置いていかれる寂しさなんて、わかるでしょうか?


裏切られる悲しみなんて、わかるでしょうか?


今なら私にもわかります。


この滑稽な姿を見てください・・・。


こんなにも惨めな私を、どうか見てください。


この悲しみの出口すら見えない、こんな私を・・・。






それぞれの人の中にユミが居て、それぞれの人の中でユミは生きている。

もちろん私の中にだってユミが生きていて、そのユミはいつだって笑顔で・・・。

私は温室の中で抱き合うユミとサチコから逃げるように、走り去った。

私がずっと大事にしてきたものは儚く散って、やがて消えうせる。

いつだってそう・・・自分から一歩踏み出して手に入れようとすればする程、スルリといつも手の中から逃げ出してしまう。

こんな私はきっと、マリア様に愛されてなどいないのだろう。

幸せの意味なんてわからない。

どんな幸せでもやがて消えてなくなるものなら、初めからそんなもの手に入れない方がいい。

私はやがて降り出した雨の中、傘をさすことも忘れてただひたすら歩いていた。

どこに行きたいのか、どこに行こうとしているのかはわからないけれど、ただ・・・ひたすらに前だけを見て・・・。

そんな時だった。突然雨が止んだ、と思った。そして後ろから聞こえる声に私は力なく振り返る。

「何してるのよ、あなた。風邪ひくわよ?」

「・・・蓉子・・・そろそろ来るんじゃないかな、とは思ってたけど・・・案外早かったね」

私は声の主がヨウコだった事に驚く事はなかった。

いつもこんな時に限ってヨウコは現れるから、なんとなく今回もそろそろかな?なんて思ってた。

今思い返せば、もっと早くにヨウコの気持ちに気づくべきだったことに今更後悔してもしょうがないんだけれど、

この時の私はいつになく弱っていた。そして私はいつも大事なモノを見つけると、周りが目に入らなくなる・・・。

きっとヨウコもそれを痛いほど理解していただろう。

「どういう意味よ、それ」

「だって、私が弱ってると大概蓉子が一番に駆けつけてくれるじゃない」

私は素直にそう言ってヨウコから傘をとり、それを二人の間にさす。

どことなくヨウコの頬が紅く染まったようにも見えたけれど、私はいつも自分の事にしか気が回らなくて・・・。

「で、どこへ向かってたのかしら?」

ヨウコの声は少し怒っていたけれど、でも愛情はたっぷりと感じられる。

いつだってそう。どんなにこの親友に助けられたかわからない。

多少おせっかいすぎるのが玉に瑕だけれど、それでもヨウコが居なければ私は一生あのままだったような気がする。

誰とも交わらず、一生を独りきりで過ごしていたような・・・そんな気さえする。

いや、もしかするともうここには居なかったかもしれない。昔は人の居ない場所が楽園だとさえ思っていたから・・・。

そんな場所なんて無い、どこに行っても私は独りではない。

そう教えてくれたのはヨウコで、痛いほどの愛を教えてくれたのはシオリだった。

そして・・・どんなに裏切られても、人はまた誰かを愛するのだということを教えてくれたのは・・・ユミ・・・だった。

でもきっとこれが最後。

こんなにも穏やかに人を想い、優しい気持ちでいられた・・・こんなちっぽけな幸せを、

この先誰かがくれるとは・・・もう思わない。

ちっぽけだけれど、素晴らしく幸せだった・・・。気がつけばいつも笑っていられた・・・。

ユミがそこに居るだけで・・・ただそれだけで良かった。

たとえ銀杏王子に言われたことが当たっていたとしも・・・私はそれで良かったのに。

心を明け渡す事なんて出来なくても、それでもいい。ただ・・・傍に居て欲しかった。

ずっと笑っていて・・・ほしかった・・・。

そんな事を考えた瞬間、ユミの顔を唐突に思い出して・・・胸が苦しくなってくる。

