全てが敵に回っても、私はキミを離さない。
セイとユミは表に掲げてある傾いた看板を、もう一度見上げるとお互いに顔を見合わせた。
お姉さまと別れて、ユミはセイに言われるがままついてきたが、まさか秘湯がこんな所にあるものだなんて、
思ってもみなかった。
大抵秘湯と言えば、山奥と相場が決まっている。
それなのに、この秘湯はなんて自己主張が強いのだろうか・・・。
入り口にはデカデカと『秘湯入り口』などという看板が掲げてあるし、問題なのはその場所だ。
島の一番の市街地、昨夜仮面祭りをした広場の脇にある小さな洞穴。
身をかがめてようやく1人が入れるぐらいの小さな隙間がどうやら入り口らしいのだが・・・。
「祐巳ちゃん・・・やめとこうか」
セイはポツリとそう言うと、ユミの腕をクンと引っ張った。しかしユミは、にっこりと笑って首をふる。
「どうしてです?楽しそうじゃないですか。滅多にこられないですよ?こんな所」
ユミはセイの手をギュっと握り、身を屈め洞穴の中へと潜り込んだ。
セイは手を引っ張られしょうがなくユミの後に続いたが、ユミとは頭一つぐらい背丈が違うため、
中腰で進むユミとは違い、完全に四つんばいにならなければならなくてなかなか苦労する。
「うわぁ・・・中は案外広いんですねぇ」
ユミはそう言って驚嘆の声を上げる。一方セイは、どこか落ち着かないらしくキョロキョロと辺りを見回していた。
洞穴の中は硫黄の匂いと温泉の熱でなんとも言えない空気が充満している。
しかしユミはそんな事には気にも留めず、鼻歌など歌いながら更に奥へ奥へと進んで行くものだから、
セイはそれについていくしかなかった。
一応パンフレットにも載っていたらしいこの場所は、お姉さま曰く、不思議な所らしい。
確かにいろいろと不安ではあるが、それでもユミは喜んでいるみたいだし、セイの不安なんてきっと大したものではない。
更に奥には『男』『女』と描かれたのれんがかかっていたけれど、それすらも最早疑わしかった。
「祐巳ちゃん、もし他に誰か・・・特に男の人が居たら速出るからね」
セイは一応ユミにそう念をおす。自分の裸など別に見られても構わないが、
ユミの裸をそう易々と他人に見せるというのは・・・やっぱり嫌だったから。それがたとえ温泉だっとしても。
しょうもない独占欲だとは思うけれど、これはもう、理屈ではない。
嫌なものは嫌。たとえワガママだと言われても、ユミの全ては自分だけが知っていたい・・・そう思う。
しかしそんなセイの不安とは裏腹に、ユミはあっけらかんと笑ってのれんを指差し言った。
「いやだなぁ、聖さまってば。ちゃんと別れてるじゃないですか、場所が」
「だって、ほらよく温泉であるじゃない。脱衣所だけが違って中が混浴・・・とかさ」
「聖さまは本当に心配性なんだから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
セイの気も知らずにケラケラと笑うユミが憎らしい・・・。
でもその反面こんな所も可愛いと思ってしまうのだから、結局ユミにはいつも敵わないのだろう。
のれんをくぐって一歩足を踏み入れれば、そこは小さな脱衣所になっていた。
温泉は思った通り入り口が違うだけの混浴だった。幸い、誰も他には居なかったけれど・・・。
セイは脱衣所を通り越して温泉の中を覗き込んで思わず呟いた・・・。
「せまっ!!」
つぶやいたはずだったのに、声は反響して思いのほか大きな音になって返ってくる。
セイの声に、服を脱ぎかけていたユミが下着姿でセイの脇からちょこんと顔を出し中を覗き込む。
「うわぁ・・・ウチより狭いかもですね・・・」
