未来を想像することは、容易いことではない。
必ずその通りにはいかないし、いつだって間違ってしまうから。
・・・創造することは、案外容易く出来るけど。
「悪いね、志摩子。来てくれてありがとう・・・でも・・・その花はちょっと・・・」
私はセイの指差す先を見てほんの少し苦い笑いをこぼした。
「申し訳ありません、お姉さま・・・急だったものでこれしか思いつかなくて・・・」
「ん、まぁ、いいけどさ。とにかくありがとう」
「いえ、お礼よりも早く元気になってください」
セイは私の言葉に肩をすくめてベッドの上で小さくなる。薬のせいか、どこかボンヤリとした目は潤んで見える。
私は今しがた持ってきたばかりの薔薇の花を置いてあった花瓶に移し変えた。
花瓶には何も入っていなかったから、多分セイは自分が入院した事を数人にしか教えていないのだろう。
もしくは、あえて花などいらないと言って回っているのかもしれない。
真っ白な部屋の中に咲く、真っ白な薔薇・・・なんだかとてもシュールだ。
自分のあんまりの想像力の無さに、思わず私はガックリと頭を垂れる。
「志摩子、花はもういいからこっちきて相手してよ」
セイはそう言って手招きしている。私はセイの傍にイスを移動させるとチョコンとそこに腰を下ろした。
セイに聞きたい事が沢山あるのに、いざこうやって目の前に座ると何も聞いてはいけない気がしてくる。
膝の上で組んだ手をモジモジさせている私に気がついたのか、セイはニッコリと微笑んで言った。
「何か聞きたい事、あるんでしょ?後・・・私も聞きたい事があるんだけど・・・聞いてもいい?」
一瞬見せたセイの不安そうな顔で、私にはセイの聞きたいことがすぐにわかった。
多分・・・ゆみの事だろう・・・。
私は唾をゴクリと飲み込むと、何も言わずにただ頷いた。
「祐巳ちゃん・・・最近元気?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
あまりにも直球なセイの言葉に、私は面食らった。そして、とても珍しい。いつもはお茶を濁して話すのに・・・。
「そんな顔しないでよ」
そう言って苦笑いするセイ。その笑顔がどこか痛々しい。
「すみません・・・ただ、ちょっと驚いてしまって・・・えっと、祐巳さん・・・ですか?
祐巳さんは・・・あまり元気とは言えません・・・」
「・・・そう・・・」
私の答えに、セイはただそう呟いただけだった・・・。何も言わず、窓の外を睨みつけるように見ている。
「どうしてかな・・・あんなにも好きだったのに・・・なんだかどうでもよくなってきちゃった・・・」
ポツリとつぶやいたセイの声を、風がさらう。
私の持ってきた真っ白な薔薇の花たちも、セイの心を知っているようにユラユラと揺れている。
「・・・お姉さま・・・」
「・・・なんてね・・・言ってみただけだよ」
クスリと小さく笑うセイ。その笑顔は・・・この部屋と同じぐらい、真っ白な笑顔だった・・・。
私はここでようやく決意した。セイにこんな顔を・・・させたくなかった。
「お姉さま・・・もしかして、あの日の祐巳さんの演説聞いてらしたんですか?」
私の突然の問いに、今度はセイがびっくりしたような顔をしている。そして、表情が曇る・・・。
「志摩子には・・・解ってるんだろうね・・・きっと・・・何もかも・・・」
セイは俯いて自嘲気味に笑った。
「お姉さま・・・祐巳さんがあんな演説をしたのには・・・ちょっとした理由があるんです・・・。
そのせいで祐巳さんも酷く落ち込んでいて・・・」
私は鞄の中から、一枚の紙切れをセイに手渡した。
セイはそれをめんどくさそうに受け取りしばらくそれを見つめていたが、やがて食い入るようにそれを読み始めた。
「・・・何これ・・・」
セイはポツリとそう言っただけで、紙を丸めて部屋の隅に置いてあったゴミ箱に投げつけた。
紙はゴミ箱の淵に当たって、ポトリと床に落ちる。
