霧がかかる。心に。


本当の私は霧に紛れて、もう見えない。


やがて霧は晴れて、私と私は一つになるけれど、


初めて知った、心の重さ。


こんなにも重かったあなたへの想い。


そして・・・私はようやく、私に戻れた。





雨がもう、ずっと降ってる。

何故か止む気がしないのは、一体誰のせいなのだろう。

ユミ?それともヨウコ?わからない。わかりたくない。闇が私を飲み込んで、もうどうにもなりそうにない。

いや、むしろもう、どうなったって構わない。これ以上状況が悪くなるなんて考えられない。

「どうして私なのよ・・・」

私はあえて自分に問いかけてみた。ヨウコは私の事を好きだと言った。

どうして私?どうしてこんな奴がいいの?自分に自信なんてこれっぽっちもない。

人から好かれる要素なんて、何一つないのに・・・それなのに・・・。

私は降り止まない雨の粒を見つめ、ため息を一つ落とした。

はっきり言って、ショックだった。

でも、何が私にそう思わせるのか・・・わからない。

告白された事がショックなのか、それとも親友を失った事がショックだったのか・・・。

友達としてなんて見られない、と言ったヨウコの顔は真剣で、もう覆りそうになんて無かったし、

告白をされた以上、私だってきっと普通にはもう戻れないように思う。

それでもユミに告白しようと思ったのは、その関係すらどうなっても構わないと思える程好きだったから。

でも・・・ヨウコに実際に言われて初めて気がついた・・・。

もし私がユミに想いを打ち明けて、傷つくのは・・・私だけじゃない。

ユミも・・・きっと同じぐらい傷つくのだということを。

私は平気だろうか?ユミに想いを伝えて、ユミを傷つけて、私は平気だろうか・・・。

ヨウコはきっと平気じゃなかった。ずっとずっと私を想ってくれていた・・・痛いくらいに。

でも私はそれに気づかなかった。・・・いや、本当は心のどこかで気づいていたのかもしれない。

あえて私は・・・気づかない振りをずっとしていた。

気づきたくなかった・・・多分、ヨウコも気づいてほしくなかった。

「結局・・・壊したのは・・・私じゃない・・・」

ドン!と握り拳で机を力一杯叩く。ヨウコが買ってくれたココアがこぼれて雨と混ざってゆく・・・。

茶色く濁った雨は、やがて透明になって何事も無かったかのようにまた降り続ける。

なんだか、それがとても切なかった。言いようの無い苦しみが胸を締め付ける。

いつかはこんな風に全てが消えてなくなってしまうのかと思うと・・・やり切れなかった。

何故か込み上げてくる冷たい笑み。笑う理由がわからない。

でも何かが可笑しくてしょうがなくて・・・零れる笑いと涙。もう一人の自分が混乱した私の心に問いかける。


ねぇ、もう、全て降りてしまえば?


