理想と現実にはさほど差はないのかもしれない。
ただ、そう思えば思うほど、理想はどんどん遠のいて・・・。
現実はなかなか追いついてはきてくれない。
風がそろそろ冷たくなってきましたね?
そう言って隣に居る人に思いもかけず声をかけられたとき、一瞬躊躇してしまう。
少しでも他人と距離がとりたくて、距離がないと返って不安で。
どうしようもなく寂しくてしょうがなかったり、切ない夜に聞きたいのは他の誰の声でもない。
ここに居るという安心感を抱かせてくれるのも・・・他の誰でもない。
愛なんて決して見えやしないけど、確かにそれはそこにある。
どこにだって転がってるものなんだ、と、今ようやく思う。
セイはこっそりとベッドを抜け出し、ユミが幸せそうに眠っているのを確かめた。
さっきまでの疲れからだろうか。ユミは小さな寝息を立ててぐっすりと眠っていた。
毎日毎日見ているユミの寝顔・・・それなのに、いつもこんな風に新鮮に感じるのは何故だろう。
セイは眠っているユミのおでこに軽くキスをする。するとユミは一瞬顔をしかめたけれど、やがてにや〜っと笑った。
そんなユミに、セイはおかしくてつい笑ってしまう。
セイがベッドから離れようとしたその時、眠っていたはずのユミの口から突然声が発せられた。
「ん・・・せいさまぁ・・・?ろこ行くん・・・れす・・・?」
突然のユミの声にセイは驚いて声を出しそうになったが、かろうじてそれを止めた。
「ト、トイレだよ」
驚いた挙句やっと言えたのがその一言・・・。なんとも情けないけれど、そんなセイにユミは言う。
「・・・私も・・・い・・・く・・・」
「は?」
「わた・・・しも・・・トイ・・・レ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
多分、ユミは半分以上まだ夢の中に居ると思う。
けれど、それでも必死に手を伸ばしてセイのシャツの袖を探るユミは、もう、どうしようもなく可愛い。
これは・・・自分も一緒に連れていけ、とそういう事なのだろうか。
「祐巳ちゃん、トイレ行きたいの?」
「ん・・・どう・・・だろ・・・?」
「いや、どうだろ?って言われても・・・」
セイは完全に寝ぼけているユミがおかしくて苦い笑みをこぼした。
正直に言うと、セイが用事があるのはトイレではない。慌てて出た言葉がトイレという単語だったというだけで・・・。
「祐巳ちゃんトイレ行く?それとも寝てる?」
「うー・・・?寝て・・・?寝てませ・・・んよ・・・」
「こりゃ駄目だ」
セイはポツリとそう呟くと、シャツを握り締めているユミの手をそっと離しもう一度ユミのおでこに軽いキスを落とした。
ユミはまたニヤニヤと笑っている・・・。きっと何か幸せな夢でも見ているのだろう。
その相手が・・・自分ならかなり嬉しいんだけど・・・。
セイはそんな事を考えながら、ユミの夢の中で、自分がユミにキスしているところを想像した。が。
「・・・っ!!何考えてるんだ、私は・・・」
セイは寝室を出て、あまりにも恥ずかしい想像に頭を抱えた。
そしてそんな自分も、大してユミと変わらないんだな、なんて妙に納得してしまう。
電話で嬉々として理想のデートを妄想していたユミ。でもよくよく考えれば自分だってよくする。
ユミとの理想のデート・・・そんな事を妄想してよく楽しんだものだ。
だから決してユミの妄想を笑えやしないのだ。
セイはよろよろと立ち上がり、さっさと用事を済ませて眠る事にした・・・。
「あ!おはようございます、聖さま!」
「おはよ〜」
セイがリビングに入ると、ユミがちょうどトーストにバターを塗っているところだった。
目玉焼きとコーンスープとバターをたっぷり塗ったトースト。それにお気に入りのコーヒー・・・。
