本当はあなたに伝えたい事、沢山あるんです。
学校の事とか、友達の事、
そんな事ではなくて、もっともっと・・・大切な事を・・・。
どうしてもあなたに、伝えたかったんです・・・。
でも、ごめんなさい・・・もう、伝えられそうにありません。
どうすれば時間は戻るの?
どうすればこんな想いをしなくてすむの?
まだ・・・手のひらが熱い。ジンジンと痛むのは、手なのか心なのか・・・いいえ、多分どちらも、なんでしょうね。
私が卒業するまで、もう本当に短い時間しかなくて、何もここには残せなくて。
ユミという妹が出来た事で私は随分救われたはずだったのに・・・今はそのことがこんなにも辛い。
こんな事になるならば、妹なんて作るんじゃなかった。どれほどお姉さまに言われても、こんな事になるなら・・・。
もしかすると、お姉さまもそんな事を思ってるかもしれない。私の妹がユミじゃなかったら・・・なんて事を。
時間が逆に回るなんて事はありえなくて、もし戻ったとしても、また同じ道を辿るのかもしれないのなら、
私はユミをもう、止める事など出来ないのだ、という事を心に刻むしかなくて・・・。
でも、それは切なくて苦しくて・・・恋にも似たような想いが胸をしめつけるけれど、これは恋じゃない。
そう・・・教えてくれたのは・・・他の誰でもない。
ユミとセイだった。
「祐巳、話があるの」
私はそう言ってユミの肩を抱き、その場から連れ去った。後ろから聞こえてくる歓声や拍手は、私の背中を押してくれる。
だからかもしれない。この時、ユミの流していた涙の理由など考える事もしなかったのは。
ユミはコクリと頷き、ただ黙って私についてきた。
どこか二人きりになれるところで、ユミを労い励ますつもりだった私は迷う事なく温室へと向かった。
あのロサキネンシスの前で、きちんと話をしたい。
あと少ししかない時間を、ユミとこのままで終わらせたくなかったから。
少し軋む温室のドアを開くと、そこには冬なのに微かな華の匂いを感じることが出来た。
暖かい日差しが頬を撫で、私は思わず目を細める。
私は置いてあった植木鉢を避けると、ハンカチでそこの土を払いユミをそこに座らせた。
そしてゆっくりと頭を撫でる私に、ユミは弱弱しい笑顔でそれに答えてくれる。
「祐巳・・・よく、頑張ったわね」
「・・・・いえ・・・私は、何も・・・」
ほんの少しだけ笑うユミ。でも、その笑顔はどこかぎこちない。
「そう?でもあなたはよく頑張ったわ。自分の気持ちに踏ん切りをつけたのだから」
「・・・お姉さま?」
「あら、だってそうでしょう?さっきそう言ったじゃない。私は聖さまの事好きだなんて言ってません、って」
私はまるで誘導尋問するみたいにユミにそうたたみかける。
案の定ユミは困ったようなうろたえたような瞳でこちらを見ていた。
「そ、それは確かに言いましたが・・・私が言いたかったのは・・・聖さまへの想いを否定したんではなくて・・・」
「じゃあ・・・あの言葉は嘘だったの?マリア様の前で嘘をついたの?」
リリアンにおいてマリア様はとても崇高な存在。生半可な気持ちで嘘をつくなど、許されない事だ。
そんなことぐらい、きっとユミもよく知っているはず。
「嘘・・・ではありません。でも、真実でも・・・ありません」
「・・・・・・・・・祐巳・・・・・・・・・・・」
ユミが本当はセイの事を好きだと言う事を、私はいつから気づいていたのだろう。
いつからかは解らないけれど、随分長い間だったような気がする。
それにずっと目隠しをして、出来るだけ気づかないよう自分に言い聞かせてきたつもりだった。
けれど、もう目を背けない。ユミはマリア様の前で断言したのだ。
セイの事を好きだなんて言った覚えはない。と。
それは嘘だと言う事は、私も・・・おそらくシマコも気づいている。
でも・・・嘘でも構わない。もう少し・・・もう少しだけ、このままで居たかった。
「祐巳、私はあなたの事、とても好きなの」
「・・・私もです・・・お姉さま・・・」
ポツリとユミの言ったお姉さま、という言葉が、私達の最善な距離。
それは解っているのだけれど、何故か今はそれが酷く苦い。
私は確かにユミが好きなはず。姉としての出来る限りの愛情を注いできた。
そりゃあ確かにわがままも沢山言ってユミを困らせてきた事もあったけれど、それでもユミは私を見放したりはしなかった。
私にはこれ以上ない、可愛くて愛しい、世界でたった一人きりの妹・・・ユミ。
なのにどうして!?どうしてセイなの!?
感情がすぐに昂ぶってしまうのが私の悪い癖で、それで失敗した事も沢山あった。
私はユミをグイっと引っ張り、その小さな体を力いっぱい抱きしめる。
「お、お姉さま・・・く、苦しいです・・・」
「祐巳、祐巳・・・どうして?どうしてなの・・・?何故・・・私じゃないの・・・」
一瞬にして緊張の糸が緩む。そしてその途端あふれ出す大粒の涙。
誰が憎いのか、誰が羨ましいのか・・・多分、私の中では答えが出ている。
「どうして聖さまなのっ!?」
「お、お姉さま・・・」
気がつけば私は声を荒げ、物凄い剣幕でユミの肩に掴みかかっていた・・・。
怯えるような・・・申し訳なさそうなユミの顔。とてもとても哀しい顔・・・。
「私の何がいけないって言うの?嫌なところがあればハッキリ言えばいいじゃない!!
