私の心とアナタの心は繋がっているのでしょうか?
例えば私と同じ事を想ってくれていたりするのでしょうか?
そうでなければあまりにも寂しいと思いませんか?
そうでなければあまりにも哀しいと思いませんか?
記憶の続く限り覚えておきたいと思うことは沢山ある。
けれどその大半はほとんど曖昧にしか覚えていられない。
夕暮れの美しさも夜の静けさも、すべては夢の中の出来事のように揺らいで儚く消えてゆく。
毎日が同じ日だと全てを忘れられたなら、それはどんなに幸福だろう。
それはどんなに寂しいだろう・・・。
セイは何も言わずユミの手を引いてゆっくりと湖に向かった。
観覧車が最後のアトラクションだったはずなのに、セイはどんどん歩いてゆく。
「聖・・さま・・・?」
「なぁに?」
セイはそういって肩越しにユミの方に振り返った。
案の定ユミは不思議そうな顔をしてセイを見つめている。
「あの・・・どこ行くんですか?」
「・・・まだ内緒だよ」
セイはそう言ってユミの手を引きさらに歩調を速めた。
日はすっかり落ちて遊園地の中の外灯だけが二人を照らし出す。
長い影は重なるように一つになって、まるで溶け合ってなくなってしまいそうなほどだ。
やがて観覧車をグルリと回って少しだけ高くなったところまで来ると、
さっき二人で乗ったボート乗り場が見えてきた。
「すみません、まだいけますか?」
セイはボート乗り場のおじさんにそう言うと、にっこりとユミの方を振り返った。
「聖・・・さま?」
セイの笑顔はとても穏やかで、さっきまでの困ったような笑顔ではなかった。
観覧車の上で話したユミの泣き言をセイがどんな気持ちで受け止めたのかは分からないけれど、
ただ一つ言えるのはユミの心は今は随分軽いということだった。
セイはいつもユミの思っている半歩ぐらい前をいつっもスタスタと歩いてゆく感じで、
ユミはいつもそんなセイの後を追ってばかりいた。
けれど、そんなのはもう嫌だ。
どうせならこうやってっ引っ張られるばかりではなく、並んで隣を歩いてゆきたい。
でもユミの考えなどセイはいつもお見通しでただの一度も先を歩かせてくれた事などなかった。
「ねぇ、祐巳ちゃん。どうして私が今日この遊園地を選んだかわかる?」
セイはおじさんからチケットの半券をもらうとユミをボートに先に乗るよう促した。
ユミはセイの質問に首をかしげ何か考え込んでいたけれど、やがて首を大きく横に振った。
「そろそろだと思うんだけど・・・」
セイは腕時計の時間を確かめると、ゆっくりボートを漕ぎ出した。
広い湖の真ん中には二人だけしかいない。外灯の光も届かない完全に真っ暗闇だ。
「せ、聖さま・・・私ちょっと怖いんですけど・・・」
ユミは怯えるように向かい合うセイに近寄ろうとした。
けれど、ボートが必要以上に揺れて思うようにセイに近づくことはできない。
「もうちょっとの我慢だから、ね?じっとしてて」
セイはそういってユミの手を取ると、ユミがこれ以上怖がらないようにしっかりと握った。
ユミはそれに安心したようにセイの手を握り返し、セイの待つ何かをじっと待っている。
「ほら、始まるよ」
セイが言ったその時だった。ドーンと大きな爆発音がしたかと思うと、夜空に真っ赤な花が咲いたのだ。
「え・・・?・・・あ!わぁぁ・・・」
ユミは大きな赤い花を見上げながら歓喜の声をあげ、手を叩いて喜んだ。
「綺麗・・・ね?聖さま!!これを私に見せたくてここを選んだんですか!?」
