真っ黒な夢を見た。
何も見えない何も見たくない、そんな夢。
暗くて静かな世界に居るのは自分だけ。
それでもいい。それがいい。
真っ白な夢を見た。
何もなくて何処でもない、そんな夢。
綺麗で何も無い世界に居るのは自分と一人の少女だけ。
それでもいい。心地よい。
虹色の夢を見た。
乱雑で沢山のモノで溢れている、そんな夢。
ゴチャゴチャした世界に居るのは自分と愛しい人たち。
それがいい。・・・それでなければ。
「祐巳さ〜ん!聖さま〜!こっちこっち!!」
セイとユミは顔を見合わせ声のする方を振り返った。
「・・・由乃さんに江利子さま・・・あれ、黄薔薇様は・・・」
「ほんとだ・・・居ないね」
セイは首を傾げながらユミを浮き輪ごと引張り近くまで泳いでゆく。
いや、泳ぐほど深くもないのだが水の中で早く歩くのはなかなか難しい事ぐらい十分承知だ。
「・・・聖さま?どうしました?」
「・・・いや」
ヨシノとエリコの近くまで来た時、突然セイが泳ぐのを止めた。そしてじっと海の中を見つめている。
「?」
じっと海を見つめるセイの瞳は鋭く、まるで獲物を狙う猫科の動物のよう。
ユミがその鋭い視線に見惚れていると、突然セイが動いた。
勢いよく水しぶきが上がり白くて細い手がまるで鳥の嘴のように水中にいる何かを捉える・・・。
「ぎゃうっ?!」
ユミはセイによって引き上げられた人物を見て、というよりはセイが突然動いた事に驚きの声を上げた。
そんなユミを気にも留めずにセイは獲物を嬉しそうに見つめている。
「捕まえた」
「ごほっ・・・けふっ・・・」
むせるレイに、獲物を捕らえて喜ぶセイ。
どうやらヨシノやエリコに意識を持っていかせて背後から狙うつもりだったらしいのだが・・・。
「あら、みつかっちゃった。残念・・・もうちょっとだったのにね」
エリコは残念そうにそう呟くと、大きめの浮き輪を自在に操り水音も立てずに凄い速さでこちらにやってくる。
「もう、令ちゃんが下手なのよ〜・・・もっとこう、忍者みたいにスマートにいかなきゃ」
一方ヨシノはバチャバチャと足をばたつかせながら、非常にゆっくりとエリコの後を追っていた・・・。
「・・・・・・由乃さん・・・・・・・・・・・」
・・・忍者みたいに、って・・・それはレイに対してあまりにも酷というものだろう。
ユミはまだむせているレイの背中をさすりながら、大丈夫ですか?と声をかける。
そんなユミに、レイは爽やかに笑って御礼を言う・・・こんな状況でも、流石はミスターリリアンだと思う・・・。
「それにしても・・・つまらない事してくれるじゃない」
セイは未だにユミがレイの背中に手を回している所を出来るだけ見ないように、にっこりと笑った。
レイもレイでユミの浮き輪にいつまで掴まっているつもりなのか・・・そんな事を考えるとイライラしてくる。
「す、す、す、すみませんでした!!」
そんなセイの怒りの原因を完全に勘違いしているレイは、頬をピクピクさせながら頭を下げた。
「いや、どうせ誰の差し金かは分かってるけど・・・ねぇ、江利子?」
セイはそう言ってにっこりと極上の笑みをエリコに向けた。
「あら、いやだ聖。私は純粋に楽しませてあげたかっただけなのよ?せっかく来たんですもの、楽しまなきゃ損じゃない」
そういうエリコの顔は、楽しくて楽しくてたまらないといっている。
ようやくこちらにやってきたヨシノもエリコの言葉に大きく頷いている。その顔もとても楽しそうで・・・。
思わずセイとユミは顔を見合わせ笑いをこぼしてしまった。
「そうですよね、せっかく皆で来たんですもんね。ちゃんと楽しまなきゃですね!」
ユミの言葉にセイもニッコリと笑った。そしてさりげなくユミの浮き輪にまだ掴まったままのレイの足を払う。
突然足場のなくなったレイは一瞬海に沈んだが、すぐに今度はヨシノの浮き輪に掴まって事なきを得た。
レイは笑っている。セイも笑っている。もちろんエリコやヨシノも。
ユミはチラリと浜辺で待っているサチコやシマコやヨウコが気になって振り返ると、
浜辺の三人もこちらに気がついて手を振ってくれた。
「楽しいね、祐巳ちゃん?」
セイは、浜辺に向かって嬉しそうに手をふるユミにそんな問いかけをしてみた。
するとユミは、はい!と大きく頷いてセイを瞳をじっとみつめてくる。
「な、何?」
「いえ、聖さまは楽しいですか?ちゃんと楽しめてます?」
「・・・もちろんじゃない、バカね」
ほんの少し・・・ほんの少しだけ驚いた。心の中を見透かされたみたいなユミの瞳に・・・。
ついさっきまで大して楽しんでいなかった自分の事を見透かされたみたいで・・・。
さっきまでは二人がいいと、ずっと思ってた。なのにおまけが沢山ついてきて、正直ウンザリしてた自分。
なんてことを考えていたのだろう・・・そんな自分に嫌気がさしてくる。