ユミは感嘆の声を上げ、下着のホックを外しにかかる。
と、それを見たセイは、パッと視線を外し顔を手で覆って早口で言った。
「う、うん・・・どうでもいいけど祐巳ちゃん・・・その格好どうにかならない?」
胸がドクドクと脈打つのがわかる。
ただでさえ硫黄の匂いでむせ返りそうなのに、ユミのこんな姿を見せられたら酸素がますます薄くなってしまうではないか。
未だ顔を抑えたままのセイに、ユミは思わず苦い笑いをこぼす。
「もう〜。いい加減慣れてくださいよ、私の裸ぐらいでそんないちいち騒いでどうするんですか」
「・・・何言ってんの。祐巳ちゃんの裸だからこんなにもドキドキするんでしょう?それ以外の人にこんな風にならないわよ」
「・・・聖さま・・・そんなに私が好きですか?」
あまりにも唐突なユミの質問に、セイはまた耳まで真っ赤になった。
一方ユミはニヤニヤと笑みを浮かべこちらを覗きこんでセイの答えを期待している。
セイは小さな溜息を落とすと、ユミの身体を引き寄せ耳元でボソリと言った。
出来るだけ小さな・・・吐息のような声で・・・。
「・・・好き・・・祐巳ちゃんしか居ないの・・・」
セイはそれだけ言うと、ユミの身体をパッと離し、今度はセイがユミの顔を覗き込む。
すると、ユミは耳まで真っ赤にして俯いて顔を両手で覆ってしまった。
「私の勝ち!」
セイはそう言ってまだ顔を覆っているユミを横目にさっさと服を脱ぎ、先に温泉へ向かう。
「・・・・・・・聖さまの・・・バカ・・・」
ユミあポツリとそう呟くと、しまりのなくなった顔を両手でパンパンと叩いた。
どうしたってセイには抗えない。あんな風に耳元で囁かれたら、あんな風に突然抱き寄せられたら、
身体から全ての力が抜けてしまう・・・。
とても頼りになって、いざという時には必ず助けてくれるユミのスーパーマンは、今は誰よりも素敵なユミのただ唯一の人。
声を聞くだけで身体は熱くなって、胸が破裂しそうになる。微笑まれれば、嫌な事も全て忘れさせてくれる・・・そんな存在。
セイがくれた幸福な日々は、他の何にも変えられない思い出になっていつまでもきっと胸に残る・・・。
そう、言い切れる自信が・・・ある。
セイがどんな風にユミの事を想ってくれているのかは解らないけれど、セイもきっと、
ユミをこんな風に大事に想ってくれているだろう・・・そう、願いたい。
「祐巳ちゃん、まだ〜?」
温泉の中から必要以上に大きな声が響く。
「は、は〜い!すぐいきます!!」
ユミはセイの声に慌てて残りの下着をとると、脱衣所を後にした。
「な、中は更に狭いんですね・・・」
「うん、そうみたい」
セイはそう言ってユミを手招きする。
ユミはセイの言うとおりさっさとかけ湯を済ませ、狭い温泉をじっと見つめる。
困ったことにこの温泉、1人が入ればもう1人は入るスペースがない。
つまり、それぐらい狭い、という事だ。
ユミが湯船をじっと見つめていると、セイは笑いながらユミの手をひき自分の膝の部分を指差した。
「だ、抱っこって事・・・ですか!?」
ユミはイヤイヤと首をふると、セイは一瞬ムッとした顔をしたが、次の瞬間半ば強引にユミの手を引くと、
無理矢理ユミを自分の膝の間に座らせた。
「だって、こうするしかないでしょ。狭いんだから!!」
セイはそう言ってまだ逃げ出そうとするユミの腰にしっかりと腕を回しガードする。
それにこんな機会でもなければ、こんな風に裸で抱き合える事なんて無いのだから。
セイが少し強い口調でそういったのが効いたのか、ユミは観念したように大人しくなった。
「まさかこんな格好でお風呂に入るなんて・・・」
