沢山の人の中から私を選んで。
そして他の誰も見ないで私だけを愛して。
そうすれば、私はきっとキミに応えるでしょう。
キミだけをこの先ずっと愛するでしょう。
冬の息遣いがすぐそこまで近づいて、身体がすくんだ。
独りだと知っていたはずの心は簡単に解け、迫りくる想いに恐怖を覚える。
知った心は知らなかった心よりもずっと重くて。
大地はそれを許すように暖かく、風はそれを許さないように冷たい。
「さて祐巳ちゃん。実はね、私ずっと乗りたいものがあったんだけど、付き合ってくれる?」
セイはそう言ってまだボートに乗ったまま頬を紅潮させているユミの手を引いた。
ユラユラと揺れる水面に手をつないだ二人の姿が映り、やがて揺らめいて消える。
セイはそれをしばらくじっと見つめていたけれど、やがてユミの方を向き直りにっこりと微笑んで、そう言った。
「もちろんですよ!で、何に乗りたいんです?」
ユミはセイの手をキュっと握ると嬉しそうにセイの開いた地図を覗き込むと笑った。
いつもならデートはセイに合わせる。けれど今日はユミがデートの主導権を握っているのだ。
何故か少しだけ得意になってしまう。遊園地の中で怖いものなど何もない。
流石のセイだっていつものようにユミにドッキリを仕掛けることなど出来ないはずだ。
などと、ユミは完全に思い込んでいた。
そう・・・ユミの一番苦手な乗り物の事などすっかり忘れ去ってしまっていたのだ。
というよりは、勝手にセイも苦手なはずだと思い込んでいた、と言った方が正しい。
だって、セイは高所恐怖症なのだから・・・。
「でも・・・祐巳ちゃん乗れるかなぁ・・・。ちょっと心配なんだけど・・・」
「大丈夫ですよ!遊園地で怖いものなんてないですよ!」
ユミは胸を張りドンと叩く。
「そう?なら思う存分付き合ってもらおうかな?私最低三回は乗りたいんだよね!」
セイはそう言ってユミから視線を少しだけ逸らしてクスリと小さく笑った。
もちろん、ユミの気分が悪くなったら止めるつもりだが、
ユミがどこまで自分のために我慢してくれるのか確かめてみたい。
こうやって何度も何度もユミを試すような真似をする自分は本当は好きじゃない。
けれど、どうしてもそうしたくなる事がある。
ただの自己満足にユミを無理矢理巻き込もうとしているのは痛いほどよく分かっているというのに。
もしも、こんな感情がユミに知られてしまえば、嫌われてしまうだろうか・・・?
もう好きだとは言ってくれないだろうか・・・?
言葉や、態度でも埋まらない不安定な心を埋めてくれる何かが見つかるだろうか・・・?
セイは小さく深呼吸をすると、地図の真ん中を指差しにっこりと微笑んだ。
「これなんだけど」
「えっ!?こ、これ・・・ですか・・・?で、でも、聖さま高いところダメなんじゃ・・・」
「うん。高いところはあんまり好きじゃないけど・・・でもスピードものは好きだから」
「あ・・・ああ・・・なるほど・・・そうですよね・・・そうでしたよね・・・」
ユミはセイの指差した先の乗り物を見てゴクリと息を呑んだ。おかしい。こんなのは予定外だ。
どうしよう・・・本当は大嫌いなのだ。ジェットコースターは・・・。
セイはてっきり高いところがダメだからジェットコースターも苦手だと勝手に思っていたけれど、しっかり忘れていた。
セイがスピード狂なのを・・・。
ユミはチラリとセイの顔を見た。そしてセイの顔を見て、腹をくくった。
「分かりました・・・乗ります。一緒に乗りましょう!最低三回は!!」
ユミは握っていたセイの手に力を込めるとそう言って歩き始めた。
さっきのセイの物凄い嬉しそうな顔・・・それが今のユミを突き動かしていると言っても過言ではなかった。
ユミの為にセイはオバケ屋敷を我慢してくれた。ユミの為に今日は遊園地に来てくれた。
セイの優しさはユミが一番よく知っている。
いつものデートだって、本当は全てセイがユミの為に用意してくれている事も。
いつも全てをユミに渡してくれるセイ。心も身体も想いも全て。
自分はとても愛されているのだと疑う余地さえ与えないほどに。
・・・でも、そう思えば思うほど、たまには怒って欲しいと思うことだってあった。