でも、皆は居る。今日は久しぶりに、本当に久しぶりに皆で集まったのだ。
皆で楽しまなきゃ意味がないのだ。そんな事も分からずにいたなんて・・・。
セイは反省するようにユミの顔をチラリと見上げると、照れたように笑った。
「なら、いいんです。遊びましょう、皆で」
「・・・そうだね・・・」
ユミが水中でキュっと繋いできた手には、どんな願いが込められているのだろう・・・。
セイはそんな事を考えながら、青空を仰いだ。
最初は誰が言い出したのか・・・どうしてこんな事になっているのか・・・レイは首を傾げた。
「行ってらっしゃ〜い、れいちゃ〜ん!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・そうだ、思い出した・・・レイはほんの少し前に起きたことを思い返した。
最初にそれを見つけたのはヨシノだった。どうしても乗りたいと言ってきかなかった。
でも、いくら元気になったとはいえ、やはりレイは心配でしょうがなかったので、それを姉であるエリコに相談したところ、
エリコはあっさりと、じゃああなたが試しにやってみたら?なんて簡単に言ってのけたのだ。
・・・しかしだ・・・正直他の人がやってるところを見てる限り、かなり怖そう…というか、痛そうなのは自分だけだろうか・・・。
でも順番は着実に自分に近づいてきている。ここで逃げるわけにはいかない。
レイは自分にそう言い聞かせて、ギュっと目をつぶった。つい数分前の出来事に大きく後悔しながら・・・。
「令は根性あるわね〜・・・私ならいくら可愛い妹の為でも絶対に乗らないわ」
そう呟いたのは他の誰でもない、セイだった。無言で頷くヨウコに、サチコはハッとした顔をしている。
「では、私もお姉さまの為にだけ乗りませんわ」
シマコは少し怒ったようにそう言うと、プイとセイに背中を向けてしまった。
「や、あの、そういう意味じゃないんだってば!ねえ、志摩子!!」
「もう、お姉さまなんて知りません」
そう言ってそっぽを向くシマコの口の端が、ほんの少しだけ笑っていた事を、ユミは見逃さなかった。
でも、それはセイには黙っていよう・・・とても嬉しそうなシマコの為にも。
慌てるセイにスネてしまったシマコを楽しそうに見ていたヨウコの腕を誰かが掴んだ。
「ど、どうしたの?祥子」
「お姉さまも・・・ですか・・・?」
「は?」
「お姉さまも私の為には乗ってくれないんですか!?」
「・・・・・・・・・」
あまりにも必死なサチコ・・・妹のこんな顔を久しぶりに見たような気がした。
そして、その必死さが何だか可愛くてつい微笑んでしまう。
「確かに・・・あれはちょっと勘弁したいわね。でも、私は貴方の為ならなんだってするわよ?」
そう・・・大切な大切な妹なのだ。頑固でワガママで・・・本当に手のかかる大事な妹。
ヨウコはそう言ってサチコの頭をヨシヨシと撫でる。
「お姉さま・・・私もですわ・・・」
サチコはヨウコに久しぶりに甘えた。最近はユミの事が気になって気になって、どうしようもなくなっていた。
だからこんな風にヨウコに言ってもらえると、なんだか背中を押してもらったみたいでとても心が暖かくて・・・。
「・・・お姉さま・・・蓉子さま・・・」
そんな光景を目の当たりにして思わずユミの目頭まで熱くなってくる。
そして、この紅薔薇に自分も居るのだと思うと、とても誇らしい・・・。
「もちろん、祐巳ちゃんもとても大事よ?」
「そうよ?祐巳」
涙ぐむユミに気づいたサチコとヨウコは、そっとユミを引き寄せる。
そしてお互いに手を取り合った・・・。
「・・・紅は泣けるわねぇ・・・それに比べて・・・」
セイは紅薔薇ファミリーになんて目もくれず、さっきから激しいバトルを繰り広げてばかりいる黄に目をやった。
「あら、いやだ。そんな事も出来ないの?それじゃあ妹失格よ」
楽しそうに笑うエリコは、ヨシノの顔を見てフっと鼻で笑う。
それに気を悪くしたヨシノだって、黙ってなど居ない。
「な、なんですって〜!?だいたい江利子さまは既に卒業された身。
もう少し令ちゃんばなれされた方がよろしいんじゃなくて?」
どうだ!って言わんばかりにワザとらしく語尾を強調するも、エリコは全然ひるみそうにない。
それどころか、どんどんエスカレートしている。
「ああら、妹はいつまでも妹だもの。令は今でも私の可愛い妹よ。それも分からないなんて・・・あら、失礼。
由乃ちゃんはまだ妹が居ないのだったかしら?」
「おお・・・これはダメージ大きいぞ、由乃ちゃん。さぁ、どうでる?」
セイが小声でボソリと呟くと、シマコがそれを制するように眉をひそめた。
「お、お姉さま、悪趣味ですわ」
「言わせていただきますが江利子さま。私だってその気になればいつでも妹の一人や二人簡単に見つけられます!!
