愛だけはたっぷり詰まっているんだ。
たとえそれがキミを壊してしまったとしても、
私は悔やまない。もう二度と。
出来る限りの事はしたし、想いも込めた。
だからどうか・・・残さずに食べて。
私の想いを・・・。
「はぁ・・・はぁ・・・っん・・・っく・・・ゆ・・・みちゃ・・・ん・・・」
セイは息遣いを次第に荒げてゆく・・・。
こんなにも心臓がバクバクするのはいつぶりぐらいだろう。もはや思考回路もショート寸前で、もう何も考えられない。
頭の中が真っ白になって、呼吸が出来なくなりそうで・・・。
「ふふふ・・・聖さま・・・」
愛しい少女の憂いを含んだ笑い声が聞こえてくる。その声はとても楽しそう。
まるで新しいおもちゃでも見つけたかのようにセイの反応を楽しんでいる。
「ほら、聖さま・・・もう少しですよ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・くっ!」
耳元でそう囁くユミの声は、どこか子悪魔っぽい響きが混じっていて逆らう事さえ許されないように思う。
もう少し・・・甘い響きが頭の中で木霊する・・・そうか、後少しで楽になれるのか・・・。
そう思うと途端に全身から力が抜けてゆくのがわかる。そして、とうとう・・・。
「だーーーーーーっ!!!もう無理!!!ごめん!!降りて、祐巳ちゃんっ」
セイが自転車のブレーキを力いっぱいかけると、キキキーと物凄い音を立てて自転車は止まった。
その反動でユミは思い切りセイの背中に鼻をぶつけてしまう。
「あぁ・・・もうちょっとだったのに・・・聖さま、後少しなのに」
ユミはセイの背中でぶつけた鼻をさすりながら自転車から降りると、セイの隣を歩き出した。
「・・・祐巳ちゃん・・・この坂道これで登ってみる?」
ようやく酸素を吸えた、とばかりにセイは大きな深呼吸をすると自転車を押し、歩き始めた。
「いやです!」
ユミは小走りでセイの隣に回りこむと、セイのコートのポケットに手を入れセイの申し出をはっきり断った。
セイにも出来なかったのに、どうしてユミが出来るというのか。
「あぁ〜こりゃ明日は筋肉痛決定かな」
「あはは!かもしれませんね」
グッタリとうなだれているセイに、ユミはさぞ嬉しそうにカラカラと笑っている。
そんなユミが、セイは少しうらめしかった。
「・・・・じゃあ祐巳ちゃんも明日筋肉痛になるような事してあげようか?」
ニヤリと不敵な笑みをうかべるセイ。その笑顔に引きつるユミの顔が、子狸というよりはどちらかといえば子羊のようだ。
「な、なにする気です?」
「さあ?」
完全に怯えきった顔でこちらを伺うユミは、今にも狼に食べられそうになっている子羊そのもので・・・。
セイはその反応が楽しくてついいつもこんな風にいじめてしまうのだった。
「ほら、祐巳ちゃんダッシュ!!家に先に着いた方が後から着いた方を好きに出来るっ!!」
セイは突然それだけ言うと、自転車を押しながら一目散に坂道を駆け上がってゆく。
ユミは一瞬何が起こったのかわからずにただその場にぼんやり立ち尽くしていたけれど、
ようやくセイの言った言葉が飲み込めた。
どうやら先に家に着いた方が後から来た者を好きに出来る、なんて単純なゲーム。
「は?え、ええ〜?!ちょ、まっ!!ズル!!!」
ユミは自体が飲み込めてから慌てて走り出したけれど、セイはもうすでに坂を上りきって自転車にまたがっている。
「ゆ〜みちゃ〜ん!!おっそ〜い!!」
「うー・・・聖さまずるい〜〜〜〜!!!」
こちらに向かって余裕で手を振るセイに向かって、ユミはそう叫ぶと坂道を一生懸命駆け上がった・・・。
そしてふと思い出す。そういえば昔話ではウサギが途中で昼寝してしまってノロマなカメが競争に勝ったっけ・・・。
「・・・私はカメか・・・ウサギは寝てないし・・・」
人生そう甘くはない。あれはカメの運が良かっただけ。だってウサギだってバカじゃない。毎回毎回寝てる訳ではないのだ。
