誰も居ない。誰が居ない?
皆居る、ここに居る。
「どうでしたか!?」
意気揚々と帰ってきたレイ・・・でも、その場を見て凍りついた。
ヨシノとユミは眠っている・・・そしてサチコもすでにウトウト・・・。
エリコはヨウコと談笑しているし、セイとシマコに至ってはこの場に居ない・・・。
「あら、お帰り令。もう飛んだの?」
いつの間に!って顔をするヨウコ。この表情からして、本当にいつ飛んだかも知らなかったらしい・・・。
「あ、はい。ただいま戻りました・・・ってもしかして誰も見てくれてなかった・・・とか?」
レイはなんとも言えない空しさに胸を押さえた。怒りでもなく、悲しみでもない・・・憔悴・・・そう、そんな感じ。
可愛い妹の為に振り絞った勇気が、途端に音を立ててしぼんでゆく・・・。
「令、落ち込む事はないわ。もう一度飛べば済む話じゃない」
エリコはそう言って隣に座ったレイの肩をポンと叩いた。
レイはエリコを涙目でキっと睨みつけ、一言。
「絶対に、飛びません!!!!!」
「お!お帰り、令」
レイが後ろを振り返ると、そこにはカキ氷を手にしたセイが立っている。
しょんぼりとうなだれるレイとは対照的に、とても機嫌が良さそう。
セイの隣に立っているシマコも手におでんのパックを持っている。どうやら居ないと思ったら二人して買い物に行っていたらしい・・・。
「せ、聖さま・・・」
「見てたよ〜。結構高くまで上がるもんなんだねぇ。で、どうだった?やっぱり怖かった?」
「ちょっと聖?もしかして貴方知ってたの?令が飛んでたの」
ヨウコがいぶかしげにこちらをじっと見つめている。明らかに顔は怒っているのがシマコには分かった。
「うん。だって、教えようと思ったけど何だか皆忙しそうだったじゃない?だから黙ってたの」
全く悪びれないセイ・・・でも、ヤバイかな?と思った時には時すでに遅し・・・。
「聖・・・あんたって人は!!!」
「どうして皆に教えてくれないんですか!!せっかく頑張ったのに!!!」
「だからさっきから言ってるじゃない。令がもう一回飛べばいいのよ」
「お姉さま・・・だからさっき言ったじゃありませんか。皆さんに教えなくてもいいんですか?って・・・」
「ちょ、志摩子まで!!何もそんなに皆で怒らなくてもいいじゃない」
セイはションボリと頭を垂れて肩を落とす。救いなのはユミや一番うるさそうなヨシノが完全に眠っているところだろうか・・・。
しかし、この状況すら楽しんでいるエリコの肝っ玉ときたら・・・。
そんな事を考えるとセイはおかしくてしょうがなかった。
表面では反省している振りをしていても、内心全く反省などしていないセイの肝っ玉もいかがなものかと思うが・・・。
それにしても・・・一体いつまで怒られているのだろう・・・セイはそんな事を考えながらチラリと眠っているユミを見た。
本当に気持ち良さそうにヨシノの隣で眠っている・・・。
と、その時・・・今まで機嫌良く寝ていたユミがモゾモゾと起きだした。
「ん・・・んん?皆さん、どうかされたんですか・・・?」
半分寝ぼけながら目をこするユミ・・・しめた!!セイはとっさにそう思った。
「祐巳ちゃんっ!お早う!!お姉さんがいいもの買ってあげるから、ここから助けて!!」
「へ?な、なん??」
・・・体が浮いた。一瞬そう思った・・・次の瞬間にはそれがお姫様抱っこだという事に気づいたユミ。
セイは座っていたユミの首と腰に素早く腕を回し、いとも容易くユミを持ち上げる。そして・・・。
「それじゃ!!」
そういい残してユミを抱えたままその場から走り去ったセイ。
皆あまりにも突然の事にポカンと口を開けている。
「ちょ、ちょっと!!待ちなさい!!聖!!!!」
一瞬本気でユミが羨ましいと思った・・・。セイにあんな風に連れ去られてみたい。
そんな事を考えているうちにセイを取り逃がしてしまった・・・。
ヨウコはそんな自分が情けないやら恥ずかしいやらでガックリと肩を落とす。
「・・・逃げられましたね・・・それにしても、祐巳ちゃん抱いてるのに早いな〜・・・」
レイは手のひらで日よけを作りながら、セイの後ろ姿を捜した。
しかし、すでにセイの姿はどこにも見えない・・・。
全く感心するばかりだと、レイは思う。
そして、何となく自分も試してみようかとも思いチラリとまだ夢の中にいるヨシノに目をやってゆっくりとため息を落とした。
そんな事しようものなら、後で何をされるか分からない・・・そんな結論がレイの中で出たから・・・。
「お姉さまってば・・・恥ずかしいわ、ほんとにもう・・・」
・・・本当に恥ずかしい・・・どうしてあんな事を平気でこんな人ごみの中で出来るのか・・・。
いや、実際恥ずかしいのは多分ユミの方だろう。そう思うとほんの少しユミに同情してしまう。
シマコは顔を赤らめながら走り去るセイの背中を見つめていた・・・。
「あらあら、格好良い事しちゃって。聖ってば役得ね〜」
まるで王子様のようだった・・・いや、花嫁を奪いに来た新郎・・・か?