どうしよう・・・。ユミは心の中で必死になってマリア様にお祈りをした。
どうか・・・どうか、聖さまに心臓の音が聞こえませんように・・・と。
「祐巳ちゃん?何してるの、手なんて組んで」
セイはユミの肩に顎をのせ、不思議そうにユミの横顔を見つめた。
なにやら真剣な顔をしてギュっと目をつぶっているその姿は、まるで何かに祈りでもささげているみたいに見える。
「お、お祈りです。聖さまがどうか変なことしませんようにって」
ユミは咄嗟にウソをついてしまった。こんな事、セイに言える訳がない。ただでさえ恥ずかしくて息苦しいのに、
これ以上恥ずかしくなったら、窒息死してしまうかもしれない、と思ったのだ。
ユミのそんな態度が気に食わなかったのか、セイはユミの腰から少しづつ手をずらしてゆくと、
やがてユミの胸に到達するなり、ガシっとユミの胸を掴んだ。
「ひゃんっ!!な、何するんです・・・か、や、やだ・・・変なとこ・・・さわら・・・っん、ないでくださ・・・っ!」
「祐巳ちゃんがそんな事言うからでしょー?」
セイはそう言ってユミの腰の辺りを人差し指でそっとなぞると、ユミの反応を楽しんだ。
セイの指に翻弄されるみたいに動くユミの身体と声が、薄暗い洞窟の中で艶かしく動き、反響する。
「や・・・ご、ごめっなさ・・・もういわな・・・いからぁ・・・」
ユミは必死にセイにそう懇願すると、胸の中に芽生える小さな炎をかき消そうとした。
これ以上触られると・・・どうなるかぐらい、自分でもよく知っている・・・。
きっと、もっと触れられたくなって、想いが止まらなくなって・・・きっとセイを求めてしまう事ぐらい。
「本当に?だったら、そうねぇ・・・キスしてよ」
セイはそう言ってユミをこちらに向かせ、向き合う形に座らせた。
こんなにも間近にユミの身体がある・・・本当は今すぐここで触れてみたいけれど、それは流石に出来ない。
だから見るだけしか出来ないけれど、それでもセイの中の何かが満たされてゆくのがわかる・・・。
セイの言葉に、ユミはほんの少し俯いたけれど、やがてキュッと唇を結んだ。
そして、じっとセイの形の良い唇を見つめる。セイは微笑んでいるのだろうか・・・唇の両端がほんの少し上がっている。
優しく甘い声を発するセイの唇を、ユミはそっと指でなぞった。
「なぁに?」
滑らかにセイの口が動く・・・。ユミはまるで吸い込まれるようにセイの唇に、自分の唇をゆっくりと重ねると、
そっと瞳を伏せるセイの長い睫毛を見つめていた・・・。
「聖さま・・・やっぱり胸おっきいですね・・・気持ち良さそう・・・」
ユミは何やら考え込むようにアゴに手を添え、食い入るようにセイの胸を見つめながらそう呟いた。
「そう?私は祐巳ちゃんぐらいのがちょうどいいと思うけど・・・それに胸なら蓉子とか祥子の方が大きいでしょ」
「・・・そうなんですか・・・?」
「うん。蓉子は皆で祥子の家に泊まりに行った時ちょっとだけ触らせてもらった。あれは・・・うん、大きかったな・・・」
セイは思い出すように人差し指でクルクルと宙に円を描く。
「・・・触った・・・んですか・・・蓉子様の胸を・・・」
ユミはなんだかショックだった。女の子同士なのだから、そんな事するのも別におかしくはないし、
まだユミが入学する前の事だったなら・・・それはしょうがないのかもしれないけれど・・・何だか面白くない。
しかし、そんなユミにセイは全く気付かない様子でさらに続ける。
「まぁね〜。確かに気持ちよかったけど・・・大きすぎるのもなぁ・・・」
セイはそう言ってチラリとユミの胸を見て微笑む。
「な、なんですか」
