、いつかは必ず起こる事なんだよ。

ただ、それがほんの少しだけ早まっただけ」

「でも・・・私のした事が誰かの傷になるとしたら?私、そんなの・・・嫌よ・・・」

「それは仕方ないよ。どんな人だって誰も傷つけずに生きる事なんて出来ないんだから。

どんなにいい人でも、誰かからみたらそれが傷になることだってあるんだから。

だから志摩子さんは・・・本当は誰かを傷つけるのが怖いんじゃなくて、

誰かを傷つけた事によって、自分が傷つくのが怖いんでしょ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

こんな風に誰かに言われたのは、生まれて初めてだった。ノリコはいつも冷静。そして、とても的確。

私は今までどうしてそれに気がつかなかったのか。昔から何かを頑なに守ってきた私。

その守るべきものは、いつだって自分だった。だから怖いんだ・・・人を傷つけるのが。

それによって自分も傷つく事を、心から恐れているから。

私がお姉さまの妹になったのは、お姉さまは私と同類だったから。

お姉さまもまた、私と同じで誰かの痛みに耐えられない。それならいっそ、自分を殺そうとしてしまう。

でも・・・だからって自分の痛みにも・・・耐えられないんだ、私達は。

だから私はお姉さまの手を取った。お互いを傷つけ合う事など、この先一生ないだろうから。

「私とお姉さまが姉妹になったのは間違いだったのかもしれないわ・・・」

ポツリと呟いた言葉にノリコはハッと顔を挙げた。その顔はほんの少し歪んで見える。

きっと、私は今泣いているのだろう。ノリコは慌てて自分のハンカチを私の手の中に押し込んで、

それは違うといわんばかりに首を横に振った。

「姉妹になるのに理由が要るの?志摩子さんと聖さまの関係って、理由が無いと成り立たないの?

確かに志摩子さんの話を聞く限りじゃ聖さまと志摩子さんはとても似てるみたいだけど、

でも全く同じ人間って訳じゃないじゃない。

二人ともちゃんと個性があって、別々に生きてるのにそんな風に言うのは間違ってるよ!

志摩子さんはお姉さまが大好きで、祐巳さまも大好き。だから二人には幸せになってもらいたいから、

ほんの少し手を貸しただけ。それのどこが悪いの?志摩子さんは勘違いしてるよ。

志摩子さんが出来るのは、それだけなんだよ?たったのそれだけなんだよ?

