これはどういう事?

私は何も知らなかった。

見えていたはずなのに、何も見えなかった。

・・・いいえ、違う、私は何も見ようとはしなかった・・・。





それはいつもと変わらない、何の変哲もない週明けの火曜日。

今日は朝からほんの少しだけ体調が優れなくて、私は少しだけ学校に行く時間を遅らせた。

いつもと変わらない景色。銀杏並木は今日も全てのリリアンの生徒を優しく迎えてくれる。

低血圧のせいで朝が弱い私には、銀杏並木から吹き抜ける風がちょうど良い。

マリア様の前まで来たときふと、初めてここでユミに出会った時の事を思い出した。

「懐かしいわね・・・」

そう言えばここで私がユミのタイを寝ぼけながら直した時から、全てが始まったのだ。

あの時、もし私が一分遅れていたら・・・ユミのタイがほんの少し曲がっていなければ、物語は始まらなかった。

「運命って、そういうものなのかしら」

ふふ、と思わず思い出し笑いが込み上げてくる。

ユミに出会って一年が過ぎてあっという間に私は卒業してしまうけれど、

私の高校時代の思い出はユミと過ごした時間がきっと一番鮮明に残るだろう。

ユミに出会わなければきっと私は妹も持たず、心を誰にもぶつけることなく卒業していたに違いない。

幼い頃から人とは違うのだと教えられ、それが当然だと思っていた私には、ユミがとても新鮮で眩しかった。

だからこそ私はユミに惹かれたのだろうし、ユミを選んだのだろう。

たとえあの時ここで会わなかったとしても、私はきっとユミを探し出し妹にしていたと言い切れる。

それぐらい私の中でユミの存在は大きく、まるで本当の妹にでもなったかのように可愛くて尊い存在で・・・。

「いえ、違うわね。まるでじゃなくて、あの子はもう私の妹なのだわ・・・」

私はうっすらと微笑みを浮かべるマリア様を見上げるとにっこりと微笑んだ。

そして心の中で祈る。

『どうか、あの子に何があってもお守りください。そして、あの子が幸せな人生を歩みますように・・・』

ユミが妹になってからというもの、私の願い事はユミの事ばかりになった。

そしてそれが幸せだと感じる自分がいる。大して楽しくない時でも、あの子が居ると世界が変わる。

どんなに仲たがいをしても、必ずどこかで繋がっていられる・・・それがユミという存在なのだ。

私はマリア様に一礼すると、ゆっくりとした足取りで教室に向かった。

「祥子っ!!!」

「・・・令?おはよう、どうしたの?」

教室に足を踏み入れようとしたその時、突然親友に肩を掴まれそのまま階段へと引っ張られた。

もうすぐ一時間目の合図が鳴るというのに、一体どうしたのだろう?