「いや、やっぱりこれぐらいのがいいと思うよ?可愛らしいし邪魔にもならないし」
「・・・邪魔って・・・」
どういう意味ですか?そう聞きたかったけれど、それは止めておいた。きっと笑われるに決まってる。
「でもさぁ。紅薔薇さんちは皆胸大きいのにね、祐巳ちゃん・・・本当に紅薔薇?」
「うっ・・・そ、それは・・・聖さまが言った意外性って事で・・・」
ユミは思わず自分の胸を両手で隠すと、クルリと向きを変えセイにもたれかかった。
背中にセイの弾力のある胸があたる・・・なんだかくすぐったいような、熱いような不思議な気分だ。
「あはは!言ったね、そういえばそんな事。で、その後祥子が祐巳ちゃんに妹になるよう言ったんだっけ?」
「・・・そうです。あの時はほんと、夢だとばかり思ってましたもん。早く醒めて!!ってそればっかり思ってましたよ」
「そうなの?私はなんとなく祐巳ちゃんは祥子の妹になりそうな気がしてたけどなぁ」
セイはそう言って、初めてユミの手を握った時に事を思い返した。
演劇のダンスの練習中・・・ユミには組む相手が居なくて、寂しそうに目を伏せたユミを見て、
気がつけば足が勝手に動いていたのを思い出す。そして、ユミの手をとり・・・思った。
たよりないなぁ・・・と。この子は自分が守らなくちゃ・・・と。
実際はユミは結構しっかりしていたけれど、でもやっぱり脆くて弱い部分を見つけるたびに、
自分が居なければ、なんて思ってたっけ。だからいつでもユミを守れるよう、傷つかないよう、気にかけていたけれど・・・。
逆にユミの強い部分を見るたびに羨ましくなったりして、そして気付いた。ユミばかりを目で追っていた事を。
守りたい、とか、そんな事はもうどうでも良くなっていて、ただもっと一緒に居たいと願ったのは・・・いつだったのだろう・・・。
セイが昔を懐かしむように目を細めているのを見て、ユミも思わず微笑んでしまう。
「そういえば、ダンスの練習の相手、一番にしてくれたのが聖さまだったんですよね・・・。
あの時私、内心とても不安だったんです。でも、聖さまに手を握られて、クルクル振り回されてるうちに、
なんか周りのことよりも聖さまの事ばかり気にしてたのを・・・今でも覚えてますよ」
繋がれた冷たい手が、不安な気持ちを一蹴してくれた。
あの時、セイの事を・・・白薔薇様の事を初めてちゃんとみたような気がした・・・。
今でも鮮明に思い出せる。セイの楽しそうな掛け声と、さりげない優しさを。
「よく覚えてるね、そんな昔の事」
「聖さまは・・・忘れちゃいましたか?」
ユミはほんの少し悲しそうな顔をして振り返る。
と、セイはそんなユミの身体を背中から抱きしめて小さく笑った。
「忘れるわけないじゃない。ちゃんと覚えてるよ、祐巳ちゃんとの思い出は・・・全部ちゃんと・・・」
忘れたい気持ちも、苦しかった記憶も・・・あの時の狂気にも似た感情を・・・今もはっきりと覚えている。
「・・・良かった・・・」
ユミはそう言ってセイに抱きしめられたままゆっくりと瞳を閉じた・・・。
「思い出・・・もっと沢山作ろう?とりあえずこの旅行中から、ね?」
「はいっ」
暗がりの中で二つの影が重なる・・・淡い光にゆらゆらと揺れながら・・・。
捨て去ってもいい思い出など、どこにもない。
全ての事を記憶出来るほどの脳と身体が、
生まれて初めて、今欲しいと思った。
どれほどそれが、辛い事でも・・・。
今日のお題:「思い出・・・もっと沢山作ろう?とりあえずこの旅行中から、ね?」
聖さまの言ったこのセリフ。そろそろ旅行も終盤です。終盤に向けて、二人はどんな体験をするのでしょうか。
それでは皆様、よろしくお願いいたします!!