怖くて眠れないとき、あなたは誰を思い出しますか?
辛くてどうしようも無いとき、あなたの傍には誰が居ますか?
私は誰も望みません。
でも、私には皆が居ます。
出会いはきっと、運命だった。
私がヨウコに出会ったのは・・・きっと、逃れられない運命だったに違いない。
会わなければ良かったと、ヨウコは思ってる?
会わなければ良かったと、私は思ってる?
解らない。もしかしたら私がユミに出逢わなければ、私はヨウコを愛したかもしれない。
けれど、私はユミと出逢ってしまった。
私に足りなかったモノを、きっとマリア様か誰かが私に与えてくれたんだろうと思う。
シオリを愛した時とはまた少し違う感情・・・愛しくて守りたい気持ち。
ヨウコへの想いは恋愛ではないけれど、それでも私にはヨウコが必要だった。
いつまでもいつまでも私の背中を押して、私を叱ってほしかった。
そんな存在が私の傍には必ず必要なのだから・・・。
だからもしマリア様が私にユミを与えてくれたのなら、ヨウコもきっとそう。
出会いなんて全て、自分と誰かの為に用意された、いわばコマのようなモノなのだから。
「お世話になりました」
「お大事に」
私をずっと世話してくれていた若い看護婦さんと簡単な挨拶を交わした後、私はその足である場所に向かった。
胃炎で倒れて入院してからというもの、
ベッドの上から殆ど動かなかった私の身体は相当なまっているように思える。
足とか腰とかが微妙に痛いのも、きっとそのせいだろう。
荷物は先に帰った母親に全て渡した。ほんの少しだけ母親に対して寛容になった私に、母親は笑顔で言った。
『あまり無理しないでね?聖ちゃんはまだ病み上がりなんだから』
『うん、わかってる。ありがとう。それと・・・心配かけて・・・ごめんなさい・・・』
『本当よ。もう!この子はいつまで経っても心配ばかりかけるんだから』
久しぶりに見た母の笑顔だった。
花が咲き零れるような笑顔・・・この人のこんな顔を見るのは・・・本当に何年ぶりだろうか。
それだけ私がこの人を敬遠していたと言う事なのだろうか。
それを思うと胸がキュっと痛む。出来れば・・・もうあまり心配はかけたくない。
でも、私にもまだまだ譲れないものが沢山ある。いつかはきっと・・・それを理解してもらおう。
心の底からそう思った。
空は晴れ、雲一つない青色を仰ぎながら私はそう心の中で誓った。
バスに揺られながら考えていたのは、ユミの事、ヨウコの事、サチコの事。
こうして考えてみると、どうも私と関わってくるのは紅薔薇ばかりらしいということに気づき何だか可笑しかった。
紅薔薇の絆はとても強い。白薔薇の絆はどちらかといえば深い。黄薔薇は・・・もう家族の域だ。
それぞれの特徴ある薔薇達・・・なんとも個性的な人ばかり集まったものだと、改めて感心する。
そういえば・・・どの薔薇さまが好きかでその人の好みが解るなんて占いが一時期はやっていたっけ。
「懐かしいなぁ」
窓の外を眺めながら、私は笑いをかみ殺した。
もうそろそろ目的地にたどり着く。でも、何故か心はとても穏やかだった。この空みたいに青く澄んでいる。
ユミを好きになって、沢山の自分の中の感情と出逢った。
昔の私と向き合う事もあった。
答えの出ないものも未だにあるけれど、それでも私を幸せだと言ったケイの言葉に嘘は無かったように思う。
ユミを好きだけれど、後何か一歩が踏み出せないのはきっと・・・私の中で何かが抵抗しているから。
それさえ解れば、きっと私はもう何も怖がらない。
だから私はこうしてここまでやってきた・・・ヨウコに会いに・・・。
私はバスを降りて、ヨウコの通う大学へと足早に向かった。ちゃんと気持ちを伝えたい。私の気持ちを・・・。
大学の門の前で私はヨウコを待つ事にした。いつ通るかも解らない、今日は休みかもしれないのに。