理想の朝食といった感じだ。ユミの作る朝食はいつも洋食と和食が交互に出てくる。
まるで小学校の給食みたいだ。でも、それにはちゃんとした理由もある。
一緒に暮らし始める前は、セイの朝食は、パン。ユミの朝食はご飯だった。
一緒に暮らし始めてからはユミがそれらを毎朝交互に作ってくれている。
別に毎朝ご飯でもいいよ?というセイに、ユミは笑って言った。
だって、ご飯にコーヒーは合わないじゃないですか?と。
作ってくれるだけでも嬉しいのに、その上そんな風に気遣ってくれるユミ。
セイにはそれが・・・そんなユミがただただ愛しかった・・・。
「もうすぐ出来ますから、もうちょっと待っててくださいね!」
「うん、いつもありがとう」
そんな風に笑うユミに、セイはそれしか言えなかった。
本当はもっともっと感謝しているけれど、どうしてもそれが言葉では表現できない。
いや、こんな想いは表現のしようもない。
セイはチラリと時計に目をやると、その隣にはまだあのカレンダーが貼ってあった。
ご丁寧に昨日のところには大きくバツ印がしてあって、今日のところに昨日よりも大きな花丸が描いてある・・・。
その印を見れば、どれほどユミが今日を楽しみにしているのかが人目で分かってしまった。
セイは昨日のユミの電話を思い出し、クスリと小さく笑う。
「何がおかしいんですか?」
「いいや。何でもない・・・それより祐巳ちゃん。今日は久しぶりにどこかで待ち合わせして出かけようか?」
ユミの理想のデートでは、確かデートは待ち合わせでなければならないそう。
それならば、それにセイが従わない理由もない。
セイの言葉にユミは驚いたように目を丸くして、突然何かを思い立ったように携帯電話でメールを打ち始めた。
「何してるの?」
「いっ、いえ!別に!!それよりも・・・どうしたんです?急に」
ユミはそう言って携帯電話をエプロンのポケットにしまうと、満面の笑みでセイにそう尋ねた。
「ん?何となく・・・ね。ただ待ち合わせも久しぶりにいいかな、と思って。イヤだった・めんどくさい?」
「いえっ!!まさか!!!嬉しいです、とても!!待ち合わせ・・・待ち合わせか・・・ふ・・・ふふふ」
「ゆ、祐巳ちゃん・・・コーヒーコーヒー!!」
「あっ!!」
ユミは慌てて零れたコーヒーを布巾で拭くと、恥ずかしそうに笑った。
セイもそんなユミを見て苦笑いを浮かべている・・・。
それにしても・・・どうしてセイは今日に限って待ち合わせをしようだなんて言い出したのだろうか。
ユミは昨日ヨシノに言った理想のデートプランを思い出した。
なんだか途中から妙なテンションになてしまって、自分でも今思い返して恥ずかしくなってしまう。
でも・・・でも、たとえそれが偶然だとしても、こんなにも嬉しい事はない。
だって、なんだか自分とセイが心のどこかで繋がってるみたいで・・・本当に嬉しかった・・・。
「えっと・・・それじゃあどこで待ち合わせします?ていうか、どこに行くんですか?」
ユミはそう言いながら、じっとセイの瞳を見つめた。
心の中ではさっきから呪文のように遊園地・・・遊園地・・・と呟いているのだが・・・。
「そうだなぁ・・・どこ行こうか?どこがいい?」
セイはユミの何かを訴えるような視線に笑いを堪えるのに必死だった。
絶対心の中ではすでに行き場所は決定しているはずだったから。
でも・・・ユミはわざと考える振りをしている。いつ言おうか、それとも、セイから言い出すのを待っているのか。
セイはニッと笑うと、そうだなぁ〜、とわざとらしく言った。
「遊園地・・・でも行こうか?二人で行った事・・・ないよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
やったぁぁぁ!!!!通じた!通じたよっ!!!!