泣いてる祐巳さまの迷ってる心をほんの少しだけ押すことしか出来ないんだから。

祐巳さまだってきっと分かってる。そこから先はちゃんと全部自分で片付ける覚悟も出来てる。

でなきゃ・・・志摩子さんにお礼なんて・・・言わないよ」

最後に、ノリコはポツリと付け加えた。言い過ぎた、ごめん、と。

でも、全然言いすぎなんかじゃない。私は、いや、私が迷ってたんだ。

ユミの心はきっとすでに決まってたに違いない。私が背中を押すずっと前から。

それは私にも分かっていた。でも、怖かったんだ。何だか、ユミもお姉さまも失いそうな気がして。

もしもこのまま二人の関係が壊れてしまったら、そう思うと怖かったんだ。

お姉さまは、ユミと居る時本当に幸せそうに笑う。穏やかな時間の中のほんの一瞬を心から楽しむように。

でもそれはユミも同じ。私はそんな二人が凄く好きで、二人を見ていると心がとても暖かくなる。

大切なお姉さまと親友の笑顔が、私にはそれほど影響を与えるんだ・・・。

私はだから・・・泣いてるユミを、迷ってるお姉さまの背を・・・押したのだ。

結局は自分の為。そう思うとやっぱり自分は何て子供なんだろう、と思ってしまう。

でも、無関係で居るのは・・・嫌。大切な人たちなら、尚更に。

必ず誰かが傷つくというのなら、私も一緒に傷つこう。もう、怖がるのは止めよう。

だって、あの二人は・・・あんなにも格好いい。

「私・・・本当にワガママね」

「そうかな?そんな事ないと思うけど。それに、未来は誰にも分からないよ。

志摩子さんにも、祐巳さまにも、もちろん聖さまにだって。案外皆上手くいくかもしれないし」

「そうね・・・そうだといいんだけど。もしもそうなったら・・・私、本当に嬉しいわ・・・」

「うん、そうだね。そうなると私も嬉しいな。

だって、志摩子さんが祐巳さまと聖さまの話する時、本当に嬉しそうに笑うから」

「そうかしら?」

「うん。凄く楽しそう。だからついつい私も応援しちゃいそうになるけど・・・それは私の役回りじゃないから」

ノリコはそう言って微笑んだ。きちんと自分の役回りを演じられるノリコ。それが私から見れば羨ましい。

でも、ノリコは言った。私は何だかんだ言いながらも世話焼く志摩子さんが好きだよ、と。

私は、ノリコの言うように自分の役回りというものを演じる事が出来ただろうか?

それはきっとこの先ずっと分からないだろう。でも、それでも私は今、胸を張って言える気がする。

後悔なんて、してません。と。


『由乃の場合』


ユミが薔薇の館に来ない時は、大概紅薔薇様絡みだ。きっとまた何かあったんだろうと思う。

でも、いつだってユミは私には相談してくれない。

そんな時、ほんの少しだけ・・・私はユミの親友だという自信が無くなってしまう。

親友で居ることに自信なんていらない筈なのに・・・そんな風に思ってしまうんだ。

そもそも、あのリリアン瓦版がいけないんだ!あれのせいでユミがおかしくなってしまった。

そりゃセイが在学中にユミの事を可愛がってたのは私だって知ってる。

でも、でも・・・ユミがセイを好きだなんて・・・そんなの・・・嘘だよ・・・。

そんな事考えながら、心のどこかでユミはセイを好きかも、なんて思ってしまうのはどうしてだろう。

私は今しがた出て来た薔薇の館を見上げて大きなため息をついた。

「どうしたの?由乃が溜息なんて珍しい」

「ねぇ、令ちゃん。もしもね、もしもの話なんだけど、

令ちゃんがピンチの時に必ず助けてくれるヒーローが居るとするでしょ?

そしたらさ、その人の事好きになっちゃったり・・・する?」

私の質問にレイは首を傾げた。多分今、そのもしもの場合を想定しているのだろう。

「どうかな・・・好きになっちゃうかもしれないけど・・・どうして?」

「そっか・・・やっぱりそうだよね・・・」

そうなんだ。セイはユミにとって、ヒーローなんだ、いつだって。

セイの意図は分からないけど、ユミがピンチの時は必ずと言ってもいいほど、セイは姿を現す。

まるで、何かに引っ張られるみたいに。でも・・・ユミにはサチコがいる。

確かにユミはサチコの事が好きだったはず。それなのに、どうしてあんな噂が・・・。

火の無い所に煙は立たないと言うけれど、どこかに火はあったんだろうか?ユミの中のどこかに。

隣を歩くレイ。私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれる。私はレイが好き。

それはお姉さまだからじゃない。お姉さまになる前からずっと好きだった。

だから妹になったんだ。好きだから、妹になった。実に簡単な方程式だと思う。

「由乃?なに難しい顔してるのよ?そんな顔してたら眉間に皺寄るわよ?」

「・・・うっさい!!」

私はレイを追い抜いてさっさと歩き出した。本当にレイは乙女心が分からないんだから!