ただ、今はまだその時期じゃないだけで・・・それともそれすら待てないんですか?」
そう言って薄く笑うヨシノは、初めて薔薇の館にやってきた時からは想像も出来ないほど子憎たらしい。
可憐で薄弱なイメージとはかけ離れてしまったヨシノ。
でもそんなイメージなど初めから欲しくなかったエリコにとっては、ヨシノのこの顔を見るのがこの上ない幸せだった。
初めはつまらない子、なんて思っていたエリコだったが、
その仮面の下のヨシノを見つけた日からその興味は尽きる事がなかった。
こうやって言う事でヨシノがすぐに自分にかみついて来る事など分かっている。
でも、可憐なお姫様はエリコにとってはとてもつまらないもので、この子悪魔のようなヨシノこそ、
エリコが望んでいたものだったのだ・・・。
「あら、誰も待てないなんて言ってないわ・・・そうね、じゃあ秋口にもう一度確認しに行くわ。それでいいかしら?」
「ええ、ええ。構いませんとも!!」
エリコのこんな所がヨシノはとても好きだった。今までずっと腫れ物を触るみたいに皆がヨシノを扱った。
それが嫌で嫌で・・・。でも、そんな中エリコだけは初めからそんなヨシノなど見ていなかった。
お姫様のように扱われてきた少女を、ただのつまらない少女としか見ていなかったのだ。
本当はやりたい事も、言いたい事も沢山あるのに、誰もさせてくれないし、言わせてくれない。
でもエリコだけがそんなヨシノの相手をしてくれていた・・・。
特別扱いなどせずに、いつだって本当のヨシノを見てくれている・・・。
それが、こんなにも嬉しい、なんて言ったらきっとまたバカにされるのは分かっているから決して口には出さないけれど、
それでも、心の中ではずっとそんな風に思っていた・・・。
そんな二人のやりとりを、外野であるセイとシマコは未だにボソボソと小声で応援していた。
いや、応援していたというよりは、ただ楽しんでいた。セイが。
「まぁまぁ、いいじゃない、面白いし。志摩子はどっちを応援する?」
「いえ、ですから・・・」
シマコは困ったように笑いながらセイを止めようとしたその時・・・。
「「外野はうるさい!!」」
突然エリコとヨシノの怒鳴り声が響いた。
「「ご、ごめんなさい」」
驚いた二人は慌てて二人に謝ると、そそくさとパラソルの下から出て波打ち際まで走ってゆく。
「怒られちゃった」
「当たり前です!もう、お姉さまったら・・・あ、ほら、黄薔薇様の番みたいですよ」
シマコがそう言って指差したその先を見ると、レイが青い顔をしてパラシュートのついたイスに座っている所が見えた。
「うん?あ、ほんとだ・・・皆に」
セイはそう言って後ろを振り返ってみたけれど、何だか皆忙しそうで・・・。
「まあいいや。お〜い!令がんばれ〜〜!!!」
「よ、よろしいんですか?皆さんに教えなくても・・・」
「だって皆忙しそうだし・・・それにまた怒られるの嫌だもん」
セイはそう言って顔面蒼白のレイに向かって手を振った。
「・・・後で知りませんよ?」
「ん?何か言った?志摩子」
「いいえ、なんでもありません」
「おお〜〜〜〜〜!!飛んだ!!」
「・・・すごいですね・・・」
セイとシマコは青空に舞う虹色のパラシュートと、それに必死になってしがみついているレイを見上げて歓声を上げた。
青空に出来た人工の虹は、空を横切ってゆっくりと降下してゆく。
そして胸の中にそっと・・・。
誰も居ない。誰が居ない?
皆居る、ここに居る。