どうしてあなたにはそれが出来ないのっ!?」
こんな事を言いたい訳じゃない・・・それなのにどんどん口をつく言葉達は、私を苦しめて、ユミをも苦しめる。
「わ、私は・・・お姉さまの嫌なとこなんて・・・何もない・・・どうしてそんな風に言うんですか・・・」
いつもなら、きっとユミは泣き出していただろう。それなのに、今日は真っ直ぐ瞳をこちらに向けたまま。
声に力は無いけれど、その言葉には痛いほどの力がある。
「それなら聖さまは諦めなさい。あの言葉を真実にしてしまいなさい」
自分でも、何てひどい事を言ってるんだろうと思う。
さっきマリア様の前で誓ったユミの言葉は嘘だということぐらい既に解っていたのに。
嘘だと解っているのに・・・どうしてこんな事を言ってしまうのだろう・・・。
・・・私は認めたくない。そんな事実・・・ユミが私を捨ててセイの所に行ってしまうなんて・・・私は信じたくなかった・・・。
だからきっと・・・どうしてもユミの口からもう一度・・・ちゃんと聞きたかった。
ユミには私しか居ない、と。私でなければダメなのだ・・・と。きっとユミならそう言ってくれる。
そう・・・信じていたのに・・・。
「私は・・・私の心は・・・まだハッキリと決まってません。お姉さまは大好きです。
でも・・・その好きとは違う感情で・・・私は聖さまが好きなんです・・・。
もしこの感情を恋と呼ぶのなら・・・そうかもしれません。でも、私はまだ解らない。
自分は本当に聖さまが好きなのかどうかが・・・。
でも、こんなにも苦しいのは・・・聖さまにしか感じた事は・・・ありません。
こんなにも苦しくて切なくて・・・声が聞きたい・・・会いたい・・・触れたい・・・。
ずっと、ずっとお姉さまには打ち明けたかった・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ユミはそこまで言って、目をふせた。
柔らかい日差しがユミに降って・・・まるで絵みたいに綺麗だった・・・。
初めて見るユミの顔・・・私の前でこんな表情をした事は・・・ただの一度も無かった。
セイの前で・・・こんな顔をずっと・・・していたんだろうか・・・。
セイはいつも、こんなにも綺麗なユミを見ていたのだろうか・・・。
胸が苦しくなる。頭の中が真っ赤に染まって・・・私は・・・今自分が一体何をしたのか分からなかった・・・。
パン・・・と、小気味の良い音が温室に響き渡る。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・あ・・・・わ、私・・・・・・・」
ユミの真っ赤になった頬を見て、ようやく私は自分のしでかした事を理解した。
黙ったままこちらをじっと見つめるユミの目が、無言で私を責め立てる。
私は自分の手のひらをしばらくじっと見つめていた・・・。
「お姉さま・・・私、今回言った言葉にどこにも嘘なんてありませんでしたよ。
私はまだ聖さまに告白していません・・・。
たとえあの新聞の記事が真実でも・・・私はいつかちゃんと、自分の気持ちを聖さまに伝えるつもりです」
はっきりと、そう言い切るユミの顔は、さっきまでの弱弱しかったユミの顔ではなかった・・・。
「だ、駄目よ!あなた自分で何を言ってるのか分かってるの!?あなたは私の妹なのよっ!?」
「ええ、分かってます。でも、これ以上・・・私、自分の気持ちを隠すのは・・・嫌なんです」
「それは・・・私を捨て、聖さまの所へ行く・・・と言う事なのね?」
「・・・そう・・・お姉さまが仰るのなら・・・それでも構いません。
でも・・・私はお姉さまと聖さまを比べた事なんて・・・ただの一度もありません・・・」
「・・・どういう意味?」
「私のお姉さまは祥子様ただ一人です。これからも・・・ずっと・・・たとえ、姉妹を解消されたとしても・・・ずっと・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ユミはそれだけ言うと、私の手をスルリと抜けて温室を逃げるように出て行ってしまった。
急いで後を追おうとしたけれど、体が言う事をきかない。頭の中が真っ白で、手のひらがまだ熱い・・・。
もう訳が分からなかった。姉妹を解消してもいいというユミ。でも、私とセイを比べた事など無いという。
それがどういう意味なのか・・・この時は、とても難しい問題のように思えてならなかった・・・。
だから私は・・・きっと自分からユミを突き放してしまった・・・。
どうしていいか分からずに、ただユミの顔を見ているのが辛くて・・・泣き出す事もしないユミの瞳に、
その意思の強さを見て・・・私はセイへの憎悪を募らせる一方で・・・。
私は溢れる涙を、ユミとおそろいのハンカチで拭った。
今までずっと隣に居てくれた少女は、今はもう居ない。
ユミがセイに惹かれた理由など知らない。
でも・・・セイがユミに惹かれた理由なら・・・痛いほどよく解った・・・。
置いていかれる寂しさなんて、わかるでしょうか?
裏切られる悲しみなんて、わかるでしょうか?
今なら私にもわかります。
この滑稽な姿を見てください・・・。
こんなにも惨めな私を、どうか見てください。
この悲しみの出口すら見えない、こんな私を・・・。