この勝負どう考えても・・・。
階段を駆け上がって廊下を曲がった時、セイにぶつかった。
「はい、祐巳ちゃんの負け〜」
「うー・・・・」
嬉しそうなセイの顔・・・くやしそうなユミの顔。勝者はウサギで敗者はカメ。
「さて、何してもらおっかなぁ〜聖、迷っちゃ〜う」
「・・・なんです、そのキャラ・・・」
「あれ?祐巳ちゃん怒ってる?」
「・・・いいえ?ただ聖さまいつも突然なんだもんっ・・・勝てる訳ないじゃないですか・・・」
「じゃあ今度は祐巳ちゃんから仕掛ければいいじゃない」
むー、と膨れているユミの頬をつつくと、セイは嬉しそうに玄関の鍵を回した。
家を出たときは一人きりだった。寂しくて寒くて・・・でも、今は違う。こんなにも暖かい・・・。
「「ただいま〜」」
どちらからともなく言った挨拶に、なんとなく二人は噴出してしまった。
ユミがここへ来るとセイはいつも、お帰り、と出迎えてくれる。ユミもそれにつられていつも、ただいま、と言っていた。
「おかしいですよね、私の家じゃないのに」
ユミはそう言ってドアを開けてくれているセイの隣をすり抜けると、まるで自分の家のように中へと入ってゆく。
「もう祐巳ちゃんちみたいなものなんじゃない?」
セイにはそれが嬉しくてたまらなかった。
確かにユミの家ではないけれど、でもユミはセイの家に上がる事にもう遠慮なんてしていない。
もう、ユミはセイのお客様ではないのだ・・・。
セイはもう一度心の中で、ただいま、と小さく呟くと家に鍵をかけた。
一歩家に入るとセイの香りがする・・・ユミはこの香りが大好きだった。
洗濯する時の洗剤とか、シャンプーとかセイが愛用している香水だとか・・・。
あげればキリがないけれど、どれもセイの香り・・・。
ここに泊まるとセイの香りが服や髪に染み付いて、いつでも傍にセイがいるみたいで安心していられた。
そしてその香りが完全に落ちきる前に、セイに会う。そうすれば毎日一緒に居てるような気分になる。
同じ大学に居ても連絡を取らなければ会えないし、おいそれと抱きついたりキスしたりする訳にはいかないから・・・。
「あれ、何か甘い匂い・・・?」
いつもなら真っ直ぐにリビングに向かうユミだけれど、
今日はキッチンからする甘い匂いにつられてついついそっちに足を運んだ。
「あ」
「祐巳ちゃんっ!!!そっちはダ・・・遅かったか・・・」
「・・・これは・・・」
ユミは目の前に広がる光景に思わず言葉を失う。
セイはユミの後から続いてキッチンへ入ってくるなり、ユミを回れ右させて強制的にキッチンから立ち退かせた。
「いや〜、何せチョコレート作るなんて初めてでさ」
セイはそう言って恥ずかしそうに頭をかくと、そのままキッチンへと戻り洗い物を始める。
「それにしてもスゴイですよ、これは・・・やっぱりあのチョコレート爆弾作ろうとしてたんじゃ・・・」
「うわっ、祐巳ちゃん?!あっちで待っててよ!!」
追い出したはずのユミがセイの後ろからひょっこりと顔をのぞかせて楽しそうにこちらを見ている。
「どうしてです?いいじゃないですか、別に」
「だって恥ずかしいじゃない。この惨劇・・・酷いでしょ?」
苦笑いしながらそう呟くセイに、ユミはフルフルと首を振るとにっこりと笑う。
「いいえ?嬉しいですよ、まさかここまで頑張ってくれていたなんて思いもしませんでしたから」
「そ、そう?」
ユミの笑顔にセイはようやく安心した。そう言ってもらえただけで、頑張って作った甲斐があったと思えた。
ユミはカウンターに散らばったレシピや材料を片付けながらふと手を止める。
「・・・聖さま・・・どうしてここに唐辛子とか山椒とか出てるんです・・・?」
恐る恐る手に取ったそれは間違いなく唐辛子が乾燥した鷹の爪のパック・・・。
「ああ、甘すぎるかなー?とか思って。ウチにあった辛いものっていったらそれぐらいしか無かったから」
あっけらかんと答えるセイに凍りつくユミ・・・まさか・・・入れたの?