と。

私は立ち上がって、雨の中へと足を進める。

ずっと・・・ここでずっとこうしていたら、もしかしたらさっきのココアみたいに溶けて無くなる事が出来るだろうか。

空を見上げそんな事問いかけてみても、誰も答えてなどくれない。

もういい。全てもういい・・・どうだっていい。

「・・・聖さま・・・?」

雨の中、空を見上げて立ち尽くす私に、突然誰かが声をかけてきた。

ゆっくり振り返ると、そこには一人の少女が立っている。

私はその姿を見て何か言おうとしたが、言葉が見つからなくて止めた。

「何してらっしゃるんですか、風邪ひきますよ」

声の主が近寄ってきて私にそっとさしていた傘を差し出してくれるけれど、私はそれを拒否した。

これだけ濡れたら、もう傘なんて意味が無いことくらい自分でもよくわかってる。

少女はそんな私を見てどう思ったのかはわからない。ただ・・・じっとこちらを見つめて、何か言いたげだ。

「・・・何?祥子。言いたい事があるんでしょう?私に」

思いのほか冷たい私の声に、サチコは一瞬ビクンと肩を震わせた。

しかし、こちらをキッと睨みつけるように視線はまっすぐ私を見ている。

「言いたい事など・・・」

「嘘ばっかり。祥子も祐巳ちゃんと同じぐらい分りやすいよ。特に・・・怒ってる時は、ね」

私はそう言ってフンと鼻で笑う。自分でもどうしてこんなにも意地悪になってしまうのかわからない。

でも・・・サチコには悪いけれど、出来れば今一番会いたくなかった・・・。

だからさっさと通り過ぎて欲しかったのに、サチコはそこから一歩も動こうとしない。

ただじっと私を見つめて・・・泣きそうな・・・怒っているような・・・そんな不思議な表情を浮かべている。

「私は・・・祐巳に聖さまは・・・釣り合わないと思います。

だから・・・これ以上祐巳にちょっかいは・・・かけないで下さい」

静かに振り絞るみたいに紡ぎだされたサチコhの言葉。

一瞬私の事を心配してくれているように聞こえなくもない。

けれど・・・実際はユミから手を引け、とそう言いたいのだろう。

サチコの気持ちは痛いほどよくわかる。

確かに私だってシマコに妹が出来たとき、ほんの少しだけやきもちを妬いたから。

だからシマコの妹に会おうとはしなかった。けれど、今はもういい。

シマコが今は幸せそうに学園生活を送っているのなら、もうそれでいいのだ。

私はサチコを屋根の下に入るよう促すと、サチコがベンチに座ったのを確認してから、私も腰を下ろす。

髪や服から滴る水滴が、ポツリポツリと私の気持ちを代弁してくれているようだった・・・。

「それは・・・私に祐巳ちゃんが似合わないの?それとも祐巳ちゃんに私が似合わないの?」

「・・・それは・・・祐巳に聖さまは・・・」

「嘘でしょ?祐巳ちゃんから私に手を引けって言いたいんでしょ?」

私の一言に、サチコの目が大きく見開かれた。何かを言おうとして慌てて口をつぐむサチコ。

「いいよ。はっきり言ってくれて構わないから」

サチコは私の言葉に安心したのか、それとももう後には引けないのか、

一瞬躊躇っていたけれどやがてオズオズと口を開いた。

「・・・そうです、聖さまの言うとおり、祐巳をこれ以上混乱させないで下さい。

聖さまがあんな事するから・・・祐巳は混乱してて・・・だからあんな事私に・・・」

サチコはそう言うなり、両手で顔を覆った。話は全く見えないけれど、どうやらユミに何か言われたらしい。

でも、それももう私には関係ない事だ。さっきこの耳でハッキリと聞いた、ユミの言葉。

あれが・・・真実だったのだから・・・。

でも、どうしてサチコが今更そんな事を私に言いに来るのだろう。

泣き出してしまったサチコを見ても、何の感情も浮かんでこない。

優しくなんて・・・出来るわけがない。

「私は・・・祥子に言われなくても祐巳ちゃんから手をひくつもり・・・だったよ」

ポツリとつぶやいた私の言葉に、サチコがパッと顔を上げた。

驚いたような、ホッとしているような・・・怒っているような・・・そんな複雑な顔で私を見上げている。

「そんな・・・それじゃあ祐巳は・・・祐巳の事・・・本気で好きだったわけじゃないんですか・・・?」

何とも不可思議なサチコの言葉に、私は思わず首を傾げる。ここはだって、喜ぶべきところだろう?

それなのに何故そんな事を聞いてくるのかが、私にはわからなかった。

本気じゃなかったのか、だって?不意に私の中で何かが弾けた。

そんな事・・・サチコにだけは言われたくなかった・・・。

「・・・本気だったよ・・・まさか祥子にそんな事聞かれるなんてね・・・」

「だって、今諦めるって・・・そんな簡単に・・・」

「簡単?何が簡単なの?

私がどんな想いで今まで祥子達を見てきたのかも知らないくせに、よくそんな事言えるよね」

いつだってサチコが羨ましかった。

万が一ユミがこっちを振り向いてくれるかも、だなんて端から期待なんてしてなかった。

いや、出来なかった。二人の仲に割って入ることなんて・・・私には・・・出来なかった・・・。

結局ユミが選んだのは私じゃなかった・・・あの言葉だけでもう十分だった。

そっとしておいて欲しい、お願いだから、もう誰も私の中に入り込んでこないで!

そんな私には見向きもくれず、サチコはハッキリとした口調で話し出した。

「・・・祐巳にはちゃんと男性と結婚をして幸せになってほしいんです。

それが姉の務めというものです。妹が誤った道に逸れそうになったら・・・私が・・・私が・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

もう我慢出来ない。結局、サチコが怒りたいのはそこなのか、と思った。

私は男じゃない。だから駄目だと。女が女を好きだなんて事・・・許されない・・・と。

「ですから聖さま、これからはもう祐巳の前に顔を出さないで・・・聖さま・・・?」

「どうして・・・どうして祥子にそんな事言われなきゃならないのか・・・分からないよ。

女が女を好きになるのは・・・そんなにも変かな・・・私はそんなにもおかしいかな?