ユミは満面の笑みでセイの顔を見つめたけれど、ユミの答えにセイはゆっくりと首を振った。
「いいや。これじゃないよ。空に咲く花もいいけど、私が見せたかったのはこっち。
祐巳ちゃん、いい?動いちゃダメだよ?」
セイはそう言って人差し指を唇に当て、小さくウインクをして湖面を指差した。
「へ・・・?下??」
ユミはセイの言うとおり口を両手で押さえじっと湖面を見つめる。
・・・すると・・・ドーンという大きな音に一瞬湖面は揺らめいて、やがて大きな白い花が姿を現したのだ。
でも、湖面に映った花火は空の花火よりも儚く消え去ってしまう。
「あ・・・すご・・・」
「ね?綺麗でしょ?これを見せたかったの。祐巳ちゃんに」
セイはそういって目の前で手を叩いて喜ぶ少女に目を細めた。
何でも顔にでてしまう彼女の思考はセイには手にとるように分かってしまう。
けれど、分かりすぎてしまうと不安になることも沢山あるのだ。
嘘がつけない分、正直すぎるぶん、セイにとって辛くなる事もある。
優しい嘘をついてほしいことも・・・あるのだ。
けれどそれをユミに言ったところで、きっとユミを困らせるだけになることも分かっている。
観覧車の上で、ユミの言った言葉はセイにとってとても嬉しいものだった。
けれど、同時に少し悲しい気もしたのだ。
分かりすぎる事も、分かられすぎる事も、どちらも同じぐらい不幸な事なのかもしれない。
「聖さまは・・・私の事はなんでも分かるんですね?私の喜びそうな事とか、好きなものとか。
でも、私には何も分からないんです。
聖さまの事・・・こんなんじゃ私、いつか聖さまに嫌われてしまいそうで・・・」
ユミは湖面に次々と映る花火を見つめながら静かに呟いた。
声は花火と一緒にすぐに湖に飲み込まれてしまう。
でも・・・セイはちゃんと聞いていてくれた。
「私は・・・祐巳ちゃんの全てが分かる訳ではないよ。ただ、ずっと見ていたからね、君の事。
分からないわけがないんだよ。でも、私の事を分からないと思って嘆くのはもう止めて?
私はずっとここに居る。祐巳ちゃんの隣にずっといるよ。
だから少しづつでいいから私の事を知っていってよ。
そして少しだけでも私を理解出来たと思ったなら、それでいいじゃない。
私たちの悩みなんて、所詮はこの湖に映る花火と同じぐらい淡くて儚いものなんだからさ」
セイはそう言ってユミの手の甲に軽くキスをした。
暗くてよくは見えないけれど、きっとユミの顔はこの花火と同じぐらい赤いだろう。
そんなことが手にとるようにわかる。でも、それでいい。
ユミの事を少しでも理解出来た、というその事実だけでいいのだ。
そんな少しの理解が大きな勇気になることを、セイは知っているから・・・。
「・・・そんなもんですか?」
ユミは少し首を捻った。本当にそんなのでいいんだろうか?
それって、あまりにも自分勝手な気がするのだが・・・。
まるで自分の中で勝手に虚像を作り上げてもいいよ、と言っているようなものではないのだろうか?
しかし、聖は言う。
「そんなもんだよ。完全になんて理解できるわけないじゃない。私も、祐巳ちゃんも。
それにその理解だって本当に合ってるかどうかなんて、本人にしか分からないしね。
でもね、それでもしょうがないんだよ。
分からないなら聞くしかないのと同じで、少しづつ近寄るしかないんだ。
それで辻褄が合わなくなって、結局終焉を迎えたとしても、それは自業自得だよ。
だから、私が祐巳ちゃんの全てを把握出来てるだなんて思わないで?