いつだって思い出すのはユミの笑顔ばかりで・・・決して手に入らない笑顔ばかりで・・・。

「ちょっ、聖!?どう、どうしたのよ!!な、何泣いてるの!?」

突然私の次から次へと溢れてくる涙にヨウコはかなり驚いたようで、必死になって鞄の中をゴソゴソと何か探している。

そしてヨウコは一枚のハンカチを取り出し私によこしてくれたのだけれど、そのハンカチは・・・。

「・・・これ・・・祥子から・・・?」

Sと刺繍された白いハンカチ・・・ユミも確か大事そうに持っていた。

そしてこのハンカチは宝物なのだ、と嬉しそうに語ってくれたのを思い出す。

「ええ、前にね、貰ったの。祥子と祐巳ちゃんとおそろいなのよ」

「・・・へー・・・」

オソロイナノヨ。

この一言が、このハンカチが、私の心をじわじわと蝕む。トゲのように刺さって外れないSという刺繍。

サチコ。

ユミが唯一心を許す相手・・・。

でも不思議と憎しみは湧かなかった。シオリの時のようにマリア様を恨んだり、ヨウコを恨んだりはしなかった。

サチコにも・・・ユミにも・・・そういう感情は起こらない。

だからこそ余計に苦しくて、辛くて・・・行き場の無い悲しみが怒涛のように押し寄せてくるけれど、

それを誰かにぶつけようとは・・・思わなくて。

この感情を何と呼べばいいのだろう・・・不思議な感情・・・憎しみではなく、悲しみでもない。

不幸でもなくて・・・もしかすると、これが人を想う幸せというのかもしれない・・・。

喩えるなら、夏の夕焼けを見ているような哀愁に一番近い。

ヒグラシが鳴いて、夏が・・・楽しかった夏が・・・もうじき終わる・・・。

独りぼっちで空を見上げて・・・私は思い出を沢山作ったと喜んで・・・。そんな感情に一番似ている。

「聖・・・大丈夫?」

「・・・ん、大丈夫・・・でも・・・ないかも・・・」

ヨウコの優しい声が、トントントンと傘を叩く雨の音が・・・私を弱らせる。

耐え切れなくなった。どうしようもなくなって・・・寂しかった・・・。そして・・・。

「うっ・・・っく・・・ひっ・・・う・・・ふぇ・・・うわぁぁぁぁぁぁん!!」

気がつけば私は、まるで小さな子供みたいにその場で大声を上げて泣き出していた。

幸い雨のせいで人もあまり居なかったし、音も幾分掻き消される。

ただ・・・ヨウコはさぞ驚いただろう。目を丸くして、ただじっとこちらを見上げてりたのだから・・・。




「少しは楽になった?」

コクリと頷く私の背中を、ヨウコはずっとさすっていてくれた。

きっと相当恥ずかしかっただろうに、逃げ出す事もせず、ただじっと私が泣き止むのを待ってくれていた・・・。

屋根のついた公園のベンチに私を座らせて、暖かいココアを買ってきてくれるヨウコ。

「・・・ありがど・・・」

鼻声の私に、ヨウコはクスリと小さな笑い声を漏らしティッシュを差し出してくれた。

私はココアを一口飲んで、フゥ、と小さなため息を落とす。

ココアを見ても、思い出すのはユミの顔・・・寒い寒いと言っては、よくココアを飲んでいた。

時には缶入り汁粉ってものも・・・さすがに一口飲んで、私はダウンしたけれど。

ついそんな事を思い出して、微笑んでしまう自分。

振られたばかりなのに、どうしてこうも単純なのか、と自分でも驚いてしまう。

そんな私を怪訝そうな顔で見つめていたヨウコだったが、やがてニッコリと笑って言う。

「どうしたの?何かいいことでも思い出したの?」

「ん、ちょっとね・・・祐巳ちゃんをね」

ココアの缶を握り締めながら、自分でも驚くぐらい素直にユミの名前が出てくる。

私の言葉に、ヨウコもニッコリと目を細めている。

「祐巳ちゃんね。あの子可愛いわよね、ほんと」

「うん」

「そういえば祐巳ちゃんを山百合会に入れようとしたのって、聖だったわよね?」

「・・・そうだっけ?」

ドキリとした。私の心の中が、全て見透かされたみたいで・・・少し怖かった。

