記念日なんて、そうしょっちゅうなくていい。
本当に大切な日は、心の深くにちゃんと眠ってるから。
ウサギは十五夜のお月様を見て跳ねるという。
満月の夜、仲良く二人でお餅をつく月に居るウサギ達・・・。
地上のウサギは、何を想い月を見上げるのか。
いつまでも仲良さそうなウサギを見て、何を想い、何を羨んでいるのだろうか。
晩ご飯を済ませユミがお皿を洗っていると、突然電話の音が鳴り響いた。
二人で住むようになってから随分たつけれど、家に電話を引くのはこれが初めてで、
家の電話が鳴るたびにセイもユミもどこかぎこちなくなってしまう。
しかも、二人で一緒に住んでいるものだから、どちらの苗字を言えばいいのか・・・。
とりあえず、セイは電話の受話器を取り言った。
「はい、もしもし?佐藤、もしくは福沢です」
こう言ってしまうのが一番無難で分かりやすい。ちょっと長いけれど、これも仕方の無いことだ。
『えっ!?あっ・・・えっと・・・その、お、お久しぶりですっ!よ、よ、よ』
電話の相手はセイが出た事で相当焦っているらしく、声が上ずって何を言ってるのか聞き取れない。
けれど、この声には聞き覚えがある・・・それも割りと最近・・・。
「由乃ちゃん?久しぶり、祐巳ちゃんにだよね?」
『あっ、は、はい!お、お願いしますっ!!』
「ちょっと待っててね、すぐ呼んでくるから」
『はっ、はいぃぃ・・・』
セイは受話器を子機に変えて、キッチンで鼻歌交じりで洗い物をしているユミの所へ向かった。
「祐巳ちゃん、電話だよ。後は私が代わるから。はい、これ」
電話をユミに手渡して、腕まくりをするセイ。電話の代わりに泡だらけのスポンジを受け取る。
「電話・・・?誰です?」
「由乃ちゃん。なんだか相当ビックリしてたみたいだけど・・・何かあったのかな」
「由乃さんが?どうしたんだろ、急に・・・」
「さぁ?まぁとりあえず出てあげてよ」
「そうですね、それじゃあ、後よろしくお願いします」
「はいな、お任せあれ」
セイはそう言って泡のついていない方の手でユミに敬礼をすると、古いアニメの主題歌を歌いだす。
「もしもし、由乃さん?どうしたの?」
ユミはセイの歌を背中に聞きながら、苦笑いしつつヨシノの電話に出た。
しかしヨシノは、ユミの質問には全く答えない。
「もしもし?由乃さんっ!?」
『あ、ああ、ごめんなさい。ねぇ・・・後ろで歌ってるの・・・もしかして聖さま・・・?』
ヨシノの声は、まるで信じられないといった感じだ。
まぁ、逆の立場ならあるいは、自分も同じ反応を返したかもしれない。
「うん、もしかしなくても聖さまだけど・・・それがどうかしたの?」
『う、うん・・・なんだか、本当に一緒に暮らしてるんだなぁ〜と思って』
「う、うん・・・まぁね・・・」
なんだか、改まってそんな風に言われるとこっちまで何故か恥ずかしくなってしまう。
ユミはまだ歌を歌いながら洗い物をしてくれているセイの腕を軽く引っ張り、自分の部屋の方を指差した。
クルリと振り返ったセイは、ユミの行動に頷くとまた歌いだす。
こんな仕草だけでお互い何が言いたいのかが分かってきた事が、ユミは嬉しくてしょうがなかった。
嬉々としてキッチンを出ようとするユミの腕を、突然セイはクンと引く。
そしてその勢いにまかせてユミの頬にキスしてきた。
「っ!?」
あまりにも突然の事に、ユミは自分が電話している事も一瞬忘れて思わず声を出そうとしたが、
すんでの所で思いとどまった。
「程ほどにね、祐巳ちゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
セイはそう言ってパチンとウインクをして、また洗い物を続ける・・・何事も無かったかのように・・・。
キスしてくれるのは嬉しいけれど、出来れば時と場合を考えてほしい。
