きっと幸せなんだろう。


どんな出会いでも、そう思えるようにありたい・・。




ふと隣を見ると、すでに冷たい布団。

ユミは寝ぼけ眼をこすりながら辺りを見回したけれど、部屋の中には誰も居ない。

「聖・・・さま?」

昨夜は何度も何度もその名を呼んだ。抱かれる度に好きになって、愛しくなって・・・。

もう離れられないね?なんて言って笑ったセイに、ユミはただ頷く事しか出来なかった。

ユミはセイが眠っていたであろう布団を綺麗にたたむと、ジワリと溢れそうになる涙をギュっと堪える。

セイの事だ。黙って居なくなったりするはずがない。

いつだってユミが不安になったりしないよう、大事に大切にしてくれているのだから・・・。

ユミは顔を洗い、テーブルの上に置かれてあるメモに気付き手にとった。

『おはよう、よく眠れた?私はちょっとお姉さまと朝風呂に行ってきます。

起きてもまだ私が居なかったら祐巳ちゃんもおいで  聖』

簡潔にかかれたメモ。でも、こんなメモにでもセイのユミへの愛情がたっぷりと詰まっているのがわかる。

「聖さまってば・・・せっかくのお姉さまと2人きりの時間を邪魔なんてしませんよ」

ユミは小さくクスリと笑うとメモを机の上に戻し、身支度を始める。

もうすぐ朝食の時間。それまでにきっと帰ってくるセイ。

少しでも離れたその時は、一番綺麗な笑顔で会いたい・・・セイの前ではいつでも可愛い自分で居たいから・・・。





「聖・・・あなた、今幸せ?」

突然のお姉さまの質問に、セイはお姉さまの背中を洗うスポンジに力をこめた。

「い、イタイ、イタイわよ、聖」

「あ、すみません・・・つい・・・」

セイは慌てて力を緩めると、お姉さまの背中にシャワーをかける。

まさかこんな風にお姉さまと2人きりでお風呂に入る事になるなんて、考えもしなかったセイ。

いや、他の誰とも入った事はないけれど・・・。

セイは嬉しいような恥ずかしいような笑みをこぼし、ははは、と乾いた声で笑った。

「ね、どうなの?あなた今幸せ?」

セイが幸せならばそれでいい。いつもそう思っていたけれど、少しぐらい焼きもちをやいたっていいではないか。

ほんの数年前までセイはガラス細工のように冷たく、繊細だった。

どんな時も冷めた瞳をしていた・・・それでもシオリと出逢ってセイは少し変わった。

初めはセイの空気は少し柔らかくなった。でも、誰も気付かなかったセイの心の中の火はやがて、

炎になり、周りも、シオリも、そして自分さえも焼き尽くしてしまいそうな程燃え上がっていた・・・。

気付いた時にはもう遅い。誰にも止められない所まで走って行ってしまったセイ。

・・・やがて幼かった恋は、シオリを失う事で終わりを告げた・・・。

半ば一方的にシオリを愛したセイ。

初めのうちはきっと均衡をとれていた想いが、いつの間にかセイの想いだけが加速してしまった。

セイの愛は、誰にも守れなかった・・・きっとセイもそれを知っていた。

だからセイはいつだって独りで立っていたのだ。

他人が出来る事なんて所詮知れている・・・そう思っていたはずのセイがのめり込んだシオリという少女。

本当は、彼女が憎らしかった。セイを奪われたように思った・・・。

それは恋愛感情では無かったけれど、誰よりもセイを理解出来ている立場で居たかった。

でも・・・それは単なるわがままで、シオリを失い傷ついたセイを見た時に思った。

自分の役割が、あの時はっきりと見えたのだ・・・。痛いまでに傷つき、幸せを恐れたセイ。

自分が卒業した後、周囲の人間がセイに対してどんな風に接してきたのかは判らない。

でも、セイは今でもちゃんと立っている。自分で決め、定めた未来に向かって、しっかりと歩んでいる・・・。

だから、きっと、解っていてもこんな事を聞いてしまったのだろう。

今、セイは幸せか?と。あのユミという少女の事を愛しているのか?と。

「安心してください、お姉さま。私は今、とても幸せな日々を送ってますよ」

セイは鏡の中のお姉さまをじっと見ると、ゆっくりと優しい口調で言う。

一言一言を、まるで自分に言って確認するみたいに・・・。

「・・・そう。聖、あなたはほんと、手のかかる妹だったわ。いつも会議には出ないし、言う事はきかないし・・・。

それでもね?私は聖を愛していたわ、いつだって。あ、もちろん妹として、ね。