おかしな感情だと自分でも思うのだけれど、心が満たされれば満たされるほど傷つけて欲しいと願ってしまう。
感情的に、もっと自分をさらけ出してほしい・・・。
ユミはセイを引っ張るようにズンズンと足を無理矢理動かした。
やがて目の前にそびえるタワーにユミは思わず目を背けた。こんな気持ち、一体何年ぶりだろう・・・。
ワクワクとかではない、変な動機がする。ドクドクと早まる心臓はまるで皮膚を破ってそのうち飛び出してしまいそうだ。
「はあ〜なんかドキドキしてきた!ね?祐巳ちゃん」
目の前のこのタワーはこの遊園地の名物ともいえるものだった。
地上から垂直に上まで上がり、そのまま物凄い速さで下に落ちてくるというなかなかデンジャラスな乗り物。
ジェットコースターよりも長くあの浮遊感を感じられるのが特徴で、
セイはあのなんともいえない浮遊感がとても好きだった。
深い眠りに落ちるときのようなあの感覚・・・。どこまでもどこまでも落ちるような、あの感覚にとてもよく似ている。
このタワーに向かう途中、ユミはずっと百面相をしていた。ここに来て、セイの胸に小さな罪悪感が生まれる。
「ねぇ、祐巳ちゃん?もし乗りたくないならちゃんと言ってね?私みたいに隠さなくてもいいから」
さっきのオバケ屋敷での失態をセイは思い出した。
結果的にはユミは喜んでくれたみたいだったけれど、どうにも自分の中で納得がいかない。
こんな想いをもしユミがこれからするのだとしたら・・・それは嫌だ。
けれど、セイのそんな思いとは裏腹にユミは大きく首を振る。
「いえ、乗ります!聖さまと一緒なんですから大丈夫に決まってます」
ユミはゴクリと唾を飲み込んだ。そしてセイの手をさらに強く握る。
きっとセイの事だ。ユミが本当はこういう乗り物が好きじゃないことなど、とっくに知っているだろう。
けれど、さっきのセイの顔・・・あれが頭をチラついて離れない。
もしもユミがこれに乗ることでセイがもう一度あんな笑顔を見せてくれるのなら・・・。
ユミはセイの手を引き、乗り場のお姉さんに案内されるがままシートに腰を下ろした。
「ゆ、祐巳ちゃん。本当に大丈夫なの!?途中で降ろしてっていったって無理なんだよ?」
「わ、分かってます!!でも・・・お願いです聖さま・・・絶対に手を離さないで・・・」
ユミは肩に掛けられた固定具を右手でしっかりと握り、左手でセイの手を握る。
目には涙が溜まっているのが自分でも分かった・・・。
「分かった。絶対に離さないから。大丈夫、すぐに終わるよ」
セイはそう言ってユミの顔を見てニッコリと笑った。そして胸の中の罪悪感はさらに増してゆく・・・。
涙を溜めてセイを見上げるユミ。今からこんな調子で大丈夫なのだろうか・・・。そんな不安が胸を過る。
そしてその時は・・・きた。
ガタンという音がしたかと思うと、ユックリと地上が遠ざかっていく。
「う・・・」
「せ、聖さま・・・?」
「いや・・・高いね・・・」
心配そうなユミの顔に、セイは苦い笑みを返した。
あの浮遊感は好きなのだが、この高さだけはどうにもならない。
覚悟はしていたけれど、やっぱり苦手なものは苦手だ、と思う。
「だ、大丈夫ですよ、私がついてますから・・・」
「・・・うん、そうだね。ありがとう、大丈夫だよ」
そう言って励ましてくれるユミの手は小刻みに震えている。そして思った。
『ああ、私はバカだ』
と。
試さなくても分かっていた。こんなことをしなくても知っていたというのに・・・。
セイは震えるユミの手を抑えるように包み込むと優しく微笑んだ・・・もうすぐ頂上につく頃だった。
「大丈夫。私が隣にいるよ」
「は、はい・・・」
逆行で眩しくてよく見えなかったけれど、セイの顔はとても穏やかだった。何故かとても安心できる顔だった。
ユミがギュっと目を瞑った瞬間・・・ガコンと大きな音を立てて座席は真下に落ちてゆく。
「んぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
何とも不細工な声が遊園地内にこだまする。
チラリと横目でセイを見たけれど、セイはまるで眠るように静かにただじっと目を閉じていた・・・。
