いつもより早くに学校に来て下駄箱をそっと開けた。
下駄箱に上履きが入っている事を確認し、花を入れる。
花言葉は・・・。
事の起こりは昼休み。
今日は薔薇の館に行こうかどうしようか迷って温室のあたりをうろうろしていると、突然声をかけられた。
聞きなれない声にセイは振り返ると、そこに立っていたのはあの問題のマドレーヌをくれた子だった。
「あ、あの、白薔薇様…少しお話いいですか?」
「うん。何?あっ、あのマドレーヌおいしかったよ。ありがとう。」
「い、いえ、あれはたまたま上手に焼けたんで、その…。」
「で、話って?」
セイは出来るだけ優しく言った。彼女もそのセイの声を聞いて安心したのだろうか?
意を決したようにキッと顔を上げた。
「わ、私あれから考えたんですけど!!やっぱりどうしても諦められなくて…。
迷惑になるのも判ってるのに…でもどうしようもなくて…。」
彼女は泣き出してしまいそうな声で、でもしっかりと言い切った。こんな潔さは嫌いじゃない。
でも彼女の想いは受け入れられない、どうしても。
「ごめんね。この間も言ったけど私にはもう好きな子がいるんだ。
今の私も君と同じでその子に振り向いてもらうのに必死なんだ…。
だから君の気持ちは本当に嬉しい。でもそれを受け入れる事は出来ないよ。」
『そう…この子も私と一緒だ。行き場の無い想いに苦しんでるんだ・・・。』
セイはそう言って彼女の頭を撫でようとしたが、止めた。一瞬頭の中をユミがよぎったのだ。
『ここに居るのがゆみちゃんだったら…こんな風に言ってくれたら…。』
そう思うと胸が苦しくなってくる・・・。途端に何かの糸が切れたような気がする。
「ごめんね。」
セイは自分でも驚くほど冷たく言った。別に彼女が悪い訳じゃないが、どうしても自分と重なってイライラしてくる。
彼女はセイの顔を見上げその場で泣き崩れてしまった。きっと望みすら無いと判断したのだろう…。
『何やってるんだ、私は。この子はカッコイイじゃないか。…なのに私は何一つ言えない…。止まったままだ。』
セイは地面に座り込んで泣いている彼女を立たせると、そっとその涙を拭った。
「泣かないで…。私は君に好かれるような資格はないんだ…。本当の私を知ったらきっと嫌いになる。
だからこんな奴は早く忘れてしまって?」
「…うっ…ひっく…は…い。」
彼女はようやくそれだけ言うとその場を後にした。一人その場に残されたセイはふとユミの顔を思い出した。
最後に会ったのはマドレーヌを食べた日だった。あの時のユミは今みたいに突然泣き出してしまったんだっけ。
『なんだか泣かせてばっかりだな…。私は・・・。』
それからとゆうもの声をかけるタイミングを失ったまま今日までずるずると来てしまったのだが、
どうにも最近ユミに避けられているようなそんな気がしてしょうがなかった。
『違うか…。避けてるのは私だ…。きっともう嫌われてる…。』
お姉さまの言うように自分から一歩引くのがこんなにも難しいとは思わなかった。
深く関わらないでいようと思うと不自然なほど冷たくしてしまう…。
でも、もうあの時みたいな想いをするのはイヤだ。
放課後、掃除が終わるのを待ってセイは教室に入った。ここからがいちばんよく下校風景が見えるのだ。
ユミが見えたらすぐに追いかけるつもりだった。
『いつもみたいに抱き付いて、そしてきちんと謝ろう。このままじゃ嫌だ。仲違いしたまま卒業なんてしたくない…。』
セイは窓際の机の上に腰掛け、窓の外を眺めていた…が、待てど暮らせどユミは通らない。
『見逃したのかな?』
セイはため息をつくと窓辺に頬杖をついた。とその時、突然後ろのドアが開いて誰かが入ってきた。
セイは机から落ちそうになるのをこらえると、とっさに体制を立て直した。
「…祐巳ちゃん?」
ドアを開けて入ってきた少女を見てセイは驚いた。ユミは眩しいのか、目をパチクリさせている。
『・・・どうして・・・。』
「びっくりした…どうしたの?」
「ロサ…ギガンティ…ア?」
ユミはセイの問いには答えずゆっくりセイの方に向かって歩いてきた。
「ゆ、祐巳ちゃん?」
しかしユミは相変わらず無言で近寄ってくる。
そしてセイの目の前までくると、そっと手を伸ばしてセイの頬に触れた。
そしてその指先はセイの唇を軽くなぞって…。
何も言わずただ触れるだけのその行為はとても神聖なもののような気がしてセイは動かなかった…。
いや、動けなかった…なぜなら、その手はとても優しく、そしてつめたかったから。
やがて、ユミはセイから手を離すと突然口を開いた。
「ごめんなさい・・・。」
「・・・は?」
あまりにも唐突な謝罪の言葉に思わずセイは首をかしげたが、ユミの手を見ると小さく震えているのがわかった。