あの頃の聖はいつも世間を斜に構えていつも独りきりだった。

だからとても脆く見えたしすぐに割れてしまいそうで本当、ガラス細工みたいだったわね。

だからとても心配だった・・・聖を残して卒業するのが・・・とても心配だったわ」

「・・・お姉さま・・・」

セイは鏡の中にいるお姉さまの瞳が、ほんの少し潤んでいた事には気付かないふりをした・・・。

そう・・・あの時はいつも独りだと思っていた。他人には自分は救えないのだ・・・と。

それはもちろん今もそう思っている。けれど、今は少し違う。ユミを見ていてその事に気がついたのだ。

セイはシオリに助けを求めたけれど、シオリがそれを受け入れる事はなかった。

きっと、シオリ自身もセイに助けを求めていたのだろう。

だからセイの中に救いを求める手を見つけて・・・きっとシオリは離れてしまったのだ。

未来のないであろう恋愛に身を置く事は誰だって辛い。シオリだってそれは例外ではない。

人は生きている限り誰かを求め、誰かを失う。そして・・・誰かに救いを求め、誰かを救う手助けをするのだ。

決して誰かに100%の痛みをわかってもらう事など出来ない。

そんな簡単な事すら・・・セイには見えていなかった・・・。

いつもサチコの事であれこれと悩んでは、ひっそりと泣いていたユミ。

きっと、そんなユミが放っておけなかったのは、形は違うけれどどこか昔の自分に似ていたから。

セイのような狂気はユミの中には見られないけれど、ユミの素直な生き方が人としてとても自然だと思った。

あんな風に生きられればいいのに、と。だからセイは、いつもユミの事を探していたのかもしれない・・・。

セイは小さく息を吸うと、お姉さまの肩に手を置く。

「確かに私は、聞き分けが悪いし沢山お姉さまに心配もかけました・・・いや、お姉さまだけじゃない。

蓉子や江利子、祥子や令にまで・・・です。それはお姉さまが卒業した後も変わりませんでした・・・。

栞と私の事を知っている人たちは、私の事をとても大事に扱ってくれましたしその事に触れようとはしませんでした。

でも・・・お姉さまが卒業なさって、変わりに新入生が入ってきて・・・その中に妹の志摩子や祐巳ちゃんが居ました。

志摩子は、何と言うかもう一人の私のような存在で、彼女を見ているとどこか懐かしくて・・・とても落ち着くんです。

祐巳ちゃんは、最初はただの面白い子だった。

クルクル変わる表情とか、祥子の言動に一喜一憂するような・・・そんな子だったんです・・・。

ただ・・・祐巳ちゃんは私を怖がらなかった・・・本当の私を聞いても・・・見ても・・・。

それどころか、聖さま聖さま、と言って懐いてくれる。卒業間近、祐巳ちゃんが私に言うんです。

どうしよう・・・って。白薔薇様が卒業したら・・・私、どうしようっ、て・・・。

それは祐巳ちゃんにとっては祥子の事で相談にのってくれる人が居なくなるから、

どうしようってだけの話だったんですけど。それでも私はあの時、凄く嬉しかったんです。

こんな私でも誰かに必要とされている・・・そう、祐巳ちゃんが教えてくれたみたいで・・・。

そしてその時思ったんです。あぁ、この子はきっと私が守ろう、と。

お姉さまや皆が私を守ってくれたみたいに、私は祐巳ちゃんを守りたい、と。

それがすでに恋愛感情だったかどうかは解りませんが、きっかけは今となってはどうでもいいんです。

祐巳ちゃんが居る限り、勘違いの恋ももう二度としないでしょうし。

お姉さま、私は今、とても幸せです。誰になんと言われても・・・私は今、とても幸せなんです。

だからどうか、もう心配しないでください、お姉さま。沢山の愛情を・・・ありがとうございました」

セイは自分よりも少し小さなお姉さまの身体を後ろから抱きしめると、穏やかに笑った。

その笑顔を見て、お姉さまも優しく微笑む・・・。お姉さまと2人きりでこんな話する事になるとは思ってもみなかった。

でも、今日この日があって本当に良かったと思う。

胸の中のしこりのようなモノが、また一つ小さくなって・・・やがて消える。

「祐巳ちゃんの事、本当に好きなのね。安心したわ。これでようやく肩の荷が一つ下りたわ。

もう、聖の事が心配で心配でこっちは夜も眠れなかったんだから」

「す、すみません」

冗談めいてそんな事を言うお姉さま。でも、もしかすると冗談ばかりでは無かったかもしれない。

