全てが偽者だったとして、


誰か本物を知っているのだろうか?


どこかに答えはあるのだろうか?


きっと誰にも本当の事など解っちゃいない。


私も・・・貴方も・・・。







結局私はあの日、ユミに声を掛ける事が出来ずその場から逃げ出したようなもので、

それを今更後悔する気はないけれど、ただもしもあの時ユミに声をかけていたとしたら・・・。

きっと、こんな風に悩む事も無かったと思う。

銀杏王子にも会わずにすんだし、自分の気持ちがはっきり分からないまま、

ユミに想いを言ってしまうような事はなかっただろう。

今思えば、あれらの全ての出来事こそが今の私にとっては必要だったのだと。

あの時の銀杏王子の言葉でさえも、私には必要だったのだ、と言い切れる。癪だけど。



あの日、私はユミに声を掛けられず結局は大学にも行けなかった。

途中何度かケイから電話が入っていたのは知っているけれど、電話に出る気力もなく、

ただフラフラと何故か街中を彷徨っていた。

人ごみは嫌いだけれど、人ごみの中では私は独りだ。

誰も私になんか声もかけないし、気にも留めない。一人は嫌いだけれど、独りは好き。

微妙な線かもしれないけれど、私という人間はそういう人間なのだ。それを今更否定する気もない。

ユミの事がこんなにも好きで好きでしょうがないのに、後一歩踏み出せない自分。

それがどうしてかは分からないけれど、後一歩踏み出そうとすると何故かあの日のお姉さまの言葉が蘇った。

『あなたはのめり込みやすいタイプだから、大切ものが出来たら自分から一歩ひきなさい』

「・・・分かってますよ、お姉さま・・・」

私はポツリとそう呟くとずっと俯いていた顔をグイっと上げた・・・と同時に自分の眉毛がピクリと上がるのを感じる。

「やあ」

「げっ・・・」

どうしてこんなタイミングででくわすのか、どうしてコイツがここに居るのか、よりによってこんな時に・・・。

「空はこんなにも晴れているのに、えらく鬱陶しい空気の人が居ると思えば君だったのか」

「今日は曇りだよ。鬱陶しいんなら無視すればいいだろう?銀杏王子」

「相変わらず君はへそ曲がりだね。僕だって好きで声をかけたわけじゃないさ。

ただ、こんな道の往来でボンヤリ佇んでいたら通行の迷惑だろう。それでなくても君は目立つんだから」

私はスグルの言葉に何となく周りを見回した。

すると私の顔を見るなり数人の人がサッと視線を逸らして足早に通り過ぎていった・・・。

「・・・そう、ご忠告どうもありがとう。それじゃあサヨウナラ」

クルリと踵を返し歩き出す私に、スグルは何を言うでもなくただついてくる。

「・・・何!?どうしてついてくるの?!」

私はこいつが嫌いというのもあるかもしれない。でもそれだけじゃない。今日は・・・そう、今日はそれだけじゃない。

もう、誰にも構って欲しくなかった・・・ユミにさえも・・・。それなのに、こいつときたら・・・。

私の問いにスグルは一瞬考えるように空を見上げたけれど、やがてにっこりと爽やかに微笑んで言った。

「だって、君は一人になりたそうだから。だから一人にしておくわけにはいかないかな、と思ってね」

もう、まったくもって意味が分からない。いや、何となく分からないでもないのだけれど・・・。

「一人になりたそうなんじゃなくて、実際独りになりたいんだよ。だから放っておいてくれないかな」

「う〜ん。どこがいいかな・・・そうだ、あそこの喫茶店はどうだろう?リリアンの子達の間で有名なあのお店」

「は!?」

「お茶をご馳走すると言っているんだよ。さあ、行こう」

「ちょっ、私はまだ何にも・・・というか、どうして私がお前とっ!!」

「まぁ、たまには休戦しようじゃないか、戦士にだって休息は必要だよ。

それに何だか思い詰めてるみたいだしね、君は」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

どうしてこの時無理にでも断れなかったのか、どうしてコイツに少しでも付き合ってもいいと思ったのか・・・。