私は悠長にそんな事を考えていたのだが、

レイの表情はあまりにも必死でそれが何か一大事なのだという事はすぐに見て取れる。

「こ、こ、これ見て!!」

そう言ってレイは私の目の前に何かを突き出した。

ギュっと力強く握られているそれは、どう見てもリリアンかわら版。

「・・・またこれなの・・・?」

私は決してこの新聞が好きではない。そもそも何かあるごとにある事無い事書き立てては大騒ぎして、

それの尻拭いをするのはいつも私達なのだ。

今でも鮮明に思い出せるのはエリコの事件。あれだって、真相も分からないまま書きたてて大騒動にまで発展した。

だから私はレイがそれを持ってきた時、多分思い切り眉をひそめていただろうと思う。

まぁそれでも最近はミナコが引退して、その妹のマミが後を継いでいたから内容もかなりマトモなのだが・・・。

「今回は何なの、全くもう」

私はレイの手からそれをもぎ取ると、バッと勢いよく開いて中を見た。

「あら、今回は写真が一つもないのね。文字ばかりだわ」

しかしだ・・・私はそんなところに注目していて、あまりにも大きな見出しに注意がいかなかった。

こういうものは、あまりにも目立ちすぎると返って目立たないものなのだ。後でちゃんと注意をしておこう。

などと考えながらそのタイトルに目を丸くした。

『衝撃!!禁断の恋のトライアングル!!!』

デカデカと真っ赤なインクで書かれたそれは、あまりにも派手だった。

そしてなにやら嫌な予感がする・・・背中に冷たいものが流れたのは、きっと私の気のせいではないはずだろう。

私はレイからそれを受け取ると、とりあえず教室に戻った。

クラスの皆がこっちを見て何か言っているのが聞こえる・・・。

多分・・・この新聞のせいなのだろう・・・一体今度は何が書かれているのか・・・。

そればかりが気になって、結局その日の授業など頭に入る訳もなく・・・。

結局かわら版はきっちり折りたたまれてその日は一日中私の机の中で眠っていた。

どうしても読む気にはなれなかったのだ。

授業が終わり私はさも何も気にしていないように教室を後にする。それがせめてもの抵抗だと思ったから。

私の態度にクラスメイトも少し大人しくなった。もしかするとはこれは誤報だと思ってくれたのだろうか・・・。

「祥子。こっちよ」

「一体何なの?これは」

私は内容も知らないのに、教室の前で待ってくれていたレイにかわら版をつき返す。

「私にもさっぱり。とりあえず中読んだ?」

「いいえ、まだよ」

ゆっくりと頭を振ると、今つき返したばかりのかわら版をレイの手からもぎ取った。

「そう・・・とりあえず祐巳ちゃんも薔薇の館に非難させているから」

「という事は私達の事なの?」

「ん。まぁ、そう言うことになるのかな・・・憶測にすぎないんだけどね」

憶測・・・またか。私は正直にそう思った。

また新聞部に何かを報道されたらしい。全くいいかげんにしてほしい。

私は煮え切らないレイの態度と、またいらぬ事を記事にした新聞部に腹を立てながら薔薇の館まで急いだ。





「あ、紅薔薇様がいらっしゃったわよ、祐巳さん」

「う、うん」

薔薇の館につくなり、ユミは私の顔を見ることなく視線を逸らす。そんな妹の態度もなんだか気に食わない。

「祐巳、ごきげんよう」

「あっ、はい!ごきげんよう、お姉さま」

そう言って笑うユミの笑顔は引きつっている。きっと、この記事をもう読んだのだろう。

私はユミに紅茶を頼むと、いつもの席につきかわら版に目を通した。

しばらく読んで私はかわら版を途中でパタンと閉じる。そこから先は違う記事だったのだ。

どうやらこの記事だけで行くほど情報は無かったらしい。そんな事よりも、私が言いたいのは・・・。

「・・・これがどうして私達の事になるの?」

内容はなんともありがちな話だ。

一人の少女が学校の先輩に恋をしていて、

その先輩に自分の気持ちを打ち明けられず悶々としているなんともありがちなお話。

しかもその先輩は違う人に恋をしていて、その違う人というのがこれまたその少女に恋しているなどと、

何度も使い古されたお話だった。衝撃!恋の三角関係と銘打つにはあまりにもチープだ。

・・・でも・・・心のどこかではそれが誰の事なのか分かっていた・・・。

というよりは今はっきり分かった、と言った方が正しいかもしれない。

この先輩というのは多分セイ。そしてこの少女はきっとユミなのだろう。

しかし、この先輩が好きな相手というのがどうにも出てこない。あの人は確か・・・セイは・・・。

私の質問に何も答えないユミの代わりに、レイが横からフォローしてくれる。

「あのね、本当に事実無根なんだって。だって、どうしてこれが祐巳ちゃんに繋がるのか分からないし、

そもそもこの先輩とかその先輩が好きな相手だとか、誰も分からないのよ。

ただね、何人かの目撃者が居たっていうのがね・・・この人たちが多分噂を言って回ってるんじゃないかと・・・」

「そう・・・そうよね。祐巳、これは間違いなのね?あなたでは無いのね?」

私の問いに、ユミは周りをグルリと見回してからゆっくりと頷く。

でも、その仕草で分かった。なんとなくだけれど、ユミは皆に気を使ったのだろう、という事が。

きっとこれ以上皆を巻き込みたくないのだろう。

・・・だったら、この事は姉妹だけで話した方がきっといい。

ユミは何かを守るように頑なに言わないつもりでいるだろうし、それにこれが真実であれ嘘であれ、

どっちみち私はこれ以上ユミの気持ちが離れてゆくのが嫌だった。

近いうちまた運命の歯車が回りだす・・・きっと。

「分かったわ。それなら私はもう何もいう事なんてないわ。皆もそうでしょう?

すぐに新聞部に行ってこの件に関しては訂正してもらうよう言ってきます。それでいいわね?」

「そうね、早い方がいい」

ホッとしたような皆の顔・・・でも、ユミと私だけは違った。

きっとユミも気づいている。もう、止められない事を・・・そして私が気づいている事も・・・。

皆が薔薇の館を出た後、薔薇の館には私とユミだけになった。

「・・・お姉さま・・・私」

「今は・・・言わないで。もう少し整理がついたら、ちゃんと聞くわ」

「・・・はい・・・」

私はユミの頭を出来るだけ優しく撫でる。いつもいつもセイがユミにそうしていたように。

ユミは驚いたように一瞬目を大きく見開いていたけれど、その後はもう何も言わなかった。



・・・この先どんな事が待っていようとも、どうかマリア様、私と祐巳をお守りください・・・。

どうか・・・この絆が壊れてしまわないよう・・・お願いです・・・お守りください・・・。







真実を知っていたのに、それから逃げたのは私。


真実を出来るだけ遠ざけて、それを言わなかったのは貴女。


ずっと目隠しなど出来ない。それは分かっていた。


もう少し私が大人になれたら・・・。


もう少し私が貴女を想っていなければ・・・。


そうすれば、真実なんて怖くなかったのに・・・。











それぞれの告白   第五話