どれだけ言葉にしても、


どれだけ態度で表しても、


伝わらない事もある。


だからこそ、今が大事で、


今がこんなにも愛しいんだ、と私は思うんだよ。








3月3日    雛祭。

セイは不機嫌そうに電話を切るとキッチンへ向かった。

「全く・・・今更勘弁してよ」

香ばしいコーヒーの香りがキッチンに充満してほんの少しだけ心が満たされたような、そんな気さえする。

それでも何も変わらない現実。今かかってきた電話も、彼女がここに居ないのも・・・。

セイは宙をボンヤリと見つめながら、大きなため息を落とす。

つい一昨日、彼女はここに居て笑っていた。

セイの作る夕食は面白い味がするから自分が作るのだ、と言って。

『失礼ね、そんなに変な味じゃないでしょ?』

そう言って頬を膨らませたセイに、ユミはクスリと笑って言った。

『確かに食べられなくは無いですけど、あんまり冒険したくないというか何と言うか』

『ひどい!冒険なんかしてないよ!!・・・そりゃ創作料理は多いけどさ・・・』

プイ、とそっぽを向くセイに、ユミは目を細めて少し背伸びをしてキスしてくれた。

あまりにも突然でビックリして目を丸くするセイに、ユミは言う。

『本当は・・・今日の為に家で何度も練習してきたんです・・・だから作らせてもらえませんか?』

『・・・・・・・・・・・祐巳ちゃん・・・・・・・・・・・』

モジモジと俯いてセイの指で遊ぶユミが可愛くて・・・。

・・・そう、一昨日まではここでそんな会話をしていたのに・・・。

帰りは車で送る、というセイにユミは小さく首を振ってそれを拒んだ。

『どうして?危ないじゃない・・・バス停から一人なんでしょ?』

『・・・だって・・・離れたくなくなるから・・・』

ユミは俯いてポツリとそんな事を言っていたっけ。

どうやらユミの話では、バスに乗ってしまえば諦めがつくらしい。

セイが居なくても勝手に家の近くまで運んでくれるかららしいのだが、セイに送ってもらうと楽なのは楽だが、

その後の事を考えるととても寂しくなってしまうから嫌なのだとか。

『・・・そんな事・・・』

『それに・・・家につくまでに笑顔を作れますから・・・』

ユミはそう言ってバス停まで送って行ったセイに小さく手を振ってやってきたバスに乗り込んでしまった。

どんどん小さくなるユミの姿・・・。

バスはああやっていつもセイの元からユミを連れ去って行ってしまう。

セイはそんなバスをボンヤリと眺めながら、さっきユミの言った言葉の意味を考えていた。

何となく分かるユミの言いたい事。高校時代、どんなに別れが辛くても、皆に心配かけないよう必死で笑っていた。

きっと、ユミもそうなのだろう・・・バスに乗った瞬間からきっとあの頃のセイのように必死で、

寂しさや切なさを押し込めているに違いない。

そんなユミの事を想うと、セイは嬉しくてしょうがなくなる。

それがただの自己満足でしかなくても、繋がっている、と思えるから・・・。

「はあ・・・次会えるのはいつだっけ・・・」

セイはすっかりぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すと、大きなため息をついてキッチンを後にした。