ユミはきっと知らない間にまた百面相をしていたのだろう・・・。
セイは慌ててユミの手からそれらを奪い取ると、引き出しへと戻し言った。
「心配しなくても入れてないってば。途中で思いとどまったのよ。祐巳ちゃんは甘党だから」
「はあ」
じゃあ何ですか?もし私が甘党じゃなかったら・・・入れるつもりだったんですか・・・?
そんな思いがユミの頭の中を駆け巡る。怖い・・・セイの料理が怖い・・・心からユミはそんな風に思った。
「さて!洗い物も済みました。私ちょっとシャワー浴びてきていいかな?」
「あ、はい!どうぞ」
セイは綺麗に洗ったお皿を一枚一枚拭き続けているユミのおでこに軽くキスしてキッチンを出る。
自分しか居ない部屋、自分しか立たないキッチン。そこに他の誰かが居て、それはとても大切な子で。
鼻歌混じりにお皿を拭くユミの後姿が、妙にセイの胸を締め付ける・・・。
この痛みはなんだろう・・・片思いだった時とはまた違う痛み。
想いを伝えた時、そしてそれを受け入れられた時、人は幸せになれるのだと思っていたのに・・・。
確かに幸せではある。でも、また違う痛みが次から次へとセイを襲って。
結局生きている限り不安は一生つきないもので、手に入れられたからこそ不安は増すものなのだ、と実感する。
「祐巳ちゃん・・・ずっと隣に居てくれる・・・よね?」
小さな小さな音と願い。ユミには聞こえないだろうと思って呟いてみたけれど・・・。
突然キッチンの中のユミがクルリとこちらを向き笑顔で駆け寄ってきてセイの手をギュっと握る。
「もちろんですよ、聖さま。聖さまと同じ、私もずっと傍にいますよ」
そういうユミの笑顔が、まるで天使みたいに真っ白で穏やかで・・・。
セイはユミを抱きしめると例えようの無い切なさに顔をしかめた。
「うん・・・ありがとう・・・」
何を言えばいいのか、どう言えばいいのか判らない。ただこうしているだけで、心は少しづつ解けて・・・。
「聖さま、私からのバレンタインデーはチョコレートと・・・」
ユミはそこまで言って、セイの袖を引っ張って少し背伸びをする。
「うん?」
「・・・・です」
恥ずかしそうに・・・ユミはそっとセイに耳打ちしてくれた。
「・・・解った、残さず貰うよ」
セイはその願っても無い贈り物に一瞬目を見開いて驚いたけれど、やがて笑顔で答えた。
どんな贈り物を貰うよりも、今のセイにはその言葉が一番嬉しかった。
どんなに不安な時でも幸せをくれる少女・・・今ではもう、手放せなくなってしまった。
セイは、えへへ、と笑うユミと深い深い口付けを交わす・・・。
『私からのバレンタインデーはチョコレートと・・・私の未来です』
これが幸せと不安への第一歩だとしたら、これ以上望むものなんて、きっともう何も無い。
「とりあえず手始めに祐巳ちゃん、私と一緒に暮らさない?」
「・・・・・・・・・・・・・っ!?」
これ以上の笑顔は見たことないってぐらい綺麗なセイ。
その顔がいつまでもいつまでも、ユミの中で色あせる事は無かった・・・。
そしてユミは答える。
「・・・とりあえず、料理は私が担当しますから・・・」
これからの問題も、不安も、まだまだ山積みになっているのかもしれない・・・。
それでも二人一緒なら、きっと何だって乗り越えてゆける・・・。
今日の話が全てウソだったとしても、
今日の話が全てウソになってしまっても、
それでも私は構わない。
一瞬でもキミがそう思ってくれたのなら、
私にくれたその時間があったのなら・・・。
これ以上怖がる事なんて、無いと思うから。