時には昔の話を・・・。

時には帰ろう・・・あの日に。



「ねぇ、聖。見て、これ」

「んー?なぁに?」

私は机の上に散らばった答案用紙をよけるとユミからそれを受け取った。

ユミの左手の薬指には二年前に私が渡したプラチナの指輪がキラキラと光っている。

「また随分と懐かしいものを・・・どこにあったの?」

「それがね、ユミがどこかから掘り出してきたみたいなの」

「へぇ・・・どこから見つけてきたんだろ・・・そういえば祐巳ってばこの時・・・っくっく・・・」

「もう!!いつまでも笑わないでよ!!」

ユミがそう言って少し頬を膨らませる仕草は以前とどこも変わらない。

「ごめんごめん!もう笑わないってば」

私はユミから受け取った小さなピンクの首輪を見つめた。

そして机の前のボードに貼ってある一枚の写真に視線を移す。

写真には満面の笑みの私と、苦笑いを浮かべるユミ・・・そして、ピンク色の首輪をつけた小さな子猫が写っている。



この写真を撮ったのは・・・そう、確かサチコだったっけ・・・。




当時の私は将来の目標がまだ定まらなくて、何の目標もなくただ大学に通っているだけの生活が嫌になって、

何を思ったのかある日突然留学を決意した。

すでにユミと付き合いだして何年か経っていたけれど、私の留学の事をユミが許してくれるとはとても思えなかった。

案の定ユミは物凄く怒ったし、かなり長い間口すらもきいてくれなかったけれど、

それでも最後には笑って・・・いや、正しくは泣きながら笑って私を送り出してくれた。

『行ってらっしゃい・・・聖さま・・・』

『うん。行ってくるね・・・私が居なくても・・・大丈夫だよね?』

何度も何度も話し合って、ユミは一人でも大丈夫だと言ってくれたけれど、私にはどうしてもそれが納得出来なかった。

もっと泣いて私にすがり付いて欲しかった。そんな気持ちがただの私のワガママでしかないとわかっていても・・・だ。

・・・今思えば、寂しかったのはユミよりも私の方が優っていたのかもしれない。

私の問いにユミはただ頷いて、そっと背伸びをして頬にキスをしてくれた・・・。

柔らかい唇の感触と、フローラルの甘い香りは今でもはっきりと思い出せる。

あの時の切なくて寂しい気持ちも・・・ユミの温かさも・・・全て。



ホームステイ先には私と同じ歳の少女が一人と、私よりも二つ年下の少女がいた。

どちらも可愛らしくてとても綺麗だったけれど、それでも私はやっぱりユミが一番だな・・・。

なんて思いながら毎日を過ごしていた。

毎日が寂しくて寂しくて・・・まるで半身を失ったような身を切られるような想いをしていたけれど、

それでも自分で選んだ道なのだから、と泣き言は決して言わなかった。

正直に言えば、本当は一週間に一度の電話でユミと話すたびにいつもユミの元に帰りたいと願っていた・・・。

でもユミはいつでも電話では明るく私を励ましてくれるばかりで、

そんなユミの言葉が逆にユミを恋しくさせていたなんて事は・・・、

今でも言えないんだけど。

ユミに言わせれば、あの頃は逆に電話がかかってくるたびに私を思い出して辛かったらしい。

結局私達はずっと離れて暮らしていたけれど、お互いの心の中にはいつだって私やユミが居たのだ。

そんな簡単な事に気づかないまま私達は電話口で思い切り喧嘩した事もあったけれど、

今となってはそれもいい思い出になっているのだから・・・思い出ってとても不思議だ。

ホームステイも終わりに近づくにつれて、私の『祐巳ちゃんに会いたい病』はどんどん大きくなっていた。

もうただの一秒も我慢できそうになくて、今すぐにでも家に帰りたい!心の底から毎日そう叫んでいた。

寂しさで身体を壊しても、いくら泣いてもユミには会えない。

写真のユミはいつだって笑っていてくれるけれど、決して私の名前を呼ぶことはしない・・・。

ユミに触れたい・・・声をききたい・・・あの大きな瞳に私を映して、そこに私の存在を確認したい・・・。

どれほどそう願っても、それが叶うのはまだしばらく先の事で・・・。




そんな時だった。私がもう一人の『ユミ』に出会ったのは。

もう一人の『ユミ』は私が予想もしないような経路を辿って私の元へとやってきた。

このもう一人の『ユミ』が私の所に来てからは、私の生活は一変した。

この子に話しかけていると、ホンモノのユミと話しているようで・・・。

あどけない仕草や、ほんの少し間抜けな表情がそう思わせていたのかもしれないけれど。