ソファにゴロンと転がって瞳を閉じると、さっき母親からかかってきた電話の声が蘇る。

『聖ちゃん、今日は雛祭なんだから帰ってくるんでしょ?』

母親は上機嫌でそんな事を言っていた。

『悪いけど、帰らないよ』

『そう・・・まさかまたアノ子なの?』

母親の呆れたような、もううんざり、というような声がいつもセイの心の中の何かに火をつける。

『・・・いい加減放っておいてくれない?帰りたくなれば帰るし、帰りたくないなら帰らない。

祐巳ちゃんは関係ないし、私にも付き合いはあるの!』

『そう・・・祐巳ちゃんって言うの・・・前は栞さんだったかしらね・・・』

冷たい、冷め切った母親の口から出たシオリとユミの名前・・・。

もう、我慢できない。そう思った・・・。

『その二人の名前・・・アナタは呼ばないで』

冷たくそう言い放ったセイに、母親はヒステリックに何やら叫びだしたけれど、

電話ごしでは何を言っているのか全く聞き取れなかった。

ただでさえ今日は朝から不機嫌なのに、こうもわめき散らされたんじゃストレスはMAXな訳で。

言い返したらきっとまたうるさくなるのがセイも分かっていたから、

何も言い返さずに居ると一通り叫び終わった母親が、勝手にしなさい!!と、そう言って一方的に電話を切った・・・。

「・・・もういやっ!!」

セイはクッションに顔を埋めるとどうしようもないイライラと自己嫌悪にグチャグチャになりそうな胸を、ギュっと押さえつける。

母親と喧嘩したい訳じゃないのに・・・出来れば昔みたいな家族でいたいのに・・・。

どうしても譲れない自分と、認めて欲しい自分がそれをいつも邪魔をする。

それをいくら母親に伝えても、きっと何も理解などしてくれないのだろう・・・。

でも、セイにだってどうしても譲れないモノがあるのだ。

「・・・もう、疲れたよ・・・お母さん。ねえ、いつになったら私を見てくれるのよ・・・」

セイはそう呟くと涙を堪えた・・・。







「ん・・・?」

いつの間に眠ってしまっていたのかセイが目を覚ますと、外はすでに真っ暗だった。

街灯が窓の外から一つ、二つと微かな明かりを部屋に落とす。

「・・・あれ・・・?」

セイはソファから体を起こすと自分にかけてある毛布と、その毛布をギュっと握っている小さな手に目を丸くした。

「なっ、なん!?だ、誰!?」

確かにそこに誰か居るのだが、部屋が暗くてよく見えない。

家の鍵はかけてあったはずなのに・・・まさか泥棒!?

と一瞬思ってはみたけれど、泥棒に入ってわざわざそこの主に布団をかけ、

自分まで眠りにつくなんてマヌケな泥棒も居ないだろう・・・。

セイは毛布をつかむ手を恐る恐るたどると、その正体にさらに驚く。

何となく予想はしていたものの、やはりここに来るはずのない人物に目を疑わずには居られなかった。

「ゆっ、祐巳ちゃんっ?!ど、ど、どうしてっ!?」

今日は確かユミの家で雛祭をすると言っていた・・・。それなのに何故ここに居るのか?

いや、それよりも何故ここで倒れているのか・・・?

セイは慌ててユミを抱き起こすと、その感触にまた驚かされる。

「きっ、着物!?」

そう、ユミはあろうことか着物で来ていたようで・・・。

セイはとりあえずユミをソファの上に寝かせると、部屋の電気を点ける。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ソファの上で眠るユミの姿は、まるでお雛様がそのまま横たわっているように見えた・・・。

初めて見るユミの着物姿。正月には混むから、という理由で着物は着てくれなかったのに。

セイは不意にあの時冗談で、じゃあ雛祭の時に着てよ、と言ったのを思い出した。

「覚えててくれたの・・・?」

セイはソファの横にしゃがみこむと、ユミの頭をそっと撫でる。

「・・・ん・・・ぅん・・・?」

セイに撫でられたのが分かったのか、声が聞こえたのか・・・ただ明るくなったからかは分からないけれど、

ユミは小さく身じろぎすると、うっすらと目を開けそのままセイの方に腕を伸ばしてくる。

「ん?なぁに?祐巳ちゃん」

セイがそれに従ってユミに近寄ると、突然ユミはセイの首に腕を回しそのまま自分の方に抱き寄せた。

ユミから甘いお酒の匂いが微かにする・・・。

どうやら家から甘酒を持ってきたらしく、テーブルの上に一つチョコンと置いてあった・・・。

「・・・せぇさまぁ・・・泣かないで・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

セイはユミの声にビックリして自分の頬を触ると、そこにはくっきりと一筋の涙の痕が残っている。

「はは・・・泣いてたんだ、私」

セイがポツリと呟くと、ユミがコクリと頷いた。よしよし、とセイの背中を撫でるユミの手は、とても暖かい。

もう、大丈夫。セイは自分にそう言い聞かすと、ユミの体を抱き寄せた・・・。

分厚い着物のせいでユミのふくふくした体の感触はないけれど、それでもユミの暖かさは十分に伝わる。

「祐巳ちゃんて・・・いつも絶妙のタイミングで現れるね」

照れ隠しにセイがそんな事を言うと、ユミは小さく笑ってセイの頬に口付け、言った。

「聖さまこそ」

「じゃあ・・・お互い様かな?」

「はい」

「・・・繋がってる証拠だね?」

「・・・そうですね」

・・・そう言ってユミが目を閉じた・・・セイはユミの頬に手をそっと添えて・・・。





ありがとう、の口付けは甘酒の味がした。

とても甘くて・・・私を酔わせる・・・。





過ぎてゆく時間に私はいつも焦ってばかり居た。


何もしないまま、何も変わらないまま時は過ぎて、


私はいつも置き去りで。


誰か一人でいいから、私を見て欲しかった。


誰か一人だけでいいから・・・ここから助けて欲しかった・・・。











たった一つの雛人形   第二話