そんな事をする私は、自分でも本当に愚かだとは思うけれど、不思議と確信があった。
ヨウコはきっともうすぐここを通る。そんな確信が。
しばらく私は門の前の壁にもたれて空を仰いでいた。
やがて門の中からザワザワと声が聞こえだし、周りが少し騒がしくなってきた時だった。
「・・・聖?」
聞きなれた声に私はゆっくりと振り返ると、そこには持っていた鞄をホボトリと落とす瞬間のヨウコの姿があった。
「久しぶり。元気だった?」
突然目の前に現れた私に、ヨウコは明らかに動揺している。
慌てて落とした鞄を拾い上げパンパンとはたいてこちらに駆け寄ってきた。
「え・・・ええ。あなたは・・・?」
「私は・・・あまり元気じゃなかったよ。ていうか、ついさっきまで入院してたし」
サラっとそう言った私に、ヨウコの表情がみるみる険しくなってゆくのが分かった。
ヤバイ、怒られる。咄嗟にそう思ったけれど、意外にもヨウコは怒らなかった。
ただ黙って私をじっと見つめるだけで、他には何も言わない。
私はそんなヨウコの瞳から目を逸らす事が出来なかった。
まっすぐにこちらを見るヨウコの瞳は、矢のように私を刺す。
やがて・・・ヨウコは私から視線を外し、ようやく口を開いた。
「で?どうしてここに聖が居るのかしら?」
「蓉子にね、会いたかったから。ちゃんと気持ち伝えなかったでしょ?私」
私の問いに、ヨウコはまた黙ってしまった。さらさらとヨウコの黒い髪が揺れる。
「場所・・・変えましょ・・・」
「うん。そうだね」
私達はゆっくりと並んで歩き出した。こうやって並んで歩くのは、もう随分と前の事のように思う。
高校時代、私の隣には必ずヨウコがいた。少し後ろからエリコが空を眺めながらついてくる。
そうやって近くの公園へ行き、学校の事とかどうでもいい事とかをよく語り合った。
何時間も何時間も缶ジュース一本で話した事もある。喧嘩だってした。
でも、三人一緒だったから・・・何も怖くなかった・・・。何も恐れるものなんて無かった・・・。
シオリが私の元から去って、より一層私達の絆は深まって。
何かを失って、何かを得るということを、私は知った。
でも・・・今は違う。ユミもヨウコも、私は手放す気などない。二つ一緒に手に入ると、今は思っている。
そう・・・それが、たとえ望んだ形ではなくても・・・。
それでもいい。私はもう、自ら手を離したりしない。この手を・・・。
私はジッと手の平を見つめると、それを強く強く握った。
ヨウコに連れられるがままについてゆくと、目の前に小さな公園が見えてきた。
「あそこでいい?」
「うん」
私達は公園のベンチに腰を下ろすと、しばらくは黙ったままだった。
何か言わなきゃいけない、そう思えば思うほど何から切り出したらいいのか分からなくなってくる。
先に口を開いたのはヨウコで、私は何故か負けた気になってしまった。
「どうして入院なんかしてたの?」
「ちょっと胃炎にかかっちゃって・・・私生まれて初めて救急車に乗ったよ」
苦い笑みを浮かべる私に、ヨウコは小さく笑った。
その笑みはいつも私が見ていたヨウコの笑顔なんかではなくて、とても儚くて弱弱しい。
「もしかして私のせい?」
ヨウコは少しだけ申し訳なそうに私の顔色を伺っている。
私はゆっくりと首を横にふって、それを否定して続けた。
「もしかしたらそれもあるかもしれないけれど・・・それだけじゃないよ。
だから蓉子がそんな申し訳なさそうな顔しなくていい」
「そう?ならそうするわ」
「うん。そうして」
会話が途切れた。せっかくヨウコが作ってくれた話題も、あっけなく終わってしまう。
私はどうしていいか分からずに、ポケットの中に手を突っ込んで中に何かあることに気づいた。
なんだろう?と思ってそれを取り出すと、ヨウコもその紙切れを隣から覗き込んでくる。