とにかく私はこの『ユミ』を日本に連れて帰る事に決めた。まだユミに了解もとっていないのに・・・。

『ユミ』が来てから数日後、私はどうやってユミにこの子の事を話そうかと迷っていた。

「ニャー」

「なぁに?ユミ・・・どうかした?」

綺麗な茶色い瞳を細めて『ユミ』が鳴く。まるで、そんなに心配しなくえも大丈夫だよ!とでも言うように・・・。

もう一人の『ユミ』はまだほんの小さな子猫の名前。

あまりにもユミと似ていたため、思わずその名をつけてしまった。

それもあって、余計にユミに言いづらかったのだ。

寂しかったとは言え、猫に自分の名前をつけられたとなると・・・いくらユミとは言え怒るかもしれないから・・・。





ユミと『ユミ』が初めて会ったのは、私のホームステイ先の近所の大きな公園だった。

「祐巳ちゃん・・・あのね、実は・・・私祐巳ちゃんに話さなきゃならない事があるんだ・・・」

待ちに待った久しぶりの再開の後、私はそう切り出した。

あまりにも突然な私の申し出に、案の定ユミは怪訝な顔をしている。

「なんです、突然・・・ま、まさか・・・浮気したとかじゃないですよね?」

ユミの大きな瞳がさらに大きく開かれ、しっかりとそこに私を映し出していた。

「ち、っ違うってば!!そんなのする訳ないでしょ!?」

「じゃあ何なんですかっ!?」

「いや・・・えっと・・・その・・・」

ユミの表情があまりにも厳しくて私が言うのをためらっていると、下から小さな鈴の音が聞こえた。

その音にユミはチラリと下を見て、パッと瞳を輝かせる。

「・・・可愛い・・・どうしたの?迷子?」

ユミはそう言ってその鈴の持ち主をヒョイと抱き上げて頬擦りをしている。

ピンクの首輪をした小さな子猫は、ユミに抱き上げられてグルグルグルと咽を鳴らして目を細めた。

ユミもそれに気分を良くしてさらにこう続ける。

「どこから来たの?名前は?」

「・・・ユミ・・・」

ユミの問いに私は思わずポツリとそう呟いてしまった。

「何です?聖さまってば・・・突然呼び捨てだなんて・・・ちょっとドキドキするじゃないですか」

ユミは『ユミ』を抱いたまま私の言葉に照れたようにはにかむような笑顔を見せる。

どうやらユミはこの猫がもうすぐ家族になるなんて事、微塵も思っていないようだ。

「あ、あのね。祐巳ちゃんを呼び捨てにしたんじゃなくて・・・その猫が・・・その・・・」

「さっきから聖さま何か変ですよ!?言いたい事があるならハッキリ言ってくださいよ!」

ジリジリと詰め寄るユミに、後ずさりする私。まだ機嫌よく咽を鳴らしている『ユミ』。

その時だった。突然耳元で誰かが囁いた。その声はとても楽しそうだ。

「そうですよ、聖さま。今更往生際が悪いですわよ」

聞き覚えのある声に、私は恐る恐る振り返り声の主を確認してガックリと頭を垂れた。

「さっ、祥子・・・」

「お姉さま!!」

ユミはサチコの所に駆け寄ると、嬉しそうに・・・まるで『ユミ』みたいに目を細める。

「久しぶりね、祐巳。元気だった?」

「はいっ!お姉さまもお元気そうなので安心しました!」

「ふふ・・・やっぱり似てるわね・・・」

サチコはそう言ってユミが胸に抱いている『ユミ』の頭をヨシヨシと撫で、ユミと見比べて笑いをかみ殺している。

「へ!?」

そんな姉の言動と仕草に、ユミと『ユミ』は一緒に首をかしげていた。

「いえ・・・っふ・・・ふっふ・・・なんでもなくてよ・・・ねぇ?聖さま?」

「う・・・うん・・・っく・・・くくく」

まるっきり同時に首をかしげるユミと『ユミ』。どちらも瞳をまん丸にして私とサチコを不思議そうに眺めている。

「そうだわ!皆で写真を撮りましょうか!」

突然そう言い出したのはサチコだった。

私達は何が何だかわからないまま、サチコの言う通りに並ぶと『ユミ』も後からヨチヨチとついてくる。

ユミは『ユミ』を抱き上げてにっこりと笑い言う。

「この子、よっぽど聖さまの事好きなんですね!まるで私みたい」

「・・・・・・・・・・」

そりゃあね・・・私が育ててるんだもの・・・心の中でそう思いながら私は今言ったユミの言葉に思わずニヤけた。

サラリとそんな風に言うユミは、何も変わっていない。

それだけの事なのに、それがとても嬉しくてしょうがなかった・・・。

「・・・祐巳ちゃん・・・私も祐巳ちゃんの事・・・凄く好き・・・」

「せ・・・聖さまってば!もう、恥ずかしいですよ!!」

「えへへ」

この時私は多分、子供みたいな顔をしていたんじゃないかな。きっと。

