ごめんね。


ありがとう。


きみの事、本当に好きだよ。


でも、きみにはほんの少しだけ距離をおいて、


そこから私を見ていてほしいんだ。


これからも、ずっと。





「祐巳さん!ちょうど良かった、渡したい写真があるのよ」

校舎を出ようとした私をそう言って呼び止めたのはクラスメイトのツタコだった。

ツタコはいつものようにカメラを首からぶら下げて、何やらとてもご機嫌そう。

小走りにこちらへ向かって走ってくるツタコ。その胸元でカメラが楽しそうに弾んでいる。

私はようやく足を止め、ツタコが隣に並ぶのを待った。

「何だか・・・久しぶりだね・・・蔦子さん」

「それはこちらのセリフ。皆心配してる」

そう言ってクイっとツタコは眼鏡を上げる仕草をする。

その眼鏡の奥から、心配そうな瞳がじっとこちらを見ていた。

「そう・・・だよね、私がこんなんじゃ駄目・・・だよね」

そう言った私に、ツタコはゆっくりと首を振ってやんわりとそれを否定する。

「別に駄目じゃないと思うけど。だって、祐巳さんだって他の皆と同じで悩む事だって沢山あるでしょ?

私が言ってるのは、悩んだ挙句に体調まで崩すんじゃないか?って事。

ここ数日祐巳さん結構学校休んだりしてたし・・・大丈夫?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

なるほど。確かに悩みなんて誰でもあるんだ。私ばっかりが悩んでる訳じゃない。

そう思うと、ほんの少しだけ気が楽になった。

「おや?ちょっとは元気になった?」

「へっ!?ど、どうしてわかるの?」

たまに思う。セイにしてもツタコにしても、どうしてこんなにも私の事が解ってしまうのだろう?と。

もしかすると二人ともエスパーなのかもしれない。冗談ぬきで。

でも、そんな私の疑問にツタコはケラケラと笑ってすぐに言い返してきた。

「だって、祐巳さんは解りやすいよ。私に言わせればどうして祐巳さんがこんなにも解り易いのかが不思議だわ。

まぁでも・・・聖さまの場合は・・・ちょっと違うと思うけど・・・」

「?どういう意味?」

「え!?あ、いやいや、なんでもない。聖さまは私よりも祐巳さんの事よく見てるよ。

だから祐巳ちゃん病にかかっちゃったのね、きっと」

そう言ってツタコはクスリと笑う。

「ゆ、祐巳ちゃん病って・・・」

何よ、それ。私が病原体みたいじゃない。ほんとに他愛も無い会話の中に、ツタコの気遣いが見え隠れする。

そのせいかどうは解らないけれど、さっきよりもずっと心が軽くなった気がする。

真心が胸に染み渡る。何故か今、無性にお姉さまに逢いたくなった・・・。

そしてちゃんと伝えたい。私はセイが好きだと言う事を。

何度も何度も同じ迷路にハマって、何度も何度も同じ事を言ってきた。

でも、どうしても最後の足が踏み出せず、いつまでもその場で足ふみばかりをして・・・。

お姉さまにぶたれた日、私は泣かなかった。

泣いてしまえばお姉さまが許してくれる事も解っていたし、

謝ればお姉さまはきっともう一度私の手を取ってくれただろう。

でも・・・それをするのは間違っているとわかっていたし、セイへの気持ちをこれ以上否定できなかった。

皆の前で宣言する事は出来ても、お姉さまにだけは嘘をつきたくなかった・・・。

セイは何度も私に愛してるよ、とか好きだ、って言ってたけれど、そのどれ一つとして私を見ることはなく、

私を通り越した、違う存在を追っていたことなんてすぐにわかった。

それがセイの昔の恋人のシオリの存在なのかどうかはわからないけれど、

私を見てくれないのなら、一緒にいてもしょうがない。一生を共に過ごすなんて事・・・出来ない。

「祐巳さん?おーい!祐巳さ〜〜ん!!」

「へぁ!?な、何っ!?」

「本当に大丈夫?また百面相してたけど・・・」

「あ、ああ・・・うん。ちょっと考え事しちゃってた・・・ごめんごめん。

ところで蔦子さん、さっき言ってた私に渡したい写真って?」

「ああ、忘れるところだった。あのね、これなんだけど・・・いつもみたいに気に入らなかったら捨ててくれていいから」

ツタコはそう言って私の手のひらに茶色い封筒を置いた。

いつものツタコなら、もっと封筒がパンパンになってからくれるのだが、今回はやけに薄い。

私は少しドキドキしながら、今しがた受け取ったばかりの写真を封筒から丁寧に取り出した。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・何か言ってよ、祐巳さん・・・」