まるで昔の映画のワンシーンのようで、思わずエリコまで見惚れてしまった。
セイの場合顔立ちが日本人離れしている事も手伝って、あんな事をしても格好がつくんだろうな、なんて思う。
それにしても・・・結局セイは何も反省などしていなかったのだな・・・いつ逃げるか機会を伺っていたのだろう・・・。
そんなところがとてもセイらしくて、エリコは目を細めた。
「ゆ、祐巳!?ど、どこに行ったのっ?!」
突然。本当に突然隣で寝ていた筈のユミが消えた。自分がウトウトしている間にあっという間に。
ユミの寝ていた場所には何故か半分溶けたカキ氷が置いてあった・・・。
「ん〜・・・もぅ・・・うるさいんぁ・・・」
この騒ぎの中でも決して起きないヨシノ。どうやら何かいい夢を見ているようで、その口の端は笑っている。
結局いつも、最後に知らされて怒っているヨシノだが・・・思うにヨシノのタイミングがいつも悪いのだろう。
・・・そして今回もきっと、誰よりも後に聞いて、一人憤慨するに違いなかった・・・。
「はぁ・・はぁ・・・ここまで来ればもう大丈夫かな・・・」
セイはポツリとそう呟くと後ろを振り返り誰も追ってこないのを確認した。
「・・・ちょっと、聖さま・・・?」
「あ?ああ、祐巳ちゃん。ごめんごめん。今下ろすね」
セイはそう言って抱きかかえていたユミをゆっくりと下ろすと、その頭をよしよしと撫でた。
・・・しかし・・・。
「なんなんですか、突然!!しかも・・・お、お、おひ・・・」
最後の方は恥ずかしくてどうしても言えない!
ここまで来る間中ドキドキするやら落とされやしないかとハラハラするやらでもう何が何だかわからなかった。
一人ドギマギするユミに、セイはまるで何事も無かったかのようにニッコリと笑いかける。
「ん?お姫様抱っこ?楽しかったでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いや・・・楽しかったか?と言われれば答えはNOだろう・・・。
抱っこされるのは別に構わないが、あんな猛スピードで走られた日には怖くてしょうがない。
その上振り落とされないように自らセイの首に腕を回す自分も死ぬほど恥ずかしい訳で・・・。
「あれ?祐巳ちゃん?もしかして怒ってるの?」
「・・・まぁどちらかと言えば怒ってるのかもしれません・・・」
正直自分でもよく分からない・・・。周りの視線は痛いし、皆の所へ帰った時の反応も怖い。
でも、心のどこかでは確かにドキドキしていたし、嬉しい気持ちもある。
ユミはそんな事を考えながら、黙って俯いた。
「・・・ごめんね?カキ氷買ってあげるからそれで許して?」
「えっ・・・カキ氷!?」
・・・しまった!!一瞬そう思った・・・けれど。もう遅い。セイはすでにお腹を抱えて声を押し殺して笑っている。
「あはははは!!!祐巳ちゃん、最高!!!ほんっとに・・・可愛いんだから!!」
ユミを見ていると、可愛くて可愛くて・・・なんだか泣きそうになってくる・・・。
素直で単純で・・・でもちゃんと人を見ていて・・・決して自分を隠せなくて思ってる事とかダダ漏れで。
セイはユミの頭をガシガシと力を込めて撫でると、ユミは慌てたように身振り手振りでそれに抗議してくる。
「やっ!あの!!別にカキ氷につられた訳じゃ!!」
ああ、やっぱり・・・どうして自分はいつもこうなのだ・・・。
思っている事をすぐに口に出してしまう自分が憎らしくてしょうがない。
ユミはそう思いながらセイの顔を見上げると、そのあまりにも優しい笑顔にドキンとする。
そして・・・この笑顔を見るといつも安心して、大抵の事はとても些細な事に思えてくるのだった。
「はいはい、それじゃあ可愛らしいお嬢さんの為にカキ氷早く買いに行きましょうか」
セイはそう言ってユミに背を向けて歩き出した。後ろからトコトコとついてくるユミの気配を感じながら・・・。
「さて・・・それじゃあそろそろお開きにしましょうか・・・」
エリコは腰に手を当て大分人の居なくなった浜辺を見渡した。
「そうね。大半は眠ってしまっている事だし」
ヨウコはエリコの隣で頷くと、シートの上でゴロゴロと転がっているメンバーに目をやった。
「・・・大半って言うよりは私達しか起きていないけれどね・・・」
「本当よ。いつの間にか聖まで寝ちゃってるし・・・誰から起こせばいいかしら・・・」
エリコは首を傾げながら皆の寝顔をマジマジと見つめている。
そして突然・・・セイが寝ている隣にしゃがみこみ、その形の良いおでこに唇をゆっくりと寄せる。
「えっ、江利子ーーーっっ!?」
あまりにも自然で突然のエリコの行動にヨウコは目を丸くして思わず叫んだ。
その声に驚いたセイがパチっと目を開けた瞬間・・・!
