キミの居ない未来など考えた所で、何の意味もない。


心の中の暗い大きな闇に包まれそうになっても、


キミのその光だけが私を照らす。



だからこそ私はキミの・・・光になりたい。





「はぁ・・・はぁ・・・っん・・・」

「大丈夫?はい、これ飲んで」

セイはそう言って乱れた着物も直さずに寝転がったままのユミに、冷たいお茶を差し出す。

まだ辛そうに肩で息をするユミに、セイの胸がチクンと痛む。

それでも、ユミは照れたようなはにかんだような笑顔をセイに向けてくれた。

「ありがと・・・ございます・・・いただきます・・・」

「うん。一人で飲める?」

グッタリと疲れ果てているユミ。

そんなユミを、セイはゆっくりと抱き起こし身体を支えておいてやる。

でも、ユミはセイに身体を預けたまま一向に動こうとはせず、ただギュっとセイにしがみついていて・・・。

「どうしたの?何考えてるの?」

セイの問いにユミは何も答えない。ただ、ボンヤリとした瞳で一点を見つめている。

「祐巳ちゃん?」

「ただ・・・こうしてるだけで、幸せだなんて事って・・・あるんですね・・・」

セイの心臓の音がこんなにも近くに聞こえて、今はそれは自分に対するドキドキなのだと。

そんな事を考えると、セイが無性に愛しくなって・・・そんな事を想う自分も愛しくて・・・。

「そうだね・・・たったこれだけの事なのにね」

セイは腕を伸ばしてお茶をテーブルの上に置くと、ユミのを抱きしめ背中の辺りで指を組んだ。

ついさっきまで身体を重ねていて、それでももっともっと欲しくてしょうがなくて、どこまで深く求めるんだろう、と不安になって。

そんな風に思わせるのはユミしか居なくて、ユミ以外は嫌で・・・。

固い鎖みたいにセイの心は今やユミに支配されたまま、他を考えさせる事など許さない。

そんながんじがらめの想いさえ痛いとは思えず、甘い毒みたいにいつまでもいつまでも続く。

「聖さまも?」

ユミは顔だけ上げてセイの顔をじっと見つめた。

セイは優しい笑みを浮かべてユミのおでこに頬を寄せてくる。

親猫が子猫にそうするみたいに、ユミに愛しそうに頬擦りをしながら。

「当たり前じゃない。どれだけ私が祐巳ちゃんの事想ってるかなんて、祐巳ちゃんには解らないでしょ?」

くすぐったそうに笑うユミ。そんなユミにセイはまた心を掴まれる。

こんな風に毎日毎日ユミに心を奪われて、ユミの事しか考えられなくなってしまう。

いとも容易く・・・。

「聖さまだって・・・私がどれだけ聖さまの事好きかなんて知らないでしょう?」

ユミは未だ頬擦りをしてくるセイの細い柔らかな髪をそっと手で避けながら呟いた。

いつだってそう。セイといると胸が苦しくなって、息が出来なくなる。

酸素不足の頭で想うのはやっぱりセイの事で、何かをしていても誰と居ても、セイなら・・・、などと考えてしまう。

傍に居ると見えない所が、離れてみて初めて解るのだと言う事が今は嫌というほどよく解った。

セイから貰う痛い程の愛は、滝のようにユミに降り注いでやがて大きな海になるみたいに穏やかで緩やかなモノになる。

会えば満タンになる心も、しばらくすれば空っぽになってしまう。

でも溜めていたモノが少しづつ少しづつ流れて、日々の生活の中にセイを見つける事が出来るから、

心はいつまでも潤っていられる・・・セイと居れば・・・。

「ふ〜ん。でも私の方が祐巳ちゃんの事好きだもんね」

セイはそう言ってユミの乱れた髪を解くと指でゆっくりとすいた。

芯のしっかりとした自分のとは随分違う髪。柔らかくて絡まりやすい自分のとは違う・・・。それはまるでお互いの心のよう。

「わ、私の方が聖さまの事好きですっ!」

なんとなく・・・そんな風に言われるとついムッとしてしまう。

ユミはセイをキッと睨みつけ握りこぶしを作った。身体はまだ思うようには動かない。

それでも、こんなバカげたやりとりに楽しくなる自分がいる。

「い〜や、私だね。悪いけどここは引けないよ、祐巳ちゃん」

「いいえ、私です!!私だって引けませんよ!!」

「私です〜。だってどう考えたって私のが好きじゃない」

「それは聖さまが見えてないだけですよ!私だって十分すぎるぐらい聖さまの事す・・・き?」

ユミは突然の事に思わず目を見開いた。

いきなりのセイのアップ。笑顔に、シャンプーのすっきりした香り・・・そして甘いキス。

「ほらね、私の勝ち」

「へ?ちょ、ず、ずるいですよっ!!」

「ずるくなんかな〜いも〜ん」

そんな事を言ってケラケラと笑うセイ。そんなセイがなんだか憎らしい。