そうは言っても、心の中では何かむず痒い衝動に駆られてしまうのだが・・・。
『私、もう祐巳さんの家の電話にかけないっ!!』
部屋に入るなり、電話口で由乃がそう叫んだ。
ユミはそのあまりにも突然な大声に、思わず驚いて小さな悲鳴を上げてしまう。
「な、何なの・・・突然・・・」
『だって、電話したらいきなり聖さまだよ?もうどれだけビックリしたことかっっ!!』
「ご、ごめんね。私ちょうど洗い物してる最中だったから」
『ううん、別に祐巳さんが悪い訳じゃないし・・・ただほんとに驚いたなって話』
「うん、そうだよね。私だって由乃さんに電話していきなり黄薔薇さまが出たら驚くだろうし・・・」
そう言ってもしそうなった場合を想像してみたが、
どう考えてもセイがいきなり電話に出た方が驚くというヨシノの答えに、納得せざるを得なかった。
レイとセイでは付き合いの長さがそもそも違う。ましてやセイは伝説の薔薇様だし・・・。
だから余計に緊張したというヨシノに、ユミはただもう笑って誤魔化すしかなかった。
ユミ自身だって未だにセイの携帯電話にかけるときはいつだってドキドキするのだ。
ヨシノが緊張するのはしょうがないのかもしれない。
「ところで由乃さん、今日はどうしたの?」
話が大分それてしまったけれど、ここでようやくまだ本題に入っていない事を思い出した。、
電話の向こうではまだヨシノが、はぁ、と大きなため息をついている。
『そうそう!思い出した!!あのね、祐巳さん明日のご予定は?』
「明日の予定?明日は・・・ちょっと無理かな・・・どうして?」
明日・・・明日はとても大切な日。たとえ雨が降ろうが槍が降ろうが、何としてもセイと一緒に居たい日。
いや・・・槍はさすがに困るけれど・・・まぁ、滅多に槍など降ってはこないからそこは大丈夫、大丈夫。
ユミは一人そんな事を考えながら、自分が笑っているのに気づかなかった・・・。
『祐巳さん・・・何笑ってるの・・・?ちょっと気持ち悪いんだけど・・・』
「えっ!?や、やだ!私笑ってた!?」
『うん、思いっきり笑ってた。さては・・・明日デートなんでしょ?』
ヨシノの言葉に、ユミは顔を真っ赤にして首を大きく振った。電話の向こうに見えるはずもないのに。
「デ、デ、デートだなんてっっ!!そ、そんな大したものじゃないよ!?」
デート・・・この甘い響きに、いつまでたっても慣れない自分。
確かにデートには変わりないけれど、そんな風に言われると変にドキドキしてくる。
そんなユミの気持ちを知ってか知らずか、ヨシノは続けた。
『どこへ行くの?ねぇ、ねぇ!!』
「そ、それが・・・まだ分からないの。
ていうか、聖さまって割りと行き当たりばったりな所があるからなぁ・・・」
ユミはそう言って電話口で小さなため息を落とす。
いつもどこかに連れて行ってくれるのはいいけれど、行き先は事前に教えてはくれない。
ある意味ドキドキは加速するけれど、たまには二人で計画を立ててスムーズに行動したい。
『そうなの?聖さまってすごく計画性ありそうだけどな〜』
「うん、多分計画はあるんだろうけど、私には教えてくれないの・・・」
『そうなんだ。じゃあどこへ行くのかまだ決まってないんだ?』
「うん。でも二人ならどこでも楽しいよ、きっと」
『そうだね・・・そうだよ!二人ならきっと楽しいよ!!たとえそこがどんな場所でも!!!』
「う・・・うん」
どんな場所でもってのはいかがなものだろうか・・・。ユミはそう思いつつとりあえず相槌を打つ。
こうでもしないと加熱したヨシノは止まらない。
『ところで祐巳さん。祐巳さんの理想のデートって・・・どんななの?豪華なのがいい?それとも質素に?』
「質素って・・・う〜ん・・・別に普通が一番かな・・・どうして?」
『ううん。ただ聞いてみたかったの。ねぇ、普通のデートってどんなの?