「志摩子・・・これは・・・リリアンかわら版だよね?」
「はい・・・そうです・・・」
セイの顔は険しい。多分、私が今まで見た中で一番怖い顔だ。
静かな怒りがセイの中で燃えているのを、私は感じた。その怒りが一体何を意味するのか。
自分自身への怒りなのか・・・それとも、新聞部に対する怒りなのか・・・もしくは、ユミを守れない自分への・・・。
「祐巳さんの本心は・・・きっとあの演説の中で言ってた事とは・・・違うんです。
祐巳さんも・・・すごく・・・苦しそうでした・・・」
「・・・それって・・・祐巳ちゃんがまるで私の事好きみたいじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
セイはそう言って苦々しく笑った。そして思う・・・。
どうしてここまでわかっていながら、セイはユミに告白をしてしまわないのだろうか・・・と。
間違いなくユミはセイの事が好きだというのに・・・どうして・・・。
「私ね・・・祐巳ちゃんに前に振られたのよ」
「えっ!?」
「まぁ、その話で落ち込んでた私の前にたまたま柏木が現れて・・・多分その時の話でしょ。さっきの記事は」
セイはそう言ってチラリとゴミ箱に入り損ねた紙きれを睨みつけた。そしてこう続ける。
「だからね、祐巳ちゃんの演説が嘘でも本当でも・・・もう、私には関係ないのよ」
「だったら・・・だったらどうしてお姉さまも祐巳さんもそんななんですかっ!?
どうして二人ともがお互いを避けるんです?ちゃんとお姉さまは祐巳さんに伝えたんですかっ!?」
私は気がつけばイスから立ち上がって超えを荒げ、涙をボロボロ零していた。
手のひらには爪の痕がくっきりと残っている・・・。
そんな私を、セイは驚いたように見上げ、そしてゆっくりと言った。
「・・・ごめん・・・ごめんね、志摩子・・・。実を言うと、同じような事を柏木にも言われたんだ。
私は・・・だから、その事をずっと考えてて・・・気がついたら胃炎とかになってて・・・他にもいろいろ重なっちゃって・・・」
泣き出す一歩手前のような顔をしながら、セイはそう言った。
セイの苦しそうな表情・・・胃が痛いのか、心が痛いのか・・・それは解らない。
けれど、セイは間違いなくまだユミの事が・・・好きなのだ。
胃炎になるほど好きで好きでしょうがなくて、でも、本当に愛するって事が解らなくて・・・。
だからこんなにも悩んで・・・苦しんで・・・。
でも・・・多分、セイはまだ気づいていないだけなのだ。どう表現すればいいのか・・・解らないだけで。
セイはきっと、心の底から・・・ユミを愛しているはずだから・・・。
それに気づくまで、きっとセイはまだしばらくはこのまま闇の中を彷徨うかもしれないけれど、でもそこから抜ければ・・・。
それはきっとユミも同じなんだと言う事が・・・今ようやく解った。
演説の前にユミが私に言ったのは・・・きっとそういう事だったのだろう・・・。
「なんだ・・・お姉さまも祐巳さんも・・・」
同じなんだ・・・相手の事を考えすぎて自分の心が見えなくなって・・・ただ、それだけの事なんだ。
「何?志摩子、何笑ってるの?」
「えっ!?い、いえ・・・ただ・・・そうですね。お姉さま・・・とりあえず胃炎を早く治さなきゃ駄目ですね」
「・・・本当だよね・・・でないと何にも進まないよ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は自分の口元に笑みが零れるのが分かった。
セイが入院していると聞いたとき、本当に心臓が口から飛び出しそうなほど驚いたけれど・・・。
今のセイのセリフを聞いて私は心の底から安心した。
なんだ・・・ちゃんと進む気でいるんだ・・・と。それなら・・・もう、私が心配する事など、何も無い。
セイにもユミにも、まだ沢山の問題があるかもしれないけれど、一つずつ解決してゆけば・・・きっとこの二人は・・・。
