獲物なんだよ、キミは。
私だけの最高のディナーなんだ。
だって、私の目に留まってしまったんだもの。
だからもう逃がさない。
二度とこの手を離さない。
・・・なんて、本当は私がキミの獲物なんだ。
長襦袢からはみ出した華奢な肢体も、後れ毛のかかる細い首筋も、キスを交わした後の切なげな瞳も、
全てが自分のモノになればいいと思う。
こんな風にいくら身体を重ねても決して溶け合うことの出来ない目に見える部分。
それでも心はいつも一つなのだ、と思えば思うほど苦しくて切なくて・・・。
「・・・祐巳ちゃん・・・」
喘ぐような囁くようなそんな声でユミを呼ぶ。まっすぐにユミだけを見て。
セイはユミの唇から自分の唇を外すと、そのまま唇を首筋へと走らせた。
「ぁん・・・せい・・・さま・・・」
・・・アツイ・・・心が。
ユミはピクンと身体をこわばらせ、身体を少しよじる。
セイの唇が身体のどこかに触れるたびに心からドクドクと流れる紅い水が、頭を、身体を支配する。
甘い声が零れた唇にはほんの少しの笑みさえこぼれそうで・・・。
この行為が嬉しいのか幸せなのか・・・苦しいのか切ないのか・・・ユミにはわからない。
でも、そんな事はもうどうでもいい。
今、こうしてセイの唇に、指に、瞳に惑わされる自分には、もうそんな事などどうでも良かった。
ただセイがここに居る。こうして優しく壊さないように自分に触れる。ただ・・・それだけでいい・・・。
今日、ここへ来たときセイは眠っていた。
瞳から零れる一筋の涙の理由など解らない・・・。
それでも、セイは何も教えてはくれなかった。きっとユミが聞かなかったから。
聞けば教えてくれるのかもしれない。でも、聞いたところできっと自分には何も出来ない。
だから・・・出来れば・・・セイが本当に苦しくなったら・・・もう何処にも行けなくなってしまったその時には・・・。
必ず自分が傍に居ようと思った。
セイがいつもユミに対してそうしてくれているように・・・。少しの叱咤と、ゆりかごのような愛情で。
ただ暖かいだけの場所には、きっとなれないから・・・支えるだけの、支えられるだけの愛はいらないから・・・。
セイと少しでも対等に、少しでも同じ高さに居たい。
「暖かいね・・・祐巳ちゃんは」
セイはポツリとそう呟くと下着の中にそっと手を入れた。
紅潮した頬と同じぐらい桃色に染まった胸が、ドクドクとセイの手に振動を与える。
「・・・っん」
「声、我慢しなくていいよ?もっと聞かせて?」
セイの手の平には少し小さいユミの胸。いつだったか、ユミが言った『質より量です!』
なんてセリフを思い出して思わず笑ってしまう。
セイが一人クスクスと何かを思い出して笑っているのを見て、ユミは不思議そうな顔をしていたけれど、
セイが胸を包む手のひらにほんの少し力を込めると、小さな声とともに一瞬顔をしかめた。
ユミのそんな顔を見て、ふと思い出す。自分達にはもう幾つかの想い出があるじゃないか、と。
誰に何を言われても揺るがない真実。それはいつだって自分の中にあったのに。あった筈なのに。
ユミには言えなかった泣いていた理由。母親との微妙な関係。
ユミ以外の人に向ける冷たい視線の訳や、無関心な心の事。
いつか、いつか話そうとは思うけれど、まだそんな時期じゃないのをセイはよく解っていた。
今ユミに言ったとしてそれはきっとユミを傷つけるだけじゃなく、この関係すら壊してしまうような気がしていたから・・・。
・・・でも。たまにふと思う。
泣いてすがりついて助けて欲しいと叫んでボロボロになるまで泣いても、ただ黙って背中をさすって抱きしめていて欲しいと。
そんなのはただのわがままだなんて事勿論解ってるし、自分の性分じゃない事も解ってる。
でもいつかのユミのように何も気にせずその胸に飛び込んでしまいたい、と願うのは・・・いけない事だろうか。
受け止めてなど・・・くれないのだろうか・・・?
