大丈夫だと言って。心を伝えても平気だと言って。

いつまでたっても決まらない心を、嘆いたりしないで。

迷い続ける想いを、どうか憎まないで。

心を、想いを、止めたり・・・しないで。


これから何が始まるのか、何となく予感はあったんだろう。

だから私はさっきからずっとユミの顔が見られない。いつもは俯くのはユミだった。

けれど、今は違う。そう、私が俯いてるんだ。

「ここへ来るのも、きっともうあまりないわね」

何気なく呟いた一言に、ユミは息を飲んだ。きっと悲しそうな顔してるに違いない。

いや、もしかすると案外平気な顔をしてるのだろうか?私達の始まりは偶然だった。

けれど、今は全てが必然だったように思えてならない。ユミとセイが出逢う為の。

私を含めた薔薇の館のメンバー達はそれぞれに自分の人生を生きている訳だけど、

長い人生の中でこんな風に誰かの人生に関わらなければならないのだとしたら、

それがましてや大切な妹の人生にこんな役割で関わらなければならなかったのだとしたら・・・。

私は妹なんて欲しくなかった。妹なんて、大切な人なんて作らなければ良かった。

セイは私に言った。

『私は祐巳ちゃんにもっと触れたい。祐巳ちゃんの心も身体も・・・欲しい・・・』

泣き出しそうな顔は、高校二年生のセイの顔。ユミの心も、身体すら欲しがるなんて、どうかしてる。

でも、私の口から出た言葉に私は酷く後悔してる。自分でもどうしてあんな事を言ってしまったのか。

どうしてあんな事を言わなければならなかったのか。私の言葉に傷ついたセイの顔を、

私はきっと一生忘れる事が出来ないだろう。それほど瞼に、脳裏に、心に焼きついた。

人は傷つくととても綺麗な顔をする。それはセイもまた例外ではなかった。

セイの痛々しい笑みも、ユミの泣く一歩手前の顔も、私にはきっと真似できない。

『好き』という感情にさほど差はない。少なくとも私はそう・・・思っていた。

あの時のセイを思い出して震える私の拳を、そっと包んだのはユミの小さな手だった。

「・・・祐巳・・・?」

重ねられた手が暖かくて、私は安心したのかもしれない。

だから、ようやく私は顔を挙げることが出来たのだ。

真っ直ぐにユミと視線を交わすのは、何日ぶりだろう。もうそんな事忘れてしまった。

あんなにも子供っぽかったあのユミは、多分今は私よりも輝いている。

ユミはいつの間にこんなにも成長してしまったのだろう。私を置いて・・・たった一人で。

重ねられた手が、ピクンと震えたどうやら何かを決意したようにユミが大きく息を吸い込む。

「お姉さま。私、聖さまが好きです。

聖さまが倒れて、初めて心の底から誰かを失いたくないと思いました。

けれど、やっぱりお姉さまと聖さまを比べる事なんて、私には出来ません。

お姉さまと聖さまに抱く感情は全く別物なんです・・・」

「・・・それが・・・私には理解出来ないわ。好きという感情に種類なんてないでしょう?