たまには、セイの事を思い出してくれていたかも・・・そんな風に思うと、胸が熱くなってくる。

「あら、何謝ってるのよ、いいわよ別に。なんにしても聖が今そんな風に笑える事が解っただけでも安心したわ」

お姉さまはそう言ってセイの腕を解くと、セイの頭をよしよしと撫でる。

綺麗な長い髪だったのにねぇ・・・、などと呟きながら・・・。そしてポツリと言う。

「・・・祐巳ちゃんて・・・とてもいい子ね」

と。優しい笑みを浮かべてお姉さまは言う。セイはそれを聞いて、涙が溢れそうになった。

セイの愛するこの世でたった一人の少女の事を、お姉さまがそんな風に言ってくれる・・・。

これほどに嬉しい事なんて・・・きっとあまり無い。だからセイは、極上の笑顔で返事をした。

「はいっ」

・・・と。






「ただいま〜」

セイが髪から落ちてくる雫をタオルで拭きながら部屋のドアを開ける。

「あ、おかえりなさい、聖さま!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

待ってましたと言わんばかりのユミの笑顔。こんな笑顔を見ただけで何かが満たされる感じがする。

セイはゆっくりユミに近づきおもむろにギュっとユミを抱きしめた。

「ど、どうしたんですか?顔がニヤけてますよ?」

「ん〜?ちょっとね・・・祐巳ちゃんが可愛いから嬉しくて」

「さては・・・何かいいことあったんですね?」

ゴロゴロと猫のように甘えてくるセイの髪を拭きながらユミは、ごきげんなセイについ嬉しくなる。

そして、やっぱり途中で行かなくて良かった、と思う。お姉さまと2人きりで一体何を話していたのだろう?

そんなセイを見ていると、何故かユミまえ無性にお姉さまに会いたくなる。

「べっつにー。ただお姉さまと世間話してただけだよ」

「いいなぁ・・・なんだか私もちょっとだけお姉さまに会いたいかも・・・」

「っ!?」

ユミが言った一言に、セイの笑顔が凍りつく。どうやら何か勘違いしているらしい。

そんなセイにユミは目を細めて言った。

「やだ、違いますよ!そういう意味で言ったんじゃないですってば。

ただ、お姉さまに伝えたい事が沢山あるなぁって思って」

「?伝えたいこと?」

「はい、今私幸せですよ!ってね・・・言いたいな、って思って。だから心配しないでくださいね!って」

ユミはそう言って華が咲いたみたいにパッと笑うと、今度はセイに抱きついてくる。

「うん・・・伝えておいで・・・きっと祥子も喜ぶよ」

もう以前みたいな不安は無い・・・といえば嘘になるが、前ほど心配ではない。

きっとユミは、ここへ帰ってくる・・・そう、今は思えるから・・・。






「祐巳ちゃん、お姉さま、海といえば?」

セイが突然胸をはって自信満々にそんな事を聞いてきた。ユミとお姉さまは顔を見合わせ、首を傾げている。

「ぶっぶー。時間切れです。答えはあれです!」

セイはそう言ってブンと大きく腕を振り、目の前に広がった砂浜を指差す。

「「え・・・あ、あれ?」」

「そう!あれです!!そろそろお腹も減ってきたでしょう?」

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

ユミとお姉さまはご機嫌なセイとは裏腹に何故か不安げな顔をしている。

「何よ、2人とも。もっとテンションあげようよ」

「いえ、聖さま・・・あれはいいですよ・・・ただ・・・その・・・」

ユミはキュっと隣に立ってやはり複雑そうな顔をしているお姉さまの腕を掴む。

お姉さまはそんなユミを察したかのようにユミの手にそっと手を重ねてくれた。

「聖・・・食材はあなたが・・・その・・・ちょ、調達したの・・・かしら?」

「はい、そこ!手をつながないっ!・・・そうですけど・・・それがどうかしましたか?」

セイはユミとお姉さまの間に無理矢理割って入ると、ユミの手をギュっと握り締める。

そして目だけをこちらに向けて、メッ!と合図した。

こんな些細な事がいつもは嬉しいのだが、今はそうも言っていられない・・・。

食料はセイが調達・・・食料はセイが調達・・・限りなく不安だ。

「聖・・・あなたの選ぶものはいつも・・・いえ、何でもないわ、行きましょう」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