その理由が分かったのは随分と後の話で、そう、それこそコイツとの別れ際にようやく気がついたのだ。

店に向かう途中、私もスグルも一言も話さなかった。そう・・・ただの一言も・・・。








「ここでいいかな?」

「ああ、どこでもいいよ」

私はスグルについて窓際の端っこの席に腰を下ろした。

不機嫌そうな私とは対照的なスグルはメニューと睨めっこしている。

窓の外には忙しそうに行き来する沢山の通行人が見えた。

行きかう人々をこんな風にただ眺めていると、自分が世間から切り離されたちっぽけな存在に思える。

世間には入れず、独りにもなれない・・・ただのちっぽけなどうでもいい存在。

「さて、何を飲もうか」

「何でも・・・あんたと同じでいいよ」

「そうかい?それじゃあ・・・これとこれをセットで」

「はい、かしこまりました、少々お待ちください」

ほんの少し雰囲気がユミに似ている・・・私がそんな事を考えながらボンヤリとウエイトレスの後姿を眺めていると、

突然向かいの席に座るスグルから小さな笑い声が漏れた。

「なに?」

「いや、今の子ほんのちょっと祐巳ちゃんに似てるよね」

「・・・そう?」

・・・正直ほんの少し驚いた。まさか同じ事を考えていたなんて思いもしなかったから。

でも、何だろう。コイツにユミに似ていると言われると、妙に腹が立つ。

自分が思っていた事をまるで覗き見されたみたいで・・・というよりは、お前にユミの何がわかる、という感じ。

「うん、似てたよ。そして必然的に祐麒にも少し似ていた」

「ああ、なるほど。あんたにはそっちが重要なんだろう?」

「さて、ね」

そういって意地悪に笑うスグルの顔は、何故か鏡をみているようで・・・。

ああ・・・こんな気持ちの時は無性にユミに逢いたい・・・笑ってほしい・・・触れたい・・・。

私は急に苦しくなる胸をギュっと押さえると、頬杖をついてまた窓の外に目を向けた。

「ところで・・・君は祐巳ちゃんが好きなんだろう?」

「突然、なに?」

前置きも一切無い直球だったけれど、私は大して驚かなかった。

だから顔を窓の外に向けたまま答える。きっとスグルもそれは分かっていたんじゃないだろうか。

何となく前からコイツには気づかれていると思ってたし、何よりも私だって気づいているのだから。

「そういうあんたこそ。祥子と祐巳ちゃんのどっちが好きなの?」

「おや?僕は祐麒一筋だよ?」

「そう・・・いつまでそうやってごまかすの」

「・・・いつまでも・・・さ。分かっていながら逃げるような君とは違うからね、僕は」

「どういう意味?」

私はスグルの目をまっすぐに見た・・・というよりは睨んだに近いかもしれない。

スグルの目は笑っているけれど、奥のほうでは笑ってなどいない。

まるで、本当に自分と喋っているような・・・そんな気さえしてくる・・・。

「何かに囚われたように動けないで居る君とは違うって意味だよ」

「何かに囚われてる?私が?」

一体何に?私はそう思った。不意にユミの言ったセリフが蘇る。

『・・・聖さまは・・・私なんて見てないでしょ?』

あのセリフは、私の心に深く突き刺さったまま未だに抜けてくれようとはしない。

私という人格全てを否定されたかのように深く深く棘を沈めて、その大きさをこうしている今でさえ増している。

まるでそんな私の考えを読んだようにスグルは言った。

「ああ、祐巳ちゃんじゃないよ、もっと他の誰かに、だよ。心当たりあるだろ?」

「・・・栞の事?彼女ならもう・・・」

忘れた・・・と言い切れない自分が未だにどこかに居る。でも・・・スグルはそれすらハッキリと否定する。

「その人でもない。君にとって大事なのはその二人しか居ないのかい?」

シオリでもなくユミでもない・・・他の大事な人?

コイツは占い師か何かか、とも思うほど私の心をさっきからズバズバと言い当ててくれる。

どうしてコイツにはこんなにも私が視えるのか・・・答えは簡単だった。

「あんたも何かに縛られてるの?だからそんなにも私の事が分かるんだろ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