「あっ!ご、ごめんっ!!あ、ありがとう・・・でも・・・これ・・・私じゃ・・・ないよ?」

「うん。分かってる。でも、それは祐巳さんに渡した方がいいと思って」

「・・・どうして・・・?」

「なんとなく。絵になったってのもあるんだけど、多分その表情は特定の人に向けられたものだったから、さ」

「特定の・・・人?」

私はもう一度まじまじと写真を覗きこむと、途端に胸がキュンと苦しくなる。

写真の中には、雨の中、ベンチに腰掛けて苦痛と悲しみに表情をゆがめて、虚ろに空を見上げるセイの姿があった。

まるでどこかの国のポストカードみたいに繊細で、寂しい写真だ。

それなのにどうしてだろう・・・こんなにも綺麗だと思ってしまうのは・・・。

どうしてだろう・・・特定の人・・・その人をこんなにも羨ましく思ってしまうのは・・・。

私は込み上げてくる熱いモノを抑えるのに必死だった。

息がつまりそうな程、苦しくて、心が痛い。

そんな私の気持ちを察してかどうかは分からないが、ツタコはこう続けた。

「そう。ゆっくりと時間をかけて違う種類の蝶に恋してしまった哀れな黒揚羽。

恋した相手にはいつちゃんと伝わるのかしらね」

「黒・・・揚羽・・・聖さまが?どちらかっていうと・・・揚羽蝶じゃない・・・?」

セイは見た目も派手だし、中身もとても優雅で、喩えるなら揚羽蝶の方がしっくりくる。

それなのに、どうしてツタコはセイを黒揚羽に喩えるのだろう。

ちなみに、私はどうあがいてもシジミ蝶か、紋白蝶あたりだろうが。

「黒揚羽ってね、見た目はとても優雅で、ビロードみたいでしょ?

でもね、英語では『Spangle』って呼ばれてて、光が無いと自分では輝けないの。

聖さまは、きっと自分でもそれをよく理解してると思う。

自分が本当はどれほど弱くて脆いかを。

だからずっと同じ種類の中から少しでも自分と似た蝶を捜してたのかもしれないけれど・・・。

自分は黒揚羽なんだって・・・ちゃんと理解したんじゃないかな。違う種類の蝶に恋する事で初めてね。

だから、聖さまは黒揚羽。ね?ピッタリじゃない?どこかミステリアスだしさ」

ツタコはそう言ってニッコリと笑った。なるほど、そう言われてみればセイが黒揚羽だって事に納得がいく。

ずっと同じ種類の蝶でなければいけないと思ってた黒揚羽・・・。

自分で自分の姿などなかなか見えない。だからこそ、セイは誰かを・・・他の蝶を通して自分を見たのだろうか。

「この写真だってさ、聖さまこんな顔してるじゃない、ずぶ濡れで。

きっと違う種類の蝶に恋した事に悩んでるんじゃないかな。

どうすればいいのか解らなくて、どうやって伝えればいいのか解らなくて。

同じ種類なら、何も言わなくても伝わる事が違う種類ってだけで伝わらなくなるもの」

「・・・・・・・そう・・・なのかな・・・」

そう・・・ツタコの言うとおりかもしれない。私だって、そうだ。

セイには手が届かない。セイにはシオリが居る。

心のどこかでそう思い込んで、いつまでも地団駄を踏んでいるのだから。

私は紋白蝶だ。黒揚羽には・・・決して手が届かない・・・。

「祐巳さんだって、そうでしょう?蛹をやり直して、せっかく蝶になれたけど、やっぱり相手は違う種類だった。

でもね、私達は人間だわ。種類なんて・・・関係ないんじゃない?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そうだ・・・私もセイも人間なのだ。蝶ではない。決して報われない訳では・・・ないかもしれない。

セイの想い人が誰かは・・・分からない。でも、それでもいい。

私には、伝えたい事が沢山ある。伝えたい人が沢山居る。

いつまでも立ち止まっていたってしょうがないんだ。私は今まで一体何をしていたんだろう。

私らしくない。このままじゃ、いけない。そう思った。



「あっ!蔦子さん!ほら、雪だっ!!」

私達は並木道を抜け、真っ青な空を仰いだ。空からチラリチラリと白いモノが落ちてくる。

雪は私の手のひらに落ちて、すぐに消えてしまった。

「本当だ・・・まるで狸の嫁入りだわ・・・そっか・・・祐巳さんお嫁に行っちゃうのか」

「は!?」

「だって・・・聖さまがよく祐巳ちゃんの事子狸みたいだって言ってたじゃない」

「だ、だからって!!ま、まだどこにも行きません!!」

「そう?まぁ、まだ若いし、そう急がなくてもいいって。祐巳さんも聖さまも」

「・・・うん、そうだよね・・・」

私達はもう止んでしまった儚い雪の事をそんな風に笑った。

いくら儚くとも、すぐに消えても、何かがそこには・・・残るから。







儚く散る花のように、儚く消える雪のように、


想いが消えるものだとしたら、


どんなに楽だった事だろう。


どんなに寂しかった事だろう。








それぞれの告白   第二十三話