キッと顔を上げ前へ進むお姉さまは、流石セイのお姉さまだとユミは思った。

だてにセイのお姉さまをやっていないな・・・と。

その潔さが格好良い。

ユミがポーっとした顔でお姉さまの後姿を見つめていると、セイが突然つないでいる手に力をこめる。

「祐巳ちゃん?言っておくけど・・・うちのお姉さまに惚れないでね。

あれは祐巳ちゃんの手にはおえないから・・・分かった?ほら、行くよ」

そう言って半ば強引にユミの手をひくセイ。ニッコリと笑った笑顔が怖い・・・ユミは素直にそう思う。

「・・・お姉さまをとられたくないんでしょ、聖さま・・・」

ポツリとユミの言った言葉は、少しひねくれて聞こえただろうか・・・それともヤキモチに聞こえただろうか。

自分でもどちらの意味で言ったのかは・・・わからなかった。

そんなユミの態度に、セイはクルリとこちらを向き直しガシっと両腕でユミの肩を捕まえる。

グッと力を込められた指がユミの肩に食い込む。

「な、なんですか!?」

「・・・本気で言ってるの?」

「?」

「本気で言ってるのかって聞いてるのよ」

「だって・・・聖さまがそんな風に言うから・・・」

セイのいつになく真剣な顔に、ユミは背筋が凍りつく。確かに不用意な言葉だったかもしれない・・・。

でも、些細な事で不安になる事だって・・・ある。

ユミのそんな複雑な表情に、セイは手の力を少しだけ抜くとユミの瞳を真っ直ぐに見た。

「私がとられたくないのは祐巳ちゃんに決まってるでしょ。

お姉さまはこの先何があったって一生私のお姉さまだけど、祐巳ちゃんは・・・わからないじゃない・・・。

だから祐巳ちゃんだけはたとえお姉さまにだって触らせたくないし、とられたくない。

私の一生の伴侶は・・・ずっと傍に居てほしいのは、祐巳ちゃんしか居ないのっ!

そんな風に私が思ってる事、祐巳ちゃん知ってるでしょっ!!」

セイは声を荒げてそう言うと、ユミの唇に無理矢理自分の唇を重ねた。

潮の香りがツンと鼻をつく。ユミが力なくセイの服をキュっと握る・・・。

「・・・聖さま・・・」

必死になって辛そうな顔でそういうセイの愛は、とても痛い。けれど・・・キライじゃない。

「・・・いい加減・・・自覚してよ・・・」

吐き捨てるように呟いたセイの言葉が波の音と一緒に沖の方へと消えてゆく。

セイが必死になって足掻いて手に入れたモノ。それは・・・ユミしか居ないのだ・・・。

セイはユミの手を繋ぎ直すと、何も言わずスタスタと歩き出す。

ユミはただ・・・そんなセイの後姿を見つめていた・・・。



「せ〜い〜ちゃ〜ん・・・ちょっとこっちにいらっしゃい」

先にバーベキューの用意をしていたお姉さまが、2人を見つけるなり怖いぐらいの笑顔でセイを呼んだ。

「・・・何か・・・怖いんだけど・・・」

セイはポツリとそう言ってユミの手をキュッと握る。しかしユミはその手をゆっくりと離し耳元で呟いた。

「早く行った方が身のためですよ!!」

ユミの言う事がもっともだと思ったセイは、小走りでお姉さまの元へと向かう。

「な、なんですか?お姉さま」

「何ですか・・・じゃないわよ・・・何よ、これ!?」

お姉さまはセイの選び抜いた食材を指差すと、セイの肩をガッチリと掴んでにっこりと笑う。

その笑顔が・・・とても怖い・・・。セイは一歩後ずさりすると、すぐ後ろに来て食材を覗き込んでいたユミにぶつかった。

慌ててユミに助けを求めようとしたセイ・・・しかし、それが出来ない事がユミの表情を見てすぐに解る。

「聖さま・・・正気ですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ポツリと呟くユミの声はいつになく真剣だ。お姉さまの顔もさっきと変わらずずっと笑顔。



セイはもう2人の顔を見て、ただ笑うしかなかった・・・。





この道を通りすぎた時、キミだけが居なくて、


このままずっと独りだったらって、


そんな事を考えたら苦しくて息が出来なくて、


だから私はこんなにも必死になって、


キミを探す。いつだって・・・これからも。




今日のお題:「何ですか・・・じゃないわよ・・・何よ、これ!?」

お姉さまの言ったこの一言。聖さまが用意した食材・・・ところどころにおかしな物があったようです。

さて、それはなんだったのでしょうか・・・?

果たして祐巳ちゃんとお姉さまは無事にそれを食べきる事が出来るのでしょうか!?







幸せな日々   第十話