私の一言にスグルは黙った・・・コイツが黙り込むところなんて、今まで見たことが無かった。

それでも、こんなにも私と似ている・・・シマコとはまた違う、鏡のような自分。

出会いが違えば、きっといい友人にはなれただろうに・・・。

いや・・・どうかな?やっぱり喧嘩相手にしかならなかっただろうか。

「僕にだって、影はあるさ。いつでも笑ってる訳じゃない。君もそうだろ?本当はいつだって一人ぼっちだ」

「・・・そうだね。いくら表面に沢山仲間は居ても・・・ね」

お互い、考える事は同じ。どうしても拭えない孤独は、何かに縛られて自由になれない心。

その原因は本当は分かっているはずなのに、どうしてもそれに目隠しをするのだから、やりきれない。

「君の場合は、もうハッキリしてるんだろ?」

私は迷った。言うべきか言わざるべきか・・・。言ったって解決するのは結局は自分なのだ。

でも・・・この渦巻いた気持ちの切れ端を取り出してくれるのは・・・案外自分じゃ出来ないのかもしれない・・・。

私は小さく息を一つ吸って、呟くように言った。

「まぁね。多分お姉さまに言われたあれじゃないかな・・・後は親・・・か」

「君のお姉さまに?・・・居たのか・・・」

ほんの少し意外そうなスグルの顔に、私は思わず睨みつける。

「失礼な、私にだってお姉さまはちゃんと居たよ。まぁ、選ばれた理由は顔だったけどね」

「ははは、なるほど!それなら納得がいくな」

「・・・どこまでも失礼な男だな」

「いや、まぁ冗談だけどね。何分君は気難しそうじゃないか。さっちゃんからの以前の君の話は大概・・・ね」

なるほど、サチコか。まぁ確かに、あの時の私は付き合いだって悪かったし、

シオリに逢ってからはめっぽう薔薇の館なんてそっちのけだった訳だし、一概にお得な妹とは言えない。

でも、それでもいいとお姉さまは言ってくれた。私も、それが嬉しかった。

心の中身なんてどうせ見えやしないのだから・・・。

だから・・・だからこそ、お姉さまのあの言葉は今もずっと心を縛っていて、シオリとあんな別れ方をしたのは、

自分が全て悪かったのだ、とそう言い聞かせてきたのだ。

動けないみたいながんじがらめの言葉は、刻み付ける事で消化したと思ってたのに、

未だにユミに近づこうとすると、その言葉が身体を縛るのだ。

スグルはただ黙り込む私を横目に窓の外をただじっと見ている。

そして・・・こちらを見ようともせずに呟いた。

「君はさ、ただ怖いんだろ?祐巳ちゃんの事を好きだって思い込む事で、その言葉から逃げたんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」

スグルの突然の言葉に私は頭を何かで殴られたみたいに、身体が硬直した。動けない、何も聞きたくない。

身体はそう言う・・・でも、心は違う。聞きたがっている・・・答えを・・・。

今までずっとモヤモヤとした想いに動けなかった・・・その答えを・・・。

「お姉さまがその言葉を言ったのは、決して君を縛る為じゃなかったんじゃないかな。

君は本当に祐巳ちゃんを好きなの?」

「・・・・・・・」

知らん顔しながら飄々とそんな事を言うスグル。

ユミの事が好き。ユミじゃなくちゃ意味がない。私はそう思ってる。確かにそう思ってる。

・・・なのに、こいつはこんな事を言う。そして私の思考が追いつかないうちに、もう次の言葉を吐き出してゆく。

「君のお姉さまが何を言ったのかは僕は知らない。

でも、君はその言葉に囚われているというけれど、本当は君自身が自分を縛ってるんだろ?