セイはユミの切なげな瞳をじっと覗き込むと、その中に自分が映っている事を確認した。
確かに私はそこに映っている・・・不安げで、哀しそうな自分が。
そんなセイの表情に気がついたのか、それまでただセイを見つめていたユミが突然セイの首に腕を回し言った。
「大丈夫ですよ、聖さま。私はずっと傍に居ると・・・貴方の支えになりたいと願ってます」
「祐巳ちゃん?突然何を・・・」
本当に突然、ユミはセイの心の奥を矢で射抜くように話し出した。
「聞いて下さい・・・聖さま。
例えばもし聖さまが誰かに心無い事を言われたとしても、貴方の心を見ている人たちがきっと居ます。貴方の本当の心を。
皆が皆そうじゃないかもしれない。たった数人しか居ないかもしれない。
聖さまが今、誰かに何か辛い事を言われて心を砕いているのなら、後ろを振り返ってみてください。
皆敵でしたか?敵しか居ませんでしたか?」
ユミの問いにセイはゆっくりと首を振った。
「いいや・・・敵なんて・・・」
高校時代、大学生になった今、自分の周りにいる仲間達は一生をかけて守ってゆこうと決めた。
ほんの一握りしか居ないけれどそれでも十分に幸せだったし、何よりもかけがえのないものも手に入れた。
セイが首を横に振るのを見てユミは嬉しそうに笑うと、またゆっくりと話し出す。
「そうですよね。・・・そりゃ、大人の中には冷たい視線を送る人も確かにいます。
でも、それは一部です。皆が皆そうじゃない。私の世界は小さいですけれど、聖さまの世界だって・・・小さい筈ですから・・・。
多くが賛同してくれなくてもいい。皆が味方じゃなくてもいい。聖さまは前に私にそう言いました。
あの時、その言葉に私は随分と救われたんですよ?
私には、今はまだ聖さまの苦しみは解りませんし、どうする事も出来ないです。
いつか・・・いつか聖さまがその人と和解する事が出来て、
心の底から笑えるその日まで私はこうやって何度でも抱きしめますから・・・だから安心して戦ってください。
・・・自分の心と・・・そして、聖さまの愛するお母様と」
「祐巳ちゃん!?知って・・・っ?」
「当たり前ですよ。どれだけ聖さまの事見てきたと思ってるんです?案外私の事なめてません?」
「いや、そういう訳じゃないけど・・・」
セイはユミの誇らしげで自信満々な笑みに苦い笑いをこぼす。いつからユミは自分の前でこんな風に笑うようになったのだろう。
いつからユミはこんなにも自分の事を見てくれて居たのだろう・・・。
「聖さま?何がおかしいんですか?」
「えっ?今私笑ってた?」
「ええ、笑ってましたよ・・・もう!人が真剣に話してるのに!!」
プイとそっぽを向くユミ。でもセイの首に回した指先は固く固く閉ざされたままだった・・・。
「違うって。祐巳ちゃんの言う通りだな、って笑ってたの。
祐巳ちゃんが言うとおり母親が嫌いな訳じゃ決してないんだよ、私は。
だからこそ苦しいし、傷つくんだろうと思う。
今まではさ、無視する事でそこから逃げてきたけど・・・それじゃあ何も変わらないよね、人は。
この儚い一生の間に一体どれぐらい近づけるかは解らないけど・・・それでも今は祐巳ちゃんが居るから・・・。
だから・・・ただ時に身を任せるのはもう止める。きっと止めるから」
セイはそれだけ言うと、ユミの身体を強く抱きしめる。・・・これがセイの決意だった。
もう逃げない。苦しくても悲しくても、何かを手に入れるのに近道など無いのだと、
ユミを好きになった時に気付いたのだから・・・。
「・・・聖さま・・・苦しい・・・」
ユミはセイに抱きしめられたままただそう呟くのがやっとで、涙が溢れてくる理由を無理矢理そこにこじつけた。
とても偉そうな事を言ったと自分でも思う。
でも、それは今言わなければいけない事だったとも思う。
間違ってはいない・・・ユミを抱きしめるセイの腕が、そう言っているような気がした・・・。
「いつも、ありがと。祐巳ちゃん」
ユミの言葉にセイの心の琴線は震えた。
他人から母親を本当は愛しているのだと、言われて初めてその想いに納得できたような気がした・・・。
でもだからといって誰でも良かった訳じゃない。ユミだったから・・・ユミが言ってくれたからこそ、
こんなにも素直い心の中に染み込むように納得する事が出来たのだろう。
そして、ユミは自分が思う以上にセイの事を見ていた事にも・・・心が震えた。
どれぐらいそうしていたのか、セイはそう呟いてユミの目から溢れる涙を指ですくうと、それをそのまま口にふくむ。
そしてそのまま指をすべらせ胸の所で止めた。
「せ、聖さま?」
ユミはセイの顔を見てゴクリと息を呑む。セイの顔はもうさっきの悲しみなどまるでどこかへ行ってしまったみたいで・・・。
「さて、今日はどうやって祐巳ちゃんを食べようか?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるセイ。本当に本当に嬉しくて、この気持ちをユミにどう伝えればいいのか解らなくて・・・。
どれほどの言葉もその穴には埋まらないから、せめてユミを優しく抱きたくて。
今日の始まりを前菜に例えればきっと辛い。
メインは甘酸っぱくて、そして・・・苦かった。だから・・・。
「ね、デザートはきっと甘いよね?」
セイはそう言ってユミの小さな胸に唇をよせた。
キミの居ない未来など考えた所で、何の意味もない。
心の中の暗い大きな闇に包まれそうになっても、
キミのその光だけが私を照らす。
だからこそ私はキミの・・・光になりたい。