ユミは心の中でそう叫んだ。以心伝心とは、こういうものなのか。
やはり、セイと自分はどこかで繋がっている!!もう、そう思っても間違いはないだろう。
ユミはまた携帯電話をポケットから取り出すと、ピコピコとメールを打ち始めた。
メールの相手はヨシノとシマコ。この嬉しさを誰かに伝えたくて伝えたくてしょうがなかったのだ。
「祐巳ちゃん・・・さっきから何やってるの?」
「いっ、いえ?別に・・・それよりも!朝ごはん食べちゃいましょう。コーヒー冷めちゃいますよっ!」
「うん、そうだね。せっかく祐巳ちゃんが淹れてくれたんだもんね」
セイはそう言って物凄い笑顔のユミの正面に座ると、手を合わせた。
ユミがさっきからメールを打っているのは・・・多分ヨシノかシマコだろう。
きっと、嬉しいんだろうな・・・そう思うと、なんだか急に昨日電話を盗み聞きしたのがとても悪い事のような気がしてきた。
でも・・・一方では昨日盗み聞きしてなかったら、きっとユミのこんな笑顔を見る事は出来なかったかもしれない。
こんな・・・気味悪いほどの笑顔なんて・・・。
「それじゃあ、11時に西口のところで」
「はいっ!気をつけてくださいね!!また後で!!」
セイはそう言って家を後にした。
ちょうどいいから、少し寄りたいところに寄ってから待ち合わせ場所へと向かうつもりらしい。
セイが先に家を出た、という事は、セイが遅れてくる心配はない。
ユミは一人ほくそ笑むと、理想のデートプランを実行しようと思った。
わざと、あえて、遅れて待ち合わせ場所に行って、セイに待ちましたか?と聞く。
でもセイは、いいや、と首を振る・・・。これだよね、やっぱり。待ち合わせはこうでないと!!
ユミはチラチラと時計を確認しながら、遊園地に行く準備をし始めた。
待ち合わせの時間にちゃんと辿りつく為に・・・そして影からこっそりとユミをひたすら待つセイを見る為に・・・。
「ねぇ、由乃〜・・・これ・・・デートだよね?」
「そうよ!令ちゃんっっ!!どこからどう見てもデートじゃない!!」
ヨシノはそう言って胸をドンと叩いた。
そして慌てて姿勢を低くして銅像の影からこっそりとK駅の西口の所を見張っていた。
そんなヨシノに隠れる・・・いや、実際には隠れてなんて居ないのだけれど、レイが困ったような顔をして座っていた。
「ねぇ、由乃・・・私にはこれ、とてもデートだとは思えないんだけど・・・しかも絶対怪しいと思うんだけど・・・」
「何言ってるの!!立派なデートよ!!なんたって祐巳ちゃんが考えた最高のデートプラ・・・来たっっ!!」
ヨシノはそこまで言って、さらに姿勢を低くした。もう、地べたに這いつくばりそうな勢いだ。
「き、来たって・・・誰が?あっ!」
レイはヨシノの頭にアゴを乗せてヨシノの視線の先を目で追うと、そこにはかなりおめかししたユミが立っていた。
時間は11時半。ユミは何か怒ったような顔をしている。
「祐巳さん・・・第二段階は・・・失敗ね・・・」
ヨシノはポツリとそう呟くと、はぁ、と小さくため息を落とした。
そしてその頃セイは・・・近くの本屋からその様子をじっと見ていた。
「なるほどね・・・由乃ちゃんに・・・令、か」
セイはポツリとそう呟くと、読んでいた本をパタンと閉じる。
本当は10時30にここについた。
けれど、ユミもまたあちら側のベンチのところに10時30についていたのを、セイは知っていた。
鷹のようなするどい視線をずっと西口の駅に送っていたけれど、やがて諦めたようにトボトボと駅に向かうユミ。
そしてそれを微動だにせず見守るヨシノに、困り果ててオロオロするレイ・・・。
セイはただじっと、それをここから見つめていた。必死に笑いを堪えながら。
騎士はある日姫に言いました。
『どうでしょう、姫。明日私と出かけませんか?』と。
姫はもちろん喜んで、ようやく自分の気持ちが伝わったのだと友人に話しました。
しかし友人は、あの騎士のことだから、きっと何か裏があるに違いないと言います。
姫はその話を聞いてほんの少し、そうかもしれない、と思いましたが、すぐにそんな気持ちは忘れてしまいました。
姫はドレスを選んだり、お弁当を作ったりと大忙しです。
一方騎士は、特にこれと言った用意はしていませんでした。
一生懸命準備をする姫を眺めて、ただただ笑っています。
そしてお出かけの時間が迫ってきました。騎士だって、本当は内心ドキドキなのです。
だって、姫と二人きりでどこかへお出かけするのは、これが初めてだったのですから。
騎士は姫を迎えに行く途中、何やら怪しい馬車を見つけました。
向こうはこちらに気づいてはいませんが、明らかに怪しいのは一目瞭然です。
騎士はこっそりとその馬車に近づくと、乗っている人を見てニンマリと笑いました。
これは使える・・・と。
言葉に出さなくても伝わる想い。
言葉に出さなければ伝わらない思い。