そして、それにも気がついてる筈なのに、ただ盲目的に祐巳ちゃんを求める事でそこから逃げてるんだ」

「・・・・・・・・そんな事・・・・・・・・・」

無い・・・といいたいけれど、その先に言葉がどうしても続かない。

私が黙っているのを見て、スグルはなおも言葉を続けた。

「君も僕も、結局は一人だとさっき言ったね?あの言葉こそ、それを証明するようなものじゃないか。

君は祐巳ちゃんを見てた訳じゃない。自分の内側だけから祐巳ちゃんを見てたんだよ。

その言葉を隠れ蓑にしてね。一歩引いて壁を作る事で傷つくのを恐れてるんだろ?ずっと・・・」

「・・・独りは好きだけれど、一人は嫌い。だから祐巳ちゃんを好きでいようとしたって・・・そういう事?」

私の問いにスグルはコックリと頷いてみせる。



そして、私は突然全てを理解した。

全てが脆く音を立てて崩れてゆく。はなから守るべきものなんて何も持ってなど居なかった・・・。

何もない・・・誰も居ない・・・そんな風に思った途端、心は軽くなる。

・・・でも何故だろう、心はこんなにも軽いのに、酷く寒い。

独りが好きだと思っていたのに、手に入れた途端にそれらが虚しくて哀しくて・・・。

結局、私はユミを本当に愛してなど居なかった。心が求めていたのは、ユミというアイテムで宝物では無かった。

だからユミはあんな風に言ったのだ・・・愛の無い言葉だと分かっていたから・・・。

泣きそうになった。心は冷たくて、氷のように鋭く寒い・・・。

全てがニセモノだった・・・ユミを想い続けたこの気持ちさえも。

・・・でも・・・全部がウソだった訳ではない・・・そう、全部がウソだった訳では・・・。

「でも・・・私は・・・間違いなく・・・好きなんだ・・・。それが喩え偽者であったとしても、心は他の人には反応しない・・・」

そう・・・ユミ以外には心が動かないのだ。これだけは自信を持っていえる。

決して強い目ではない。もしかすると、相当弱って見えていたかもしれない・・・。

スグルは私の言葉にほんの少し頷くと言った。

「もし、僕が祐巳ちゃんを好きだと言ったら・・・どうする?」

スグルのあまりにも唐突な言葉に私は思わず顔を上げた。でも、その真意は見えない・・・。

「それは・・・私には関係ないよ。アンタが誰を想おうとアンタの自由だからね。

でも、私のこの想いは変わらない。・・・そう信じたいんだ・・・」

たとえ誰がユミを好きであっても、私には関係がない。

心の外側からだろうが、内側からだろうが、ユミを好きだという気持ちまでは失いたくない。

でも、だからといってこんなあやふやな気持ちのままでは、ユミに告白する事など決して出来ない。

それはユミを傷つけるだけだと痛いほどよく分かっているし、万が一うまくいったとしても、

遅かれ早かれその間違いに気づいた筈なのだから・・・。

私は昔から真実の愛を欲しがった。生半可な愛され方では、納得できなくて。

それを追求するあまりに結果的にはシオリを失った。

そしてお姉さまの言った言葉が良い壁となって私にかぶさってくれたおかげで、

私は真実を求める事などしなくなったのだ。

・・・でも、それは心を隠していただけで、何の解決にもならなかった事が、今ようやく解った。

大嫌いなコイツ。でも、限りなく私と似ている・・・何かにすがるように求め続けて、いつまでたっても一人ぼっちで。

ユミは好き。でもそれは心の全てで好きな訳ではなく、壁の外側の私が彼女を愛したのだ。

まぁ、そもそもこんな私ではユミに受け入れてもらえる筈など、万に一つもありえないとは思うが。

私の出した答えに、スグルはフっと目を細めた。

「そう言ってくれると思っていたよ、君ならね。そうじゃなければ、僕はきっと君を殴っていたかもしれない。

君を守るために祐巳ちゃんを渡す訳にはいかない、さっちゃんの為にも、ね」

「結局は祥子の為?あんたは誰の味方なのさ」

「僕は僕の味方さ。誰にも心は支配されたくないし、誰にも渡さない。君も少し前まではそうだったろ?」

「・・・ああ、そうだね」

心は私のモノ。ずっとそう思っていたけれど、どうやらそれは間違いだったみたいだ。

誰かに心すら渡せなければ、それは恋とは言えなくて、私にはまだ誰にもそれを渡せない。

だから、ユミはそれを見抜いたのだろう。私のそんな心を・・・。

「祐巳ちゃんは一見ポヨヨンとしているけれど、そういう所はきちんと見抜かれているよ。

だから君も僕も惹かれるんだ。それに気づかせてくれる大きな存在だからね。

君は僕と似ているけれど、君は僕よりも早く先に行ってしまいそうだね、この分だと・・・」

そう言って寂しげに微笑んだスグルは、私から見てもとても綺麗に見えた・・・。

「・・・そうだね・・・あんたも早く追いついてきな。でないと、喧嘩も出来やしない。

でも・・・待っててはやらないけれど、ね」

「全く、君らしい。流石白薔薇様だな。ああ、元だっけ?」

そう言ってフフと意地悪く微笑むスグルはもういつものアイツだった。

「そう、元だよ。でも、きっと一生そう呼ばれるんだろうな・・・そんなに大したものでもないのにさ」

「まぁ、そういうものさ。僕だって、未だに学校にちょくちょく顔だしているよ」

「・・・そういう事してるから嫌われるんだよ、あんたは・・・」

・・・今、私はちゃんと笑えているだろうか・・・。

いつもどうり、とまではいかなくても、コイツの前では笑っていたい。泣き顔なんて、決して見せられない。

コイツのおかげで胸のつかえが少し取れた。

でも、新たなつかえが波のように押し寄せてきて、私にはどう対処すればいいのかさえ解らない。

それでも。ようやく一歩踏み出せた・・・だからもう一歩、頑張ってみよう。

たとえこの心がいつまでも独りだったとしても、ユミを求める想いが嘘だったとしても・・・。

自分でまいた種はどうにかして決着をつけなければならないのだから。





「僕は嫌われているのかい?」

「多分ね。少なくとも、私には嫌われているよ」

「・・・なるほど・・・」

私達は思わず笑いあった。こんなやりとりも、コイツとここに居る理由も、少し解った。

私は幸せになる為に、ここに居るのだ。

自分だけじゃない、他の誰かと幸せを分け合うための、これは第一歩なのだ・・・。






大きな壁にぶち当たってもなお、


それを乗り越えようとするのは、


決して格好悪い事なんかじゃない。


愛の解らない私には、それがどういう事なのかすら解らない。


愛したい、愛されたい・・・心が欲しい、身体が欲しい。


欲しがってばかりの私には、きっと何も得られない。


どうすればいいかなんて、私には・・・解らない・・・。










それぞれの告白   第七話