「う〜・・・もう、聖さまってば・・・・・・・ふ、ふふふ」

「く、くくく・・・」

「「あはははは」」

何となく。ただそんなやりとりが何となくおかしくって思いもかけず二人で笑ってしまった。

こんなに笑うのはどれぐらいぶりだろう。セイはふとそんな事を考えかけたけど、止めた。

ユミと会ってからは、結構頻繁に笑っていたのを思い出したから・・・。

「バカだよね、私達」

「そうですね〜。何やってるんでしょうね」

ひとしきり笑い終えた二人は、仲良く並んでお茶を半分こする。

「ほら、風邪ひくよ」

そう言ってユミの着物を直して自分の上着をかけてくれるセイ。

「あ、ありがとうございます」

さりげない優しさが心の底から嬉しいと感じられる。

ずっと前からそうだった・・・セイはいつだって優しかった・・・。

「いえいえ、どういたしましてお雛様に風邪ひかせられませんから」

「お雛様、ですか?私が?」

「そう、私の大事なお雛様!」

セイがそう言ってユミに抱きつくと、ユミは恥ずかしそうな笑顔をこぼした。

そしてまんざらでも無い様子で言う。

「へへ、じゃあ私お姫様なんですね?で、聖さまがお内裏様?」

「ん?う〜ん・・・お内裏様かぁ・・・まぁそれも悪くないかなぁ」

う〜ん?と首を捻るセイ。どうやらあまりお内裏様には納得がいかないらしい。

「悪くないって・・・十分じゃないですか・・・こんなに可愛いお嫁さん貰っといて・・・」

セイの答えにユミはちょっとだけ膨れっ面を作ってシレっとそんな事を言うもんだから、セイはおかしくて思わず笑ってしまった。

「あはは!祐巳ちゃん言う言う」

「たまには・・・いいじゃないですか。自分で言わないと誰も言ってくれませんし?」

「どうして?いつも私が言ってるじゃない。祐巳ちゃんかわいい〜って」

「む〜・・・そうですけどぉ・・・」

「何?私じゃ不満なの?」

ユミの煮え切らない表情が何故か心に引っかかる。

でも・・・ユミの言った答えはどうやらセイの思っていた答えとは全く違っていたようで・・・。

「いえ、そうではなくて・・・なんていうか・・・他の人に言われたいじゃないですか。

由乃さんとか令様みたいにベストカップルだね、って」

「・・・それこそ十分じゃない。祐巳ちゃんが気づいてないだけだって」

ユミがそんな風に思っていたなんて、セイは全く知らなかった。

ユミの事を自慢したかったのは、自分だけじゃなかったんだ、なんて思うと何故か無性に恥ずかしくて・・・。

「・・・そうですかぁ?」

「そうだよ。これ以上のベストカップルなんて他にいないじゃない」

「聖さまだって結構言いますね」

ユミはセイの言葉に笑うと、ホッとした。

セイの言うように自分ではセイにつりあっているのかどうかが解らない。

今でもたまに大学でセイのファンから何か言われる事だってある。

・・・でも、そんな言葉よりもセイの言葉の方が信じられる・・・信じたい。

「ま、たまにはね。それこそ誰も言ってくれないし。でも私はそう思ってるんだけどな・・・祐巳ちゃんは違うの?」

表情を曇らせたユミを見て、なんとなく何を考えているのが解る。だからあえてユミに今こうして聞いた。

もしここで頷かれたら・・・どうすればいいだろう・・・そんな事を考えながら・・・。

セイだってユミと付き合っていて不安になる事が沢山ある。

それこそ誰もお似合いだとは言ってくれないし、ユミに自分はちゃんとつりあっているのかとか、

ユミの迷惑になってやしないかといつだって不安なのだ。

セイはユミの手にそっと自分の手を重ねた。まるでどこかを触れさせてその不安を打ち消すみたいに・・・。

すると、ユミは首をゆっくりと振って小さな笑みをこぼした。

「・・・いえ、違いません。私もそう思ってます、聖さまが一番ですから」

ユミはそっと重ねられた手を強く握ると、セイの頬に唇を押し当てた。

唇よりもほんの少しズレた場所。思い出す初めてのキス。

「ん。私も祐巳ちゃんが一番だよ・・・」

セイはそう言ってユミを強く抱きしめる。

ユミの体温が、想いが、流れ込んでくる・・・。

そのどれも零してしまわないよう、優しく、強く、離さないように・・・ずっと、ずっと・・・。




世界にたった一つだけの私だけのお雛様。それも等身大。

なんて贅沢でなんて幸せなんだろう。心さえ浄化してくれる私のたった一つの可愛い雛人形。













儚くて脆い。


優しくて虚しい。


案外強くて、時に暗い。


心なんてそんなモノ。


人生も同じ。


だからこんなにも愛しい。














たった一つの雛人形   おまけ