「幸せに・・・なりますよね?お姉さま」
私の確信にも近い問いかけに、セイは片方の口の端だけを上げて笑った。
「あったりまえじゃない。馬鹿ね、志摩子ってば」
セイはそう言ってベッドに仰向けに転がると、口だけを動かして何かを呟く。
でも、その声は窓の外から入ってくる風の音が邪魔して、上手く聞き取れなかった・・・。
やがて眠ってしまったお姉さまに、そっと毛布をかけ病室を後にしようとドアノブに手をかけようとしたその時。
突然ドアが開いたので、私は驚いて小さく悲鳴を上げてしまった。
どうやらドアの向こう側の人物も相当に驚いたらしく、向こうからも叫び声が聞こえる。
でも、その声はなんだかとても聞き覚えのある声で・・・。
「祐巳さん!?」
「志摩子さんっ!!なんだ・・・びっくりしたぁ・・・」
ユミは私を見るなり安心したようにホュと胸を撫で下ろしている。
「二人とも!!シーーーッ」
聞きなれない声に、私がドアの向こう側に目をやるとユミが簡単に紹介してくれた。
どうやらセイの大学の友人らしく、その名前に思わず驚いた私にケイは苦い笑みをこぼした。
どうやらユミも私と同じような反応を示したらしい。
「志摩子さんも・・・その・・・お見舞い・・・?」
「ええ、そうなの・・・でも残念ね。お姉さまたった今眠っちゃったの・・・」
私はそう言ってチラリとベッドに視線を走らせた。ベッドの上ではセイが穏やかな寝息をたてている。
「どうする?どうせ何も持ってこなかったし・・・帰る?祐巳ちゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ケイの質問に何も答えないユミの顔を覗き込んだケイは、すぐに踵を返し自分だけ部屋を後にしてしまった。
私がオロオロしていると、ケイは戻ってきて私の腕を静かに引く。
どうやら二人きりにしてやってくれ、と言う意味なのだろう。
私は黙ったまま頷くとケイと一緒に病室を後にした・・・。
「やっぱり胃炎なんだ」
「はい。そうみたいです・・・どうやら過度なストレスが原因だそうで・・・」
「ストレスねぇ・・・なかなかやっかいな原因よね。残念だけど、手の貸しようもないし・・・こればっかりは」
ケイは待合室の長イスに腰掛け、はぁ、とため息を落とした。
私も黙ったまま頷く。それしか出来なかった。何を言えばいいのか・・・それすら分からない。
私が不躾かな?とか思いながらケイの顔をまじまじと見つめていると、ケイは真顔でこう言った。
「やっぱり姉妹っていうのは自分と似た子を探すものなの?」
「・・・へ?」
「だって・・・佐藤さんとあなた・・・雰囲気がとてもよく似てるもの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
突然ケイにそんな風に言われた私は、頬が熱くなってくるのを感じた。
・・・よく言われるけれど、まだ会って数分しか経っていないのに・・・どうしてこの人には分かるのだろう。
そして・・・セイが何故この人と友人でいるのかが・・・私にも分かった気がした。
それから私達はユミが戻ってくるまで何も話さなかった。
でも、そんな時間も苦痛にならないほど・・・ケイの隣は居心地がいい。
セイについて何も聞かないケイ。私も何も言わない。けれど、それでいいよ、と言ってくれているようで・・・。
セイとよく似た私は、やっぱりセイの友人の事がとても好きなんだな・・・と思う。
だからこそ・・・セイの苦しみや痛みが・・・こんなにも手に取るように解ってしまうのだけれど。
でも・・・そんな姉妹の形も・・・なかなかいいものだと、今は思った・・・。
心が壊れそうなほど誰かが好きで、
もう元には戻れそうになくても、
いつかは誰かがその穴を埋めてくれるのなら・・・、
やっぱり私には、キミしか居ないと・・・そう思うんだ。