ガタンと音がしてようやく揺れが止まってもしばらく立つことが出来なかったユミを、
セイは抱きかかえるようにしてゆっくりシートから立ち上がらせてくれた。
「大丈夫?」
心配そうにそう尋ねるセイの顔は、さっき落ちている最中に見たセイの顔ではなかった。
あの時のあのセイの顔は一体何だったのか・・・それを聞きたかったけれど、今のユミにそんな余裕などない。
セイにもたれかかるようにヨロヨロと歩くのがやっとだ。
「付き合ってくれてありがとね、祐巳ちゃん。楽しかったよ」
「え・・・でも・・・三回は乗りたいんじゃ・・・?」
「いや、もう十分だから。それに・・・あの高さがねぇ・・・」
セイはそう言って恥ずかしそうに微笑んだ。もちろんこれは口実なのだけれど、半分は本音だった。
それになによりもユミのこの状態を見てとてももう一度乗ろうだなんてとてもじゃないけれど言えない。
「・・・そうですか。そう言ってもらえるとありがたいです・・・」
ユミはセイの手を握ったまま、ハァ、と安堵のため息を落とした。
そんなユミを見てセイは子供のような笑顔を浮かべている。
「だって、祐巳ちゃんの声凄かったもん。高校の時に私が抱きついたりするたびに悲鳴あげてたじゃない?
あれの非にはならなかったよね」
「だ、だって!抱きつかれるのは嫌じゃなかったですもん!!でもこれは・・・」
ユミはそう言って今恐怖の体験をしたばかりのタワーを振り返り苦い顔をする。
そして改めて誓った。もう二度と乗らない!と。
「へぇ?祐巳ちゃんは私に抱きつかれるのは嫌じゃなかったんだ?じゃあどうしてあんなにも逃げようとしてたの?」
「だって・・・それは、その・・・」
「その・・・なぁに?」
「恥ずかしかったし・・・バレちゃうと思ったから・・・」
ユミは顔を真っ赤にして俯いた。
そう、当時はまだセイには伝えられない気持ちをずっと隠していて、それを隠そうと必死だった。
同性だから、とか、自分にはお姉さまがいるのに、とか、
理性では分かっていたから余計に感情についてゆけなかったのだ。
でもいくら気持ちを隠そうとしてもセイにあんな風に抱き疲れるたびに、
溢れそうな想いとか激しくなる鼓動を抑えるのは難しかった。
だから叫び声を上げてはセイから離れようと必死になっていたのだ。
それなのにセイはそんなユミの苦労もしらずユミの答えに納得がいかないというような顔をしている。
「バレちゃうって・・・何が?」
「もう!ナイショですよ!!」
ユミはそう言ってセイの指に自分の指を絡める。するとセイもそれがまるで合図かのように、指を絡め返してくれた。
秋風が二人の間を撫でるように通り過ぎる。
けれど、心に冷たい風が染み込むことは・・・なかった。
騎士はいつだって姫の事を想い忠誠を誓っていました。
けれど姫はそれがじれったくて仕方がありませんでした。
君主としてではなく、一人の女性としてみて欲しかったのです。
だからいつも騎士の本音が知りたくて、騎士の心が見たくてしょうがなかったのですが、
騎士は一線を越えようとは決してしませんでした。
でも、騎士は本当はもうとっくに姫の事を愛していましたし、姫の想いにも気がついていました。
けれどそれを越える事は出来ません。
感情を抑え、姫を守るのが騎士の仕事だったのですから。
たまには姫に気持ちを伝えたいと思う事もありましたが、
騎士はそのたびに震える手をギュっと握るだけで決して行動には出ませんでした。
姫から見れば、騎士はとても勇敢で強いイメージでしたが、騎士は本当はとて繊細な人だったのです。
自分の想いに自ら蓋をして、決して叶う事のない恋を大切にしまっているような、そんな人なのです。
だから騎士は今日も誓います。何があっても、姫は必ず自分が守るのだと。
姫を守れるのは、自分しかいないのだと。
本当は、それは反対なのだということを知っていながら・・・。
試すような真似をする私を許して。
いつも不安でいる私を許して。
キミの愛を疑うわけじゃないけれど、
キミの愛の深さを信じない訳じゃないけれど、
どうしても答えが知りたい私を許して。