3年生が卒業するまですでに2週間をきっていた。

ユミは3年生の廊下を足早に通り過ぎるとその一室を目指した。



事の起こりは朝。

いつもより少しばかり早く学校についたユミは何の気なしに下駄箱を開いた。

いつもなら下駄箱の中なんて覗きなどしないのに、その日はなんとなく予感がした。

虫の知らせ?いや、違う…。ただの直感だ。女の勘とゆうやつか。

「な、何?」

ユミは下駄箱の中に入っているモノを見て驚いた。

「は、花…?」

「おはよう!!祐巳さん!」

突然後ろから肩を叩かれユミは思わず硬直する。

恐る恐る振り返るとそこには、親友の由乃さんがニコニコした顔で立っていた。

「?どうしたの?朝からぼーっとしちゃって…あれ、その花どうしたの?」

ヨシノはユミの後ろで背伸びをして覗き込んでいる。

「…わからないの…。」

「わからない?」

「うん。下駄箱に入ってたの…。」

ユミはそう言って下駄箱を閉めると名前のところをしきりに確認している。

「…何してるの?」

「えっ?ここ私の下駄箱だよね、と思って…。」

ユミの台詞にヨシノはあきれた顔をした。

「間違いなく祐巳さんの下駄箱よ。誰かが入れたのね。…でも誰が?何の為に…?」

「う〜ん。」

「祐巳さん!何か心当たりないの?」

「こ、心当たり??な、なにも無いよ。」

ヨシノは腕組をするとう〜んと唸った。

どうやら誰がなんの目的で入れたのかを調べるつもりらしい。

ユミはそんなヨシノを尻目にもう一度その花を見つめた。

濃い黄色の花弁の色はどこかタンポポを思わせる。でもタンポポとはまるで形が違う。

花弁がひし形で、なんだか可愛らしい…。

ユミがその花に見入っていると、ヨシノがユミの肩を叩いた。

「駄目だ。わからないよ。とりあえず教室に行こう。それからまた考えてみるよ。」

…そりゃそうだろう。心当たりも何もないのに分かればそれこそエスパーだ、とユミは思う。

ユミとヨシノは結局下駄箱の前で何時間考えていても分かりそうにない謎解きを一旦止める事にした。


ユミは教室に入る前に絵の具の筆入れに水を入れるとその中に花を挿してやった。

それを机の上に置いて眺めていると、なんだか切なくなってくる。

『誰が入れたんだろう…。間違えたとか?…そんな事ないか。』

ふ、と白薔薇様の顔が出てくる。

『そう言えば会ってないな…。』

マドレーヌ以来ゆみはセイと一度も顔を合わさないでいた。

それどころか、どうも最近のセイはユミを避けているような気さえする。

遠くで見かけても手を振ってさえくれないのだ。まるでそこに人はいないかのように…。

今までならユミを目ざとく見つけては抱きついてきたりしていたのに…。

『…私がいけないんだ。あの時きっと何か怒らせちゃったんだ…。』

ユミは食べられなかったマドレーヌを思い出すと涙ぐんだ。

胸が痛い…。セイに構ってもらわないだけでこんなにも落ち込むなんてどうかしてる…。

そうは思っても、やはり胸は苦しくなるばかりだ。

机の上に置いた花が風で揺られてなんだか笑っているように見える。

『…慰めてくれるの?それとも笑ってるの?』

ユミは目をこすると花をつついた。すると花はその振動でプイと顔を背けてしまった。

『お前までそっぽを向くの・・・?』

そっぽを向いてしまった花がなんだかセイと重なった…。


昼休みに薔薇の館へお弁当を持って向かう途中にセイを見かけた。

ユミは謝ろうと思いそっと近寄ったが…止めた。

誰か知らない子と何やら真剣な顔で話し込んでいたからだ。

結局お弁当を食べてる間もずっと、セイの真剣な横顔が脳に焼き付いて離れないでいた。

ヨシノがしきりに何か話しかけてきていたが、それもよく覚えていない。

『あんな白薔薇様見たことないや。』

知らない子と話していたセイの横顔はとても冷たく、その目にはまるで何も映っていないように見えた。

まるで心ここにあらずといった感じだ。

しかし不思議な事にそのセイこそが素のセイに見えたのは何故だろう・・・。

いつもユミに接していたセイは作りものだったようにさえ思えた。

 
放課後、ヨシノは嬉々としてユミの教室に入ってきて、まだ帰り支度もしていないユミを急かした。

「どこ行くの?由乃さん。」

するとヨシノはやっぱりね、と首を振るとため息をついた。

「もう!放課後図書室に行こうって昼に言ったじゃない。その花の事調べてみようね!って。」

図書館へ向かう間、ユミはあいまいな記憶を辿りながらどうにか昼の事を思い出そうとした。

…そう言えばそんな事言ってたような気がするな…。

ヨシノは必死になって考え込んでいるユミを見て苦笑いすると手をひいた。

図書室で花の本を片っ端から持ってきたヨシノは数十冊はあるであろう本のページを物凄い速さでめくっていく。

…おいおい、それでホントに見えてるのか…?