一体私と聖さまの何が違うというの?あなた、それをちゃんと説明出来るというの?」

こんなのはただの誘導尋問だ。問題の全てをユミに任せて、とても卑怯なやり方。

でも、ユミはまだ真っ直ぐ私の瞳を見つめたまま、ほんの少しも視線を外そうとしない。

多分、私の知らないこの数日の間にユミの中で何かの答えが出たのだろう。

その答えは、出来れば出してほしくなかった。そして、セイの事など諦めて欲しかったのに・・・。

そうすれば私はまだユミの姉で居られた。そうすればもっと・・・ユミと一緒に居られた。

「私、聖さまにキス・・・しました。

失いたくなくて、怖くて、気がつけば眠ってる聖さまに口付けてました・・・。

自分でもはしたないとは思います。でも、理屈じゃなかったんです。身体が勝手に・・・動くんです。

心が、聖さまを求めるんです。離れたくない、と。この人の傍にずっと居たい、と。

こんな感情、私は知りませんでした。こんなにも強くて・・・苦しい感情を・・・私は・・・」

「なっ・・・あなた・・・っ」

口付けなんて、そんな・・・嘘よ・・・。けれど、そんな思いは声にはならなかった。

ユミに包まれた手が怒りとも悲しみともつかないで震える。

その時、ポツリとユミの瞳から水滴が零れた。

とても凛とした顔をしていたから、それが涙だと言う事に私はしばらく気がつかなかった。

いつものようながむしゃらな泣き方じゃない。涙だけが、頬を伝うような、そんな泣き方。

自分が泣いてるのに気付かないのか、それとも涙など些細な事なのか、ユミは喋り続ける。

「私は・・・もっともっと聖さまに近づきたい。出来るなら・・・聖さまに触れられたい。

でも、お姉さまにこんな感情を抱いた事はありません。私はお姉さまに憧れてます、心から。

いつかお姉さまのような人に私もなりたい。

でも、聖さまは違う。聖さまになりたいとは・・・思わない。

ただ、一緒に居たいんです。どんな時も、いつまでも。ずっと・・・ずっと」

ユミの頬を伝う涙が途切れた。ゆっくりと大きな瞬きをしたと同時に。

そこには、私の知らないユミが・・・居た。

ああ、そうか。私は結局、セイが羨ましかったんじゃない。

憎かった訳でもない。ただ、悔しかったんだ。

ユミが取られたというのは口実で、私は悔しくて仕方なかった。

だって、私はセイのように生きれない。

歳の差なんてたった一つしか違わないのに、セイは自分の感情に容易く名前をつける事が出来る。

けれど、私にはそれが出来ない。ヒステリーを起こして泣き喚いてユミに行かないでと怒って。

それしか・・・出来ない。もし私がセイの立場だったとしても、きっとそれは変わらなかっただろう。

私には・・・あんな風にただじっと見守るだけなんて事、きっと出来ない。

そして今、ユミはセイと同じ顔を・・・してる。はっきりと自分の中の感情を整理出来てる。

それが分からないから、私は余計に、こんなにも、悔しいんだっ!

「そう・・・分かったわ。最後に一つだけ・・・聞かせてちょうだい」

「・・・はい」

本当はこんな事聞くべきじゃない。私は、最低だ。でも、聞かずには居られなかった。

私とセイ、どちらも大事だというユミにだからこそ、聞きたかった。

「もしも・・・私と聖さまの手、どちらかを選べと言ったら・・・あなたは・・・どうする?」

案の定、ユミは眉根を寄せた。けれど、きっと心は決まってる。その答えを、私は知ってる。

「どうしても選ばなければならないのなら・・・」

大きく息を吸い込むユミ。私は、最後の時を待っていた。幕が降りるのを、ただ待っていた・・・。

「どうしても・・・選ばなければならないのなら・・・私は、聖さまの手を取ります」

はっきりと、淡々とした声だった。私は、自分から幕を引いたのだ。

ユミはきっとセイがユミの事を好きだなんて事知らない。きっとまだ、セイは言っていない。

もしかすると、一生想いを告げない気なのかもしれない。けれど、ユミはセイを選んだ。

確実に手に入る私の手を捨て、ユミは・・・セイを選んだのだ。

「そう・・・分かったわ・・・これで、終わりなのね」

私の言葉にユミは泣き出しそうに微笑んだ。その顔を見て、私はほんの少し安心した。

私の知ってる甘えたで、可愛らしいユミの顔だったから。

ユミはそっと首から提げていたロザリオを外すと、何も言わず私の手の平に置いて深々と一礼する。

「今までありがとう・・・祐巳・・・」

「それは・・・私の台詞です、お姉・・・いえ、祥子さま・・・」

サチコサマ・・・懐かしい呼び名だった。そうか、私とユミの時間はもうそんなにも流れていたのか。

あの頃を懐かしいと思えるほど、時間は知らぬ間に経っていたのか。

「それでは・・・失礼します」

「ええ・・・ごきげんよう」

ユミはもう一度私に一礼して、ゆっくりと温室の出口に向い歩いてゆく。きっと、泣いてるだろう。

だって、ほんの少しも振り返ろうとしないから。そんなユミをもう一度呼び止めたのは、私だった。

「待ってちょうだい!あなた、聖さまに想いを告げに行くの?」

私の言葉にユミは振り返った。

大粒の涙が溢れているけれど、どこかスッキりしたような顔をしている。

そして、まるでマリア様のような微笑みを浮かべ静かに言った。

「いいえ」

・・と。静かな、けれどはっきりとした口調だった。

どうして?自分の気持ちにようやく気づいたのに、セイの手を選ぶと決めたのに、

どうしてその想いを告げないの?けれど、その答えを私が聞く事はなかった。

なぜなら、ユミの姿はもう、そこには無かったから。

私に残ったもの、それは冷たくなったロザリオ。それだけだった。

「っう・・・うぅ・・・」

声を出して泣くなんて出来ない。二人の世界は終わってしまった。

私達の世界は・・・あっけなく、終わりを告げて・・・。

手の中に残ったロザリオは、今も私の心を刺す。

でもそれは、激しい痛みではなく、とても、とても静かな痛み。

いつまでもいつまでも疼くような・・・そんな痛みだった・・・。



途切れないモノなど、何も無い。


終わりの無いモノなんて、何も無い。


例えばそれが、どんなに望んでいなくても。


痛みと引き換えに手に入れたモノに、さほど価値があるとも思えない。


いっそ、初めから何も無かったのなら・・・。







それぞれの告白  第二十六話