「なぁに?それ」
「わかんない。そう言えば・・・手紙がどうとか言ってたっけ・・・」
私は不意にこの間ケイに手渡された手紙の事を思い出し、それを開いてみた。
中にはコレと言って特徴のない文字でたった一言、こう書かれている。
『ねぇ、聖さま?人はどうして孤独になるんでしょう?どうしてこんなにも寂しくなるんでしょう?』
と。
「なに、コレ?謎々?」
「・・・さぁ・・・」
私はそれだけ言うのがやっとだった。これは・・・多分ユミからの手紙だったから。
どうしてケイがこの手紙を持っていたのか、とか、今はそんな事どうでもいい。
どうしてユミはこんな手紙を私に書いたのだろう・・・?それだけがとても気になった。
難しい顔をして考え込む私に、ヨウコは怪訝な顔をしている。
「この手紙・・・誰からか分からないの?」
「・・・うん。でも、見当は・・・つくよ・・・」
「誰?私も知ってる人?」
「うん・・・多分・・・ね」
私はそう言って手紙を大事にたたんでポケットにしまった。
もう誰の目にも触れないよう、そっと・・・静かに。
「ねぇ、聖。今の手紙じゃないけれど、どうして今私がこんなにも寂しいのか・・・わかる?」
突然のヨウコの問いに、私は首をかしげた。何だというんだろう・・・突然。
「いや・・・ごめん。分からない」
素直にそう言って頭を下げる私に、ヨウコは拗ねたようなはにかんだような不思議な表情を浮かべる。
「でしょうね。私にもよくわからないもの。ただ・・・入院した事とか・・・教えてほしかったわ」
「・・・ごめん・・・誰にも言うつもりなかったから・・・」
「誰にも?言わなかったの?じゃあ誰もお見舞いにこなかったの?」
「ううん。母親がお姉さまと志摩子には連絡したみたいで、その二人は来てくれた」
「それだけ?」
「・・・うん・・・」
私は嘘をついてしまった。ケイの事は言いたくなかった。ヨウコの知らない人・・・それが何故かとても嫌だった。
きっとヨウコがもっと寂しく思うに違いない・・・私だったら、きっとそう思ってしまうから。
「ふぅん・・・案外あなた大学で人気なにのかしらね?」
意地悪な笑みを浮かべるヨウコに、私はホっと胸を撫で下ろす。良かった・・・間違わなかった・・・。
「元々人気なんてなかったよ、私に」
「あらー?そうでもないわよ?私ずっと黙ってたんだけど、高校の時何度か聖のファンクラブの人に会ったもの」
「は!?」
「本当よ?それに、そのファンクラブ一つじゃなかったのよ。しかもファンクラブ同士仲が悪いものだから・・・」
ヨウコはそこまで言って何かを思い出したのか、クックッと笑いを堪えている。
しかし・・・そんな話は初耳だった。どうして誰も教えてくれなかったのだろう。
ヨウコにそれを聞くと、実に簡単な答えが返ってきた。
「だって、あなたにそんな事教えたら絶対怒り出すでしょ?だから黙ってましょ、って江利子と約束したの。
せっかく作ったのに、慕った相手につぶされたんじゃあまりにも可哀想じゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なるほど・・・ヨウコもエリコも本当に私の事をよく理解している。
そんな話を聞いたら、きっと潰しに行ってたに違いない。
私に憧れたって、何の得にもならないよ、とかなんとか言って。
「ほんと、蓉子と江利子には敵わないよ」
「あら、私達だって聖には敵わないわよ?」
「どうして?」
「だって、あなたいつもすぐにどこかに飛んでってしまいそうだったし・・・繋ぎ止めるのに必死だったもの、私」
「・・・そうかなぁ・・・私そんなにフワフワしてるかなぁ」
「ええ・・・そんな所が・・・きっと私は放っておけなかったんだわ・・・」