セイはユミをとりあえず近くのイスに座らせると、机の上で握られた拳の中に花が握られているのを見つけた。
『…この花、確か・・・。』
「・・・ハナビシソウ・・・。」
セイは思わずポツリと呟いた。その声にユミはハッと顔をあげる。
「あ、あの・・・。」
ユミが何か言おうとするのを遮ってセイは言葉を続けた。
「花菱草でしょ?それ。もう咲いてるんだ。どこで見つけたの?」
セイはそう言ってユミの手から花菱草を取るとその姿を眺めた。
「花言葉は確か・・・。」
セイは1年前の記憶を必死に辿った。
「…私の願いを聞いてです。それと…。」
『そうだ。それともう一つ・・・。』
「私を拒絶しないで・・・?」
セイはそう言ってもう一度花に目をやった。ユミは驚いたような顔でコクリと頷く。
『…懐かしいな、この花…あの時はいくら探してもどこにも無くって・・・。』
セイは思いがけず過去を思い出して微笑んだ。
1年前、セイはこの花を必死になって探した。今はもういない恋人に送ろうと思ったのだ。
『私を拒絶しないで。』なんて正に自分にピッタリだと思ったから。
しかし結局花は見つからず、恋人までも失ってしまった。
「…ッ違うんですか?」
ユミは突然身を乗り出してセイに詰め寄った。セイは訳がわからず目を白黒させた。
「白薔薇様じゃないんですか?これくれたの。」
『…貰った・・・?誰に・・・?』
「…いいや?誰かに貰ったの?」
穏やかだった心に、まるで一滴の水滴がおちたように波紋が広がる・・・。
「朝来たら下駄箱に入ってたんです・・・。他に手紙も何もナイから誰がくれたかもわからないし…。」
どうやらユミにも誰がくれたのかはわからないらしい。
セイは心の中に嫉妬が頭をもたげてくるのを必死に阻止しようとした。
「ふ〜ん・・・。ところで何の用事だったの?ゆみちゃん。」
どうにかセイは平静を装うと話題をさっさと変えた。
これ以上この話題を引きづると、嫉妬心に支配されてしまいそうだったから・・・。
セイの言葉にユミはそういえば!!とゆうような顔をしている。そして・・・。
「あの、白薔薇様…。」
「ん?」
「あ、あの…ごめんなさい!!」
『あぁそういえばさっきも誤ってたっけ・・・。でも何がごめんなんだ?』
セイはユミに何かされたか?と考えた、が、何も思いつかない。した事ならたくさんあるのだが・・・。
「え〜っと、何が?」
「は?怒ってらっしゃったんじゃないんですか?」
「私が?ゆみちゃんに?どうして?」
セイは目をパチクリさせてユミを見つめた。ユミも目をパチクリさせている。
「ま、マドレーヌの件で怒ってるものだとばかり思って・・・。じゃ、じゃあどうして!!」
ユミはそこまで言って言葉を切った。じゃあどうして!なんなんだろう?
「じゃあどうして何?」
「い、いえ、じゃあどうして口も利いてくれないのかな・・・って。」
「・・・だって会わなかったじゃない。口利きたくてもきけないよ。」
これは本当だ。でも会わないようにしていたのも確かだった。なんだか顔が合わせずらかったのだ。
セイはそう言ってユミの頭を優しく、出来るだけ優しく撫でた。
ユミは俯いて肩を震わせている。
『…泣いてるの?ねぇ、泣かなくてもいいんだよ。キミが泣く事なんて何もないんだから。』
「私こそごめん・・・。ゆみちゃんがそんな風に思ってるなんて思わなかったんだ。」
そしてセイは言う。自分こそ嫌われたと思っていたのだと。
「だからごめん。無神経だったね、私は・・・。」
「…一緒ですね?」
ユミは突然そう呟くと涙目でセイを見上げ、小さく笑ってみせた。
セイはそんなユミが愛しくて思わず抱きしめそうになる・・・。
「うん。そうみたいだ。」
『我慢なんて出来るわけないじゃない・・・。』
セイは小さく微笑むと、突然ユミにだきついた。
「ぎゃうっ!?」
相変わらずユミはふいうちにはとことん弱いらしい。
久々に聞く怪獣の子供の声にセイは思わず笑ってしまう。
「あぁ、この感じだ・・・。」
『…ずっと忘れないように・・・キミを、キミのぬくもりを・・・。』
セイはユミを壊さないように優しく抱きしめるとその感触を体に刻み付ける・・・。
「さてそろそろ帰ろうか、ゆみちゃん。」
「はい!白薔薇様!」
次の日。セイはいつもより早くに学校に来てユミの下駄箱をそっと開けた。
下駄箱に上履きが入っている事を確認し、花を入れる。
花の名前はシクラメン。
花言葉は、切ない私の愛を受け入れて・・・。
セイはそっと下駄箱を閉じると小さく笑った。
『今の私にはこれがピッタリだ。』
あの時、拒絶しないでと願った。
私を拒絶しないで、と。
でも違う・・・。
ただ、受け入れてほしかったんだ・・・。
昔も。そして今も・・・。