ユミはそんなヨシノの向かい側でゆっくりページをめくる。その時だ。ヨシノの手が突然止まった。

「あったの?ヨシノさん。」

「うん!これじゃない?」

ユミは身を乗り出してヨシノの開いているページを覗き込んだ。

ハナビシソウ…聞いた事もない。でも確かにこの花だ。色は少し違うけど…。

「でもさぁ、この花似てるけど時期が全然違うよ?」

ユミは、開花時期のところを指差した。開花時期は5〜6月になっている。

今はまだ2月。花が咲くまでにまだ結構ありそうなのだが…。

「今は温室栽培もあるし、中には気の早い花もいるんじゃない?ねぇ、ゆみさん!それよりもココ見てよ。」

ヨシノはそう言って本をユミの方に向けた。

ヨシノのが指差している先をたどると、そこには花言葉が記されている。

「…えっと…花言葉は…私の願いを聞いて、と、私を拒絶しないで…?」

「私を拒絶しないでぇ?なんだか意味深じゃない?ちょっと祐巳さん!!本当に心当たりないの!?」

ヨシノの問いにユミは首を横に振った。心当たりなんて全くナイ…。でもなんだか引っかかる。

「でもさ、少なくとも誰かが祐巳さんに想いを寄せてるのは確かだね!間違いないよ。」

「…うん。でも誰がいれたのか結局判らないね。」

ユミとヨシノは深くため息をついて頭を抱えた。

花言葉がわかっても結局誰がくれたのかわからなきゃ動きようもない。

結局最大の謎が解けぬまま二人は図書室を後にした。

「それじゃあまた明日ね、祐巳さん!ごきげんよう。」

「うん。また明日。ごきげんよう。」

ヨシノはそう言って小走りで体育館の方へ向かった。きっとレイと一緒に帰るのだろう。

『私を拒絶しないで…か。』

一瞬セイのお昼に見た顔が脳裏をよぎる。

『謝らなきゃ・・・。』

ユミは突然向きを変えるともう一度校舎に入った。セイがまだ教室にいるとは限らない・・・。

なのにユミは何故かいるような気がしたのだ。

一人ぼっちで教室の外なんかを眺めているようなそんな気が…。

ユミは3年生の廊下を足早に通り過ぎるとその一室を目指した。目的の場所はもう目と鼻の先・・・。


ガラリ。後ろのドアを開けるとそっと中を覗いてみる。

窓から光が大量に差し込んでいて、ユミは思わず目をつぶった。

「・・・祐巳ちゃん?」

『…いた、やっぱり…』

ユミがどうにか目を開け教室に入るとそこには、案の定机に座って外を見ていた体制のままのセイがいた。

顔だけをこちらに向けている。

「びっくりした…どうしたの?」

「ロサ…ギガンティ…ア?」

ユミはセイに少しづつ近寄ってゆくと、そっと手を伸ばした。

あと、5センチ・・・。自分でもどうしてそんな事をしたのか判らない…。

でもどうしてもしたかった…。触れたかった…。その存在を確かめたかったのだ。

「ゆ、祐巳ちゃん…?」

セイはただ驚いているようで固まったまま動かない。でも、決して逃げようとはしなかった。

「ごめんなさい・・・。」

「・・・は?」

ユミはギュッと下唇を噛むと俯いた。手にはハナビシソウがしっかりと握られている。

セイはそっとユミの体を離すとそこにあったイスに座らせた。

机の上で握られた花が小さく震えている。

「…ハナビシソウ…。」

セイのポツリと言った言葉にユミはハッと顔を上げた。

『まさか!?白薔薇様が・・・?』

「あ、あの…。」

ユミが尋ねようとするとセイは構わず言葉を続けた。

「花菱草でしょ?それ。もう咲いてるんだ。どこで見つけたの?」

『えっ?』

セイはそう言ってそっとユミの手から花を取った。

「花言葉は確か・・・。」

「…私の願いを聞いてです。それと…。」