あれだけ甘ったるい小説が好きなんだから、もうちょっとぐらい相談にのってくれてもいいのに。

怒って先を歩く私の肩を、レイが掴んだ。

「何怒ってるのよ?私何かした?」

「令ちゃんは何もしてない。ただ私が勝手に怒ってるだけ!」

完全に八つ当たりなんだけど、それでもレイは文句を言わない。黙って私の後をついてくるんだ、いっつも。

皆レイの事優しいとか言って羨ましがるけど、本当はそうじゃない。情け無いだけ。

フンって鼻を鳴らした私に、レイは言った。まるで私を探るように。

「やっぱり何かあったんでしょ?相談に乗るから、私が」

やっと分かったか。遅いんだ、レイはいつも。だから私のイライラが募るんだ。

でも、今はそんな事どうでもいい。とりあえずユミだ。ユミとセイ。

「令ちゃん、じゃあ聞くけど。

そのヒーローの他にすでに大切な人が居たとしたら・・・令ちゃんどうする?」

「ヒーローの他に大切な人?それはすでに自分には恋人が居るって事?」

「ううん、そうじゃなくて。

・・・そうね、令ちゃんにとっては江利子さまみたいな存在の人が居たら、どうする?」

ユミにとってのお姉さまはサチコだ。つまり、レイにとってのエリコという事になる・・・はず。

すると、レイは小さく笑って言った。あっさりと。

「別にどうって事ないと思うけど。だって、お姉さまはお姉さまだからね」

「・・・どういう・・・意味?」

「だから、お姉さまはあくまでもお姉さまって事。

だからヒーローを好きになっても全然おかしくないと思うよ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

どういう・・・理屈なんだろう?この答えじゃさっきの私の方程式は成り立たなくなってしまう。

ユミがセイを好きでもおかしくないって事に・・・なっちゃうじゃない!!

だから私は言った。思い切り振り返って。

「もういいっ!令ちゃんのばかっ!!」

「ちょ、由乃?」

家につくまで私はただの一度も振り返らなかった。

振り返らなくてもこんな時はレイは追って来ないことなんて身に染みてるから。

そして、夜にお菓子持ってくるんだ、いっつも。

お姉さまはあくまでもお姉さま。その答えがこんなにも重い。どうしてそんな事言うの?

こんな私だからユミは相談してくれないのだろうか?

仮にユミがセイを好きだったとして、きっと私がそれを反対すると思ったから?