祐巳ちゃんが好きなんだからしょうがないじゃない。

だって、祐巳ちゃんじゃなきゃ駄目なんだからしょうがないじゃない。

もしも、祥子が姉としての立場にあるから私にそんな事言うんなら・・・私は祥子を・・・許さないよ」

私の全てを否定された。そんな気がした。

シオリを好きになった時もそうだった・・・あの時は母親が今のサチコと同じような事を言っていた。

でも私には理解できなかった。

自分でもどうして女の子を好きになるのかわからないのに、それを知る前に悪い事だと決め付けられて、

道徳に反するだとか、常識的に考えて・・・とか、

そんなモノで縛られてしまったら・・・私という存在すら否定されているようで。

「わ、私は・・・祐巳の姉です。それ以外の何者でもありません。

妹の幸せを願うのが、そんなにいけない事ですか!?」

サチコは握りこぶしを作って必死に私に講義する。

「それは別に悪い事じゃないよ、ただ、どうして姉であるあなたが祐巳ちゃんの行動を、

私の想いを制限する権利があるの?私も祐巳ちゃんも祥子の物じゃない。

祐巳ちゃんがたとえ誰を好きになっても、それを祥子が止める権利なんてない。

たとえ姉であっても。親であっても。

人の気持ちなんてね、祥子、誰にも止められないものなのよ。

たとえ私が女の子しか愛せなくても・・・それは私の勝手だし、

もし祐巳ちゃんがこれから誰を愛しても、祐巳ちゃんの勝手。

さっき簡単に諦めるとかなんとか言ってたわよね?あれだってそう、私が自分でそう思った。

でも、どうやったって諦めきれる訳ない・・・私は祐巳ちゃんにもっと触れたい。

祐巳ちゃんの心も身体も・・・欲しい・・・」

サチコが何を言われたのかは知らない。知りたくもない。

ただ・・・ただ、ユミの事をどう思っていようが・・・私の自由だ。

誰に何と言われようが私はユミが好きで、どんなにその事から目を背けても・・・決して逃げられない。

ユミを想うことで全てが壊れるのなら・・・それでもいい。もう、ユミ以外なんて全て・・・どうでもいい・・・。

でも、そんな身勝手な考えを、ユミは決して許してはくれないだろう。

だから私はユミを諦めようとした。何度も何度も。でもそれは出来なかった。

ユミの口から直接聞いた今でさえ・・・苦しくてどうしようもないのに・・・。

どうして諦める事なんて出来るというのだろう。

心の底からユミを愛しているか?と聞かれたら、それは・・・わからない。

ただ・・・一生ずっと一緒に居るのなら・・・その相手は、ユミがいい。

今、サチコに言われてはっきりと気づいた。そうだ・・・私はユミがいい。ユミでないと・・・駄目なんだ・・・。

ありのままの私で居られるのは・・・あんなにもずっと笑っていられるのは・・・ユミの前でだけだった・・・。

狂気紛いの私の感情を、上手くコントロールしてくれたのは・・・他の誰でもなく、ユミただ一人だったんだ。

ほんの少しだけ・・・心に光が射す。小さな小さな灯だけど・・・まだ、私は生きられる。



サチコはずっと黙っていた。ただおし黙って、じっとハンカチを見つめていたが、ゆっくりと立ち上がり言った。

「聖さまは・・・祐巳を穢してしまう、きっと」

サチコはそう言って傘を掴みそのまま走り去ってしまった。

最後に吐き捨てるように言ったサチコの言葉は、小さなシコリになって引っかかる。

心臓を鷲?みされたような痛みが胸を走って・・・私はもう、そこから一歩も動く事が出来なかった・・・。



ヨウコも・・・ユミも・・・サチコも・・・どうしてこんなにも私を・・・掻き乱すんだろう・・・。

最後の灯が消える。あっけなく・・・さっき流れたココアみたいに・・・。




例えば、全てが終わる時、誰か私の傍に居てくれると思えたなら、


私はきっとこんなにも苦しくなかった。


でも、私には誰も居ない。


そんな人、誰一人居ないまま・・・きっと私は終わる。







それぞれの告白   第十四話