「私を拒絶しないで・・・?」

セイはそう言って花をじっと見つめている。ユミがコクリと頷くとセイは子供のように笑っている。

どうやら当たったのが嬉しいらしい。

「…ッ違うんですか?」

ユミの突然の問いにセイはきょとんとしている。

「白薔薇様じゃないんですか?これくれたの。」

「…いいや?誰かに貰ったの?」

『・・・違うんだ・・・。』

そりゃそうだよね。白薔薇様の訳がないじゃない!!

「朝来たら下駄箱に入ってたんです・・・。他に手紙も何もナイから誰がくれたかもわからないし…。」

ユミは花をくれたのがセイではないとわかると、なんだか突然体の力が抜けたように感じた。

そして心の何処かでセイだと良いのにと思っていた自分がいた事に気づいた。

『でももし白薔薇様だったら…どうするつもりだったんだろう…。』

「ふ〜ん・・・。ところで何の用事だったの?ゆみちゃん。」

セイの突然の言葉にユミは我に返った。

『そうだった!謝りにきたんだった!!』

「あの、白薔薇様…。」

「ん?」

「あ、あの…ごめんなさい!!」

ユミは立ち上がると思い切り頭を下げた。しかしセイは何やらきょとんとしてコチラを見ている。

「え〜っと、何が?」

「は?怒ってらっしゃったんじゃないんですか?」

「私が?ゆみちゃんに?どうして?」

ユミは目をパチクリさせてセイを見つめた。セイも目をパチクリさせている。

『あ、あれ?』

「ま、マドレーヌの件で怒ってるものだとばかり思って・・・。じゃ、じゃあどうして!!」

『どうしていつもみたいにじゃれ付いてこないんですか!?』

ついそんな言葉が口をついて出そうになって思わずユミは口をつぐんだ。

『や、やだ、これじゃあ抱きついてくださいって言ってるようなモノじゃない!!』

「じゃあどうして何?」

「い、いえ、じゃあどうして口も利いてくれないのかな・・・って。」

「・・・だって会わなかったじゃない。口利きたくてもきけないよ。」

セイはあっさりそう言ってのけるとユミの頭を優しく撫でた。

『いつもの白薔薇様だ・・・。どうしよう・・・泣きそう。』

ユミは俯いて涙を必死にこらえた。セイもそれがわかったのか、何も言わず頭を撫でてくれていた。

「私こそごめん・・・。ゆみちゃんがそんな風に思ってるなんて思わなかったんだ。」

そしてセイは言う。自分こそ嫌われたと思っていたのだと。

「だからごめん。無神経だったね、私は・・・。」

セイはそう言ってユミに頭を下げた。ユミはセイもそんな風に感じていた事が少し可笑しかった。

『なんだ…一緒だったんだ・・・。』

「…一緒ですね?」

ユミは涙目でセイを見上げると小さく笑ってみせた。

「うん。そうみたいだ。」

セイも小さく微笑むと、突然祐巳にだきついた。

「ぎゃうっ!?」

「あぁ、この感じだ・・・。」

セイはしみじみと呟いた。大事なモノを壊さないように優しく触れる感触がユミにも伝わる。

『…うん。この感じだ・・・。』

ユミはセイに体を預けたままそっと目をつぶった。


さっきまでザワザワしていた心の中が急に静かになってゆく。


「さてそろそろ帰ろうか、ゆみちゃん。」

「はい!白薔薇様!」

ユミはそう言って誰がくれたかも分からない花を手に立ち上がった・・・。

差出人の判らない花の花言葉はまるで今までのユミの心を映していたように思えた。

『この花・・・もしかしたらマリア様がくれたのかもしれないな・・・。』



まだ暮れなずんでいる太陽はセイとユミの笑顔をはっきりと映し出していた・・・。




私を拒絶しないで・・・。


お願い、私の願いを聞いて・・・。





ハナビシソウ  ユミver.