私だって、毎日新しい祐巳ちゃんに出逢ってばかりいるんだから・・・」
そして、そんなユミを見つけるたびに、どんどん結いを好きになっていく自分。
この想いには果たして底があるんだろうか。一体どこまでユミに堕ちればいいというのだろうか。
セイは眩しそうにユミを見つめそう言って小さく微笑んだ。
そして、照れ隠しのようにボソリと言葉を付け加える。
「それに・・・今回のは初めから知ってたし・・・」
その言葉を聞いた途端、今まで涙ぐんでいたユミの頬が引きつった。
「・・・それ、どういう意味です?」
「んー?さぁね、どういう意味でしょう?ねぇ、祐巳ちゃん。内緒の話はもっと小さな声で話さなきゃ、ね?」
セイはそう言ってニヤリと不適に笑った。暗いボートの上、頼りになるのは花火の明かりだけだ。
そして、もう一つ花火が上がった時に見えたユミの顔は、
怒りとも恥ずかしさとも言えない何とも複雑な顔をしていた・・・。
「し、知ってたんですか!?まさか聞いてたんですか!?」
「聞いてただなんて人聞きの悪い。聞こえてきたんだよ。部屋の前通りかかったら。
だからつい最後まで聞いちゃったんだよね。でも、面白かったよ、祐巳ちゃんの理想のデート」
「な、なん!!じゃ、じゃあどうして!?」
じゃあどうしてその理想のデート通りにしてくれなかったのか。
あんなにもはっりきって計画を練っていたのに、どうしてことごとく失敗してしまったというのか。
「えー?結構実行したと思うけど?あれじゃあ不満だったの?」
「う・・・それは・・・」
不満だったかと聞かれたらそうではなかったけれど、なんと言うかこう、
もっと甘い雰囲気になっても良かったような気がするのだ。
それなのに!!ユミはそう言ってセイをキッと睨み付ける。
けれど、セイはただ笑っているだけで全く動じようとはしなかった。
「まぁまぁ、祐巳ちゃん。
そんなことよりも、この後のご予定は?祐巳ちゃんの理想のデートはどうやって終わるの?」
セイはそう言ってユミにズイっと近寄った。
「え・・・それは・・・その。
やっぱりこう・・・夕食を食べて、駅のホームでいつまでも離れられなくて・・・みたいな感じとか・・・ですか?」
ユミはそこまで言って両手を顔で覆った。自分でも恥ずかしいと思う。
けど、理想はそうなのだ。そしていつまでも離れがたい恋人同士は終電まで粘るけど、でも・・・。
去り際にキスとかしてくれたら文句はないのだけれど、いかんせんセイとユミは一緒に暮らしていて・・・。
自分たちのデートにそれはどう考えても当てはまらない。
ユミがう〜ん、と頭を捻っていると、突然セイがユミの目の前に何かを差し出した。
「ねぇ、祐巳ちゃん。もしかしてこの後はもうそれで終わりなの?」
セイはそう言ってユミの膝の上に何かを落とした。
暗くてよく見えないけれど、どうやらそれは金属で出来た何か、ということだけはわかる。
そしてそろそろ最後の方の花火だろうか、今まで一つづつ咲いていた花が沢山夜空と湖面に散りだした。
「っ・・・これ・・・」
「ホテルのスイート・・・とはいかなかったけどね。とりあえず今回はそれで我慢してくれる?」
「で、でも、そんなの一言も・・・」
ユミはしっかっりと手に握られた銀色のルームナンバーのついた鍵をじっと見つめた。
デートはこれで終わりだと思っていた。それなのに・・・。
「ねぇ、今日はまだ終わりじゃないんだよ?この後・・・何しようか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・バカ」
セイは笑いながら両手で顔を隠すユミを見ていた。
最後の花火があがる。花火は湖面に浮かぶ大輪の花。
花がたとえ散っても、胸の中には今夜の花がずっと、ずっと・・・。
些細な行き違いで壊れるもの。
ちっぽけな関係で容易く千切れるもの。
そんなギリギリの感情だけど、いつだってそれはそこにあって、
今もずっと私たちを見下ろしている。