「そんなのあんまりじゃないっ!!」

部屋の枕を思い切り壁に向って投げつけると、毛布に突っ伏した。泣きたい訳じゃない。

ただ、寂しいのだ。何も言ってくれない事が。それがこんなにも・・・寂しいんだ。

私は前にユミに言った。『祐巳さん・・・まさか、祥子様を裏切るつもりじゃ・・・ないわよね・・・?』

と。あの時はまさかこんな事になるなんて思ってなかったし、それは今も変わらない。

私はお姉さまであるレイが好き。それのどこか間違ってる?いいや、違わない。

結局、晩御飯を食べた後もずっとその事を考えていたから、お母さんに呼ばれてるのにも気付かなかった。

「由乃!!令ちゃんが来てくれたわよ!!」

「うぁ〜い」

ほらね、やっぱり来た。私はノロノロとベッドから起き上がってドアを開けると、

そこには既にレイが立っている。手にシュークリームが乗ったお皿を持ちながら。

「由乃の好きなシュークリ−ム作ってきたよ」

「ん、ありがと」

とりあえずレイには部屋に上がってもらって私が紅茶の用意をした。

本当はレイのお茶の方が美味しいんだけどな。

部屋に戻るとレイは私がさっきまで書いていた相関図を見つめていた。

「これなに?」

「んー・・・ちょっとね」

私の言葉にレイは苦い笑みを漏らした。そして、まださっきの話考えてたんだ?と付け加える。

そうよ、私はずっと考えてた。だって、ちっとも分からないんだもん。

「だって・・・令ちゃんの言った意味、分かんないんだもん」

「何が分からないのかが私は分からないけどね」

紅茶を飲みながらそんな事をシレっとした顔して言われたら、かなり腹が立つ。

私はまだ温かいシュークリームを鷲掴みすると、それを一口で口に詰め込んだ。

こういう時は甘いものがいいって誰かに聞いたのを思い出したから。

そんな私を見てレイは呆れたように首を振ると話し出した。

「由乃はさ、私の事どう思ってるの?」

「そりゃ・・・好きよ」

「そうよね。じゃあ、私が由乃にキスしたいって言ったらどうする?」

「な、なによ?突然!!」

「例えばの話よ。ねぇ、どうする?」

レイとキス・・・それは・・・別に嫌じゃない。むしろ、ちょっと嬉しいかもしれない。

私の顔を見て、レイは何も言わず頷いた。多分、ユミみたいに顔に出てたのだろう。

だからレイは私の返事を待たずに話を続ける。

「じゃあね、もし私がお姉さまとキスしたいと言ったら?」

「・・・ありえないもん」

そんなのありえない。だって、さっきレイ自身が言ったではないか。お姉さまはお姉さまなのだ、と。

レイとエリコがそういう関係になるとは到底思えない。

「それは、どうして?だって、私とお姉さまの関係は私と由乃の関係と同じでしょ?どこが違うの?」

「そ・・・それは・・・だって、私と令ちゃんは幼馴染だもん!」

「そうね、私達は幼馴染よね。じゃあ由乃が例えで出した子はどうなの?その子も幼馴染なの?

大切な人とキスしたいとか、そういう事考えてる訳?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

ユミはサチコを憧れだと言った。好きという感情に種類は無いと、私は思ってた。

そうなんだ。レイの言うとおり、レイはエリコが好き。でも、私達のような関係には・・・決してならない。

そこに存在するのは・・・やっぱり姉妹なんだ・・・。何かが・・・解けそうな気がする。

その時だった。レイが言った。

「恋愛感情と、お姉さまに抱く感情は別物。少なくとも、私はね。

だってさ、姉妹=好きな人だったら、二股かけなきゃならないじゃない。

由乃にだっていつかは妹が出来ると思うの。その時、私と同じ感情を妹に抱くと思う?」

それは思わない。だって、私が好きなのはレイ一人なのだ。でもいつかは妹を作るだろう。

でもそれはきっと、レイを思うような感情ではない。

「・・・ううん。思わない」

「でしょう?さっき私の言った意味、分かった?その子がもしもヒーローを好きになったって、

それはどこもおかしくないし、おかしいのはそれを否定する事なんだと、私は思うよ?」

だって、好きな気持ちは止められないでしょ?そう言ってレイは微笑んだ。

その笑顔はさっき食べたシュークリームよりも甘い。

「令ちゃん・・・ありがとね。何だかスッキりした!」

長い間彷徨ってた迷路にふと道が出来た。突然見えたゴールは、私の考えも及ばないものだったけど、

とても素敵なゴールだったのかもしれない、なんて今は素直に思う。

だから私は目の前のシュークリームに手を伸ばすと、今度はそれをゆっくり味わう事にした。

それを見ていたレイが、あっ!って短く叫ぶ。

「それ、私のっ!」

「いいじゃない、令ちゃんのケチ」

「ひ・・・ひどい。由乃と一緒に食べようと思って作ってきたのに・・・」

「はいはい、ごめんごめん」

全く。せっかくさっき格好いいなぁとか思ったのに。これじゃあいつものレイと変わらない。

まぁでも・・・それがレイのいい所なんだけど。

言いこと言うのに、ちゃんと周りもしっかり見えてるのに、私にだけ弱くなってくれるレイの・・・。

「令ちゃん、このシュークリーム美味しかった!また作ってね?」

「・・・うんっ!」

大好きなお姉さまで、私の好きな人。明日、ユミを捕まえて話をちゃんと聞こう。

もうあんな風に言わないよ、私。だから、何でも話していいよ?だって、私はユミの親友なのだから!



人との繋がりなんてあやふやで、形も何もない。


それでも確かに繋がってると思えるのは、ふとした瞬間心が重なるから。


理解出来なくても、それでいい。歩み寄れば、それでいい。


何も出来ないなんて思わない。心はいつだって、傍に在るのだから。