「うわぁぁぁぁ??!!!」
「おはよ、聖!」
「な、な、なっっ!!!」
「あら、ただのおはようのキスじゃない。何そんなに慌ててるのよ」
「は、はぁ〜?」
セイは慌てて起き上がって今しがたエリコに奪われたおでこをさっと隠す。
セイが目を開けた瞬間・・・目に入ったのはエリコのおでこ・・・。
そして、何か柔らかい感触が自分のおでこに当たって・・・それが唇だと気づくまでにはそう時間はかからなかった。
あまりの出来事に目を白黒させるヨウコとセイ。してやったりなエリコ。
多分、今自分の顔は相当に赤い・・・と、セイは思う。
それもそのはずだ。たった今見ていた夢の中ではエリコではなく、ユミにキスされていたのだから・・・。
いや、キスされる寸前でエリコに変わった・・・と言った方が正しいのだけれど。
「な、何がおはようのキスよ!!江利子、あなた・・・あなた!!!」
固まっているセイをよそにヨウコは顔を真っ赤にして怒っている。
そんなヨウコにエリコはシレっと言った。
「だって、普通に起こしたって起きる訳がないじゃない、聖が。それとも蓉子がしたかった?」
「なっ!?」
突然のエリコの問いに、今度はヨウコが固まる。そして思った。もしかしてエリコは気づいてるんじゃないだろうか?と。
長い長い沈黙・・・固まるヨウコに膨れっ面のセイ・・・そして楽しそうなエリコ。
「・・・どうかしたんですか?」
突然の声に三人は物凄い勢いで振り返ると、
そこには驚いたように目をまん丸にしているレイとシマコがチョコンと正座して座っていた。
「「「いや、なんでもないの!!!」」」
三人は同時にそう言うと、まるで何か悪い事をしてたみたいにそそくさと周りを片付け始めた。
そして・・・。
「それじゃあお姉さまは由乃をお願いします。私は祥子を運びますんで。で、聖さまが祐巳ちゃんで・・・」
「私達は荷物ね」
ヨウコとシマコはそう言うとまとめて置いてあった荷物をシマコと半分づつ分けて持つ。
「それにしても・・・由乃ちゃん結構重いわね・・・」
「・・・はは、すいません、お姉さま。お手数かけてしまって」
「いいのよ、この事をネタに後から由乃ちゃんで遊ぶから」
エリコはそう言ってヨシノを、よいしょ、と背負いなおすと、ふふ、と楽しそうに笑う。
レイはエリコの嬉しそうな横顔に一抹の不安を覚えながらも、幸せそうな寝息を立てるサチコとヨシノに目を細める。
一方シマコとヨウコはそれぞれロッカーに預けている荷物を車に運ぶため先にその場を後にしていた。
セイはそんな皆の後姿を眩しそうに眺めながら、腕の中で静かな寝息を立てているユミに視線を落とす。
「ねえ祐巳ちゃん・・・ほら、太陽が海に還るよ・・・」
誰も居ない海辺・・・真っ赤に染まる空と海・・・腕の中で眠る少女・・・。
セイは胸の中に何か熱いモノが込上げてくるのを必死に堪えた。
「・・・ん・・・ぅん・・・?」
ユミはどこか遠くから聞こえた微かな声に、小さく反応すると必死に言葉を紡ごうとする。
でも、なかなか言葉は出てこなくて、誰の声が聞こえたのかも分からなくて・・・。
それでも心のどこかで、セイの声だったらいいのにな、なんて思いながら夢の中でセイを見た。
夢の中で穏やかに微笑むセイ・・・そんなセイにユミは想いを伝えたくて・・・。
「祐巳ちゃん?起きたの・・・?」
セイがそう言って立ち止まってユミの顔を覗き込んだその時・・・。
「・・・い・・・ま・・・ス・・・キ・・」
「っ!?」
突然ユミは幸せそうに微笑み、そう呟いた。一瞬頭の中が真っ白になって、思わずユミを落としそうになる。
「・・・んん?」
セイが落としそうになった衝撃で、ユミがピクリと反応した。
「ご、ごめんごめん!」
セイは慌ててユミを抱きなおすと、ユミにそっと囁いた。
「・・・祐巳ちゃん・・・さっきの寝言・・・もう一回言って?」
祐巳ちゃんは今、誰が好きなの?
真っ赤な太陽が海に沈む瞬間、丸い形が歪む。
必死になって作り上げてきたものが、跡形もなく歪む。
沈んでゆく太陽に、心はかき乱されて、どこまでもどこまでもこのまま沈んでゆくのだろうか・・・。
今日も、明日も、明後日も、ずっと・・・。
切なくて、泣きたくて。
苦しくて、辛くて。
こんな想いは一体どこへ行くの?
こんな想いは一体いつまで続くの?
私の想いはいつでもキミの傍に在るのに、
キミの想いの所在は・・・?