ヨウコはそう言ってゆっくりと下を向いてしまった。
私はやっぱり何も言えず、ただ黙ってヨウコの背中をさする事しか出来なかった。
「ねぇ聖・・・私達・・・どうして会ってしまったのかしら・・・」
ポツリとつぶやいたヨウコの声が、青い空に溶ける。風が髪を揺らして、ヨウコの横顔がハッキリと見えた・・・。
「私は・・・蓉子に会って良かったと思ってる。でないと私は今頃ここに居ないだろうから」
「・・・この世に・・・の間違いじゃないの?」
ヨウコの声は寂しそうで、どこかに消え入ってしまいそうなほどか細かった。
こんなにもハッキリと、ヨウコの口からあの頃の私を聞くのは・・・初めてで、胸が痛む。
「・・・かもしれない。でも、蓉子や江利子やお姉さまが私を繋ぎ止めてくれた。
だから私は今もここに居られる。だから私は蓉子に会って良かったと、本当にそう、思うよ」
「でも・・・恋愛にはならなかった・・・私の手に聖は納まっては・・・くれない」
「そう・・・うん、そうだね・・・もし蓉子ともっと違う出会いをしていても・・・あの子に逢ったら・・・、
私はやっぱりあの子を好きになったと思う。私はずっと誰かに甘えたいんだと思ってた。
それが恋愛感情なんだ、と。だから栞に恋をした時も、私は栞と一つになりたかった。
一つになって足りない所を補い合って完全になれると・・・そう思ってたんだ。
傷つきたくなかった、もうこれ以上。だから誰かに甘えたくて、守ってほしくて・・・。
馬鹿だよね、それが愛だと思ってたんだから。でも・・・本当はそうじゃない。
私に足りなかったのは・・・誰かを守りたいと・・・そう、思う心だったんだ・・・。
失いたくなかったのは栞も同じだったけれど、それだけじゃなくて、誰かを守りたくなった。
蓉子には私は守ってもらってばかりだったけれど、確かにそういう存在も私には必要で、
でもそればっかりじゃいけなくて。上手く言う事とか出来ないけど、多分そういう事なんだと思う。
私には蓉子は少し離れたところから見ていてほしい存在なんだと・・・そう思うんだ。
蓉子は蓉子の進む道を、私は私の道を。お互い交わる事はないけれど、並んでいける事は・・・出来ると思う。
それが私の正直な気持ちで、蓉子が私にくれる想いへの答え。
だから私は蓉子の気持ちに答える事は出来ない・・・。
でも、蓉子も私の気持ちに無理して答える事なんて全然なくて、蓉子は蓉子の思うようにやればいい」
私はそう言うと、ヨウコの肩をゆっくりと自分の方へ引き寄せた。
「ありがとう、蓉子。こんな私を・・・好きだって言ってくれて」
「・・・聖は・・・わがままよ。そんな風に言われたら私はそうするしかないじゃない・・・。
当分はきっと、聖の事友達だなんて思えない・・・でも、いつか・・・そう思える日が来たら・・・、
私達きっと・・・これまで以上の親友になれるかしら・・・?」
ようやく顔を上げたヨウコの瞳には大粒の涙が溢れていた。
ほんの少し笑みを浮かべるヨウコに、私は戸惑いながら微笑むと、ゆっくり頷く。
「当たり前じゃない。今でも私の中じゃこれ以上ないぐらいの親友だよ、蓉子は」
「ふふ・・・本当?」
私の答えに、ヨウコは満足げに微笑んだ。相変わらず涙は次から次へと溢れているけれど、
この間のような悲痛な表情では・・・無かった。
「空が・・・青いね・・・」
「・・・本当ね・・・」
「今日は・・・ずっと青いままかな?」
「どうかしら・・・そうだといいわね・・・」
「・・・うん・・・」
私達はずっと遠くまで広がる空を見上げて、ポツリとそう呟いた。
何も無い、ただ青いだけの空を見つめながら・・・。
ごめんね。
ありがとう。
きみの事、本当に好きだよ。
でも、きみにはほんの少しだけ距離をおいて、
そこから私を見ていてほしいんだ。
これからも、ずっと。