私あんまり令ちゃんとデートらしいデートってした事ないからさ、分からないんだ、そういうの』
ヨシノの言葉にユミはほんの少し哀しくなった。そう言えば、前にヨシノは言っていたっけ。
レイの事はもちろん好きだけど、小さい頃からずっと一緒だからドキドキがあまり無い、と。
セイとは高校一年生の時からの付き合いだからまだそんなに年月としては長いとは言えない。
けれど、だからこそのドキドキなのか、と思う。
ヨシノの言う様に、ドキドキはやがて色褪せてしまうものなのかもしれない。
でも、それじゃあ寂しすぎる。いつまでもドキドキしていたいし、いつまでも新鮮な気持ちでいたい。
セイとならそれが出来そうな気がするけれど・・・どうなのだろうか?
やっぱり慣れてしまうものなのだろうか?
そこまで考えて、でも・・・と、ユミは思った。
たまに・・・ヨシノとレイのような熟練夫婦のような関係が、羨ましくなる事もあるのだ。
結局、どちらも持てれば一番いいのかもしれない。
熟練された夫婦でも、ドキドキはある。いつまでも好きでいられる。
そんな雰囲気が一番素敵だな・・・と。それが一番難しいのかもしれないけれど。
「私の思う普通のデート・・・か」
『うん。祐巳さんの思う普通のデートを教えてよ』
「いいけど・・・絶対に笑わない?」
『笑わない笑わない』
「約束だからね?本当に笑わないでよ?」
『わかったって!約束する』
「それじゃあ・・・」
ユミはそう言って、さっき捨てたチケットをゴミ箱の中から取り出すと、丁寧にシワを伸ばした。
カップルが楽しそうにジェットコースターに乗っている写真・・・。
そう、それは・・・遊園地の無料招待券だった・・・。
「私の思う普通のデート・・・っていうよりは、理想の・・・その、デートなんだけどね・・・」
窓の外から鈴虫の声が聞こえる。
秋風に吹かれて、どこまでもどこまでも届く鈴虫の音色は、きっと明日にも届くだろう。
「なかなか言ってくれるじゃない、祐巳ちゃん・・・。なるほどね、祐巳ちゃんの理想のデート・・・か」
ククク・・・と笑いを堪えるセイ。
たまたま聞こえた言葉に反応してつい立ち止まってしまったけれど、どうやら面白い話が聞けそうだ。
本当は人の電話なんて盗み聞きするもんじゃない。
けれど、これは後学のために役に立ちそうだと判断したセイは、その場に腰を下ろした。
これから始まるユミの大演説が、明日のデートに繋がるなんて・・・きっと予想もしていなかっただろう。
そう・・・この人意外は・・・。
「ふふふ・・・楽しくなってきた・・・」
騎士は根はとてもいい人なのです。姫もそれを知っています。
けれど、姫はいつも騎士のイタズラに引っかかり、騎士のいいおもちゃです。
ですが、騎士は本当はそんな姫の事を愛していました。とてもとても愛していたのです。
だから余計に意地悪したくなったりしたのですが、ある日、騎士は聞いてしまいました。
姫が、騎士の事をよくわからない人だと言っているのを。
そんな話を聞いたら、普通の人は落ち込みます。
けれど、騎士は違いました。騎士は根っからの騎士なので、手に入れたいモノは決して諦めません。
昔一度だけ大きな失敗をしたことがありましたが、姫のおかげで騎士は立ち直る事ができました。
そんな姫ですから、騎士は忠誠を誓い、生涯愛すると誓ったのです。
しかし、姫のそんな話を聞いてしまった今、騎士は正直どうしようか、と迷いました。
姫の理想を現実にするべきか、それとも真逆にするべきか・・・と。
時間があればいいのではなくて、年月が長ければいいものでもない。
全ての時は止まる事を決して許さず、常に刻み続ける。
私達の時間は僅かなモノだけれど、その中でどれだけ一生懸命になれる事が出来る?