でも、ヨウコはさらに続ける。

「あら、そうよ。あなたが賭だとか言い出したんじゃない。私それを見て、珍しいなぁって思ったんだもの」

「・・・珍しい?」

「ええ。だって、あなたが人に興味を示すなんて・・・珍しいじゃない?」

「・・・・・・・そう・・・かもね・・・」

自分でもそれは考えた。どうしてユミなのだろうか?と。

でも、いつも答えは出なかった。キラキラと輝いて見えたユミ。いつも楽しそうで、百面相が得意で。

思った事がすぐに顔に出てしまう・・・そんなユミを見てるのが大好きで・・・。

「多分・・・私には無いモノを祐巳ちゃんは持ってたから・・・」

私がポツリとそう言うと、ヨウコは少し驚いたような顔をする。そして言った。

「あんなにも自分に似た人にしか興味無かった聖がそんな事言うなんて・・・驚いたわ」

「どういう意味よ」

「だって、志摩子といい栞さんといい、どちらもあなたにそっくりじゃない」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

私にそっくり?シマコは解るとして・・・シオリが・・・?

黙って考え込む私に、ヨウコはさらに続ける。

「栞さんは・・・あなたにとてもよく似ていたわ。自分しか愛せない・・・人を通して自分を愛する所なんか特にね・・・。

あなたもそうでしょう?いえ、そうだった・・・というべきなのかしら。

でも・・・だからこそ祐巳ちゃんに惹かれたのかもしれないわね。

一見強そうに見えるけれど、あなたは本当はとても脆くて弱い。そんなところも・・・そっくりよ」

「・・・蓉子は・・・よく私を見てるね・・・」

私はそう言って出来るだけ微笑んだつもりでいたけれど、きっと上手には笑えなかっただろう。

銀杏王子の、いつだって私達は独りだった、といった言葉・・・今、ようやく少し解った気がする。

シオリとの恋が、決して嘘だったとは思わない。会わない方がいい。ずっとそう思ってきたけれど、本当は違う。

会いたくなかったのだ、本当は。

会ってしまえば、きっと私は嫌でも思い出す。あの時の哀しい感情を・・・。

愛とも恋とも言えなかった、未完成な感情を・・・。足りなかった私の心を・・・。

一緒に居ても満たされない・・・いつまで経っても補える事が無かったのは、私達がとてもよく似ていたから。

シオリの事を天使と思ったのは事実で、をとても大事にしたかったのは本当だけれど・・・。

それでも私達に恋は出来なかった。きっと、一生かかっても・・・。

私は、フッと目を細めヨウコを見つめる。

本当に昔からヨウコは私の事を見ていてくれた。

きっとずっとヤキモキしていたんだろう。時にはおせっかいだと思う事も、今となっては有難く思える。

だから不意についた言葉が・・・ヨウコを・・・深く、深く傷つけた・・・。

「蓉子となら・・・幸せな恋愛が出来たのかもしれないね・・・」

私がそれを言った途端、ヨウコの表情が突然曇った。机の上に置かれたこぶしが、小刻みに震えている。

「・・・どうして・・・どうしてそういう事言うのよ・・・私は・・・私の気持ちも知らずに・・・どうしてそういう事言うのよっ!!」

突然ガタンと立ち上がって、顔を真っ赤にしてそう叫ぶヨウコ。

私は何がヨウコを怒らせたのかなんて、全くわからなかった・・・。

直接、その言葉をヨウコから聴くまでは・・・。




ポツリと言った彼女の言葉が、今も頭の中をリフレインする。

何度も何度も・・・壊れたスピーカーみたいに・・・。





人の心が見たければ、自分の心を見ればいい。


それが出来もしないのに、何かを見た気でいるならば、


思い上がりも甚だしい。


自分が見えもしないのに、人が見えなどするものか。











それぞれの告白   第十二話