だって、逢えただけでも嬉しかったのに、ユミは相変わらず私が好きだと言ってくれて、こうして微笑んでくれる。

それがこんなにも大切な事だったなんて事、それまでの私は忘れていたんだから・・・。

「聖さま!祐巳!!こっちを向いて!!!」

サチコは少しイライラしたようにカメラを構えたままこちらに向かって手を振っている。

「ごめんごめん!」

「す、すみません!お姉さま!!」

私とユミの言葉にかぶせるように、もう一度サチコはこちらに向かって怒鳴った。

「コラ!!ユミ!!!こちらを向きなさいって言ってるでしょ!!」

「へ!?お、お姉さま・・・私・・・ちゃんとカメラ見てますよ・・・?」

ユミは目をまん丸にしてサチコを見つめ返す。どうやらどうして自分が怒られたのか理由が分からないらしい。

そりゃそうだろう。サチコが怒ったのはユミではなくて『ユミ』の方なのだから。

「あなたじゃなくて。その子よ!!」

サチコはユミの胸に抱かれたネコを指差し言った。

「・・・え・・・?」

「あ、あのね!祐巳ちゃん!!実はその猫、私が今飼ってるんだよね!!」

「はあ!?」

「い、いや・・・なんか言い出せなくてさ・・・ついズルズルと・・・」

モジモジする私に、ユミは怖い顔で詰め寄ってくる。

「聖さま・・・私に何も聞かずに勝手にもらっちゃったんですか!?」

「う・・・うん。だって・・・あんまりにも祐巳ちゃんに似てて可愛かったから・・・」

「へっ!?わ、私に似て・・・か、可愛かった・・・?・・・あ・・・ああ・・・そ、そうですか・・・。

で、でもだからって!!一言ぐらい私に相談してくれても良かったじゃないですか!!

し、しかも名前・・・この子の名前・・・ユミって・・・」

ユミは恥ずかしいような怒ったような複雑な顔を浮かべながら、私を睨んでいる。

「うん・・・それは本当に悪いと思ってるよ・・・ごめんね、祐巳ちゃん・・・この子連れて帰ってもいい?」

私が小首を傾げてユミの顔を覗き込むと、ユミは『ユミ』のフワフワの背中に顔を埋めてコクリと頷いてくれた。

・・・顔をトマトのように真っ赤にして・・・ポツリとユミは言った。

「せめて・・・名前は変えてくださいね・・・」

と。

「それじゃあ、そろそろ撮ってもいいかしらね?」

イライラピークのサチコがそう言ってカメラを構える。

「それじゃあ、皆笑って!ほら、ユミもちゃんとこっちを向く!!」

「ニャー」

サチコの言葉に、『ユミ』は元気よく返事を返してみせた。

「・・・・・・定着しちゃってる・・・・・・・」

それを聞いたユミが、苦い笑みを浮かべたのは・・・いうまでもない。

「あ、あはは・・・名前・・・覚えちゃってる・・・ね・・・」





「懐かしいね・・・ユミもほんと、大きくなったなぁ・・・」

「本当に・・・時が経つのは早いなぁ・・・」

私達はしみじみと写真を見つめながら呟いた。

あれからゆっくりと・・・でも確実に時間は流れ、私達は今も幸せにやっている。

一日、一時間、一分、一秒ごとにユミを好きになって・・・。きっとこれからもそうなのだろう。

「ニャー・・・」

噂をおすれば何とやら。『ユミ』が部屋に入ってくるなり机の上に飛び乗って何かを訴えるように鳴いた。

「あっ!ユミにご飯あげるの忘れてた!!ごめんね、ユミ!!」

そう言ってユミは『ユミ』と慌てて部屋を出て行ってしまった。

あれほど初めは呼ぶのを嫌がってたユミも、今ではすっかり慣れたようだ。

私は二人が出て行った後のドアを見つめながら、

さっき『ユミ』がどこかから拾ってきたピンクの首輪をクルクルと指で回しながら呟く。

「祐巳もユミも・・・これからもずっと幸せで居てよ・・・ね・・・」

すると、その声がきっと聞こえたのだろう。出て行ったと思ったユミと『ユミ』がドアからひょっこりと顔を出した。

「聖もね!」

「ニャ〜ン」

ユミと『ユミ』はそれだけ言うと、パタパタと廊下を走って行ってしまう。



そんな二人の仕草が、やっぱりとても似ていて私はまた笑ってしまった。

「ずっと・・・このままで居たいね・・・」


ピンク色の首輪についた小さな鈴が、チリンと鳴る。

一瞬、あの頃の私達がドアの向こうで笑ったような・・・そんな気がした・・・。






思い出が呼んでいる。


ここへおいで、と呼んでいる。


たまにはここへ帰っておいで、と。


ここでゆっくりしていきなさい・・・と。








タイトル参考/加藤登紀子さんより。

時には昔の話を・・・